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「白い痕跡、ですか」
調査拠点、アステラの一角。生態研究所に、その男――カザミは立っていた。
後ろで一つにまとめた伸ばしっぱなしの髪に、刃物を思わせるような鋭い視線。身にまとっているのは蒼色の鎧――レイギエナのものであり、その腰には同じ装いの片手剣が、無造作に吊られていた。
ふむ、と顎に手を当てながら、カザミは小さく首を傾げる。
「この大陸のものではなく?」
「そうやな。他の新大陸のモンスターとは似ても似つかんものや。今、元大陸の資料を引っ張り出して来とるが……それでも当てはまるかどうか分からん」
答えるのは、竜人族の老人であった。積み上げられた本の上に腰を下ろす様は、一見すれば子供の遊びのようにも見える。しかし本を捲る指は皺に埋め尽くされており、その老年の知識の深さを示していた。
「それ、見ることは?」
「そのために君を呼んだんや、カザミくん。ほれ」
懐を探りながら、生態研究所の所長は、長い筒をカザミへと投げ渡す。受け取った彼は慣れた手つきでそれを開けると、訝しげな目をしながらその中身を片目で覗いた。
そこに見えたのは、輝くような白い痕跡であった。まるで虹とか、太陽の光を切り取ってそこに詰めたような、そんな眩いものであった。
筒の中という暗闇の中でもそれは光を放ったままで、思わずカザミは眉を顰めて筒から目を離す。虹色の残滓が、彼の視界で揺らいでいた。
「……これ、は」
「何か分かるんか?」
思い出すような素振りを見せるカザミに、所長が本を捲る手を止めた。
「どこかで見たような気がします。誰かが、確か持っていた……?」
「君の出身は」
「バルバレです」
「……となると、まだ正確な手がかりにはならんな。あそこは逆に手がかりが多すぎる。目星をつけようにも定めることは難しいな」
「すみません」
「君が謝ることやないよ」
溜め息を一つ吐いて、カザミが痕跡の入った筒を所長へと還す。カザミの答えを聴いた所長は、ふむ、と何かを考え込むようにして、その筒を手で弄り始めた。
「それで、それは何処で?」
「大蟻塚の荒地……それの、森林地帯や」
「……リオレイアの希少種は」
「ほぼない。アレは飛竜種のモンではないよ」
金色と言うことで咄嗟に出した言葉だったが、所長は残念そうに首を振った。
「思うに、アレは古龍種のモンや。導蟲の反応もそれを示しとる」
そう言われて試しにカザミが腰に吊った導虫を掲げると、緑色をした光の帯は何かに導かれるようにして所長の手に吸い込まれてゆき、そこで淡い青色の光へと変貌を遂げた。
紛れも無い、強者の証。青い色に込められたその意味を理解しながら、カザミは導虫を元の位置へと戻す。
「しかしなあ……どうも、おかしい点があるんや」
「おかしい?」
聞き返すカザミに、所長は腕を組みながら答えた。
「この痕跡な、正確にはまだ未発達なんや」
「未発達、ですか」
「そうや。まだ成長の兆しを残しとる。これはまだ成長段階で、いわば赤子のままこの新大陸を彷徨っとる、っちゅう話よ。ある種、ゾラ・マグダラオスとは逆になるのかもしれんな」
かつて新大陸に訪れた、古龍渡りの唯一の手掛かり――ゾラ・マグダラオス。かの龍は、年老いた自らの死に場所を見つけるために、新大陸へと辿り着いたという。
その溜め込まれた膨大なエネルギーが尽きれば、新大陸そのものが滅びるかに追われたが、結果としてそれは、勇気あるハンターとその編纂者によって防がれた。
「アレはエネルギーをため込み過ぎた結果、龍結晶の地に導かれたんやが……これはその逆や。エネルギーを溜めに溜めまくっとる。それこそ、こんな断片でも強力な輝きを放つほどにな」
未だに白くなる瞳を抑えながら、カザミは所長の言葉に首肯した。
「厄介なのはその上限がどこにあるか、やな。ゾラ・マグダラオスはあの巨体故にエネルギーを溜められたわけなんやが……」
「これは、いつ爆発するか分からない、と」
「そう言うことや。古龍渡りの時ほど事態は深刻ではないが……それでも、その地帯の生態系が崩れるほどの影響はあるやろうね」
淡々と語られるその事実に、カザミが思わず息を呑む。あの輝かしい煌めきが、一瞬にして、恐ろしい、逃げ出したくなるような、そんな不気味なものに見えた。
「調査の予定は?」
「明日の明朝。あんたといつものあの子と、数班」
「やけに早いですね」
「それだけ異常、っつうことや」
所長の言葉に、ふむ、とカザミが顎に手を当てる。事の深刻さを考えれば、それは妥当な時間であった。しかし何よりも怖いのは、それでも遅いのかどうか、それすら分からない事態の不確かさであった。
月は既に真上に昇っており、そろそろ夕食の時間である。
「今のところ伝えられるのはこれくらいやな。けれど用心せえよ。何せ相手は未知数や。準備を怠れば命の危険にもなる」
「承知の上です。それで、調査の件なんですが、今時点での大蟻塚の生態調査はどのように……」
「ああ、そうやったな。ちょっと待ってな、昼過ぎに届いた書類があるで」
「お願いします。何しろ、あそこには――」
「カザミ」
…………。
「……セレス? 何しに来た」
「カザミが遅いから。迎えに来た」
うんざりしたように振り向いたカザミの視線の先に居たのは、一人の少女であった。
腰まで届くほどに長い白い髪をサイドテールで纏めており、とろんとしたような柔らかな瞳はまっすぐとカザミを見上げている。身に着けているのは紅の粗削りの鎧――オドガロンのもので、それがカザミの青色の甲冑と、正反対に映っていた。
「すぐに終わるって言ってたのに」
不満そうに頬を膨らませる少女――セレスに、カザミはうんざりした様子で、手を払った。
「まだ取り込み中だ。先にメシ食ってな」
「嫌」
「あのなあ、お前ももう一人で」
「嫌」
「いつまでも俺に着いて回っても」
「嫌」
「………………分かった。もうすぐで終わるからそこで待ってろ」
重たい溜息を一つ吐いて、カザミが再び所長の方へと向き直る。
「すまんな、セレスちゃん。カザミくんへの用はもうそろ終わるでな」
「いいからはやくカザミ返して」
「お前は言葉遣いに注意して?」
「はっは。なに、いつものセレスちゃんやな。ほれ、ヒマつぶしにコレでも見てみるか?」
くつくつとした笑みを浮かべながら、カザミと同じようにして、所長が手に持った白い痕跡をセレスへ投げ渡す。それを慌てた様子で受け取ったセレスは、不慣れな手つきで中身を空けると、その中をじっと見つめていた。
「……これ」
「何だ」
「――懐かしい?」
こてん、と首を傾げるセレスに、カザミが少しだけ顔に暗闇を見せる。
「懐かしい、か」
「うん。でも、良く分からない」
「そうか……」
何かを考え込むようにして口を閉じるカザミを、セレスはじっと見つめていた。
「ほっほ、また珍しいことを言う子じゃな。ほれ、今日の分の報告書や」
「……ありがとうございます。ほら、お前も早くそれ返せ」
「もう少し見たい」
「なに言ってんだ」
「見たい」
そう言って玩具のように筒を振り回し始めたセレスから、カザミがひょい、と痕跡を取り上げる。あまりも簡単に手を離れていったそれに、セレスは少しだけ不満そうな視線を向けていたが、やがてあきらめがついたらしく、ヒマそうにそっぽを向いていた。
「意地悪」
「そう言う問題じゃない。すいません、所長」
「ええよ別に。まだほかにも痕跡はあるし。しかしまあ、君も大変やな」
「慣れました」
はは、と笑う所長を睨みつけながら、カザミが頭を下げる。そうして再びセレスの方へ振り向くと、彼女はやけに期限の良い様子でカザミへと問いかけた。
「もう終わり?」
「ああ、終わり。お前のお蔭でな」
「なら良かった」
カザミの訝しげな視線を気にするようなことも無く、セレスは嬉しそうに笑っていた。
生態研究所から足を離れ、二人が進んでいるのは食事場まで続く大きな螺旋階段であった。既に日は海の向こうに沈んでおり、月の静かな光が、さざ波と共に二人の視界で輝いている。
「そういえば」
と、何かを思い出したようにセレスがカザミの前に立ち、
「これ、どう?」
「どうって何だ」
「……装備、新しくしたの」
どうかな? と両手を広げながら首を傾げる彼女に、カザミが呆れたように息を吐く。
オドガロンの防具は、かなり体のラインが浮き出るようなデザインであった。全身に甲冑を着込むようなものではなく、最低限の胸当てや籠手を装備し、その他の防具を廃した、素材の元に似通ったような作りである。
そして何よりもカザミが一言呈したかったのは、大きく素肌を露出した、腰回りについてだった。
「寒そうだ。特に、腰」
「……やらしい?」
「そうだ。やらしい」
「興奮する?」
「寒気がする。リオレイアに引っ掻かれたら?」
「避けられるから考えてない」
「ああそうかい。なら素っ裸で戦ってろ」
「…………意気地なし」
頬を膨らませながら、セレスが後ろをカザミへ見せつける。
「後ろは?」
「……なあ、お前ってもしかして露出狂?」
「カザミの前だけなら、それでも」
「それなら二度と俺の前に表れるな」
「嫌。なんで?」
「何と言えばいいのか分からないが……そうだな、寒そうで……」
「やらしい?」
「やらしい」
肩をすくめる彼に、セレスの顔がどんどん不機嫌になっていった。
「カザミはこういうの嫌い?」
「お前には似合わないな」
「……そう」
静かにそう答えて、セレスが無言でカザミの後ろへ回り込む。そうして手に取ったのは剥ぎ取り用のナイフで、彼女はそれをレイギエナの防具へとあてがった。
「何するつもりだ」
「カザミがこれ嫌いだから変える」
「そういうのは部屋に帰ってからやれ」
「カザミが嫌いなのを着てるのが嫌」
「ああそうかい」
そう口を動かすけれど、カザミは歩む足を止めていた。背中でざり、ざりと奇妙な音を立てようとも、折角集めた素材を剥奪されようとも、ただカザミはセレスのすることを止めることはなかった。
「……よし」
何が良いのかまったく分からないが、セレスはそう満足したような声を上げる。
やがてカザミの前へ現れたのは、体の所々にレイギエナの翼膜を巻き付けたセレスの姿だった。淡い肌色の翼膜は彼女の素肌を隠し、それと同時に、先程とは違うゆったりとした印象を与えてくれた。
「これでどう?」
「……シャレにならん恰好だ」
オドガロンがレイギエナを噛み殺していたのを思い出す。
「ま、さっきよりはマシか」
「……似合う?」
「似合う似合う。少なくともディアブロスよりは美人だ」
「そう」
口を尖らせて放ったカザミの言葉に、セレスは薄く笑みを浮かべている。そうしていつもの食事場へと向かう、彼女の軽い足取りとは裏腹に、カザミの足取りはいつものように重たいものになっていた。
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