おれがフラワーボックスをぶっ壊したその翌朝から、イネスの家賃の催促は無くなった。残った貯金を当面の生活費だけ残して返済に充てたからかもしれないし、本当におれが救いようのないクズ野郎だと思ったからなのか。
実家には帰るが、未返済の分も定期的に払いに来る旨をサティさんに伝えるのは大変気まずかったが、彼女は何も言わずに了承してくれた。イネスと言い争いした夜の事は触れずに、寂しくなりますね、と社交辞令までくれた。
「そうだ。新しい汎用インプラント機はお持ちですか? 実家に戻られるお土産にどうでしょう」
そう言って教会の応接室で頂いた汎用インプラント機にはメーターが付いていた。おれは知らなかったが、結構前にどこかのギルドが新しく完全自動販売機を発見したらしい。それもかなりの数を。
ややこしいが、完全自動販売機とは生産と販売をそれ単体で完結する機械の事だ。リソースとなる材料はどうなっているのか知らんが、販売機内で最新の汎用インプラント機を製造し続けるので広まるのはすぐだ。それだけ神算時代では汎用インプラント機はポピュラーな品だという事だろう。幻影通貨で買え、単価も安い。
汎用インプラント機の完全自動販売機は、公共財として誰でも使えるように王国が買い取るはずだ。持ち帰ったギルドは相当な金を手にしたに違いない。
それにしても、販売機内で無限に製造され続ける汎用インプラント機内で無限に製造され続けるナノ機を考えると、ナノ機内でも何かが製造されているかもしれず、終わりが無いようで不気味だ。
「ありがとうござまいす。それでその、イネスちゃんは……」
「ちょっと、落ち込んでいるみたいです」
「すみません、わたしのせいです」
「何があったのかはわかりませんが、あの子も反省しているようです。最後に何か言ってあげてくださいね」
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サティさんには頭が上がらん。
おれは<チャーチス>最後の仕事の前に部屋を片付け、一段落付けた。本棚に重し代わりに置いた石を捨てるのに苦労した。
仕事にかかる前に三つのプランを考えてみた。
一つ。機殻を手に入れられなかったのでバックレる。実家に押し掛けるのは脅し文句かも、遠方で探しだすのは骨だしリターンは少ない。
だがイネスの顔をフィルスどもに知られているので却下。ウーフツ地区を中心に探されればすぐに住所が割れる。これ以上バランタイン家に迷惑をかける訳にもいかん。
二つ。普通に仕事を終える。ばったりと目標のギルドのメンバーに出くわさなければそれでいい。こればっかりは運だ。
三つ。仕事中にばったりと出くわしたので、窃盗を働く前なら事情を説明して見逃してもらう。現場を見られた相手が善良そうなら投降する。殺意に満ちていれば謝罪しながら全力で逃げる。
つまるところツいてるかツいてないかだ。
仕事まで少し時間があるので、小休憩がてらに貰った新型汎用インプラント機を弄ってみる。たしか、実家のやつはもうずいぶんと使い古されていた。遺物が時間経過で壊れる事は無いのであれでもいいが。
ただ、旧式は取りあえず肌に当ててランプが青なら注入成功、赤なら失敗、つまり汎用機内のナノ機不足を示すだけだった。二重にNDBをインプラントしても問題無いが。
新型は使用残数を視認できるらしい。しかもNDBがインプラント済みならナノ機を消費せずに赤いランプを点灯する。あれ、この子ってもうNDBをインプラントしてあるっけ? 念の為もう一回やっとくか。という子育てあるあるを回避できる。
一般家庭ならそれでいいが、病院でのインプラントや孤児、育児放棄の子を育てる教会では重宝される機能だろう。
汎用インプラント機内のナノ機がゼロになっても製造され続けるので無駄打ちも構わないが、新型はそのリチャージまで時間まで表示するらしい。
試しに新型をじぶんの腕に当ててみた。おれはNDBをインプラント済みなのでメーターは減らず、リチャージタイムの表示は変わらず00:00。
そのはずだった。
10あるメーターは9に減り、04:58とカウントダウンが開始されていた。
足元がぞわりと痺れた。もう一度やると8に減り、リチャージタイムは10:30と一回分増えている。私物の旧型インプラント機を当ててみると、青いランプが点灯した。おれのNDBが、手に持つインプラント機のレーティング・クリアランスを視覚に表示しているのだから、おれにはNDBがインプラントされている。
すぐに新型を使う。メーターが減って、リチャージタイムが増えた。
おれは底冷えしてへたり込む。鼓動が速まる。これはつまり?
つまりおれの脳には、NDBを即座に全滅させる、NDBの機能を持つがまったく別のシステムがインプラントされているという事だ。いつ?
視野に表示される時計を確認すると、仕事の時間が近づいていた。NDBを抹殺したシステムがそれを告げる。
おぼつかない足取りで部屋を出た。久しぶりにドアを使った。
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NDBに関する不安も、監視役を兼ねたフィルスどもと合流すればどこかに行った。不安よりも嫌悪が上回る。
イライラしながらいつもの検問所に向かう。しみったれたラムス地区とはいえ公共施設なだけあって内装はそこそこまともだ。オイルランプが必要最低限の数は揃っている。
顔なじみである戦利品のレーティング・クリアランスを行う不良検査官が、気楽に声を投げかける。
「昨晩は大盤振る舞いだったな、ひさしぶりに楽しい夜だったよ」
フィルスが笑って答える。
「ま、いつも世話になってるしな。なあに、古い貯金箱を見つけたもんで割ってみたら、知らず知らずのうちに溜め込んでてびっくりしてよ。思いがけない幸運はトモダチと分け合うべきだろ?」
「そうかい。じゃあトモダチ相手に手数料をいただくのも悪いよな」
ギルドの必要経費として支給されている袖の下は懐に入れとけと、暗に検査官が言った。
「積んでみるもんだな、善行ってのは」 とモーブルがおれの肩に手をやって言った。 「おまえもちっとは人に親切にしてるんか」
検査官がいなけりゃ殴りかかっているところだ。そして返り討ちに遭う。
「そりゃあ助かるが、いいのか」
「ここを使うのは別におたくらだけじゃない。ま、低層だが用心して生きて帰って来いよ」
おれは先を促され、年季を感じさせない灰色の地下ハッチを開けた。ハシィタとモーブルが買った女の話で盛り上がっている。内容からして一夜で使い果たされてしまったのだろう。おれの夢は、こいつらの精子となって消えたのだ。
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大手ギルドは大抵、ある程度探索しやすい迷宮空間に繋がっている専用の入口を持つ。ひょっとしたら下の階層で繋がっているかもしれないので断言はできないが、標的のギルドが所有する入口と<チャーチス>が使用している一般公開の入口の迷宮は、本来であれば交わらないはずだ。大事な戦利品を持ち帰っている途中で他のギルドの連中と鉢合わせたくないもんだからな。
そんな上層では別個の迷宮を、比較的浅い階層でクリーチャーが壁を掘り進めて繋げてしまったそうだ。
冒険者が迷宮を掘る事は、崩落や予期しない高クリアランスクリーチャーの流入の観点から固く禁じられている。だがクリーチャーの行動は制御できない。だからごくたまに今回のような迷宮の結合が起こるのだ。
迷宮内の正方形の通路は神算時代の明かりが灯っており視認性はある。薄暗いのは非常灯だからだとかなんとか。
クリーチャーの体液を踏みしめた冒険者の足跡や、戦闘の傷跡、何かの残骸で汚れていた。
本来であれば明らかに探索済みで、誰も立ち寄りそうもない部屋に到着する。隅には使い物にならなくなった楯やキャンプ用品等のガラクタが放置されている。どかすと、かがめば通れる穴がある。アント系が掘ったのだろうか。長さは十五メートルほどで、向こう側も人工迷宮のようだ。
おれは漏えいしたギルドの簡易地図を確認し、恐る恐る進む。よそが占有する迷宮に足を踏み入れるのは初めてだが、特にこれといった違いは無い。一応、足音に注意して目的の補給拠点までたどり着く。
迷宮によくみられるスライド式のドアだ。ギルドに所属しているやつ以外が踏み入れる事を想定していないので物理錠は掛かっていない。
意を決してドアを開く。室内には多分、簡易式の寝床や携帯保存食料、予備の装備が保管されてあるはず。目的はもちろん装備だ、予備とはいえ大手ギルドクラスの物なら、<チャーチス>にとってはお宝同然だろう。ひょっとしたら遺物の装備かも。
明るい室内には、へたり込んだアズキ色のローブ姿の女を囲む三人の機殻使いがいた。それぞれ薪割り斧、釘抜き、金槌を手にしている。薪割り斧のやつは全身を包む黄色と黒のツートーンカラーの機殻だが、あとの二人は、軽作業に使われる【レス】だ。背や四肢の側面を支える骨組みだけ。
全員がラフな服装のおれを見やっている。その内の一人、薪割り斧を持ったやつが言った。
「なんだおまえ」
おれは無言で、僅かに隙間を空けてドアを閉める。二つマズい事がある。一つはもちろん三人の機殻使い。
二つは、女はイネスだった。フードを被っていたので見間違いかもしれんが、なんであいつがこんなところに、いやつまりこの迷宮は――
――取っ手を握ったまま、余計な事は考えない。考えられない。ドアの隙間から室内より洩れる光が遮られたので、勢いよく開く。左半身を引いて振り下ろされる金槌を躱し、相手の下顎を打ち上げる。
かぢん、と【レス】の機殻使いの歯が勢いよく噛み合う音がした。ぐるりと白目をむいて意識を飛ばすが、機殻が姿勢を保持しているので倒れる事は無い。金槌を拝借しながら通路側に引き倒す。呆気に取られる機殻使いたちをよそに、イネスが素早く動いた。部屋を飛び出してきたのでおれは来た道を戻って連れ出そうとするが、「こっち!」と思いのほか強い力で引っ張られる。
「いやちょっと待っ!」
そうか、イネスは秘密の通路を知らないのか。
後ろから怒号が聞こえる。意識が飛んだやつの具合を診ているのか介抱しているのか、追って来るまで時間が掛かっている。
もう戻る事は出来ない。諦めてイネスについて走る他ない。何度か分かれ道を曲がる。おれに渡された簡易地図の範囲は超えてしまった。
しばらく走り、適当な部屋に逃げ込んだ。人体を補佐する機殻を纏った人間と追いかけっこしても無駄だ。作業用なので速力は補佐されないが、持久力で敵わない。態勢を整え、休憩を挟む必要がある。
今思えば、<チャーチス>なんて弱小ギルドに情報が渡っているのだから、他のギルドに出回っていてもおかしくない。嫌なバッティングだ。
薄暗い室内で座り込み、呼吸を整える音だけが聞こえる。イネスをちらと見やる。顔は青白く、床を見つめる目の焦点が怪しい。呼吸の乱れは身体的な物よりも精神的な動悸が問題のようだった。
おれは露骨に震えてガチガチと歯を鳴らしてみる。気づいたイネスが、あからさまなおれを見て少し笑って言った。
「なにそれ、ビビり過ぎ。あほらし」 深呼吸して両足を抱え、膝の上に頬を乗せて続けて言った。 「てかなんでここに居るの。ここ、どこかわかってる?」
「迷子になった」
「人生の?」
「そういう刺さる冗談は冗談でもやめてくれ」
「おじさんもあいつらみたいな事やってんの?」
「それじゃ頭のてっぺんまで違法に浸かってるようなもんだ、おれは片足だけって言ったろ、それもつま先。信じられないだろーけどさ」 腰を上げ、壁に備え付けられた戸棚を物色する。 「まともになろうと思ってさ、グレーゾーンのギルドを抜ける条件としてここに忍び込んで補給拠点から物資をかっぱらおうとした。まともじゃないよな」
昔は神算時代の何かがあったんだろうが、今じゃあスプーン一本だって地上に運ばれているので何も無い。こんな上層なら当然か。
「まさか<アズトリツカ>だったとはな。謝るよ。ま、おれはそんなところ。イネスは?」
「適当に一般公開されてる迷宮からクリーチャーが掘った穴を進んだら迷い込んだ、とか言えばいいのに。わたしは補給拠点の定期保守点検やってた所。ツいてないよ。簡単なルーチンワークだから、よっぽど帰還が遅くないと助けは来ないと思う」
「仮に助けを呼べたらあいつらを蹴散らせるくらいの戦力はあるよな? <アズトリツカ>なんだし。いまさら体面を取り繕おうなんて思ってない」
「ママに言ってやろ。今日は機殻使いのメンバーを何人か見たから、そりゃなんとかなるけど」
「告げ口はやめてくれ」
ふうん、とイネスはつまらなそうに相槌を打った。 「わたしはよくてママは駄目なんだ。いいカッコしたいんだ」
「わかったよ。なるべく節制して、可能な限り早く滞納してた家賃は払うからイジワルするなよ。生きて戻れたらだけど」
イネスは口を開き、言いさした言葉を嘆息に変えてから続けた。 「ま、いいけどさ。完済してくれるんなら。あの連中、諦めてくんないかな」
「下っ端の機殻使いは顔を晒してたからな。<アズトリツカ>の構成員に見られたら、何が何でも口封じしたいだろ。あいつらの魔術のレーティング・クリアランスは?」
「使ってなかったから確認できてない。なんとか負かせないかな」
「無理だと思う」
「おじさん、一人やっつけたじゃん。それにわたし、【ブルー】なら使える。そりゃ全身装甲の機殻に剣とか意味ないけど、魔術は通る」
「生身はもっと通るし、機殻に魔術は効果的だが弱点じゃない。あれは出てくるのが手下っぽい【レス】の機殻のやつだろうと考えたから決め打ち出来ただけだ。あいつらの得物は全部振りかぶる系だったから避けやすかったし」
部屋を荒らす音が近づいてきている。固唾を飲んだ。しかし薪割り斧とバールか。剣や魔術よりも恐怖心を煽られる。バールなんて一撃で死ねなきゃしこたま殴られるんだろうな。
イネスと目が合う。同じことを考えているようだ。
「あー、なんだかまた怖くなってきた」
「また震えてやろうか」
「ばか。怒るよ? 魔術使えないくせに」 イネスは立ち上がってローブをはたいた。 「それ貸して」
これ? と言っておれは腰裏に挿していた、奪った金槌を手渡す。
イネスがウォーミングアップのつもりか、金槌を素振りした。勢い余って前につんのめっている。ふわりとおれの頬を風が撫でた。
ローブの下はラフな格好だった。
フラップポケットが付いた深緑のジャケットに歩きやすそうなジーンズ。欠けた落ちた刃物やクリーチャーの爪牙を踏み抜かない為の厚いソールの黒ブーツは本格的だが、女っ気のない普段着に見える。
この軽装で点検の仕事を任せるという事は、<アズトリツカ>にとってこのあたりの階層は安全であるという認識なのだろう。つまり、敵はゴロツキだと想定していい。
「武器とか携帯してないのか」
「下手に刃物を振り回すよりも、遠くから使い慣れた魔術を投げる方が安全」 金槌を適当に弄ぶ。 「これはまあ、無いよりマシかなって」
先の素振りを見るに、魔術で肉体を補佐した格闘戦は試したことも無いのだろう。というか、戦う気なのか。
「迷宮の出入り口までの道のりをおれは知らん。だからおれが囮になる」
口を開きかけたイネスに先んじて続ける。
「でも、とか、魔術使えないのに、とかそういう煩わしいのはやめてくれ。他に方法は無い」
「……わかった」
「心配するな、家賃は返済するつもりだ」
「もっとこう、必ず生きて帰ってくるとかさ……いや、似合わないか」
「それどういう意味」
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おれとイネスが何食わぬ顔で部屋から出て足早に立ち去ろうとしたところ、タイミング悪く 「居たか!?」「ハズレだ、どこ行き……あ!」と、背後から聞こえたので駆けだした。追って来る足音からして二人。おれがやったやつはまだ回復しきっていないか。
T字路で左右に別れると間一髪、投げつけられたであろう火球が壁に当たり、華のように咲いた。
後は天に祈る。どうせ【ブルー】の機殻使いはおれを追う。
持って数分。全速力でイネスに教えられた道を走る。そろそろ苦しくなってきたというところで、目的の扉を見つけた。言われた通りに下向きの三角ボタンを押す。聞いた話ではすぐに開くらしいが、遅い。ゴッゴッと機殻が通路を走る音が近づく。
「まだかよ、早く早く」 記号にすれば▼を連打する。
やっと音も無く扉が開くと狭い部屋だ。今のおれの心境からすればデカい棺桶だ。四の五の言ってられず、とにかく入って言われた数字のボタンを押すとゆっくりとドアが閉まる。
投げられた火球が着弾する直前に、ドアは閉じた。
しかしながら、今回ばかりは魔術が使えない事で有名な事に感謝した。
ゴロツキどもからすれば、主力を割いて追いかけるべきは助けを呼ばれて困る<アズトリツカ>の構成員であって、部外者である<チャーチス>のおれじゃない。
今おれはイネスのローブを羽織っていて、イネスはおれのシャツを着ている。上層の薄暗い通路では、距離があれば見間違えるのも無理もない。
フードを脱いで一息つく。
これが噂に聞くエレベーター。上下の階層を自動で行き来する神算時代の遺物らしい。初めて乗った。落下のような浮遊感にも似たぞわぞわが足元に来る。思わず、うおぉ、と情けない声が出た。二度と乗りたくない。
エレベーターのある迷宮はアタリだろう。<アズトリツカ>が本拠地に構えるのもわかる。なにせ、相当深くまで続いているという事が保障されているようなものだ。
数分でエレベーターが停まり、ドアが開く。おっかなびっくりに通路を確認してみる。上層よりも天井が高く、道幅もかなり広い。部屋の大きさは中流階級の一軒家ほどあり、どことなく生活感がある。ドアを開けてすぐ通路ではなく、土地で区切られていて、その中に平屋を建てたような。空間に遊びがある。この階層を見たから言えるが、上層が倉庫だか資材置き場に思えてきた。
おそらくおれの人生でこんな深層に潜る事はないだろう。
イネス曰く、ここは少し前に<アズトリツカ>が探索したので安全らしい。出回っている探索スケジュールの情報はその時の物だろう。興味本位にブラついてみる。
まっすぐ進むと広場があり、驚いた事に噴水があった。結構立派で、中央の塔を中心点として六方向に水を噴出している。パッと見は飲めそうだが、あいにくと視覚情報だけで判断するシステムはインプラントしていない。
サアサアと流れる水音に混じって背後から異音が聞こえる。振り返って目を凝らすと、何者かが一直線に駆け来ている。もう追ってきたのかよ。
おれは手近にあった一際大きな建物に目を付けた。もし噴水の水が飲めるのであれば、<アズトリツカ>はこの近くに補給拠点を構えるはずだ。という事は、そこにレンタル品の剣よりは頼りになる何かがあるはず。
迷宮で初めて見る自由開きの二枚ドアを開けると、自動で明かりが点く。目の前にはカウンターがあった。その奥には事務スペース。造りはどことなく王国銀行を思い出させる。この階層の遺物回収作業はまだのようで、椅子やローテーブルなどが放置されていた。
クリーチャーに荒らされずにすみそうな場所を探す。大小の引き出しや、図書館の本棚に金庫を差し込んだような大部屋を抜けると、重厚な正円の扉が見えた。ツヤの無い金属のようで、いかにも安全が保障されており、何かありそう。
どうかセキュリティは掛かっていませんように願いながら取っ手を握ると、一瞬の引っかかりののち自動的に開いた。既に<アズトリツカ>がセキュリティを突破したらしい。
入室してみるが、正面の壁に小さな十字の切れ込みがあるだけだ。おれの予想では補給品があるはずが、小部屋には何もない。
いや。
十字の切れ込みから灰色の鋭利な濃霧が噴き出し、瞬きの間に簡素な台座と、その上にちょこんと乗っている薄い箱に形を変えた。
その濃霧から物質への変換には迷宮でどこぞの冒険者が利用していた見覚えがある。機殻輪が格納した機殻を解凍するそれだ。
恐る恐る箱を手に取ると台座は霧散する。
後ずさるように小部屋を出た。
なんか、今まで見た中で一番すごい厳重なセキュリティだった。気がするがしかし、どうして<アズトリツカ>は手つかずで帰還したんだ?
というかこれはいったい……暗い藍色の箱を観察しようとしたが、廊下の角から顔だけ出して安全確認している機殻使いと目が合った。
ゴロツキが瞠目する。
「はあ? あの女じゃねえ!」
「あ、ヤバい」
背を向けて走り出す。ちらと後ろを見やると、狙いの逸れた火球が天井に当たり、爆発しやがった。灯りが破砕され、廊下に掛けられていた絵が余波で揺れる。
威力はヤバいが、おれに接触した時のみ起爆といった魔術制御は行えないらしい。
「しぬしぬしぬ」
爆風で転びかけながら適当な部屋に逃げ込んで物陰に身をひそめる。パッと見て袋小路だった。
機殻の硬質な足音が響く。
「わざわざ<アズトリツカ>の女の身代りになったってことはよ」 引きずられた薪割り斧の刃が、床をごろがらと鳴らす。ゴロツキがダミ声で言った。 「知り合いって事だよな。となると<アズトリツカ>にチクられるかも知れん。しょうがねえよな、おれが追う程じゃなかったが」
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「いい加減、諦めて出てこいよ。おまえを知っているぞ、有名人。どうしようもないクズ。機殻も無いんだろ。万に一つも勝てねえ。諦めてくれや」
すがるようにポケットの箱を取り出すと吹き飛ばされる。
滲んだ視界の中で、広がりゆく赤黒い血の先に転がる輪に呪詛を念じた。
踏んだり蹴ったりな人生だ。クズどもにいいように使われ、夢を買う金を奪われ、良くしてくれた女店主への恩も、家賃も返せん。クソ、バランタインさんにいいとこ見せたかった。
いまさら機殻輪を見せつけてられても、何もかもがこのザマだ。だいたい、【レッド】だと? どうせ暗証番号や音声認証以上の高度なセキュリティが掛かっているに決まっている。アクティベートできっこない。いっそ低クリアランスの【グリーン】程度なら望みはあったが。
「おいおい、これくらいで泣くなよ。もっとひどい目に合うんだからよ」
痛いから涙が出るんじゃない。そう言ってやりたかったが、うまく腹に力が入らん。
機殻使いが左手の火球を振りかぶる。三角錐のトゲは引っ込んでおり、爆発はしなさそうだ。マジでステーキにするつもりらしい。
腕が振り下ろされる。火球が着弾する直前の高温を感じた。床を這うおれの血が機殻輪に触れた。
瞬きの間に、機殻輪から灰色の鋭角な濃霧がおれに飛びかかる。煤と煙の臭いがする。
そう思った次の瞬間に、おれは満身創痍で力が入らんはずが立ち上がっていた。倒れそうになる身体が見えない力で保たれている。補佐されているのを感じる。
「な……でおまえが……それ」
ゴロツキの機殻使いが後ずさる。言われて両手を見やると、暗色の手甲に魔術の火がまだ燃え残っていたが、すぐに消えた。指は薄手の手袋を付けているかのように動かしやすく、肘の関節部側面には長方形の装甲板。足元まで視線を落とすが、現代甲冑の至る所にX字や斜め線の溝が掘られた装甲と、山ほどのポケットが追加されている。
「なにこれ?」 とおれも思わず零す。なんだこの神算時代の情緒溢れる造りは。
『第一級国益効果財指定済み機殻輪。正式型式:DmicD』
突然耳元で告げられる無感動な女の声に動揺する。
「う、おらぁ!」
動揺から復帰したゴロツキが薪割り斧を振りかぶった。反射的に腹を蹴り飛ばすと互いの重心が崩れる。
だが機殻の姿勢制御はこちらが速い。一歩踏み込んで――
『注、その兵装に使用されている材質では、物理的に敵機殻の装甲は抜けません』
――まだたたらを踏んでいる機殻使いに抜き打ちで斬りかかる。ぱかん、と剣が根元から割れた。
「あっ、クソ。レンタルなのに。弁償しなきゃならん!」
損失のショックの隙を突かれて斧の横払いを胴に受けた。内臓を揺らされると思ったが、衝撃は想定より遥かに緩い。
ボロ剣が役に立たないと言われても他に得物は無いので下顎を殴りつける。硬質な衝突音がして、摩擦で火花が散り、相手はよろめいた。脳を揺らす事に成功したらしい。
「クズのくせによぉ」 ゴロツキは斧を捨てて両手にそれぞれ火球を生み出す。三角錐の棘があった。 「わけのわからん機殻を隠し持っていい気になんなよ。ええ? 教えてやるよ、いくら機殻でも魔術にまで強いって訳じゃねえんだよ!」
「知ってるよ。予習してた、クソみたいな仕事で百万キップ貯める間、ずっとな」
『注、熱源反応。原理不明』
「吹き飛べや!」
ゴロツキが振りかぶる。おれは根元で折れた剣の柄を半回転させて刃を持ち、振り上げざまに放った。狙いは爆発する球だ。柄が振れると起爆し、もう一つにまで連鎖して、爆音と炎がおれとゴロツキの機殻を飲み込む。
魔術によって生まれた炎は、燃え移ったとしても長くは持たない。燻る音の後に、ゆっくりと瞳を開けると手の届く範囲は焼け付いた跡がある。吹き飛ばされたゴロツキの機殻に近づくと、ツートーンの装甲は煤で黒くなっており、ところどころがひび割れている。
衝撃を緩和するこっちの機殻の方が高性能だと踏んで賭けてみたが、勝ちのようだ。
辺りを見回してどこに向けていいのかわからんが、とにかく言ってみる。
「で、誰だおまえは」
「お、おれはツグスキンピ」 とゴロツキ。
「おまえじゃない」 とおれ。
「なんだ急に誰と話して……いったい」
『わたしはDmicDにプリインストールされている戦術戦闘支援システム、正式型式:KⅢ+』
「もっと分かりやすく頼む」
「おま、いや、おれはあなたが誰と話しているのかわかりま」
「だからおまえじゃない」
『わたしはあなたの備品です。わたしはあなたを支援します』
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この時の浮かれてたおれに言ってやりたい。キルティは、そいつは、恐ろしく利他的な絶滅を代理させる。まあ、言ったところで何もかもが遅いと言うか、何と言うか。