『ノスタルジア』   作:宇宮 祐樹

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『:彼方へのノスタルジア』

 

「カザミ」

 

 幼い声だった。

 ぼろ衣を見に纏い、口の端に乾いた血の痕をつけた、痩せこけた少女。ぽつん、と一人で佇むさまはどこか儚げで、こうして手を伸ばさなければ、その命の灯は消えてしまいそうで。

 だから、俺は彼女に手を伸ばしたのだろう。灰色の彼女の小さな手を、握ったのだろう。もう二度と、その色で染めないために。悲しい思いを、させないために。

 

「カザミ」

 

 少女の声だった。

 多少ましにはなった身なりで、少女はまた俺の事を呼んでいた。いつしかそれが日常になっていて、俺はそんな日常を、心のどこかで大切に思っていたのだろう。彼女との時間を、愛おしく感じていたから。 ありふれた日々の中で、彼女が笑っていたから。

 俺は、それを望んでいた。彼女の笑顔だけが、俺の望んでいたことだった。

 

「カザミ」

 

 彼女の声だった。

 綺麗、だった。純白に染まり、まるで花嫁のように袖を翻す彼女はとても美しくて。虹色のを添えた彼女は、俺の方を見て確かに笑っていた。それだけで、俺はどうしてか、とても満たされた思いになった。

 いつしか、俺は彼女のことを望んでいた。ずっと一緒に居たいと、思っていた。

 彼女と共に在る毎日が、永遠に続くと、そう思っていた。

 

「……ザ、ミ…………」

 

 また、彼女の、声が――聞こえ、る。

 次、は……――どんな、姿、を、見せて――くれるの、だろう……

 

「カザミ……」

 

 いつものように、――い、つもの……よう、に…………

 笑っ、て……くれる、だろう……か――――

 

 

 

「――カザミ!」

 

 その声にカザミの瞳は、黒い衣と、白い彼女を見た。

 

「セレ、ス?」

 

 ぼんやりとした視界の中で、彼女の像が踊っている。舞い上がる結晶はぱらぱらと耳へ響き、自らの横たわる体を見て状況を理解するのには、しばらくの時間がかかった。

 

「――……生き、てる? カザミ、生きて――!」

 

 振り返ったその一瞬を、黒い爪が薙いでいく。吹き飛んだ体は結晶の壁へと叩きつけられて、すぐさま立ち上がって走るセレスを掠めたのは、まるで雨の様に降り注ぐ漆黒の槍であった。

 それはゴア・マガラの足元から伸びる、細い結晶だった。龍結晶と呼ばれたそれは禍々しい紫色に染まっており、カザミはいつしかセレスが手で遊ばせていた、紫色の結晶を思い出していた。

 

「……狂竜ウイルス、か……? 結晶を、感染させて……使役、している……?」

 

 龍結晶――地脈を巡る古龍の生態エネルギーが結晶化したものである。

 古龍という莫大なエネルギーによって生み出されたその結晶は、かの古龍渡りの原因であるゾラ・マグダラオスを引き寄せ、そしてとある古龍をも生み出した。

 全ての命あるものはそれを求め、のぞみの果てへ辿り着く。

 そして、かの竜――否、龍もまた、その力を求めた一つだった。

 

「このっ!」

 

 だん、と地面を蹴りつけて、セレスが上へと跳ねる。数瞬前まで彼女が居た場所はすでに数多の結晶が突き刺さっていて、その上へセレスはとん、と足をつけると、紫に輝く橋の上を滑るように駆けた。

 向かうゴア・マガラへと飛び上がり、手にしたガンランスをその黒い甲殻へと突き立てる。がりがりと背中を削る刃が紫色の血を散らし、そして黒触竜は天を仰いで吠えた。

 

「っ、何を――!?」

 

 ばきばきとまるで鉄を千切るような音と共に、龍結晶の地が揺れ動く。そうしてセレスは天井の結晶が作り出した、自らに降り注ぐ巨大な槍を見て、勢いよくゴア・マガラの背中から飛び降りた。崩れ落ちる結晶は空中で形を変えて、千の剣となって大地を穿つ。顔を掠めるそれにセレスが舌打ちをしながら銃槍を握り直し、頰を伝う赤い液体を拭った。

 

「……く、っ…………!」

 

 肩をついて息を吐くセレスに、カザミが顔を曇らせる。

 

「クソ、ここまで来ると何でもアリだな……早く、俺も――ッ」

 

 そう立ち上がろうとした足に、痛みが走る。引き裂かれるようなそれに、カザミが視線を向けると、そこには自らの足を地面へ縫い付ける、紫の結晶があった。

 どくどくと流れる血が、紫の結晶を赤く染め上げていく。ふらりと一瞬だけ遠のく記憶を確かにつかみながら、カザミが震える手でその結晶へと手を伸ばし、

 

「……っ、この……!」

 

 ぐらぐらと揺れる地面が、カザミの足を引き裂いてゆく。立て続けに聞こえてくる結晶のはじける音に、カザミは一瞬だけそちらへ視線を投げた。

 自らへと向かってくる槍の真下を滑り込むように避けながら、セレスがガンランスを背後に構えてトリガーへ手をかける。火薬の香りと共にセレスの体を衝撃が駆け抜けて、黒煙を上げる切っ先が、数多もの槍と刃を交えた。

 

「ああぁぁあっ!」

 

 体をぐるりと回転させながら、セレスが降りかかる結晶の槍を打ち砕く。きらきらと舞い落ちる紫の輝きを掻き分けて、そのガンランスの切っ先はゴア・マガラの相反する角へ。

 けれど虚ろな瞳を浮かべるその龍は、瘴気の洩れる牙をがばりと開くと、向かう鉄を受け止める。伝う衝撃はセレスの体を揺らし、その体を地面へ叩きつけた。

 

「ッ、はや――――」

 

 そうして――セレスの体を、無数の槍が貫いた。

 

「――――か、は……」

「セレスっ!」

 

 全身へ走る痺れるような痛みに、セレスがかすれた声をもらす。皮膚の内へ入り込み、肉を裂く結晶はセレスの小さな体を支配して、まるで糸で吊られる人形のように持ち上げた。

 

「早く、早くしないと――ああクソっ! こんな足ッ!!」

 

 振り上げたハンターナイフを自らの足へ斬りつけながら、カザミが喉を枯らして叫ぶ。既に痛みはどこかへ消え去っていて、ずたずたになった肉と、流れ出す血は、とめどない赤色をその目に映らせていた。

 何度やっても斬れないその足に、カザミが歯を食いしばりながらもう一度銀色のナイフを振り上げる。そしてその刃が足を切り裂こうとした瞬間、カザミの隣でどしゃ、と肉が叩きつけられる音がした。

 

「あ――…………カザ、ミ……?」

 

 見上げるその瞳は、灰色のあの時のようで。

 

「セレス、セレス!? おい、大丈夫か!? 」

「……だい、じょうぶ。」

 

 血にまみれた白い衣を気にすることもなく、ガンランスを投げ出すセレスがその結晶を両手でつかむ。ずるり、と水に混じった音を立てながら抜けたその結晶は、地面に叩きつけると、あっけなく割れて空へ溶けていった。

 ぷつんと糸が切れたように、セレスが地面へ膝をつく。そんな彼女の方に手を伸ばしながら、カザミは途切れた声で語りかけた。

 

「動けるか?」

「……なんとか」

「じゃあ逃げろ」

「嫌だ」

 

 切り捨てるように、セレスが吐き捨てる。

 

「カザミの足が無くなったら、大変だから」

「……馬鹿野郎が。お前が居なくなる方が大変だろ……」

 

 ぽかん、と府抜けたようなセレスの顔が、咆哮によってかき消される。

 遠くに見えるゴア・マガラは周囲に結晶を嵐の様に巻き起こさせながら、空の双眸をこちらへと向けている。口から洩れる狂竜ウイルスは夜よりも暗く、体を蝕む金色は鈍い輝きを見せていて、その黒龍はどこかへ哭くように、もう一度叫びを上げた。

 ぼろぼろになった足を見つめながら、カザミが息を整えて、問いかける。

 

「……セレス、あとどれくらいだ?」

「まだ行ける」

「正直に」

「……たぶん、一撃で精一杯。それ以上は、体が持たない」

「気が合うな、俺もだ」

「これだけ長い付き合いだから、当然」

「ああ、そうか。そうだったよ」

 

 自嘲ぎみにそう笑いながら、カザミが足を引きずって立ち上がる。側に乱雑に投げられたガンランスを拾い上げると、その柄を握りしめた。

 それに寄りそうようにして、セレスがカザミへ手を重ねる。血だらけの小さな手のひらはどこか暖かくて、彼女がそこに居てくれることを感じさせた。

 

「セレス」

「なに?」

「……ずっと、一緒だ」

「うん。今までも、これからも、ずっと」

 

 ――少女の果て、辿り着いたその場所にて。

 

「必ず、あなたの処へ帰るから」

 

 黒い龍が、地を駆ける。紫色を溢れさせながら、その龍は、悲しく吠える。

 それはまるで、届かない故郷を嘆くようで。

 

「行くぞ、セレス」

「うん」

 

 体がどこか軽くなる。二人で握る銃槍の先が、こちらへ迫るゴア・マガラへと向けられる。全身の感覚が抜けるようで、それでいて力が集まるような感覚。

 紙縒のように研ぎ澄まされた意志が、閉じて――そして覚める。

 

「ら、ぁぁぁぁあああああッッ!!」 

 

 交錯するのは、虚ろな双眸と、暗闇に光を見つけた、輝く瞳。

 届かぬ地へと哭く龍は、そこに彼方への郷愁を見た。

 

 

 刻が止まる。

 

「…………なん、で」

 

 眼前へ迫る翼爪と、体を貫かんとしている黒い槍を前に、カザミはしばらく動くことが出来なかった。

 握った鉄の銃槍は、覆いかぶさるように体を上げるゴア・マガラの中央を、深々と突き刺していた。溢れ出す紫の血はブルーチャリオットの青い鱗を流れて、そのまま地面ぽたぽたと垂れてゆく。

 

「終わった、のか?」

「……うん」

 

 すぶり、とガンランスを黒い体から引き抜くと、ゴア・マガラの巨躯は、まるで糸の切れた人形のように、地面へゆっくりと倒れ込んだ。

 牙の隙間から洩れる吐息は弱く、しかしどこか満たされているようで。わずかに体を上下させながら息をするゴア・マガラは、まるで泣き疲れて眠る赤子のようにも見えた。

 

「……殺さなかった」

 

 ぽつり、とセレスが呟く。

 

「……あなたは、私たちを殺せたはず。いや、違う。カザミを、殺せた、はず――」

 

 体に深く突き刺さる槍を指でなぞりながら、セレスがそう呟く。細い胴体を貫いたその槍は、カザミの腹へぴたりと当てられていて、セレスがそれを引き抜くと、赤いどろりとした液体が紫の結晶を伝った。

 ふらり、と揺れるセレスの体を、カザミが受け止める。

 

「セレス? お前、何を……」

「……どうして? なんで、あなたは、……カザミを、殺せなかった?」

 

 その言葉に、まるで応じるようにして、ゴア・マガラの翼脚がゆっくりと動き出す。金色に蝕まれ、もう二度と戻ることのないその腕は、立ち竦むカザミへと伸ばされた。

 ふらふらと揺れ動く黒い腕は、しかし彼へと届く事はなく、地面へと投げ出される。まるで求めるような、何かを望むようなその腕に、セレスはかつての灰色をその瞳に映していて。

 

「あ……ぁ…………!」

 

 そして訪れるのは、胸を穿つような悲しみであった。

 

「そう、か、…………あなたは、私と、同じ、で……」

 

 血だらけの体を引き起こして、セレスがゴア・マガラの側へ腰を下ろす。小さな指が相反する角と触覚を辿って、倒れ伏す鏡のような黒龍は、ただ悲しそうに、けれどどこか嬉しそうな鳴き声を上げていた。

 それはまるで、自らの望みを果たしたような、笑っているようなもので。

 

「……だから、殺せなかったの……?」

 

 帰る場所を失って、巡る大地のその果てに。

 郷愁の龍が見たのは、憧れた純白だった。

 

「あなたは……ただ、帰る場所が欲しかっただけ。故郷を求めて、ここまで辿り着いただけ」

 

 失う悲しみも知っている。孤独になった彼女のことも、知っている。

 だから、それを奪うことは、できなかった。悲しみも、憎しみも、郷愁も、全て知っていたから。

 ぼろぼろになった翼爪が、頬を伝う涙を拭う。渾沌に呻き、辿り着いた果てに倒れ伏すゴア・マガラは、何かを問いかけるようにして、持ち上げた腕をゆっくりと伏せた。

 

「……うん、見つけられたよ。私が、帰る場所」

 

 もう動かないその頭を撫でながら、セレスは懐かしむようにひとりごちる。その姿は眠りつかれた赤子を癒す母のようで、倒れ伏した体を眺める瞳は、かつての色づいた景色を思い出していた。

 そしてそれは、彼女のすぐそばに。今までも、これからも、変わる事はなく。

 

「カザミ」

「……ああ」

「帰ろう、一緒に」

 

 

 

 

 

 

 ――宿痾の果て、辿り着いた処で。

 「帰る場所は、見つけられた?」

 

 

 

 

 

 

 

 

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