ダリアの歌わない魔法   作:あんぬ

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急襲

 最初にセドリックの盗撮写真の取引現場を目撃して以来、ダリアはいたるところで似たような光景を目にすることになっていた。

 

 ホグワーツの女子の憧れの的は、今やクラムかセドリックかに二分されていた。ダリアがなるべく目を光らせては居るものの、隙を見てはセドリックに話しかける女子が段々増えてきているのが現実だった。

 

 友人たちに呆れられながらも、日々番犬のようにセドリックの周りを牽制して回るダリアだったが、そんなダリアを嫉妬で狂わせそうになる出来事がついに起こってしまった。

 

 ボーバトンの代表選手、ダリアが初めて自分よりも美少女かもしれない、と思ったあのフラー・デラクールが、明らかにセドリックに興味を示しているという事が判明したのだ。

 

 代表選手たちが集められ、バグマン氏やシックネス氏と何やら書面での手続きを進めている間の一コマ。

 今までの澄まし顔が嘘のように笑顔を振りまきながらセドリックに魅力を振りまくフラーと、愛想よくそれに対応するセドリックを見たダリアは、ショックで泣きながらスリザリンの談話室へ逃げ帰った。

 

 

 

 

「なによなによ、なんなのよあの女!いくら美人だからって、馬鹿みたいに頭振って髪の毛揺らしちゃって、はしたないったらありゃしないわ!セドリックもセドリックよ、ニコニコしながらお話しちゃってさ。――――二人がこれを機に仲良くなっちゃったら、どうすればいいのよぉ!」

 

「よしよし、ダリア。あなた疲れているのよ、もう寝ちゃいなさい。」

 

「気のせいなんかじゃないのにぃ!」

 

 ダフネに縋りつきながらさめざめと泣くダリアに、ノットが呆れた様子で声を掛けた。

 

「そんなに悲観的にならなくてもいいんじゃないか?代表選手同士なんだし、元々他校との交流が目的なんだから、仲良くはなるだろ。」

 

「それが嫌なの!最初は友達でも、後々それが恋愛に発展することもあるって小説に書いてあったもの!――――しかも、しかも。あの女、私より可愛いかもしれない……。」

 

「――――そうか?俺はお前の方が可愛いと思うぞ。」

 

 消え入るように口にしたダリアを、ノットがさらっと慰めた。

 しかし、紳士的なノットの言葉など当てにできない。ノットやドラコと来たら、相手がトロールや鬼婆だとしても、性別が雌でさえあれば褒めるところを見つけることが出来るような教育を受けてきているのだ。

 

 必要なのはもっと俗物っぽい男子生徒の意見だ。ダリアは談話室を見渡すと、声を張り上げた。

 

「――――ザビニ!面食いのザビニは何処!?」

 

「は?人聞きの悪い事言うなって。突然なんだよ……。」

 

 窓際のソファに座って課題を片付けていたブレーズ・ザビニが、面倒くさそうに顔を上げた。とてつもなく美人な母親を持つザビニは、自身も学年一の美形として数多くの浮き名を流し、そして面食いであることで有名だった。うってつけだ。

 聖28一族の出身ではなく、ドラコやノットとはグループが別なため、普段積極的に話すことは少ないが、同学年なので当然面識はある。何度か通り魔的に揶揄われた事もある。

 

 ダリアは怪訝な表情をしたザビニの前に、腕を組んで仁王立ちをした。

 

「私とあの女、どっちが可愛い!?」

 

「はぁ?あの女って誰だよ。」

 

「フラー・デラクールよ!ボーバトンの、いけ好かない、セドリックにちょっかいをかけてる、あのフラー・デラクール!」

 

「ああ、そういう……。」

 

 ザビニはダリアの言葉を聞き、全てを理解した。ダリアがハッフルパフのディゴリーに懸想しているという事実は、スリザリン生の間では公然の秘密なのだ。

 

「そんな事突然言われてもなぁ――――あー……。」

 

 ザビニの脳内にすでにチェック済みだったフラーの3Dモデルが現れる。それと目の前で仁王立ちするダリアを見比べる。

 顔は同じくらい整っていると言ってもいい。なので違いはやはり体だろう。組んだ腕に何も乗った様子の無いダリアの胸部を見て、ザビニは結論を出した。

 

「総合的に見てあっち。数年後に期待だな。」

 

「――――うわぁあああん!やっぱり!」

 

「ダ、ダリア!」

 

 ダリアはザビニをはったおすと、テーブルに突っ伏した。横で聞いていたダフネ達が、ザビニをキッと睨みつけた。

 

「ザビニ、あなた今、ダリアの胸部に目を向けたわね。フケツよ、ひどいわ!――――確かにダリアは貧乳だけど、成長の可能性はまだまだあるんだから!」

 

「そうよ、スタイルで女の子を判断するなんて、サイテー!いくら胸が全く無くても、ダリアは可愛いわよ、元気を出して!」

 

「お前らさ、今自分達でとどめを刺した事、分かってるか?」

 

 ダフネとパンジーにはっきり「貧乳」と断言されたダリアは、机に突っ伏したまま動かなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして胸が大きくならないのかしら。毎日きちんとミルクを飲んでるし、背だって少しずつだけど伸びてきてるのに……。」

 

『うーん、こればっかりは遺伝だとしか言いようがないかなぁ。ダリアのお母さんは、スタイル良かったの?』

 

 トゥリリはダリアが城に来てから出会った猫なので、ダリアの母親、エリザベスを見たことが無かった。

 

「覚えてない……でも、すらっとした体形だった気がする。」

 

『――――まあ、どちらにしろ今すぐは無理だよ。気長に待ちなって。』

 

「うん……。」

 

 トゥリリの言う通り、数年待てば今よりずっと大人っぽくなっているだろうという事は分かる。でも、ダリアは今、その数年が惜しいのだ。気長に大人っぽくなるのを待っているその間に、セドリックが誰か別の人を好きになってしまう可能性は十分にある。

 

 ダリアがトボトボ大広間へ向かって歩いていると、広間の正面の扉の近くで黄色い声の集団に行きあたった。これらの団体を見かけるのは、この数日間でもう何回目かだ。

 きっとこの人だかりも、セドリックかクラムかの盗撮写真の取引現場だろう。

 

 ダリアがため息をつきながら通り過ぎようとすると、集団の中心からよく知った声が聞こえるのに気が付いた。

 まさか、と思い目を凝らすと、なんと人だかりの中心には、セドリック自身が立っていた。ダリアは茫然とその様子を見つめた。

 

「う、うそ、セドリックが居る。どうして――――」

 

 この時間、セドリックはダニー達と一緒に夕食を取っているはずだ。にもかかわらず、どうしてこんな場所に一人で居るのだろうか。

 遠目に見るセドリックは、困った顔で何かしら女生徒達に声を掛けている。しかし彼の周りにいる女生徒達は気にした風でもなく、媚びた表情でセドリックに纏わりついていた。

 

 その光景を見たダリアの目の前が、怒りで真っ赤に染まった。

 

 ――――許せない。セドリックが困った顔をしてるのに、あんなにべたべたと纏わりついて――――それをしていいのは、私だけなのに!

 

 ダリアは視線で人を殺すことできるのではないか、というほどの鋭さで、黄色い声の集団を睨みつける。

 彼の周囲を取り巻いている女生徒達は、総じてダリアよりも背が高く、スタイルが良く、大人っぽい。もしセドリックの女の子の好みが大人っぽい女の子だったら、どうしよう。もしセドリックが自分以外のものになってしまったら、どうすればいいのだろうか。

 

 セドリックが自分以外の誰かとホグズミードでデートしている場面を想像したダリアは、怒りで火照っていた脳が急速に冷えるのを感じた。

 

「機を前にためらうな、どんな手段を使っても己の益のみを考える。――――そうよ、スリザリンでは、それが賢いやり方なのよね。」

 

『ダリア?』

 

 ブツブツと呟くダリアを、トゥリリが不審な顔で見上げた。ダリアは妙に落ち着いた声のまま、何でもないような調子で口を開いた。

 

「私、ちょっとあの中に行ってくるから。」

 

『行くって……あの中に?』

 

 トゥリリは耳を疑った。

 

『や、やめといた方がいいんじゃないかなぁ。だってあの人達、全員ダリアより背が高いよ?弾き出されちゃうのがオチだよ……。』

 

「たぶんね。」

 

 ダリアは顔色も変えずに返事をした。トゥリリの言う通り、上級生下級生が入り乱れる人垣の高さは、ほとんどがダリアより目線が上である。間をかき分けようにも、体格負けしているダリアの力では難しいだろう。ダリアにもそれは分かっている。

 しかし、ダリアはそれでもかまわなかった。

 

「まあ、十中八九弾き出されて、上手くいけば怪我までしちゃうだろうけど、それでいいんだよ。――――むしろ、そっちの方が都合いいわ。」

 

『えっっ――――ダリア!?』

 

 ダリアはトゥリリの静止も聞かず、人壁の隙間に潜り込んだ。

 

 そして案の定、すぐさま輪の外へと放り出された。

 

 ゴチン、という鈍い音のあと数回床を転がったダリアは、しばらくの間地面に伏していたが、やがて何事も無かったかのようにむくりと上半身を起こした。

 

『ダ、ダリア~~~。ほらぁ、言わんこっちゃない……。』

 

 トゥリリが慌てて駆け寄るが、ダリアは俯いたまま顔を上げない。表情は見えないが、転がった拍子に額を床に打ち付けたのか、おでこが赤く腫れている。

 

『あーあ、たんこぶになっちゃってるよ。早いところ治癒の呪文を貼った方がいいよ。』

 

「――――血は出てない?」

 

『え?う、うん。血は出てないけど……ダリア?』

 

 なんとなく違和感を覚えたトゥリリは、訝し気にダリアを見上げ、そして目を見開いた。ダリアの青い瞳が大量の魔力を湛え、不穏に煌めいていたのだ。

 

「そっか、残念――――でも、怪我させられたんだもの。やり返す理由は、十分よね!」

 

 ダリアは右手をぎゅっと握りしめて振り上げると、込み上げる衝動のままに床に振り下ろし、叫んだ。

 

「蚊トンボ、クマバチ、コガネムシ!邪魔する奴らを追い払え!!」

 

 ダリアが殴りつけた場所を中心に、奇妙な衝撃波が広がった。きめ細やかな大理石の床が音も無く波打ち、微かに軋むような不協和音を奏でる。

 

 と、次の瞬間、浮き上がった石塊のわずかな隙間から、靄のような小さな羽虫たちが勢いよく噴き出してきた。黒い靄はワンワン不快な羽音を響かせながら、ダリアの指示通りに人だかりへ一直線に突っ込んだ。

 

 

 

 

 最初に異変を感じたのは、グリフィンドールネクタイを締めた5年生の女生徒だった。

 以前から憧れていた、しかし中々お近づきになれる機会に恵まれなかったハッフルパフの監督生。セドリックが三校対抗試合の代表選手に選ばれたことを口実に、どうにかして面識を持とうと、羊皮紙の切れ端を片手に話しかける隙を狙っていた。

 

 セドリックはサインをくれるだろうか、どんなふうに声を掛ければ自分に興味を持ってもらえるだろうか。そんなことを考えていた彼女は、ふと耳の奥に聞きなれないノイズが響いていることに気付いた。

 

 辺りを見渡すが、それらしき異音の発生源は見当たらない。しかしノイズはどんどん大きくなる。周囲の女生徒達も音の存在に気付いたのか、いぶかし気にキョロキョロと視線を彷徨わせていた。

 

 第六感に訴えかけるような不快な低鳴音。彼女たちはすぐに、足元から這い上がってくる異音の正体に気付かされてしまった。

 

「え、ウソ――――虫よ、虫だわ!!」

 

「キャアアアアア!やだ、あっち行ってよ!」

 

「どうして城内に蜂が居るの、こっちに来ないで!」

 

 古今東西、虫が平気な女性は多くは無い。魔法薬学の材料として虫を扱うことの多いホグワーツの学生達であっても、生きた虫となれば話は別だ。

 そもそも虫よけの魔法が存在する魔法界では、これほどの虫の大群を見ることは稀である。

 

 未だかつて見たことが無いほど大量の羽虫の群れに、我を忘れた女生徒たちは死に物狂いで大広間前から走り去って行く。後には突然の出来事に呆然とした様子のセドリックと、蹲ったままのダリアだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 代表選手に選ばれて幾日か時間が経った。セドリックは友人たちと朝食を食べながら、自分に数え切れないほど多くの視線が向いているのを感じてため息をついた。

 

「おいセド。さっきから手が止まってるけどどうしたんだよ。」

 

「いや――――代表選手に立候補した時から覚悟は決めていたけれど、こうして実際注目されてみると、やっぱり落ち着かなくてさ。」

 

「代表選手が注目されないわけないだろ。特に、今回はなんというか――――特殊なケースだからな。余計に注目が集まるのは無理も無いと思うぞ。」

 

 ダニーが暗にハリー・ポッターの事に言及し、セドリックは複雑な気分になった。

 各校に付き一人ずつ選ばれる代表選手達。本来ならば炎のゴブレットは、セドリックの名前を吐き出した時点でその役割を終えるはずだった。

 しかしあのハロウィーンの夜、ゴブレットはセドリックの後にもう一人、ハリー・ポッターの名前を吐き出したのだ。

 

「こんなことあまり言いたくはないけど――――またポッターか、っていうのが正直な感想だよ。」

 

「ようやくハッフルパフの時代が来た、と思ってた所にだぜ?何もこんな時にまで出張らなくてもいいのになぁ。」

 

 一緒に食事をとっていたクィディッチのチームメイトたちが不満をこぼす。

 大人しくかつ控えめな寮生が多く、普段からそれぞれ個性的な他3寮の陰に隠れがちなハッフルパフ生達は、セドリックがホグワーツの代表として選ばれたことをとても誇りに思っていた。それ故、生徒達の大多数がハリーの選出に否定的だった。

 

「でもハリーは、自分が名前を入れたわけじゃないと言っていたよ。」

 

「おいおい。まさかそれをそのまま鵜呑みにしてるわけじゃ無いだろうな。規則違反した手前、そう言ってるだけだろ?」

 

「お人よしも大概にしないと、三校対抗試合で出し抜かれても知らないぞ?お前がホグワーツの正式な代表選手なんだ、もっと強気でやれよ。」

 

 友人たちは端からハリーの言葉を信じる気は無いようだ。

 セドリックとて彼の言い分をそのまま信じているわけでは無い。しかしハリーの狼狽えた様子を見てしまったセドリックは、「もしかしたら」という思いも消すことができなかった。

 

 曖昧に笑うセドリックを見て、ダニーがため息をついた。

 

「まあ、お前がポッターを信じるか信じないかは自由だよ。だけどな、真実がどうであれ、お前が代表選手であることは紛れも無い事実なんだ。相手がいくら英雄だからって、お前が引け目に思う必要は何処にも無いぞ。」

 

「引け目になんて思ってないさ。ハリーが選ばれたからと言って、僕がホグワーツの代表選手であることに変わりはないんだ。――――ハリーに遠慮して僕が手を抜くとでも思っているのか?」

 

 ダニーの言葉に、カチンと来たセドリックは思わず強い語調で反論した。正々堂々とした勝負にこだわるセドリックは、いくらハリーが下級生だからと言って、彼が代表としてゴブレットに選ばれた以上、対等な存在として向き合うべきだと考えていたからだ。

 セドリックの目に浮かぶ剣呑な光を見て、ダニーが呆れたように続けた。

 

「俺が言いたいのはそっちの意味じゃなくてだな――――まあ、これは追々でいいか。とりあえず今は、お前の安定の負けず嫌いっぷりに安心したよ。余計な心配だったな。」

 

「――――いや、皆が心配して言ってくれてるのは分かってるんだ。熱くなってしまってすまない。」

 

「気にするな。お前が意外と頑固だってことは知ってる。」

 

 ダニーは軽くそう言うと、すぐに先ほどとは違い、深刻な表情に打って変わった。

 

「ただまあ、それとは別の差し迫った問題として、お前はしばらく一人で出歩かない方がいいと思う。」

 

「はあ?藪から棒に、一体何を……。」

 

 同じことを先日ダリアにも言い含められていたセドリックは、怪訝な表情で聞き返した。

 ここ最近、ダリアは護衛と称してセドリックの周りを番犬のように警戒して回っている。小型犬が頑張って威嚇しているようで可愛かったのだが、これが何日も続くと流石に話しかけづらい、と苦情を寄せられ始めていた。

 

「まあ聞けよ。非常にムカつくことに、今女子の間でお前の注目度が爆発的に高まってるんだ。」

 

「爆発的に……。」

 

 全くピンと来ていないセドリックに、友人達は揃ってため息をついた。自分へ向けられる好意に慣れすぎているセドリックは、その手の話題には意外なほどの鈍さを見せることがある。ダリアの必死の護衛の意味にも全く気付いていなかった。

 

「くそ。お前って時々、自覚無しにめちゃくちゃ嫌みな奴だよな。この超人め。」

 

「従妹ちゃんの苦労が身に染みるぜ……あんなに周りの女子を牽制して回ってるのに。」

 

 ぽかんとして話を聞くセドリックに、ダニーが言い聞かせるようにゆっくりと説明した。

 

「普段の人気にプラスして代表選手効果で、お前の人気は今やホグワーツイチだ。下手するとダームストラングのクラムみたいに、口紅でサインを求められてもおかしくない状況だからな。――――自覚して行動しないと、大変な事になるぞ。」

 

 

 

 

 

 果たして、ダニーの危惧した状況は現実のものとなってしまった。

 代表選手として『杖調べ』の招集をかけられたセドリックは、ダニー達から離れて一人で大広間を出た瞬間、多数の女生徒たちに周りを固められてしまったのだ。

 

 前後左右、どちらの方向を見ても女子が居る。抜け出そうにもほとんど身動きが取れる状況では無い。このような状況に陥ったことが無いセドリックは、非常に戸惑った。

 

「あー……ごめん。僕、今から大事な用事があるんだ。通してくれると助かるんだけど。」

 

「ねぇ、セドリック。お願い、鞄にサインしてくれる?」

 

「サ、サイン?」

 

 しかも全く話が通じない。何を言ってもキャアキャア笑うだけの女子達に、セドリックは自分がきちんとした英語を話せているのかどうか不安になった。

 友人たちに助けを求めることもできず、どんどん膨らんでいく人の輪に途方に暮れていた時だった。

 

「え、ウソ――――虫よ、虫だわ!!」

 

「キャアアアアア!やだ、あっち行ってよ!」

 

「どうして城内に蜂が居るの、こっちに来ないで!」

 

 セドリックの周囲で黄色い声を上げていた生徒たちが、突然悲鳴を上げて逃げ惑い始めたのだ。

 最初はわけが分からなかったセドリックだが、周囲の視界が開けると、ようやく状況を理解することができた。周辺に何故か大量の羽虫が出現し、その大軍が女生徒たちに襲い掛かっていたのだ。

 

 普段から清潔に保たれているはずのホグワーツ城内に、どうしてこんなに大量の虫が出現したのだろうか。わけもわからず立ち尽くしていたセドリックだったが、近くに蹲る小さな人影を見た瞬間、騒動を引き起こした犯人を特定した。――――ダリアだ。

 

 思わず叱り飛ばそうと駆け寄ったセドリックだが、近づくにつれ、ダリアの様子がおかしい事に気付く。いつものダリアならば、叱責の雰囲気を感じ取るとふてくされた様子でそっぽを向くか、逆に反省した素振りをして見せるか、何故か嬉しそうにニコニコ笑うかのどれかの反応を返すのだが、今回は蹲ったままピクリとも動かないのだ。

 

 ダリアの足元でトゥリリがぐるぐると困った様に歩き回っているのを見て、セドリックの足は自然と早まった。周囲をブンブン飛ぶ羽虫を煩わし気に振り払ってダリアの目の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ瞬間、セドリックは小さく息を呑んだ。

 

「ダリア、どうしたんだ、この額の怪我――――こんなに赤くなって!」

 

 ダリアの白い小さなおでこに、握りこぶしほどの大きなたんこぶが出来ていた。

 大理石の硬い床に打ち付けたのだろうか、定まらない視線が衝撃の強さを物語っているようで、セドリックは慌てて杖を取り出すと、「エピスキー」を唱える。

 

 治療されるがままだったダリアが、あやふやな手つきで一方向を指さした。

 

「さっき、セドリックを見つけて、困ってたからあの人たちを追い払おうとしたの。そしたら、突き飛ばされて、頭打って――――カッとして、思わず虫をけしかけちゃった。」

 

「あ――――あの中に入ろうとしたって?無茶なことを……。」

 

 1年生の頃と比べると随分と背が伸びてはいるものの、未だに小柄な体格を脱することができないダリアだ。あの女生徒達の壁の中に突っ込むのは狂気の沙汰である。彼女も弾きだされることが分からないほど、無謀では無かったはずなのだが。

 

「――――だって、セドリックが困ってたから。」

 

「ダリア……。」

 

 いじらしく言うダリアに、セドリックは羽虫事件の事を一瞬忘れ、うっかり感動してしまった。話の通じない女生徒たちの中で、ダリアだけが自分が困っている事に気付いてくれたのだ。それも、あの人を思いやるという事を知らなかったダリアが。

 

 しばらく感動で二の句を継げなかったセドリックだが、目の前をブンブン不快な音を立ててクマバチが横切ったことで、大広間前の惨状を思い出した。まずは、この虫たちをどうにかする必要がある。

 

「ダリア、まずは虫を消さないと。通る人たちが困ってしまうよ。」

 

「――――ごめんなさい、ある程度はもう消したんだけど、完全には消せなくって。頭に来てたから、ついすっごく強力な呪文を使っちゃったみたいなの。」

 

「ええっ……。」

 

 そういえば2年前も、ダリアは自分に強力な呪文を掛けて石化状態から戻れなくなってしまうという出来事があった。ありえなくはない事だ。

 セドリックは困ったが、ダリアの言う通り虫の数が先ほどよりも減っているのを見て、ひとまずはこの状況で様子を見ることを決め、立ち上がった。

 

「とりあえず、おでこの怪我をマダム・ポンフリーに診てもらおう。一応、応急措置はしたけれど、頭の怪我だし、念には念を入れておいた方がいいと思う。――――虫の事は、その後で考えよう。いいね?」

 

「――――うん。」

 

 ダリアが小さく頷くのを確認すると、セドリックは朦朧とした様子のダリアを支えて立ち上がらせた。足元ではトゥリリが、未だ困った様子でダリアを見上げている。

 

「ごめん、トゥリリ。医務室にはペット厳禁なんだ。ダリアを送って来るから、ちょっと外で待っててくれるかい?」

 

 セドリックは一応声を掛けたが、トゥリリは不安げな表情で、俯いたままのダリアを見上げるだけだった。

 

 

 

 その日の夕方になる頃には、虫の姿はほとんど消えていた。しかし、大理石の合間に生じた微かな隙間は残り続け、特定の女生徒達はしばらくの間、付きまとう羽虫に悩まされることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリアを医務室に送り届けたセドリックは、急いで指定された教室へたどり着いた。

 そこはかなり狭い教室だった。机は殆どが隅に寄せられて暗幕で隠され、中心に無理やりスペースが作られている。部屋には既に各校の校長とシックネス氏、バグマン氏、そしてオリバンダー老人が待機しており、クラムとフラーも立っていた。

 

 ハリーの姿は見えないが、暗幕の向こう側からかすかに彼らしき声が聞こえる。誰かと話をしているようだ。セドリックは慌てて、教室の中央に立っていたバグマン氏に頭を下げた。

 

「遅くなってしまってすみません。僕が最後だったんですね。」

 

「いや、いや。気にすることは無いよ、ディゴリー君。指定した時刻はまだだからね。」

 

 ルード・バグマンはそう言って快活に笑うと、暗幕の一部を指さした。丁度ハリーの話し声が聞こえる辺りだ。

 

「ただ、今日の事を日刊預言者新聞に書いてくださる記者の方が、ハリーに取材をしているんだが――――それがまだ時間がかかりそうでね。もうしばらく待っていてもらう必要があるのさ。」

 

「はい、わかりました。」

 

 セドリックはチラリと暗幕の方に目を向けると、横に寄せられていた適当な机に寄り掛かった。暗幕の向こう側からは、時折声を荒げたハリーの声が聞こえてくる。一体何を聞かれているのだろうか。

 

 手持ち無沙汰でセドリックが立っていると、フラーがつかつかと歩みよってきた。どことなくダリアを想起させる、自信満々の笑顔を浮かべている。

 フラーは頭を仰け反らせて長い銀髪を揺らしながら、フランス語らしい鷹揚なアクセントでセドリックに話しかけた。

 

「遅かったでーすね。なにーか、あったのでーすか?」

 

「ああ、うん。従妹が怪我をしてしまって……医務室に連れて行っていたんだ。」

 

「――――ああ、あの子が。」

 

 少し離れたところに立っていたクラムが、セドリックの言葉を聞いて会話に入ってきた。クラムは歓迎会でダリアの近くの席に座ったらしく、その時彼女からセドリックの事を色々聞かされのだという。

 本当にセドリックが代表選手に選ばれたので、驚いたクラムはハロウィーンの夜にその事をセドリックに話し、それ以来、無口なりにぽつぽつと話しかけてくれるようになったのだ。

 

 会話に割り込まれたフラーはムッとした表情を隠しもしなかったが、従妹という言葉には興味を持ったようだ。

 

「従妹?あなーたには、従妹が居るのでーすか?」

 

「――――ああ。今4年生……ハリーと同じ学年なんだけどね。」

 

「では、まだ子どもでーすね。」

 

 バッサリ言ったフラーに、セドリックは苦笑した。ダリアが聞いたら怒り狂いそうな言葉だ。

 

「確かに小さいけど、頭の良い子なんだ。抜けてるところもあるんだけどね。」

 

「――――どんな子なのでーすか?」

 

「え?うーん……ちょっと君と似ている所があるかもしれないな。」

 

 セドリックはフラーの少し高慢ちきそうなところが、機嫌のいい時のダリアにそっくりだと思いそう言ったのだが、彼女はお気に召さなかったらしい。そんなことあるわけないでしょ、と言わんばかりに顔を顰めたのを見て、セドリックはますますダリアに似ていると思った。

 

 

 

 と、不意に横から明るいフラッシュがバシャリと焚かれ、3人は驚いてそちらを振り向いた。

 

 そこにはいつのまにか、黒髪に金茶色の明るい目をした男性が立っていた。

 セドリックの両親と同じくらいの年齢だろうか、手にしたカメラを見て、しきりに首を傾げている。どうやら今のフラッシュは、彼が写真を撮った時のものらしい。

 

 立派なカメラの下部分から吐き出された写真をひとしきり見た後、ようやく彼は驚いた顔で固まっている3人に気付き、笑顔を浮かべた。

 

「やあ、突然驚かせて悪かった。だが、3人の代表選手の団欒とあれば、撮らない手は無いと思ってね。」

 

 穏やかで落ち着いた話し方だった。人の良い笑顔も相まって、セドリックは全身の緊張をそっと解いた。部屋に居る審査委員たちが何も言わないことから察するに、彼は三校対抗試合の関係者なのだろう。

 

「ええと、あなたは……」

 

「ああ、名乗るのが遅れて悪かったね。僕はコンラッド・グラント。三校対抗試合のために政府から派遣された、公式カメラマンだよ。」

 

 コンラッドはそう言うと、代表選手達と順番に握手をした。嫌みの無い、丁寧な所作だった。どこかでマナーを厳しくたたき込まれた経験があるのかもしれない。

 

 彼の金茶色の目を見たセドリックは、何故か再びダリアと似た雰囲気を感じ取った。フラーと違って、彼にダリアと似ている所は全くない。しかし、目にたたえる不思議な光だけは似ている気がした。

 

 コンラッドが何かを話そうと、口を開きかけた時だった。暗幕が勢いよく開き、中から濃い赤紫のローブをまとった派手な魔女と、機嫌が悪そうなハリーが連れ立って出てきた。

 

 セドリックはハリーに微笑みかけたが、ハリーはむっつりとしたままコックリしただけだった。前回の魔法薬学の授業の際、ダリアにロンとの仲を完膚なきまでに引っ掻き回されたハリーは、ダリアの従兄のセドリックにまで何となく悪感情を抱いていたのだ。

 

 当然そんな事を知る由も無いセドリックは、ハリーの態度にショックを受けた。

 声を掛けようとしたものの、すぐに『杖調べ』の儀式が始まってしまったため、その機会を失ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホグズミード村にある宿屋兼パブ、ホッグスヘッドの一室。コンラッドは小さな机の上に今日撮影した写真を並べ、出来を確認していた。

 

 3人の校長が揃った写真、インタビューを受けるハリー・ポッターの写真――――これらの写真の出来はとてもいい。しかも光の加減だろうか、ハリーの写真はどことなく悲しそうな表情に仕上がっている。リータは大満足するはずだ。

 彼女にあること無い事を書かれてしまうハリー・ポッターには気の毒だが、明日の日刊預言者新聞にはこれらの写真が使われるだろう。

 

 しかし、これ以外の写真は、全て失敗だった。既に写真を撮ったフィルムの上から、更に重ねて写真を撮ったかのように、所々の風景が重なって現像されている。

 本来ならば失敗作としてごみ箱に捨てるべきものと思われるが、コンラッドは真剣な表情で、それらの写真を見ていた。

 

「――――フィルムに記録する範囲を世界Bに限定しても、これだけの可能性が同時に写り込んでしまうとは……やはり、クリストファーの危惧は正しかったみたいだな。」

 

 コンラッド・グラント――――本当の名前をコンラッド・テズディニクというこの男性は、第七系列の世界におけるクレストマンシーの終身代理人である。

 

 普段は第七系列の世界でクレストマンシーの代理人として、魔法の使われ方を監視する仕事をしているコンラッドが、何故第12系列の世界Bでカメラマンの真似事などしているのか。それはひとえに、友人である現クレストマンシー、クリストファーの依頼を受けたからだった。

 

 全ての可能性の世界を同時に写真のフィルムに記録するという、極めて特殊な魔法の力を持つコンラッドは、幼い頃、前クレストマンシーのゲイブリル・ド・ウィットの元、特別な才能を持った子供としてクレストマンシー城で訓練を受けていたことがある。

 クリストファーとは『可能性の糸』を巡る事件を共に解決したこともあり、彼とミリーの結婚介添え人を引き受けたこともあるほど深い親交があったのだ。

 

 

 

 数か月前、クリストファーは何者かから、第十二系列の世界Bが再び二つに裂けようとしている、という通報を受けた。すぐさま調査に乗り出そうとしたクリストファーだったが、不思議なことに何をどうやっても、世界Bへ移動することが出来なくなっていたのだ。

 

 驚いたクリストファーが他の調査員を世界Bへ向かわせたが、それらの調査員は難なく世界Bへ移動することが出来る。どういう理屈か、世界Bにはクリストファーだけを拒絶する結界が張られていた。

 

 クレストマンシーの干渉力を拒絶するほどの力を持つ、大魔法使いが関わっている可能性。

 危機感を覚えたクリストファーは、友人であり、あらゆる可能性の世界を記録する能力を持つ大魔法使いであるコンラッドに協力を要請することにしたのだ。

 

 

 コンラッドは再び、風景が不自然に重なる写真をじっくりと眺める。

 主だった異常が見受けられるのは、やはり国際魔法協力部部長のパイアス・シックネス氏が写り込んでいる写真だろう。彼の居場所に重なって写り込んでいるのは、前部長のクラウチ氏だ。変化を起こす前の世界では、クラウチ氏は退任せずにこの職を続けていたのかもしれない。

 

 異常は他にもある。ハリー以外の代表選手達が寄り集まっている写真には、ぽつんと一人離れたところに立つクラムの姿が重なって写されているし、ホグワーツの代表選手二人のツーショットは、微笑みとこわばった表情が奇妙に重なって写し出されている。しかし今の所、これらの変化の関係性を見出す事は出来ていない。

 

 しかし、世界の変化がホグワーツを中心に起きているという事が分かっただけでも大きな収穫である。ここ数か月の間世界Bに滞在し、手あたり次第に写真を撮ってきたコンラッドだったが、これまで撮ってきた写真にはほとんど異常が見られず途方に暮れていたのだ。

 

 数多くの写真の中、唯一『重なり』が見受けられたパイアス・シックネス氏を追ってホグワーツに潜り込むことが出来たのは、幸運だったとしか言いようがない。

 

 コンラッドはクリストファーに今日の成果を報告すべく数枚の写真を持つと、ため息をついて古びた椅子から立ち上がった。

 




クレストマンシー側の簡単な登場人物紹介です。

◇コンラッド・テズディニク

クレストマンシーの少年時代を書いた作品である「魔法の館にやとわれて」の主人公です。
同系列の世界に存在する全ての可能性の世界を、実際に目にすることなくカメラに撮影することができるという、特殊な魔法の力を持っています。

原作では少年時代の彼の事しか書かれていないので、大人になったコンラッドがどんな人間になっているのかは、殆ど妄想です。

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