想像もつかない技術が繁栄していた遥か昔、神算時代の迷宮 ――学者によれば地下施設―― への入り口は無数にあった。ロックされていない扉もあれば、0~9までの数字の付いた扉もあった。他にも様様なセキュリティがある。
迷宮内部には異形の生物、クリーチャーが住み着いていて大変危険だったが、人は精霊の力を借りて調査を進めるうちに遺物を見つけた。代表的な物が二つあり、一つは機殻、もう一つ汎用インプラント機。
後者の影響は絶大だった。逆手に持つ手のひらサイズの棒で、体に先端を当ててスイッチを押せば、それでナノ機学物質が体内に侵入して対応したシステムを脳にインプラントしてくれる。汎用インプラント機の中でナノ機は製造され続けるので無限に使えるし、履いて捨てるほどの数が見つかった。
医師によれば、その際の体内のナノ機は軽度の病気や怪我の治癒力を高めるらしい。
また、汎用インプラント機にデフォルトでインストールされている汎用システムであるNDB ――Normal Decide Brain―― は現実の見方を変えた。大抵の物が視覚に重ねられるレーティング・クリアランスで評価される。ヤバそうなクリーチャーや遺物、あらゆる脅威に対する警告になる。
NDBのおかげで冒険者は慎重かつ安全に迷宮を探索できると言っても過言ではない。
また、なかなか手に入らないが、拡張プログラムで脳を活性化させれば高度な魔術を扱えるようになるし、身体能力を上げるナノ機もある。
星を落とすインプラントもあるという噂だ。ほ、欲しい。いや、やっぱ使いどころが……
そうこう考えている間に所属しているギルドに着いた。
ギルドと言っても、もぐりだ。拠点は王都でも治安の悪いラムス地区にある小さな酒場の地下。<チャーチス>、と申し訳程度の看板が掲げられた店に入れば、酔いつぶれたクソ野郎どもがテーブルに突っ伏している。
地下に続く階段を降り、いよいよボスに報告せねばならない。
フィルスが咳払いし、扉をノックする。
「フィルスです、ただいま戻りました」
「おう」
「失礼します」
香水だかタバコだか性の臭いだかが入り混じる、書物や遺物が所狭しと飾られたこじんまりとした一室。小太りの半裸男がソファで女と一杯やっていた。
「こちらが、今回の戦利品です」
デスクに書類と遺物が置かれる。用途不明の手のひら大の部品のようだが、遺物は遺物。機殻に取りつけて見栄えをよくするとか、装甲を厚くするとか、オブジェにするとか、握りしめて殴打するとか、投げて遊ぶとか、とにかく使い道はある。
「ん。で、それは一体どうした?」 とボス。顎でずぶ濡れのおれを指す。それ呼ばわりすんな。
「こいつは、あー、花壇に水やりしてる主婦にひっかけられたみたいで」
「使えてんのか?」
「ま、ぼちぼちっすね」
隣でモーブルとハシィタが、いやーどうでしょうね、といった小さな笑いを作っている。こいつらはいつか殺す。
ふーん、とボスは引き出しからいくらかの硬貨を袋に入れてフィルスに寄越す。ボスの首には機殻輪が下げられていた。
指輪サイズに縮小する機能を持った機殻等には通常、セキュリティロックが掛けられている。神算時代のそれを突破する手段を持ち合わせていない人間はだから、精霊に頼る。
精霊にとって時間とは非物質的に限り非可逆のものではないらしく、【グリーン】以上で実装されている簡単な六桁の暗証番号であれば、過去から数列の情報だけを持ってきてアンロックする。
おれが実戦的な機殻使いになれない絶望的な理由がそれだ。
太古より精霊は人間と契約を結び、繁栄をもたらしてくれた存在だ。誰に対しても友好的なはずが、なぜかおれとの契約を結ぼうとしない。だから魔術は使えないわ遺物のセキュリティを突破できないわで散散だ。
「ありがとうございます。では失礼します……しゃす
ぺこぺこと頭を下げて退室する。一階の酒場に戻り、報酬を等分する。
おれがこの世で最も楽しみにしている瞬間であり、最悪な瞬間だ。
楽しみにしているのはもちろん金が手に入るって所。最悪なのは、本来なら一人当たり一万キップの取り分だが、リーダー手当とか地味に反論しづらい理由でフィルスが四千五百多く取るという事だ。
これに関してモーブルとハシィタは全くその通りと文句を言わない。それどころか当然の権利だと主張する。なぜなら、フィルスはおれが消えたら二人に二千キップ渡すから。こいつらはおれから五百キップずつピンハネしているのだ。食事代程度をケチケチと巻き上げるその根性には呆れ果てる。
しかしこれでクズ野郎百パーセントで構成されたパーティが一時解散。レンタル品のロングソードを返却して八千五百キップ
分の硬貨をバッグに入れる。とっとと帰ろうとすると声がかけられた。
「あら、もう帰っちゃうの?」
カウンターから唯一クソ野郎ではない、この酒場を切り盛りする女店主が明るい声を投げかける。
ええ、徹夜明けで眠くて眠くて、とフィルスどもは店を出る。ドーセ飲むなら若い女と、という算段。仕事終わりにはいつも別の店に入っている。
おれはというと、ただでさえ安い手取りの上、ピンハネまでされているので出来れば安い所ですませたい。
「ずぶ濡れですよ」 と、おれ。小さく肩を竦める。
「どーりで、いい男だと思った」 と、女主人。小さくウィンクする。
やんわりと断り文句を続けようとすると、腹の虫が鳴った。仕方なくカウンターに座る。当て布の無い木製の椅子だったので、びしょ濡れでも構わないだろう。じゃなきゃ誘われない。
「お疲れさま。今回はどうだった?」
パン耳の付いたサンドイッチとコーヒーが出てきた。一口やると鶏肉の燻製とタマネギのようだ。スパイスが効いていてうまい。食べ物にレーティング・クリアランスは無い。美味しさに絶対的な評価値は付けられないからだ。
「いや、まあ、ぼちぼちでしたよ」
正直言って仕事の話はしたくない。だいたいクズ野郎どもにせっつかれるか、魔術無しでドタバタやっているだけだ。安全な浅い階層でクリーチャーを狩って、死骸が金になるタイプであれば剥ぎ取る。後はクリーチャーが集めてたり、胃に収めている遺物があれば回収するだけ。
ちらとグラスを磨く女店主を盗み見る。栗色の髪をアップにした、快活な妙齢だ。だいぶふくよかだが魅力は十分にある。ボスの昔の女という噂だ。もぐりでもギルドのボスをやっていれば、こんな女性をはべらせられるのか。
「ぼちぼちかー、ま、何事もほどほどが一番だね」
「ここのサンドイッチはめちゃくちゃに美味しいですよ」
「ありがと」 おれの取って付けたようなお世辞に微笑んで言った。 「あんただって、めちゃくちゃ強いって聞くけど」
「まさか、知っての通りおれは……」
「でも、剣でバッタバッタとやるわけでしょ」
確かにおれは身体能力に自身があった。肉体を制御するセンスというか、そういった類。だからこそ王都にのこのことやって来た。
それでもフィルスどもと敵対した時に勝てるとは考えていない。魔術はおれにとって未知だからだ。未知は恐怖だ。だからこそレーティング・クリアランスは役に立つ。視界にさえ映せば、格上に立ち向かうリスクを軽減してくれる。
恐怖に立ち向かうリターンも無しに、予備動作もなく生み出される魔術へ刃向う勇気はない。おれが折れていればなんとか生活していけるし、それが原因で取り返しの塚ない怪我でもしようものなら事だ。
こんな事を言うと、パーティの連中と上手くいっていないと思われるばかりか、ぶっ殺してやりたい気持ちがバレそうなので黙っておく。
「やれそうなクリーチャーなら、そうですが」
「ふつーはどんなクリーチャー相手にも切った張ったしないって」
例外があるとすれば機殻使いだ。【ブルー】は産業用だが、とにかくそれ以上のレーティング・クリアランスは全身装甲で安全性が高い。得物と魔術、機殻による身体強化で立ち回れる。という答えを女店主も察したのか、謙遜するおれにそれ以上の言葉は無かった。
どかどかと新たなパーティが戻ってきたので手早くコーヒーを飲み干して席を立つ。水っぽいと評判だが、おれは一度もそうは思った事は無い。代金を払おうとしたが、ウィンクされたのでありがたくご馳走になる。とにかくスタコラしたい。
「おいおい、椅子、濡れてんじゃねえか」
「ションベン漏らしたんならてめえで始末しろよ」
間に合わず、クズ野郎どもの笑い声を背に受けて店を後にした。
いつまで経ってもこれだ。
遺物のセキュリティを突破するには精霊との簡易契約が必要だが、精霊はなぜかおれを蹴る。まともなギルドは魔術を使えないおれを入れない。もぐりギルドの手取りでは貧乏過ぎてなかなか機殻が手に入らん。そんな生活にも、ようやく終わりが見えてきた訳だが。
くしゃみをして、むふふの忍び笑いで帰路につく。
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ラムス地区を抜けるころには、明朝だった。
おれが住んでいるウーフツ地区通りの朝市では屋台や露店が並んでおり、様様な果実や野菜、肉類を売っている。人混みの喧騒も、活気であれば耳に心地よかった。
屋台の主人が魔術を使い、野菜に小さな水滴を散らしていた。誰が最初に考えたのかは知らないが、確かに新鮮そうに見える。養殖された食用クリーチャーの串焼きの良い匂いがする。
朝とはこうあるべきだ。ゲロってる飲んだくれや、化粧の濃い女と同伴しているおっさんが闊歩するラムス地区とはえらい違い。痩せすぎた犬に吠えられる事も無い。
程なくして集合住宅、フロム・バレルに着く。一軒家を建てるには狭すぎ、個人が店を構えるには大きすぎる敷地に無理やり詰め込んだ感じの二階立てアパート。両側から押されて縦に伸びているようだが、良く管理されており小奇麗だ。
周囲を見渡し、人気が無いのを確認して二階のフラワーボックス ――窓の外に植木鉢とか置く為の鉄柵―― に飛びつき、よじ登る。そのまま内鍵のかかっていない窓から自室に帰宅。
極力、音を立てないように今日の稼ぎをベッドの下に隠してある貯金袋に入れる。
もう少しなのだ。もう少しで機殻を買える程度の金が溜まる。【ブルー】の重作業用で、しかも中古 ――そもそも遺物なので神算時代の支配者のお古だけど、発掘後に誰かが使ったという意味で―― だが、それより上のレーティング・クリアランスではセキュリティ付きが大半だからしょうがない。
とにかくそいつを手に入れたらクソッタレのギルドから抜け、クズ野郎どもとはつるまず一人で迷宮に潜るのだ。魔術無しでクリーチャーとやりあうのは怖いが、それでもやはり戦利品を一人占め出来る。そしてクズ野郎に絡まれない。
なにより迷宮には夢がある。【グリーン】以上でセキュリティの掛かっていない遺物の報告があるのは知っている。発見例こそ少ないが、それさえ手に入れられれば、もっと深い階層に潜れる。
ブーツを脱ぎ、内履きに履き替えて濡れた衣類を脱ぎさった。ようやく一息つける。身体を拭いてクタクタの寝間着でベッドに潜り込むと、骨組みが思いのほか大きく鳴った。するとバタバタと階下から階段を駆け上がる音。嘘だろとアンニュイになる。
乱雑にドアがノックされだした。
「おーい、居るんでしょー、まだ払うもの払ってないのに部屋を使うのやめてくんなーい」
頭から布団を被って知らんぷりする。NDBは七時半を視覚の端に表示しているので、しばらくすれば無慈悲な大家代理は学び舎に行く。ドアは本棚で塞いであるから合鍵でも入れない。
家賃については後程だ。代理じゃない方の大家さんに頼み込んで融通を利かせてもらう。
しばらくすると今日は珍しく早めに手を引いてくれたようで、一安心してうつらうつらと舟を漕ぐ。疲れてるし、夜まで寝て昼飯をケチろう。
「うぉふぁっ! なに?」
というところで唐突に布団を引っ剥がされた。思わず身体を丸める。
「……なんつー声だしてんの、いいおっさんが。てかその寝間着」
「なんだ……イネスかよ。このかわゆいピンクの寝間着は、あれだ、安かったから。にしてもビビったわ……イネス!?」
予想外の訪問者に、飛び起きる。
おれを不遜に見下ろしてプラチナブロンドのゆったりとした長髪を搔き上げる、ブラウスにプリーツスカートの少女、イネス。おれはドアを塞ぐ重し代わりの石が置かれた本棚を見やる。
「なんで、どーやって」
ん、とイネスは顎を開け放たれた窓にやる。だとしても二階だぞ、いやまさか――
「まさか、イネス。嘘だと言ってくれ」
彼女は真実を言わなかった。嘘も言わない。いい笑顔でおれの襟を掴むと微風と共にフワリ、天井に頭が付きそうなほど浮かび上がり、くるりと位置を百八十度変えて落下した。イネスはベッドに、おれは床に尻餅をつく。
「い、いつの間にそんな魔術を」
「家賃を滞納する不届きな店子と頻繁に追いかけっこしていく内に」 脚を組み、ニコー、とイネス。
「そうか、おめでとう。そりゃあ、よかった。学校でもそういないなだろ、【ブルー】を使えるやつは」 おれは貯金袋の位置を正確に思い出しながら体勢を整える。 「でもちょっと違うんじゃないか? 滞納というか、分割で支払っているはずなんだが」
「あんね、月極め四万の家賃を、週に一万に分割して、さらに日で割って、丸一日部屋を空ける日は勘弁してくださいなんて人、うちに置いとけないの。他の人は月初めの一日にきちんと四万を払ってくれてる、でも一人だけ日割りで一三三三払うって事は、三八六六六ほど滞納してるのと同じじゃん。ていうか、小数点以下切り下げだから不平等でしょ」
「そこに気付いてしまったか、でもバランタインさんとは話が付いている」
「よそはよそ、うちはうち。ママはママ、わたしはわたし。てかさ、ちょいちょい居なくなるけど、ちゃんと仕事してんの? ちなみにわたし、ギルドで働いてるから」
「えなんで? 学校は?」 まさかおれが家賃をケチるから? 血の気が引く。
「ちゃんと行ってる。魔術の成績がいいから、学校の斡旋で職場体験してる。見習いのバイトみたいな感じだけど、ちゃんとお金貰えるし、単位も取れるし」
よかった。おれのせいで生活が困窮しているのかと思った。よくないが。
「へ、へえー。ちなみにどこ?」
ふふん、と得意げにイネス。 「<アズトリツカ>」
「マジかよ、九大ギルドか。すごい、おれにはとても真似できない。かっこいい、本当にスゴイ」
「おだてられるのは悪くないけど、家賃」
はい、とペットにお手を命じるように掌を差し出された。それを見て固唾を飲む。
わかっている。こんな十五、六のガキに集金されるおれはクズだ。だが大家とはそれで話が通っているので、おれは悪くない。いやそんなに悪くない。
おれは意図的にイネスのつま先から上に視線をやった。男受けしそうな肉付きの脚に白いソックス。母親ゆずりなのか、歳に似合わずやたら大きい胸。イネスが居心地悪そうに視線を逸らした。女性がそういった男性の下品な視線に敏感なのは知っている。
その隙をついてにベッドの下の貯金袋を引っ掴み、窓から飛び降りる。ついでに窓際にあったイネスのローファーも拝借する。
「ああッ! このお、待てえ!」
四肢と背を順に地につけて着地する事で落下の衝撃を分散させ、駆けだす。ぎょっとする通行人を無視してチラと後ろを見やると、スカートを押さえたイネスがゆったりと落下している。
ローファーは片足ずつ数メートルの距離間をとって置いた。履くのに手間取る時間を稼ぎ、まともに追跡すれば学校に遅刻しそうだと思わせればそれでいい。
嗚呼、情けない。おれは内履きに襟や裾がほつれた淡いピンクの寝間着 ――イネスには買ったと言ったが、金が無くて隣人のお下がり、おれの趣味じゃない―― 姿で全力疾走している。
覚えてろー! と遠くからイネスの声が聞こえた。
こんな悲しい出来事はすぐにでも忘れたいに決まっている。