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当時、マガラ種についての研究をしていた俺に言い渡されたのは、シキ国にある天空山の、とある場所についての調査だった。
その時の天空山は薄気味悪いところだった。あたりはやけに薄暗いし、小型モンスターもいやに荒くなっている。最下層の森林地帯でこのザマだ。上がどうなってるかなんて、考えたくも無い。不穏な気配と、絶えない違和感を感じていた。
その原因が頂上から蔓延する狂竜ウイルスの所為だと理解するのに、時間はかからなかった。口の端から黒い煙を吐いているジンオウガを見て、一目でここがもう手遅れだって気づいたんだ。何か苦しむように叫んで、頭を壁に叩きつけながら肉を貪ってる時は、生きた心地がしなかった。この世のものとは思えなかったな。
俺はハンターじゃない。狩る者ではなく、識る者だ。そりゃ、武器だって持って来たが、俺の実力じゃ狩猟なんて出来るはずもない。だから狩猟しようなんて思いもしなかったさ。けれど俺は、進む足を止めなかった。俺は識る者だから。知識を求めて愚かに彷徨う、どうしようもない人間だったから。
俺の目的地は、雲の上だった。切り立った崖を上るのは辛かったけれど、難しいことじゃない。だから、岩肌をひとつひとつ登っていくうちに、いろんな事を考えることもできた。狂竜ウイルスはどうして生まれたのか、とか。シャガルマガラは何を思って天空山に帰って来るのか、とか。
そうやって考えているうちに、気が付けば自分の体は揺れる橋の上にあった。周囲に広がっている雲海は黒い何かに染まっていて、それが狂竜ウイルスによるものだと言うことはとっくに理解していた。まるでこちらをじっと見つめているような、そんな感覚だった。
それがどうしてか、少しだけ寂しそうに見えて。
ゴア・マガラ、改めシャガルマガラの繁殖方法が狂竜ウイルスの散布ってことは前にも話したよな。
あいつの散布する狂竜ウイルスには自分の生殖細胞が含まれていて、狂竜症にかかった大型モンスターが命を落とすと、そこを苗床にして新たなゴア・マガラが産まれるんだ。その生殖の為に必要なのは、ウイルスを効率よく、幅広い場所へ散布できる所。つまり、天空山みたいな極端に高い場所なんだ。そこからあいつは狂竜ウイルスをこの大陸へ流して、自らの仲間を増やそうとした。
そして、あいつが散布する狂竜ウイルスには、生殖細胞の他にもう一つの力がある。それが、他のゴア・マガラがシャガルマガラへ成長するのを抑えるもの。つまり、シャガルマガラは産まれたときから、ただ一人しか存在し得ない。だから成長したシャガルマガラは、仲間を作る事も出来ず、たった一人で禁足地へ辿り着くんだ。
――思うに、さ。
あいつは一人で寂しかったんじゃないかな。
自分の仲間が欲しくて、自らを受け入れてくれる処が欲しかっただけ。
相容れない孤独に、寂しくて、誰かへ手を伸ばそうとしただけ。
そう考えると、少しだけ悲しくなった。
長い橋を抜けると、そこには広い大地が広がっていた。
既に夕陽が沈みそうだった。尖った山の頂上を切り落としたみたいな台地から見えるのは、橙色に染まった景色。地面の切れ目で段差ができていたりしていたけど、基本は真っ平らな土地だ。他にあるのは少しの金色の草むらと、切り出されたみたいな岩だけ。音も、命も何もない、寂しいところ――その、はずだった。
そこに、彼女が居たんだ。
白い、髪だった。純白が穢されていくような、くすんだ白の髪。投げ出された手足はぼろぼろの血塗れで、それが自分のものか、他人のものかすらも分からなかった。
思わず俺は、腰に吊ってあった片手剣に手をかけていた。当然だ、こんなところに人なんていると思ってなかったから。けれど彼女はこちらへ近づこうとする様子もなかった。それどころか、思わず足音を立ててしまった俺に、気づく素振りすら見せなかったんだ。
異質だった。禁じられた地で、人と人のような何かが邂逅することが。
けれど、どうしてか俺は、そこから立ち去ることができなかった。
孤独に残されたような彼女から、眼を離すことができなかった。
「なあ」
何て声をかけていいのか分からなくて、気づけば俺は、そんな事を口走っていた。それが正解だったのかは、今でもわからない。もっといいやり方もあったのだと思う。
けれど彼女は、それに振り向いてくれた。白い髪を揺らして、その小さな体をこちらへ向けて、そのおぼろげな、灰色に染まった瞳を、俺へしっかりと向けてくれたんだ。
そのあとは、何もない。ただ、彼女は俺のことを見つめているだけで。
「……なんで、一人なんだ?」
後ろに手を回したまま、俺は頭に思っていたことを吐き出していた。
彼女がヒトかどうかすらも分からないのに、俺は間抜けだったと思う。そもそも言葉は通じるのだろうか。いきなり襲って来たらどうするべきなんだろうか、なんてことを、口走った後に考えていた。それだけの時間が、俺と彼女の間に流れていた。
答えが返ってきたのは、しばらく経ってからのことだった。
「…………おい、だされ……だ……」
追い出された。
確かに彼女は、そう言った。
「追い出された? 誰に?」
「みん、な……に、――……ぅ、ぁ…………、ぉ、おい、だされ、た……」
「……だから、ここに居るのか?」
「こ、こしか…………ぁ、わ、たし――は、いられ、ない……か、っぁ……」
喉に張り付いた血を吐き出しながら、彼女は俺へ続けて答えていた。
紡ぐ言葉は途切れ途切れで、言葉の端々は血にまみれた嗚咽のようなものに包まれている。それでも彼女は、俺へ話してくれた。たった一人でいるその理由を、俺へ伝えてくれた。
気が付けば、俺は彼女の側へ寄り添いながら、その色を失った瞳を覗き込んでいた。始めに感じていた違和感は何処かへ行ってしまって、また湧いて来たのは、焦燥感にも似た、焼けついた感情だった。
「……帰る場所は?」
「わから、な、い…………なくし、ちゃっ――……た……」
「名前は?」
「しらな、い……しら……、ない…………――なくし……っ……!」
俺の言葉の一つ一つに、彼女はちゃんと答えてくれた。
彼女の身体がふらりと揺れて、俺のほうへと倒れ込む。支えるその体はとても細くて、風が吹けばどこかへ飛んでしまいそうだった。
小さな指が、服を掴む。まるでそれは、ようやく見つけた何かを、離さないように握りしめる赤子のようで。
やがて聞こえてきたのは、掠れた嗚咽だった。
「……みん、な…………みんな、いない……わた、――わたし、ひとり、で、っ……」
「…………大丈夫だ。もう、一人じゃない」
「おい、だされて……いままで、だれ、も……いなく、って……! さみし、くて……! だれも、だ、れも…………ぅ、ぁ、あぁぁぁあぁっ…………!」
捨てられたのだろう。相容れぬ者として、この禁じられた土地へ一人、取り残されたのだろう。名前も、故郷も、全て失って、彼女はここに居たのだろう。
ふつふつと怒りが湧いたのを感じていた。けれどそれをどこかへ向けることは出来なくて、ずぶずぶと爛れるような、心を犯していくような、そんな感情だけが残っていた。
「あなた、も…………」
ぐずぐずと崩れた、色を失った瞳のまま、彼女はそう口を開いて。
「あなたも、追い出されてきたの?」
縋るような問いかけに、俺は――
「俺は、君を救いに来た」
そんな事を、口にしていた。
彼女が一人でいることが、耐えられなかった。自らを救われないと思っている彼女が、全ての色を失った彼女が、とても儚く、悲しげに俺の瞳へ映っていた。
「…………すくい、に?」
「ああ。だからもう、大丈夫。一人なんかじゃない。俺がついてる」
「……なん、で…………? わたしは、なにも、ない……の、に…………」
「そんなこと、知らない。ただ助けたかったから。それだけのこと」
それは、傲慢なんだろう。とても愚かで、常人には理解できない不気味で、歪で、受け入れられない感情なんだろう。そうやって共に添うことすら、許してはくれないのだろう。
けれど、後悔だけはしたくなかった。
「――セレス」
どこかで聴いた、光の詩だった。きらきらと輝くような、誰かの響き。
口走ったその言葉に、名前を失っていた彼女はぼうっとしたまま――けれど、たった一つだけ色をつけた瞳を、俺へと向けていた。
「どうだ? 綺麗な名前だろ?」
「…………うん、きれい……おほしさま、みたい」
「星、か。確かにそうなのかもな。綺麗で、好きだ」
夜の帳は降りはじめ、空には淡い星空が広がっている。
立ち上がって手を伸ばすけれど、握られるのは、ただの虚ろだけで。
「……星には、さ。手が届かないんだ」
「…………うん」
「どれだけ手を伸ばしても、あんな星には届かない。そもそもあんな大きな星、俺には掴めない。星を掴むなんて、俺には出来るはずがない」
「……けれど、…………わたし、は、きれいだと、思う」
「ああ、そうだ。こんな小さくて綺麗な星だったら、手を伸ばせば届きそうだから」
だから、俺は――
「一緒に帰ろう、セレス」
手の届く彼女へ、この手を伸ばす。
「か、える…………? どこ、に……?」
「どこかへ。セレスが望むところなら、どこへでも」
「……わたし、なにもない…………ぜんぶ、なくしちゃっ、て」
「それなら、いろんなものを探そう。セレスが見つけられるまで、どこまでも探しに行こう」
「…………みつけ、られるの? ……わたしは、どこかへ、帰っていい、の?」
「ああ。誰も――セレスを否定しない。追い出すこともしない。必ず、セレスを受け入れてくれる処はある。たとえそれが、どこかの果てだとしても」
孤独の果て、辿り着いた処で。
「帰る場所を、見つけよう」
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『ノスタルジア』 結
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ありがとうございました。
活動報告にてあとがきを掲載します。