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「しかし、改めて見ると凄まじい恰好だな」
アステラの生態研究所、横たわる黒と白が交差する死体を見ながら、ガイラルはそんな声を漏らす。その傍ではラミナがしゃがみ込みながら腰に着けた木の筒を取り出して、その中で光る純白の龍鱗を眺めていた。
「もしこれが成体になったなら、全身がこれになるんでしょ?」
「みたいだな。それと同時に、古龍の血が体内に生成されるんだと」
「すっごいねえ。世界にはこんなモンスターがいるなんて」
「それもそうだが……これを狩ったあいつらも、あいつらだろ」
手にした小さな封筒をひらひらと遊ばせながら、ガイラルが呆れたように呟く。
「急だったよね。別れの挨拶もなしに、すぐ」
「あいつらの考えることはよく分からん……が、俺達がそれを咎める理由も無いな」
「――少し、いいか?」
そうやって言葉を交わしている二人の元へやってきたのは、ふたつの人影だった。聞こえてきた足音に、ガイラルとラミナが同時にそちらへ目を向ける。
「先生、それに所長」
二人の視界に映っていたのは、旧式のリオレイアの装備に身を包んだソードマスターと、両手にいっぱいの本を抱えた生態研究所の所長であった。どうやら二人は何かを急いでいるらしく、所長は手にした本を地面へ下ろしながら、二人のことを見上げて問いかけた。
「カザミ君の居場所は知ってるかね?」
「それが……これを渡してくれ、と言ったまま」
と、ガイラルが困ったような顔をして、手にした便箋を所長へ渡す。少しだけ訝しげな表情をしたあとに、所長は皺の深い指でその封を開けた。
中に入っていたのは果たして、二枚の書類であった。一つは大きなものを折り込んだもので、所長が両手をいっぱいに使いながらそれを地面へ広げてゆく。はらりと落ちたもう一枚をソードマスターが拾い上げ、ふたつに折られているその書類を読み上げた。
「……長期休暇申請。傷の療養のため、カザミ、セレス共にしばらくアステラを離れる、と」
「こっちはゴア・マガラの生態報告書やな。ここまでの細かいものが書けるとは、彼はマガラ種の専門なんか? まあ、バルバレの出身やからおかしい話ではないが」
「しかし、妙だな。わざわざ負った傷のために元大陸へ戻ることもあるまい」
「まったく……何を考えとるんや、あの二人は。これからが忙しいっちゅうときに、二人そろっていなくなりおって。狩った本人がいなかったら、進むもんも進まんちゅう話や」
残念がるように首を振りながら、所長が溜め息を一つ。
「それに……少し、おかしなところもあるのに。それも聴きたかったんやがなあ」
「おかしなところ?」
「そう。ほら、あのゴア・マガラの頭を見てみ」
ひょろりとした指が示す方へ、ガイラルとラミナが視線を向ける。
「……触覚」
「その通りや。本来ならその個体には触覚、もしくは退化した角が存在するはずなんやが……それが、どうも見当たらない。念のために調査隊も派遣しているが、おそらく成果はないやろうな」
「なんでそれが重要なんですか?」
「うむ、その触覚はゴア・マガラの感覚器官の中でも一番重要なものでな。狂竜ウイルスの管理もどうやらそれで行われているらしい。だから、ゴア・マガラを調査する際に、触覚の調査は必要不可欠なんよ」
しかしなあ、とまた一つ所長が溜め息を吐いて、床に敷かれたゴア・マガラの生態報告書へ目を馳せる。生態研究所のどの書類よりも詳細に書かれていたそれは、けれど失われた角と触覚の居場所が書いてあることはなかった。
「まったく、本当にあの二人は勝手が過ぎる。それで、どこに行ったかのは書いてないんか?」
「……シキ国、とだけ。それ以外には何も」
「シキ国?」
紡がれたその言葉に、その場の全員が首を傾げていた。
「えー……っと、、あの東のちっちゃなとこですか?」
「だな。しかし……ああ、そうか。そこにはアレがあったな」
「アレ……?」
何かを思い出すようにして、ソードマスターが天を仰ぐ。
「禁足地――このゴア・マガラの、故郷だ」
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「つらい……」
「そんなボロボロの体で無茶するからだ。ほら、背中貸すぞ?」
「……やっぱり、いい。私が言い出したことだから」
少し名残惜しいような表情で、セレスがまた一歩、天空山に吊られた橋を歩いてゆく。既に高度は霞がかかっているほどになり、紛れる白い雲を手で払いながら、カザミはその先へと足を踏み出した。
しばらくの無言が続き、時間が経つにつれて包む白い霧が薄くなってゆく。少し息苦しいような感触を体に覚えながら、けれどセレスとカザミがその歩みを止める事は無かった。
やがて雲は晴れ、歩みは止まる。真上に広がるのは突き抜けるような青空で、セレス頬を撫でる冷たい風は、どこか懐かしさを感じさせた。
「……行こうか」
「うん」
禁足地。
望まれぬ者が辿り着く、彼方の故郷である。
「懐かしいな」
「うん」
「またここに来るとは、思っていなかった」
「……シナト村に内緒で来たけど、大丈夫?」
「今は立ち入りも禁じていないから問題にはならないだろ。それに、狂竜ウイルスの調査って言えば何とでもなる。俺の顔もあるしな」
「……そっか」
平たく広がった大地を歩きながら、セレスとカザミが言葉を交わす。故郷へ辿り着いた二人を祝福するのは、淡い平穏であった。
そうしてその足を止めたのは、一つの大きな岩の前で、セレスはそこへしゃがみながら、腰に掛けてある小さな袋へと手を伸ばす。両手の内に収まるほどの大きさのそれを掴みながら、ふとセレスが手を止める。
「…………」
「どうした?」
「……ようやく、帰ってこれた」
包まれたそれを強く握りしめながら、セレスが瞳を閉じる。
「――あなたは、私と同じ」
瞼の裏に描かれるのは、いつかに見た灰色だった。
「帰る場所を無くして、みんなから追い出された、失われたひと。けれど、あなたのおかげで、私は帰る場所を見つけられた。大切なあの人の元へ、帰る事ができた」
くすんだ布から顔を覗かせたのは、果たして相克の二本の角であった。
白と黒の相反する二つのそれは、セレスの傷だらけの指の中に包まれて、太陽の元へと曝される。雲一つない快晴は、ふたつの色を照らしていた。
眠ることのない宿痾の闇から、故郷の光へ。望んでいたあの光の下へ、失われた者は辿り着く。
「だから、あなたも」
ことん、と、ひとつ、ふたつ。
かつての場所へ。彼方へ望んだ故郷へ。
「おかえりなさい」
その言葉は、此処にある全てを鮮やかに彩っていた。
吹きすさぶ風は金色を撫で、降り注ぐ光は故郷へ辿り着いたあなたを優しく包み込む。それはまるで人の温もりのようで、望郷の果てに辿り着いた、安らぎの場所であった。
もうあなたを拒まない。苦しむことも、なにもない。
添えられた宿痾の痕は、静かに横たわったまま、長き眠りへ落ちてゆく。
「……もう、いいのか?」
「うん。あの子も、静かに眠りたいから」
「……そうか。なら」
純白の彼女へ、手を伸ばして。
灰色を塗り替えてくれたあなたの、手を取って。
「帰ろう」
「うん」
大切な、あなたの側に――
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