イネスはこれ以上走り続けるのが無理である事を理解していた。呼吸が荒く、息苦しい、肺が痛い、脚があがらない。
だが後ろから追って来る機殻使いはその苦しみを機殻の補佐によって解消している。
脳内には選択肢が三つあった。どちらも魔術の風を操作するもので、一つは【放出】の対象を自分自身にし、文字通り身体を飛ばす。だがあいにくと緻密に制動できるほど得意としていない。曲がり角でゆっくりと減速している間に追いつかれる。
相手を対象に高出力の【放出】を使えればいいが、魔術で直接何かを操作する行為は、基本的に自分より距離が離れるほど難しい。これは物理的な物に限らず、じぶんと他者、愛用品と新品、私物と官物のような概念にまで及ぶ。
【ブルー】程度では、バランスは崩せるだろうがそれだけだ。相手には【レス】とはいえ機殻の姿勢制御がある。
二つは【風糸】で身体を補佐し、疑似的に機殻の真似事をする。しかし走る、という行為は四肢が規則正しく連動している。そのすべてをリアルタイムで制御するのは、イネスの手に余る。起動した瞬間に盛大にコケるだろう。
三つ。
イネスは近づく機殻の足音に見切りを付け、振り向きざまに金槌を振り下ろす。【風糸】で腕を加速させた一撃にかける選択肢しか残されていない。
その瞬間に、ひょっとしたらグロテスクな事になるかも、だけどそっちが悪い。というイネスの謝罪だか言い訳だかはすぐに撤回された。明らかに距離が遠い。三メートルは開いている。
突進するように駆けるゴロツキに、イネスはマズい事になったと青ざめた。マズいどころか命の危機だが、無意識的にパニックだけは避けるべく、殺されるという認識がライトな感覚に代替される。
やっちゃったー、と身体から力が抜ける。手からすっぽ抜けた金槌の質量、【風糸】で補佐された腕の振り下ろし、遠心力、相対的に距離を縮めるゴロツキの走力、それらの力がゴロツキの鳩尾の一点に加われば、ゲロを吐きながら白目向いて気を失って当然だった。
「や、やった……勝った」
落ち着かない呼吸に胸を上下させ、イネスはそう零して転がるゴロツキをしばらく眺め、ハッと気を取り戻して入口へと駆け出した。
息を切らして本部に戻る。国から派遣されている検査官が何事かと尋ねた。
イネスはちょうどギルド長を見つけ、事の顛末を話す。
「ほうほう、なるほどのう」 と事情を聞いたギルド長はイネスを見上げ、顎に手をやり逡巡して続ける。 「丁度いい、面白そうじゃな」
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「とりあえず機殻脱げ」
仰向けに横たわるツートーンの機殻使い、ツグスキンピに言った。
「機殻輪じゃないから纏うのに時間かかるんで、それにこんな深い階層で生身なんて」
二度三度、思い切り脚を踏みつけると機殻のヒビが広がった。機殻でない物が折れ、悲鳴をあげてうつ伏せになり機殻が脱がれた。
「謝る、本当に悪かった、殺すつもりはなかった」
「いまさらそんな嘘を信じるかよ」
「本当だ、誓って嘘は言わない。頼むよ、おれもケチなギルドの命令で仕方なくやってるだけなんだって。あんたが<アズトリツカ>を漁る邪魔はしない」
ツグスキンピは厳つい顔に似合わない半泣きで懇願してくる。気持ち悪い。
「まあ、言ってることが本当なら、おれと似た境遇って事か。どこのギルド」
「<ナインツ>だ。いつもは一般公開されてる迷宮の上層でせこせことやってるだけなのに、成功したら給与を上げるとかなんとか甘い言葉をかけられて、おれ……」
ゴロツキは本格的に泣き出した。しかし<ナインツ>ときたか。<チャーチス>と同じくラムスの中でも下から数えた方が早いどうしようもないギルド。
「……おれを騙す意思が無いんなら見逃してやってもいいが。信用は出来ない。おれが消えてから一時間経ったら、おまえも帰ればいいさ」
出来るかどうか不安だったが、ゴロツキの機殻を担ぎ上げた。こいつはもらっておこう。
「いやちょっと、置いていかないでくれ、せめて、エレベーターまででいいから連れて行ってほしい。あんたに蹴られて歩ける足じゃねえんだ。信じてくれ、決してあんたを裏切らない」
「おまえ<ナインツ>じゃないだろ」
「え?」 とツグスピンキは涙でぐしゃぐしゃの顔を固まらせた。
おれは中腰で顔を近づける。
「<ナインツ>なんてド底辺ギルドのメンバーが、エレベーターの名前はともかく、どうして使い方も知ってんだよ。で、本当はどこなんだ」
「それは……」
おれはその辺の破片を握り込んだ。もとよりこいつに容赦するほどお人よしじゃない。それにイネスに危害を加えようとしたのだ。ということはバランタインさんを悲しませるという事にも繋がる。というかおれを殺そうとした。
ここは迷宮。それも深い。ここに警務官はいない。
「それと気になってたんだが、おまえはどうして――」
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エレベーターに向かう道すがら、そういえば、とおれはあらためて腕を見やった。さっきのゴロツキが言っていた、わけのわからん機殻、の意味。
「明らかに【ブルー】よりも高性能なのに、どうしてこいつのレーティング・クリアランスが【レス】なんだろ」
『DmicDの運用構想上の仕様です。NDBに対する偽装信号が発せられています』
「えーとケースリープラスだっけ? 機殻輪は【レッド】だったが、なるほどね。その偽装信号はDmicDの機能だからってわけか。しかし喋る遺物とは。これっておれにしか聞こえてないんだよな」
喋る魔術の剣のおとぎ話は聞いた事があるが、現実は小説よりも奇なりとはまさにこの事だ。
『セキュリティ・クリアランスについてはその通りです。通信に関しては公開もできますが、デフォルトでわたしの音声は外部には漏れません』
「周りから見ると独り言か。ちょっとハズいな」
口調は落ち着いているが、おれはにたにたしながら帰路を急いだ。喋る遺物なんて聞いた事がない。しかも【レッド】の機殻輪。第一級国益なんたらのヤバいやつ。これは、これはツいてる。
エレベーターの▲ボタンを押す。扉が開くと、DmicDの首から上を中の鏡で確認できた。細かい意匠は神算時代のそれだが、現代の兜と一線を画すのは三本のスリットが入ったバイザーだった。よく見ればその奥は小さな六角形が敷き詰められていた。あらためてこれが遺物である事を意識させられる。
「このポニーテールみたいなフサフサって何?」 とおれ。機殻と同色の暗いそれをフサフサする。
『生体電子アンテナです。損壊すれば一定の長さまで成長します』
「すごい、よくわからんがすごい」
階層のボタンを押して、到着を待つ。
「うぉっ、なんだ。登るときは登るときで違う感覚。足元がぞわぞわする。なあケー、KⅢ+、これって身体に悪影響を及ぼすんじゃないか? 考えてみればエレベーターって便利すぎるし、副作用とかあるんじゃないの?」
『無害です』
「ほんとかよ、絶対ヤバいと思うんだけどな。血液が足元に溜まって死ぬんじゃないか」
『無害です』
「そう。あとこの背負ってる機殻、格納できる? よな」
『可、ですが当機も格納されます。安全を確認してください』
やってくれと言うと、DmicDごとゴロツキの機殻が瞬間的に鋭角な灰色の濃霧に形を変え、右手の指に殺到する。指には機殻輪が嵌っていた。
機殻輪の格納機能の対象は、なにも最初から格納されている機殻だけじゃない。格納に対応しているシステムが内蔵されている遺物なら、何でも格納できる。ただし、他人がリアルタイムで利用している物や、セキュリティを突破できていない物を除く。戦闘のどさくさに紛れてかっぱらうなんて無理だ。精霊に過去からパスワード情報を持って来てもらうなんて悠長な事やってられない。
大手ギルドを担当している検問所ではだから、帰還後は必ず冒険者に機殻を纏わせて、検査逃れしていないかチェックするらしい。
指から機殻輪を抜き取り、ズボンのポケットに入れた。高レーティング・クリアランスの機殻輪を指に付けてたら、どこぞの悪党に腕ごと持っていかれかねない。だからみんな機殻輪は首から下げる。首を持っていかれたならそれは死んだという事で、死後の事を考えてもしょうがない。
「しかし【レッド】の機殻輪かー」
むふふと、床に座り込む。機殻の補佐抜きだと、少し辛い。確かこの辺り、恐る恐る背中の地肌に手を回すと、つるつるとした手触りがある。よく鞣された上等な革のような。
「なんだこれ」
『重傷箇所を機殻内側からナノ機で塞ぎました。ナノ機を補充する必要があります』
「そうか、助かった。この状態でも会話できるんだな。それにしても、どーしよっかなー、じぶんでギルドとか立ち上げてみようかなー、これからはどんどん戦って」
『注、当機は万全の状態ではありません。無用の戦闘行為は避けてください』
「なんで万全じゃない」
『当機は駆動材の不足により永久予備駆動状態です。機能の大部分が使用できません。駆動材を挿入してください』
「あー」
高セキュリティ・クリアランスの機殻には駆動材、つまり動力源となる使い捨て燃料のようなものが必要らしい。そんな遺物はなかなか市場に出回っていないので高セキュリティ・クリアランスの機殻使いは大多数が永久予備駆動状態……という訳ではない。駆動材は精霊から供給されるマナで代替できるのだ。
おれがDmicDを十全に使いこなせる日は、多分来なさそうだ。意気込んでいたがカッコ悪い。
しかしまあいいさ、と上層の床を踏みしめる。永久予備駆動でも作業用よりは遥かにマシだ。痛む身体に鞭打ち、一歩一歩進む。とにかくおれは会わねばならないやつがいる。今回の事で後悔を経験したから。
まさか人生で、これほどまでにあいつに会いたいという気持ちが芽生えるとは。密やかな笑みが堪えられない。
『推奨、DmicDの使用。安全性が確保されていません。肉体的損傷は全快したわけではありません』
「ここはおれの縄張りじゃない。勝手に侵入して機殻を、遺物を持っていくのはグレーゾーンだ。見られたくはない」
『初めからじぶんの所有物だと主張すればよいのでは』
「機殻輪は機殻を残したまま脱ぐんじゃなくて、輪に格納する。つまり顔を見せろと言われれば機殻輪だとバレる。魔術を使えないおれがただでさえ機殻輪なんてブツ持ってて不自然極まりないのに、それが【レッド】となるとな。余計なトラブルは避けるに限る」
しばらく歩くと、ばたばたと数人の足音が聞こえる。三人の<アズトリツカ>のメンバーと思われる冒険者と合流した。
一人はイネスだ。なんとか【レス】の機殻使いを振り切ったのだろう。
二人目は中肉中背の短髪の男。ローブ姿だが肩幅やちらと覗く手首の太さからして結構鍛えている。
三人目がわからん。あきらかにこの場にそぐわない。イネスよりも年下で、ようやく異性を意識しだす年頃にしか見えない。白銀色の髪のサイドの一方は肩まで伸ばし、もう一方は短い三つ編み。性別もいまいちはっきりしない。
「ちょっと、大丈夫!? ですか!」 とイネスが切り傷やかすり傷だらけのおれに駆け寄って肩を貸してくれる。口調からして初見のフリをしろって事か。
「おぬしか、うちのかわいい新人を助けてくれたのは」 と、子供が小動物のようなくりくりとした瞳でおれを見上げて言った。 「だいぶやられとるようじゃのう。うちのギルドまで案内するゆえ、そこでゆっくりと診てもらえ。礼もしたい。コンエイや、イネスとこの御仁を送れ」
「はい。しかし、ギルド長は」 コンエイと呼ばれた短髪の男が答えた。
ギルド長? こんな、お子様が。目を疑う。というか、なんだその年寄りみたいな口調は。
「そうじゃのう」 と顎に手をやり、おれを見上げる。 「おぬしを追った賊はどうした」
「地下三十階で撒いた、撒きました。まだそこでおれを探してる。かも」
「そうか。ではまあ、行ってみるか」
「ギルド長お一人で?」 とコンエイ。 「話を聞くに【ブルー】程度でしょう。そのような者ならわたしが」
「うーむ、せっかく精霊と個人契約を結べたのじゃ。賊あいてに試し撃ちとしゃれこむよ。簡易契約とは異なる不可思議性と聞くその個人契約の魔術の妙たるや、いかなるものか」
くつくつと喉を鳴らして笑う、まだあどけない<アズトリツカ>のギルド長はエレベーターの中に消えた。おれの目に間違いが無ければ機殻輪を指に嵌めていた。正気じゃない。ギルド長も、あんなのを長に置く<アズトリツカ>そのものも。検問所で聞いた噂じゃこれが最下層に最も近いギルドだと? 信じられん。
振り返ると、エレベーターの上部には番号が並べられており、順に点灯が推移していた。あとでイネスから聞くに、現在のエレベーターの階層をリアルタイムで知らせる物らしい。だからゴロツキはおれがどの階層で降りたかわかったのだろう。
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「ほんとにいいんですか、うちで治療しなくても」 とイネス。じろじろとおれの傷跡を眺めて言った。表情は受けろと物語って不機嫌だ。
「ああ。大した傷じゃないし、意図したものでないにせよ、ギルド保有の迷宮に足を踏み入れるのはマナー違反だしな。見逃してもらえただけで十分だ」
「ところで、賊はだいたいどのあたりで撒いたのだ」
コンエイが割って入る。
「んん、おれも死に物狂いだったから。噴水の近くの建物で、相手の派手な魔術に紛れて逃げた、くらいしか」
「そうか……」
おれは最初にイネスとゴロツキと出くわした部屋までの道すがら、そんな会話をし、そこからはおれが抜け穴まで案内した。穴を確認した<アズトリツカ>は魔術的なり物理的になりの手段で埋めるだろう。<アズトリツカ>側の迷宮の一部を埋め立ててでも。
「こんなところに抜け道とはな……それと、念のために確認するがわれわれの迷宮から遺物を持ち出してはいないか?」
「ああ、そういや建物には絵画やら花瓶やらがあったな。くすねておけば小金持ちだが」 ローブを捲ってその類を持っていない事を見せた。 「逃げるのに精いっぱいだった」
「なるほど、そのようだ。だが一応身を検めさせてもらってもいいか? 疑ってかかるようなマネをして恐縮だが」
おれは中腰になって穴に入りさした足を止め、思わず固唾を飲んでから平気な顔を作ってコンエイに振り返った。
「疑う? 何の事だ」
「うん?」
「入口や、用意した補給物資は<アズトリツカ>の所有物だ。だが迷宮のすべてが<アズトリツカ>の所有物じゃない。どこかで一般公開されてる迷宮や別のギルドと繋がっているかもしれないから。だから仮に迷宮で何を見つけて何を手にしようが勝手だ。そりゃあ入口付近でうろついてたら咎められて当然だが」
そうだな、と淡泊に返すコンエイの目は納得などしていない。おれは冗談だよ、と笑ってみせた。
「冗談だよ。そりゃマナー違反だって知ってる、冒険者の暗黙の了解だ」
「きみは<チャーチス>の所属だったな」
「いや、辞めたよ。いまはフリーだ。よく知ってるな」
「有名人だからな」
一拍の沈黙の後、おれは視線を逸らして一般公開されてる迷宮へ戻った。
そうとも、暗黙の了解である事は誰でも知ってる。
裏を返せば法律で禁じられていないという事も。
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一般公開されてる迷宮に戻り、穴を隠していたガラクタをイネスから借りっぱなしのローブで包んで背負った。
『推奨、休息』
「どうしても会いたいやつがいる、一秒でも早く」
『あなたの健康状態とその人物と面会する事の優先度を計算します。人物の情報を提供してください』
「その必要は無い――」
部屋を出ると見える位置でフィルスどもが座り込んでダラダラしていた。監視役なのでクリーチャーとの戦闘は考慮されていないせいもある。
「――今から殺す」
『了解』
フィルスどもがおれに気付き近づいてきた。マジで会いたかったよ。
「おいクズ! どれだけ時間かけてんだ!」 と名前を覚える必要がなくなったクソ野郎、モーブル。
「ちゃんとやれたんだろうな、最後くらい役にたてよ」 と名前を覚える必要がなくなったクソ野郎、ハシィタ。
「ああ、遺物の装備をたんまりと拝借したよ」
ローブの包みを地に落とすと、フィルスが頭上に浮かべていた光球を寄せた。 「こりゃけっこうあるな」
仕事がうまく行ったことに対する下衆びた笑いが迷宮に響く。
おれはおもむろに歩み寄り、フィルス以外の二人の腰に下げられた恰好だけの剣を左右の手でそれぞれ引き抜き、まだその行為に理解が追い付いていないそれぞれの下顎に差し込んだ。
二人は引き抜きたいのか止めを刺してほしいのか、懸命に剣を掴もうとするが、伝うじぶんの血で滑ってうまくいかない。少しばかり柄を捻ると体躯が力を失い、地に崩れ落ちる。
出来そこないの短い咳のような呼吸をしながら、赤い手で助けを求めるようにフィルスの足元を力なく掴もうとしている。
「てめえ! やりやがったな!」 とフィルス。剣を抜き、もう片方の手に火球を握る。 「何考えてんだ! おまえ、これ、ボスが知ったらおまえ!」
『注、熱源反応。原理不明』
「いやあ、向こうの迷宮でちょっと死にそうな目に会って、心底後悔した。どうせ死ぬなら魔術にビビらず、勇気出しておまえらを殺しときゃあよかったって。でもおかげで吹っ切れた。良い経験になったよ」
「クズのくせによお、おれに勝てると思ってんのか」
フィルスが後ずさる。横たわる二人から流れ出した血でピチャリと音が鳴った。
「そのクズってのを辞めるにちょうどういい。おまえ言ったよな。おれを殺す機会はいくらでもあったが、できていない。だから一生出来ないんだよクズ、みたいなこと。おまえをぶっ殺して、ようやくクズに終止符を打てるって訳だ」
「狂ってんのか! くそ、誰か! 誰かいないか!」
「大声で助けを呼んだから、おまえは顔を思いっきり凹ませてからだな、歯も忘れずに」
フィルスが火球を振りかぶる。
低レーティング・クリアランスの火球を敵に使おうとすれば、自然とボールを遠投するフォームに似る。
理由は二つある。発生した魔術がじぶんに影響を及ぼさないようにする制御術に長けていないので、離れた場所で接触起動させる必要がある。もう一つは、魔術そのものに風で推進力を与えたり爆風や圧力で飛ばす術を知らないからだ。
ビビるな。とおれはフィルスの手に握られた炎の塊を見据え、踏み込むと同時にDmicDを纏う。身体のあらゆる動作が増速されるのを感じた。
転がる遺体の喉に突き刺さった剣を、逆手に引き抜きざま斬り上げる。まだ振り降ろされている途中の、無防備に伸ばされたフィルスの腕が跳ね上がった。血が弧を描いてそれに追随する。
DmicDに格納されていたツートーンの機殻が背後で音を立てて倒れた。
ぼとり、と切断した腕が落ち、手のひらからこぼれた火球が床と接触起動して燃え上がる。病院に持っていけばくっついただろう腕がこんがりと焼けた。
悲鳴をあげ、脂汗を滴らせて腕を抑え込むフィルスを見て、おれはようやく負け犬根性や、苦手意識だとか、なんでもいいがとにかくその類を乗り越えたのだと実感した。ガキの頃、苦手だった野菜を無理やり食べきった時と似ている。
「てめえ、んだよ! 機殻なんて、クッソ! わかった、わかった謝るよ。ボスには話付けとくから見逃してくれ」
「話って」
「何もクスねてこれなかったら、成果が出るまでてめえが住んでるとこの大家や隣人にアヤつけるぞって脅す予定だったんだよ。おれがうまい具合にボスとの間を」
おれは思わず軽く笑ってしまった。
「ウケる事言うな。これから歯まで折られて喋れなくなるのに、どうやって話すんだ」
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「六十五万で女じゃなくて機殻を買っときゃ、まだ逃げられたかもしれなかったのにな」
適当な天然迷宮を見つけたので、三人の遺体を投げ込んでおいた。そのうちクリーチャーに美味しく頂かれるだろう。もしも他の冒険者が見つけたら、その時はその時だ。どうせ証拠はない。
それより、問題なのはボスだ。おれは向こうの迷宮で大量の遺物を盗んだが、それを取り上げて欲をかいたフィルスどもも向こうの迷宮に行った。が、帰ってこなかった。たぶん見咎められて殺されたのだろう、というシナリオで誤魔化そうと思っていたが、バランタインさんに実害を及ぼす腹だったのなら仕方がない。
乗り掛かった舟だ。
迷宮を出ると検査官に 「あれ、おまえ一人か?」 と尋ねられたが、曖昧な返事をしてもそれ以上の追及は無かった。
検査官にとってラムス地区の冒険者なんぞは金づるとしか思われていない。協力関係? 振れば賄賂が出てくるただの小銭入れ程度の認識だ。
どこかすがすがしい気分で<チャーチス>に入ると二人のメンバーと女店主がいた。
「おまえ辞めたんじゃなかったのかよ」
外野の声を無視してカウンターに座り、女店主に言った。
「ボトルでエールをください。あとボスの名前ってなんでしたっけ。あ、グラスはいりません」
「ギレハ……だけど。大丈夫?ボロボロだけど」 と戸惑った表情の女店主。ボトルだけをカウンターにおいて、グラスは、本当にいいの? といった意味合いで傾ける。 「あんたウィスキーじゃなかったっけ? それにその、辞めたんじゃ」
おれはボトルを手に先客の二人の背後から忍び寄って、一人の頭に振り下ろす。ごっ、と鈍い音が腕に伝わり、皿に顔を突っ伏した。瞠目する残った一人の後頭部を掴んで、テーブルに数回顔を叩きつけると気を失った。
「ボスは、ギレハは二階の自室ですよね? この時間」
ぽかんとした女店主は一拍置いて、ゆっくりと首を縦に振った。
後には引けないと内心で勇気づけながら階段を踏みしめる。ラムスとはいえ、こんな事をすればさすがに警務官も黙っちゃいないだろう。だがバランタイン家に迷惑をかける種を撒いたのはおれだ。おれが刈らなきゃなるまい。こんな無茶するなんて、自暴自棄になっていたのかもしれないし、機殻を手に入れて気が大きくなっていたのかも。
「KⅢ+、仮に【グリーン】の機殻と戦って勝てるか?」
「不明、現在のあなたのコンディションは、身体の怪我、疲労、精神状態などを参照するに、戦術戦闘行動基準値を大きく下回っています。DmicDの最低保証性能すら引き出せません。目標機殻使いの戦術戦闘能力、保持している兵装によっては撤退を余儀なくされる可能性があります。優先すべきは目標機殻使いのデータ収集とコンディションの回復です。一時退却を提案します」
「駄目だ。バランタインさんに迷惑はかけられない。いまケリをつける。なんでこんなギルドで働いちまったんだか。それもこれも精霊が悪いよ、精霊が」
勝算についてはわからんが、まあ<アズトリツカ>を絡めて脅せばなんとかなるだろう。無遠慮にドアを開くと、ソファでギレハと女がイチャついていた。二人がおれを見て固まっている。
「ギレハ、あんたおれが手ぶらで帰ってきたらおれの大家あたりに迷惑かけるつもりらしいな。やったら殺すぞ」
ギレハは大声で階下のメンバーを呼ぶが反応は当然無い。
「黙らせたから誰も来ねえよ」
「は? バカ言えてめえがか、というかよ、なんだその舐めた口の利き方は! だいたい勝手に」
「もう<チャーチス>は辞めたからただの他人だろうがよ、いつまでボス面してんだ。盗みに入った迷宮は<アズトリツカ>だった。いいギルドだな、おれは運悪く捕えられたが、無関係なおれに盗みを強要した<チャーチス>に復讐したいって言ったら機殻を貸してくれたよ」
ボスは女店主の名を呼んだ。おれの、もしかしたら、という嫉妬にも似た嫌な予感は当たらず、誰も来ない。
「いいか。もしおれの大家と揉め事を起こさないんなら<アズトリ」
ギレハの身体に灰色の鋭角な濃霧が纏わりつき、紺色の機殻へと形を成した。女の背を突き飛ばす。機殻の補佐でもって行われたそれは、女に悲鳴らしい悲鳴をあげる隙も与えない速度だ。
生身で受け止めるとこっちまで怪我しかねないので避ける。女がタンスに突っ込んで戸を壊した。嫌な音の後でうめき声をあげる。
「なんつー……あれ?」
痙攣する女の身体に若干の同情心を覚えたものの、まあいいかとギレハに視線を戻すがすでに姿は無い。外から落下音が聞こえた。窓に駆け寄って路地を見下ろすと、機殻を格納して全力疾走している。道行く人人が何事かと視線で追い、すぐに興味を失う。
「逃げやがった!」
てっきり戦う事になると思ったが拍子抜けだ。
おれは舌打ちして同じように窓から飛び降りる。着地の衝撃が、まだ傷の癒えない身体に堪える。だが衆人観衆の中でDmicDを晒すのはためらわれたし、一見して明白に作業用でない機殻で走り回っては、ラムスの警務官に職質される。そして賄賂をせびられる。
あの小太り体型で結構速い。ちょくちょく人目が少ない所で機殻を纏っては格納しているのだろう。ラムスはやつの庭ってところか。おれは仕事が終わればすぐ帰っていたのでこの辺りの地理に明るくない。
ギレハの機殻は覗き穴のある大きな長方形の盾が背負われており、関節部の内側は硬化布で可動域が確保されていた。特徴的なのは頭部で、縦に半円柱状の起伏の無いバイザーで前面が覆われている。あれは機殻や魔術絡みの事件に対応する警務官が纏っている物と同じだろう。払い下げとは思えない、ヤバいルートの横流し品か。
「KⅢ+、DmicDを纏って屋根の上から追えないか? 夕方だし、目立たんだろ」
『注、踏み抜き。自重と運動エネルギーに耐えられる材質、構造体ではありません』
ラムスのボロ屋じゃしょうがないか。
「ダイエットしたら?」
『不可、プログラムであるわたしに質量はありません。DmicDに着脱可能な装備はありません』
あーそー、とおれは痛む身体に鞭打ってボスを追う。
しかしこのまま地下に潜られたら面倒だ。というおれの懸念は外れ、ウーフツ地区に入った。ますます作業用でない機殻を纏う訳にはいかない。まさかフロム・バレルに? だとしたら四の五の言ってられず、DmicDを纏ってでも止める。だが、ここならおれに利がある。絶対に追い詰めてやる。
徐徐にボスとの距離が縮まる。もう少しで、と期待が高まると同時に奇妙な逃走経路に内心で首をかしげる。なんでわざわざウーフツ地区に。
待てよ。この先は、ここは、ちょっとした通りから数本外れたこの路地は。
なんで、こんなところに逃げ込んだんだ。クソ。二度と会わないと、顔も見たくないと思ってたのに。
おれはギレハが逃げ込んだ店の前で立ち止まり、息を整えるように二度三度、大きく深呼吸する。最後は溜息で小さなドアを開いた。押しのけられそうになるほど濃厚なレザーの香りがする。
室内では汗だくで息を切らしたギレハと、定位置のシューメーカーチェアに腰掛けるクロムが居た。おれを見て、小さく口角を上げた。
面倒な事になりそうだ。