『ノスタルジア』   作:宇宮 祐樹

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『宿痾に哭く』

 

 

 邂逅するのは、渾沌に呻くゴア・マガラ。その虚ろな双眸はこちらをじっと見詰めていて、それに対峙するセレスは、ゆっくりとこちらへ歩み来る黒蝕竜へ、ハンターナイフを握る手の力を強めた。

 

「こんな、ところで……!」

 

 流れ出す紅い血が、セレスの体力を奪っていく。背後には荒い岩肌が広がっており、左右には密度の濃い、瘴気と狂竜ウイルスが混じり合った空間が、ゴア・マガラを中心に広がっている。持つ武器はぼろぼろになったナイフの一本のみ。

 けれどその瞳に、諦めの陰は見えなかった。

 

「……っ、まだ…………私は、まだ……!」

 

 視界を潰す血を拭いながら、廃れたナイフを眼前へ。擦り切れるように痛む足を動かしながら、その小さな体を斜めに向ける。ゆらゆらと心もとなく震える切っ先に、セレスは持ちうる全てを乗せた。

 

「死ね、ない。死ぬもんか……カザミが、待ってるんだ!」

 

 唯一、自分を見てくれるひと。私が、ただ一人みつめるひと。

 いつしか、それは強い繋がりになって、二人のことを強く引き留めていた。

 

「わたしは、カザミのそばに……そこしか、私の居場所はない、から。だか、ら……っ!」

 

 祷り。そして、解放。

 突き抜けるようなその意志に腕を振り上げて、セレスはそこに――羨望を、見た。

 

「――――……ぁ、?」

 

 からん、と軽い音を立てながら、ぼろぼろのナイフが地面を撥ねる。込めた力は溶けるように抜けてゆき、すとん、とセレスが腰をその場へ落ち着けた。

 体を引き裂かれる痛みも、蝕まれるような苦しみも、セレスを襲うことはない。

 眼前に迫るゴア・マガラはじっと、鏡のように映る彼女を見つめていた。

 

「なん、で……」

 

 ふきかかる熱い吐息も、体を包む漆黒の煙も、今のセレスには感じられなかった。ただ伝えられるのは、打ち付けられるような彼方への思い。自らの内側にあるような見覚えのある郷愁を、セレスは虚ろな瞳から強く感じた。

 くるる、と喉から鳴る音には、どこか同情めいた優しさが込められていて。そんな穏やかな鳴き声を聴きながら、セレスは先程までの喧噪とは程遠いその光景に、こてん、と首を傾げていた。

 

「……どういう、こと?」

 

 蝕まれた翼爪も、涎が滴る牙も、セレスを引き裂くことはない。開いた翼脚を静かに折りたたみ、全てから追放される竜は、救われた者の前で縋るように哭き続けていた。

 誰とも共に在ることができない、孤独の者。帰る場所を失った、郷愁の怪物。

 天を巡り、辿り着いた宿痾の果て。

 黒蝕の竜が、灰色の景色と重なって。

 

「……やっぱり、あなたも追い出されたの?」

 

 その問いかけに肯定するように、ゴア・マガラは啼く。

 狂うような、苦しみから絞り出されるような、彼方への咆哮。けれどセレスはそれに耳を塞ぐことも無く、ただそこに混じる寂しさを、全身で受け止めていた。

 ゆっくりと首をもたげながら、慟哭の竜はセレスへ向き直る。

 

「私も、同じ。もとに居た場所から、追い出された。みんなから嫌われて、居場所もなくなって……あなたと、同じで」

 

 掠れる声の独白に、黒い龍はただ沈黙を続けていた。

 禁じられた地より来訪した、相容れることのない忌み子。たとえそれが覚えの無い罪だとしても、身に余る罰だとしても、灰色の彼女はそれを受け入れることしかできなかった。救済など、あるはずが無かった。

 けれど、そこに訪れたのは、彼女をセレスと見てくれるひとだった。

 

「カザミが、私へ手を伸ばしてくれた。はじめて、カザミが私を見てくれた。だから私は、カザミのそばに……」

 

 はたと気づいたセレスの先、そこに見えたのは切望だった。

 竜が人の言葉を理解することなどあり得ない。狩る者であるセレスは、それを誰よりも理解しているつもりだった。だからこそ、彼女は竜を狩り続けた。それだけが、彼女が出来ることだったから。

 けれど、目の前の黒い竜は、まるで彼女の言葉に突き動かされているようだった。擦り切れるような鳴き声はまるで涕涙のようで、空虚の瞳が、彼女のことを穿っていた。

 それはまるで、救いを求めるような、縋るようなものに見えて。

 

「もしかして、あなたは――」

 

 瞬間、風を切る音がする。

 目の前の黒い巨躯を、白い閃光が穿った。

 

「――――ッ!?」

 

 巻き上がる砂煙に、セレスが咄嗟に身を屈める。ぱらぱらと飛び散る破片がセレスの足や腕を切りつけて、けれどその痛みを抑えながら、セレスはその閃光が飛んできた方へと目をやった。

 そこに映るのは、銀色の爆鱗竜の鎧に身を包んだハンターの姿であった。その獅子のような兜から覗く視線がセレスの眼へ移り、それを確認したかと思うと、バゼルギウスの装備のハンターは腕を振り上げて、徐に叫んだ。

 

「いたぞ! 早く――」

 

 慟哭が、全てを消し去ってゆく。折りたたんだ翼脚を外套のように広げながら、ゴア・マガラが六の足を動かして、虚ろな瞳と牙を向ける。

 周囲の暗闇はそれに応じるように昏きを増して、彼女を包み込む。それはまるで、二度と光の届かないようで、けれどセレスはそこに、漆黒を切り裂くひとつの剣を見た。

 

「――――おおぉぉぉあああッ!!!」

 

 闇を駆る、蒼銀の鎧。

 灰色の世界が色を取り戻した。

 

「カザミ!」

 

 振り上げたレイギエナ片手剣を両の手で握りしめながら、カザミがゴア・マガラの頭部を目がけてそれを振り下ろす。細い長身の剣は黒蝕竜の首元へと深く突き刺さり、その喉から狂ったような叫び声を吐き出した。

 差し込まれた氷の剣にゴア・マガラが体を地面へ擦り付け、カザミの体を振り払う。するりと抜けたレイギエナの剣には紫がかった血に塗れており、地面を擦りながらカザミは、傍へ座り込んでいるセレスを背にしながら、二律の相反へと構えた。

 

「セレス、無事か!?」

「……きて、くれたんだ」

「当たり前だろッ!」

 

 そう吐き捨ててカザミが剣を逆手に持ち替えると、耳をつんざくような強い咆哮が、谷底に響き渡った。

 翼脚をがばりと広げ、ゴア・マガラの巨躯が飛翔する。巻き上がる砂埃は瘴気と狂竜ウイルスを全て吹き飛ばし、セレスとカザミの視界を奪っていく。両手でふさいだ視界の中、そこにはまだ見ぬかの地へと思いを馳せる、ゴア・マガラの姿があった。

 

「ッ、これ以上、何処へ……!」

 

 それに答えることも――答えられることも出来ず、黒蝕の竜は天を駆ける。まるで、何かに抗うように。行く末を求めて、啼くように。

 

「……逃げ、た?」

 

 後に残るのは、喧噪の後の静寂のみ。

 静けさの中で、セレスはこちらへ駆け寄るふたつの足音を聞いた。

 

「セレスちゃん!! 無事なの!? 無事なのね!」

「ラミ、ナ」

「カザミくんから聞いた時はどうなるかと思ってたよ! 本っ当に無事でよかった!」

「……ぐるじい」

 

 ぎゅうぎゅうときつく抱きしめられる感覚に、セレスがぐずぐずと声を上げる。けれどその小さな声はラミナの耳には届いていないのか、嫌がるセレスの顔に頬を擦らせながら、潤んだ瞳を細めていた。

 

「しっかし、武器も無いってのによく無事だったなあ」

「……違う、たたかった、わけじゃないっ」

 

 むんず、と手のひらで泣きつくラミナの顔をどかしながら、セレスがそうやってガイラルへ答える。

 

「あの竜は、寂しがってた」

「……セレスちゃん? 何を……」

「追い出されたから、あのゴア・マガラは泣いてた。私と同じで、帰る場所を探していただけ。だから私を襲わずに、一緒に泣いてくれた」

 

 カザミの体へ寄り添う様に自らの躰を預けながら、セレスが足へ力を込める。

 

「……ゴア・マガラは?」

「目星はついている」

 

 両の手に開いた新大陸の地図を眺めながら、カザミが瘴気の谷を指で示す。

 

「奴はこの大地に流れる古龍の力に引き寄せられてやってきた。そして、奴が辿ってきた道は、あの古龍渡り――ゾラ・マグダラオスと同じ。となれば、行き着く先は――」

 

 

「カザミくんっ!」

 

 がぎん、と、爪と剣とが響き合った。

 背負った大剣を盾にしながら、けれどラミナの足がざり、と地面を抉る。青の剣を挟んでラミナへと荒々しい牙を向けているのは、黒煙を口の端から噴き出すオドガロンであった。

 

「ラミナ!」

「私は大丈夫! それより、カザミくんとセレスちゃん!」

「セレス、肩を!」

 

 力の抜けた体を肩へ担ぎながら、カザミが足へ力を入れる。隣のガイラルはそれを背にしながら、腰に備えた煙玉を地面へ叩きつけ、背中のヘビィボウガンを構えた。

 煙に映る影をぼんやりと見つめながら、セレスが唇を開く。

 

「……はや、い」

「何が!?」

「狂竜症の、進行」

 

 その言葉にカザミが戦慄を覚えた瞬間、白煙の中を紅が駆け抜ける。緋色の疾走は岩肌を駆け巡り、カザミの前へ惨爪が襲い掛かった。

 空を切って向かう無数の爪に、カザミが体を撥ねさせる。セレスを抱きかかえたままカザミの体が瘴気の中を滑ってゆき、ぴりぴりと肌を焼く感覚が二人を包み込んだ。

 

「……っ、ぁ、カザミ……!」

「喋るな! 口塞いでろ!」

 

 立ち向かうオドガロンに、無数の閃光が襲い掛かる。体へと叩きつけられるその鉄にオドガロンが苦しむように吠え、再びそちらへと大地を蹴った。

 

「ガイラル、麻痺弾は!?」

「持ってきてねえ!」

「じゃあ徹甲榴弾!」

「任された!」

 

 かきん、と転がるような金属音を立てて、ガイラルが鉄のボウガンを握る。飛び交うオドガロンを除くスコープで追いながら、その白い瞳がこちらを見つめた瞬間、指に賭けたトリガーをかちん、と引いた。

 響き渡る号砲と共に、ラミナがオドガロンへと大剣を背に構えながら駆ける。瞬間、彼女の髪を梳くようにして放たれた徹甲榴弾がオドガロンへと向かってゆき、頬を抜ける感覚と共にラミナが大剣の柄へ手を伸ばした。

 爪を振り上げるオドガロンの額へ、飛来する鉄が突き刺さる。ばちばちと火花を鳴らすそれへ向けて、ラミナは大剣を振りぬいた。

 

「はああぁぁぁあッ!」

 

 衝撃、そして爆発。

 巨大な剣によって起爆された榴弾は、数倍の爆発を伴って、オドガロンの体をカザミのほうへと吹き飛ばす。宙を舞う紅の体に、セレスがはたと気づいて、手にしたスリンガーを向けた。

 

「カザミ、腹!」

「っ!」

 

 突き刺さる感覚と共に、セレスの腕に引き千切れるような痛みが走る。けれど歯を食いしばりながら腕を引くと、惨爪竜の体は吊られるようにしてそちらへと落ちていく。

 逆手に握った片手剣を構え、カザミが姿勢を低くする。その瞳はまっすぐと、ただこちらへ飛んでくるオドガロンの体を見据えていて。

 

「――――ぉおおおおッ!」

 

 頭の上を通り過ぎる肉に、カザミが手に持ったそれを突きたてた。

 銀色の剣が、オドガロンの腹を引き裂いてゆく。紫がかった血をあたりへ散らしながら、オドガロンの体を氷結の刃が支配する。視界を埋め尽くす禍々しい鮮血を浴びながら、カザミはその腕を振りぬいた。

 残心。そして、肉が血を滑る音。

 

「カザミ」

 

 背後から呼ぶ声に、カザミはへたり、とその場所に座り込んだ。

 

「大丈夫?」 

「……お前よりは、な」

 

 左足から血を流し、顔の半分を乾いた血で塗れさせ、ふらふらの体で目の前へ立つセレスへ、カザミはそう告げた。

 

「しかし、このオドガロンどっから湧いた? 足音も何もなかったぞ」

「ゴア・マガラに会う前。そいつに襲われた」

「…………ってことは、ゴア・マガラはお前を助けた、って?」

「実際に起こったこととしては、そうなる」

「まさか」

 

 遠くで駆け付けるガイラルとラミナを遠目に見ながら、セレスがカザミの袖を引く。そのまま覆いかぶさるような形で、セレスは額とが触れそうな距離まで近づいて、カザミの瞳をまっすぐと見つめた。

 

「……セレス?」

「あれは、私と同じ。帰る場所を失った、孤独のひと。理解できるのも私で、あれを救うことが出来るのも、私だけ」

「救うって、お前」

「あの二人でも、他の誰かでもいけない。私とカザミの、二人だけでないと」

「俺とお前だけであのゴア・マガラを討伐するってのか?」

「そう。だから、そのためにも」

 

 手を引きながらカザミを立たせて、セレスがその黒い瞳を見つめる。

 

「私が、私でいなければ、ならない」

 

 純白の髪をたなびかせながら、彼女はそう告げた。

 

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