「スネイプ先生、失礼します。モンターナです。」
「―――――――入りたまえ。」
夕食を食べ終わったダリアは、スリザリン寮の入り口近くのスネイプの研究室を訪ねていた。
魔法薬学の教室に隣接した研究室は、教授の私室も兼ねているようで、奥には寝室があるらしいという話をスリザリンの先輩から聞いたことがある。
始めて入室したダリアが物珍し気に壁の素材をぼんやり眺めながら歩いていると、スネイプが咎めるように咳ばらいをしたので、慌てて椅子に腰かけた。
「―――――もう夜も遅い。ノンカフェインのコーヒーでかまわんかね?」
「はぁ。おかまいなく。」
用意された飲み物に口をつける。途端、精神に干渉する何らかの存在を感知したダリアは慌てて気を引き締めた。
飲み物の中に、自白剤のようなものが入っている。暢気に構えていたが、生徒に薬を盛るとは、何か相当のことをやらかしてしまったようだ。
態度には出さないまま、ダリアは自身に防護魔法を何重にもかけた。これで、魔法薬の効果は出ないはずだ。
ダリアが飲み物を確かに飲んだのを見届けて、スネイプは口を開いた。
「――――――用件の前に、まずは礼を言わせてもらおう。先日の、マルフォイの罰則の件についてだ。」
「―――――ああ!そのこと!」
試験で忙しくて、割と記憶のかなたへ飛んでしまっていた。
―――――そういえば、大きな問題がまだ一つ残っていたのだった。
「パーキンソンが言うには、君がドラコの状態を正確に知らせてくれたおかげで、最悪の事態を免れたという。――――実際、彼女からの訴えが無ければ、我々がマルフォイの状況に気が付くこともなく、取り返しのつかないことになっていた可能性がある。スリザリンの寮監として、まずは礼を言わせてほしい。」
「あ、はい、どうも―――――」
スネイプがいつもの仏頂面のまま頭を下げる(!)ので、ダリアも思わず頭を下げ返した。スネイプはそのまま頭を上げると、おそらくはこちらが本題だろうことについての話を切り出した。
「そのうえで、ぜひとも聞かせてほしいことがある。――――――君はどうやって、寮から一歩も出ることなく、ドラコが禁じられた森に置き去りにされていることに気付いたのかね?」
やっぱりそこか、とダリアは思った。あの時は思わず「魔法」を使ってしまったが、この世界においては存在を周知されていない未知の力だ。
部屋から一歩も出ることなく、距離の離れた場所の様子を探るなど、通常であれば考え難い事象である。
しかし、後からその事に思い至ったダリアは、もし怪しまれたときどう答えるかを一応考えてはいた。
「―――――先生、幽体離脱ってご存知ですか?」
ダリアは慎重に言葉を探して話す振りをしながら、嘘八百を並べ立て始めた。
私、昔から意識が体の外へ出やすい体質なんです。疲れた時とか眠たいとき、ふと気が付くと自分の体を見下ろしていることが時々あって。
いつから―――――いえ、物心ついたときにはもうその記憶があります。おそらく、幼い頃虚弱体質だった(という設定になっている)私は、肉体と精神の結びつきが、人より弱かったのだと思います。
数回繰り返すうちに、自分の意志で幽体離脱をすることができるようになっていました。もちろん、毎回必ず成功するわけでは無いのですが。
とても疲れますし、幽体離脱している間は肉体が無防備になってしまうので、あまりすることは無かったのですが、あの夜は別です。
同室のパンジーがドラコをかわいそうなほど心配していたので、見かねて――――
―――はい、とても危険でした。ですが、やってよかったと思っています。おかげでドラコは軽いけがで済んだので。
「その後、ドラコが置き去りにされていると知ったパンジーがこの研究室に駆け込み、先生方の知るところになったのです。」
スネイプはダリアの話を難しい顔で静かに聞いていた。疑わしいところがないか探っていたのだろう。
しかしダリアが話終わると、少し間を置いた後、短いため息をついた。
「―――――ふむ。なるほどな。幽体離脱は既に何例か確認済みの現象だ。自分でコントロールできるという例があってもおかしくは無いのかもしれない。」
どうやらダリアの話に怪しいところはないと判断したようだった。
ダリアはこの疑り深そうな大人を騙しきった自分の演技力に酔いしれていた。
開心術までは使わなかったので、おそらく元々「怪しいから一応確認しておこう。」程度の疑惑だったのだろうか、スネイプはすぐに話題を変えてきた。
「さて、前置きはここまでにして、本題に入らせていただこう。――――試験についての話だ。」
「え―――――ま、まさか、何か重大なミスでもしてしまったんですか、私!?自分では、学年一位は間違いないと思っていたんですけれど。」
本当に先ほどの話が前置きだったとは思っていなかったうえに、予想外の話題を振られたダリアは目に見えて動揺した。
先ほどダフネに言われた言葉が蘇る。「ダリアは意外と爪が甘いから・・・」
本当に何かとんでもないミスをしでかしてしまったのだろうか。
ダリアの心配をよそに、スネイプは淡々と言葉を続ける。しかし表情はどことなく嬉しそうにも見えた。
「その心配は無用――――――予想通り、君は学年一位の成績だった、モンターナ。全ての教科で、君は100点満点以上の好成績を叩き出した。ホグワーツ始まって以来の秀才だと、教授たちは口々に噂している。」
やりすぎたのかもしれない。とダリアは思った。そこまで点数が伸びるとは想像していなかった。
自分の寮の生徒から、歴史に残るような秀才が出たとなれば、スネイプの機嫌のよさも頷ける。冷徹なように見えて、彼は露骨なスリザリン贔屓なのだ。
「今回呼び出したのは他でもない。君が魔法薬学の筆記試験で付けた注釈についてのことだ。」
「注釈って、私が点数稼ぎで付けたしてたメモ書きのことですか?」
「左様――――――その注釈のいくつかに、学界ではまだ発見されていない、新しい魔法理論に関するものがあったのだ。そのことについて、論文を書いてみる気はないかね?」
スネイプの話では、ダリアがツラツラ試験の余った時間で書き連ねた注釈のうち、「魔法薬の材料に魔法をかけることで、薬の効果がより強力になったり、薬を作成する時間の短縮ができたりするのではないか」という仮説が、論文として発表できる可能性が高いという。
何やら、魔法薬は繊細なもので、少しでも手を加えると効果が変わってしまうことから、今までは材料に魔法をかけることは避けられていたことらしい。
それをあえて「魔法をかけて効果を変える」とした点が、評価されているらしい。
「説が立証されれば、特許を取得し、収入を得られる可能性もある。前向きに検討してくれたまえ。」
「はぁ、考えてみます。」
スネイプの話は正直魅力的だった。家出娘であるダリアにはお金の余裕がそうあるわけでもなく、小遣い稼ぎの手段があるに越したことはない。
しかし論文を発表するほど有名になってしまえば、何かの拍子に居場所を知られてしまうとも限らない。
―――――論文や特許が匿名で発行できるかどうか調べてから、考えてみよう。
ダリアはそう思い、スネイプに退室の挨拶をすると、寮へと帰って行った。
ダリアが出ていったドアをみつめ、スネイプは再びため息をついた。すぐさま自身の記憶を取り出し、小瓶の中に保存した。
―――――――これを校長に見せれば、ひとまず彼女への疑いも晴れるだろう。
ダリアは勘違いしていたが、実際彼女への疑いは軽いものではなかった。
真実薬の生徒への使用は固く禁じられている。その禁を破ってまでスネイプに薬を使用させたのは、ひとえにダンブルドアからの指示によるものだった。
ホグワーツの歴史に名を刻む秀才で、名家出身の貴族たちと懇意な、スリザリン出身の生徒。
知る人が聞けば、とある人物を思い起こすであろう要素が、偶然にも揃っていた。
ダンブルドアは、そんな要素を持つ彼女が見せた特異性に、「将来彼と同じように悪の心に目覚める可能性」を感じ取ったのだという。
「――――――。」
なんとも遣り切れないことだ、とスネイプは思った。例えば彼女がスリザリン以外の寮――――例えばグリフィンドール、またはレイブンクロー、ハッフルパフでもいいかもしれない。――――であったとしたら、このような疑いは持たれることは無かっただろう。
学生時代スリザリン寮出身であったスネイプも、自寮に対するある種の偏見ともいえる風潮は、肌で感じ取っていた。
その偏見は現在もしぶとく残り続け、しかも偏見を持っている側には自覚すら持たない者が多い。
闇の帝王が斃れ、長い年月が経ったにもかかわらず、スリザリンという寮にこびりついているレッテル。
―――――闇の帝王がまだ存在していると世間に周知されてしまえば、そのレッテルはより強固なものとなってしまうだろう。
スネイプは自身が命をかけてやり遂げなければならない使命を思い出し、「彼」のたくらみを阻止すべく重い腰を上げた。
ハリー・ポッターとその仲間たちが、ホグワーツに混乱を巻き起こそうとしていたというクィレルを斃し、闇の勢力のたくらみを阻んだという噂が学校中に広まったのは、その次の日のことだった。