夏季休暇
イギリスのボウブリッジの町の近郊には、世界を股にかける大魔法使い、クレストマンシーの住まう城が存在する。
クレストマンシーとは役職の名前であり、この役職に就いた者は、いくつも存在する平行世界の各々を監視し、魔法に関連した事件を解決するという重大な使命を負わなければならない。
当然、力の強い大魔法使い―――――それもとびきり特殊な「体のつくり」をしている――――でないと、クレストマンシーを襲名することは出来ない。それほどまでに責任のある重要な役職だ。
それ故、今代のクレストマンシーは、自身の後継者となる子供を、長いことずっと探していたらしい。
しかし、彼は探し求めていた「特殊なつくり」をした子供を、長い間見つけることができなかったのだ。
もしかすると、何かとんでもないトラブルに巻き込まれて、既に命運尽き果てこの世に存在しないのかもしれない――――そう考えたクレストマンシーは世界中から才能ある魔法使いの子供を探し出し、とりあえずの後継者候補として、魔法の訓練を施した。
ダリアはその探し出された子供たちの中でも、飛びぬけてつよい力を持った子供だった。
クレストマンシー城での訓練はとても厳しく、他に集められた子供たちが次々と家に帰されていく中、気付けばダリアが最後の一人になっていた。
つまり、次代のクレストマンシーはほぼ内定していたようなものだった。
それからダリアは更に厳しい訓練に明け暮れることになった。
何しろ、元がクレストマンシーたる大魔法使いの器には及ばないのだ。いくら訓練しても、その差は簡単に埋められるものではない。
無責任な「偉い人」たちに、「格不足」と揶揄されようとも、ダリアは一生懸命努力した。
城の人たちはダリアに優しかったし、家族の期待を裏切るのが怖かったし、なにより、クレストマンシーを尊敬していたので、彼に恥ずかしくない後継者になりたかったからだ。
苦手だった「魔法」も何とかそれなりに使えるようになり、ひとまず「クレストマンシーの後継者」として及第点を貰えるようになった矢先のことだった。
クレストマンシーたる条件である、「9つの命」を持った少年が、ようやく見つかったのだ。
「―――――私を後継者候補から外すって、今言ったの?」
「そう聞こえなかったかね?」
幾度となく足を踏み入れたクレストマンシーの仕事部屋で、ダリアは茫然と立ち尽くしていた。
目の前に立っているクレストマンシーは、いつもと変わらない様子で、関連世界全ての新聞を読んでいる。
おそらく世界情勢のチェックをしているのだろう。何か異変があれば、彼はその世界に飛んで行って、その原因を調査しなければならない。
そんなことは分かるのに、彼がたった今告げた言葉は、全く頭に入ってこなかった。
「――――分かっていたことだろう?クレストマンシーを継ぐ条件は、「9つの命を持った」大魔法使いであることだ。その条件を満たしたキャットが見つかった以上、君をこのまま後継者候補に縛り付けておく理由は無い。」
「―――――――――っ」
クレストマンシーの言う通り、ダリアにも分かっていたことだった。
あくまでダリアは、正当な後継者が見つからなかった場合の保険だ。条件だって十分に満たしていないし、力だって「本物」には遠く及ばない。
キャットが現れてしまった以上、わざわざ「格不足」のダリアを後継者に据えておく必要性は全くない。
頭では理解できたが、ダリアの幼い心はそれをすんなり受け入れることなど出来なかった。
「で、でも!そんなの急に言われても、どうすればいいのかわかんないよ!今までクレストマンシーになるためにいっぱい訓練してきたし、それでちょっとは魔法も上手になったんだよ?―――――これからもっと勉強頑張るから、だからお願い、クレストマンシー!」
「――――ダリア。」
クレストマンシーが静かにダリアの名前を呼んだ。いつの間にか彼は新聞を閉じて、きらきらした黒い瞳でダリアを見つめている。
必死で言葉を連ねていたダリアは、その目を見た途端体を動かすことが出来なくなってしまった。
魔法をかけられているわけではない。その目が持つ強い意志に、圧倒されてしまったのだ。
クレストマンシーはゆっくりと立ち上がり、ピクリとも動くことのできないダリアの前までやってくる。
窓からの逆光で、彼の表情は伺うことは出来ない。背の高さも相まって、ダリアには目の前のクレストマンシーが黒い壁のように感じられた。
「ダリア――――――クレストマンシーが危険な仕事なのは知っているだろう。」
何年もここで暮らして、彼の仕事ぶりを見てきたのだから、知らないはずがない。
様々な世界のトラブルを解決するのだ。その分たくさんの恨みを買い、報復を受けることも少なくはない。
実際ダリアも、一度その報復に巻き込まれ、危険な目にあったことがあった。
――――だからダリアだって、そんなことは承知の上だった。
危険だと理解した上で、ダリアはクレストマンシーになりたかったのだ。
「危険だから―――――――力の及ばない私には、無理だっていうの?」
「――――――――、―――――――――そうだ。だから君が無理して、わざわざ危険な目に合う必要はもう無いんだ。」
クレストマンシーはいくらか言葉を迷ったようだったが、最終的にダリアの言葉を肯定した。
その一言が、ダリアの胃の中にズンと深く沈み込んだ。
クレストマンシー城での、今までが蘇ってくる。
「魔法」が上手く使えなくて落ち込んだ日、初めて成功して嬉しかったあの日。
城を訪れた偉い人達の「こんな型落ちでクレストマンシーが務まるのか?」という陰口を聞いて、こっそり泣いた夜。
「偉い人」を見返してやろうと、寝る間も惜しんで訓練にのめり込んだ。
――――全て、自分の才能を見出してくれたクレストマンシーの期待に、応えたいがためだった。
だがそれらの努力は、全て無駄になってしまった。
ダリアは果てしない絶望を感じていた。怒りとも悲しみともとれるその感情がうねりを上げて行き場を探している。
「キャットが、キャットなんかが来なかったらよかったのに―――――」
「ダリア!!」
怒りの矛先がキャットへ向かおうとすると、クレストマンシーはダリアを鋭く叱責した。
「言っておくが、キャットに当たったら承知しないぞ。彼は短い間に色々なことがあったせいで、今とても不安定な状態だ。君がショックを受けるのは分かるが――――――」
「うるさいっっ!!!!!!!」
ダリアはクレストマンシーの言葉を遮って、のどが壊れるほどの大きな声で怒鳴った。
幼い頃から憧れ、尊敬してきた彼に、こんな態度を取るのは初めてだったので、クレストマンシーも目を見開いてダリアを見つめている。
そんなことも気にならないほど、ダリアは大きなショックを受けていた。
「私だって!短い間に色んなことがありすぎて、わけわかんないよ!今までずっと、格不足だって言われ続けて、それでも私にしかできないからって必死で頑張ってきたのに!――――それを今度は、突然なかったことにしろなんて、無理に決まってるじゃない!!」
「ダリア、それは違う。私は君の―――――――待ちなさい!」
「私は絶対、認めないんだから!!!!」
ダリアは激情のまま、クレストマンシーの静止も無視し、書斎をロケットみたいなスピードで飛び出した。
ダリアが家出したのは、それからおよそ一年と少し経った初夏のことだった。
―――――ずいぶんと懐かしい夢を見たなあ。
目を開けたダリアは、そのまましばらくじっと天井を見つめた。
視界の端で、トゥリリがダリアの頬をペロペロと舐めていた。
『あ、起きた。大丈夫?うなされてたよぉ。』
「うん―――――大丈夫。ありがと。」
ダリアはトゥリリを顔の上から下ろし、大きなふかふかのベッドの上に体を起こした。
ここはグリーングラス邸にある客室の一つである。
学年末の約束通り、ダリアは友人たちと一緒にダフネの家に泊りがけで遊びに来ていたのだ。
グリーングラス家は聖28一族の一端を担っているが、マルフォイ家ほど熱烈な純血主義を掲げている家ではない。
ダフネが女の子ということも相まって、ダリアはエイモスから、前回より長い期間のお泊りの許可を出してもらっていた。
『どうしたの?何か怖い夢でも見たの?』
「うーん、怖いっていうか。――――――まあ、私にとっては怖い夢なのかも。」
『なにそれぇ。』
トゥリリは不思議そうに首をかしげている。
ダリアはそんなトゥリリを見て曖昧に笑った。自分でも、まだあの時のことを「怖い」と思っているのかどうか、良く分かっていなかった。
一度目覚めてしまったダリアは眠気が吹き飛んでしまったので、身支度を済ませてしまうことにした。
今日は4人で、グリーングラス家のプールで水遊びをする予定だった。
グリーングラス邸のプールは、庭の一番日当たりのいい場所にあった。
この日は天気も良く、カラッとした爽快な暑さだったので、女の子達は水着に着替えるとすぐに歓声を上げてプールへ飛び込んだ。
いつもは完璧に整えられた髪型が崩れるのを嫌うダフネも、親しい友人たちだけの空間ではそれも気にならなくなるようだ。
頭の先まで冷たい水に潜り込んで、びしょぬれになって遊んでいた。
途中、ダフネの妹のアステリアも加わり、ひとしきり泳いだり潜ったりした後は、それぞれ足を水につけたりプールサイドのデッキチェアに寝そべったりして、ゆったりと過ごすことになった。
しかしダリアは、ゆったりした時間を過ごすことが許されなかった。
「ほらダリア、あとちょっとだ、頑張れ!」
「も、もう、ぶ、むり―――――し、しんじゃう!」
「何言ってんの!こんな浅いプールで死ぬわけないじゃんか!」
「ぶくぶく―――――」
泳げないダリアのために、ミリセントがスイミングの教師役を(無理やり)かって出たのだ。
無理やりプールに引っ張り込まれたダリアは、最初こそ、陸に上がろうともがいて抵抗していたが、大柄で力の強いミリセントからは逃げられないとすぐに観念した。
今では大人しく(文句はずっとぶちぶち言っているが)、バタ足の練習に取り組んでいた。
「元気ねぇ―――――」
「ほんとにね。よくやるわ、ミリセントも。」
一方ダフネとパンジーは、プールサイドで優雅に日光浴をしながら、スイミング教室の見学に興じることを決めたらしい。屋敷しもべ妖精に飲み物まで用意させ、デッキチェアに深く腰掛けてくつろいでいた。
そんな姉とその友人に、アステリアがおずおずと近づいてきた。
アステリアは、金髪に緑の目の、ダフネによく似た美少女だ。
ダフネとは2つ年が離れているので、ホグワーツへの入学は来年まで待たなくてはならないが、純血の家同士昔から交流があったので、姉の友人たちとも前から顔見知りだった。
―――――今プールで溺れかけている一人を除いては。
「お姉さま、あの、ダリアさんとは、ホグワーツで仲良くなられたのですよね?」
「ええ。スリザリン寮で一緒の寝室になったの。―――まぁ変な子だけど、悪い人じゃないわよ。」
「わ、悪い人でないのは、さっきお話ししたので、わかりますけど―――」
アステリアは、学校で姉がどの様に過ごしていたのか、興味があったようだ。
いつもダフネがホグワーツに行っている間、この広いグリーングラス邸で一人で遊ぶしかないアステリアは、姉がずっと家にいてくれる夏季休暇の間中、ずっと姉にひっついて行動していた。
今日のプール遊びも、姉がせっかく学校の友人たちと遊んでいるので最初は遠慮していたが、途中で我慢できずに仲間に入れてもらっていた。
パンジーやミリセントなどは以前から顔見知りだったので、快く受け入れてもらえたが、初対面のダリアもそれなりに歓迎してくれたようで、水遊びの時には一緒に遊んでくれた。
負けず嫌いのダリアは、アステリア相手でも大人げなく全力で水をかけていたので、ミリセントに頭をはたかれていたが。
「――――まあ、あの子もだいぶ変わったわよね。だって最初の頃のダリアって、なんかとっつきにくいっていうか。わざと壁を作ってたっていうか。性格悪かったし。」
バシャバシャと大きい水しぶきを上げる割に全く前に進まないダリアの泳ぎを見ながら、パンジーがしみじみと呟いた。ダフネもその意見には同意できる。
確かに入学したてのダリアには、刺々しい態度を取ることで、わざと周りの人間を遠ざけている節があったからだ。
「私はあなた達と違うのよ」と思うことで、何かから身を守ろうとしているようにも見えた。
ダフネ達としても、そんな女の子にわざわざ自分から関わっていくつもりは無かったし、だからダリアはしばらくの間、スリザリン内でも浮いた存在だった。
実際とても優秀で、スリザリン寮の得点に大きく貢献していたので、いじめられるまでは至っていなかったが。
だが時間が経つにつれ、ダリアの棘は治まっていき、勉強について質問してもこちらを馬鹿にすることなく答えてくれるようになってきたのだ。
あのハロウィーンの夜、思い切って話しかけてよかったとダフネは思い返す。だってあの時あの子の意外ないじらしさに気が付かなければ、今こうして4人で仲良く遊ぶなんてできなかっただろうから。
ダフネ達はそれぞれダリアの存在に少なからず救われていた。
ダリアは彼女たちが入学前から仲良し3人組だったと思っているようだが、実際はそんなことは無い。あくまで家同士の付き合いが先にあり、同年代の女子が彼女たちしか居なかったから自然とつるんでいただけだった。
口にしたことは無いが、見えない壁のようなものは常にあった。
しかしそこにダリアが加わったことで、色々な変化があった。
貴族として肩肘を張る事に疲れていたダフネは、英国の魔法社交界とは全く関係の無いダリアが居ることで、体面を考えず気を抜くことができた。
聖28一族にもかかわらず、暮らしぶりは庶民のそれとそう大差ない家に生まれたミリセントは、それ故いつも他の二人から一歩引いた態度を取っていた。そんな彼女も、魔法貴族とは関係ないダリアが居ることで、以前より自分を出しやすくなっていた。
気の強いパンジーは、大人しめの二人の中で言いたいことが言えず悶々としていたが、今では同じように気の強いダリア相手に元気に言い合いが出来ている。
なので3人は、決して口には出さないが、ダリアに少なからず感謝していた。
ダリアは全く気付いて居ないだろうけれど。
ミリセントのスイミング指導を終えたダリアが這う這うの体でプールサイドに上がってきた。
「この子ったら、泳ぎ全然ダメだよ。水には浮く癖に、全く前に進めないのよ。」
ミリセントが困惑したように言っている。疲労困憊しているダリアは、何も反論できないようだ。
勉強に関しては、「苦手なことなんて特にないんじゃないかしら?」と威張っているダリアだったが、運動に関しては本人も不得手であることを自認しているらしい。
陸地の重力に逆らえず地面から立ち上がることのできないダリアを起こしながら、3人とアステリアは思わず笑ってしまった。