二代目海賊王に捧ぐ   作:コタツ蜜柑

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ガープの口調がおれとわしでブレてるのは意図的な表現で、誤字ではありません。

2019/2/2 に13000字くらい加筆修正。
追加した内容は、ローが死後交わしたハートのクルーたちとの別れと、ローの生き方についての懺悔(キャラ改悪に近いので注意)。
もうこれ以上は変えない……と思います。
うう、次の話も修正しないと……。


三十余年越しの拳 (2019/2/2加筆修正)

 

 ――顔の分からぬ女の、唇が動いて何かを告げる。

 彼我の距離が随分と近くて。頭から腰まで全身まるごとを支える温かさに、己は女に抱き上げられているのだと知る。まるで、赤ん坊のように。

 

 ぱっと一瞬で女が消えて。次に現れたのも顔の分からぬ、今度は男だ。

 こちらも同じように何かを、いや、まったく同じ形に唇を動かしている。その大きな手が、己の頭を慈しむように撫でて。

 

 次は、どことなく見覚えのある初老の男。豪快に笑い、やはり同じ言葉を掛けてくる。

 言葉というよりも、特定の単語。……いや、人の名前かもしれない。

 

 その後も、幾つもの姿が入れかわり立ちかわり、現れては同じ名を呼んで消えてゆく。

 既視感があったのは、三番目の初老の男だけだった。ほかは皆、知らぬ顔ばかりが百近くは過ぎていっただろうか。

 皆が一様に己に向かって呼ぶ名前。けれど、己の名はそれではない。

 己の名は。祖より引き継がれた姓と二つの伏せられし名、そして両親から贈られた己だけの名は――。

 

「おれは……。おれは、――『トラファルガー・D・ワーテル・ロー』だ」

 

 宣言と同時、しゃぼんが弾けるような音がして、ローは目を開いた。

 ……たった今目を開けたというのなら、先ほどまで視えていたのは何だったのだろう。名を呼ばれていた人物の記憶、だろうか。

 不可思議な現象に気を取られていたが、ふと視線を下げれば誰かが立っている。ローの半分少々の背丈の子供だ。

 子供は歯を剥いて快活に笑い、ローに向けてまだふっくりとした手を差し出した。

 握手を求めているようなその仕草に、何の疑問も抱かずローは応えた。そうするのが当然であるかのごとく、身を折って腕を伸べ、子供の小さな手を軽く握る。

 子供はその幼さにしては強い力でローの手を握り返し、口を開いた。

 

「おれのぶんまで、いきてくれ!」

 

 ローが言葉を返そうとするが、前方から吹いた突風に遮られる。思わず目をつぶると、握っていたはずの子供の手の感触が空気に溶けるように消えてゆく。

 同時に流れ込んできた何かに一瞬身を固くし、しかしすぐに弛緩する。

 悪いものではない。むしろ温かい、いや、熱いほどのエネルギーの奔流が、子供と触れていた手から腕を通って胸へと伝わる。

 

 欠けていたものが、別の新しいもので補填される。

 急速に修復される自我。その内には、継ぎ足された熱によって相対的に薄れてゆく冷たい何かも含まれている。

 けれど、冷たいだけではなかったから。芯から凍りついた心を、解かそうとしてくれた奴らの顔を思い出せたから。

 今度こそ忘れない。この魂が『トラファルガー・ロー』であるうちは、死んでも。

 

 決意を胸に回想するは、仲間たちとの最後の邂逅――。

 

 

   --------------------

 

 

   ――…ぃ、……とーに大丈夫なんだろうな!?

 

 ……初めに認識したのは、焦りを滲ませる男の声。

 自分はもうずっと、春島の優しい日差しに抱かれるような心地で眠っていた。起きる必要なんて欠片も感じないのに、突然周囲を取り巻いた騒がしい気配が二度寝の邪魔をする。

 

   ――だから何度も言ってんだろ。今更ルフィを乗っ取るつもりなら、そもそもトラ男は死んじゃいねェ

   ――ゾロお前さぁ!! 知ってて黙ってたとか! おれお前に相談したのに、なんであん時言わねェんだよ!?

   ――男がてめェで決めた死に様に、他人が口を挟むのが野暮以外の何だってんだ

   ――落ち着いてくださいウソップさん。それに、トラ男さんの真意に気付いていたのは私も同じです

 

「ちょっと外野! うるさいんだけど!? 今おれたちがキャプテンと話すんだから、黙っててよね!」

「お前が静かにしろベポ。……聞こえてますか、キャプテン?」

「……全然反応しないぜ。これ、成功してんのか?」

「失礼な奴だな! 私の能力を疑うのか!?」

 

 より近い距離、ほぼ目の前と思しき位置からさらに明瞭な声が届く。

 先の三つは自分の仲間だ。残る一つは女の声だが、聞いた事がない。誰だろうか……いや、どうでもいい。眠い……。

 無視して寝入ろうとした時、そっと頬に添えられる誰かの手を感じた。

 その触れ方が、懐かしくて。続く言葉が、まるで日常の延長だったから、

 

「………。いい加減起きてください、また徹夜で本読んでたんですか?」

「――……うるせェな……メシまで寝かせろ、ペンギン……」

 

 不機嫌にそう返して、薄目を開けて相手を睨んだ。

 相手が、頭頂部にペンギンのマスコットが付いた帽子の男が、ハッと息を呑むのが見えた。その背後でサングラスを掛けた男と、大きな白熊も動揺の声を上げて。

 やがて三者が、同時に口を開いた。

 

「「「……キャプテン?」」」

「なんだ? 揃いも揃って間抜け面晒してんじゃ………ん? 妙だな、おれの声、高くねェか……」

「……キャ…」

「ギャ……!」

「「「ぎゃぷでーーーーーん!!!!」」」

「――グフッ!!? …どけ、重い……!」

 

 涙と鼻水を垂れ流す成人男性二人と熊一匹に抱きつかれ、地面に押し倒された。こんな真似をされて、普段なら力ずくで振りほどいてベポ以外能力でバラしてやるところだが、何か違和感を覚えて言葉での抗議のみにとどめる。

 どうにか引き抜いた片手で、泣きわめく一人の顔を押しのける。と、そこで違和感がさらに鮮明になった。

 ……眼前に見える自分の手の甲に、刺青が無い。

 

「おいお前らいつまで泣いてんだ、時間無ェって話しただろ」

「うわーん、ぎゃぷでーん!!」「離せー!」「キャプテンー!!」

「ハイハイちょっとお先に失礼しますよー。トラ男さんまずこれ見てください、鏡」

 

 何が起こっているのかと混乱するうちに、男二人と熊は、上から降ってきた機械の手で引き剥がされていった。

 その空いた空間ににゅっと顔を出した骸骨が、持っている手鏡をこちらへ向けてくる。

 そこに映った自分の顔は、……驚きに見開いた黒目と、左目の下の雑な傷跡は――

 

「なッ……むぎ、わら…や?」

「お忘れのようですから手短にご説明しますね! トラ男さんは瀕死のルフィさんに『不老手術』して死んじゃいました! でもトラ男さんの霊魂は、手術の効果を維持するためのエネルギー源として、ルフィさんの体の中に残ってるんですねー。そこで今回、こちらのホロホロの実の能力者である、ペローナさんにご協力願いまして」

「私がペローナだ! ありがたく敬え!」

「トラ男さんの霊体をちょびっとだけ引っ張り出して、一時的にトラ男さんがルフィさんの体を使えるようにしたんです。ちなみにこの方法が使えるのはこれっきり、加えて残り時間もそんなにありません」

「むむむむむ……あと三分だな! こいつやる気なさすぎるぞ!」

「三分ってあんまりじゃないですか!? トラ男さんもっと頑張って! ――それはともかくまあそんなワケでして、ご理解いただけました?」

「……あ、ああ……どうにか」

 

 怒涛の勢いで話された内容を、実感は湧かないが何とか噛み砕く。やる気とか頑張れというのは意味も分からなかった。

 こちらが呆然としつつも身を起こして頷いたのを見た骸骨は、一息入れる間もなく次の話題に移る。

 

「優先事項から確認していきましょう。まずトラ男さん、あなた――生き返る気、あります?」

「……は」

「あなたの体自体は無傷ですし、(ソウル)が完全に抜けきる前に、私が黄泉の冷気を使って冷凍保存しました。ルフィさんの体も今は回復してますから、あなたの霊魂が出ていってもいきなり死んだりはしません。あなたが生き返りたいと言えば、私たち麦わらの一味、そしてあなたのお仲間は皆、全力でその方法を探し出して見せましょう」

「………」

「あなたはどうしたいですか、トラ男さん」

 

 考える。死に際の記憶は曖昧ながら、今の自分の姿がルフィである以上、骸骨の話は事実なのだろう。

 しかし瀕死の相手に対して行使したと言うのなら、それはおそらく通常の『不老手術』ではない。自分が独自に改変した、不老効果を不完全にする代わりに短時間の超再生力を付与する術式に違いない。

 資料を漁ったところで、それを解除する方法などどこにも載っていない。どんなに東奔西走しようと、無駄足にしかならないのだ。

 

 ……いや。言い訳を並べるのはやめよう。

 こちらをひたと見据える暗い洞を、静かに見つめ返した。

 相手はそれだけで察したのか、既に肉も皮も無い骨の面から、微かな落胆の気配が漂う。

 

「折角だが、遠慮する」

「……やはり、受け入れてはもらえませんか」

「死んだ時のことは忘れたが、今のおれには、生に対する未練も執着も無い。それが答えだ」

「あなたのお仲間が、泣いて引き留めてもですか?」

「キャプテン……」「キャプテン!」「逝っちゃやだよ! キャプテン!」

 

 骸骨が身体をずらし、その背後に押しやられていた自分の仲間たちの姿が見えた。

 哀切に訴える彼らの声をもっても結論を変えられない、自身の冷淡さを少しばかり申し訳なく思う。

 

「悪いな、お前ら」

「ううぅ~……! イヤだよ、キャプテン……!」

「………。よせ、ベポ。……分かってたことだろ」

「……ハァ~……ダメかぁ。ベポが泣けばワンチャンあると思ったんだけど、やっぱキャプテンだよな。頑固さは麦わら超えるわ」

 

 白熊はまだ泣いているが、あとの二人は先ほどまでの人情劇が茶番とばかりにあっさり引いた。

 まあ当然だ。彼らは自分のクルーであり、半生を共にした『家族』なのだから。

 自分の望みなどとうに理解した上で、それでも傍にいる事を選んだ時点で、覚悟はできていただろう。

 

「……そうさ、分かってた。覚悟だってしてた。だけど気持ちがそれでおさまるかって言ったら、それは別の話だ。……音楽家」

「どうぞどうぞ」

「キャプテン――……ロー。これは、おれたちお前の『家族』全員の気持ちだ」

 

 そう言って進み出たペンギン帽子の男は、座っているこちらに合わせるように片膝をつく。

 帽子の下から覗くまっすぐな視線が、こちらの身動きを縫い留めて。そうしてヒュッと風を切りながら、平手が飛んできた。

 したたかに頬を打ったはずのその衝撃はしかし、自分が間借りしている身体がゴム人間のものであるためか。物理的な痛みはほとんど無く、ただ高らかな音だけを奏でて、外野の賑わいを再燃させた。

 

   ――おいそれルフィの体だぞ!

   ――どうせゴムだから効いてねェよ

   ――好きにさせてやらんか。トラファルガー君が拒んだ以上、わしらにできることはもう何も無い

   ――そうね。残りの時間は、全部彼らにあげましょう

 

「……バカ。バカ、ロー……! なんで、どうしておれたちを選んでくれなかった……!!」

「………」

「おれたちがお前を愛してることなんて、知ってただろ! お前だっておれたちを愛してた! だからドフラミンゴから遠ざけたんだって分かってる、おれたちの誰か一人でも死んだら、お前自身が耐えられなかったってことも! でも……でもさぁ! ドフラミンゴは倒したんだから、それまで見ないふりしてた“愛”に、目を向けたってよかっただろ!? なんでそこで麦わらなんだよ!」

 

 はたから聞けば痴情のもつれのような台詞だ。実際はどこまでも親愛や家族愛の域を出ず、色恋など欠片も含まぬ情なのだが。

 若干飛んだ思考を引きずり戻し、何故と問われた事への答えを考える。

 

「……ドフラミンゴが倒れた後。コラさんの本懐を遂げるって目標がなくなって、おれは新しい目的を探してた。そこをセンゴクに呼び出され叱咤されて……つい、手近なものに縋っちまったんだろう。麦わら屋に命の借りができたのも確かだったしな」

「センゴクって元海軍元帥のかよ!? キャプテン下手したらその場でコラさん後追いしてたかもしれねェのか、本気で海軍ロクなことしねェ……そう考えると麦わらに行ったのは猶予期間が延びたって意味では良かった? ……いや、けど……」

「……本当に、お前らはおれのことよく分かってるよ」

 

 これだけの状況説明から、瞬時に後追いという単語を出してくる。いっそ小憎らしいほどの理解の深さだ。

 センゴクの言葉は『正しい』。だが正しさが人を生かす訳ではないのだ。

 仲間たちは、こんな歪な自分を無暗に正そうとはしなかった。一触即発の爆弾に触れる愚を冒さず、経年劣化も考慮しながら虎視眈々と処理の機会を待ち続けた。そこを処理の最終段階で横やりが入ったとなれば、やり切れない気分にもなるか。

 

 数秒間ぶつぶつと何か呟いていたペンギン帽子の男は、やがて大きくため息を落として顔を上げた。

 先ほど見せつけられた激昂は、既に影も無い。内心まだ狂乱の風が吹いているとしても、一切表には出さず隠しきったのだろう。これまでと同じように。

 ――これが最後だから、きっとなおさらに。

 

 持続していた意識が、濁り始めるのを感じる。

 瞬きの頻度を増やしたこちらの様子に、ペンギン帽子の男は一度、ぐっと唇を引き結んで。それから大声で、後方に揃った十八人と一匹へ呼び掛ける。

 

「――お前ら! キャプテンに、敬礼!!」

「うおおぉぉ、キャプテーン!!」「せんちょおー!」「ぎゃぶでーん……!! グスッ」

「いいか、合わせろよ!? 三ッ、二、一ッ――」

 

『死んでも愛してますッ、キャプテン!!!!』

 

 ………ああ。

 ああ、嗚呼、分かってる。

 そして今更だ、改めて言ったところで意味は無い、いや、これからも生きていく彼らのためを思うなら、告げない方がいい……。

 ……分かってる、のに。

 

「………。おれも――愛してるぜ、お前ら!!」

 

 気付けばそう、叫んでしまっていた。

 視界が滲むのが忌々しい、彼らの顔を最後まで見ていたいのに。コラさんのあのぶっさいくな笑顔と同じ、泣き顔を無理矢理に曲げて作った下手くそな、それでも最後に記憶してほしいと願っての――。

 ……駄目だ、眠気が迫ってくる。

 目蓋が落ちるのを止められない。抗いがたい睡魔に襲われ、もう指一本動かす力も無い。

 肉体の感覚が急速に遠のく。仲間たちの顔が、声が、離れてゆく……。

 

 眠りに落ちる間際、何故か唯一はっきりと感じられたのは。

 覚えてろよ、とでも言うがごとく、あの場にいなかった誰かに強く背中を叩かれたような衝撃だった。

 

 

   --------------------

 

 

 大切な記憶を反芻し終え、再び目蓋を開くロー。

 そして、ぎょっとする。

 そこには目をつぶる前までいた幼子と違う、非常によく見知った容姿の少年が佇んでいた。

 ローは呆然として、少年を見つめる。

 

「お前は……」

「よう、()()

 

 軽い調子で挨拶するのは、背格好からして十年ほど前の、ロー本人の姿をした何かだった。

 あの毛足の長いボーラーハットをかぶり、腕組みしてこちらを観察している。

 

「あちこち穴だらけじゃねェか。我ながら、よくここまで復元できたぜ。……ご苦労さん、あとは任せとけ」

「……!」

 

 少年のローが勝気に笑んでこちらに手を伸ばすのを、咄嗟に背後へ下がって避ける。

 すると相手は不可解なものを見るように真顔になり、ややあって溜息をついた。

 

「わけが分からねェってツラだな、思考能力自体も落ちてんのか? 状況を説明するなら、もう(からだ)の再構築は終わって、あとは霊体(おまえ)を修復するだけって段階だ。精神(おれ)で上書きすることになるが、まァ本来の主従はそういう形だからな。受け入れろ」

 

 上書き。それは、今こうして思考している己が消えるという事だろうか。

 目の前の若い自分と全く同様であろう無表情で沈黙していると、向こうはまるで聞き分けの無い子供を相手にするように声をやわらげる。

 

「精神と霊体が合致しないままじゃ、一つの生物として安定しねェんだよ。……と言うかだな、そもそもおれは壊れかけのお前から必要な情報を転写して再構成したもんだ。おれ、イコール、お前。何か別の妙なモノになっちまうわけじゃねェ」

「……ならなんでお前はその歳なんだ」

「そりゃ四歳児の脳に詰め込める情報には限りがあるからな。大人のお前の記憶、知識、丸ごと持っていけるはずもねェ。ましてや器はあの麦わら屋だぞ?」

「なるほど。ここまでで一番説得力のある説明を聞いた気がする」

 

 言われてみればもっともである。己が知るのは既に十分成長した姿だが、あの男の軽そうな頭は食と冒険の事だけで満杯で、仲間たちに何度叱られたって話をころっと忘れてしまうのだ。

 若い自分もしみじみと頷いている。眉も下がり、少し困ったように言葉を続ける。

 

「……これでもかなり無茶してるんだ。おそらく、致命的じゃねェが何らかの身体機能に関する不安は抱え込む事になる。脳のグルコース消費がデカいのは確実だから……まず低血糖への備えは必要だろうな」

「そんなにか」

「オペオペの“覚醒”状態を維持するための医療知識と、それを支える基本的な教養を一切削れねェのが痛い。ガキの頃の思い出なんかも人格の基礎になってるから、圧縮はできるが完全に消しちまうわけにはいかねェ。それに――」

 

 若い自分はそこでふと言葉を切り、何かを得心したように「そうか」と呟いてこちらと目を合わせた。

 そうしておもむろに自身の上衣の裾に手を掛けたと思うと、一気に首元まで引き上げる。

 あらわになった上半身、その発達の余地を残す筋肉の表面に、踊る黒い曲線――ハートの、刺青。

 この歳の、成長期の終わっていない己にはまだ刻んでいなかったはずの。

 今の己を形作る大切な()()()、……コラさん、の、遺志を忘れぬための……。

 

「大丈夫だ。……大事な記憶(ひと)は、全部持っていく。絶対に、取りこぼしたりなんかしない」

「………。そう、だな。……お前が、…おれが、コラさんを捨てるわけがないんだ」

「もう文句は無いな? なら、手ェ出せ」

 

 服を直し、不敵に唇を歪める若い自分に従って、手を伸ばす。

 相手が、伸べられた手をしかと掴む。視界が一瞬にして白く染まっていって。そのまま――

 

 

 

「――……これで、完了。……ああ、結構消えたな……」

 

 ひとりになったローは、自らの内側が完全に一致しているのを確かめた。

 さっきまでぐずぐずと渋っていた大人の己も、それに苛立ちつつ説明していた自分も、同じ()()だという感覚がある。

 

 死の文字が刻まれた、自らの両手を宙にかざす。ここからこぼれ落ちた記憶は、もう二度と戻ってこない。

 たとえば、ドフラミンゴのもとで学んだ戦い方。もとのトラファルガー・ローの体格に合わせた身体感覚は、覚えていると逆に混乱を来たす可能性もあるので、やむなき事ではある。技術や知識は所詮、また学べばいいだけの話だ。

 ……けれど思い出は、自らの内にしか無い。

 成長して人格がほぼ固定された後の体験は、どうしても優先度を低くせざるをえなかった。圧縮と分割を行い脳の様々な部位へ収納する事で、可能な限りは保存を試みたのだ。それでも、失われてしまったものはある。

 ともに笑いともに苦しんだであろう、あのツナギを着た仲間たちとの旅路の足跡は、いたるところが虫食い状になっている。そんな中でもそれぞれとの出会いと、最後の別れだけは、一切の欠けなく詰め込めたのが慰めだった。

 

「……許せよ」

 

 暫し目を閉じ、自らがローであり続けるために手放したものたちへ黙祷する。

 

 本当のところ、一度死んだローには、トラファルガー・ローで居続ける事にこだわる特段の理由は無い。

 死は死だ。ましてやこの上なく満足して死んだ自らが、もう一度人生やり直せと言われて手放しに喜べるものでもない。

 生前常に自らを苛んでいた『失う恐怖』からようやく解放され、隠し持ち続けた“愛”を抱きしめて、心安らかに死ねたのだ。そのまま目覚めさせず、死なせておいてほしかったのが本音である。いっその事『前世』なぞ一切忘れて、まっさらな子供として生まれ変わる方が幾らかましにすら思える。

 それでもローがトラファルガー・ローとしての自意識を遮二無二組み立て直したのは、自らのせいでルフィの死後を迷わせてしまったという負い目があるからだ。

 

 あの男は自分がどうでもいいと判断した内容は瞬きの間に忘れるが、譲れぬと決めた事については何があっても諦めない。

 しかしその意思の強さが、災いとなってしまった。トラファルガー・ローをぶん殴るという望みは、悔いなき生涯を遂げたはずの男にとっておそらく唯一残った心のしこりであり、死してなお(たましい)を彼岸へと渡らせぬ枷なのだ。

 それを思えばローの閉ざしたままの目蓋に力がこもり、眉根に大いに皺が寄る。

 下ろした手の片方をそのまま額へあて、深々とため息をついた。

 

「ハァ……死んでまであのバカの尻拭いをする羽目になるとは。だが元をただせば、おれの身から出た錆とも言える。不本意極まりないが、一発殴らせてやって送り出すか……」

 

 自らの死の理由、『不老手術』を行った当時の心境を顧みれば、粛々と制裁を受け入れて然るべきなのだろう。

 あれが純然たる好意からであれば、きっとルフィもああまで憤りはしなかった。ローの身勝手が引き起こした事態なのだから、ローがけじめをつけるのが道理だ。

 

 ルフィを見送った、その後についてはまだ分からない。

 ただ少なくとも、受け取った命は今度こそ長く大切にしなくてはならない。

 贈り主たる幼子は、自分の分まで生きてくれと言ったのだから。

 ……“自由”に生きろ、ではなく。

 

 正面を向き眼を開くほんの刹那。背後から、呼び止められた気がする。結局最期まで改められる事のなかった、あの珍妙なあだ名で。

 誰も見ていないはずなのに、ローは思わず帽子を目深にかぶり直した。

 

「うるせェよ。てめェはさっさと、次の冒険にでも行っちまえ!」

 

 ふんと鼻を鳴らし、ローは歩き出す。

 行く先には光がある。あれをくぐり抜ければ、新たな生が自らを待っている。

 もう引き返す道などどこにも無い。受け継いだもの全てを飲み込んで、進むしかないのだ。ただ、前へと。

 

 

   ++++++++++++++++++++

 

 

 ウープ・スラップは目の前の子供用ベッドに寝かされた、旧友から預かっている養い子を見つめた。

 今は穏やかに眠っているように見えるが、一時は白目を剥いて泡を吹き、全身がくがくと痙攣を始め、これはもう助からぬと覚悟を決めたものである。

 

 しかしほんの三十分ほど前の事だ。子供の容体が急激に悪化し、スラップが普段はさして信じてもおらぬ神に祈ったあたりで、唐突にその奇妙な現象が起きた。

 子供の周囲が、謎の薄青い膜のようなもので覆われたのだ。子供の身体の内側から展開されたように見えるそれは、子供を中心として球状の空間を囲っていた。

 スラップが何が起きているのかわからず呆然とする間に、子供の頭に巻かれていた包帯が独りでに千切れ飛んだ。間髪置かず、その下の傷口から血が噴き出す。これまたおかしな事に、その傷口というのが包帯を巻く前に見たのと違い、鋭い刃物で一直線に切り裂かれたような有様だったのだ。

 我に返る頃には、傷口から流れ出る血はほぼ止まっていた。というか、切り裂かれたような傷自体が消えていた。だがベッドにできた赤い染みの上に、半ば固まった血塊がぽつぽつと散っている光景が、夢ではなかった事を物語っている。

 やがて、あの青い膜も僅かな揺らぎとともに空気へ溶けて。スラップが包帯を巻きなおした段になっては、子供から聞こえるのは安らかな寝息に変わっていた。

 

「まさか本当に、神に祈りが届いたとでも言うのか……」

 

 ぽつりと落とした独り言。誰に聞かせるでもなかったそれに、ぴくりと子供の目蓋が震える。

 スラップは身を乗り出し、子供の名を呼んだ。

 

「ルフィ? ルフィ……! わしがわかるか? ルフィ!」

 

 呼びかけに反応してか、子供は目を開けてスラップの方へ視線をよこす。

 その眼差しは未だ茫洋としており、完全に意識が回復したかは判断できない。

 

「ルフィ……覚えておるか? お前は倒れたんじゃ。一時はどうなることかと思ったが……どうだ、気分は悪くないか?」

「……口ん中、気持ち悪ィ」

「泡吹いとったからな……待っとれ、今水を持ってきてやる」

 

 返された言葉は、存外にしっかりしていた。この分であれば、じきに子供らしい元気も取り戻すだろう。

 ほっと気を抜いたスラップは、長く座り込んでいた椅子を立って、水を汲みに台所へ向かった。

 

 スラップが子供部屋へ戻った時、ベッドの主は身を起こして両手の指を一本ずつ確かめるように動かしていた。

 水の入ったコップと空の桶を渡せば、礼を言って口をすすぐ。

 さっぱりして満足げに息をついた子供は、そこで珍しく遠慮がちに「…ところで」と切り出した。

 

「あんた……誰だっけ?」

「!? な、何と! ルフィ、わからんのか!? わしだ、お前の育て親のスラップじゃぞ!」

「悪いが、覚えてねェ。自分の名前が『モンキー・D・ルフィ』だって以外は、何もわからねェんだ」

「お、おお……何てことだ。記憶喪失とは…いやしかし、死ぬよりは何だってましには変わらん……」

 

 発覚した残酷な事実に項垂れるものの、先ほどまでの生きるか死ぬかの瀬戸際を見ていればこの結果も致し方ない。

 幸いにして、ルフィは今四歳だ。過去を忘れたとしても、これから幾らでも新しい人生の喜びを積み重ねて行けるだろう。

 スラップは己を奮い立たせ、ルフィの両肩に手を置き目を合わせた。

 

「心配はいらん。たとえお前がわしらを覚えておらんでも、わしらは――このフーシャ村の大人たちは、皆お前の親のようなものだ。安心して、元気に育っておくれ」

「そりゃ、どうも……で、おれには肉親はいないってことでいいのか?」

「む…いや、祖父はおるが……うむ、今のお前と会わせるのは少々、まずいような気がするのう……」

 

 何せあの旧友は、やる事なす事が大胆を通り越して大雑把なのだ。

 たまにふらっと村へ帰ってきては、鍛えると言って、幼い孫に対してどう見ても過酷すぎる訓練を強いている。

 これまでは何だかんだと、孫の方も生来の丈夫さに飽かせて切り抜けてきた。しかし今回ばかりは、養い親としての責任をもって、抗議しなくてはなるまい。

 

「……そうか。だがもう、遅いな」

 

 ルフィはまるで壁の向こうを見通すかのように、子供部屋の扉ではなく家の玄関にあたる方向を眺めている。

 不思議に思っていると、外から重いものが倒れる大きな音がした。それから、廊下を駆けてくる荒い足音も。

 何事かとルフィを庇うようにベッドの前に立ちはだかった次の瞬間には、扉が乱暴に開かれて、大音量の叫びが部屋を満たした。

 

「ルフィィィィィ!!!! じいちゃんが来たぞォォ!!」

「貴様かガープ!! 叫ぶな近所迷惑じゃ!」

「どっちもうるせェ……」

 

 構わずずんずんと歩み寄ってきたガープは、いつになく真剣な表情をしていた。孫が明日をも知れぬ重体であると連絡を受ければ、さすがに余計な事を考える隙も無かったようだ。

 これなら大丈夫かとスラップが場所を譲ると、ガープはルフィの頭から爪先まで検分し、抑えた声音で無事を訊ねる。

 

「何じゃ。スラップの奴が今にもお前が死にそうだと言うから駆け付けてみたが……割と元気そうじゃのう」

「……まァな」

「拗ねとるのか? これでも仕事放り出してとんぼ返り――………。……いや、――ルフィ……?」

「………」

 

 途中で言葉を切ったガープが、目を眇めてルフィを注視する。

 ルフィはただ黙って、その視線を見返している。

 血の繋がった家族の邂逅だというのに、どこか不穏な静寂が夜の子供部屋に落ちた。

 スラップが何か言うべきかと口を開きかけたその時、突然にガープが激発した。

 

「――違う。貴様、ルフィではないな……!!」

「………」

「おれの目を誤魔化せると思ったか! 答えろ、ルフィは…おれの孫はどうした!!」

「! やめんか、ガープ!」

 

 わけのわからない事を言いだしてルフィの肩を揺さぶるガープに、それが病み上がりの孫にする仕打ちかと諌め、背後から組み付く。

 だが現役海軍将校たる男には蚊に刺されたほどにも感じぬようで、緩まぬ拘束に次第にルフィの顔色も悪くなる。

 

「何の能力者か知らんが、貴様が狙ったのはこの“ゲンコツのガープ”の孫だ! ただで済むとは思わんことだな……!!」

「ッいい加減にせんかガープ!! お前は孫を殺す気なのか!?」

 

 ここに至ってはスラップも頭に血が上り、横手にまわると力いっぱいガープの頬をぶん殴る。

 老齢の、さして鍛えてもいない男の拳だ。ダメージという点では何の意味も為さなかったが、そこにこめた感情は僅かなりとも相手を正気に返す事に成功したようだった。

 ぐらぐらと揺らされ続けたルフィの頭は、不意の解放に惑いながらもまっすぐとガープを見据えている。

 ガープは未だ目を血走らせ、息を荒げたままスラップを睨む。

 

「下がっていろスラップ! そいつはルフィではない!」

「馬鹿を言うなっ!! ルフィにはワシがずっとついておった! すり替わるなど不可能だ!」

 

 喧々囂々と、平行線を辿る言い合いを続けているうちに、沈黙を守っていたルフィがぼそりと何かを呟いた。

 話にならないガープを脇に置き、スラップが内容を聞き返す。

 

「どうした、ルフィ!? この分からず屋に何か言いたいことがあるのか?」

「……いねェ」

「何だって?」

「そいつの孫は、もういない。……逝っちまったよ」

「……は、…何を……ルフィ? お前までふざけておるのか?」

 

 ルフィの口から出た言葉に、ぽかんと呆けるしかないスラップ。

 その身体を押しのけて、さらに激昂した様子のガープがルフィの胸ぐらを掴む。

 

「貴様……!! 覚悟はできておろうな!」

 

 ガープに締め上げられながらも、ルフィの姿をした何者かは、不気味なほどの静けさを保っていた。

 

 

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 ――面倒な事になった。

 鬼の形相でこちらに掴みかかった海軍将校を前に、ローはこの場を切り抜ける方策を探す。

 

 この身体の看病をしていたらしき老人は、記憶喪失というていでどうにか誤魔化せそうだった。

 誤算だったのは、未だ周囲の状況も把握できないままに、モンキー・D・ルフィの祖父であるガープと顔を合わせてしまった事。さすがに肉親の目は欺けず、こうして手荒く詰問される羽目になっている。

 こうなっては下手に嘘をついたところで相手を逆撫でするだけだ。やむをえず、ローは事実を語る事にした。

 

「――急性硬膜外血腫って分かるか。脳の外側に血が溜まって、すぐに手術しなきゃ死ぬ病だ。お前の孫はそれにかかってた」

「何……?」

 

 孫の容体について口にすれば、若干勢いを削がれたガープが訝しげに聞き返す。

 ローはなるべく淡々とした説明を心掛ける。患者の家族に死病の宣告をする医者の態度としてはどうかと思うが、「お気の毒です」なんて常套句を言える雰囲気でもなかった。

 

「おれが危害を加えたわけじゃない。お前の孫は、自分がもう助からないと悟って死を受け入れたんだ。おれはその抜け殻をもらって、自分のものになった体を自分で手術した」

「……自分で自分を手術? そんな事が……」

 

 信じられないとばかりに口を挟んできた老人に視線を向ける。

 看病のために傍についていたなら、恐らく“ROOM”が広がる光景も目にしていたはずだ。

 

「お前、ずっと看病してたんならこの体を青い膜が覆ったのを見なかったか」

「! では、あれはお前が……? 本当に、お前がルフィの病気を治したのか?」

 

 ローはそこで、一度躊躇った。この札を開示するには、かなりのリスクを伴う。

 だが、じっとこちらを睨んでいるガープを思えば、やはり隠し通すのには無理があるだろう。

 吐息を落とし、若干の諦観とともに重ねて答える。

 

「……ああ。おれの能力――オペオペの実の力を使って治した」

「悪魔の実か! 確かにアレらはどんな奇跡を起こしても不思議ではないが、しかし……」

「記憶喪失を装ったのは悪かったよ。悪魔の実の能力についてよく知らない人間には、いきなり別人だと言うよりも納得しやすいだろうと思ってのことだ。現に、お前はまだ信じきれてないようだしな」

「むう……ガープ」

「………」

 

 老人はガープの名を呼んで判断を委ねた。

 ガープは険しい表情のままローを見つめていたが、やがて巌のごとき声を響かせて告げる。

 

「――ウソはついていないようだな」

「!! ならば……本当に? おおルフィ…本当に、本当に死んでしまったのか……あんなに元気だったのに……!」

 

 ガープとロー、双方の間で忙しく視線を行き交わせながら、老人の身体はわなわなと震える。自分が看病をしていたという事で、養い子の死に自責の念を覚えているのかもしれない。

 ローは少しばかり老人が哀れになり、医師として遺族への慰めの言葉を掛けた。

 

「言っただろう、すぐに――意識障害が発生してからじゃ、ほんの二、三時間で生命維持に支障が出るほど重篤化する場合もある病だ。外科手術をこなせる医者が近くにいなきゃ、どうしようもない。お前は何も、悪くねェよ」

「医者が…医者がこの村にまだおってくれたら……! ルフィ、すまん! 許しておくれ……」

 

 老人はさらに嘆く。そういえば、この“座標”はフーシャ村、村長宅であるはずだ。この老人が村長であると言うのなら、村に医者がいない現状に責任を感じるのも当然かもしれない。

 感傷に呑まれて、よく考えもせずにものを言ってしまった。ローは気まずげに、老人から目をそらす。

 そらした先に――今にも爆発しそうな、ガープの激憤の表情があった。

 

「ルフィ……じいちゃんより先に死ぬとは何事じゃ……!! わしは、わしはお前をそんな軟弱に育てた覚えは無いぞォォォ!!」

 

 その高ぶりきった感情の矛先が、拳に乗って子供部屋の壁へとぶつけられた。

 軋む暇すらなく、一瞬で破壊、粉砕される壁材。またしても近所迷惑な騒音だが、誰も駆けつけてこないところを見るとこの村ではこれが普通なのだろうか。嫌すぎる。

 

 まだまだ収まらぬ憤りのままこちらを睥睨するガープに、ローは不測の事態に対応できるよう緊張を高める。医者をしていると、こういう事は稀にあるのだ。

 どんなに手を尽くしても助からぬ患者というものはいて、それは技術を磨こうがオペオペの能力を使おうがどうしようもない。けれど遺された者がそれに納得するかは別の話だ。何で助けてくれなかったんだ、と涙ながらに糾弾されたのは一度ではない。

 気持ちが分からないとは言わない。やるせない思いを、どこかに、誰かにぶつけたいという衝動も理解できる。一般人が取り縋ってきた程度なら、ローとて好きにさせてやる程度の思慮はある。

 

 ……が、こと今回に限っては、相手が相手なのである。

 ぶっちゃけよう。覇気を垂れ流す目の前の海兵に感情のままに暴れられたら、ローの二度目の人生はここで終了してしまう。

 

「何故だァ!! 治すことができるのなら、何でルフィをそのまま返さなかった!!」

「オペオペの実と言えど、万能じゃねェ。治すためには、おれ自身がこの体の持ち主になる必要があった。その時にはもうお前の孫は逝っちまった後だ」

「それは本当だろうな!? 貴様がルフィの体を乗っ取るために、ルフィを騙してわざと殺したんじゃないのか!?」

 

 ――ルフィの体を乗っ取るためにわざと殺した。

 その突き抜けた暴言は、もともと削られ気味だったローの冷静さを吹っ飛ばした。

 それはローの医師としての矜持を、真っ向から踏みにじる言葉。

 さらには『トラファルガー・D・ワーテル・ロー』としての生き様を、死に様を否定される事と同義でもある。

 

「てめェ……このおれにそれを言うのか。おれが自分の欲のために“モンキー・D・ルフィ”を殺してすり替わり、のうのうと生き返ったと言いたいのか……!!」

「そうだ!!」

「ふざけんな!! あいつの代わりに死ぬために、おれはあいつについてったんだ!! あいつを殺すくらいなら、おれが死ぬ!! それがあいつに救われた、おれのケジメだ!!」

 

 ガープの方へと身を乗り出し、逆にその服へ掴みかかりながらローは吼えた。

 一方のガープは、ローの憤慨など気にした様子もない。しかし言われた内容については、しっかり聞いていたようだ。

 

「あいつに救われた、だと? それに生き返った、か。妙な話だ、貴様幽霊だとでも言うのか?」

「! ……チッ、喋りすぎたか」

「貴様の指すあいつというのは、本当におれの孫のルフィのことか? どうも別人と取り違えているようだな……」

「………」

 

 これ以上余計な事を言うまいと口を噤むローをしばらく観察していたガープだが、やがてその掴み続けていた襟首を放した。

 ローは解放される理由がわからず、警戒もあらわにガープを見上げる。ガープの纏う雰囲気からは、先ほどまでの激しい敵意は消えている。

 

「まあ、いい。これでお前がどんな人間かは、だいたい分かった」

「……はァ? まさか、さっきまでのがおれから情報を引き出すための演技だったとでも言うつもりかよ」

「九割本気だ」

「残りの一割で事態を冷静に見てるってか……食えねェ爺だ」

「爺ではない! じいちゃんと呼べ!」

「おれはてめェの孫じゃねェよ!」

 

 敵意を収めたと思ったらこれとは、本当に爺孫そろって切り替えの早すぎる一家だ。

 何故か胸を張って宣言したガープに、思わず孫の方に対するのと同じに返してしまい、ローははっと気を引き締める。

 こいつらのペースに乗せられてはいけない。

 ローの方もガープの服を放し、心なしか距離を取るようにベッドの上を移動した。

 ガープはもう何事も無かったかのように、普通に話し掛けてくる。

 

「しかし、ルフィがそんな難病にかかっとったとは。わしに似て、超! 健康優良児だったはずなんじゃがな」

「……原因はこの包帯の下にあった外傷だ。傷を負った直後はすぐ回復したように見えたかもしれねェ。意識清明期ってやつだ。だが脳の硬膜と頭蓋骨の間の血管が損傷してて、元気に見えても血腫が広がり続けてた」

 

 包帯の巻かれた側頭部に手を置いて答える。

 ガープは難しい顔をしている。この説明で分からなかったのだろうか?

 孫の方の理解力を思い出しつつ、もっと簡単な言葉を選んでいると、蚊帳の外に置かれていた老人が気遣わしげにガープを呼ぶ。

 

「ガープ……」

「その怪我の、せいなのか……」

「分かってるんじゃねェか。……ああ、言っとくがこれが誰かの関わった結果だとして、そいつに孫を殺したとか難癖付けんのはやめとけよ。中身が変わってたとしても、外から見りゃ『モンキー・D・ルフィ』は死んでねェんだ」

「……わしだ」

「何だって?」

「ルフィがその怪我を負ったのは、わしのせいじゃ……。わしが船の上からルフィを海に投げ込む時、高波の揺れで手元が狂った……目測を外れてルフィの落ちた真下に、ちょうど岩があったのだ」

 

 ローは一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと考えた。そうでなければ、ガープの方が孫を失った悲しみで狂ったのか。

 だって普通思わないだろう。どこの世界に、四歳児の孫を船から海へ突き落とす祖父がいる?

 たっぷりの沈黙を置き、嘘だと言ってほしいと願いながら、ローは聞き返す。

 

「………今、意味不明な幻聴を聞いた気がするんだが」

「そうか……ルフィ! ルフィ、じいちゃんがあの時手を滑らせなかったら……おおルフィ、じいちゃんが悪かったァァァ!!」

「いやそこじゃねェだろ!? まず何で孫を船から海に投げ込むんだよ虐待か!? 虐待なのか!!」

「虐待とは何じゃ!! 強くなりたい孫を鍛えてやろうという、わしの愛だぞ!」

「やり方がおかしい!!!!」

 

 ひとしきり叫んでから、ローはまた我に返った。……ダメだ、こいつらモンキー家に常識は通じない。

 ちなみにこの件に関してだけは孫の方にも、一括りにされたくないという言い分があるのだが、ローにはそんな事はわからない。

 

「クッソ……で、どうするんだよ」

「あん? 何をだ」

「……てめェの孫の体に入ってるおれを、どうするつもりだって――」

「じいちゃんをてめェとは何じゃ!!」

「ッ!!」

 

 理不尽な言いがかりとともに眼前に迫る拳を、避けようと――いや、間に合わない。何となく側頭部に置いたままだった手を、かろうじて前に動かして防御する。

 びりびりと、痺れが残るほどの衝撃が腕を襲った。

 

「――いってェ…術後の患部殴ろうとするとか馬鹿か!?」

「ほう! 反応は鈍っとらんのう」

「てめェ本気でいい加減にしろよ!? おれがただの医者だったら今の普通にくらってたからな! それとも殺すつもりでやってるのか!? だったら先に言え、拳じゃなく口で言え!!」

「何でわしが孫を殺さなきゃならん。これからも鍛え甲斐がありそうでじいちゃん嬉しいわい」

「だ、か、らッ……誰が! 孫で!! じいちゃんだ!! おれはルフィじゃねェっつってるだろ!!」

「関係ないわ!! ルフィの体でいる以上、お前もこれからわしの孫じゃ! じいちゃんに口答えは許さんぞ!」

「はああァァ!!?」

 

 あまりの話の通じなさに、宇宙人と会話している気になってくる。孫の方よりなお酷い、酷すぎる。

 何なら孫の方に同情すら湧いてくる。こんなんに育てられればあの破天荒な性格も、そりゃ仕方ないというものである。

 思わず助けを求めるように、この場で最も常識人であろう――ローは一応自分が常識人と言うには微妙な事を理解している――老人に水を向けた。

 

「なあこいつ何言ってんだ!?」

「ガープじゃから……」

「その遠い目やめろ」

「い、いつもはこんなんじゃないぞ? 今はちょっとあれだが、いつもはもっと、もっと……いつもは…その……」

「いい。無理しなくていい……どうしようもねェこと聞いたおれが悪かった……」

 

 どうにかフォローできる部分を探して結局何も思い浮かばないらしい老人に、ローはこいつも被害者なのだと悟った。

 重い疲労感を覚え、深々とため息をつく。まさか新たな生を得て早々にこんな事態になるとは思っていなかった。

 唯一の収穫と言えば、ガープは今のところローを害する気を無くしたらしいという点くらいか。ただしこれはガープ流の判断基準であって、一般的には充分に危害を与えられている部類なのだが……。

 

「とりあえず、今夜はもうこれで終わっていいか。一応この体は病み上がりなんだ……」

「む! そうじゃな、寝る子は育つと言うし、グッスリ休め!」

「明け方まで後三時間ほどか……わしも休ませてもらうかの。ああ、ベッドシーツは取り換えんといかんか」

「それも明日でいい、とにかく寝かせてくれ……」

「ぶわっはっはっ! お前はわしに付き合え、スラップ!」

 

 哀れな生贄がガープに捕まった気配を察したが、本気で疲れていたローは心中で十字を切りつつ、爺どもに背を向けてベッドに横たわる。睡眠を諦めた老人は、コップと桶を回収してガープとともに出て行った。

 喧噪の元が去り、静寂を取り戻した室内はがらんとして肌寒さを感じさせる。

 ……いや、気のせいではなく、普通に寒い。隙間風どころでない寒風が吹いている。

 ローがごろりと体勢を変えれば、すぐにその原因が目に入った。ガープが八つ当たりに開けた壁の大穴である。

 

「あの爺、迷惑さ加減じゃ麦わら屋以上じゃねェか……」

 

 穴の向こうに広がる夜の野原を眺めつつ、うんざりと呟いた。

 室内を見回せど、補修用の壁材など子供部屋に常備されているはずもない。かと言ってこんな大穴開いた部屋で寝るなど気分的にも嫌である。

 

「まァ、ついでだし試すか……“ROOM”」

 

 身を起こしていつものキーワードを唱えれば、右手から広がる青い領域。

 オペオペの能力が宿っているのは変わらずローの霊魂だが、現世の肉体を通して能力を発動するのだから、削られるのは基本的にこの身体の体力だ。ガープのようにいきなり想定外の強敵に出くわすという状況も否定できない以上、早急に負担の程度を知っておく必要がある。

 

「意外と軽いな……ガキの頃でも麦わら屋の体力は底なしだったのか?」

 

 広げた空間は部屋の外までは届かない範囲とは言え、思ったよりも負担が少ない。

 続けて扉の傍にあった本棚を、浮かせて穴の前に移動させてみる。これもほぼ気にならない程度だ。

 ――何だこのハイスペック。ローの認識の中で、もともと最強に近かったルフィの実力評価がさらに膨れ上がった。

 

 無事に穴が塞がれたので能力を解き、ローは寝転がると布団をかぶった。能力を使う前から疲れていたのは確かなので、すぐに眠気が襲ってくる。

 ひとまず、当面の危機は凌いだ。完全に味方と判断するのは早計だが、ガープの強さは本物なので、もし別件で何かあっても対処してくれるだろう。

 今はただ、身体を休める時だ。訪れた睡魔に逆らわず、ローは静かに目を閉じた。

 

 

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「――トラ男!! 起きろーーーっ!!」

「……!!? 麦わら屋ッ……?」

 

 反射的に、がばりと身を起こす。地につけた手のひらには短い草の、芝生の感触がある。

 まさかと周囲に目を走らせれば、自分が転がっていたのは予想通り、あの同盟相手の愉快な船の甲板だ。

 そして先ほど自分の口から出た声も、聞きなれたトラファルガー・ローのものだったのだ。立ち上がって爪先から肩まで確認しても、やはりその身体はローの、それも大人ではなく十六歳前後の頃のもの。幼きモンキー・D・ルフィの身体ではない。

 

「どういうことだ…おれはさっきまで確かに――いや、これは夢か?」

「夢だぞ!」

「ッ、麦わら屋!」

 

 独り言のつもりで落とした疑問に、返る声。

 振り向くと、穏やかな青い海を背景に、両手を腰に置いて立つ無邪気な男の笑みがあった。

 男はさくさくと芝生を踏みながら近づいてきた。ローの目の前で立ち止まったかと思えば、物珍しげにしげしげとこちらを見て――微妙にだが、見下ろしてくる。

 

「しっしっしっ、おれより小っせェトラ男とかおもしれー!」

「あァ!? こんなの誤差だろ! だいたいおれはここから伸びたんだよ、一年もすりゃてめェなんぞ余裕で追い抜く!」

「そうかァ? まあそれは別にいいや、で……トラ男、思い出したよな?」

「……あ?」

 

 何を、と言いかけて、ローはそれがあの黄昏と暁の空間で繰り広げられた問答である事に思い当たった。

 ルフィは何度も、思い出せ、思い出したらぶん殴る、と言っていた。

 そして今、ローは完全に覚えている。自分の死に際も、その後しばらくルフィの中で眠っていて、一度だけ呼び覚まされた時にハートのクルーたちと交わした最後の言葉も。

 

 自覚して、今一度目の前のルフィの顔を見る。

 ルフィはいつの間にか笑みを消し、全ての感情を削ぎ落としたかのような無表情でローを見つめていた。

 ぞっと、怖気が走る。ローはこんなルフィの顔を見た事は無い。怒るなら怒る、笑うなら笑うで、いつも分かりやすく感情表現の激しい男だったのだ。それが、今は。

 

「思い出したんだろ?」

「……あ、ああ…それは、」

「三度目だ」

「……何?」

「『あいつを殺すくらいなら、おれが死ぬ』。お前、また言ったな」

「! 何で知って――いや、違う! それは売り言葉買い言葉というやつで、本当にやるつもりじゃ――」

「うるせェ黙れ!! おれはもう、我慢しねェぞ!!!!」

 

 何の前触れもなく噴火した火山のごとく、ルフィの全身から爆発的に覇気が迸った。

 先ほどまでの無表情は、限界までため込んだ憤りを自身の内へとどめておくためだったのだろう。万が一、ローがまだ思い出せていないという場合を想定して。

 だがロー本人に確認し、怒りを抑える理由は無くなった。

 その上、何故かローが現世でガープと交わした問答についても知っており、その内容にさらに逆上している。

 

「トラ男ォォ!! 歯ァ食いしばれェ!!」

 

 助走のために大きく距離を取って後ろへ跳んだルフィが、片足を引き、体勢を低くして構える。身体の後ろ側へ引き付けて力を溜めた拳は、襟ぐりから覗く肩のあたりまで武装色の黒に覆われて鈍く光っている。

 血管を浮かせた憤怒の表情は、こちらが何を言っても無駄だという事を端的に表していた。こうなればもう、ルフィの気が済むまで止まらない。

 

 ……しかしそもそもにして、ローがこの二度目の生を受け入れたのはルフィのためである。

 ルフィに一発ぶん殴られてやる事でその最後の心残りを解消させ、(たましい)を来世へ向かわせるため。

 だからこれは遅かれ早かれ必要な、いや、早ければ早いほどいい話で、ただこんなに早いとは思わなかったのでこちらとしても少々覚悟が必要と言うか何と言うか――

 

「……ああクソッ!! 仕方ねェ、来やがれ!」

 

 やぶれかぶれにそう叫び返し、少しでもダメージが軽くなるようこちらも覇気を纏う。ルフィがどこを狙ってくるか分からないが、ローは見聞色でそれを探るよりも、攻撃された瞬間にその部位へ武装色を一点集中して防御する心積もりだった。

 ……が、結局それは意味の無い算段でしかなかった。

 何せ、駄目押しのようにルフィから発せられた強烈すぎる覇王色によって、意識ごと覇気も散らされてしまったからだ。

 

 飛びかけた意識。そして気付けば身体も宙を飛んでいた。いつ攻撃されたかも既によくわからない。痛みと言うよりもただ、衝撃ばかりがわんわんと頭に響いている。

 視界を舞っているのは折れた自分の歯だろうか。だとすると殴られたのは頬かもしれない。

 夢の中で折れた歯は再生するのか否か――益体も無い事をぼうっと考えつつ、船から遥か沖合までブッ飛ばされたローは、そのまま派手な水しぶきを立てて海中へ没したのだった。

 

 

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「――…!!!! ……あの野郎、殺す気か!!」

 

 夢の中でと同様に、がばりと起き上がった身体は、今度こそ正しく幼子のものであった。

 しばらくは夢の余韻か息も荒かったが、やがて落ち着いて時計を見れば、寝入ってから一時間も経っていない。

 大きな声を上げた割に、誰も様子を見に来ないのは少し妙だった。ローは水を飲む名目で、家人の気を辿って屋内を探る事にした。

 

 この幼きモンキー・D・ルフィの身体は、四歳児としては異常なほど鋭敏な感覚を備えていた。覇気を使っているわけでもないのに、生き物の発する息遣いや足音といった、僅かな気配を容易に捉える事ができる。屋外にいたガープの存在すら「なんとなく」感じ取れたあたり、既に第六感の域、それこそ見聞色の僅か手前まで辿り着いていると言っていい。

 正直、過敏すぎて今のローでは気疲れしてしまう。覇気ではないので、オンオフの切り替えがうまくできないのだ。

 幼きルフィ本人にとっては信頼できる相手しかいなかっただろう村の中は、ローにとってはまだ味方と言い切れぬ人間に囲まれている状況である。早く慣れなければ、不眠や鬱といった症状に発展しそうだ。

 

 子供部屋を出て、すぐ隣の部屋は無人。その向かいとさらに隣の部屋は誰か寝ているようだが、ガープでも、スラップと名乗った老人でもない。

 廊下を曲がり、玄関を通り過ぎてさらに角を折れた先に、灯りの漏れる部屋があった。扉でなくアーチ形の入り口二ヶ所で常に解放されている大部屋で、食堂ではないかと推察される。

 足を忍ばせて入り口から覗き込むと、中には見知った背中が二つ並んでいる。長テーブルの上には、空の酒瓶。

 一般人である老人はともかく、ガープの方も酔っているからか、潜んでいるローに気付いた感じはない。

 ローはそこで、つい老人たちの会話を盗み聞きする事を選んでしまった。

 

「ガープ……なあ、気を落とすなとは言わん。しかし、あの子には……」

「……分かっているんだ、スラップ。あれは悪い人間じゃない。真っすぐな気持ちのいい奴だ、ルフィのことではないにしろ、誰かのために本気で自分の命を投げ出せるんだからな」

「なら」

「だから、だ。おれに噛みついてきたその顔が、ルフィと同じで……ルフィが、…ルフィはまだ、ここにいるんだと思ってしまった。別人というのは単なる頭の病で、これはルフィなんだと。そう、思いたかった。……思い込んだ」

「………」

「だがそんなものは、おれの弱さでしかなかった…! ルフィを殺したのは、おれだったんだ!! その現実を認めたくないばかりに、おれはあれをルフィとして扱った!」

 

 ガラスの砕ける音がする。出所はガープの持っていたグラスだろう。おそらく力を込めすぎて握りつぶしたのだ。

 ちゃんと処置をしなければ、傷の中に破片が残りかねない。そう思いはしても、ローはその場に出て行く事ができなかった。

 

「ガープ、手当しなければ……」

「……なあスラップ。老いとは嫌なものだな。自分の過ちを、認められなくなる……。おれも、老いたよ……」

「……あの子はきっとわかってくれるさ。お前が心を開いて、話し合えばな」

「ああ……あいつが目を覚ましたら、また話をする。今度は、腹を割ってな……」

 

 そこまで聞いたローは、気取られぬようにゆっくりと、その場を立ち去った。猜疑心に駆られた自らを恥じながら。

 あの背を丸めて涙声で懺悔する老爺が、海賊の間では悪名高き“海軍の英雄”モンキー・D・ガープ。

 先ほどまではただ滅茶苦茶な奴としか思えなかったが、結局あの男も、当たり前に弱さを抱える一人の人間であるのだ。

 能天気に馬鹿をやらかすだけの輩なら、こちらも適度に相手をしたり無視したりすればよかった。

 だが、孫を失いこれほど弱っている老爺を、突き放していいのだろうか? あれは、「麦わら屋の身内」なのに。

 悶々とした気分のまま、ローは部屋に戻って再び眠りに就いたのだった。

 

 

   --------------------

 

 

「――トラ男! おはようだ!」

「………何でてめェがまだいやがる」

 

 ローはまたしても芝生の上に仰向けに転がっていた。

 頭の上から覗き込んでくる能天気なさかさまの笑顔を遮ろうと、腕で目を覆う。しかしルフィは一向に気にする事なく、なあなあとしつこく絡んでくる。

 

「……っうるせェ!! お前、おれを一発殴って満足したんだろ! 早く逝けよ!!」

「まだ逝かねェぞ? 殴っただけでお礼言ってねェしよ」

「ならさっさと言え! そして逝け!!」

「トラ男はせっかちだなァ」

 

 この野郎、と苛立ちのままにローが振り上げた手を、捕らえられてそのまま引き起こされる。

 互いに芝生に座り込んで対面する形となり、ルフィの力が緩んだところで掴まれていた手を振り払った。

 ルフィは変わらずニコニコしている。その顔を見ていると、ローも苛立ちを持続できないのだった。

 

「チッ……わかった、ちゃんと聞いてやる。お前とも今生の別れだ」

「じゃあ言うぞ! まずおれの分な。勝手に『不老手術』やられたのはすげーイヤだった!! けどトラ男の仲間以外はみんな、たしかにあの時はそれが『一番マシ』な方法だったって……」

「そりゃそうだ、おれだってほかに手がありゃ好き好んで自殺みてェな真似するかよ。だが味方は分断済み、退路無し、これ以上の援軍も無しで、旗頭のお前が致命傷ってもう詰んでただろ。何か逆転の一発をかまさなきゃジリ貧、だったら切れるうちにカードを切っとくのが当然だ」

 

 ローは当時の情勢を思い出す。

 ルフィが首を振らないので、カイドウを破った後もなし崩しに続いたハートと麦わらの海賊同盟。個として強大な敵を相手取る場合にロー以外のハートのクルーたちはほぼ戦力外だったが、麦わら傘下の大船団まで巻き込む――あちらから勝手に巻き込まれに来るとも言う――ような多対多の戦いにおいては、前線で動ける医療従事者として重宝されていた。

 

 ついに辿り着いた伝説の地『ラフテル』を舞台とした、海賊王の座を巡る黒ひげとの最終決戦は、まさにそんな総力戦だった。

 海はルフィを王に望む者たちと、黒ひげの下で暴虐のままに振舞う事を望む者たちとで、血で血を洗う様相を呈した。ローを除くハートの海賊団は、その中で一人でも多くの味方を救うため奔走していた。

 一方のラフテル上陸組には、ルフィたち麦わらの一味に加えロー本人が参加していた。

 しかし先んじてラフテルへ着いていた黒ひげは、ルフィを完膚なきまでに打ちのめすべく、周到かつ悪意にまみれた仕掛けを用意していたのである。どこから知識を得たのか、黒ひげはラフテルの各所に存在する防御機構を把握し、自身が有利になるような状況で起動させていた。その結果麦わらの一味は二、三人ずつに分断され、各個に黒ひげ海賊団の幹部たちと対峙する事を余儀なくされた。

 島の中枢へ至り、敵の頭目たる黒ひげと相対したのは、ルフィとローの二人だけ……。一味の仲間ではなく、あくまで同盟相手でしかないローがルフィの同伴者になるよう仕組むあたり、黒ひげの思惑が透けて見えて不快であった。

 

 黒ひげはルフィに、一対一での対決を切り出した。あからさまな罠の気配に、ローは答えようとするルフィを遮って、二人がかりで戦うべきだと忠告したのだ。

 だがここで黒ひげが持ち出してきたのが、映像電伝虫だ。それは世界各国、主要都市に中継を繋ぎ、今まさにこの光景が大衆の視線にさらされているのだと言う。

 一対一、『正々堂々』の勝負を提案した黒ひげに対し、数に物を言わせる『卑怯』なやり方で返すルフィを、大衆がどう見るか? そんな男を新たな海賊王として称えるか? ――黒ひげは暗に、そう告げたのだ。海賊でありながら、一般の民衆からも期待され、王に推されるルフィ。その人望を、剥ぎ取ってやろうと。

 支持基盤の破壊。それはここまで麦わらの一味を影ながら助けてきた力が損なわれる事を意味する。傘下からも、不満を抱き不穏分子となる者が現れかねない。海賊王の座に就いても、常に背後を警戒しなくてはならなくなる。

 自分の提案を受ければ良し、受けなければ後々までの禍根をプレゼント。とても嫌らしい、見事な作戦だ。

 歯噛みして対応策を考えるローを尻目に、ルフィは「どうでもいいよ」と言い切った。自分は別に人に良く思われたくて動いているわけではないし、自分を見限るもついてくるもそいつの自由だと。

 その上で、宣言した。黒ひげとは自分一人でやりたい、初めからそのつもりだったのだ、と。

 

 現在の罠と未来の毒、迷ったローはルフィの意向を黙認した。もはやこの男の強さを信じるしか術はなかった。

 その帰結として――ルフィは、意識すら朦朧とするほどの致命傷を負った。

 黒ひげではなく、奴がここに至るまで存在自体を伏せていた“切り札”、十二人目の仲間の攻撃によって。

 ローの助けの手は、間に合わなかった。“シャンブルズ”でルフィの位置を入れ替えるには、あらかじめ“ROOM”を展開しておく必要がある。ローが能力を発動する前に、ルフィは降り注ぐ破壊の嵐に呑まれたのだ。

 ローの叫び声と、黒ひげの嘲笑が、正反対の色をなして高らかに響き渡った。

 ――そこまでは、黒ひげの思い通り。

 そして、

 

「なんだっけ……結果的に、トラ男がおれたちの、“切り札(ジョーカー)”だった? ってサボが言ってた」

「あの瞬間の黒ひげの顔は見ものだったぜ。奴にとっておれは、絶対に切られるはずのない札だったわけだ。何せ『残忍』な『狂気の男』である“死の外科医”が誰かのために望んで命を捧げるなんて、想像もしてなかっただろうからな。本来は七武海に加入するためにばら撒いた悪名だったが、最後に実にいい仕事をしてくれた」

 

 ローがくつくつと低く笑い声をもらせば、ルフィは口を突き出して酸っぱいものを食べたような顔をした。殴って鬱憤は晴らしたが、納得はまだしていないという事か。

 しかし、ルフィはやおら両手で自分の頬を強く叩いたかと思うと、真顔でローと目を合わせ告げる。

 

「たぶん、この先もずっと納得はできねェ。けど、お前からもらった命でおれはずっと長く生きて、仲間と一緒に冒険して、生きてやりたいこと全部やり切れた。だから――」

 

 そこで一度言葉を切ったルフィは、緩く唇を歪めて笑みを象った。僅かに細められた目蓋から、慈愛のような、許しのような、不思議で穏やかな光が覗く。これも、ローが見たことのない、ルフィの表情だった。

 

「――だから、トラ男。おれに命をくれて、ありがとう。本当に、感謝してる」

「……ああ。お前、なんか…大人になったな」

「そりゃー五十五歳まで生きたからな! ほとんどおれん中で寝てたトラ男より、ずっと大人だぞ!」

 

 にしし、といつもの笑い方に戻ってルフィは胸を張る。

 夢の中ではいつまでも少年の姿の――いや、効果をやわらげたとは言え不老手術をした以上、五十代程度なら現実でもこの姿のままだったであろうルフィ。

 けれどその心は、確かな年月を重ね円熟したものとなっている。

 翻って、二十六歳で時を止めたローの心。それをさらに、四歳児の脳に収めるために再構成した今のロー。

 年季が違うとはこの事で、先ほどから手玉に取られてばかりなのも、むべなるかな、である。

 

「んで、次はナミからの分な! んーと確か、」

「っ待て、礼ってお前だけじゃねェのか?」

「いっぱいいたぞ! でもおれが覚えられる分しか覚えてねーから、おれの仲間と、サボと、……あっマルコとかもだな!」

 

 ――ルフィと一緒にいられる時間をくれてありがとう。

 ルフィが嬉々として伝えてくる彼の仲間たちからの言葉は、それぞれに個性が出ていたが、この内容だけは皆共通していた。

 ローが不老手術をしたあの戦いの前、チョッパーの見立てでは既に、ルフィの寿命は後五年残っていなかったそうだ。

 

「寿命が延びたのはよかったんだけどよ、なんかおれ完全な『不老不死』になったとかで、何やっても死ねないのは困ったなー。最期はゾロとブルックに頼むことになっちまった。“大剣豪”と“ソウルキング”が二十年の…ケンサン? の末に辿り着いた、人生最高の一閃ってやつだ!」

「……待て、軽く流せないような単語が今聞こえた気がするんだが。不老『不死』って言ったか? 単なる不老じゃなくて?」

「んん? トラ男、おれん中に入ってた時のことは忘れちまったのか?」

「ホロホロの能力者の女に一回だけ呼び出されて、お前の口を借りてクルーと喋ったのは覚えてる。ほかは全部消した、小せェお前の脳に入りきらなかったからな」

 

 ローは自らの知識を改めて掘り起こす。オペオペの“覚醒”状態が維持されている以上、再構成により欠けた部分は無いはずだが。

 

 まず前提として不老手術の効果とは、現状以上に劣化――老化のほかに病の発生と進行も含む――せぬよう、被術者の肉体を維持するだけだ。怪我に対する自然治癒力も多少は向上するものの、若返らせたり、殺されても死なないような身体に作り変えるものではない。

 本来ならばあの状況で、ルフィの負った致命傷を即座に『回復させる』効果だって無いのだ。

 それを可能にしたのは、能力を“覚醒”した時にローの頭に流し込まれた、生命の仕組みに関する知識。加えて能力者たるロー自身が備えた、一発勝負の土壇場で術式を独自に改変するだけの度胸とセンスだ。

 

「……つまりおれが改変した術式があだとなって、お前を回復させるだけにとどまらず、不死の体にしちまったってことか」

「なんかそのへんの説明、すげー面倒なんだよ。『あんたのことでしょ!』ってナミに殴られっから一応覚えたけど。おれとトラ男の、霊的相性ってのがめちゃくちゃピッタリらしいんだ。おれの体に入ったトラ男の霊魂と、もともとあるおれの霊魂が『共振』して、(ソウル)を作りまくってどばーっと溢れてるんだってホロホロのが言ってた」

「事故じゃねェか!」

 

 人と人との霊的相性などというものを外部から観測できるのは、それこそ霊体を操れるホロホロの能力者くらいだろう。

 霊魂同士の共振という現象は、たしかにオペオペの能力によりもたらされた知識の中にあった。が、それが発現するのは極めて稀なはずであり、不老手術の際に影響してくるなんて前例は当然ながら存在しなかった。あらかじめそんなレアケースを想定した術式を組むなんて、さすがにローでもケアしきれない。

 

「だがまァ、だいたい話は見えてきた。共振で大量生産された(ソウル)が、おれの改変した不老手術の作用を限りなく増幅し、常にお前の体を回復させ続ける。だから死ねねェ。それで共振を止めるために、ゾロ屋と骨屋で協力して、おれとお前の霊魂の接合点を断ち斬ったってワケだな」

「たぶんそんな感じだ!」

「お前が死なずに、おれの霊魂だけを取り出すことはできなかったのか? 五十五なんて半端なトシじゃなく、もっと生きたってよかったじゃねェか」

「みんなが世界中まわって方法を探してくれたけど、ダメだった。おれとお前あわせた分の“(ソウル)の格”が高すぎて、ほかの奴が外からいじんのは無理なんだってよ」

「……その問題があったか」

 

 “(ソウル)の格”は、外部からの霊的干渉に対する防御力のような役割を果たす。

 その人物が持つ“縁”の量であり、多ければ多いほど格が高いという事になる。そこに良縁悪縁は問わず、さらには生者死者の別も無い。一方的に寄せられる畏怖や思慕といったものもカウントされるため、“四皇”などのネームバリューはそれ自体が“(ソウル)の格”を強化する。

 さて、では“海賊王”モンキー・D・ルフィに向けられる人々の想いの総量とはいかほどか? そこへ加えて、その海賊王の命を救うために己を犠牲にした姿を、全世界に映像電伝虫で中継されたトラファルガー・ローが得た称賛は?

 ……これらが併さっただけの“(ソウル)の格”を上回るのは、何人にも不可能と言っていいだろう。

 

 そう考えると、この上なく堅固な“(ソウル)の格”の壁を突き破ってルフィに死を与える事ができた一閃というのも、使用者に対してかなりのリスクを伴うものであったのではないかと思えてくる。

 ゾロとブルック……二人とも、おそらく寿命の幾らかは削ったのではないか? 特に、既に常人よりも長く現世に留まっていた、ブルックの方はもしかすると……。

 良かれと思い行った自らの所業の結果が、知人の命を損なった可能性に気付いたローは、彼らの船長であり、ローよりもよほど苦悩を覚えたであろうルフィ本人の顔色を窺う。

 ルフィはローの疑問を分かっているようだが、答えずにただ笑むだけだった。

 

「まー死なねェって悪いことばっかじゃなかったけどな。色んな悪魔の実を食ったりもできたし! 最初に黒ひげの仲間だったやつに別の実食わされて、ゴムゴムの能力なくした時は落ち込んだけどさー。その後は何の実食ったんだっけな、いっぱい試しすぎて覚えてねーや」

「二つ目の悪魔の実を食うと体が破裂して死ぬんだったか。……そうか、大技じゃない火を出す能力ってのは」

「ああ! 最後に食ったのは、メラメラの実だ。……サボは、おれより十年くらい早く死んだからさ。世界を引っくり返すまでに、命を削り過ぎたんだって。チョッパーも、治せなくてごめんなって泣いて謝ってくれた……」

 

 ――ルフィはその後も、思い出せる限りのローへの伝言を語ってくれた。

 全てを聞き終えた時には、ローのささくれ立っていた心中はすっかり凪いでいた。むしろ、あまりに真っすぐな感謝の言葉の数々に、ローの方が多少の申し訳なさを覚えるほどだった。

 ローは誰かに感謝されたくて不老手術をしたわけではない。あれはあくまでもローが自ら望んでやった事であって、言わば究極の自己満足なのだ。命を捧げた当人であるルフィからあれだけ――今思い出しても殺意に溢れる拳であった――強烈に否定されても、当然だろうとしか言えないほどの。

 そうして黙り込んでしまったローの心の内などお見通しだとばかりに、一息ついたルフィが柔らかく問うてくる。

 

「なァトラ男。トラ男からおれに、言いたいこともあるんじゃねェか?」

「………。おれは、別に――」

 

 何も無い、と続けようとしたローだったが、ルフィが身を乗り出しぐっと顔を近づけてきた事で言葉に詰まった。

 間近から覗き込む大きな黒目は、こちらの躊躇いも嘘も、全てを暴き出す。それでいて糾弾の色も無く、ゆるく三日月を描く口元のままに「ん?」と先を促されると、まるで何もかも許されたかのような気持ちにさせられて。

 

 ――ローは、前世において生涯、この男にだけは告げるつもりのなかった『懺悔』を口にしていた。

 

「……麦わら屋」

「おう、なんだ?」

「一つ、訂正しなきゃならねェことがある。おれはさっき『好き好んで自殺みてェな真似するか』と言ったが。……悪いな、あれはたしかに――自殺だった」

「……うん」

 

 分かってた、とは言わずルフィはただ短く首肯した。

 その気遣いに甘え、ローは先を続ける。

 

「今、おれの中にある『前世』の記憶は大部分が圧縮されてる。すぐ取り出せるのは、付随する感情を極力排して事実だけを並べ立てた『記録』――要するに人生のダイジェストだな。だからこそ、『トラファルガー・ロー』って人間を客観的に振り返れる」

「ふーん?」

「お前とは違った意味で、おれは徹頭徹尾“自由”だった。ドフラミンゴを倒すための十三年だって、おれ自身の意思でそうするって決めたんだ。選択の自由は、いつだっておれの手にあった――まァお前にしてみたら『選ばされる』ってだけでも窮屈に感じるのかもしれねェけどな」

 

 ふ、と吐息をもらすように笑ってローは斜め後ろへ左手を突く。あぐらを崩して右膝を立て、そこへ右腕を乗せて空間を確保する事でルフィの顔を遠ざけた。

 さっきまでは近すぎて輪郭がぼやけるほどだったので、これで丁度いい。

 

「だが、おれにはその程度の“自由”でよかったんだ。おれは両親から、他者との共存にこそ“愛”があると教わった。自分本位ではなく、相手のために何かをしてこそなんだと。父様…んん゛、……父さんに何度も『お前のためなんだ』って抱き締められて我儘をたしなめられるうちに、自然と受け入れられたよ」

「トラ男今でも結構ワガママだぞ?」

「お前に言われたくはねェ。……ほんのガキの頃はもっと酷かった。それこそお前レベルだ。“D”の性質とは言え、あのまま矯正されず育ってたらと思うと我ながら怖気が走る」

 

 肩をすくめるローは、内心では父親の呼び方を誤魔化した方を突っ込まれなかった事に安堵している。

 幼い頃の思い出は聖域だが、ローのイメージするあるべき海賊像としては、『御育ちの良さ』は表に出さないものだ。これもまた、ドフラミンゴによる教育の残滓かもしれない。

 

「ともかく両親からよく躾けられたガキのおれにとっては、“愛”か“自由”かと問われれば“愛”を取るのが当たり前だった。“愛”こそが至高で、それなくして生きる意味なんて無いんだと。ただ本性はお前といい勝負の自分勝手さだからな、なんやかや理由をつけて我儘を通すことも結構あった。それが高じて自己欺瞞やら屁理屈ばかり上手くなっちまったよ」

「んー……? トラ男はウソつきだったってことか? ウソップと同じだな!」

「アイツと一緒にすんな。……鼻屋の方でも不本意だろう、こんな自分のためにしか嘘をつけねェ男と並べられるのは」

 

 自嘲に唇を歪め、ルフィの応答を待たずに続ける。

 

「故郷を襲った悲劇は、そんなガキのおれの全てを奪い去った。なのにおれから何もかもを奪った奴らは、のうのうと幸福を謳歌している。……そんなのは不公平だと思った」

「不公平……」

「ああ。おれが常々、義理にこだわるのもその思いが根底にあるのかもな。たしかワノ国に、ぴったりな言葉があった……『因果応報』だったか。人はそれぞれの行いに応じた報いがもたらされるべきだと、ガキの頃のおれは信じてたんだ。あまりに徹底的に奪われたせいで、逆にそれこそが神聖不可侵、絶対の概念として、おれの一生に影響していたような気がする」

「いん…おーほー? ……??」

「……たとえばお前が人に頼まれて、畑を荒らす猪を倒したとする。『いい事』したお前は頼んだ相手に感謝されて、その猪肉で作ってもらった美味いメシを食えたっていう『いい事』がある。逆にお前がキッチンから盗み食いっていう『悪い事』したら、黒足屋に蹴られるっていう『悪い事』がある。分かるか?」

「おお、すげー分かるぞ!」

「因果応報ってのはそういう考え方だ。まァ現実には海賊なんかが『いい事』したところで、それを逆手に取られ自滅するのが関の山だがな……」

 

 ワノ国でルフィの起こした『事件』の一部を回想してため息をつきつつ、そこからさらに繋げる。

 

「ガキのおれにとっては、自分が絶対と定めた因果応報の考え方に沿わない現実、不公平な世界こそが『間違っている』ものだった。既におれが“愛”した優しく『正しい』ものは全て失われ、残ってるのは腐りきったゴミだけだ。そんな間違った世界は壊れるべきだ――同じく『間違って』生き残っちまったおれも諸共に」

「何言ってんだ、トラ男が生きてんのはなんも悪くねェぞ!!」

「両親、妹、友達……みんなみんな死んだのに、おれだけが生き残ってるのは『不公平』だし間違ってる。だからおれは自分ごと間違った世界を壊そうと考えて、ドンキホーテファミリーに――ドフラミンゴのもとへ身を寄せたんだ。……まあ、サバイバーズギルトも多分にあったと思うが」

「……鯖? なんだ?」

「サバイバーズギルト、生き残りの罪悪感だ。お前には――いや、何でもねェ」

 

 首を振って、言葉を切る。

 ルフィに大規模な災害や虐殺に巻き込まれた過去があるとは聞いた事がない。

 ただ頂上戦争でルフィが心身に傷を負った原因については、治療に必要になるかもしれない情報として、ローは手術後にジンベエから聴取していた。とは言えローも精神科は専門外なので、ジンベエの説得のみでルフィがおとなしくなってくれたのは幸いであったが。

 話によれば、ルフィの兄であるエースはルフィを庇って死んでいる。術後に目覚め、兄の姿を求めて自傷ともとれる暴れっぷりを見せた当時のルフィが、兄を犠牲に自分が生き残ってしまったという罪悪感に苦しんだのは想像するに容易い。

 今となっては乗り越えた古傷であっても、無遠慮にほじくり返すには気がひけて、ローは口を噤んだのだった。その傷跡を再度ぶち抜いたのが、ほかならぬロー自身の死であった事を脇に置いて。

 

「そんなワケで、故郷を失った後のおれには、自分が死ぬべき人間だっていう思いが常に心の片隅にあった。だけど、一度はそれを忘れて前向きに生きてみようと思えたんだ。あの人が、コラさんがおれに新しい“愛”をくれたから」

「トラ男の恩人の『大好きな人』だな!」

「ああ。ドフラミンゴのコピーになりかけてたおれは、コラさんのおかげで人の心を思い出せた。あの人に“愛”をもらって、おれもあの人に“愛”を返す……病で残り僅かな生であっても、そんな幸福な未来を想像できたんだ」

 

 なるべく感情的にならぬよう努めてはいたが、コラさんの事に言及するにあたってはやはり少々熱が入る。

 ローは目蓋を下ろして一息置き、冷静を保てている自分を確かめてから、改めてルフィと目を合わせた。

 

「だが、その“愛”もまた奪われた。……おれが、手を伸ばした途端に」

「……トラ男は、自分のせいだって思ってるのか」

「事実そうだ。おれがいなければ、コラさんはオペオペの実にこだわらなかったはずだ。いやそれ以前に、ドフラミンゴに疑われること自体なかった可能性もある。……おれがいなければ、コラさんは死なずに済んだのかもしれない」

「………」

「その思いが決定打だった。それからのおれは、もう二度と……生への期待を取り戻すことはなかった」

 

 場に沈黙が満ちる。

 全てを話し切ったと言うにはまだ足りないが、自分の内になおわだかまる感情をどう言葉にすればいいか、ローは逡巡していた。

 この夢の世界に存在するものは、果ての見えない海とサニー号と、ルフィとローの二人だけ。空に鳥が鳴く事もなければ、あるいは海中を泳ぐ魚すらいないのかもしれない。

 どことも知れぬ場所を目指して進む船が奏でる、波の音だけが響く中で、先に口を開いたのはルフィの方だった。

 

「コラさんが死んだ時のトラ男には、もう何も残ってなかったんだな」

「………」

「エースが死んだ時、おれにはまだ仲間がいた。でもトラ男には、誰もいなかったんだな」

 

 静かに落とされたのは、問いかけではなく純粋な思考の述懐である。

 ルフィとローは互いとも、自分が経験した喪失の過去を相手に重ね見ていたらしい。

 事実を告げられただけなのに、そこに憐憫の情を垣間見た気がして。にわかに沸き立った対抗心のまま、ローはすうっと息を吸い。

 

「――ドフラミンゴが、」

「……ミンゴが?」

「いや、……ああそうか、…そう、だったんだな。おれは、どこまでも身勝手にあいつを……」

 

 人生のダイジェストを、一つの物語として俯瞰する事でようやく見えたもの、気付いた事。

 帽子のつばを引き下げて、ローはかつての自分の矛盾を吐き捨てる。

 

「どうやら地獄で土下座しなきゃならねェ相手が増えちまった。あれほど義理にこだわってたおれ自身が、一番不義理だった」

「ん? どういうことだ?」

「おれにとって“愛”は命で人生で、生きる意味そのものだ。……本当は分かってたはずなんだ、故郷を失ったおれに最初に“愛”を与えたのが誰なのか。そいつに手を差し伸べられなければ、きっとそこでおれの人生はとうに終わってた。『愛してる』なんてストレートな言葉は無くたって、自分の『右腕』って将来図を渡してありとあらゆる生きる術を叩き込んでくれた時点で、それはおれの価値観に照らし合わせれば確かな“愛”だったはずなのに……!」

「……ミンゴも、トラ男の恩人だったんだな?」

「そうだ、なのにおれは目の前に分かりやすくぶら下げられた飴に飛び付いて、その代償にこれまで自分を包んでくれてた毛布を手放したことに気付かずに……毛布がいつまでもそこにあると思い込んだまま……」

「………」

「自分で捨てたくせに、いざドフラミンゴに『おれの為に死ねる様教育する』って言われてみたら、右腕にするって言ったのに、結局おれはただの捨て駒だったのか、なんて的外れな怒りを燃やして……。挙句の果てに『死んでいい理由』に仕立て上げて、あいつの手でおれを殺させようとした。あいつからしてみりゃ本当に、裏切りの上にやつあたりもいいところだったな……」

 

 一瞬激情に呑まれかけたローだが、ルフィの落ち着いた声に促されて平静に戻った。

 区切りのいいあたりまで話して、二、三度深呼吸する。

 

「……『死んでいい理由』って、なんだ?」

「コラさんを亡くして、おれは自分が誰かと“愛”を交わすことが相手の死を招くという恐怖に憑りつかれた。バカみてェな妄想だが、もともとあったサバイバーズギルトと併せて、それは強固な思い込みになっておれを縛った」

「けどトラ男にとっては、その“愛”が生きる意味だった、かァ……」

「そういうことだ。生きる意味を、見つけたそばからまた失うのに、この先どうして生きようと思う? むしろ相手を殺しちまうだけなら、おれはさっさと死んだ方がいい」

「………」

「だが……コラさんは自分の命を引き換えにして、おれが生きることを望んでくれた。おれが無為な自殺を選んだら、コラさんはただの犬死にになっちまう。それだけはしちゃならねェと思った……」

 

 両膝を抱え込むような姿勢で俯く。ところどころ詰まりながらも、話は止めずに。

 

「どうすれば死んでも許される? 考えた末におれは、『意義のある死に方をする』ことにした。それがコラさんの本懐を遂げるという目標であり、必ずおれを殺してくれるはずのドフラミンゴに相対する言い訳だった。『死に方を選ぶ』ためだけに、おれは十三年生き足掻いた……それだけやれば十分だろう?」

「………」

「ところがどっこい、ここで大誤算。ドフラミンゴはなかなかおれを殺さないし、終いにはお前に倒される始末だ。おれは結局生き延びちまった。こうなったら新しい『死に方』を考えなきゃならねェ」

「………」

「ドフラミンゴ以外にコラさんがこだわってたものがもう一つある。“D”――そう、おれやお前が血とともに継いできた名前だ。折良く現れた元海軍元帥のセンゴクは、コラさんにとって父親同然の相手だった。おれは奴に“D”について尋ねた」

 

 応答が無い事に若干の不安がよぎり、ローは帽子のつばの下からちらとルフィの様子を見やる。

 最悪寝ているのでは、と思った相手は真顔でローを凝視していた。バチリと物理的な音すら聞こえそうな視線の衝突に、狼狽したローは咄嗟に目を逸らしてしまった。

 けれどこれから話す一連の内容こそが、この男に対する最大の告解である。

 腹を決めてもう一度しっかりと顔を上げれば、変わらぬ黒い瞳がローの言葉を待っていた。

 

「……年の功ってやつか。センゴクはおれの、不穏な思惑を見抜いたみたいでな。“D”に関する質問には答えず、コラさんならきっと自由に生きろと言う、と念押ししてきた。『受けた愛に理由などつけるな』だとさ……奴なりの、息子と思う男の養い子に対する激励だったんだろう」

「………」

「だが、おれは……突き放されたと感じたんだ。何の標も無く、独りきりで大海に放り出されたようだった。コラさんの遺志を継ぐって名目で、おれはなくした“愛”にどうにか縋り付いて生きてきたのに。ドフラミンゴを倒しちまって、その目標は『殺してもらう』という真の望みごと失った。コラさんの代弁者とでも言うべき相手には、縋ること自体を否定された……。もうどうすればいいか、分からなかった」

 

 嘲りに歪む口角とあべこべに、眉は情けなく垂れているだろう表情を自覚する。

 乾いた喉に唾を飲み、続きを唇に乗せた。

 

「――そんな時に、おれの目の前にいたのがお前だった」

「……おれ?」

「頭ん中グチャグチャだった当時のおれにとって、お前は実に……この上なく、『都合の良い』相手に見えた。まず、死ぬつもりだったおれの内心はどうであれ、事実としてお前がドフラミンゴを倒しておれの命を繋いだ恩人だってことは揺るがない。加えてコラさんがこだわってた“D”でもあり、いずれは『間違った』世界を盛大に引っくり返してくれそうな期待まで持てるときた。そして……最も重要なのは、お前がいつ死にかけてもおかしくない無鉄砲な冒険野郎だって部分だ」

「まァな!」

「最後は褒めてねェぞ。……とにかく、命の恩がある、託せる願いもある。おれがお前に心酔したように装って、ついてったところで不自然に思われる要素は無ェ。その上で、おれには『不老手術』っていう、お前の死を肩代わりする手段があった」

「………」

「大義名分は揃ってた。ラフテルで、お前のピンチにおれは大手を振って自殺を敢行し、最高に意義のある『死に方』をした。おれは念願叶って万歳、お前の仲間や傘下の連中はお前が助かって万歳、みんな得して万々歳だ。――お前の気持ちを除いては」

「……んー……」

「分かるだろ、おれはお前を利用したんだ。お前の言った通り、勝手極まりない自己中野郎だよ。そのくせ今でも後悔なんて微塵も無い……我ながら救えねェな」

 

 これで話は終わりだと、深く吐息を落とす。下される審判の声を想像しながら、目蓋を閉じて。

 

「……なァトラ男、お前が話したいことって本当にこれで全部か?」

「………は、」

 

 想定外の返しに、思わず間抜けな声を漏らした。

 目をみはった先で、男が珍しく筋道立った弁舌を振るう。

 

「お前がなんで死にたかったのかとか、ミンゴを本当はどう思ってたかとかは今聞いたけどさー。お前が死にたがりだったのはゾロもブルックも気付いてたし、おれたちもお前が死んだ後で聞いたし」

「ゾロ屋と…ホネ屋が?」

「ウソつきってか、言ってることとやってることが結構違うのは、面白ェからみんな分かってて黙ってたし。おれのこと最悪とかついていけないとか言うくせに、何だかんだ絶対見捨てねェし毎回きっちり叱りに来たよな」

「……ッ、だからそれは、お前を利用するために!」

「利用する意味なんて無くなった、死んだ後まで、おれん中から説教とかアドバイスとか散々しといてか?」

「死んでからのことは消したから覚えてねェっつったろ! いい加減に――」

「トラ男。おれの目、見ろよ」

 

 俊敏に伸ばされた両手に頭を左右から挟まれて、微妙に反らしていた視線を強制的に正面へ固定される。

 吸い込まれそうな黒が、心の底にこびり付いた何もかも、一欠片残らずここでぶちまけろとばかりに促してくる。

 

 焦りと困惑に、思考はぐるぐる廻る。その中で次第に大きくなる声。

 ――伝えて、いいのだろうか?

 ……いや、本当はこれをこそ言いたかった。

 けれどそれは、前世の記憶をさらってもまるで根拠になるものが無くて。言ったところで、苦し紛れの言い訳にしか聞こえないだろう内容で。

 

「言えよ。トラ男」

「ッ――……おれ、は、」

 

 信じてもらえないのが怖い?

 なら考えろ。得意じゃないか。それらしい理屈を、相手を信じさせる論理を、即興で組み立てるのは。

 ずっとそうしてきた。人を丸め込んで、自分を騙して――

 

「トラ男」

 

 ――……だけど。…きっとこの男は、そんな虚飾などすぐに見抜くから。

 何よりも、自分が今。この心を、偽りたくはないから。

 

 震える唇を、開く。

 

「………おれは、お前を利用した。それは変わらない事実で、悪いとは思っても後悔はしてない」

「ん」

「そんなおれが、今更こんなこと言ったって虫のいい話で、何言ってんだって憤慨されるのが関の山だろうと思う。おれ自身、なんでそう思うのか明確な理由が分からない。だが、どんなに否定してみても、結局答えは同じなんだ」

 

 未だ頭を挟まれたままの、不格好な状態。せめてもの意思表示として、己の胸に手を置いた。

 目の前の男に捧げた、この心臓に誓って宣言する。

 

「麦わら屋。今おれは、お前のことをコラさんと同じくらい『大好き』だと思ってる。……この気持ちだけは、嘘じゃない」

 

 双方ともに真顔で見詰め合っていたのは、せいぜい数秒だ。

 やがてローを覗き込む瞳にキラキラと星が散り、かつて見慣れた太陽のような笑顔があらわれる。

 

「おう!! 知ってる!」

「……疑わないんだな」

「トラ男が忘れてもおれは覚えてるしな! お前の仲間とちゃんとお別れ言った後から、お前寝言多くなってさァ。おれが“聞こえる”だけだから話したりはできなかったけど、さっき言ったみてェに説教とか、宝のヒントとかよく喋ってたんだ」

「そうか……」

「そのうちそれが、おれがなんかやるたんびに喜んだり褒めたりになってよー。トラ男おれ大好きだな! ってすげーよく分かった! なんか最後の方もうロメ男みてェな感じで――」

「待てそれは言い過ぎじゃねェか!?」

 

 飛び出したとんでもない名前に、即座に撤回を要求する。

 さすがにアレと一緒くたにされるのは我慢ならなかった。もう添えられているだけの両手を叩き落として文句をまくし立てるが、相手は笑うだけで一向に聞き入れない。

 先ほどまでのなんだかしんみりした空気は、跡形もなく散逸していた。

 そうして生前お馴染みであった、ローの抗議をルフィが生返事で聞き流すという情景が展開された後。

 

「……もういい……そうだ、お前はこういう奴だった……」

「お、トラ男話終わったか?」

「聞いてなかったのかよ! …ああっクソ、分かっちまった。死んでからお前のやること喜んでたって話、死んでる自分はもう関係無ェって、お前を主人公にした芝居でも見てる気分でいたからだな!? 自分が横で巻き込まれてて、暢気に笑ってられるワケねェ!」

 

 納得いってしまう嫌な結論に辿り着き、されど長きに亘って培われた感情を一朝一夕に覆せるものでもなく。むしろ元となる記憶を不自然に消してしまったせいで、逆に動かせなくなった『大好き』という想いにローは頭を抱えた。

 そんなローの姿を見て、不老手術の件は完全に溜飲が下がったのかもしれない。なっはっはっは、と大口開けて笑ったルフィが、立って話を締めにかかる。

 

「おっし! これでお互い、言いたいこと全部言ったな!」

「ハァ……そうだな。おれはいいが、お前はどうなんだ。本当にもう、思い残すことは無ェか?」

「一発ぶん殴ったからいいや。みんなからの、トラ男叱ってこいって言われた分もこめたし!」

「……やっぱり感謝だけじゃなく文句もあったか」

 

 妙に褒め殺されるよりは、そちらの方がずっといい。

 そんな感想を抱いて肩をすくめつつ、ローも立ち上がった。

 そうして、ルフィの宣告を待つ。

 

「トラ男。おれ、そろそろ逝くな」

 

 予想に違わず、何の気負いも無い笑顔で告げられたその言葉に、平静を装った声で答える。

 

「ああ…その、……次の世でも、幸運を祈る」

 

 無意識にか伸ばしかけた手を、帽子を目深に直す仕草に変えて誤魔化した。

 馬鹿か、引き留めてどうするのだ。自分が『トラファルガー・ロー』のまま蘇ったのは、この男を送り出すためだというのに。

 ローから離れて芝生を歩いていったルフィが、こちらの僅かな心の揺れに気付いたように足を止める。

 振り返った男は大人の顔をして、遺されるローへの最大の置き土産を口にした。

 

「なあトラ男。お前一回死んで満足したんだからさ、今度の冒険はもっと自由に楽しめよ。ガキのおれだっておれだから、きっとお前に命やった代わりに何かしろなんて思ってねェよ」

「……『おれのぶんまでいきてくれ』とは言われたような気がするが」

「そりゃそーだ、『大好き』なやつには“幸せ”に生きてほしいからな!」

「……!」

 

 言外に、大人のルフィにもまた、ローを『大好き』であると言われて。

 ……ローを愛してくれたコラさんも、きっと同じくローに、自分の分まで“幸せ”に生きてほしいと願っただろう事を今更思って。

 何も言えなくなったローの視線の先で、やがてルフィの身体が内側から発光を始めた。

 まばゆく白い光は、見る間にルフィの全身を覆ってしまう。

 

「じゃあな、トラ男! 長生きしろよ!」

「……ッ、麦わら屋! おれは、――お前と、出会えてよかった!!」

 

 光の粒子になって分解されゆくルフィのシルエット。そこから掛けられた最後の声に、そう答えた。

 本当はもっと、一緒にいたい。今度こそ『大好き』な人と一緒に生きてゆきたい、けれど。

 それは、願ってはいけないから。

 だから過去形にする。この返事をもって、ルフィの旅立ちを見送る意思を示す。

 

 潤んでぼやけた視界の中で、次第に光の粒が少なくなっていく。

 ああ、これでお別れだ。あの光の粒が完全に消えたら、そこにはもう誰もいない――

 

 ………いな、い…る、……いる?

 

「………」

「……んん? ――あれ? なんでおれまだいるんだ?」

「なんで、はこっちの台詞だ……」

 

 二度とまみえぬと覚悟したはずが、何故かそうならなかった事で、一気に力が抜けた。

 ローはくずおれるように芝生に座り込んだ。

 ルフィは「おっかしーなー」と呟いては手を握ったり足を叩いたりしている。それから宙を見上げて考え込んでいたが、やがて何か思い出したらしく、ぽんと手を打った。

 

「あ! そういやおれ、あのふしぎ竜巻に飲まれた時に、トラ男のことぜってェ離すもんかって思ったんだ!」

「……ああ、ガキのお前の夢に流れ着く前な」

「だから、またおれとトラ男()()()()()()()()んだと思う!」

 

 結論を出してすっきりしたのか、ルフィは笑って頷いている。

 ローにとっては、色々と問題ありすぎて笑うどころではない。

 

「またくっつい……ッて、はあァァ!? おま、それ、ゾロ屋とホネ屋の二十年!!」

「いやー、やっちまったな! 多分これ、トラ男が普通に死ぬまでこのまんまだ!」

「ふっざけんな!! 返せ! 色々と返しやがれこの馬鹿野郎ォォ!!」

 

 ローは雑に目尻を拭って、自分でもぐちゃぐちゃな感情のままに叫ぶ。

 ……正直に言えば、安堵している。それ以上に歓喜している。求めてはならぬと自らに禁じた願いが、叶ってしまったのだから。

 

 けれどそれを目の前のお気楽野郎に言うのは、何だかとっても癪だったので。

 ローは無言でルフィに歩み寄り、もうゴムではなくなったその頬を、両手で思い切り外側へ引っ張ってやったのだった。

 

 


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