『ノスタルジア』   作:宇宮 祐樹

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『純白の彼女』

 

 冷たい風が、頬を撫でた。

 軋む体を起こしながら、薄く照る朝陽へ手をかざす。指の間から漏れる淡い光は眠たげな黒い瞳へと入り込み、ぼんやりとした彼の思考を青く、透き通らせた。

 そうして晴れた意識は、腕に走る鈍い痛みを掬い上げる。オドガロンの体を切り捌いた、ペンを握るはずの細い腕。体の下に敷かれていたそれは、しばらく力が入らなくて、少しだけその腕を見つめていると、じんわりとした痺れが戻ってくるのを感じた。

 覚束ない足取りが冷たい床を這うように辿り、熱のこもったカザミの体を運ばせる。アステラの朝の喧騒はどこか遠くに聞こえ、その中でカザミは続く扉の向こうに、かすかな衣擦れの音を聞いた。

 

「セレス?」

 

 そこに見えたのは、穢れのない純白であった。

 光輝を体現したかのように白く輝く鎧に、足先まで届くほどに長い虹の翼膜。ゆれるその淡い虹色は朝の日差しを受けながらより一層の煌めきを魅せていて、淡い光の中に佇む少女は、まるで神霊のような、そんな神秘を感じさせた。

 光に溶けてしまいそうな白銀の髪を揺らし、彼女がこちらへと視線を送る。普段のぽぅ、としたようなとろけた瞳は、しかしながらその奥に、強い何かを感じさせた。

 

「カザミ」

「……傷は、もういいのか?」

「うん、大丈夫。心配はいらない」

 

 小さく頷いて返すセレスは両手をゆっくりと広げ、その身にまとう純白の衣――シャガルマガラの装備を翻す。ひらひらと舞う虹色は、薄い朝の光を反射させて、カザミの黒い瞳の中に、その輝きを泳ぐように映していて。

 

「これ、どう?」

「……いいじゃないか。綺麗だ」

「そっか」

 

 その短い言葉には、彼女の全てが込められていた。

 

「しっかし、よく持ってこれたな。下位のころから使ってるだろ、それ」

「来る前に、バルバレで流れてるシャガルマガラの素材を買い取った。表に出ているのも、裏で回ってるのも含めて、全て」

「それを着るためだけにか?」

「うん。でも、あまり集められなかった。正直、装備としては心もとない」

「だろうな。装備自体も下位のものだし、とてもあのゴア・マガラの攻撃に耐えられるとは思えんが」

「そうかも」

「……それでも、その姿で居たいのか?」

「…………」

 

 顔に陰を見せるカザミの頬へ、セレスが口をつぐんだまま手を伸ばす。小さな細い指はカザミの頬をゆっくりと撫でて、ぼんやりとした瞳は、その手を握る彼の瞳をじっと眺めていた。

 

「……ようやく、綺麗、って言ってくれた」

「そうだな。綺麗だ。今までの中で、一番」

「似合ってる、って、私のことを見てくれた」

「ああ、とても、似合ってる。その姿のセレスが……好きだ」

 

 添えらえた白い手を握り、カザミが純白の彼女を抱き寄せる。

 

「カザミだけが、私のことを見てくれる」

「お前のことをずっと見てる物好きなんて、俺くらいだな」

「……カザミは私を見つけてくれた。初めて私のことを、セレス、って呼んでくれた」

「ああ。今でも覚えてる。忘れるはずがない」

 

 懐かしむように、優しく、カザミの指が白銀の髪を梳く。

 

「誰でもない私を、セレスにしてくれた。あなたが呼んでくれたから、私は(セレス)で居られた」

 

 胸の中の独白は、灰色の景色を鮮やかに彩って、

 

「ありがとう」

 

 純白に染まった彼女は、満たされるように笑っていた。

 

 

 龍結晶の地、中央に広がる洞窟にて。

 

「……やっぱり、この先か。ネルギガンテの寝床あたりだな」

 

 宙に浮かぶ光の帯に目をやりながら、カザミが手にした黒い痕跡を採取する。その先を歩くセレスは周囲を見回して、時折背中のガンランスへと手を駆けながら、眼前の坂を上っていった。

 

「そっちに異常は?」

「あると言えば、ある」

 

 自らの周りへ広がる黒い煙を指で示しながら、セレスはそう答えた。

 

「ま、あいつにとっちゃこれは目みたいなもんだからな。片目を潰されたから、ここまでの散布量になっているんだろう」

「それでも襲ってこないのは、なぜ?」

「……それだけの力が無いか。もしくは」

 

 セレスの隣へ立ちながら、ふとカザミが天を仰ぐ。

 

「お前のことを待っているか」

 

 流されるように向けられた視線に、セレスはふと首を傾げていた。

 

「カザミがそんなことを言うの、珍しい」

「……俺でも思ってるさ、そんなこと。けどまあ、お前が言っていたからな」

「助けられたこと?」

「そうだな。お前が生きているのが、何よりの証拠だから」

 

 光の帯は奥へと続いて行き、周囲の景色が鈍い龍結晶の輝きで埋め尽くされる。周囲に漂う狂竜ウイルスは、まるでこちらをじっと見つめているように、二人の事を取り巻いていた。

 

「お前はどうなんだ」

「……どう、って?」

「ゴア・マガラのこと」

「……あれは、私と同じ。ただ、それだけ」

 

 結晶を踏み砕きながら、セレスは何かに導かれるようにして、その足を進めてゆく。

 

「同じだから、同情するっていうのか?」

「……そういう、訳では無い。けれど、できることなら、元の場所へ戻してあげたい。我儘なのかもしれないけれど、同じ悲しみを知っているから」

「だからといって、このまま野放しにはできない。それも、お前は分かってるだろ?」

「そう。それは、仕方のないこと。だから」

 

 耳に残る慟哭は、セレスの心を揺れ動かして。

 

「私が、この手で――苦しまないようにしてあげることしか、できない」

 

 白い衣を纏う少女は、黒い衣を纏う竜へ、そう誓った。

 外から光る青色の巨大な結晶が、二人の横顔を照らす。地図の上で見る十四番と十五番を繋ぐ洞窟は狭く、けれど所々に黒い痕跡を残しながら奥へと続いていく。青色の光の帯を辿りながら二人の足は進んでゆき、やがて洞窟を抜けた先で、漂う漆黒がカザミとセレスを包み込んだ。

 

「……っ」

「ひどい濃度だな……数歩先も見えないぞ」

 

 体中を這うざらざらとした感触に、セレスが思わず顔を歪める。ざわざわと音すら立てて周囲を取り囲む狂竜ウイルスは二人を中心に広がってゆき、広がる白い結晶を、禍々しい紫で染めていく。

 それはまるで、宿痾の檻であった。

 

「セレス」

「…………」

 

 一瞬だけ躊躇われた腕が、背中のガンランスを握る。背中合わせになりながらセレスとカザミが狂竜ウイルスの中を進んでゆき、そうして二人は、誰かの泣き声を聞いた。

 届かない場所への慟哭は、辿り着いた処で響き渡り、

 

「上だ!」

「っ!」

 

 風を切る音と共に、セレスは自らの腕に力を込める。その数瞬後、全てを巻き込むような狂乱が、セレスとカザミを襲った。

 暗闇から現れたゴア・マガラはその翼脚を大きく広げ、空を滑空しながら大地を抉ってゆく。迫りくる巨大な翼爪にセレスが右腕の盾を構え、その先端を地面へ突き刺した。

 

「っ、く……!」

 

 つんざくような轟音と共に、セレスの全身を衝撃が駆け抜ける。地に着いた足はざりざりと結晶を弾けさせながら後退してゆき、少し体を傾けながら、セレスは既に半分ほど引き裂かれている盾を投げ捨てた。

 打ち上げられた青い盾は壁へ叩きつけられて、ゴア・マガラはその壁へ添う様に飛翔しながら、上空へ舞い上がる。翼脚を大きく開き、こちらを見下ろすようにゆっくりと羽ばたくその姿は、まるで黒い花のようにも見えた。

 

「大丈夫か」

「問題ない」

「……とても、話が通じるようには見えないが」

「もともと、話は通じてない」

 

 両の手で銃槍を握り直し、セレスは黒い竜をその瞳へ捕らえた。

 

「私たちが分かりあえるのは、住処を失った悲しみだけ」

 

 黒い衣と、白い衣が、邂逅を果たす。

 そこにあるのは、届くことのない郷愁だけで。

 

「――来て」

 

 両手を広げるセレスに、ゴア・マガラが吠える。そうして一瞬体を引いたかと思うと、その牙から黒い煙を溢れさせながら、漆黒を切り裂いた。

 舞い上がる結晶の破片を受けながら、セレスが手にした銃槍を斜めに構える。向かってくる黒蝕竜の体へその銃槍の切っ先を添わせると、紫色の液体が頬へと散った。

 前に垂れた刀身を蹴り上げて、再びセレスがゴア・マガラと向かい合う。

 

「カザミ」

「ああ」

 

 地面を駆けだすゴア・マガラへ、カザミが左腕を突き出しながら、スリンガーの刃をその腹へ撃ちつける。持ち上げられた巨躯につられてカザミの体も持ち上げられて、そしてカザミは、自らの視界の端から飛んでくる黒い影へ手を伸ばした。

 紅の刃と黒い外殻が擦れあい、肉の焼ける音がする。向かう翼脚を片手剣で受け流しながら、カザミは再びスリンガーを、ゴア・マガラの背中へと向けた。

 

「はあぁっ!」

 

 両手で振り上げられたガンランスが、金色に蝕まれる側頭部へ叩きつけられる。走る衝撃にゴア・マガラは崩れたうめき声を上げながら、その空虚の瞳をセレスへと向ける。黒い牙は宙を噛み砕き、そこにゴア・マガラは再び、頭部へ響く衝撃を感じた。

 付着する禍々しい紫色の液体を振り払いながら、セレスが一つ息を吐く。数瞬後に向かってくる二つの翼脚を後ろに跳んで回避しながら、セレスは自らの持つガンランスを、背中側に向けて構えた。

 細い指が、鉄の引き金へ駆けられる。

 

「――――ッ、らぁぁぁああ!!!」

 

 吐き出される竜の吐息がセレスの体を押し上げて、煙を上げる銃身が黒蝕竜の頭部を引き裂いた。灼けるような痛みにゴア・マガラは天を仰ぎながら悶え、そこにセレスが地面へ落ちると同時、切り裂いた銃身で翼脚を地面へと縫い付ける。

 動かなくなった翼脚の筋を切り落とし、カザミがゴア・マガラの背中を駆ける。その黒い瞳に映るのは紫に光る触覚で、伸ばしたスリンガーの刃は、その先の地面を強く穿った。

 

「カザミ!!」

「ああ!」

 

 逆手に持った赤熱の剣に力を込めて、カザミが宙を駆ける。

 そうしてその触覚に刃を添わせようとした瞬間――その視界を、暗黒が埋め尽くした。

 

「な――……ッ!?」

「カザミ!」

 

 飛んできたカザミの体を受け止めて、セレスがその先のゴア・マガラへ視線を向ける。いつのまにか周囲を取り囲んでいた狂竜ウイルスは、全て漆黒の幕となってゴア・マガラへと収束してゆき、周囲の紫色の淡い光を二人の瞳に映していた。

 

「何だ今の、まだあんな力残ってたか!?」

「……違う」

 

 空気が震え、ぱきぱきと微かに音がする。足元の紫色の光はより一層の輝きを増して、二人を禍々しい色に包み込んでいく。そのゴア・マガラの咆哮に呼応するかのように、龍の結晶はかたかたと震え始めた。

 

「狂竜ウイルス? まさか、これ……全部あいつの」

「――カザミっ!」

 

 思考の奔流から彼を救い出したのは、彼女の叫びで。

 そしてカザミは――自らへと向けられる、漆黒の槍を見た。

 

 

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