たった今知った事実をどう受け止めればいいのか分からなくなったダリアは、おぼつかない足取りで禁じられた森を引き返していた。
落ち葉をゆっくりと踏みしめながら、これからの事を考える。
――――大丈夫、考えすぎだわ。だってセドリック一人を助けたくらいで、世界が二つに割けるような大事件に発展するわけないじゃない。世界が増えるようなとんでもない事態にならない限り、クレストマンシーもきっと些細な変化には気づかない……はず。
いくら優秀であるとはいえ、セドリックはイギリスの長閑な村出身のただの少年に過ぎない。世界を変えるような大それた事件を引き起こす可能性など、ほとんど無いはずだ。セドリックを救うことが、世界にとって重要な変化であるはずがない。そうに違いない。
そもそも、デルフィーニの“予言”には私が存在しなかった。あれが予言ではなく“未来の記憶”ならば、本来存在しなかったはずのダリアの行動が、既にこの時間軸に大きな影響を与えていてもおかしくないのだ。
――――それでもクレストマンシーが介入してこないってことは、今の所未来に大きな変化は起きてないってことなのよね?そういうことでいいのよね、いいのよね……。
懸命に状況を楽観視する理由を探しつつも、ダリアの胸中では不安が嵐のように渦巻いていた。
気が付くと、ダリアは競技場のすぐ近くまで戻ってきていた。木々の梢の間から黒々とした観戦席のシルエットが覗いている。興奮した観客のざわめきを聞き、ダリアの意識は一気に現実に戻ってきた。
――――セドリックはどうなったんだろう。
セドリックがドラゴンと対峙始めてから、既にかなりの時間が経過している。結果が出ていてもおかしくは無い。ダリアは状況を確認すべく、残りの道のりを一気に駆け抜けた。
ワァァァァァァァァァァ!!
丁度ダリアが競技場を見渡すことが出来る所まで辿り着いた時、観客席から大きな歓声が上がった。
急いで競技場へ目を向けたダリアが見たのは、緑色のドラゴンが巨大な翼をはためかせ、空に舞い上がる姿だった。その鋭い咢の先には、箒に跨ったハリー・ポッターが居る。ウェールズ・グリーン種は比較的大人しいドラゴンだが、卵を奪おうとする盗人相手にはその牙を全力で剥くのだ。
「いいぞハリー!!!!最高だ!!!!ジェームズ譲りの箒の才能を、あのデカいトカゲに見せつけてやれ!!!!!」
セドリックは既に課題を終え、現在はポッターが課題に挑戦しているようだ。視界の端では、狂ったように声援を送るシリウス・ブラックと、それを必死で押しとどめるルーピン先生の姿がちらついている。
しかし、ダリアはそんな彼らの騒ぎには目もくれずに、食い入るように地上を見つめてあるものを探していた。
――――あった、得点版!
……それほど悪い点数ではない。
という事は、無事に課題を終えることが出来たはずだ。ダリアはひとまず安心して一息ついた。しかし次の瞬間、生徒達の間から大きな悲鳴が上がった。
ポッターの素早い動きに苛立ったドラゴンが、喉奥から煮え滾る炎を噴き出したのだ。ポッターは寸でのところで身を躱したが、パッと燃え上がる赤い炎を目にしたダリアは、頭からザァっと血液が降りていくのを感じた。
ダリアは全速力で観戦席の端を走った。
――――課題をクリアしたからって、セドリックが無傷だって保証はどこにも無い。大怪我をしちゃってるかもしれない……!!
ポッターが課題をクリアしたのだろうか。途中で一際大きな歓声が上がったが、それすらも耳に入らない。ダリアは足をもつれさせながら、競技場の入り口に辿り着いた。
二つ立ち並んだテントの内、『救急テント』と書かれている方に勢いよく飛び込む。中にはいくつかのベッドと衝立が並んでおり、その合間をマダム・ポンフリーがせわしなく動き回っていた。
「――――まあ、なんですか慌ただしい!臨時とはいえ、ここは医務室ですよ。あまり騒がしくしては、患者の怪我に差し障ります!」
突然の乱入者にマダム・ポンフリーは目を吊り上げたが、息を切らせたダリアの姿を認めると「あら」と呟いた。
叱責を受けたにもかかわらず、ダリアの目はマダム・ポンフリーと衝立の向こう側をずっと行き来している。弁明する余裕も無いほど酷く取り乱した様子に、マダム・ポンフリーはため息をついた。
「あの、その――――セドリックは……。」
マダム・ポンフリーはダリアがしどろもどろに何かを言う前に、奥の衝立を示した。ダリアは頻繁に体調を崩したり怪我をしたりして医務室に担ぎ込まれているため、よく知っている。大方、親戚だというディゴリーが心配で様子を見に来たのだろう。
「落ち着きなさい、モンターナ。――――治療は既に終わっています。少しの間だけなら、面会してもいいでしょう。」
マダム・ポンフリーはそう言うと、治療道具一式を持ったまま、奥の部屋へ消えていった。ダリアは恐る恐る、彼女に示された衝立に目を向けた。示された先の衝立には、上半身を起こした影がぼんやりと写り込んでいる。
「――――――――。」
起きている。少なくとも、意識を失うほどの大怪我では無い。ダリアは意を決して、白いカーテンの隙間にそっと体を滑り込ませた。
セドリックは簡易ベッドに腰かけて、ぼんやりと視線を白いシーツに落としていた。盛り上がったシーツの上では、ミニチュアのドラゴンが杖に齧り付き、小さな魔法の火花を出している。
それを見つめるセドリックの表情が何故か無機質なものに見え、ダリアは少しだけ声を掛けるのをためらった。
「セドリック?」
人の気配に全く意識が向いていなかったのだろう。突然声を掛けられたセドリックは驚いたように顔を上げた。その顔を見たダリアは、微かに息を呑んだ。
セドリックの端正な顔の半分を、オレンジ色の軟膏がべっとりと覆っていた。軟膏の下に透けて見える肌は薄らと熱を持ち、所々に焦げた跡のようなものが見え隠れしている。――――酷い火傷だ。
顔を合わせるのは数日ぶりだ。セドリックはショックで言葉も出ないダリアの様子を見て、力が抜けたような笑みを浮かべた。傷に触るのか、どこか引き攣ったような笑顔だった。
「――――大丈夫だよ、見た目ほどひどくは無いんだ。マダム・ポンフリーが言うには、あと1週間薬を塗り続ければ、跡形も無く治るって。だから――――――――ダリア?ちょっと、待っ……」
ダリアは衝動的に、セドリックの腹の辺りに飛びついた。身動きが取れないセドリックはその勢いをまともに受け、仰向けに倒れ込んだ。
セドリックの鳩尾にダリアの石頭がまともに入る。全身の痛みに加え、一時的な呼吸困難に陥ったセドリックは流石に一言文句を言ってやろうと思ったが、ダリアの肩が細かく震えているのに気づき、天井を仰いだ。
「――――だから、大丈夫だってば。そんな泣くことじゃないよ。」
「い、いっしゅうかんって!!――――大丈夫じゃないじゃん!フツーのけがなら、すぐに治るのに!一週間も!!」
「まあ、ドラゴンの炎だからね……。」
「びゃー!!」
セドリックは自分の胴体にコアラのようにしがみ付き、ビャービャー泣き喚くダリアの頭をぎこちなく撫でた。ダリアのなりふり構わない感情表現は彼女らしくて好きなのだが、現実問題、意外と力が強くて苦しい。
「こら!モンターナ、流石に騒ぎすぎですよ!あなたが心配する気持ちもわかりますが、ここは怪我人が――――まあ!怪我人になんてことをしているの、早く離れなさい!」
「びゃー!!!!!」
「せめてベッドから降りなさい、はしたないですよ!」
「びゃーーー!!!!!」
「あ、このままで大丈夫です……。」
泣き止む兆候を見せないダリアは、結局マダム・ポンフリーにシレンシオを掛けられてしまった。
「まったく!!」
マダム・ポンフリーは先ほどと同じ体勢のまま無音で泣きじゃくるダリアを引きはがし、椅子に無理やり座らせる。
鼻水やら涙やらで大変な事になっているダリアの顔をタオルでゴシゴシ拭うと(ダリアが「痛い!」というような事を言っていた気がしたが、当然聞こえなかったので無視された)、プリプリしながら去って行った。
ダリアはしばらくの間スンスンと鼻を啜っていたが、ようやく落ち着いてきたのか、ベッドサイドに置いてあったちり紙を勝手に取って勢いよく鼻をかんだ。
「落ち着いた?」
「――――――――。」
ダリアはぱくぱくと口を開く。しかし全く声は聞こえなかった。どうやらシレンシオを掛けられたことに気付いていなかったようだ。
ダリアがむずがるような仕草を見せた後再び口を開くと、今度は普通に声が聞こえた。
「ごめんなさい……痛かった?」
「まあ、それなりにね。――――なんにせよ、数日ぶりに顔が見れて、嬉しいよ。」
「ごめんなさい……。」
ここ数日間避けられ続けたことに対する意趣返しで皮肉を言ったセドリックだが、ダリアが本当に申し訳なさそうにシュンとしていたので、それ以上つつくのはやめた。
「いや、あれは僕も大人げが無かった。――――心配してくれていたのに、あんなキツイことを言ってしまってごめん。」
「――――ううん。セドリックが私の事を心配して言ったのは分かってるよ。私が悪いの。私が悪い子だから、セドリックに合わせる顔が無かったの……。」
そう言ってまたジワジワ泣き出したダリアに、セドリックは戸惑った目を向けた。一体何の話をしているのだろうか。確かにダリアは『良い子』であるとは口が裂けても言えないが、それは今あまり関係ない気がする。
「――――ダリアは悪い子なんかじゃないよ。前も言っただろう?」
わけが分からないなりに慰めるセドリックに、ダリアは首を横に振った。
「ううん、悪いの。極悪人かもしれない。――――ここに来るつもりも、ほんとは無かったのに。」
「でも、僕はダリアがお見舞いに来てくれて、嬉しいよ。」
セドリックのまっすぐな言葉に、ダリアはますます居た堪れなくなった。そんな風に言ってもらえるような人間ではないのに。ダリアは急いで自分が『悪い子』であるという根拠を探した。
「でも、私、私――――また、セドリックとの約束破ったわ。さっき、禁じられた森に入っちゃったの。」
ダリアは涙ながらに、セドリックの杖を飛ばした犯人を追いかけて、禁じられた森へ立ち入った事を告白した。
「私……本当は犯人に逃げられなかったら、簀巻きにして湖の底に沈めてやろうと思ってたの。そういうの、ダメだっていつも言われてるのに!他にもセドリックに言えないようなひどい事、いっぱいやってる――――きっと私、冷酷な殺人鬼の本性を秘めてるんだわ。」
「冷酷な殺人鬼って……一体何をやらかしたんだ……。」
自分の杖が飛んだ時は驚いたセドリックだが、バグマン氏から聞いた大会に絡む大人の事情を思い出し、『そういう筋の妨害』だと見当をつけていた。まさか、ダリアが犯人を追いかけていたとは。
セドリックはため息をついて、ダリアに向き直った。
「まず、僕の杖を飛ばした犯人を追いかけて、禁じられた森に入ったことだけど。……これについては、もう諦めるよ。」
「――――森に入ってもいいの?」
意外な言葉にダリアがきょとんとすると、セドリックは少し顔を顰めた。
「――――だめだって言っても、我慢できないだろう?特に、今回みたいな時は。だったらこそこそ隠れないで行ってくれた方がマシだよ。危ない事はして欲しくないけど、どうしても行く必要がある時は、絶対に誰かに行先を告げてくれ。」
今回も相手が逃げに徹する人間だったからよかったものの、目撃者を消そうと襲い掛かってくる可能性もゼロでは無かった。ダリアは自分なら撃退できると思っているのかもしれないが、何分どんくさいのでセドリックとしては不安なのだ。
ダリアが頷いたのを確認して、セドリックは話を続けた。
「あと、僕に言えないようなひどい事をしてるって話だけど――――自分で『ひどい事』をしていると気付いているなら、あえて詳しく聞かない。自覚があるなら、きっとダリアは自分がどうすべきか分かっているはずだよね。」
「――――。」
ダリアはセドリックの言葉を聞いて、黙り込んだ。どうするべきかは分かっている。最初から呪いなど仕掛けないか、もしくは今からでも呪いを解除すべきなのだ。
しかし、すべきことは分かっていても、どうしてもそれを実行することが出来ずにここまでずるずると引きずってしまっているのが現状なのだ。
「確かにダリアはみんなが思うような良い子ではないよ。でも、僕はダリアの他人を気遣おうとする優しい所を知ってる。今も本当は来るつもりが無かったのに、僕のことを心配してきてくれたんだろう?」
「それは、そうだけど。でも……。」
別にそれはセドリックを気遣っての行動ではない。自分が来たかったから来ただけなのだ。そう言い募ろうとするダリアに、セドリックが首を振った。
「確かに自分を見失って悪い事をしてしまう時もあると思うよ。でもそんなの皆同じだ。僕だって何かの弾みでとんでもない事をしてしまうことがあるかもしれない。」
「――――だけど、どんなに間違ってしまったとしても、ダリアは最後には正しい答えを選べる子だって僕は信じてるよ。」
ダリアはぽかんと口を開けてセドリックを見た。
『信じてる』なんてことを誰かに言われたのは、初めてだった。
昔から性格に難があったダリアは同年代の子供達と上手く馴染むことが出来ず、トラブルばかり起こしている子供だった。しかし城の大人たちはダリアの境遇に負い目を感じていたのか、叱りこそすれどこか遠慮がちだという事に、ダリアは昔から気付いていた。
城でダリアは常に可哀そうな子供だった。親元から離され見知らぬ遠い国で暮らすことを強制された女の子。たった一つだけ命が足りないから認められない女の子。必死で頑張っていたのに、最後には後継者から外されてしまった女の子。だからダリアが荒れるのはしょうがない。捻くれてしまうのも無理はない。
だからこそダリアはどんどん増長し、最終的にクレストマンシーですら手を焼く傍若無人っぷりを身に着けるまでになっていたのだが、思えばそんなダリアを本気で立ち直らせようとしたのは、セドリックが初めてだった。
大人たちは、そしてダリア自身ですら、ダリアの性格をどうしようもないものだと諦めていたのに。
だからダリアは自分の事を諦めないでどうにかしようとしてくれたセドリックの事を好きになったのだ。ダリアだからしょうがないでは無く、悪い事を悪いと最後まで突き詰めてくれる、セドリックの事を。
――――でも。信じられても、困る。だって私、自分でも自分がコントロールできないんだもの。今だって不運の呪いを解かなきゃと思ってるのに、どうしてもそれができないんだもの……。
ダリアが呆然と立ち尽くしている最中、テントの外から大きな歓声が上がった。ダリアの肩がびくりと跳ねる。
「クラムが課題をクリアしたみたいだね。」
「――――。」
「次はフラーか……気分転換に見に行ってみる?外の景色を見れば気持ちが落ち着くかもしれないし。」
ドラゴンを見て落ち着く女の子は少数派だ。と何かあった時のために衝立の側で待機していたマダム・ポンフリーは思ったが、口には出さなかった。
「――――うん。そうする。」
ついにこの時がやって来てしまった。
本当は見たくなんて無い。
見るつもりも無かったはずなのだが、何故か『見なければならない』と思ったダリアは、青ざめた顔で頷いた。
「ん?あれ。トゥリリじゃないかい?」
『あ、ダリア。やぁっと出てきた!』
ダリア達がテントの外に出ると、入り口辺りの切り株の上でトゥリリが待ち構えていた。どうやらずっとダリア達が出てくるのを待っていたらしい。トコトコ歩いてくると、二人の足元で哀れっぽく鳴いた。
『マダム・ポンフリーはケチだよ。ホントの医務室じゃないのに、ペットは中に入っちゃダメだって言うんだ。』
「――――そうなんだ。大変だったね。」
『?ダリア、何かあったの?』
ダリアは足元のトゥリリを持ち上げて、ぎゅっと抱きしめた。様子がおかしいダリアにトゥリリは首を傾げたが、ダリアは何も答えないまま、競技場へと足を進めた。
「こっちだよ、ダリア。ドラゴンはもうスタンバイしてるみたいだ。」
セドリックが関係者席の後ろから手招きしている。確かにそこからなら、囲い地の中の様子がよく見えるだろう。ダリアは恐る恐る、セドリックの後ろから競技場を覗き込んだ。
ハンガリー・ホーンテールは囲い地の端で牙を剥いていた。
ドラゴンは縄張り意識が高く、同種のドラゴンですら縄張り内に入り込まれるのを嫌うものが殆どだ。それはハンガリー・ホーンテールも例外ではない。
ルーマニアからの長旅に加え、突如として多数の人間の目前に晒されたドラゴンは、守るべき卵を抱えてこれ以上ないほど殺気立っていた。
「これは――――かなり手強そうだね。」
地面に繰り返し打ち付けられる、棘だらけの巨大な尾を見て、セドリックが呟いた。ホーンテールはドラゴンの中で最も獰猛な部類の一種だ。縄張り意識も格段に強く、人の目や他種のドラゴンの匂いが残る競技場に放り出され、いつにも増して気が立っている。
「時間がかかればかかるほど、ドラゴンが苛立って危険になるかもしれない。どれだけ早く勝負を決められるかが鍵かな……。」
「――――――――。」
「――――ダリア?」
セドリックは隣のダリアが細かく震えていることに気が付いた。俯いているため表情は伺えないが、その拳は関節が白くなるほど握りしめられている。小さな握りこぶしの先から血が滴り落ちていることに気付いたセドリックは、慌ててダリアの両手を持ち上げた。
「ダリア、その手……」
ダリアは弾かれたように顔を上げた。しばらくセドリックの顔の火傷を怯えたように見ていたが、唐突に大きな青い目の縁から大粒の涙がブワリと溢れ出た。
「う、うぅぅぅ、うううう……!!」
「ダ、ダリア……?」
顔を真っ赤にして再びボロボロ泣き始めたダリアに、セドリックはぎょっとした。明らかに様子がおかしい。
「一体何が――――あ。怖いなら、テントの中に戻っていても……。」
「ちがうわよっ!そうじゃなくて、そうじゃなくて――――こんなもの!こんなもの!!」
ダリアは泣きながら、地面を蹴り付けた。地中深くに埋めた呪いを跡形も無く焚き上げる。
セドリックは大火傷をした。ポッターは丸焼きにされかけていたし、クラムが相手取っていたドラゴンの暴れぶりは凄まじかった。
――――何が『死なないから大丈夫』よ。あれよりもっと危険なドラゴンを呪われた状態で相手取って、ただの大けがで済むわけないじゃない!!ダリアのばか、まぬけ、人でなし!トムのいじわる!
ダリアはやはり、非情になり切ることができなかった。きっとリドルが知れば、いい顔をしないだろう。きっとあの、人を馬鹿にしたような顔で「情に流されて目的を見失うのは愚かだと思わないかい?」とかなんとか言うに違いない。
だが、一時の激情に身を任せて人を殺してしまったという後悔を一生背負うよりは、ずっとマシなはずだ。
――――そうよ、もうフラーはハンガリー・ホーンテールを引いたんだから、目的は果たせた、それで十分じゃない。これ以上呪う必要なんて無いのよ……。
ダリアは呪いを完全に消滅させると、地面にしゃがみ込んだ。頭の中で嫉妬や後悔、恐怖や安堵など色々な感情がせめぎ合い、どうにかなりそうだった。
蹲って泣くダリアに、セドリックは恐る恐る声を掛けた。
「ダリア、もうテントに戻ろう。マダム・ポンフリーに安らぎの水薬を貰って飲んだ方がいいんじゃないかな……。」
ダリアはブンブン首を横に振った。
ハンガリー・ホーンテールを引く可能性は、誰にでもあったはずだ。それこそダリアが呪いを施さなくても、フラーが当たる可能性は十分にあった。
だから呪いを消した今、フラーがどうなったとしても、それはダリアのせいじゃない。そのはずなのだ。
それでもダリアは、自分の中の罪悪感を拭い去ることが出来なかった。
「――――――――フラー、死なないよね……。」
「それは……勿論だよ。彼女だってボーバトンの代表選手だ。ドラゴンに対処することが出来る実力は備えているし、万が一の時のために、横でドラゴン使い達が控えているんだから。」
「そうだよね、そうだよね……。」
ローブの袖で目元をこすった後、自分に言い聞かせるように呟いた。そんなダリアの様子を、トゥリリが不安気に見上げていた。
ホイッスルが鋭く鳴るとともに、フラーが競技場へ姿を現した。震えてはいるが、毅然と顔を上げ、黒い鱗に覆われた巨大なドラゴンを見据えている。フラーの可憐な容姿も相まって、その対峙は一層恐ろしいものに感じられる。
ドラゴンは目の前に現れた人間に対して、敵意をむき出しにして吠えた。
ビリビリと轟くような雄叫びからは、何としても卵を守ろうとする意志が感じ取れる。ダリアはセドリックにしがみ付きながら、翼を広げてフラーを威嚇するホーンテールを見ていた。
「――――――――!!」
フラーが杖を構え、ホーンテールに対して何かしら呪文を使用した。途端にホーンテールの唸り声が小さくなり、翼が下がり始める。
≪おおっと!卵を守るために牙を剥いていた邪悪なドラゴンが、途端に大人しくなってしまいました!これは――――魅惑の呪文か?≫
バグマン氏の興奮気味の実況が、ざわつく競技場に響き渡る。
確かにフラーが使ったのは、魅惑の呪文に思えた。彼女の中に流れるヴィーラの血と相性がいいのだろう。ワールドカップでヴィーラを目にした多くの男性が見せたように、ドラゴンは邪悪な黄色い目をトロンとさせて、恍惚とした様子で体を伏せている。
『そっか、魅惑の呪文は目や耳や鼻から精神に干渉するんだもんね。ドラゴンの鱗なんか関係ないや。』
トゥリリが感心したように鼻を鳴らした。
ドラゴンは雌のはずだが、性別は関係ないのだろうか。先ほどの咆哮が嘘のように、殆ど夢見心地の状態で翼を閉じている。フラーはその隙に、ドラゴンを刺激しないよう慎重に足元に近づいていく。
やがてフラーはセメント色の本物の卵の中から金色の卵を見つけ出し、両腕で抱え上げた。
≪やった!マドモアゼル・デラクールが、卵を取りました!最強のドラゴン相手に、唯一の女性選手が危なげなくやり遂げました!ボーバトンは優勝に一歩近づいたのではないでしょうか?≫
「よし、いいぞ!」
観客席から歓声が爆発した。気取った感じのボーバトン生達も、この時ばかりは喜びを顕わにして手を叩いている。ライバルの快進撃に惜しみない拍手を送るセドリックを見て、ダリアは少しイラっとした。
「――――喜んでていいの?ボーバトンがリードしてるって、あの実況のおじさん言ってるけど。」
「まぁ、悔しさは勿論あるけど、ライバルのファインプレーを称える気持ちに嘘はないよ。――――それに、課題はこれで終わりじゃない。まだこれから巻き返すチャンスはいくらでもあるはずだろう?」
爽やかに言い切ったセドリックにむっとしつつ、ダリアも渋々拍手を送った。癪は癪だが、フラーが無事に課題を終えることが出来てホッとしたのはダリアも同じだったのだ。
「セドリックがそれでいいなら、別に私は――――ちょっと、あれ!!!!」
自分で勝手に背負っていた肩の荷が降りたからか、良心の呵責無くフラーを睨みつけたダリアの目に、信じられない物が写った。卵を両腕に抱え上げるフラーの背後で、眠っていたはずのホーンテールが目を開けていたのだ。
「魅惑の呪文が切れかかってる!早く逃げないと――――!」
魅惑の呪文は完璧なはずだった。何故解除されてしまっているのだろう。
ダリアの他にもドラゴン使いの何人かが異変に気付き、必死でホーンテールに駆け寄る。しかし、フラー自身が異変に気付く前に、ドラゴンは完全に目を覚まし、数メートル先に居る不埒な卵泥棒を視界に収めてしまった。
地面を震わすような、怒りに満ちた雄叫びが轟いた。
その轟音は離れて場所にある観戦席まで悠々と届き、ダリアは思わず耳を塞いだ。空気がビリビリと震えている。近くにガラスがあったとしたら、きっと粉々に砕け散っていただろう。それほどまでに巨大な咆哮だ。
無防備な状態で至近距離からその雄叫びをまともに受けてしまったフラーは立っていられることが出来ず、その場に倒れ込んでしまった。
怒り狂ったドラゴンを前に、今やフラーは完全に無抵抗の状態で放り出されてしまっていた。生徒達から悲鳴が上がる中フラーは必死で逃げようとしているが、体が思うように動かないのか、その動きは遅々たるものだ。
ドラゴンが大きく口を開け、フラーに狙いを定める。
誰もがフラーがドラゴンの炎によって丸焦げになる未来を予想し、目を逸らした。
「ステューピファイ!」
しかし、ドラゴン使いの行動は早かった。何本もの赤い光線が怒り狂ったドラゴンに向かって放たれ、ドラゴンは思わず悲鳴を上げて後ずさる。
ホーンテールの黒い鱗を、赤い火花が滝のように流れ落ちていく。ドラゴンの皮膚は魔法を弾くが、物理的な衝撃波はそれなりにダメージを与えるようだ。
セドリックはドラゴンが土煙を上げてのたうつ最中、チャーリー・ウィーズリーがフラーを抱えて走り去る姿を認め、ほっと息を吐いた。
「今チャーリーがフラーを連れて安全な所に避難させたよ。もう大丈夫だ。ダリア――――ダリア!?」
『ダリア!』
ダリアは安堵の余り、その場で気を失って転がっていた。
「う、ううーん。」
『あ。起きたね、ダリア。』
ダリアが目を開けると、視界いっぱいにトゥリリの頭が広がっていた。頬を舐めるざらざらした舌の感触を感じながら、ダリアはぼんやりと辺りを見渡す。
「――――ここ、どこ?」
『選手たちの控室のテントだよ。セドリックもさっきまで居たけど、第二の課題の説明を受けに、隣の部屋に行ってる。』
「そうなんだ……。」
ダリアは疲れた声で呟くと、ゆっくりと体を起こした。どうやら長椅子の上に寝かされていたらしい。体の上にセドリックの物らしいローブがかけられている。ダリアはそれを握りしめながら、今日一日の出来事を振り返ろうとした。
――――やっぱりダメ。色んなことがありすぎて、もう何も考えられないわ……。
泣きすぎて頭ががんがんするし、とにかく今は眠りたい。そうだ、もう一眠りしてしまおう。
ダリアがそう思って長椅子に横になろうとしたとき、部屋の隅から突然声を掛けられ、
「やあ、目が覚めたんだね。」
「!?」
ダリアは横になりかけていた長椅子の上から飛び上がった。慌てて声がした方を振り向くと、そこにはいつのまにか、黒髪に金茶色の明るい目をした男性が立っていた。目を見開いて驚くダリアを見て、苦笑している。
「突然声を掛けて悪かったね。あー……ダリア、だったかな。」
「――――そうですけど、あなたは?」
驚かされた事に腹を立てて睨みつけるダリアに驚いたのか、男性はほんの少し目を見張った。
「あー……そうか。そうだね、その通りだ。」
「だから、何がですか。」
「――――いや。こちらから名乗るべきだったと思ってね。僕はコンラッド・グラント。三校対抗試合の公式カメラマンだよ。よろしく。」
「はぁ……。」
ダリアは差し出された手を失礼にならない程度に軽く握ると、サッと手をひっこめた。何故その公式カメラマンから、突然名前を呼ばれなければならないのか。完全に不審者を見る目つきになっているダリアに、コンラッドは苦笑した。
「ディゴリー君が君の事を心配して、何度も名前を呼んでいたからね。ええと――――従妹、だと言っていたけれど。」
「まあ、そんな感じです。」
「――――――――――――そうかい。」
ダリアの答えを聞いたコンラッドは、人の良さそうな柔らかい笑みを浮かべた。ダリアは何故か、その顔に既視感を覚えた。
「――――とにかく、無事に目が覚めて安心したよ。きっとすぐ、代表選手たちは戻ってくる。それまでゆっくり休んでいなさい。」
コンラッドはそう言うと、カメラ道具一式を持ってテントの外へ出て行った。撮影が終わって、わざわざダリアが起きるのを待っていたのだろうか。
「変な人。何だったのかな……。」
『さぁ。悪い人じゃなさそうだったけど……それよりダリア!ちょっと聞きたいことがあるんだ。』
ダリアと同じように首を傾げていたトゥリリが、思い出したように顔を上げた。
『ダリアさぁ、最近何か、隠し事してない?』
ダリアは内心どきりとした。リドルにそそのかされてやったことは、トゥリリには内緒にしていた。――――きっとトゥリリは反対すると直感していたからだ。
ダリアの動揺に気付いてかそうでないのか、トゥリリはじっとダリアの目を見つめながら疑問を上げていく。
『なーんか最近、様子がおかしいんだよねぇ。妙にコソコソしてるし、情緒不安定だし――――何か困った事でもあるの?』
「――――そんな事無いよ。トゥリリの気のせいじゃないかな?」
ダリアはへらりと笑ってごまかしたが、トゥリリの不審な目は消えなかった。
「――――ダリアを見つけただって?世界Bの、しかもホグワーツで?」
「ああ。僕もあの子が小さい時に見たきりだからあまり自信は無かったんだが、神殿のネコらしきペットを連れていたから。」
「トゥリリだな……そうか。まさか世界Bに居たとは……。」
旧友であるコンラッドから大事な話がある、と呼び出されたクリストファーは、ようやく消息を掴むことが出来た少女の写真を見て、安堵のため息をついた。
ダリア・モンターナ。
コンラッドと同じく旧友であるエリザベスの娘で、非常に優れた呪文作りの才能を持っていて、“8つの”命を持つ大魔法使いであり、4年前にこの城を出て行方知れずになっていたクリストファーの養女だ。
クリストファーは幼い頃からつきっきりで魔法を教え込んできたダリアのことを、本人の前では決して態度に出さないものの、目に入れても痛くないほどに溺愛していた。
そんなクリストファーがダリアの失踪に平気な顔をしていられるはずも無く、しばらく出ずっぱりでダリアの行方を捜して様々な世界を渡り歩いていたのだが、最強の大魔法使いである彼の力を以てしても、何故かダリアを見つけることは出来なかったのだ。まさかそんな所に隠れていたとは。
「まさか、世界Bにだけは行かないと思っていたんだがな……それで、コンラッド。ダリアは無事だったのかい?怪我をしたり、辛い目に合ったりしていなかったか?」
「……その心配を本人の前でしてあげれば、また違う結果になっていたと思うんだけどね。――――まあ、僕の見る限り、色々と上手い事やっているようだよ。僕の事は覚えていないようだったけど。」
「無理も無い。ダリアが君に会ったのは何年も前だし、あの子は人の顔を覚えるのが苦手だったから。」
「……それ、君が言うのか。」
コンラッドは呆れた顔をしてクリストファーを見た。クリストファーは自分が興味を持てない人間の名前を全く覚える気が無い。昔から妻のミリーに散々注意されているはずなのだが、今でも城の使用人の名前を間違える辺り、本質は変わっていないように思える。
基本的に複数の命を持つ大魔法使いという人間は、彼のような変わり者が多いのだ。
コンラッドはため息をついて、言い辛そうに付け加えた。
「期待をさせておいてなんだが、あの子が君の知ってるダリア本人だという確証はあるのかい?――――一応、あの世界に元からいるダリアだという可能性も無くはないだろう?」
通常、クリストファーやキャットなど9つの命を持つ大魔法使い達は、同じ系列の他の世界に“同一人物”が居ないという事で知られている。
それは元々他の世界に生まれるはずだった“同一人物”達が何らかの理由で全員生まれることが出来ず、9つの世界の“同一人物”全員の命と魔力がたった一人に集中して生まれた存在が、クリストファーやキャットだからだ。
しかしダリアは“8つ”の命を持つ大魔法使いだ。という事は、第12系列の世界のどこかに、ダリアと同じ顔を持つ“同一人物”が存在しているという事になる。
コンラッドが見た彼女が、世界Bに元々存在したダリアだという可能性も、僅かながら残されているのだ。
コンラッドの疑問に、クリストファーは首を横に振った。
「確かにダリアの“同一人物”が世界Bに生まれていたことは確認している。だからこそ、私はダリアが世界Bに行くはずが無いと確信していたんだが――――とにかく、君が見たのは私が知っているダリアに間違いないよ。世界Bにおけるダリアの同一人物は体が弱くて、幼い頃に病気で死んでいるんだ。」
「そうか……。」
ならば、彼女は世界Aから家出したダリア・モンターナ本人であるという事だ。コンラッドはため息をついた。
行方が分かった事は喜ばしいが、またなんともややこしい場所に隠れていたものだ。よりによって二つに割けかけている世界Bの、しかもその原因であるホグワーツに居るとは。
「――――君が世界Bに入ることを拒んでいる結界、彼女が張ったものだと思うかい?」
クレストマンシー直々では無く、わざわざ別系列の世界のコンラッドが出張って調査に乗り出さざるを得ない理由。世界Bに張られた強力な結界。
コンラッドは成長したダリアを直接知らないが、話に聞く限り、クリストファーに連れ戻されないためにはどんなことでもやりそうだという印象を持っていた。
クリストファーはぼんやりとした目でコンラッドの頭の上あたりを見つめた。人の話を聞いていないような態度に思えるが、コンラッドは知っている。クリストファーのこの仕草は、逆に頭をとても回転させて考えている時のものなのだ。
「正直なところ――――初めて私が世界Bの結界にはじかれた時、ダリアが張ったものに似ていると感じたんだ。」
「……だったら、やっぱり結界は彼女が。」
「いや、それは無い。」
クリストファーはきっぱりと言い切った。
「確かに似ているとは思ったが、それでも絶対にあの結界はダリアが張ったものでは無い。――――あれがあの子が張った結界ならば、私に破れないはずがないんだ。ダリアの魔力ではどうやったって、私を拒む結界を貼ることはできないんだよ。」
ダリアにとっては残酷な事実だが、9人分の魔力を持つクレストマンシー達と、8人分の魔力しか持たないダリアの間には、命一つ分とは言え決して覆すことが出来ない差があった。
「あれほどの結界を貼ることが出来るのは、私の他にはキャットか、それとも他の、例えばネヴィル・スパイダーマンのように複数の命を持つ大魔法使いを作り上げようとしている人物か――――いずれにせよ。私の知るダリアでは無い事だけは確かだ。」
「――――。」
ネヴィル・スパイダーマンの話はコンラッドも聞いている。自分自身が10の命を持つ大魔法使いになるために、時の流れから切り離された『時の泡』に200年もの間隠れ住み、歴代のクレストマンシー達の命を収集していた男だ。
最後の仕上げとしてキャットの命を奪おうとして逆に返り討ちになってしまったらしいが、もし10個の命を持つ大魔法使いとして完成してしまっていたとしたら、全ての世界に大惨事を引き起こす存在になっていたに違いないだろう。
「結界の事は、まあ置いておくとしよう。僕は引き続き、世界Bの調査を続けるよ。それで――――ダリアの事はどうするんだ?連れ帰るかい?」
「いや。そんな危険な奴がいるかもしれない場所から連れ戻したいのは山々だが、きっと無理やり連れ帰ろうとしても逃げられてしまうだろう。仮にもあの子は8つの命を持つ大魔法使いだからね。いくら君でもダリアの相手は難しい。――――なるべく近くで、危険が及ばないように見守っていてくれないか?頼む、コンラッド。」
その昔、常に自信満々で偉そうな物言いをしていたクリストファーからは考えられない殊勝な態度に、コンラッドは微笑んだ。