剣と魔術とSFガジェット!   作:hige2902

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第三話 どうしようもない日

 イネスから逃げ切り、眠気も醒めたので硬貨を換金しに行く。寝間着姿なので道行く人の視線が痛いが、すぐに帰っては通学路で鉢合わせるかもしれん。

 ちょっとした通りから数本外れた路地にある小さな家のドアを開くと、押しのけられそうになるほど濃厚なレザーの香りがする。

 

「クロムさん、今いいですか」

 

 室内では初老の男が魔術の刃で靴の木型を削っていた。雑に後ろで束ねられた頭髪は歳による白のようで生来の銀にも見える。細身の体躯だか革裁ち包丁を握る腕に迷いはない。痩せていると言うより、無駄な肉をそぎ落とした感じ。靴職人にしてはどうにも鋭い目も相まって、ときおり堅気に見えなくなる。

 クロムが手を止め、おれを眺めて言った。

 

「なんだその恰好、寝ぼけてんのか。ここにベッドは無い」

「あったら帰ってますよ。ベッドルームであんたと二人きりは御免こーむる」

 

 たった六畳の狭い空間に最低限の作業スペースだけ確保して、あとは道具や皮革が所狭しと並べ、積まれている。

 

「じゃあどうした、ついに普段着も質に入れたか。それともまだ夢の中か」

「三万四千キップある、夢心地にしてくれませんか」

「三万八百」

「悪夢だ。枕もとに立つ」

 

「夢見がちで許されるのは少年だけだし、いつかは目が覚める」

 

 そう言われると何も言い返せなかった。なまじ世話になっているクロムである事も相まって。

 観念して貯金袋を渡した。王国銀行だと三万を切るだろう。

 

「その様子だと着の身着のままだろ。これやるよ、気晴らしに造ったやつだし」

 

 クロムが幻影財布を放った。魔術が関わっていそうな名前だが、物は手のひら大の薄い心材に革が巻かれているだけだ。それを視線による操作でNDBを介して新規幻影財布登録をすると、ただの板がおれの視界では情報を映し出しているように見える。

 幻影財布にクロムからの送金があったインフォメーションが入り、受領のタイルを親指で触る。幻影口座に幻影通貨が振り込まれた。

 

 フムン王国では幻影通貨の取引が一般的で、物理通貨はあまりいい顔されない。特に露店や小さな個人店では。

 じゃあなんで<チャーチス>が物理通貨払いで給料を寄越すかというと、ラムス地区で幻影通貨はほとんど使用されていない。というのも、もぐりギルドが元締めの店が多いからだ。酒場や娼館はもちろん、盗掘品を取引している所でも。

 なるべく自分の店で金を落とさせる算段かつ、金の流れがわかりにくいので摘発対策にもなっている。

 

 転じて幻影通貨はクリーンだ。釣銭の不足や偽造通貨の心配も無く、その財産は脳内のNDBに登録されているので泥棒の心配がない。

 財布を紛失しても適当な木板、石、見にくいが手の甲でも、何でもいいからとにかく新たに幻影財布に登録すれば済む。

 おれがラムス地区に居を構えず、低いレートでも換金する理由がそれだ。おれは魔術が使えない事で知られているから、空き巣はわが家のごとくお邪魔してきそうだ。

 迷宮探索で丸一日空ける事もあるのだから、物理通貨で貯金なぞしたくない。もちろん幻影通貨は王国銀行に行って口座に預ける事も出来るし、それが一般的だ。

 

 じゃあなんでクロムは物理から幻影に換金してくれるのかと言うと、裏で物理通貨が主流のラムス地区の住人相手に金貸しをやってるらしいからだ。

 

「うん?」 と、おれは取引欄に眉をひそめた。三万二千で皮革を売った事になっている。

「税込みでそれにしといてやる」 クロムはそっぽを向いて木型を削りだした。親指に鈍い風の刃を纏わせて拭うように少しずつ少しずつ。 「とっととセキュリティの掛かってない機殻なり遺物なんなりを探して、珍しいクリーチャーの原皮持ってこい。鞣し屋が首を長くしてる……どうした」

「頬を引っ張って夢かどうか確かめてる」

「バカ言ってないでさっさと行けよ。暇じゃねえんだ」

 

「話変わるんですが、例の機殻、まだあります?」

「あれか? 質に流れた【ブルー】の重作業用なら、買い手がついてないはずだ。買う気があるなら手配するが、金はあるのか?」

「んまあ、ある程度まとまった額は」

「百万弱はするが」

 

「大丈夫」

「ほー、結構こつこつやってたのか」 ふうん、とクロムは一拍置いて続けた。 「なら話つけとくよ、まだあればだが……幻影財布には六十五万用意しとけ」

「マジで? 相場は九十万くらいじゃないんですか」

「裏に顔が利かない訳じゃない。これでおまえもいっぱしの冒険者という訳だし、おれからの餞別という事にするよ。でも、いいのか? もうちょい貯めりゃあ正規取引で手に入れられるだろ。おれは、裏よりもそっちを勧めるが……」

 

「やっぱ支障がある機殻なんですか?」

「完動品であることはおれが保証する。そもそも遺物の内部システムが壊れる事はそう無い。ただ、おまえは表で買った方が合ってると思ってさ。六十五万、きっかりでいいからな」

「そんな綺麗ごと言ってられる場合じゃなくてね。それでお願いします。浮いた分で靴を注文しても?」

「オーダーなんて、おまえには早いよ。もうちょっと身なりを整えられるくらい稼いでからにしてくれ。機殻は手配しとく……あとよ、全然関係ないんだが」 クロムが手を止め、呆れて言った。 「おまえナイトキャップ被って寝てんのか?」

 

 

 

 

 すっかり目が覚めたので、一旦帰宅して着替えてから教会への礼拝に行く事にした。腹は減るが家賃を収めるついででもある。

 どこの地区にも、中心地に最低は一つ教会が建っている。本来の機能としては精霊の家であり休息地。副産物として、精霊との簡易契約を結ぶ場でもあるし、ウーフツ教会は孤児院や病院、負傷した冒険者のリハビリ施設でもある。

 人類と共に歴史を歩んだ精霊が住まう場所なので王国からの補助金もあり、かなり立派だ。ウーフツのギルド連がたっぷりと納税しているからでもあり、つまり多くの遺物を持ち帰っている証拠でもある。

 

 手入れのされた青青とした芝生や剪定された樹木が並ぶ教会に入った。奥の祭壇には花に囲まれた止まり木がある。いわく精霊はそこで一息つくらしい。室内でも花が育つように採光が計算された窓になっているので、そこだけ浮かび上がっているよう見える。

 周囲には魔術の恩恵を得た冒険者のお供え物があった。砂糖菓子や子供の洋服等等。供えた後はもちろん孤児が使う。

 

 おれは誰も居ない事を確認して祭壇に跪いて目を閉じた。もう幾度目かの文言を内心で呟く。

 精霊の声を、聞こえると言うより感銘を受けた時のような感覚で受け取る。やはり断られた。

 溜息と共に目を開き、頭を掻く。なんだっておれだけ。それともこの世界のどこかに、おれと同じような境遇のやつがいるのかしらん。だとしたら、なぜ駄目なのか、情報交換したい。

 

「こんにちは。今日はどうでした?」

 

 不意に投げかけられた声に振り向くと、汚れてもいい服、と言った感じに、年季の入ったエプロン姿の妙齢の女性。フロム・バレルの大家にしてシスターのサティ・バランタインさんが柔和な笑みを浮かべていた。

 

「駄目ですね、半分は嫌がらせで来ているようなものですが。あ、もちろん精霊に対して」

 

 ココンで魔術は一般的だ。誰でも使えるが、簡易契約を結ぶには十四歳以上かつ教会へ訪れねばならない。じゃあ教会も無いようなド田舎の人はどうするかというと、四年に一度の巡礼者を待つ。その機会をすっぽかしたら都会に行けばいいし、面倒なら次を待てばいい。家族内で両親が魔術を使えるのなら日常生活に支障はない。

 おれも数年を待てばよかったが、ちょっとばかし人より運動出来るからと言って巡礼を待たずに王都に来てしまった訳だ。

 機殻使いになると言って出て行った手前、帰るに帰れずこのザマ。

 

 ここじゃあ何ですし、と教会兼孤児院の応接室まで案内され、勧められるがままにお茶菓子をご馳走になる。窓の外ではシスターと遊んでもらっている子供がはしゃぎ回っている。

 適当な世間話の後に、男らしくスパッと切りだす。心の中では。

 

「でーですね。話は変わるのですが、あのー、そのー」

「大丈夫ですよ、いつも通り、払える分だけで」

 

 ティーカップから口を離し、そう言って微笑むバランタインさんは、おれにとっての信仰対象だ。少しおっとりとした目元や小さい口元。肩から前に下げられた三つ編みは稲穂のようで、豊穣の女神を彷彿させるではないか。決して、肉置きのよい肉体をしているからとか、そんな事実は無関係だ。

 いやー、そういう訳には、とハリボテの建前を述べながら幻影財布を操作する。取りあえず実質的に部屋を利用した日数分を振り込んだ。

 

「はい、では確かに」 とバランタインさんも幻影財布を検めた。

 

 彼女は何も聞かない。おれが何をやっているのかとか、生活基盤が安定するのはいつになるのかとか、家賃とか。それが妙におれを焦らせるが、ヤル気にもなる。

 

「すみません、滞納している分は、いつか必ず」

 

 部屋を空けている ――滞納している―― 日数分は数えてある。バランタインさんのような善良に過ぎる人に対する恩に報いる為にも、独り立ちし、どれだけかかっても支払いきらねば。

 

「ゆっくりでいいんです、ゆっくりで。焦ると大切な場面でつまずいてしまいますよ。それに、娘とよく遊び相手になってもらっていますし」

「え、えーと、はい」

 

 ウーフツ地区を舞台にした追いかけっこの事だろうか。それとも一日分の家賃の代わりに大掃除を肩代わりした事か。屋根裏を清掃してこっそり寝床にしたのがバレて、イネスに奪われた時? そういやカードやボードゲームで取り立てを免れる事は結構あったな、たぶんそれだろう。おれは遊びじゃなかったが。

 

「今後とも、イネスと仲良くしてやってくださいね」

 

 バランタインさんの頼みを断るなどとんでもない。たぶん軽犯罪くらいなら平気でやる。

 それに、もう機殻を手に入れる目途は付いた。ようやくおれの人生は一歩進む。それ以上進む事は出来ないかもしれないが、だからといってクズ野郎どもとつるむ現状よりマシだ。

 出されたおやつを昼飯代わりに残さずたいらげ、帰ろうとドアノブを手に取り、振り返る。

 

「クッキーと紅茶、美味しかったです」

「またいつでもいらしてください」

 

 

 

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「足洗いてえってか」

 

 いつものようにボスへの戦利品報告の後、フィルスらと解散してから女店主に相談し、地下室に戻ったおれはギルドを抜ける術を伝えた。

 つまらないものを見る視線を受け、おれは努めてにこやかに肯定する。

 ボスがタバコを咥えると、女がこれ見よがしに魔術で火を点けた。素直にムカつく。

 

「次があんのか」

「適当な仕事を見つけます」

「決めてからでいいだろ。決まらなかったらどうすんだ」

「そう……なったら実家に帰るかもしれないです」

 

「実家何やってんの」

「農家です」

「ふーん……仮に王都で働くにしてもさ、精霊に嫌われてんだって? 非常勤とか事務の下っ端とかそんなんしかねえぞ。給料も安い。だったら一山当たる可能性があるここで働いた方がいいだろ」

「じぶんにもー、向いている仕事が他にあるかなーと思いましてそのー、チャレンジ精神というか」

 

「他のギルドに行くの」

「いやーわかんないですね」

「迷宮には?」

「行くー、かもしれません」

 

「じゃあうちでいいじゃん」

 

 なんだこいつ。普段はゴミ扱いなのに辞めるとなったらこの態度。めんどくせぇ。

 

「ちょっといつまでもフィルスさんとかに負担をかけ続けるのもアレかなあと」

「フィルスは知ってんの」

「まずボスに一報してからが筋かと思いまして」

 

「どうしても抜ける」

「どうしてもはい」

 

 ふーん。とボスは紫煙をたっぷりと肺に入れてから言った。

 

「じゃあ、それなりの覚悟があるんだよな。曲がりなりにもうちはグレーゾーンでやってるんだし」

「もちろんギルド内の事は喋りません」

「うん。それと最後にやってもらいたい仕事があんだけど」

 

 ボスはデスクの引き出しから一枚の書類を取り出し、くしゃくしゃに丸めてからおれの顔に投げつけた。

 いつか殺すと念じながら拾い上げて皺を伸ばす。そこにはどこのギルドかは知らんが、迷宮での探索スケジュールが記してある。

 

 迷宮は広大だ。地表にある出入り口もそれに比例する。フムン王国にも多くの出入り口があり、一般に公開されている物から地区単位、ギルド単位で立ち入りを制限されていたりもする。未だにセキュリティを突破できていない出入り口もあるし、王都内で発見されていないのもあるのでは? と学者は言う。

 

 別の出入り口から入っても同じ迷宮内だったりするものは制限が緩い。専用の迷宮区画に通じるただ一つの出入り口もある。神算時代の支配者の技術にはたまげたもので、もちろん迷宮は広大なのだが、そこからクリーチャーが掘り進めた天然の迷宮も加わるのだから、果てしなく感じてしまう。

 

 そんな広漠な迷宮なのだから、大ギルドは深い階層に潜る為に飲食料やキャンプ用品なんかを持って潜る。下準備として、適当な小部屋に魔術でクリーチャー避けの結界やバリケードを張って補給拠点を作り、そこを利用して何日もかけて探索するのだ。過去のマッピングを参考に、少しずつ少しずつ潜る。

 複雑な内部構造、小型クリーチャーだから通れる通路からの奇襲、不意の強敵。それに備え、綿密なスケジュールを組み立てる。

<チャーチス>は浅い所でちょろちょろやって、運が良ければクリーチャーが拾った遺物を見つけられる。大抵は死骸を剥ぎ取って帰還するだけ。だから探索スケジュールなんて大層なもんはない。

 

 おれが手にしている書類は走り書きかつ、日付を見るに過去に使われたものだ。簡略化されたマップや情報量の少ないスケジューリングからしておそらく原本ではないのだろう。まともなギルドに属した事がないので、想像だが。

 とにかくこいつはヤバいブツな気がする。事実であれば、どこかのギルドの内部情報が洩れているという事になる。

 

 われわれは深い階層に行って、素晴らしい遺物を手に入れたかもしれない帰り道ですよー、疲れも溜まっている所ですー。と大声で叫ぶようなものだ。

 冒険者は全員が聖人君子ではない事はおれ自身で立証済みだ。こんな重大な情報がクズ共に聞かれればどうなるか、おれは知りたくもない。

 

「適当な補給拠点で待ち伏せて戦利品を横取りして来い」

 

 知ってしまった。

 

「いや、これグレーどころか完全にアレなのでは」

「アレって?」

 

 おれは口をもごもごやって、とにかく言い訳を考える。

 

「相手は探索スケジュールを組むくらいのギルドですよ」

「だいじょぶだいじょぶ。かなり浅い階層で帰路最後の補給拠点で、相手は相当疲れているだろうから、かなり安全だから、かなりだいじょぶ」

「あの、おれ、魔術使えない、かなり雑魚なんでまず返り討ちっていうか」

「……じゃあせめて補給物資を盗ってこい。なんかいいもんあるだろ」

 

「バレたら殺されるのでは? かなりの確率で」

 

 ボスは露骨に溜息を吐いた。

 

「強盗も出来ない窃盗も出来ないっておまえ、じゃあなんだったら出来るんだよ! ガキか? いつまで自分を甘やかしてるんだ、そんなだから精霊も簡易契約すら結ばないんだよ。見つかっても殺されやしねえよ、冒険者だって鬼じゃない」

 

「投獄?」

「あのさ……今まで世話してきてやった恩とか無い訳? 魔術を使えなくてもギルドに入りたいっていうおまえの根性を買って、部下の反感を承知で入れたってのに、んだその態度は。おまえ実家は田舎で農家やってるっつったな。なんならこっちで勝手に調べて相談しにくわ。おたくの息子さんが、うちで、こうこうこういう仕事やっているんですが云云を」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ」

 

「男の子でしょう?」 と今までにやにやと事の成り行きを眺めていた女が言った。 「情けない。そんなだから他のギルドのメンバーにもコケにされるのがわからない? それともあなた、上の酒場でバーテンとして働く? あのおばさんとお似合いだと思うんだけど。使えないってところが」

 

 女がキャラキャラと笑い出し、ボスがウザい感じにキレてきたのでおれは覚悟をした。もし誰かいたら、見つかったから命からがら逃げてきたと言ってしまえ。

 それに、機殻を手に入れるのは今日だ。安物だから駆動音がうるさいだろうから、逃走ルート上で脱いでおけばいい。

 そうとも、機殻さえあればある程度の安全性は確保されるのだからビビる事はない。以前のおれとは違う。

 

「わかりました、やります」

「なら最初からそう言えよ……無駄だろ、今までのやりとりの時間が。一応おまえの<チャーチス>の脱退を認める。委細は追ってフィルスに伝えとくから」

「すみません、ありがとうございます。がんばります。失礼します。がんばります」

 

 このギルド滅びねーかな、と酒場に戻る。女店主が視線で、どうだった? と聞いてくるのでカウンターに座って言った。

 

「なんとかなりました」

「そっか、寂しくなるね。でも、次に進む目途が付いたって事なんだろ? おめでとう。なんか飲む? 前祝いに奢るよ」

「じゃ、お言葉に甘えて……」

 

 朝っぱらからストレートをやるのはどうかと思ったが、自棄にもなりたくなる。

 ま、いざ迷宮内でそのギルドの連中と鉢合わせたら事情を話して口裏を合わせてもらえばいい。向こうも、内部情報が漏れているというタレ込みならおれを見逃すばかりか、ささやかな心遣いをくれるかもしれん。

 

 カウンターにグラスが置かれると、階下から女店主を呼ぶ声がした。女店主は小さく嘆息すると、軽食と酒やらタバコやらをトレーに乗せて行ってしまった。

 彼女が戻ったら頂こうとグラスを揺らして琥珀色の液体を弄ぶが、なかなか帰ってこない。他の<チャーチス>のやつらの嘲笑を無視するのもそろそろ限界というところで女店主が階段を登ってきた。トレーを握る手が小さく震えており、顔は強張っていた。

 

 おれはダブルをロクに味わいもせず一息でやる。すきっ腹にウィスキーが染みた。ご馳走さまと言って逃げるように<チャーチス>を後にする。

 仕事を辞める事についてとやかく言ってこない女店主には本当に頭が下がる。しょっちゅうタダ飯を食わせてくれたし。だからといって、彼女の方も傷の舐め合いはごめんだろう。

 

 機殻を手に入れて、生活が安定したら女店主に遺物売買の事務手続きの仕事を頼んでみようか。いや、そんな引き抜き行為はボスが許さんか。そんな言い訳を考えてみる、おれに良くしてくれた女性を救い出さない根拠として。開き直ればそうともおれは、クズ野郎だ。

 

 

 

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 翌夜、おれはクロムに指定された時間に自室を抜け出した。迷宮から帰還後すぐに王国銀行に行き、既に口座から幻影財布に六十五万を引き出してある。

 あとはクロムから機殻を受け取る。で、ギルドの最後の依頼を雑にこなして終わりだ。

 そうしたらソロで迷宮に潜る。フィルスどものピンハネも無くなるし、貯蓄は難しいだろうが家賃はキチンと払える。

 イネスの驚く顔が目に浮かぶ。さぞ愉快に違いない。なんとも愉快な人生計画。

 

「よお、ギルド抜けるんだって」

 

 クロムの店の近く、裏路地から不意に声が投げかけられた。フィルス他いつもの二名が闇に紛れて出てくる。

 

「足手まといが居なくなってやりやすくなるだろ?」

「そりゃそうだがよ、今まで面倒見てやったおれ達に、一言あってもいいんじゃねえか」

「今度はじぶんの面倒を見るんだな」

「つれねえな、送別会でもしてやろうってのに」

 

「場所だけ聞いとく。行けたら行くわ」

「会費」

「はあ?」

「まあ、ちょっとこっち来いや」

 

 モーブルとハシイタがおれの肩を掴んで路地裏に引きずり込もうとする。

 

「触んな、放せ」

 

 身構えようとするが鳩尾に一発もらってえずく。弁解すると、見えなかったわけじゃない、振るわれた腕が予想以上に速かった。つまり魔術で強化されていると理解して身体がすくんだ。

 モーブルが路地を見張り、フィルスとハシイタにボコられて詰め寄られる。

 

「送別会に来なくてもいいんだけどよ、会費は払ってくれよ。おれたちは出したんだから平等にいこうぜ」

「金なんて持ってねえよ、毎度おまえらにピンハネされてんのに。調べたきゃ調べろ」

「幻影財布出せ」

「ねえっつってんだろ!」

 

 おれは胸ぐらを掴む腕をありったけの力で握り、振り払う。が、不可視の足払いで重心が崩され、そのまま組み伏される。風か何かを操作したのだろうか。

 冷え切った地面に頭を押し付けられ、腕を締め上げられる。ふざけんな、こんなやつらにおれの邪魔をされてたまるか。機殻を買う金だけは渡せない。

 何の為にクズ共と一緒になってクズみたいな仕事に耐え、バランタインさんに迷惑をかけてきたのだ。

 

「こんくれーの魔術なんて、契約したてのガキでも防げるぞ」

「おら、手間かけさせんな。ここに送金しろ」

 

 フィルスが番号の書かれた紙を見せつける。黙っていると頭を地面に打ち付けられた。

 これはまいったと頭を抱えたいところで予想外の声が響いた。

 

「ちょっと! 何やってんの!」

「なんでもねえよ」 とモーブル。

 

 頭をよじって路地を見やる。薄暗いが体つきと髪型、それに声からして確かにイネスだ。なんだってこんな時に

 

「人を呼ぶぞ!」 とイネスの口調は勇ましい。

「おれらを悪者呼ばわりすんなって。借金の取り立てだよ」 とモーブルは予想外の闖入者に戸惑った口調。

 

「知り合いか」 フィルスがおれの耳元で囁いた。

「知る訳ねえだろ」

「なんで顔も見えねえのにわかんだよ」

「ああ? どう聞いてもガキの女の声だろ。接点があると思うか?」

 

「じゃあもしもあのガキが叫んで助けを呼ぼうもんなら、ガキの顔を思いっきり凹ませて逃げる事にするよ。丁寧に鼻と頬の骨と、歯も」

「フィルス……おまえ……クズが、殺してやる」

「そう思った事は初めてじゃねえだろうし、そうする機会はいくらでもあったろ。でもヤれてねえ。つまりおまえがおれを殺すなんて事は一生出来ねえんだよ。クズ。おまえも<チャーチス>のババアと一緒だ。居場所が無いと自分でわかっているのに組織にしがみつくしか能がない」

 

 おれは黙って三十万を送金した。同時にイネスがモーブルを放り上げてずかずかと近づいてくる。ガキだと思って油断したモーブルが哀れだ。

 

「なにやってんの、おじさん」 とイネスは腕を組んでフィルスどもをねめつけた。

「誰だおまえ、関係ないだろ」 とおれ、服に着いた土を払って立ち上がる。口の中の血と唾液を吐き出した。

「なんだ、やっぱ知り合いじゃん」 とフィルスが自分の幻影財布を確認する。 「まだあんだろ」

「あるわけねえだろ。それでしまいだ」

 

「あと三十五万、出せ」

 

 その一言でおれは合切を理解し、観念した。

 

 

 

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「なんだったのあいつら」 イネスは上機嫌の三人組の背に、吐くように言って続けた。 「マジで借金してたの」

「うるせえな。ほっといてくれ。てかなんでこんなとこ居んだよ」

「なにその言い方? ちょろちょろ夜中に出かけてるから気になって後を付けてみたら、あんな連中とどういう関係」

「バランタインさんは知ってんの?」

 

「ううん、ママには学校に忘れ物を取りに行くって」

 まいったなと頭を掻く。

「送るからちょっと付き合え」

 

 さすがに一人にはしておけない。どうせ用事はすぐ済む。

 少し歩き、クロムの店に入った。イネスには情けない姿を見せることになるが、今さらだ。それに、あんな事が合った以上、店の前で一人待たせる訳にはいかない。

 

 室で読書していたクロムがボコボコにされたおれの顔を見て鼻で笑う。

 

「ひでえツラだな。せっかくの男前が。金は持ってきたか?」

「世辞はいい。金は失せた。あんた、おれを売ったろ」

「どう答えると思う」 栞を挟み、本を閉じるとゆっくりとおれに目をやって言う。 「真実はどうあれ、現実はこうだ。おれはおまえに、裏での取引は似合わないと忠告し、おまえは貯蓄を四割程度残して後は失った。それだけだ」

「最初からそのつもりか」

 

「いや、機殻はきちんと用意してある」

「どこに」

「六十五万はどこに」

 

 このクソ狭い作業場のどこに機殻を置くスペースがあるというのだ。

 

「勘違いするなよ? 裏での取引だからって何でもありって訳じゃないんだ」 クロムはそっと、小さな紫色のビロードの袋から機殻輪を取り出す。 「セキュリティは掛かっていない。おまえでも扱えるレアもんだよ、くれてやってもよかった」

「そしてそれを確かめるすべはおれにはない」

「その通り。魔術にビビらず、チンピラどもをノシていればの、もしものおまえを別にして。小心者に感謝だ、大損する所だったよ」

 

 おれは反射的に釘を打つ金槌へ視線をやる。やって、大きく息を吸い、あまりにも硬く拳を握りしめていた事に気づいてから、ゆっくりと吐き出した。

 

「わかったよ、クロム。おれの負けだ」

「ちょっと、いいのそれで」

 

 今まで黙っていたイネスが口を挟む。

 

「ざっくりとしかわかんないけど、騙されてんじゃないの!?」

「証拠は無い。それに忠告があった。このクソ爺はおれの全財産をネタに出来たが、六十五万で手を打った。そんな情けを掛けられるほど、おれが哀れなんだろうよ」

 

 それを聞くとクロムは読書に戻る。

 

「じゃあな、爺さん。いろいろ世話になった」

「おれはけっこう、おまえを買ってたんだがな。不意に前向きで、雑にがむしゃらになる所とか。だがもう会う事も無いだろう」

 

 ドアノブに手をやり、ふと振り返って尋ねる。

 

「最後にいいか。おれが六十五万の幻影通貨を持ってこの店に来るってネタ、いくらで売った」

「仮におれが値段を付けるとしたら、この手のは三割取るよ」

 

「二十万で買ったおれの夢はどんなだった」

「現実のそれだった。夢から醒めた気分は」

 

 現実のそれだった。

 そう呟いて店を出た。

 

 

 

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「なんで! 六十五万も取られて! 悔しくないの!? あんな、お、老いぼれに!」 とイネス。口ぎたなく罵る言葉に抵抗があるようだった。

「よせよ。おまえがクロムを貶す度に、そんなやつに嵌められたおれがみっともなくなるだけだ。それに往来だぞ、恥ずかしいからやめてくれ」

 

 フロム・バレルの帰り道、イネスは憤りを隠そうとはしなかった。夕食も終わった時間頃ということもあって、辺りは静かでイネスの声がよく通る。

 

「家賃は払う。誤魔化してきた日の分まで。実はちゃんと記録してある。いつになるかはわからんが」

「そーいう問題じゃないじゃん!」

「じゃあどういう問題なんだよ」

「だって……買う予定だったんでしょ、機殻。その為に、その今までいろいろ頑張ってきたんじゃないの!?」

 

「別に頑張ってない。ほどほどに耐えただけ。もういいだろ、この話は」

「取り返そうよ! 警務官に話してさ!」

「勘弁してくれよ。バランタインさんには内緒で頼むわ」

 

 おれはもぐりのギルドに属している。痛い腹を探られたい訳じゃない。それをこのガキは……

 何も知らないくせに。

 どろりとした感情が腹でとぐろを巻く。魔術を身体の延長上のように扱えるおまえたちにはわかるまい。じぶんだけが許されない秘儀を、一方的に行使される恐怖が。それが一時的なものならいい、だがおれは生涯に渡って、決しておまえたちと同じ土俵に上がる事は無いのだ。

 そもそもイネスがあの時現れなければ、とまでが頭をよぎる。いや、彼女に当たるのはどうかしている。わかっちゃいるが……

 

「じゃどうすんの!」

「関係ないだろ! おれだってムカついてるよ! 腹を立てりゃあ金が返ってくるのか? あいつら、あれでも冒険者だぞ、実戦的な魔術を使う三人に喧嘩を売れってか? それとも情けをかけた老人をボコせと!?」

「だ、だから警務官に……」

「違法に片足突っ込んで稼いだ金なんだよ!」

 

 それを聞くとおれの怒声に怯んで戸惑ったイネスが、一転して侮蔑的に言う。

 

「は? なにそれ、ちょいちょい居なくなってるのはそういう訳。まともな仕事に就こうとか考えなかったの」

「んなことおれだって気付いてたよ! それが正しいってな。だがな、まともな職に就くのが正常だってわかっててもそれを選択できないやつはいるんだよ! どうしようもなく騙し騙し流される時があるんだよ! まともに魔術を使えないおれが、まともに仕事が出来るのか、じぶんでもわかんねえんだよ!」

 

 毒を吐くと、イネスはもう何も言わなかった。何も言わずに口を堅く結び、おれを睨みつける。その眼をやめろ。泣きたいのはおれの方だ。

 

「わるかったな、怒鳴って。でもこの話はマジでバランタインさんには……」

 

 言ってフロム・バレルの看板を二度見する。一階は、玄関から二階の貸し部屋まで通じる階段を除き、まるまるバランタイン家の住居なので空気が重い。絶対聞かれている。気まずいのでいつものように二階の窓から自室に戻ろうとするとフラワーボックスの留め具が外れて無様に落下した。

 

 呆れたイネスが大丈夫、と問いかける。そんな訳はない。ようやく手に入れかけた人生の転機を失ったのだから。

 ため息交じりで夜空を見上げる。輝かしい星星がきらめいている。生まれて初めて、それを不快に思った。もう動く気力もない。

ごっそりと心臓あたりを掬い上げられたような喪失感だ。

 

 意味も無くイネスがおれに近寄ってくる。白い太ももと色気づいた黒い下着が見えた。当の本人は腕を組み、恥ずかしそうにそっぽを向いている。

 

 気持ちはありがたいが、いくらおれが男でも今回ばかりはそれで立ち直れそうにない。

 もう嫌だ。何もかも諦めて実家に帰ろう。そう決意した。決意して、きょう機殻を手に入れて安全性を確保する事を前提に、ギルドを抜ける条件として最後の仕事を引き受けたことを思い出して飛び起きる。

 

「おれ機殻手に入れられてないじゃん!」

「いまさら?」

「どうしよ」

 

 だっさ、とイネスの見下した言葉は意図的に聞かなかった事にして、おれは頭を抱えるしかなかった。しかし同時にイネスの下着を見上げられてツいてると思えたので、多少は前向きになった、気がする。

 




近々マシなタイトルに替えるかもしれません
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