初めての飛行訓練。
この日はスリザリンの1年生も朝から浮足立った様子で、自分がどれだけ飛行術が上手いか、実家の箒がどれだけ素晴らしいかなど、口々に話していた。
浮きたつ生徒達とは裏腹に、ダリアは朝から憂鬱な気分だった。いつもならまだベッドの中に居る時間だったが、目が冴えてしまい自然と目覚めてしまったのだ。
同室の3人は「珍しいこともあるのね。雹でも降るんじゃないの?」「ちょっとやめてよね。せっかくの飛行訓練がなくなっちゃうじゃない!」など好き勝手に言っていた。
いっそ本当に雹でも降らしてやろうかしら、とダリアは思いかけ、思いとどまった。
今日の天気で雹が降ってしまえば、それは異常事態だ。
警戒心の高いセドリックは、まずダリアを疑うだろう。
――――――ただでさえ、セドリックはダリアが飛行訓練を忌避していることに感づいている節があるのだ。下手なことはできない。
ダリアは運動が苦手だった。それもだいぶ。
夏休み、エイモスに誘われ、セドリックと3人で渋々キャッチボールをしたことがあった。
クアッフルとかいう魔法界のスポーツで使うボールを使った、別段難しくもなんともない普通のキャッチボールだが、ダリアは5分でばてた。
子供の頃から暇さえあれば本を読んで勉強する習慣が身についていたダリアは、体力が全く無かったのだ。
一年生の飛行訓練では、箒に乗って浮いたり平行に移動したりする程度らしいが、それでも体を動かすことに違いはない。
乗ること自体は問題なくできるだろうけれど、そのまま運動することは勘弁願いたいものである。
ダリアは憂鬱な気持ちを隠そうともせず、オートミールをぼんやりとかき混ぜていた。
「なんだ、モンターナが朝食に間に合うなんて珍しいな。」
「うるさいわね。――――――というか、いつも遅れてないわよ!ほ ん の少し遅めなだけで!」
既に朝食を食べ終え紅茶を飲んでいたノットが、珍しくあたふたとオートミールをかき込んでいないダリアを見て、驚いていた。
セオドール・ノットはいわゆる「聖28一族」のノット家の長男で、スリザリン内でもかなり高いカーストに位置する生徒だ。
しかし同じようなマルフォイのように徒党を組むのではなく、一人で行動することを好んでいるので、同じように一匹狼のダリアとは、必然的に授業でペアを組むことが多くなる。
そのため二人はそれなりに世間話をする程度の仲にはなっていた。
「それで、今日はどうしたんだ。―――まさか、お前も飛行訓練が楽しみで早く目が覚めた、とか言うんじゃないだろうな。」
「ふん――――――私が箒に乗るのを楽しむような人間に見えていたなら、あんたの見る目もなかなか馬鹿にできないわね。」
ダリアの嫌みに、ノットは意外なほど屈託のない表情で笑った。妙に機嫌がいい。
「そういえば。」ダリアは思い出した。「あんたも、朝寄って集って箒自慢してた連中の一員だったわね。それこそ珍しく。」
「まあな。魔法使いの家に生まれた男で、クディッチが嫌いな奴なんてほとんどいないだろう。ドラコじゃないが、俺だって実家では毎日箒に乗って庭を飛んでた。」
「それはそれは。それで?私に披露する武勇伝は何かないわけ?えーと、なんだったかしら、飛行機にぶつかったとか、ロケットを撃ち落としたとか。」
先ほど談話室で聞いたマルフォイの自慢話を口にして、思わず顔をしかめた。明らかに盛っていることが分かる稚拙な作り話だったからだ。
ノットもそれが分かっているのか、未だに大広間のテーブルで騒いでいる金髪を見やり、苦笑した。
「ドラコも家の名を上げようと、あいつなりに必死になってるんだ。あまりうまい方法とは言えないが―――――それで、お前はどうしてそんなに不機嫌なんだよ。まぁ、俺の見る目を信じるなら、あまり運動が得意なようには見受けられないけどな。」
「あら、確かな目をお持ちのようで。」
ふてくされたダリアを、ノットはまた楽し気に笑いとばしたのだった。
我先にと訓練所に向かうスリザリン生の群れに交じり、ダリアもノロノロと移動を開始した。
スリザリン生たちより少し遅れてグリフィンドール生が訓練所に現れ、ようやく飛行訓練が始まった。
「上がれ!」
ダリアが言うと、箒は大人しく手の中に吸い込まれた。隣で訓練を受けていたノットも、難なくこなしていたが、成功した生徒はそう多くはなかったらしい。
何度か繰り返して全員が箒を空中に上げられるようになり、いよいよ飛び上がるという段になって、事件は起こった。
グリフィンドールの生徒の一人が暴走して空に大きく投げ出されて怪我をして、授業が一時中断されたのだ。
マダム・フーチが手首の骨が折れたらしい生徒を医務室に連れに行くと、ダリアはほっと息をついてまたがっていた箒から降りた。
あからさまな様子のダリアに気付いてクスクス笑ったノットだったが、ダリアが怒りだす前に、あることに気付いて顔をしかめた。
「あいつ、また面倒なことを―――――――」
マダム・フーチの言いつけを無視して、箒にまたがり飛び上がったマルフォイを見て、ノットは嫌な予感がした。
そこからの展開はあっという間だった。マルフォイの挑発に乗せられて箒で空中へ舞い上がったグリフィンドールの眼鏡の生徒が、彼の落としたものを拾うため、危険を顧みずダイビングキャッチを披露し、その場面を偶然目撃したマクゴナガル教授に連れていかれたのだ。
ドラコ達は憎き相手に一泡吹かせてやったと大満足な様子で、談話室で「ポッターを退学にしてやった!」とくだを巻いていたが、ノットは「そううまくいくだろうか。」と疑わしく思っていた。
ドラコのばらまく高級菓子のおこぼれにあずかろうと珍しく談話室でレポートに取り組んでいたダリアも、バカ騒ぎを呆れたような顔をして見ていた。
案の定、有頂天だったスリザリン生たちの気持ちは、急降下することになった。
退学に追い込んだ(と思い込んでいた)ポッターが、ダンブルドアによる特別措置として、グリフィンドールの最年少シーカーとなったのだ。
「ダンブルドアのグリフィンドール贔屓にはもううんざりだよ。僕はもう既に父上にふくろうを出した。学校側に正式な抗議を出してもらうんだ。」
事の発端となったドラコは、今日何回目かになる文句を、取り巻きの生徒たちにぶちまけていた。よっぽど悔しかったのだろう、彼の顔には朝からずっと、ショックと失望が混ざり合ったような奇妙な笑いが張り付いていた。
普段争いごとは首を突っ込まないノットもこの知らせには怒ったようで、その知らせを聞いた瞬間、人には聞かせられないようなスラングを小さく吐き出していた。
「たかが箒の一本、ユニフォームの一枚じゃない―――――馬鹿みたいに騒いじゃって。」
箒にもクディッチにもハリー・ポッターにも興味がないダリアは、ピリピリするスリザリンの寮から逃げ出して、いつもの図書室の一角で自習をしていた。
昔から男の子たちが夢中になるクリケットだとかサッカーだとかには、全くもって面白さを見出せないダリアは、彼らがなぜああも競技に真剣に向き合えるのか理解できなかった。
するといつものように、鞄の中からトゥリリが顔を出した。
『でも、ダンブルドアも下手を打ったんじゃないかなぁ?今回の贔屓はやりすぎだよ。グリフィンドールの連中はいいけど、他の寮からの反感はすごいんじゃない?』
それは――――なんとなくわかるかもしれない。
トゥリリの言う通りだ。とダリアは思った。スリザリン内からの不満はもちろんのこと、他寮の生徒からも、「特別措置」についての愚痴や文句はわずかながら耳に入ってきていた。
魔法界でクディッチの人気は、ダリアが思っているよりもずっとあるらしい。
ダンブルドアはどういうつもりでこの「特別措置」を許可したのか。
ダリアはこの世界における大魔法使い、アルバス・ダンブルドアの考えに思いを馳せるのだった。