ダリアが元居たクレストマンシー城には、短い間だが若いドラゴンが暮らしていた時期がある。
ドラゴンは血液から鱗の一枚一枚、果ては排せつ物に至るまで、強力な魔力を持っているという事で知られている。使い方を一歩間違えれば大惨事を引き起こしてしまうので取引は厳しく管理されており、入手するためには第8系列で直接ドラゴンから買い付ける方法しか許されていなかった。
しかしその方法は時間も金も大量にかかるため、ドラゴンの密猟者は後を絶たない。城に居たドラゴンも、母親を違法な血液ハンターに殺され、捨て置かれていたところをクレストマンシーに助けられたのだという。
そのドラゴンは城で暮らしている間、家庭教師のマイケル・ソーンダース先生の魔術の手伝いをして過ごしていた。人間には見つけられないような古いものを探し出すことが出来るらしく、ドラゴン曰く「かなり役に立っている」らしい。
「クレストマンシーに見つけられてなきゃ、きっと死んでたな。だからあの人には感謝してるんだ。」
ソーンダース先生の研究室で、ぼろぼろになったネズミのおもちゃを転がしながらドラゴンが言う。ダリアはそれを聞きながら、ぼんやりとドラゴンの薄い羽をくすぐっていた。
キャットがクレストマンシーの後継者になったばかりの頃、荒れていたダリアは周囲の人間に無差別に当たり散らす日々を送っていたため、城に居場所が無かった。
一緒に遊ぶ相手もトゥリリくらいしか居なかったので、暇を持て余したダリアはしょっちゅうソーンダース先生の目を盗んで研究室に潜り込み、ドラゴンの遊び相手になっていた。
同じく暇を持て余したドラゴンも、かまってくれるダリアの事を歓迎していたように思えた。
「でもさ、あんた嫌じゃないの?自分のお母さんを殺した人間と一緒に暮らすのって。その上、この世界ではドラゴンはもう狩りつくされて、一匹も残ってないのよ?憎くないの?」
ダリアが暇つぶしで口にした疑問に、ドラゴンは心外だというように鼻腔を膨らませた。
「何言ってんだよ、ダリア。ここの奴らはあの密猟者とは全然違う人間だろ。クレストマンシーは赤ん坊だった俺を助けてくれたし、マイケルは俺をこき使うがよく面倒を見てくれる。――――キャットやお前はよく遊びに来てくれるしな。」
ドラゴンはそう言って、口から炎を噴き出した。炎の舌に顔をチロチロ舐められたダリアは、ゲホゲホと咳込んでムッとドラゴンを睨みつけた。キャットと同列に並べられたことが気に食わなかったのだ。
ドラゴンはそんなダリアの様子を見て、面白そうにけらけらと笑った。
「人間にも色んな種類の奴が居るってことだよ。俺たちドラゴンにも色んな考えの奴が居るのと一緒さ。俺には理解できないけど、第8系列の世界には、自分の血や鱗を人間に売り捌いてるドラゴンが居るってマイケルが言ってたし――――そうだ、この第12系列の世界にも、ドラゴンが居るらしいぜ。」
「そうなの?」
ダリアは驚いて聞き返した。ダリア達が居る世界A――――というか、第12系列の世界では、大昔の乱獲でドラゴンは既に絶滅していると勉強していたからだ。
いつも「何でも知ってます。」と澄まし顔をしているダリアを驚かせたのが嬉しかったのか、ドラゴンはまた鼻腔を膨らませ、自慢気に続ける。
「俺たち第8系列のドラゴンよりも、持ってる魔力の量がだいぶ少ないらしいよ。だからハンター達に狙われずに済んだんだって。マイケルの話じゃあ、俺みたいな知能も無いらしい。」
「知能って……何よ。あんたの言ってる事って結局、ソーンダース先生の受け売りでしょ?それって知能って言えるの?」
「でもダリアは知らなかっただろ?」
「むぅ……。」
悔しがるダリアを見てひとしきりけらけらと笑った後、ドラゴンは心配そうに付け足した。
「でも、いくら俺たちより魔力が少ないといっても、油断してかかっちゃいけないぜ?むしろ理性が無い分、俺たちよりずっと危ない奴らかも。ドラゴンの本能は凶暴だからさ。――――ダリアはそそっかしいんだから、できるだけ相手にしない方がいいぞ。」
「失礼ねっ!――――そもそもあんた以外のドラゴンと会う事なんて、あり得ないわよ!」
「どーだかね。世の中何があるか分かんないからなぁ。」
その後、自分で餌を捕ることが出来る大きさまで成長したドラゴンは、ソーンダース先生に連れられて元居た世界へと戻って行った。「寒すぎる世界は嫌だ。」「餌はマイケルがとってよ。」等々、色々と文句を言っていたようだが、結局は第8系列の世界Gで生きていくことを決めたらしい。
そしてダリアはドラゴンが去った一年後、世界Aを飛び出して世界Bに潜り込んでいた。本当に世の中何があるか分からないものである。
あの世界一甘やかされたドラゴンは、今どこで何をしているのだろうか。ダリアは口から何十メートルもある炎を吐き出す巨大なドラゴンを見て、あの生意気なドラゴンの事を思い出していた。
「――――何もこんな時まで、私にクィディッチの特訓しなくてもいいと思うんだけど……課題まであと一週間も無いんだよ?」
「確かに課題までもう日は無いけど、焦ったってどうしようもないだろう?いつもと同じように過ごすのが一番いいんだよ。」
ホグズミードへ行った数日後。
先日の緊張は何処へやら。すっかりいつもの調子を取り戻したセドリックは、いつものように箒を持ち、いつものようにダリアをクィディッチの練習に誘いに来ていた。あまりの平常運転っぷりに、呼び出されたダリアの方は開いた口が塞がらなかった。
「そりゃあ、緊張で何も手につかなくなるよりはずっといいと思うけど……絶対私の箒の練習よりも優先すべきことがあると思うんだけど……」
正面玄関を抜けながら、尚もブチブチ文句を言うダリアに対して、セドリックが落ち着いて言葉を返した。
「もちろん、今まで学んできた知識の確認や魔法の練習はしているよ。新しい魔法もいくつか調べはしたけれど、短い時間でどれほど身に付くかは分からないし――――そもそも、課題の内容も分からないんだ。闇雲に多方面に手を出すよりは、今できる呪文の完成度を高める方が力になるんじゃないのかな。」
「う、ん……。」
『課題の内容』という単語に、ダリアは思わず視線をそらした。
第一の課題がドラゴンであるという事を秘かに知ってしまったダリアは、それをどうセドリックに伝えたものか一晩中思いあぐねていた。
何しろ、相手はドラゴンだ。ダリアが知っているドラゴンよりもずっと魔力が少ないとはいえ、大人のドラゴン使いが何人もかかってようやくおとなしくさせることが出来るほど強力な生き物である。
代表選手がいくら優秀だとはいえ、彼らはあくまで学生でしかない。ドラゴン相手に無策では、どう考えても無事で済むとは思えなかった。
今すぐ第一の課題の内容をセドリックに伝えて、ドラゴンへの対策を考えるべきだ。そう思う一方で、セドリックがこの情報をどう受け止めるのか、という心配もあった。
セドリックは正々堂々の実力勝負を望んでいる。カンニングで手にした情報を受け入れることが出来ず、去年のクィディッチのグリフィンドール戦の時の様に落ち込んでしまうかもしれない。
――――さり気ない感じで、ドラゴンに効きそうな呪文を練習するように助言してみるしかないのかな。ううん、でも、いきなりそんなこと言ったら不自然だし……。
『さり気なく』が苦手なダリアは、どう伝えればセドリックを傷つけずに済むのか悩みに悩み、むしろセドリックよりも思いつめていた。
セドリックはダリアの苦悩に気付くことなく、いつもの湖のほとりへたどり着くと、自前の箒に飛び乗った。
「よし、それじゃあまずはウォーミングアップから始めようか。まずは箒のコントロールの練習からだ。地上から2メートルの高さを保ったままの水平飛行を、そうだな――――湖3周は続けられるようになろうね。」
「本当にやらなきゃダメ?絶対これより優先度が高いことがあるはずだよ……しかもそれって結構難易度高くない……?」
結局ダリアはドラゴンの事を言い出せないまま、セドリックに追い立てられて箒に乗る練習に取り組むことになった。
しばらくの間は頑張って箒に跨って練習していたダリアだったが、水平飛行は思いの他難しかった。地面からの距離を意識しながら、体の微妙なバランスの変化で箒の軌道を操るのだ。魔法で直接箒を操作する方がどれほど楽ちんだろうか。
「もうやだ!もう箒なんて乗らない!」
思い通りに動かない箒に我慢の限界に達したダリアは、とうとう練習用の箒を放り出し、芝生の上にしゃがみ込んでしまった。セドリックはその横で屈みこんで、困った様に頬を掻いている。
「でも、ダリア。クィディッチをするためには、これくらいの技術は必須条件なんだよ。」
「じゃあクィディッチもしない!だってできないもん、無理!!」
梃子でも動かないぞ、と主張するかのように芝生を握りしめているダリアに、セドリックは飛ばしすぎたかもしれないと少し反省した。よくよく考えてみれば確かに、どんくさいダリアにとってはハードルが高い練習内容だ。
難しい事にチャレンジしてみようとしただけ、頑張っていたと言えるのかもしれない。セドリックがその努力だけでも褒めてやろうと口を開いた時だった。
「よう!クィディッチの練習か?」
「ぎゃあ!」
湖のそばの木陰から、突如大きな人影がヌッと姿を現した。完全に油断していたダリアは悲鳴を上げて飛び上がり、セドリックの陰に滑り込んだ。
セドリックも突然の事に思わず身構えたが、声を掛けてきたのが見覚えのある人物だと気付くと、ふっと体の力を抜いた。
「あなたは――――バグマンさん。」
「やあ、驚かせてしまったかな?」
二人に声を掛けてきた人影は、元ウィムボーン・ワスプスのビーターであり、現在魔法ゲーム・スポーツ部長を勤めるルード・バグマンの物だった。
バグマン氏は人好きのする笑顔を浮かべながら、ダリアとセドリックが立っている場所へ近付いてきた。二人が手にする箒を見て、どことなく懐かしむような表情を浮かべている。
「悪いなぁ。第一の課題の下見に来ていたんだが、君たちが箒で飛んでいるのを見て、思わず声を掛けてしまったよ。――――私もかつて、学生だった時分はよくこの場所で箒の練習をしたもんだ。」
「そうだったんですか?」
「ああ。随分と昔の事だがね。」
イギリスの魔法使い達は、そのほとんどがホグワーツ出身だ。バグマン氏も例に漏れず、この学校の卒業生だったのだろう。箒に乗ったセドリック達を見て、学生時代の記憶を思い出したらしい。
「しかし、なんとも楽しそうな事をしているじゃないか。――――そういえば、ディゴリー君もクィディッチの選手だったな。後輩に箒の乗り方を教えてあげているのかい?」
「そんな感じです。この子は……従妹、のダリアというんですけれど、今までクィディッチをしたことが無いらしくて。まだ始めたばかりなので、今は基礎の練習をしている所なんです。」
「なるほど、従妹にクィディッチの練習を、ね……。」
見知らぬ大人の男性にまじまじと見つめられ、ダリアは思わずその視線から逃れるように目を逸らした。
バグマン氏はセドリックの説明を聞き、俄然興味が湧いてきたらしい。元プロのクィディッチプレイヤーとしては、『クィディッチの練習』という単語には何かしら琴線に触れるものがあるのだろうか。
バグマン氏はしばらくの間何かを考えている様子だったが、やがて少年のような笑顔を浮かべると、我慢できない、という風に話を切り出した。
「やあ、なんだか君たちを見ていると、元クィディッチプレイヤーの血が騒ぎだしてしまったよ。――――もしよければだが、私も一緒に練習を見てあげよう。今は魔法省の役人なんかやっているが、これでも元はイギリスのナショナル・チームのビーダーをしていたこともある男でね。きっと力になれることがあるはずだ!」
「い、いいんですか?」
思いもよらない申し出に、セドリックは前のめり気味に聞き返した。元とはいえ、プロのプレイヤーにクィディッチを教えてもらう機会などそうそうありはしない。クィディッチチームのキャプテンもしているセドリックにとっては、またとないチャンスだ。
乗り気なセドリックとは反対に、ダリアはこの提案に消極的だった。セドリックと二人で過ごすことができる、という利点を最大級の売りとしているこの日々の体力作りの習慣に、わざわざよく知りもしない大人を割り込ませたくは無かったのだ。
そもそもダリアは、それほど切実にクィディッチが上手くなりたいと思ってはいない。ただ上達したらセドリックが喜ぶので、それを目当てに少しくらい頑張ってみようかな、と軽い気持ちで練習しているだけなのだ。
元プロの指導にはあまり魅力を感じない上、今は第一の課題についてセドリックにどう伝えるかという悩みもある。そんな時にバグマン氏の申し出は、正直余計なお世話でしか無かった。
しかし――――ダリアは横目でちらりと隣を見上げた。隣のセドリックはまたとないチャンスに、目を輝かせてバグマン氏に熱い視線を送っている。
バグマン氏本人に加え、肝心のセドリックが思いの外乗り気なのだ。ダリアはバグマン氏を拒否することを諦めて、渋々彼の乱入を受け入れざるを得なかった。
「いやあ、感心したよ、ディゴリー君!流石、クィディッチチームのキャプテンとシーカーを兼任するだけの事はある。実に見事な飛びっぷりだ!」
「あ……ありがとうございます!」
ダリアが渋々頷くと同時に、バグマン氏は何処からともなく自前の箒を呼び出すとサッと上空に舞い上がり、二人にそのあたりを少し飛んでみるように求めた。
当然ながらへっぴり腰のダリアに比べ、セドリックは安定した操縦技術を遺憾なく披露した。箒を手足の様に操り、自由自在に宙を舞う様子を見たバグマン氏は、セドリックの事をいたく気に入ったらしい。ニコニコしながらアドバイスしている。
「箒の操縦テクニックは全く問題ないな。だが、しいて言うなら、君の飛び方はお行儀が良すぎる。勿論君のフェアプレー精神は素晴らしいものだが、ギリギリの勝負では紙一重の決意の差が大きく影響する。――――君のやり方を変える必要は無いが、時には汚いやり方を受け入れる余裕を持つことも重要だぞ。」
「受け入れる余裕、ですか――――そうですね、参考にしてみます。すぐにはできないかもしれませんが……。」
「ははは。焦る必要はないさ!先ほども言ったが、君のやり方を変える必要は何処にも無いんだ。道の一つとして軽く考えてもらって構わないよ。」
自分が公正な勝負にこだわり過ぎている自覚があったセドリックは、真剣な表情でバグマン氏の助言を聞いていた。
バグマン氏は快活に笑うと、今度はダリアの方に向き直り、少し困った様な顔をした。先ほどへなちょこ飛行を披露したばかりのダリアは、ぶすっとしたままバグマン氏を見上げた。
「君は――――うん、そうだな。まず、体に力が入りすぎて全身が緊張している。もう既にディゴリー君から言われているかもしれないが……。」
「……まあ、言われてますけど。」
不貞腐れたまま答えるダリアを、セドリックは慌てて横から小突いた。分かりやすく拗ねているダリアを見て、バグマン氏は苦笑して続ける。
「高いところが怖いわけではなさそうだから、きっと根っこは箒に対する不信感だな。箒飛行に不慣れな子には結構多いんだ。――――もしやる気があるなら、荒療治を教えるよ。」
「荒療治って……そんなの、あるんですか?」
箒に対する不信を言い当てられたダリアは、バグマン氏の言葉に思わず反応してしまった。クィディッチ選手になりたいわけでは無いが、苦手分野を減らすことが出来る可能性があるなら少しは興味がある。
「要は箒に安心して乗ることが出来るようになればいいんだ。そのためには、箒の性能をしっかり把握する必要がある。箒が安全だという事が理解できれば、きっと今みたいにガチガチになることも無いはずだよ。」
「――――つまり、具体的にはどうすればいいんですか?」
「色々と方法はあるが……そうだな、箒に乗ったまま大きく上下運動を繰り返すのはどうかな?単純な操作だから難しい技術は必要ないし、繰り返すことで操作感も把握できるはずだ。その上高い場所を飛ぶ事にも慣れることが出来る。」
「上下運動を……。」
ダリアは『荒療治』を聞き、思わず顔を顰めた。どう考えても三半規管がやられそうな特訓だ。確かに効果はありそうだが、気は乗らない。
途端に分かりやすく興味を失ったダリアを見て、バグマン氏が面白がるように付け加えた。
「おや、気に入らないかね?――――ふむ、この程度の難易度なら初心者でも十分可能な範囲だと思ったんだが……。」
「むっ……。」
明らかにダリアの気位の高さを狙っての言葉だった。しかし、煽り耐性の低いダリアはまんまとその挑発に乗ってしまった。
「仕方が無い、もっと易しい練習方法を考えてみよう。」
「――――ちょっと、誰が出来ないなんて言ったんですか。いいですか、それくらい簡単にできるわ、できますから!そこで見てなさいよ!」
ダリアはそうまくし立てると、肩を怒らせて箒に跨った。そのまま足元の芝生を蹴り上げると、ヘロヘロと覚束ない軌道で湖の上空に飛び上去って行く。
湖面すれすれで危なっかしく上がったり下がったりを繰り返すダリアをハラハラしながら見守っていたセドリックは、バグマン氏に少しばかり責めるような目を向けた。
「ダリアがあんな性格だと気付いていて、わざと煽るような言い方をしましたよね――――ちょっとひどいんじゃないですか?もしあの子が怪我をしたりしたら……。」
「ははは!君も案外心配症だな――――いやなに、君と二人きりで話したいことが出来てしまってね。つい強引に彼女を引き離してしまった。」
虚を突かれたセドリックは、不満を忘れてバグマン氏に顔を向けた。
バグマン氏は先ほどまでの快活な笑顔をひっこめて、真剣な表情でセドリックの事を見つめている。
その目を見たセドリックは、何故か一瞬、大型の肉食獣と対峙しているかのような息苦しさを覚え、思わず唾を飲み込んだ。
「――――話したい、こと。ですか?」
「ああ、三校対抗試合についての話さ。どうだい?第一の課題が一週間後に迫っているが、準備はできてるか?」
息苦しさはほんの刹那のものだった。張り詰めた空気は一瞬で霧散し、夢か幻かの様に消え失せている。バグマン氏から受ける印象もいつもと変わりないものだった。
――――気のせいか。疲れて神経質になっているのかもしれない。
週末のホグズミードでだいぶ緊張はほぐれたものの、精神的負荷がきれいさっぱり消えて無くなったわけでは無い。いつも通りの生活を送る中でも、三校対抗試合についての心配は常に頭の片隅に存在している。
先ほどより幾分か落ち着いたセドリックは、そう結論を出した。
「準備というほどの事ではないですけど、今まで身に着けてきた技術や知識の確認なら、ある程度はできています。課題の内容が分からない以上、それが最善の手だと思ったので。」
主催者側の人間として、各代表選手がどの程度課題に備えているのかを調査する必要があるのかもしれない。そう考えて正直に現状を伝えたセドリックだったが、何故かバグマン氏は曇った表情でそれを聞いていた。
「そうか。やはり、君は知らないか。予想はしていたが……。」
「バグマンさん?」
「いいか、ディゴリー君。落ち着いて聞いてくれ。――――――――第一の課題は、ドラゴンだ。」
セドリックは一瞬、バグマン氏が口にした内容を理解することができなかった。
しかし頭の痺れが消えるにつれて、心臓が脈打つ音がやけに大きく聞こえて来ることに気が付いた。
彼は今、何と言ったのだろうか。『第一の課題』?――――『ドラゴン』?
事態を理解したセドリックは、震える拳をぐっと握りしめ、バグマン氏に向かって叫んだ。
「な――――何を言うんですか!あなたは、あなたは――――!!」
「ディゴリー君、落ち着いて聞いてくれ。」
「あなたは、三校対抗試合の運営者じゃないか!第一の課題を事前に知ることは許されないと、あなたが言ったんでしょう!誰よりも平等でなければならないはずのあなたが、どうしてこんな……!!」
第一の課題は、未知のものに遭遇した時の勇気を試すもの。そう説明したのは、他ならぬバグマン氏だ。事前に内容を知ってしまえば、課題そのものが成り立たなくなってしまう。
バグマン氏が何を思って課題の内容を漏らしたのかは分からないが、これでもう、自分は他の代表選手たちと同じ土俵に立つことが出来なくなってしまった。セドリックは激しく動揺していた。
憤りも顕わに詰め寄るセドリックを、バグマン氏は怯むことなく冷静に見返した。
「それは違うぞ、ディゴリー君。俺は君だけを有利な立場に置くために、ドラゴンの情報を伝えたわけじゃ無い。――――むしろ、代表選手達の足並みを揃えるために、君にドラゴンの情報を伝えたんだ。」
バグマン氏の話はセドリックにとって信じ難いものだった。
「――――じゃあ僕以外の代表選手は、既に第一の課題の内容を知っていると言うんですか?」
「ああ。この数日間で君以外の3人の選手たちは、全員が図書室でドラゴンに関する本を閲覧していることが確認されている。」
「そんな、あり得ません。クラムとフラーの優勝にかける思いがとても強い事は知っています。でもだからと言って、ルールを破ってまで栄光を手にしたいと思う様な人間ではありません!」
数週間と言う短い間だが、各校の代表選手たちと交友を深めてきたセドリックは、バグマン氏の言う事を俄かには信じることが出来なかった。
フラーにしてもクラムにしても、確固たる自信と誇りを持っている。汚い手段でアドバンテージを手にして自身の価値を損なうことなど、許容できないはずだ。
そう断言しながらも、セドリックは動揺を隠しきれなかった。その動揺を見透かしたように、バグマン氏は静かにとある事実を指摘した。
「先にルールを破ったのは、ホグワーツの方だとしてもかい?」
「あ……。」
「各校から代表選手は一人だけ。これ以上ないほど明確な、この大会の基礎をなす重要なルールだ。どれか一つの学校だけに、多くのチャンスを与えるわけにはいかないからね。」
しかし、そのルールは試合が始まると同時に、大々的に破られてしまった。ホグワーツからセドリックとハリーの二人の代表選手が選ばれてしまったからだ。
他2校からしてみれば、ホグワーツだけに美味しい思いをさせるのは我慢ならないはずだ。少しでも条件の差を埋めようとするのは、当然なのかもしれない。
いつの間にか自分が、アンフェアの片棒を担っていたという事実に、セドリックは愕然とした。セドリック自身がルールを破ろうとしたわけでは無い。しかし、事実ホグワーツからは代表選手が二人選ばれており、セドリックはそのうちの一人だった。
――――そしてハリーとセドリック二人の内、どちらが正式な代表なのかという事も、はっきりとしないままだった。
ホグワーツ内ではセドリックを正式な代表選手として扱う空気が出来上がっている。その理由はひとえに、もう一人の代表であるハリーが基準の年齢を満たしていないからだ。
誰もがハリーを偽物として扱う中、ここ最近のセドリックは、とある一抹の不安を抱いていた。
それはホグワーツ内の風潮とは逆の、ハリーではなく自分の方が偽物の代表選手なのではないかという不安だった。
年齢線はあくまでダンブルドアが定めたルールであり、炎のゴブレットは候補者の年齢に関係なく、各校の代表として相応しい能力を持った魔法使いを選出する。
セドリックは自分が代表選手に立候補しても恥ずかしくない実力を持っているという自負があった。そのため最初はハリーを気遣いながらも、心のどこかで自分こそが正式なホグワーツの代表であるという驕りを持っていた。
しかし、ここ数週間の新聞での報道が、セドリックの誇りに暗い影を落としていた。
まるでホグワーツの代表選手がハリーしか存在しないかのような特集記事。最初あの記事を目にした父親のエイモスは、今にも日刊預言者新聞本社に特攻しかねない程怒り狂っていた。吠えメールもかくや、というほどの激情が伝わってくる手紙を苦笑して読みつつも、セドリックは自分の中に微かな不安が頭をもたげるのを感じていた。
日刊預言者新聞、それもリータ・スキータの記事が全面的に信用できないのは承知している。しかし、その内容全てが虚構と言うわけでは無い。
下級生であるとはいえ、記事にある通り、ハリーは今まで何度も危機に直面してきたし、その度に問題を解決してきた。実践的な経験はセドリックより数段上のはずだ。自分よりハリーの方が、ホグワーツの代表として相応しいのではないか……。
ホグズミードで思い切り遊んだことで、一度はその不安は立ち消えたはずだった。しかしここに来て再び、その影が頭をもたげ始める。
もしかすると自分が選ばれてしまったせいで、ホグワーツは重大なルール違反をおかしてしまったのかもしれない。二の句が継げないセドリックに、バグマン氏は慰めるように優しく声を掛けた。
「気休めになるかどうかはわかんがね、ディゴリー君。三校対抗試合は生徒同士の純粋な国際交流の場としての側面以上に、残念ながら大人の事情が深く絡んでいる。なんというか――――昔から、カンニングは三校対抗試合の伝統なのさ。ホグワーツの規則違反が無かったとしても、各校の校長がカンニングを強行した可能性は十分にある。君が気に病むことでは全くないんだぞ。」
「…………はい、分かっています。」
「なら、いいんだが――――いいか?課題当日までもう日が無い。俺が教えてやることが出来るのは、課題でドラゴンを相手にするという事だけだ。急いでドラゴンへの対抗策を考えるんだぞ。勿論サポート体制は万全だ。しかし、何しろ相手はドラゴンだ、万が一という事もある。十分気を付けてくれよ。」
「はい。……あの、バグマンさん。ハリーも、知っているんですよね。その――――ドラゴンの事を。」
セドリックは一番気になっていたことを聞いてみた。他校生のクラムとフラーが課題の内容を知っているという事は、3校の間のパワーバランスを考慮すればまだ理解することが出来る。しかし、ホグワーツ生であるハリーが、どうしてドラゴンの事を事前に知り得るのか。
セドリックの疑問に、バグマン氏は言い辛そうに答えた。
「あー……そうだな。ハリーは……その、なんというか。――――優遇されているだろう。何しろ最年少の代表選手だからな。君たちより実力が劣るのは仕方が無い事だし、ダンブル――――おっと。ハリーを英雄に仕立て上げたいという大人の思惑があるんじゃないかと、私は思っている。」
「――――そう、ですか……。」
セドリックは俯いた。
バグマン氏が言いかけたのは、ダンブルドアの名前だった。セドリックは全く信じていなかったが、生徒達の一部(主にスリザリン)では、ダンブルドアがハリーを英雄として祭り上げようとしているという噂がまことしやかに囁かれている。
まさか、その噂が本当だというのだろうか。今回の三校対抗試合には、ダンブルドアの何かしらの思惑が絡んでいるというのだろうか。
セドリックの心の片隅に、不信の種が黒く、小さく滲んだ。
落ち込むセドリックの肩を、バグマン氏が優しくたたいた。父親のような表情を浮かべてセドリックを見ている。
「なんにせよ、頑張ってくれ。――――さっきは足並みを揃えるためとは言ったが、俺は君が気に入ったんだ、ディゴリー君。君は素晴らしい乗り手になるぞ。――――俺にできることがあったら何でも言ってくれ。もっとも、主催者としての立場上、相談に乗るくらいが関の山だろうけどな。」
「――――はい、ありがとうございます。」
セドリックは笑顔で礼をしたが、心は晴れないままだった。
「う、うぇーっ――――ぐ、ぐすっ……きぼぢわるい……。」
意固地になって湖の上空でフリーフォールを繰り返したダリアは、案の定三半規管をやられ、近くの草むらでケロケロと胃の許容物を吐き出す羽目になった。
どうしてあんな見え見えの挑発に乗ってしまったのだろうか。確かに箒の操作技術は先ほどよりもずっと身についた気がするが、こんなに苦しい思いをする必要なんてどこにも無かったはずだ。ダリアは自分の短気な性格を恨んだ。
ダリアは涙目で「エバネスコ!」と叫ぶと、自分に酔い止めの魔法をかけてフラフラと歩きだす。練習はこれくらいにして、セドリック達が居る所へ戻ることにしよう。
「ただいまぁ。――――って、アレ?さっきのおじさん、どこに行ったの?」
ダリアがセドリックの所へ戻ると、先ほどまで居たバグマン氏の姿が見えなくなっていた。キョロキョロと辺りを見渡すが、それらしき人影は近くに無い。
「――――お帰り、ダリア。バグマンさんなら、だいぶ前に帰ったよ。シックネスさん達と第一の課題についての打ち合わせがあるんだってさ。」
セドリックの言葉を聞いたダリアは、耳を疑った。
「は――――はぁあああ?何それ!私、見ときなさいって言ったのにっ!私が必死でロデオしてるのを無視して帰ったって言うの?あのおじさんがやってみろって言ったんじゃない!」
ダリアは怒り狂った。これくらいの事なら余裕でできるという事を証明してぎゃふんと言わせるつもりだったのだが、挑発した本人が見ていないのならば意味が無い。
「――――まあ、バグマンさんも忙しい人だから、仕方が無いよ。練習に付き合ってもらっただけ、感謝しなきゃね。」
地団太を踏んで悔しがるダリアを、セドリックが宥める。その声の調子が先ほどまでの物とは違い、明朗さを失っている事にダリアは気付いた。
「セドリック、どうかした?なんか、元気なくない?大丈夫?」
「いや――――大丈夫、少し疲れただけさ。もしかしたら、週末のホグズミードの疲れが取れていないのかも。」
誤魔化しているが、明らかに顔色が悪い。――――バグマン氏と第一の課題につい手の話になり、緊張が蘇ってしまったのだろうか。
第一の課題。ダリアはそう考えて、今がまたとないタイミングだと気付いてハッとした。周りには人影も無く、お邪魔虫のバグマン氏も居なくなった。今を逃せば、ドラゴンの事を伝えることが出来るのは明日以降になってしまう。
ダリアは意を決し、それとなくセドリックにドラゴンの事を伝えようと口を開いた。
「と――――ところでセドリック!あーっと、その――――どのドラゴンが一番好き!?」
「――――。」
きっとこの場にリドルが居たならば、あらん限りの言葉でダリアの事を罵っていただろう。考えうる限り、最悪のさり気なくなさだった。自分でも理解できる。
しかし、一度口にした言葉をひっこめることはできない。ダリアはヤケクソになりながら話し続けるしかなかった。
「ちなみにねぇ!私はウクライナ・アイアンベリー種が好きかな!ドラゴンなんだから、やっぱり大きくてナンボよね!でもそんなドラゴンにも弱点がありましてですねぇ――――」
「――――ダリアは相変わらず、誤魔化すのが下手だね。悪巧みの時はすごく上手に知らんぷりが出来るのに、不思議だなぁ……。」
セドリックがしみじみとそんな事を言うので、ダリアはぎくりと心臓が飛び跳ねた。
「べっ――――つに、何も誤魔化してなんてないわ。私はただ、好きなドラゴンの話をしてるだけで……。」
「大丈夫、もう知ってるよ。――――第一の課題の事だろう?」
「えっ……。」
ダリアは驚き、セドリックの顔をまじまじと見つめた。まん丸く見開かれたダリアの目を見つめ返すことが出来ず、セドリックは思わず目を逸らした。
「さっき、ダリアが向こうで箒の練習をしている時に、バグマンさんから教えてもらったんだ。――――僕以外の選手達は、全員ドラゴンの事を知っていたんだって。」
「そ、そうなんだ……ポッター以外も知ってたんだ。」
どことなく沈んだ口調で話すセドリックに、ダリアはこれがセドリックの悪い顔色の原因だという事を察した。思ったほど落ち込んでは居ないようだが、一歩間違えればセドリックが以前の様にどん底まで落ち込んでしまった可能性もある。ダリアは不用意な事をしたバグマン氏に、心の中で文句をぶちまけた。
それにしても、ポッター以外にも、他2校の代表選手達もドラゴンの事を知っていたとは思わなかった。しかし、禁じられた森の奥まった場所とはいえ、隠蔽の魔法も使っていないのだ。他2校の校長がドラゴンを見つけ出すのは、確かに簡単にできるかもしれない。。
ダリアが何の気なしに呟いた言葉に、セドリックが突然勢いよく反応した。
「ポッター?……ダリア、どうしてハリーが第一の課題について知っているという事を、知っているんだ?」
「えっ。」
「――――いや、そもそも、どうしてダリアが第一の課題の内容を知っているんだ。おかしいだろう。もしかして、最近やけにコソコソしているとは思っていたけど、まさか、ハリーを闇討ちしようとして……。」
あらぬ疑いをかけられそうになったダリアは、必死で弁明した。
「ち、違う!スパイ活動なんてしてないわ!ただ、夜中に禁じられた森を散歩してたら、変な物音が聞こえてきて。そしたらそこでドラゴンとポッターにばったり会っただけ!」
「――――夜中に、禁じられた森で、散歩!?」
「アッ。」
珍しく声を荒げたセドリックに、ダリアは自身の失言を悟った。