『ノスタルジア』   作:宇宮 祐樹

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『それは、鏡のように』

 

 夜の陸珊瑚の大地、地図の上で四番から五番へと続く坂道にて。

 

「………………」

「………………」

 

 もっもっ、とアステラジャーキーを齧りながら、セレスはきつい視線をカザミへ向け続けていた。

 

「……どうした?」

「夕食が抜きになった」

「俺のせいじゃない」

「でも行く、って言ったのはカザミ」

「仕方ないだろ。そうでもないと、夕食そのものが無くなるかもしれないんだぞ」

「許さない……絶対に討伐してやる……」

「……俺の分も食べる?」

「たべる!!」

 

 差し出された干し肉を奪いながら、セレスがそれを口の中へとつめ込んでいく。もぐもぐと小動物のように頬を膨らませる彼女の背中には、急ごしらえで直されたブルーチャリオットが、金属音を立てながら揺れていた。

 宙に浮かぶ青い道標を追いながら、セレスがごくん、と肉を喉へ下す。

 

「ガイラルとラミナ」

「……二人がどうした?」

「あの二人が来ないのにも怒ってる」

「それも仕方ないだろ。俺達は狂竜ウイルスに耐性があるが、あの人たちはそもそもゴア・マガラの事すら知らなかったんだ。体調が戻るのにも時間がかかる」

「カザミ、あの二人には甘い。私には甘くしてくれないのに」

「今甘くした。ほれ、もう一個」

「…………ぁむ」

 

 ぶら下げた干し肉へかぶりつくセレスを見て、カザミはオドガロンが疲労している際に、肉を食って活性化することを思い出した。別に、これと言って関係はないはずだが。

 

「しかしだな……少し、奇妙なことがある」

「痕跡のこと?」

「そうだ」

 

 腰に吊ってある木の筒を開きながら、カザミがふむ、と顎へ手を当てた。

 中に込められているのは、カザミが先日に目にした煌びやかな光を放つ白い痕跡。けれどセレスが先程見つけてきたのは、黒い外套のような痕跡である。

 相反するような二つの痕跡に、カザミがより一層険しい表情を浮かべていた。

 

「ゴア・マガラの甲殻は黒色のはず」

「ああ……けれど、これはまるで……」

「急いだ方がいい。これからの夕食のためにも」

 

 そうやって急ぐセレスの後を追い、カザミが辿り着いたのは陸珊瑚の大地の中心、地図の上に記された五番の地点だった。

 立ち並ぶ陸珊瑚の樹が月明かりに照らされ、柔らかな桃色の珊瑚が幻想的な光景を二人の瞳へ描く。けれどそこに漂っているのは、まるで不穏を形に表したかのような禍々しい紫で、肌を焼くような緊張に包まれながら、カザミとセレスは背中の得物へと手を伸ばした。

 

「セレス」

「わかった」

 

 盾を構えるセレスに、カザミが背を向ける。

 蔓延する狂竜ウイルスは、既に二人を包み込んでいた。

 

「……いない?」

「違う……もう、気付かれてる」

「でも、見る限り影はない」

「…………」

 

 ふと、カザミが陸珊瑚の樹々を仰ぐ。

 桃色の枝が絡み合うそこには、漆黒がちらついて。

 

「セレス! 上だッ!」

 

 その言葉と同時に、大地を揺らすほどの爆音が鳴り響いた。

 砂埃が巻き上がり、ドレスサンゴドリが視界の端で飛んでいく。吹きすさぶ風がカザミを吹き飛ばし、陸珊瑚の樹へと体を叩きつけた。

 

「ああ、クソっ! そうだよな! お前が此処に居るっていうことは、つまりそう言うことなんだよな! 畜生ッ!」

 

 土煙が舞い上がり、その陰が黒衣を示す。

 そして、セレスはその先に――鏡のような渾沌を見た。

 

「――やっぱり、私と同じ」

 

 夜闇よりも暗く、禍々しい黒の外套に、それを蝕むような金の色。まるで二律の相反を具現化したようなその姿は、この世の不気味さを体に表しているようにも見える。

 光輝と暗黒を体現した二つの角は苦しみから足掻くように点を貫き、その下の赤い隻眼は、こちらを射抜かんばかりの圧を二人へ感じさせた。

 輪廻より逸脱する龍。光と闇の成れの果て。生きとし生けるもの全てと相容れない、異形の者。

 光に蝕まれるその龍は、届くことの無いかの処へ、渾沌より呻く。

 

「来る!」

 

 慟哭と共に、空気を震わせるような衝撃がセレスとカザミを襲う。振り上げられたぼろぼろの翼脚は、一度セレスと捉えたかと思うと、青い盾へとその爪を喰い込ませた。

 

「カザミっ!」

「分かってる!」

 

 転がるようにしてカザミがゴア・マガラの体の反対までくぐり抜け、淡い光を放つ信号弾を打ち上げる。そのままの腕で背中の片手剣へと手を駆けると、カザミは縋るように天を仰ぐ二律の角へ、スリンガーの刃を撃ちつけた。

 赤熱の剣が、黒い甲殻を切り刻む。まるで氷を滑るようにして、カザミの体がゴア・マガラの背中をなぞり、黒い血潮を撒き散らす。

 体を走りぬける灼熱に、セレスを押しつぶさんとしていた黒蝕竜は、赤子が鳴き喚くように高い声を上げながら、自らの躰を地面へと擦り付けた。

 

「おああっっ!?」

「カザミ、手!」

 

 投げ飛ばされて聞こえたその声に、カザミが徐に彼女へ手を伸ばす。数瞬後に訪れたのは体を引かれるような感覚で、その腕には鉄の縄が強く絡みついていた。

 ごろごろと地面を転がりながら、再びカザミが片手剣を逆手に構える。ぱらり、と堕ちる石ころが、谷の底――瘴気の暗闇へと堕ちていった。

 

「悪い。迂闊、だった」

「気にしないでいい。それより、今はあっち」

 

 ずしん、と揺れるように、翼脚が地を掴む。

 口から黒い煙を溢れさせ、紅の隻眼でこちらを見つめる黒い龍は、ただ天を仰ぎ、虚無へと吼えた。

 

「狙いは?」

「角だ。アレが主な感覚器官になってる。そこを潰せば、あるいは」

「分かった」

 

 吐き出される黒い吐息(ブレス)を盾で吹き飛ばしながら、セレスがゴア・マガラへと駆ける。

 振り上げた翼脚を滑り込むようにして躱し、青い銃槍の切っ先がしなやかな黒い鱗を抉る。自らの体を切り裂かれる感覚にゴア・マガラは強く叫びながら、その巨体をぐるりと回転させた。

 土煙を伴う尻尾が、セレスの真上で通り過ぎてゆく。そうして自らの視界が晴れたと同時、上空に見えたのは、夜闇を裂く赤熱の剣だった。

 

「くたばれッ!」

 

 首元へハンターナイフを突き刺しながら、カザミがもう片方の手で片手剣を抜き放つ。慣れた手つきでそれを逆手へと持ち変えると、カザミは眼下で光る白い角へと、その刃を走らせた。

 自らの器官を焼かれる痛みに、ゴア・マガラが呻く。そうして翼脚を思わず自らの頭部へ伸ばすと、そこに在る体を投げ飛ばし、そのままその巨躯を地面へ打ち付けた。

 漆黒と光輝、ふたつの翼脚の間を、スリンガーが抜ける。

 

「おおおああぁっ! あぶねえ!」

 

 陸珊瑚の樹にぶら下がりながらカザミが見たのは、飛び散る土の破片を盾で受け流し、振り向くゴア・マガラの頭部へとガンランスを薙ぐセレスの姿だった。

 がぎん、と鈍い音がする。打ちつけられた銃槍は角を破壊することはなく、黒い瘴気を吐き出す牙が、セレスの体を捉えた。

 肺につめ込まれた空気が、全て押し出されるような感覚。体の力は溶けるように抜けていき、視界に星空が広がったかと思うと、一瞬を通して全身の感覚が無くなっていく。

 

「――――か、ひゅ」

 

 地面に埋まる体を見下ろして、セレスがそれを理解するのに、覚束ない頭ではしばらくの時間がかかった。

 

「セレス!」

「ぁ……」

 

 ひゅこ、と潰れた息が、セレスの唇から洩れる。動かないその体へ、虹色に蝕まれる腕が伸びていく。そうしてセレスはもう一度、夜空で瞬く満面の星を見上げ――

 

「――ぉおおおっ!」

 

 剣閃が、黒い衣を薙いだ。

 白銀の刃はセレスの体を掴むゴア・マガラの爪を正確に捉え、その小さな体を解き放つ。ふわり、と浮くような感覚に、セレスが朦朧とした意識でとらえたのは、古ぼけたリオレイアの鎧であった。

 

「まさか、ここまでとはな」

「……ぁ、りがと」

「立てるな? 手は伸ばさんぞ」

 

 銀色の太刀を正面に構えたまま、ソードマスターが刃を走らせる。流れる水のようなその動きはゴア・マガラの荒々しい攻撃を受け流し、着実にその体を切り刻んでいった。

 

「セレス!? 無事か!?」

「……だい、じょぶ」

 

 口の端から洩れる血を拭い、セレスが地にちたガンランスへ手を伸ばす。そのまま右腕に装備した盾を邪魔そうに放り投げると、セレスは両手で銃槍を構えながら、ゴア・マガラへと向かっていった。

 

「っ、あああ!」

 

 突き刺す槍の先端はゴア・マガラの側頭部を抉り、その角を抉る。ぱらぱらと堕ちる黒い衣の下からは虹色の光沢が顔を出し、そのままセレスは引き返す腕で襲い来る翼脚へと銃槍の砲を向けた。

 胸を揺らす音が、黒い鉤爪を抉る。そのまま体をのけぞらせるゴア・マガラの背中に、再びカザミがスリンガーの刃を放った。

 左半身へ広がる黒衣を切り裂きながら、カザミが黒蝕竜の真上へと辿り着く。そのまま伸びてくる右の翼脚を引きつけて、カザミがそこから飛び降りると、焼け爛れた左の翼脚へ向けて、赤熱した片手剣を突き刺した。

 

「セレス! 今だ!」

 

 地面へ縫い付けた黒腕へ力を込めながら、カザミが叫ぶ。

 

「ら、あ、……――ぁぁぁあああっ!」

 

 そうして伸ばしたセレスの腕に――焼けるような、痛みが走った。

 

「(ま、ずい……! まだ、傷が……!)」

 

 全身の力が抜けていくような感覚。体が重くなり、頭がぼんやりと水に浮いたようにおぼろげになってゆく。霞む視界には、こちらを睨むゴア・マガラが映っていた。

 手のひらから溢れ出す血を握りしめながら、セレスがそれでも腕を伸ばす。

 覚束ない、けれど確たる意志を持って突き進む槍は――赤い瞳を、抉った。

 

「――――ッ、浅い!」

 

 それは、赤子の産声のようであった。

自らの腕が裂けることも構わず、ゴア・マガラは灼けつくような痛みに荒れ狂う。周囲に漂う黒い狂竜ウイルスはそれに応えるように漆黒を増してゆき、黒蝕の角が、禍々しく光っていた。

 星の明かりさえ遠くにする、漆黒の世界。そこに哭く黒衣の龍は、自らの眼へ深々と突き刺さった槍を掴みながら、その方へと駆けて行った。

 

「いかん! あのままでは――」

「おい、セレス! 離れろ! しっかりしろ!」

 

 地面を抉る足に力は入らず、支える腕もまるで棒の様に動かない。朦朧とする意識の中、脳を揺さぶるような咆哮が耳に響き、そして――

 

「――ぁ」

 

 揺らぐ体を、漆黒の爪が捕らえて、離そうとしなかった。

 ぐったりとしたセレスの体を締め付けながら、狂ったようにゴア・マガラが辺りを破壊していく。岩場へ打ち付けた頭からはずる、と銃槍が抜け落ちて、その穿たれた穴から紫色の液体を溢れさせた。

 

「だか、ら……頑丈に、してって…………」

 

 止まらない血潮に黒衣の龍は叫び、狂いながら大地を駆けてゆく。

 そうして、虚無の双眸が捉えたのは――瘴気の暗闇であった。

 

「セレス! セレスっ!」

「待て! そのままではそなたも谷の底へ堕ちるぞ!」

「うるさい、離せ! クソっ、おいセレス! 起きろ! 起きろよッ!!」

 

 縋るような叫び声は、慟哭の中へと消えていく。

 土煙と暗闇に塗れたセレスは、その遠く聞こえる声へ手を伸ばして。

 

「カザ、ミ」

 

 ――ふわりと浮くような、夢のような感覚。

 遠くに伸ばされる手を最期に、セレスの視界を瘴気が埋め尽くした。

 

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