呪文がちゃんと働くようにかけることがどんなに難しいことか、モンターナの家に生まれた子供は皆、小さいころからよく知っている。
出来合いのお守りを使うだけならだれでもできるが、そのお守りの呪文を正しく作るとなると、書くにせよ、唱えるにせよ、歌うにせよ、何もかも間違いなくやらないと、とんでもないことが起きてしまうのだ。
例えばアンジェリカ・ペトロッキという女の子は、呪文を歌うとき音を一つ外してしまったため、父親を全身鮮やかな緑色に染め上げてしまったらしい。
呪文とは、適切な順序で並べられた、適切な言葉のなのである。
〈呪文作り〉の名家モンターナ家で生まれたダリアももちろん、そのことを良く知っていたので、小さい頃から図書室に籠りきり、モンターナ家に伝わる秘伝の呪文を全て正確に覚えてしまっていた。
これはもちろんとんでもないことで――――モンターナ家は700年前から存在しているので、秘伝の呪文もそれはもうたくさんある――――モンターナ家の家族たちは、ダリアを神童だと持て囃した。
それはもう、ダリアが有頂天になって鼻持ちならない女の子になってしまうほどに。
ところがダリアが引き取られていった大魔法使いのお城で使われていた「魔法」は、モンターナの家で一生懸命練習していた魔法とは全く違う性質のものだったのだ。
二つの魔法の違いを音楽で説明するとわかりやすいかもしれない。
モンターナ家はいわゆる才能ある作曲家の一族で、曲の代わりに呪文作りをしている。その呪文を正しい方法に従って使用すれば、誰でも魔法を使える。
一方、大魔法使いは決まった楽譜に従わなくても、即興演奏のように魔法を使うことができるのだ。
この違いは、今まで理屈で考えて魔法を使ってきたダリアにとって、中々受け入れることが難しいものだった。
それでも認めてもらおうと必死でその魔法を練習してきた甲斐あって、それなりには即興の魔法も使えるようになっていたが、やはり苦手分野であることには変わりない。
その点、ホグワーツで教えられる魔法の理論は、ダリアに相性がぴったり合っていたと言えるだろう。
「ウィンガーディアム・レビオーサ。」
ダリアが呪文を唱えると、羽がふわりと宙に舞い上がった。
挑戦してすぐに成功させられた生徒は他に居なかった。呪文学のフリットウィック先生はふわふわと空中を漂うダリアの羽を見つけ、「すばらしい!スリザリンに十点!」と言ってニッコリした。
「相変わらずすごいわね、ダリア。どうやったらそんなに早く呪文を覚えられるの?」
珍しくペアを組んだダフネが、教科書とにらめっこをしながら言った。
どうやら、呪文の発音とトーンを正確に口に出すことで苦労しているらしい。
こちらの魔法族の子供は、幼年期にはむしろ大魔法使いのように、理屈も何もなく魔法を使うという。
それ故ホグワーツで教えられる魔術の理論を理解することに苦しむ生徒が少なくない。
ダリアの苦悩とはあべこべの現象が興味深くもあった。
「ただ言葉の羅列として呪文を正確に唱えるのは難しいの。単語の意味を考えて口にすると、ある程度音程が違っても効果は発揮されるみたい。」
「そうなの?でも私、ちゃんと浮き上がれって思いながら唱えてるのに―――――」
「呪文の意味じゃなくて、単語の意味よ。この呪文なら、wingは翼っていうのは分かると思うけど、ardiumはラテン語の高い、Leviosaは昇る、という言葉が語源にあるみたい。」
「へぇ、そうなのか。初めて知ったよ。」
後ろでドラコとペアを組んでいたノットが興味深げに口を挟んできた。気づくと、周囲で練習していた生徒たちは、耳をそばだててダリア達の会話を聞いていた。
にわかに注目されたダフネは慌てて咳払いをして、ダリアの助言通り、単語一つ一つの意味を考えながら呪文を唱えた。
「Wing‐ardium‐Leviosa!」
すると先ほどまでは机の上でピクリともしなかった羽が、軽やかに宙に舞い上がり、歓声が上がった。ダフネは注目される中呪文を成功させることができたので、ほっとしたような表情をした。
「さっきはありがとう、ダリア。助かったわ。」
その後、ダリアのアドバイスを聞いたスリザリン生が全員呪文を成功させ――――なんとあのクラッブとゴイルまで――――フリットウィック先生から20点もの得点をもらったスリザリン生は、上機嫌で教室を出て、大広間に移動していた。
大広間は沢山のコウモリやカボチャで飾りつけをされている。今日はハロウィーンなのだ。
おなかがペコペコになったダリアが今か今かと料理を待ちわびていると、隣に座っていたダフネが声をかけてきた。
他人に感謝されたことが少ないダリアはびっくりして、まじまじとダフネを見つめた。
「――――――別に、大したこと、してないわ。知ってたことを言っただけだし。」
ごにょごにょとダリアが呟くと、ダフネの隣で自分の皿にパンプキンパイをよそっていたパンジーとミリセントが、会話に加わった。
「あんたの言ったことを考えてやったら、私でも成功したんだ。すごいじゃん。呪文の語源なんて考えたこともなかったよ。」
「そうね。フリットウィック先生がおっしゃってたけど、スリザリンの他に最初の授業で全員呪文が成功した寮は無かったそうよ。」
ダリアの助言で呪文を成功させることができたからか、3人とも妙に好意的な態度だ。
ダリアはますますどぎまぎしてしまい、その様子がいつもの高慢ちきな態度から程遠かったためか、3人はクスクスと笑った。
「――――それにしても、よくラテン語なんて知っていたな。」
いつの間にか、ダリアの周りがスリザリンの話題の中心になっていたようだ。授業中、ダリア達の近くで練習していたドラコが、感心したように言う。
ラテン語は魔法族の間でも一定の教養と格式を表すものであり、魔法界の貴族の間では、ラテン語の習得は一種のステータスにもなる。
「確かにな。お前、母語はイタリア語だろ、イタリア系の名前だし。―――その割に英語には不自由してないみたいだし、その上ラテン語だろ。まぁラテン語はイタリア語の古語のようなものらしいが、それでも馬鹿にならない知識量だろ。」
ノットにも手放しに称賛され、ここ数年褒められた記憶の無いダリアは顔が真っ赤になった。自分の才能と努力を疑ったことは無いが、ダリアの前には常に天才が居て、いつもダリアの数歩先を歩んでいた。
尊大な態度とは裏腹に、ダリアの自己評価は意外と低い。
「ラテン語も英語も、呪文によく使われる言葉だから、昔覚えたの。―――――でも私の家族は全員そうだったから、別に特別なことじゃ、」
突如、大広間のドアが勢いよく開いた。頭にターバンを巻いた、闇の魔術に対する防衛術のクィレル教授が這う這うの体で駆け込んでくる。
全員が注目する中、クィレルはあえぎながらダンブルドアのもとへたどり着き、どこにそんな力が残っていたのかというほどの大声で言った。
「地下室に―――――トロールが!!お知らせしなくてはと思って!!」
そのままクィレルは倒れ、大広間は大混乱になった。ダンブルドアが杖先から爆竹を出して何とか落ち着かせようとしている。
ダリアは「トロールってどこにでもいるのね。」と思いながらも、クィレルの態度に違和感を持った。
どうして彼は生徒全員が注目する中で、トロールが現れたことを宣言したのだろうか。この混乱が予想できないわけでは無いだろうに。
その後、ダンブルドアによって生徒たちは各寮に返された。生徒たちは困惑しながらも、トロールの出現に不安げな顔をしていた。
いくら頭が弱いと言っても、トロールは力も強く凶暴な魔法生物だ。一人の時に出くわしたくない存在であることは間違いない。
その後しばらくしてトロール捕獲の報が入り、生徒たちはようやく安心して、談話室に運ばれてきた料理に手を付け始めた。ハロウィンの宴の仕切り直しだ。
その日、ダリアはスリザリンの同級生となんとなく打ち解けることができ、次の日からも以前より気軽に声をかけられることが増えた。
煩わしそうにしながらも、満更でもなさそうにしているダリアを、トゥリリが生暖かい目で見ていた。