≪紳士、淑女のみなさん、少年、少女諸君。いよいよ世紀の大試合が始まります。これから始まるのは――――もっとも偉大で――――もっともすばらしい――――しかも二つとない一大イベント、三校対抗試合です!!≫
会場中にルード・バグマンの拡大された声が鳴り響いている。ダリアはいよいよ青ざめた顔で観戦席に座り、じっと競技場の入り口を見つめていた。
「ダリア、大丈夫?死にそうな顔してるわよ。」
「全然大丈夫じゃない……お腹痛い……。」
本当に苦しそうに冷や汗を滲ませるダリアの背を、横でダフネがさすってくれている。膝の上ではトゥリリが不安気な鳴き声を上げてダリアの顔を見上げていた。
『そんなに怖くて見たくないなら、見なきゃいいんじゃないの?これだけ大人が安全対策してるんだもん、きっと死ぬことは無いよ。』
「そういう問題じゃないよ――――それに、万が一ってことがあるかもしれないもん。」
本当に、本当にいざとなったら、ダリアが割って入ってでもセドリックを助けるのだ。セドリックは怒るかもしれないが、たった“一つ”しかない命の重さに勝る物は無い。だからいくら怖くても、ダリアはセドリックの課題を見届けるつもりだった。
「でも――――フラーの出番は見たくない……。」
「ぶれないわねぇ……ま、嫌いな奴のことなんて見なくてもいいんじゃないの?」
ダリアがポツリと呟いた言葉を耳にしたパンジーが、呆れたように言った。パンジーはダリアがフラーを嫌う余り観戦を拒否していると思っているようだが、真相は少し違っている。――――ダリアは自分が仕掛けた呪いが発動する場面を見たくなかったのだ。
――――見たくないものからは逃げちゃってもいいのよね?それが賢いやり方だもの。無理して傷付く必要なんて無いのよ……。
ダリアはリドルに言われた言葉を必死で反芻し、後ろめたさを消し去ろうとしていた。
観衆が見守る中、いよいよ競技場にドラゴンが連れてこられた――――会場には既に、選手たちがドラゴンから金の卵を奪うという試練が与えられていることが伝えられていたが――――そのあまりの迫力に、ざわめいていた生徒達は一斉に息を呑む。
最初に競技場へ連れてこられたのは、スウェーデン・ショートスナウト種だ。
≪さあ、いよいよ最初の挑戦者です。トップバッターは――――セドリック・ディゴリー!!≫
「!!!」
バグマン氏の進行に合わせて、競技場へと続く道から、セドリックが姿を現した。セドリックは多少緊張した面持ちだが、落ち着いている。
「――――。」
『イタイ!ダリア、そんなギュってしないでよ……。』
「ご、ごめん……。」
無意識の内にトゥリリを抱く腕に力が入っていたようだ。悲鳴を上げたトゥリリを抱え直して再び顔を上げると、セドリックが囲い地の端でとぐろを巻いているドラゴンに向かって歩き始めていた。
「ディゴリーは何をするつもりなんだ?ドラゴンといえば、結膜炎の呪いが有効だが……。」
「ディゴリーの性格的に、正面突破はしないんじゃない?そこまで無謀じゃないでしょ。ね、ダリア。」
「――――うん、たぶんね。」
事前の作戦会議では、セドリックはドラゴンをおびき寄せる方法を考えていた。この数日間の内に作戦が変わっていなければ、本番でも変身術を使ってドラゴンの気を引き、その間に金の卵を取る作戦を使うはずだ。
――――すぐに卵を取りに行くためには、もう少し近づかなきゃ。あと少し……。
観衆が固唾を呑んで見守る中、セドリックは岩陰に隠れながら、じりじりとドラゴンに近づいていく。やがて巣にほど近い場所まで辿り着いたセドリックが、杖を構えて近くの岩に魔法をかけようとした。
“エクスペリア―ムス!!”
セドリックの手から杖が離れてくるくると飛んでいくのを、ダリアはぽかんと口を開けて見ていた。
ダリアだけではない。観戦していた生徒と教員たち、囲い地のそばで控えているドラゴン使いたち、そして何よりセドリック自身も、大きな弧を描く杖の軌道を呆然と目で追っている。
誰も状況を理解できなかった。
「――――だめ!!」
ダリアは反射的に遠く離れた場所に飛んでいこうとする杖を撃ち落とした。杖は回転を止め、その場から数メートルも離れていない場所へポトリと落ちる。
ドラゴンの視線が向いていないことを確認したセドリックが、素早く杖を回収した。セドリックがしっかり杖を握っていることを確認したダリアは、自分がいつの間にか立ち上がっている事に気が付いた。
≪おおっと――――これは――――一体何が起きたというのでしょうか。今、一瞬ディゴリーの手から、杖が飛んだように見えたのですが……。≫
バグマン氏の困惑気味な実況が会場中に響いている。ダリアはバクバクいう心臓を抑えながら、ヘロヘロと観戦席に腰を下ろした。
「――――ねえ、あれ、武装解除の呪文じゃない?」
隣に座っていたミリセントが、眉を顰めて口を開いた。その横でパンジーもこくこく頷いている。
「そう、それよ!私、決闘クラブでスネイプ先生が使っているのを見たもの!ロックハートの杖も、今みたいに手から弾かれて飛んでた――――ロックハートは体ごと吹っ飛んでたけど。」
授業では未学習の呪文だが、決闘クラブに参加した二人はこの魔法の事をよく覚えていた。それほどスネイプによるロックハート撃破が痛快だったのだろう。
誰かが意図的に、セドリックに武装解除の呪文を掛けた。杖が無ければどんな危険な目に合うか、分かり切っているのに。――――一体誰が。
「――――あいつらだわ。」
魔力の痕跡を辿ったダリアは、観戦席の端っこで、杖を構えているダームストラング生の二人組を視界に収めた。
――――あの二人が、セドリックを、攻撃した。
ダリアの体の奥底から、怒りの炎が一気に燃え上がった。
「トゥリリ、後はお願い。――――セドリックが危なくなったら、どんな手を使ってもいいから、ドラゴンを殺してね。」
『分かった、ドラゴンを――――えっ、ドラゴンを!?』
了承しかけたトゥリリは、ドラゴンという言葉を聞いて飛び上がった。
『さ、流石にドラゴンは、厳しいんだけどな!いくら僕が神殿のネコの血を引くスペシャルな猫だからって――――』
「“本当の姿”になったら、あんなちゃちな鱗くらい爪で簡単に切り裂けるでしょ!いいからこっちは頼んだわよ――――私、あいつらをどうにかしなきゃ!」
ダリアは木陰に走り去って行く二人組を追いかけて、数十メートルの距離を飛び越えた。
ダリアが禁じられた森の端に降り立つと、二人組は慌ただしく森の更に奥に逃げ込もうとしている所だった。
「――――時計がさっきから変なんだよ。ずっと軋んだような音を立ててる。」
「やっぱり時間の制約があるんだ。早いところ元の場所へ戻って――――」
「――――あんた達、待ちなさいよ!!」
ダリアの怒鳴り声を聞いて、二人組はおしゃべりを止めて弾かれたようにこちらを振り向いた。黒髪と金髪の、ダリアと同い年くらいの少年たちだ。まさか追いかけてくる人間がいるとは思っていなかったのか、完全に虚を突かれた表情で固まっている。
いいチャンスだと思ったダリアは、男の子たちを魔法でぐるぐる巻きにして、近くの木に縛り付けようとした。そこでじっくりとっくりねっぷり尋問してやるのだ。――――しかし相手が逃げようとする抵抗が予想以上に強い。
相手のおどおどした様子から完全に格下だと思って舐めてかかっていたダリアは大いに取り乱しそうになったが、何か様子がおかしいという事に気が付いた。
――――何これ、この子達が逃げようとしてるんじゃない。この子達、別の力でどこかに引っ張られてる――――!!
まるで見えない誰かと綱引きをしているかのようだ。――――しかも、相当強い魔力を持った相手とだ。このまま頑張っていても、この二人組がどこかへ消えてしまうのも時間の問題だろう。
彼らが消えてしまう前に、セドリックを妨害した目的だけでも聞きださなければならない。何とか二人組にしがみ付き、問い詰めようと近づいたダリアは、そのうちの一人の顔を見て目を見開いた。
「――――ドラコ?」
「え――――」
ダームストラングのローブを身に纏った二人組の内、背の高い金髪の少年は、ダリアの良く知る友人と全く同じ顔をしていたのだ。名前を呼ばれた少年は、驚いた顔でダリアを見返した。ダリアは一時的に問い詰めることを忘れて、少年の顔をまじまじと観察した。
――――似てるけど……別人だわ。ドラコはもっと甘やかされたドラ息子みたいな顔をしてるけど、こっちはどことなく不幸のオーラを感じる……。
それにドラコ本人は、セドリックの杖が弾き飛ばされた時、ダリア達と一緒にぽかんとその様子を見詰めていた。今も観客席に座り、セドリックとドラゴンの対決を見ているはずだ。いくら似ていると言っても、他人に決まっている。
「――――マルフォイ家の係累か何か?ドラコはダームストラングに入学する可能性もあったって言ってたし……カルカロフからの命令で、セドリックの妨害をしたの?」
「……そ、その通りです。ヴぉく達ヴぁ校長に頼まれて、彼から杖を取り上げようとしました。ズみません。」
「――――。」
何も言えない金髪の少年を見かねて、黒髪の少年がなまり交じりの言葉で弁解する。しかし、ダリアは直感でそれが嘘だという事を感じ取った。嘘をつくことに慣れていないからか、挙動がぎこちない上に、もし本当にカルカロフに頼まれているならば、こんなにあっさりと白状するわけがない。
――――あくまでしらをきるってわけ……そっちがそのつもりなら、こちらにも考えがあるわ。
ダリアは魔力を込めた指先で、少年たちの額をコツンとつついた。途端、少年たちはぼんやりと夢見心地の表情で宙を見つめ始める。額の辺りから白い靄のような物質を引っ張り出しながら、ダリアは顔を顰めた。
「これ、気持ち悪いからあんまりやりたくないんだけど、やむを得ないわよね。――――あんた達の記憶、見せてもらうわよ。」
ダリアは引っ張り出した白い靄を指先でつまむと、意を決して口の中に放り込む。ごくりと飲み込んだ次の瞬間、ダリアの頭の中に膨大な量の映像が、怒涛の勢いで押し寄せた。
『セオドール・ノットから非合法な逆転時計を押収したそうじゃないか。その時計を使わせてくれ。――――わしの息子を返してくれ。』
『エイモス、時間を操作することが出来ないのはご存知でしょう。それに、その噂は正確ではありません。』
『息子よ――――わしの人生で最も素晴らしい宝だった――――家族を全て亡くした私には、もはやこの道しか残っておらん。頼む。頼む――――』
『ハロー。私はデルフィーニ・ディゴリー。よろしくね。』
『――――エイモスは私の患者だけど、おじでもあるの。』
『おじさん、この二人だけが、あなたの息子を助けようと名乗り出てくれたのよ。信じてみましょうよ――――』
『あったぞ、逆転時計だ!これを使えば、過去に行ってセドリックを救うことが出来る!』
『セドリックは父さんと同時に優勝したから、ヴォルデモートに殺されたんだ……。』
『セドリックを優勝から遠ざけよう。そうすれば、彼は巻き込まれずに済む――――』
いつの間にか二人に施していた拘束が外れていたらしい。少年たちの姿は幻の様にかき消え、ダリアは一人で森の中に立ち尽くしていた。
しかしダリアはその事に気付く余裕もなく、今見た記憶の意味を必死で考えていた。
――――何、今の。どういうことなの……?
記憶の中で繰り返し使われていた『逆転時計』という単語。それを押収されたというノット。
黒髪の少年の父親だというハリー・ポッター。車いすに乗ったエイモスは家族をすべて失い、悲しみに打ちひしがれていた。
そして何より、エイモスの姪だと名乗る女、デルフィーニ・ディゴリー。今よりずっと若い容姿をしていたが、確かにあの女は、ノットの継母と同一人物だった。
――――彼らは未来からやって来た、ポッターの息子と、ドラコの息子ってこと?おじさんに頼まれて、セドリックを助けるために過去にやって来た?
――――デルフィーニも未来からやって来た?じゃあノットが言っていた“未来予知”は、予知じゃなくて実際に未来で“起きた”事だったの?
――――彼女はおじさんの姪っこだと言っていた。だとしたら、“セドリックの従妹”を名乗る私の存在を警戒するのは当然だ。彼女はセドリックを助けようとしている?
――――そもそも、三校対抗試合で優勝したらセドリックが死ぬって……何?
衝撃の事実がいくつも明らかになり、ダリアは混乱しきっていた。大量の情報を処理しきれない。
「ダメ、わけが分からない。一つずつ整理しなきゃ……。」
まず一番優先して考えなければならないのが、セドリックの死についてだ。先ほどの二人組の記憶を見る限り、彼らが逆転時計を使って過去にやって来た未来人であることは、ほぼ確実だ。そして、彼らが暮らす未来では、セドリックは既に故人となっている。――――それも、この三校対抗試合に関わる何かによって。
ポッターの息子は、セドリックはポッターと同時に優勝したことが原因で死ぬことになると言っていた。デルフィーニに見せられた悪夢とも状況は一致している。そして、彼らとデルフィーニはエイモスのために、セドリックを救おうと過去へやって来た。
「おじさん……。」
孤独なエイモスの後ろ姿を思い出し、ダリアは胸が痛くなった。ポッターの息子がダリアと同じ年になるほど先の未来だ。きっとエイモスもサラも、かなりの高齢だろう。サラが既に亡くなっていたとしても不思議ではない。
子煩悩で妻を心から愛していたエイモスの事だ。そばには姪を名乗る女性が居たものの、子と妻に先立たれた悲しみは如何ほどの物か。
姪――――デルフィーニ・ディゴリー。彼女がまさか未来から来た、エイモスの“本物の姪”だったとは。ダリアという“偽の姪”の存在に疑問を抱くはずだ。
しかし、未来の彼女は今より随分と若々しかった。年齢を考えると、今はまだ当然生まれていないはずだ。しかしダリアは、ディゴリー夫妻に今なお存命の兄弟姉妹が居るという話を聞いたことが無い。
セドリックに確認すべきかもしれないが、“従妹”の話題を今更蒸し返すのが、ダリアは怖かった。
――――いいわ。ひとまずデルフィーニの事は置いておきましょう。彼女は未来でセドリックを救おうとしていたもの。――――これまでのことだって、セドリックを助けようとしていたって考えて、いいのよね?
ダリアは自分自身で言ったことに疑問を覚えながらも、そう自分に言い聞かせた。そう考えれば、今までの彼女の不可解な行動殆どに、説明がついてしまうからだ。
ダリアを疑って開心術を仕掛けたのは、本当の“従妹”ではありえないと知っていたから。
ダリアにペティグリューの事を教えたのは、セドリックを殺した犯人を排除させたかったから。
ノットに逆転時計を作らせようとしたのは――――分からない。しかし、未来で彼の家から逆転時計が押収されたことと何か関係しているのかもしれない。
その他にもマンティコアやノット家を覆い隠す結界など、意味が分からない行動は沢山あるが、『彼女がしようとしている事(セドリックを救う事)』の難易度を考えれば、どんな大掛かりな準備をして“備えて”いたとしても、おかしくは無い。それほど、『過去を変える』という行為は大変なことなのだ。
未来を“予知”することと、実際に未来が“存在する”という事は、似ているようで全く違う意味を持っている。
前者の場合ならば、この世界の時間軸の最先端は『現在』だ。予言を知ったとしても、その通りに行動するか、予言から逸れた行動を取るかで、未来は如何様にも姿を変える。だからダリアは今まで、セドリックが死ぬという予言を成就させないために、必死で彼の周りの危険を排除してきた。
しかし後者の場合ならば、話は全く変わってくる。この場合の世界の時間軸の最先端は、当然ながら現在ではなく『未来』になる。つまり、現在は誰かにとっての『過去』なのだ。
そして、過去を変えることは、決して――――――――
「――――――――――――。」
「――――――――――――。」
「――――――――――――。」
「――――――――――――。」
その昔、“10”の命を持つ最強の大魔法使いになるという野望を持つネヴィル・スパイダーマンという男が居た。スパイダーマンは時間の流れから切り離された『時の泡』に200年もの間潜み、歴代クレストマンシーの魂を回収していたという。
最終的にキャットとトニーノ(ダリアの弟)の活躍でその野望は阻まれた。干からびた抜け殻になったスパイダーマンは、『200年前に死亡』という史実に合わせる形で、過去にとばされることとなったらしい。
その話を後から耳にしたダリアは、ある一つの疑問を持った。
「クレストマンシー、質問があります。」
唐突に書斎を訪れたダリアの姿に、クレストマンシーはかすかに目を見開いた。キャットを後継者に選んだ後しばらくたったこの頃、ダリアはクレストマンシーを避けるようになり、自分から話しかけてくる機会もめっきり減っていたからだ。
「これは珍しいことがあるものだ。私とは二度と口をきかないのではなかったのかね?」
「――――茶化さないでよっ!た、確かに最近はあなたの事避けてたけど……私にだって教育を受ける権利はあるはずよ、文句ある!?」
皮肉を言うクレストマンシーに癇癪を起しかけたダリアだったが、なんとか自分を落ち着かせ、再度口を開いた。
「どうしてスパイダーマンの死体を過去に送る時、わざわざ史実に合わせなきゃいけなかったの?」
「ふむ。――――過去を変えてはいけないという話を、君には散々したはずだが……。」
「過去を変えたら現在に大きな変化が現れるってことでしょ?そんなの知ってるわよ。――――私が言いたいのは、世界の修正力の話はどうなったのって事!」
ダリアはクレストマンシーによる多重世界理論の講義で、“世界には修正力がある”という事を学んでいた。一つの系列の世界は最大で9つまでしか存在しえない。
何らかの要因でどれか一つの世界が二つに割けて世界が10個に増えてしまったとしても、避けた世界は自然と統合され、結局一つの系列の世界は9つに保たれると聞いた覚えがあった。
「死体が発見された場所が変わったとしても、それほど大きな変化になるとは思えない。でもそれが原因で世界が割けてしまう様な大事件に発展してしまったとしても、“世界の修正力”が働いて、結局何も無かったことになるんじゃないの?」
「――――なるほど。わざわざ面倒な確認をせずにそのあたりに死体を放っておいたとしても、“修正力”が良いように働いて全て丸く収まるのではないか、と考えたわけか。」
「そ、そこまでは言ってないけど……。」
しかし、ダリアが言いたいのはそういう事だった。
過去を変えないに越したことが無いのは十分承知している。しかし時間を遡ることは大変難しく、今回のように200年も過去に干渉するのはいかにクレストマンシーと言えど骨が折れる作業のはずだ。
わざわざ苦労して過去へ送るくらいいなら、最初から“世界の修正力”とやらに任せてしまった方がいいのではないか、と考えたのだ。
クレストマンシーは呆れたような顔をした後、読んでいた本を閉じて執務机のわきに寄せた。どうやら、本腰を入れて説明してくれるつもりになったらしい。少しの間目を閉じた後、ゆっくりと話し始める。
「以前は“世界の修正力”と言ったがね。実際のところ、世界のあれこれを修正しているのは――――私なんだ。」
「――――――――ええ!?」
衝撃の事実に、ダリアは目を見開いた。そんなことは初めて耳にした。クレストマンシーの業務に含まれるなら、後継者になるはずだった自分に知らされていないはずがないのに。
ダリアの責めるような視線を受けたクレストマンシーは、心外そうに片眉を上げた。
「クレストマンシー以外が知る必要のない事だからね。正式に役目を引き継ぐときに伝えることになっているんだ。とはいえ、私は君にも知る権利はあると思っている。だから君が後継者から外れた後も、何回か場を設けて説明しようとしたつもりだよ。――――もっとも、君は私からの呼び出しを全てボイコットしていたから、一度もその機会には恵まれなかったがね。」
「――――。」
ダリアは気まずくなって目を逸らした。クレストマンシーからの呼び出しを無視した事なら、何回もある。図星を指されて黙り込むダリアを見て、クレストマンシーはため息をついた。
「まあいい、話を続けよう。――――世界Bが二つに分かれていた時の事を思い出しなさい。私は事態の解決策として、「二つの世界の完全なる分離」と「二つの世界の融合」を提示した。――――だが私は最初から、後者を選ぶ前提で話を進めていたんだ。」
「え、何で?」
相手に二択で聞いておいて、そんなの詐欺じゃん。とダリアは思った。そんな文句を感じ取ったクレストマンシーは、ダリアを横目で少し睨んだ。
「二つの世界を運営していくだけのリソースが十分に無いからさ。実際、世界Bが二つに増えたところで、存続自体は不可能ではない。世界Bは二分割されたまま、400年ほどの間存続していたわけだしね。――――しかし、本来与えられるはずのリソースを半分ずつしか与えられない世界が、十全に発達していけると思うかい?」
「――――あんまり、思わない。」
「その通り。だから世界Bは他の世界より、様々な面で発展が遅れている。何しろ400年もの間、他の世界の半分のリソースしか与えられていなかったんだからね。私は世界Bを一つに統合する手助けをすることで、“世界の修正力”としての役割を果たしたんだ。」
確かに世界Bは他の第12系列の世界とは違い、関連世界等の知識理解が広まっていないという話を聞いたことがある。まだ世界Bの技術は、異世界を観測できる水準にまで達していないのだろう。
「遅れが取り戻せる範囲の内に世界Bを一つに戻すことが出来たのは幸運だ。あのまま世界Bの異変に気付かなければ、第12系列の世界のパワーバランスは完全に崩れ、いくつかの世界が崩壊してしまう可能性もあった。そうならないために、私――――というかクレストマンシーは、時代を問わず魔法の使われ方を監督して回っているんだ。魔法の悪用は、世界を二つに割くような大事件に発展する可能性が高いからね。」
「これ以上世界を増やさないために、異変が現在起きている事ならば、大問題に発展しない内に解決する。異変が過去に起こっている事ならば、例え過去に遡ってでも、その異変を解決する。――――まあ、大抵はその時代のクレストマンシーが解決するはずだが。」
クレストマンシーは最後呟くようにそう付け加えると、革張りの椅子からゆっくりと立ち上がった。そのままダリアの横を通り過ぎ、ドアを大きく開く。
「だから私は歴代のクレストマンシー達の手を煩わせないために、細心の注意を払ってスパイダーマンの死体を過去に送ったんだ。――――これで君の疑問は解決しただろう。さあ、分かったなら早く子供部屋へ行って、キャットと仲直りしてきなさい。君が昨日仕掛けた嫌がらせのせいで、キャットは半日ほど舌が消えてしまっていたんだぞ。」
「――――なんだ、もう治っちゃったの。」
本当なら1か月はあの不愉快な声を聴かずに済むはずだったのに。そう言って口を尖らせたダリアに、クレストマンシーは眉を大きく顰めた。
「―――――――――。」
過去を変えることは、決して許されない。特に人間の生死に関することは、未来に大きな変化を与えてしまう要因となる可能性がある。
――――未来が大きく変わってしまえば、その要因が発生したで世界は二つに割けてしまうかもしれない。もしそうなってしまえば、それを元通りにするために、クレストマンシーが……。
思い至ったのは、恐ろしい一つの可能性だった。ダリアはそのひたすらに高い壁を前に、ただ森の中に立ち尽くすしかなかった。
近々投稿しますとか言いつつ、一週間経ちました。
すみません。インフルエンザになってました。