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「カザミ、そっちいった!」
「こいつ……早い……――っ!」
まるで何かを訴えるようにしてこちらへ突進してくるリオレイア亜種の体を回避しながら、カザミが片手剣にまとわりついた紫の液体を振り散らす。刃を伝うその液体は毒々しく染まっており、あのリオレイアの異常さを示していた。
がらがらと崩れる岩場から覗く瞳は赤く染まり、傷口からはどくどくと紫の液体を垂らしている。まるで死体から蘇ってきたような、そんなおぞましい姿のリオレイアに、カザミはごくり、と生唾を飲んだ。
身構えるカザミに、セレスが叫ぶ。
「私が何とかして引きつける! カザミは二人を!」
「……すまん、任せた!」
こちらへ牙を向けながら駆けてくるリオレイアの側頭部を切りつけながら、その大きな両足の間を滑り抜ける。そうしてカザミはうずくまるガイラルとラミナの側に駆け寄った。
「症状は!?」
「解毒薬は飲んだんだが……き、傷が治らねえ……それと、体調がどうにも良くならねえな……」
「……駄目だ。ラミナさん、ガイラルさんをキャンプのベッドで休ませてください。ここまで進行していると、もう自然での治療しか」
「自然に治るものなの?」
「はい。けれど危険な状態には変わりません。安静に」
「分かったわ」
そう頷いてラミナが指笛を鳴らすと、上空で飛んでいた翼竜が降りてくるのが見える。それを確認すると、カザミは再び片手剣を再び右手へ持ち替え、それを逆手に持ち直すと、スリンガーへ光蟲を装填しながらセレスの元へと駆けだした。
炎と風が吹き荒れる。舞い上がる桜色の火竜は天を仰いだかと思うと、そのまま体を翻し、カザミへと焔に染まった牙を向け、襲い掛かった。
「落ちろッ!」
閃光が二人の眼を包み込む。突き刺さるような光は視界を一瞬で白く染め上げ、轟音とうめき声を創り出した。
激しい水音を立てながら、リオレイアの体が水面を滑る。しかしその両足が膝をつく事は無く、リオレイアはこちらへと振り向きながら、その口へ炎を溜めていた。
すう、と大きく息を吸い込む音。光に包まれていたはずの青い瞳は、狼狽するカザミの事をしっかりと捉えていて。
「カザミ!」
がぎん、と鈍い音を立てて、火竜の一息が火の粉へと変わってゆく。けれどそれに何をすることでもなく、カザミはスリンガーに残った光蟲を見つめながら、独り言のように呟いた。
「閃光玉が通用してないのか……?」
「違う。あれは既に耐性が出来ている動き。以前に何発か貰ってる」
「……なるほどな。最近の奇妙な症状の原因はこいつか」
「そう。だから、一刻も早く――」
そう口走ったセレスの体を、桜色の尾が薙いだ。
吹き飛ばされながらも体制を立て直し、セレスがガンランスの切っ先を地面へ食い込ませる。泥水を掻き散らしながらセレスが両足を地に着けて、棘のいくつか刺さっている腹部へ手を伸ばした。
ざりざりとした、黒い粉の感触。もう片方の手でウチケシの実を口の中へ放り込みながら、セレスが再びガンランスを構えた。
「……懐かしい。これなら」
再びこちらへ襲い掛かる翼を躱しながら、セレスがリオレイアの甲殻をガンランスで切り付けていく。のしかかるような怠さは紫の血が飛ぶたびに無くなってゆき、どこか体が心地よくなるのを、セレスは戦いの中で感じていた。
突進してくる巨躯をいなし、セレスがリオレイアと正面に構える。彼我の距離は遠く、リオレイアはもう一度狂ったように吠えながら、セレスへ向けて大地を蹴った。
「カザミ!」
「あいよっ!」
放たれたスリンガーの刃はリオレイアの尾へと突き刺さり、そのまま水面にカザミの体を滑らせる。瞳が捉えたのはリオレイアの足の筋で、カザミは右手へ強く力を込めたまま、その骨ばった足へと赤熱の剣を滑らせた。
「いけるか!?」
「――――大丈夫」
バランスを崩したリオレイアは、周囲の岩や木を巻き込みながらセレスへと迫ってゆく。けれどそれに憶することもなくセレスはじっとそれを見つめ――おもむろに、右腕へつけられている大きな盾を放り投げた。
がらん、と大きな音を立てて、青い盾が水面を弾く。そうしてセレスは青い銃槍を
緊張が駆け巡り、自らの躰から体温が消えていくような感覚。未だに慣れない、けれど何処か心地よい感覚に身を浸すと、全ての音が溶けるように消えていくのが感じられた。
体を低く構え、精神は銃槍の先へ。握る手は強く、眼光はまっすぐと。
静寂――そして、覚める。
それは研ぎ澄まされた紙縒のように――
「ら、あぁっっ!」
――穿つ。
セレスを呑みこまんとしているその口の中を、鋼鉄が支配する。けれど勢いが殺されることはなく、そのまま銃槍を半分ほど呑みこんだリオレイアの体は、あろうことか真上へと持ち上げられた。
「ぐ、っ……ぁぁあああっ!!」
体が沈むような感覚。けれどその眼光が衰えることはなく、セレスは飛竜種を体一つで持ち上げながら、ガンランスのトリガーへ指を伸ばす。
ひゅぅ、とリオレイアの喉で空気を吸い込む音がする。セレスの真上からはまるで龍の
爆音と閃光が降り注ぐ。重圧が小さな足を通して地面を抉り、そうしてセレスは、自らの真後ろへと桜火竜の巨躯を叩きつける。水飛沫は彼女の真上で弾け、リオレイアの体が一度だけ、跳ねた。
ぐらり、と地面が揺れる。銃槍を吐き出し、地に伏せるリオレイアの口からは、焼け爛れた肉の匂いが溢れていた。
「はぁ……っ、ぁ、はぁッ……!」
肩で息を吐くセレスに、カザミが駆け寄って、
「今度、料理長に相談してみるか」
「何を?」
「リオレイアの串焼き」
「……いいかも、少し食べてみたい」
お腹が空いていることを思い出しながらも、セレスは完全に沈黙したリオレイアの腹へハンターナイフを突き刺した。肉を裂くたびに紫色の液体が川の中へと混じり合い、さらさらと何事もなかったかのように流れていく。
「……どうして、やってきたんだと思う?」
その問いかけに、セレスは何でもなく答えた。
「追い出された」
「……お前はそう思うのか」
「うん。だって、そうするしかなかったから。帰る場所なんて、もう無くなってしまったから。だから、ここに辿り着いたんだと思う。
それはまるで、どこか懐かしさを感じるもので。
「私と、同じように」
セレスの手のひらには、禍々しく光る結晶が握られていた。
□
「ガイラルさん」
そうカザミが呼びかけながらドアを開けると、ベッドへ腰かけていたガイラルは、少しだけ遅れながら、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「……っはは、情けないところ、見せちまったな」
「寧ろ俺は、リオレイアに投げられてピンピンしてる方が疑問ですが」
「それはあの嬢ちゃんも同じだろ?」
「まあ、それはそうですけど」
少しだけセレスのことを心配しながら、カザミがそう適当に答えた。
「それで? あのリオレイア亜種はどうなったんだ?」
「いま、学者先生たちが解剖中です。明日の昼までは話せないと思った方がいいでしょう」
「なるほどな。研究所の爺も災難だな」
「同情はしますが謝るつもりはありません」
がははと大きく笑うガイラルに同じく笑みで返し、カザミが部屋の隅へ追いやられた椅子へ腰かける。しばらくするとまたドアの向こうから小刻みな足音と軽やかな足音が聞こえてきて、それに眼をやるでもなく、カザミは腰にかけた手帳を開いた。
かちゃ、とドアが小さく開かれる。
「……帰った」
「…………」
「帰った」
「…………」
「かえったっ!」
「うるせえ!」
手帳を開く両手の間からひょっこりと顔を出すセレスに、カザミがそう叫んだ。
「お前、なんでそんな不機嫌なんだ」
「二期団の親方に怒られてたよ? なんだか無茶したらしいじゃない」
「あー……」
困り顔で答えるラミナに、カザミがそんな声をあげながら天を仰ぐ。けれど当の本人のセレスは全く悪びれる様子も無く、カザミの膝の上へ強引に座りながら、ぷくー、と頬を膨らませていた。
腰あたりから取り出した紫色の結晶を手の上で転がしながら、セレスがむくれて呟く。
「私じゃなくて加工屋が悪い。もっと頑丈につくるべき」
「お前のやり方じゃどんな素材でもああなるわ」
「なんで? 私は普通に使ってただけなのに」
「普通に飛竜種を担ぐな」
「……なあ。一体、何をしたんだ?」
訝しげな視線を送るガイラルへ、二人が息を揃えて、一つ。
『リオレイアの串焼き』
「……ああ…………いや、いい。もう十分だ」
「考えないことをお勧めします」
一瞬だけガイラルはその光景を想像したが、それが実現すると思うと全てを信じられなくなるのでやめた。ふん、とそっぽを向きながらも膝から降りようとしないセレスに、カザミが重く息を吐く。
後に残るのは静けさだけで、それは不穏を予期するような不気味なものであった。
「……それで、どういうこと?」
向けられる二人の視線に、セレスが結晶を転がす手を止める。
「今は研究所に聴ける様子じゃないし、かといって他の人が知ってるとは思えない。カザミ君が話すべきだと思うけど?」
「……どこから説明しましょうか」
「最初からだ。俺達は何も知らないから」
「出来ればこれからの動きも説明してほしいところだけど……」
書き込んだ手帳を片手で器用に開きながら、カザミはふと目を伏せる。
白い痕跡。凶暴化したモンスター達。原因不明の奇妙な症状。黒い外套。
そして、紫の輝く結晶。
「ゴア・マガラ」
セレスの静かな呟きに、二人が怪訝な顔をしながら首を傾げる。
ただ一人、彼女はどこか懐かしむように手のひらの結晶を見つめており、それを眺めながら、カザミは続くように言った。
「数年前に元大陸で発見された古龍――正確には、
思い描かれるのは、瞳の無い暗闇の外套を纏った龍。禍々しく、どこかこの世のものではない不気味さを感じさせるその龍は、カザミがかつて屠ったものであった。
「発見例は極めて稀で、それこそ数年に一度出現するか、しないかというもの。そして、この龍の撒き散らす鱗粉――我々が狂竜ウイルスと呼んでいるものが、生命に大きな影響を及ぼすことが分かっています。その影響の一つとして」
「傷が治らない、ってこと?」
「はい。主に現れるのは、自然回復能力の極端な低下。しかしこれは時間経過すれば治癒するもので、ハンターに関してはさほど大きな影響はありません。問題なのは狂竜ウイルスが『感染』という手段を取って、広大な範囲へ影響を及ぼす、ということです」
セレスの手の上で輝く結晶に、カザミが静かに視線を向けた。
「ゴア・マガラの鱗粉は、生命体全てに影響を与えます。それはハンターでも、モンスターでも例外ではない。この鱗粉に感染したモンスターは例外なく凶暴化します。あのリオレイア亜種のように」
狂ったように叫ぶ竜の姿を、ガイラルとラミナが思い出す。それはまるで、激痛に苦しむような、暴れながらもどこか助けを求めるような、そんな儚いものに見えて。
「我々は、これを狂竜化と呼んでいます」
セレスの手のひらの結晶が、鈍く煌めいていた。
「つまり、あのリオレイア以外にも感染したモンスターが居るってことか?」
「確実に。下手をすれば、この新大陸全土に狂竜ウイルスが蔓延することになります。おそらく大蟻塚の荒地、古代樹の森は既に蔓延しているかと」
「……それって、もとに戻るの?」
「いいえ。狂竜ウイルスに感染したモンスターが元に戻ることはありません。その命が尽きるまで暴れ狂い、死に至ります。それ以外にウイルスから解放する手段は見つかっていません」
「で、その先は?」
「…………」
「その先は、どうなる?」
重々しい、穿ったような問いかけに、カザミは一瞬だけ目を伏せて、
「……宿主の体を苗床として、新たなゴア・マガラが発生します」
ガイラルとラミナが息をのみ、ただセレスだけがいつものように結晶を転がしていた。それは何処か慣れているようで、セレスは指で結晶を弾いたかと思うと、それを空中で受け止めながら、口を開いた。
「狂竜ウイルスを絶つには、根源のゴア・マガラを止めるしかない。私たちが、そうしてきたように。だから、次に私たちがすることはゴア・マガラの痕跡を追うこと」
「あの白い痕跡か?」
「はい。そして、此処からは僕の憶測なんですが」
そう口を早くしながら、カザミが手帳に挟んであった調査報告書へ手を掛ける。膝の上に載せたセレスをどかし、両手いっぱいに広がるそれを床へ敷きながら、カザミは新大陸の地図の上へと示された赤い印を指で示した。
「これは、ハンターが例の奇妙な症状――狂竜ウイルスに感染した場所です。先日発見されたのが、古代樹の森。そして、今日のものが、大蟻塚の荒地」
右から左へと、点々と刻まれた赤い印をカザミが指で追う。
「これだけで収まる訳じゃないんでしょ?」
「はい、それもそうですが……この経路、
「ゾラ・マグダラオス」
けれど、それに応えたのは、二人の声でも、セレスの声でもなく、開かれた扉から聞こえてくる、年老いた声だった。
古ぼけたリオレイアの装備――それも、元大陸のもの――に身を包み、背中へ同じ雌火竜の太刀を背負った、壮年の男性。その奇妙な姿に、誰かが先生、と呼びかけていたのをセレスが思い出す。
室内だと言うのに顔を鎧で隠したその男性は、開いたままの扉をくぐりながら、カザミの広げている地図をしゃがんで覗き込んだ。
「すまないな、盗み聞きをするつもりはなかったんだが」
「……構いません。それに、その通りですから」
大蟻塚の荒地に刻まれた印から、だんだんと右上の方を示して、カザミが続ける。
「ゴア・マガラの動きは古龍渡り――ゾラ・マグダラオスのものと酷似しています。おそらくそれは、体内に秘められた古龍のエネルギーによるものでしょう」
「……つまり、そのゴア・マガラってやつは自分の意志じゃなくて、その古龍のエネルギーに引かれて新大陸を巡ってる、ってことか?」
「おそらく、その通りです。だから、ゴア・マガラが次に現れるとすれば――」
「うむ。生態研究所の所長より、伝言を預かっている」
そう、鎧の男性――ソードマスターが、重々しく告げた。
「陸珊瑚の大地にて、狂竜ウイルスの活動が確認された、と」
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