ホグワーツ城8階、必要の部屋。
第一の課題が終わってすぐの週末、生徒達がドラゴンの迫力や選手たちの活躍について興奮気味に語り合う中、ダリアは薄いクッションの上に正座してリドルと向き合い、深刻な話し合いをしていた。
「未来から来た、ポッターの息子と、ルシウスの孫ねぇ……。」
「アルバスとスコーピウスって名前なんだって。」
「……不愉快な名は置いておくとして。俄かには信じがたい話だ。」
第一の課題でドラゴンに立ち向かうセドリックを武装解除した二人組、アルバス・ポッターとスコーピウス・マルフォイ。ダリアが彼らの記憶を強引に覗いたところ、なんと彼らの正体は未来からの時間旅行者だったのだ。
ダリアの話を聞いたリドルは、終始難しい顔で腕を組んでいた。現在が『過去』であるという事実を含め、彼にとっては理解の及ばない範疇の話だ。
「むしろ僕は、君がすんなり受け入れている理由が分からない。予言や予知とはレベルが違うじゃないか。――――既に未来が“決定している”だなんて与太話、どうして信じられるんだ。」
「そりゃあ、私だって吃驚したけど。記憶を植え付けられている痕跡も無かったし……。」
「そうは言ってもね……。」
ダリアは自分が見たという記憶を全面的に信じている様子だが、リドルは懐疑的な姿勢を崩さない。――――ポッターに息子が存在するという事は、闇の陣営の敗北を意味する。もはや別人であるとはいえ、ヴォルデモートがハリー・ポッターに二度も破れたという事実を、すぐには受け入れることは出来ない。
リドルはしばらくの間頭の中で情報を整理していたが、ややあって口を開いた。
「――――まあ、君の見た記憶を信用して、ここが本当に過去であると仮定して考えてみよう。本来の歴史を大きく変えてしまうと世界が二つに割かれて、君の後見人が介入してくる可能性があるという事は、理解できた。」
「うん。」
「だけどダリアとしては、セドリックが死ぬ未来など到底受け入れることはできない。だから歴史にできる限り影響を与えずに、彼の運命だけを変えたい、と。」
「うん。」
「君のやろうとしていることは分かるけど……未来がどういう歴史を辿るのか、詳細は殆ど分かっていないんだろう?もし僕らの行動が歴史に影響を与えてしまったとしても、僕達はそれに気づくことすらできないんだ。はっきり言って、難しいよ。」
「――――だよねぇ……。」
リドルの返答を聞いたダリアはカーペットの上にごろりと転がると、ひっくり返ったままウンウン唸り始めた。
過去を大きく変えると世界が二つに割けてしまい、クレストマンシーが修正しにやって来る。並大抵の変化では世界が二つに割けるなどしないはずではあるのだが、細かい事象の積み重ねが大きな変化につながる可能性もある。
変化を抑えるため、できる限りセドリックの生死以外の歴史は変えたくないのだが、未来の知識が無いダリアにとっては、何をどう変えれば歴史が変わってしまうのかという事すら不明なのだ。
リドルなら何か打開策を打ち出せるかと思って相談したのだが、策略家の彼をしても、やはりお手上げ状態だった。
「現時点で分かっているのは、ポッターとマルフォイに息子が生まれることと、エイモス・ディゴリーに姪が生まれる事。――――それと、セドリック・ディゴリーはポッターと同時に優勝したことが原因で死ぬ、という事くらいか。」
「うん……あの子たちの記憶を覗いて分かったのはそれだけ。全部見る前に、未来に逃げられちゃった。」
「とりあえずは、その歴史をなるべく変えないよう意識して行動するべきなのかな……。そうは言っても今できることなんて、せいぜいその二人が無事生まれるように、ポッターとマルフォイの人間関係には極力手出ししないようにして――――」
自分が口にした内容に、リドルはハッと顔を上げた。
「くそ、ポッターには手出ししてしまっているぞ。僕らの工作で、あいつは今チョウ・チャンと付き合っているじゃないか。」
「そ、そういえば……。」
リドルが悔しそうに足元のクッションを蹴飛ばした。ダリア達は3年生の時、セドリックからチョウを遠ざけるためにポッターを利用していたのだ。
チョウが怪我で落ち込んでいる所をポッターに慰めさせて以来とんとん拍子で二人の仲が進んでしまい、今では週末になるとチョウに引きずられてマダム・パティフットの店に入るポッターが度々目撃されている。
ポッターは『ザ・女子』といった性格のチョウに随分と手を焼いているようだが、今の所それなりにうまくいっているように思える。
「参ったな、あいつが本当は誰と子供を作る予定だったかなんて知らないぞ。別れさせようにも、そのアルバスとかいう子供がチョウ・チャンとの間に生まれた可能性も捨てきれないし……。」
「でも、ポッターがチョウと付き合ってるの、去年からじゃない。それなのにあのアルバスっていう息子が存在するってことは、正しい歴史でもチョウと付き合ってたんじゃないの?」
「そんなの分からないだろ。学生時代の恋人とそのまま結婚する人間がどれだけいると思っているんだ?――――今はまだ、ポッター達が別れて本当の相手と付き合う可能性が残されているだけかもしれないじゃないか。」
「――――。」
真面目に考えてくれているリドルには悪いが、ポッターの結婚相手について真剣に悩む彼の様子は結構面白かった。しかし、いくら考えたところで、答えなど出るはずも無い。
「今考えたところでどうしようも無い。彼らの話が真実なら、セドリックの優勝を阻むため、第二の課題の場にもやって来るはずだ。その時に未来の情報についてもっと詳しく聞き出すんだ。――――彼の詳しい死因についてもね。」
「分かってるよ。」
ダリアは真剣な表情で頷いた。ドラコの息子、スコーピウスによると、セドリックはポッターと同時に優勝したから“ヴォルデモート”に殺されたのだという。しかしデルフィーニに見せられた記憶では、セドリックを殺していたのはペティグリューだった。
きっと部下であるペティグリューにセドリックを殺すよう命令を下したのがヴォルデモートなのだろう。ペティグリューは既にアズカバンに放り込んでいるが、命令を下す存在が存命しているのなら、セドリックの命はまだ保証されていないということだ。
先日はあの二人を拘束するのに手間取い、彼らが消えるまでにほんの少しの情報しか得ることが出来なかった。第二の課題が行われるまでの3か月の間に、強力な拘束呪文を用意しておかなければ。
「――――でもまあそういう状況なら、その後の君の行動は結果的にいい判断だったね。」
ダリアが頭の中で呪文の構想を練っている時、リドルが不意に言った。何のことかさっぱり分からなかったダリアは首を傾げた。
「判断って、何のこと?私、何かしたっけ?」
「何って……フラーに仕掛けた呪いの事だよ。もしフラーが優勝争いから脱落していたとしたら、何かしら歴史を変えるリスクを負う事になっていたかもしれない。――――解呪しておいてよかったじゃないか。」
「!!」
ダリアはピシリと固まった。
何故、リドルはダリアが直前で怖気づいて呪いを消したことを知っているのだろう。フラーの呪いに関しては、一言も口にしていないのに。
リドルは肩を竦めた。
「逆に分かりやすいよ。不自然なほど話題に出さないんだからさ。」
「う……。」
「直前で怖くなったんだろう?」
「――――まあ、そう、だけど。」
ダリアは目を逸らしながら肯定した。非道なやり方ではあるが、一応リドルが親切心で考えてくれた作戦だ。自分で乗っておいたくせに取り止めたというのも、何となく申し訳ない気がする。
まるで目を合わせようとしないダリアに、リドルはため息をついた。
「別に、責めるつもりはないよ。」
「え――――『情に流されて目的を見失うのは愚かだと思わないかい?』とか言わないの?」
あっさりとしたリドルに、てっきり馬鹿にされると思い込んでいたダリアは、拍子抜けした表情で顔を上げた。妙に上手い口真似が癪に障る。
「言わないよ……僕がしたのはあくまでただのアドバイスなんだ。それを生かすも殺すも君の自由。僕には君の判断を責める権利は無いよ。――――結局は“君が”決めたことなんだからね。」
「“私”が、決めたこと……。」
「そうさ。 “君が”呪いを掛けることを決めたんだし、“君が”呪いを消すことを決めたんだ。僕が提示したのは、あくまで一つの手段。その通りにすべきだなんて、思っちゃいないよ。」
「――――うん。」
――――そうだ。リドルはアドバイスをしてくれただけ。結局呪いを掛けようと決めたのは、“私”なんだ。私の意思で、フラーを危険な目に合わせようとしたんだ。
危険な提案をしたリドルを責める気持ちがほんの少しだけあったダリアは、頭に冷水を掛けられたような気分になり、少しだけ鳩尾の辺りがキリキリと痛んだ。
そう。他者に強制された行動に価値は無い。ダリアがあくまで自分の意思で、こちら側を選ばなければ意味が無いのだ。
今回はダリアに決断させるための、もう一歩の後押しが足りなかった。次は彼女が迷う余地が無いように、もっと念入りにお膳立てをしてやるべきかもしれない。
葛藤するダリアの様子を、リドルの赤い目が静かに見つめていた。
12月になると、ホグワーツに本格的な冬がやって来た。
雪や霙が降り積もる中、地下にあるスリザリン寮は一年を通して室温があまり変わらない。温かく燃える暖炉と合わせ、談話室の中はとても快適なのだが、ひとたび外へ出ればその快適さは全く失われてしまう。吹き抜けの多い石造りの校舎は冷たい隙間風が常に通り抜けており、特に廊下は殆ど屋外と変わらない寒さなのだ。
第一の課題が終わり気が緩んでいたダリアは、軽い風邪をひいていた。
「だからってあんた、その恰好はどうかと思うわよ……。」
「もっこもこのぶくぶくじゃない。どうしたのよそれ。」
「――――私だって、好きでこんな格好してるわけじゃ無いもん……。」
ローブの下に着こんだ何枚ものセーターとカーディガン、分厚い靴下で雪だるまの如くぶくぶく着ぶくれしたダリアは、不満気な顔を隠しもせずに口を尖らせた。
「なんかさぁ。セドリックがおじさんおばさんに、私が風邪ひいてるって手紙出したみたいで。大量の防寒着が送られてきたの。」
自分を心配して送られてきたセーターはとても嬉しかった。あんまり嬉しかったので、ダリアはそのうちの一枚に頭を突っ込むと、早速セドリックに見せびらかしに行った。
しかしセーターの端から覗くダリアの棒きれのように貧弱な手足に危機感を覚えたセドリックが、「セーター一枚だけでこの寒さを防げるはずがないだろ。」と更なる重ね着を要求したのだ。勢いに圧されたダリアは、言われるがままに毛糸でぐるぐる巻きにされていった。
確かに寒さは全く感じないが、ミニチュアトロールのようなシルエットは全く気に入らない。
「っていうかこれ、単純に動きにくい。」
「そりゃあ、それだけパンパンに着込んでたらそうなるでしょうよ……。」
鼻をズルズルさせながら言うダリアを、ダフネは呆れた顔で見た。確かに寒さを防ぐ皮下脂肪などほとんど無いであろう薄さだが、やりすぎ感は否めない。
つい先ほどすれ違ったスネイプ教授も、コロコロ着膨れしたダリアを珍獣か何かを見るような目つきで見ていた。
「まあいいわ。早く次の授業に行きましょ。」
「えーっと、次は何だったかしら……げ、魔法生物飼育学じゃん。」
「えぇー。またスクリュートかぁ……。」
時間割を覗き込んだミリセントの言葉を聞き、ダリアはげんなりと肩を落とした。
謎の生物『尻尾爆発スクリュート』が孵って以来、魔法生物飼育学はスクリュートを育てるだけの時間となっていた。毎日たっぷりと餌を与えられたスクリュートはすくすく育ち、それぞれが二メートルを超す巨体へと成長していた。
共食いを始めたため随分と数は減ったのだが、それでもあと10匹程生き残っている。
今日は数人がかりでスクリュートに散歩をさせなければならないのか。それとも日に日に鋭さを増していく棘に気を配りながら餌やりをしなければならないのか。
向かった先に想像以上の恐怖が待ち受けているとも知らず、ダリア達は憂鬱な気分で放牧場へ歩いて行った。
「今日はこいつらが冬眠するかどうかっちゅーのを確かめたいと思う。」
拭きっ晒しの放牧場で寒さに震えていた生徒達は、ハグリッドが持ってきた巨大な箱を見て、今度は命の危機を感じて体を震わせた。今日はこれからこの箱に、あの暴れまわる巨大なスクリュートを押し込まなければならないらしい。
「冬眠してくれたらほんとにありがたいのだけれど……するのかしら?コレ。」
「しないでしょ。ハチャメチャに元気だもん、この子達……。」
ダリアは今日も元気に尻尾から火花を振りまいているスクリュートを見て、武者震いをした。どう見ても冬眠するような予兆は見られない。
――――せめてスクリュートがもっと可愛げがある生き物だったらよかったのに。
幼体の時の白いブヨブヨした体は、今や鋭い棘が生えた硬い甲羅のようなものに覆われている。吸盤らしきものは見えなくなったが、そのあらゆる生物をごちゃまぜにしたかのような雑多な醜悪さは健在だ。一体この生物は何種類の魔法生物を混ぜて作られているのだろうか。
――――尾からの火花を見る限り、やっぱり火蟹の血は入ってると思うけど。この棘……どことなく、サソリの尾にも似てる気が……。
「――――まさかね。」
禁じられた森の奥深くに結界によって隠されている、サソリの尾を持つ人面の怪物を思い出し、ダリアは慌てて頭を振った。マンティコアを連想したが、流石に偶然だろう。
ダリアは一抹の不安を感じながら、尻尾爆発スクリュートとの仁義なき戦いに向けて、もたつくセーターの袖部分をまくり上げた。
生徒達は決死の覚悟でスクリュートを引っ張り――――もしくは引き摺られながら、凶暴な棘を持つこの怪物をフワフワの毛布が敷き詰められた快適な箱の中に押し込んだ。
普段真面目に魔法生物飼育学の授業を受けようとしないドラコでさえ、真剣に取り組んでいた。なぜなら手を抜けば、この恐ろしい生物がたちまち自分を襲うのが分かり切っていたからだ。
ハグリッド曰く、スクリュートが冬眠する生物であるならば、この箱の中に入ると大人しくなるはずなのだという。ダリア達は祈るように軋む巨大な木箱を見つめていた。彼らが冬眠してくれれば、少なくとも冬の間はスクリュートの世話から解放される。
しかし生徒達の必死の祈りもむなしく、案の定、スクリュートは冬眠を必要としなかった。狭い箱に閉じ込められたのが気に入らなかったのだろう。スクリュートは怒り狂って暴れだし、自分たちを閉じ込める木の囲いに向かって体当たりを始めた。
火の手を上げながら爆散する木箱に身の危険を感じた生徒達の殆どは、必死の思いでこの辺り唯一の安全地帯、ハグリッドの小屋に逃げ込んだ。
「もう嫌!!私、これ以上あんな怪物の世話なんかしたくない!!」
パンジーがガタガタ震えながら涙声で叫んだ。ハグリッドを手伝ってスクリュートを捕まえている数人を残し、小屋の中にはグリフィンドール生も多く逃げ込んでいたが、全員内心パンジーと同じ気持ちだった。
ダフネが窓の外で暴れまわるスクリュートを忌々し気に見つつ、ドラコを振り返る。
「今こそルシウス様に告げ口する時なんじゃないの?新種の生物を作り出して生徒に世話をさせるだなんて、出るとこに出れば一発アウトよ!」
怒り心頭のダフネに、窓の外を睨みつけたドラコがこれまた忌々し気に返した。
「残念ながら、父上は既にホグワーツの理事を外されてるんだよ。知らなかったかい?」
「もう!去年あなたがヒッポグリフ相手に馬鹿な事していなければ、今事私達みんなスクリュートから解放されてたのに!!どうして肝心な時にダメダメなのよ!」
ヒステリックにダフネが喚くが、どうにもならないものはしょうがない。ダリアはスクリュートの火花で焦げ付いたセーターの穴を繕いながら、友人たちと同じように窓の外を睨みつけた。
ダリアはそこで、信じられないものを見た。
「――――あれ。」
「え?何かあった?――――――――あら、あの派手な魔女……リータ・スキーターじゃない。また可哀そうなポッターの取材に来たのかしら。」
ダフネが不快な表情で声を潜めた。
第一の課題を上位の成績でクリアしたポッターに対する非難は、格段に減っていた。リータ・スキーターが書いた悲劇的な半生の影響も相まって、以前のようにおおっぴらに中傷すると白い目を向けられることも増えてきていた。
当然ポッターを目の敵にするスリザリン生達が、この状況を気に入るはずがない。再びポッターの特集記事を組むつもりなのではないか、とリータを冷たい目で見ていたのだが、ドラコがふと思いついたように、何かを考えこんだ。
「そうだ、あの女を利用すれば――――」
ダリアが見ていたのは、リータ・スキーターなどでは無かった。
リータ・スキーターと向き合っているポッター。そしてその近くで一緒に話を聞いているグレンジャーと――――ロン・ウィーズリー。
――――なんで、どうして、なんにも無かったみたいに。ぐちゃぐちゃにしてやったはずなのに。
ダリアと同じようなコンプレックスを抱えているくせに、悩みなど何もない様な顔でへらへらしているウィーズリーが嫌いだった。何の努力もしていないくせに、一丁前にダリアと同じような嫉妬心を拗らせているウィーズリーが許せなかった。
だから、思い知らせてやったのだ。
ウィーズリーが秘めていた醜い感情は、ダリアがポッターの目の前で全て白日の下に引きずり出してやったはずだ。水面下の火種を全て掘り起こして、完膚なきまでに彼らの友情を引き裂いたはずだ。
きっと彼らはもう二度と一緒に笑いあう関係に戻れないだろう、とダリアは思っていた。このまま嫉妬と劣等感と孤独の間で潰されてしまえとさえ思っていた。
『幸せそうな』ウィーズリーの姿を目にしないで済むのなら、罪悪感など微塵も覚えなかった。
――――なのにどうして。自分の無価値を思い知った癖に、どうして何でもない顔でポッターに向き合うことができるの。どうしてあんな幸せそうに笑えるの。
――――どうして耐えることが、できるの。
以前と変わらない様子で楽し気にじゃれ合う3人組の様子を見て、ダリアは人知れず、雷に打たれたような衝撃を受けていた。
本当はロンに投げていたブーメランが帰ってきてコテンパンにされるはずだったんですが、あんまり続けてダリアを揺さぶるのもかわいそうな気がして来たので、もっと後に回すことにしました。
心が弱いので。