魔法薬学の教授セブルス・スネイプの研究室は、地下牢へ向かう階段の中ほど辺りに存在する。
内部には大小様々な鍋や試験管、フラスコ、炉、その他およそ魔法薬の調合に必要と思われる器具が準備されており、薄暗い壁の棚の上には動物の目玉や植物の根など、怪しげな材料が詰め込まれたガラス瓶が所狭しと並べられている。
通常、生徒達はこの不気味な部屋に立ち入ることを許されていない。貴重な魔法薬の材料の保管庫も兼ねているため、スネイプ教授がこの部屋に他人が立ち入るのを嫌っているからだ。
しかし、一部の生徒はごくたまに、スネイプ教授の研究室の内部を拝見する機会を与えられていた。
いつものように魔法薬学の授業を終えたダリアとダフネは、そのままの流れで夕食にありつくために大広間へ向かおうとしていたところを、スネイプ教授に呼び止められた。
「グリーングラス、モンターナ。夕食へ向かう前に、吾輩の研究室に寄りたまえ。」
「――――。」
「――――。」
半ば予想していた呼び出しだったため、二人は大人しく寮監の後へ続き、滅多に入る機会のないスネイプ教授の研究室に足を踏み入れた。
二人が無言で木の丸椅子に腰を落とすと、黒い革張りの椅子に腰かけたスネイプ教授が重々しく口を開いた。
「――――それで、間違いないのかね?君たちがあろうことか図書室で、グリフィンドールのグレンジャーに、白昼堂々背後から突然呪いを掛けたという信じ難い話は。」
「……はい、そうです。」
「間違いありません……。」
いつになくネットリとした口調のスネイプ教授の問いに、ダリアとダフネは項垂れながら答えるしかなかった。
きっかけは数日前、ダリアがダフネに付き合って、ビクトール・クラム探しをしていた時のことだ。
意外と読書好きなのか、クラムはダームストラングの船に居ない時は、ホグワーツの図書室で本を読んで時間を過ごしていることが多い。そのため談話室を飛び出した二人は、まず最初に図書室へ向かった。
予想通り、クラムは図書室に居た。しかし、そこに居たのは目当てのクラムだけでは無かったのだ。
「ただいま……。」
「ただいま……。」
長針が一回転するほどの時間、スネイプ教授にネチネチ「スリザリン生たるもの」と説教されたダリアとダフネは、ヘロヘロになって談話室に戻ってきた。暖炉の前では夕食の席に姿を見せなかった二人を心配していたパンジーとミリセントが、今か今かと待ち構えていた。
「ああ、やっと帰ってきた。軽い食事ならとっといてあげたよ。」
「随分長かったじゃない、スネイプ先生は何ですって?」
ダリアは苛立ちまぎれに、ミリセントの差し出したサンドイッチを2,3個鷲掴みにし、一気にかぶりついた。
「――――グレンジャーに鼻呪いを掛けて医務室送りにした罪で10点減点、反省文羊皮紙二巻き。」
「もしゃもしゃ――――私はそれを止めること無く唖然と見ていた罪で5点減点、反省文羊皮紙一巻き……。」
二人は暖炉前のソファに来ると、むっつりしたまま深く座り込んだ。
スネイプ教授は他寮生に厳しいが、自寮生を必要以上に甘やかすこともほぼない。スリザリン生として相応しくない行動を取った場合には、当然のように厳しい罰則を言い渡す。
今回は場所が悪かった。静粛にしなければならないはずの図書室で、ダフネの方から私闘を吹っ掛けてしまったため、その場でピンズ先生に現行犯確保されてしまったのだ。
スネイプ教授にはその短絡的な行動がスリザリン生として相応しくない、と厳しく叱られた。
大量に宿題が出ている中、更に追加のレポートを課された二人を気の毒そうに見ていたパンジーだったが、ふと疑問が浮かんだ。
「でも本当、短絡的だったんじゃないの。いくらグレンジャーが気に入らなくてもねぇ。」
「ダフネにしては珍しいね。」
「だってあの女――――グレンジャー!!せっかくクラムがダンスパーティーに誘ったのに、断ったのよ!それも訳が分からない理由で!」
苛立ちが抑えられなかったのか、ダフネは親指の爪を齧りながら声を荒げた。相当頭に来ている。ダリアは数日前の事を思い出し、重いため息をついた。
丁度ダリア達が図書室でクラムを見つけたところ、そこでは丁度クラムがグリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーにダンスパーティーのパートナーになるよう頼み込んでいる真っ最中だったのだ。信じられないようなタイミングの悪さだった。
まさかクラムが、グレンジャーに懸想しているとは。
そんなことを露ほども考えていなかった二人は、本棚の陰で石のように固まっていた。特にダフネはグレンジャーの事を、女子力に関しては完全に格下とみなし歯牙にもかけていなかったため、そんな彼女に負けたという事実に打ちのめされていた。
クラムからの誘いに、グレンジャー自身驚いている様子だった。顔を真っ赤にさせて、あたふたとフワフワの髪をどうにか抑えつけようとしている姿が遠目にも見えていた。
クラムはグレンジャーをパートナーにするだろう、とダリアは冷や汗を掻きながらもそう考えていた。彼らの恋の行く末よりも、今は隣で震える友人をどう宥めるかが、ダリアにとっての最優先事項だったからだ。
しかしダリアの予想とは裏腹に、なんとグレンジャーはクラムの申し出を拒絶してしまったのだ。その返答は、打ちのめされていたダフネの神経を、やすりで削るように逆なでした。
「ディゴリーを妨害したのが、クラムの指示を受けたダームストラング生の仕業なんじゃないかって。あの女、訳の分からない言いがかりを――――クラムがそんな事するはずないじゃない!あのクラムが!」
「それで頭にきたダフネが突然飛び出して、グレンジャーに呪いを掛けて医務室送りにしちゃったの。――――気持ちは分からなくもないけど。」
グレンジャーの言い分が案外言いがかりでもないという事を知っていたダリアは、曖昧に同意した。
第一の課題でセドリックの杖を武装解除したアルバスとスコーピウスは、ダームストラングの制服を着て変装していた。グレンジャーは偶然にも、その怪しげな二人組の姿を見かけていたらしいのだ。
過去の人間に姿を見られるのは、時間旅行者として致命的なミスだ。セドリックを助けるつもりなら、もっと慎重に動いてもらいたいのだが。
未来のドラコは息子にどんな教育をしたのだろうか。いくら何でもそそっかしすぎる。どうなってるんだ。
「――――でもさ、繰り返しになるけど、本当に珍しいよね。ダフネがこんな後先考えない行動するのって。」
ダリアが自分の事を棚に上げて毒づいていると、ミリセントがまだ腑に落ちない様子で首を捻っていた。
「だってダフネって、正直もっとじっくり策を練ってから嫌がらせするタイプでしょ。いくら頭に来たっていっても、――――らしくないんじゃない?」
「――――まあね。」
ダフネは罰が悪そうに肩を竦めた。彼女自身、自分の取った行動に戸惑っていた。
「自分でもそこが良く分からないのよね。グレンジャー如きに負けたのが信じられなくて、頭が真っ白になって――――それから先はあまり覚えていないの。あんな風に感情が爆発したのは初めてで……。」
「うんうん。」
あの時、グレンジャーに襲い掛かったダフネは、人が変わったかのようだった。恐ろしい形相でグレンジャーに掴みかかるダフネにあっけにとられたダリアは、彼女を止めることもできず唖然と見ている事しかできなかったのだ。
静まり返った談話室の中、パンジーが物憂げにため息をついた。
「――――なんか最近、そう言うの多いわよね。妙にピリピリしてるっていうのかしら、空気が悪いわ。」
「それ、あんたが言う?」
ミリセントがパンジーを睨みつけた。パンジーはつい最近、ドラコの婚約者候補の一人であるスリザリンの先輩とキャットファイトを繰り広げ、スネイプ教授の大目玉を食らったばかりだった。
おかげでパンジーの仲間とみなされたダリア達も、相手の先輩女子グループからそれとなく敵視される羽目になっている。喧嘩っ早いミリセントだが、決して手を出してこず、ネチネチと嫌みを言ってくる相手を一番苦手としていた。
「ダリアもダリアで情緒不安定に磨きがかかってるし……こういうの何て言うんだったかしら。集団ヒステリー?」
「ちょっと違うんじゃない?――――でも、ヘンな感じよね。イベント続きで皆疲れてるのかしら。」
「ねー。」
首を傾げる女子4人の様子を、トゥリリがじっと見つめていた。
ホグワーツ城の中庭の一角には、絶妙に人目に付きにくい、ちょっとした空き地が存在する。
そこは一年を通して中々日当たりが良く、またうまい具合に雨風を防ぐことが出来る木陰があるため、ホグワーツ中のネコたちの格好の溜まり場となっていた。
生徒達が寝静まった深夜のホグワーツ。
飼い主が眠りについたのを確認したネコたちは寝床を抜け出して中庭に集まり、ダラダラと世間話に興じていた。
『なんかさぁ、最近ダリア達が変なんだよね……。』
トゥリリは中庭に不自然に置かれた巨大な湯たんぽの上に寝そべりながら、憂鬱なため息をついた。
ちなみにこの湯たんぽはフィルチが用意したものだ。猫好きのフィルチはここが猫の集会場である事を知っており、冬になると毎日この巨大湯たんぽをえっちらおっちら人力で運んできてくれるのだ。
『それ、ずっと言ってるよねぇ。』
ミリセントの飼い猫、ミロが毛繕いしながらのんびりと言う。オスの黒猫である彼は飼い主に似ずおっとりとした性格で、同じ部屋で過ごすことが多いトゥリリも焦っている姿を一度も見たことが無い。
『確かに最近、喧嘩が多いけどさぁ。そんな気にする事無いんじゃないの?うちのミリィは喧嘩なんて昔からしょっちゅうだよぉ。』
『……ミリセントはそうかもしれないけどさぁ。』
何処までもお気楽なミロに、トゥリリはもどかし気に頭を振った。元から直情型のミリセントにはあまり変化が無いかもしれないが、普段は比較的冷静なダフネまで派手な争いごとを引き起こす現状は、どう考えても異常だ。
『あ、それ、俺のハーマイオニーを病院送りにした事だろう!やいトゥリリ、どうしてくれるんだ!』
オレンジ色の毛並みの雄猫が、毛を逆立てて話に加わってきた。グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーの飼い猫、クルックシャンクスだ。
昨年度からホグワーツにやって来たクルックシャンクスだが、ニーズルの血を引くらしく頭がとてもいい。トゥリリとは非常に馬が合うのだが、最近飼い主同士が対立し始めたため、こうした悶着が良く起こる。
『ウチのダリアは見てただけだもん。直接ハーマイオニーに手を出したわけじゃないもーん。』
『止めないなら一緒だろ!かわいそうなハーマイオニー、一晩も俺と引き離されて、さぞかし寂しかっただろうに……。』
『なにそれ気持ち悪い……。』
ペットショップでずっと引き取り手が見つからなかったクルックシャンクスは、自分を可愛がってくれるハーマイオニーにメロメロだった。彼女に近づく危険は全て排除すると誓っているらしく、ペティグリューだった怪しいネズミをどうにかして追い払おうと奮闘していたのは記憶に新しい。
『気持ち悪くなんて無いだろ!ハーマイオニーは被害者だぞ!』
『気持ち悪いのは君の事なんだけど……。』
『なんだとぉ!?』
『やめな、あんた達。今何時だと思ってるんだい?』
徐々にヒートアップする言い争いを、鋭い鳴き声が遮った。――――ホグワーツの猫集会の大ボス猫、ミセス・ノリスだ。
管理人フィルチの愛猫である彼女は、気儘な猫たちが暴走しすぎないよう見回りの合間を縫ってこのたまり場に現れては、和を乱す猫を諫める役割を持っていた。
『でも、ノリスの姉御!トゥリリの奴が――――』
『やめなって言ってるだろう。深夜に盛った声で鳴くんじゃないよ、みっともない。大体、飼い主同士の喧嘩にペットがしゃしゃり出るもんじゃないって前から言ってるじゃないか。今はフクロウ派との決戦に向けて猫同士の結束を高めなきゃいけない大切な時期だってのに……。』
『――――すんません。』
ノリスに叱られたクルックシャンクスは、シュンと俯いた。
ミセス・ノリスはフクロウ小屋のボスフクロウ、ワシミミズクのウィローと長年にわたって反目しあっているらしい。何でも朝食の時間、手紙を運んで来る梟たちの糞や抜け落ちた羽の掃除で愛する主人が毎朝苦労しているというのが許せないというのが理由のようだ。
そのため彼女は猫たちをまとめる立場にある事を利用して猫派と梟派の対立を煽り、ホグワーツのペット人気一位の座を猫の物にするという大いなる野望を抱いていた。
フクロウはホグワーツ生の現ペット人気第一位、敵の勢力は強大だ。あの猛禽類に打ち勝つためには、猫同士で争っている暇は無い。
ミセス・ノリスはダランと寝そべるトゥリリに顔を向けた。
3年ほど前、飼い主の入学と同時に彗星の如く現れたこの猫は、他とは違う何か特別な力を持っている気がする。生意気な言動は多いが、近い将来必ず起こるフクロウ派との決戦では、きっと役に立つはずだ。
『トゥリリ。あんた、トリ語は分かるかい?』
『え?――――まあ、多少は。』
唐突な質問に、トゥリリはあくびをしながら首を傾げた。ミセス・ノリスの言う事が横暴なのはいつもの事だが、こんなことを聞かれたのは初めてだ。
トゥリリの失礼な態度を他所に、答えを聞いたミセス・ノリスは満足気に喉を鳴らした。
『そりゃあ丁度いい、校長室に行ってみな。フォークスならあんたの悩みに、何かいい考えを出してくれるかもしれないよ。』
『フォークス?誰それ。』
『ダンブルドア校長のペットの不死鳥だよ。』
不死鳥はトゥリリが元の世界でも、めったに姿を見ることの無い幻想種だ。生と死を繰り返し、決して滅びることの無いこの鳥は、生息数自体がとても少ない。自然での目撃例も極端に少ないため、生態もあまり良く分かっていないのだ。
『――――不死鳥?この学校、不死鳥が居るの?』
『そうさ。何しろ死なない生き物だからね。鳥頭だとはいえ長年の経験はバカにできない。しょっちゅう死んでるから運が悪けりゃ話せないかもしれないが、大抵の疑問には答えてくれるはずだよ。』
トゥリリは不死鳥がこのホグワーツに居るという事を初めて知った。ミセス・ノリスは随分と昔からホグワーツで暮らしているため、猫一倍学校内部の事情には詳しいのだ。
『ふーん。ありがとう、聞いてみるよ、ノリスばあさん。』
『ミセス・ノリスと言いな!!この小童!!』
ミセス・ノリスは鬼のような形相でトゥリリを威嚇した後、『最近の若いモンは』とぶつぶつ呟いた。
ちなみにトゥリリは神殿のネコの血を色濃く引く猫なので、普通の猫より随分と寿命が長い。流石にミセス・ノリスほど生きては居ないが、別に若いわけでは無かった。
『とにかく、あんたは猫派の重要な戦力なんだ。いいからとっとと悩みを解決して、早く作戦会議に戻ってくるんだよ。わかったかい。』
『はぁい……わかりました、ミセス・ノリス。』
ちなみに作戦会議と言っても、大抵の猫たちは気儘に毛繕いしたり湯たんぽの上で眠ったり好き勝手にしているので、話が進んだことは今まで一度も無い。
トゥリリは面倒に思いつつも、一応大人しく返事をしておいた。猫の社会にも、色々あるのだ。
不毛な作戦会議への参加を要求されるのは面倒くさいが、ミセス・ノリスの情報は純粋にありがたかった。ここ最近のダリアの様子に底知れない不安を覚えていたトゥリリは、藁にもすがる思いで校長室を目指していた。
――――えーっと、校長室に行くには、城の屋根を伝っていけばいいんだっけ。
トゥリリは3階までやって来ると適当な窓から外へ出て、軒伝いに歩き出した。ダンブルドアの校長室は張り出した塔のてっぺんに位置しており、天窓に猫一匹程度なら潜り込める隙間が空いているという事を、ミセス・ノリスが教えてくれたのだ。
――――確かこの辺りに……あったあった。よいしょっと――――
『おお……。』
小さな隙間に体を潜り込ませたトゥリリは、校長室の内装を見て、思わず感嘆の声を上げた。
校長室の内部は二層に分かれていた。上段の部屋は美しい円形で、中央では巨大な天球儀がくるくると回転している。下段の部屋には立派な執務机が据えられており、壁に歴代の校長の写真が所せましと並べられ、ペチャクチャとおしゃべりをしている。
トゥリリは棚に置かれた奇妙な銀の道具達――――ダリアが見たら嫌がりそうなものだ――――を興味津々で眺めながらそっと足を進め、一番奥で金の止まり木にとまっている、赤と金の羽をもつ見事な不死鳥を発見した。
不死鳥は突然の侵入者にも動じることなく、静かにトゥリリを見つめていた。どこか異質な存在感に、トゥリリは思わず喉を鳴らした。
『え、と――――あなたがフォークス?ミセス・ノリスがあなたに聞けば、大抵の悩みは解決するって聞いて――――それで――――』
『――――。』
しどろもどろに話すトゥリリを、不死鳥は相変わらず凪いだ目でじっと見つめる。自分ばかり必死になっているような気がしたトゥリリは、段々イライラしてきた。
――――ちょっとは反応してくれたっていいじゃんか!
トゥリリはヤケクソになりながらも、一生懸命フォークスに事の成り行きを説明した。
自分の飼い主である少女の様子がおかしい事。落ち込んだり思いつめたりすることが多くなり、精神的に不安定になっている事。でも少女だけでなく、同室の友人達もなんとなく様子がおかしい事。
『あの年ごろの子って不安定になるのが当たり前なのかな。思春期の女の子特有のヒステリー?心配しすぎなのかなぁ。ねえ、どう思う?』
『――――。』
それでも何も答えない不死鳥に、トゥリリはキレた。
『もー!!なんで何も言わないのさ、話ほんとに聞いてるの!?目開けて寝てるわけじゃ無いの、この焼き鳥!!!』
『――――――――焼き鳥ではありません。フォークスです。』
『!?』
唐突に口を開いた不死鳥に、トゥリリは飛び上がった。
『話も聞いていました。寝ていたわけではありません。』
『あ、そうなの……。』
不死鳥は怒るでもなく、何処か達観したような目をトゥリリに向けると、霧の向こうから響いてくるような声で静かに話し始めた。
『ただ、驚いていただけです。まさか“彼女”のペットであるあなたが、私の話を聞きに来るとは思っても居なかった。』
『――――彼女?』
妙な言い方だ。まるで以前からダリアの事を知っていたかのような言い草ではないか。
『どういう事?どうしてあなたがダリアの事を知ってるのさ。』
『私はアルバスがホグワーツの校長に就任して以来、ずっとこの部屋で暮らしています。――――彼女は以前、この部屋に訪れたことがありますから。』
『……ああ、そういえば。』
トゥリリはダリアが二年生の頃、バジリスクの視線により石化してしまった時の事を思い出した。他の被害者達より随分と遅くに回復したダリアは、セドリックと共にこの校長室で尋問(ダリア談)を受けたらしい。帰ってきたダリアが、キャットがホグワーツの結界を破ったせいで余計な疑惑を持たれたとプリプリしていたのを覚えている。
『二年も前のことなのに、名前を聞いただけでよく分かったねぇ。印象に残りやすい子だとは思うけど。』
その場に居なかったので詳しい事は知らないが、ダリアのことだ。きっと校長相手でも生意気な態度を取ったのだろう。
その時の印象でダリアの事を覚えているのだろうと勝手に納得しかけたトゥリリだが、当のフォークスは首を横に振った。
『いえ、それだけではありません。』
『え?』
『このところ、この部屋では彼女の名前がよく話題に上がりますから。――――良い機会なので、あなたにも伝えるべきでしょう。アルバスの杞憂が現実の物ならば、事は一刻を争います。』
――――ホークラックスというものを、あなたはご存知ですか?
不死鳥の口から飛び出した予想外の言葉に、トゥリリはぽかんと口を開けた。
ホークラックス――――またの名を分霊箱。不死性を求める人間が自らの魂を分割し、魔法具に封じて命のストックを増やすという闇の魔術の産物だ。
トゥリリとダリアにとっては、ある意味身近な存在でもある。いまやダリアの使い魔的存在となったトム・リドルの記憶は、元は分霊箱であったからだ。
しかしながら、ダリアが日記の一部を拝借してリドルを使い魔としていることは、誰にも知られていない事実のはずである。
なぜこの鳥は今、その名前を出したのか。何らかの形で、ダリアとトムの間のつながりが露見してしまったのだろうか。トゥリリは注意深く言葉を選んだ。
『分霊箱っていったら、魂を割いて封じ込める、闇の魔術でしょ。それくらいは聞いたことがあるけど……それが、ダリアに何か関係あるの?』
『――――闇の魔術に対する防衛術の授業で、服従の呪文を取り扱った時の事です。ダリア・モンターナには服従の呪文が全く意味を成さなかったと聞きました。』
『……まあ、そういうこともあったかな。』
デルフィーニの件で自分の精神に干渉されるのがすっかり苦手になってしまったダリアは、ムーディによる服従の呪文を完全に遮断してしまっていた。
おかげで余計にムーディから睨まれるようになってしまったと、授業後のダリアがぼやいていた。
『アラスター・ムーディは歴戦の闇祓いでした。引退したとはいえ、その腕前は未だ衰えてはいません。そんな彼の呪文が効かないという事は、既に何者かに服従の呪文を掛けられている可能性があります。』
フォークスはさらりと、ダンブルドアがダリア本人をも疑っているという事実を伏せて伝えた。彼女の正体が何であれ、警戒されるのは得策ではない。
『今から二年ほど前、ホグワーツではとあるホークラックスにより生徒が操られ、大きな事件に発展しました。アルバスは同じことがダリア・モンターナにも起きているのではないかと、彼女の身を案じているのです。』
『へ、へぇ~。』
――――的外れに見えて、状況だけならほぼ正解に近い見取りだ……。
トゥリリはダンブルドアの嗅覚の鋭さに冷や汗を掻いた。
事実彼の見立て通りダリアの側にはリドルが存在し、ダリアが普通の女生徒ならジニー・ウィーズリーと同じように操られていてもおかしくは無い状況だ。
『でも、操られては、ないんじゃないのかなぁ。最近様子が変なのは変だけど、ちゃんと自分の意思で行動してる風には見えるし……。』
彼は既に分霊箱としての機能を失っている。魂は既に消滅しており、今ではダリアの魔力でかろうじて存在するだけのただの記憶に過ぎない。人間を操るなんてことはできるはずがないのだ。
やんわり否定しようとするトゥリリに、フォークスはそれでも続けた。
『様子が、変……先ほどもおっしゃっていましたね。――――それも、ホークラックスの影響を受けているという可能性は、ありませんか。』
『え?』
トゥリリはフォークスの言っている意味が分からず、首を傾げた。
――――分霊箱の影響?
『それってどういう事?分霊箱って、分割した魂を保存するためだけの道具じゃないの?』
『ご存じありませんか?――――まあ、無理もありません。ホグワーツの図書室にあるホークラックスに関する書籍は、アルバスが全て取り除いていますから。』
『いや、そもそも調べた事無いし……。』
ホークラックスに関する情報は、ほとんどリドル本人が語っていたことの受け売りである。元から命を複数個持っているダリアは特に分霊箱に魅力を感じなかったので、それ以上調べようとはしなかったのだ。
戸惑っているトゥリリを見て、フォークスは金の止まり木から一段降り、トゥリリの目の前にやって来た。赤と金の羽毛が燃えるようで、トゥリリは目がちかちかした。
『ご存知のように、ホークラックスは他者の命を犧牲にして自らの命を補強するという特性から、最も邪悪な闇の魔術の産物とされています。勿論それ自体も危険な物ですが、分霊箱に宿る邪悪な魂は、近づく者の精神を狂わせます。』
『狂わせるって……。』
『言葉通りの意味です。それこそあなたの主人のように物事を悪い方向に考えがちになり、思いつめ、精神的に不安定になる。心が未熟であればあるほどその影響は大きくなります。』
『――――それは。』
確かに、ダリアの今の状況にぴったり当てはまる気がする。
しかしリドルは分霊箱の機能を失っている。だからダリアがその影響を受けているはずが無い。そのはずなのだ。
トゥリリは再び心の中でその事を繰りかえし考えた。しかし、嫌な予感はどんどん膨らんでくるの。
『分霊箱に近づくと言っても、身の近くに存在するとは限りません。精神的な距離――――分霊箱そのものを気に入ったり、心の内を打ち明けたり、依存したり――――感情的に近づくだけでも十分なのです。』
ジニー・ウィーズリーは日記にあらゆる悩みを相談した。心の深層の劣等感、暗い秘密――――それらの感情を無防備に日記に曝け出したジニーは分霊箱の魔力に引きずられて精神を狂わされ、弱り、ついには心を完全に支配されるようになった。
分霊箱の真の恐ろしさは、その邪悪な魂が持つ不思議な魅力なのだ。それと気づかせないように、あるいは気付いていても尚、目を逸らすことが出来ない破滅への誘惑。
ジニーのような少女だけでなく、例えダンブルドアであっても、その誘惑に抗い切れるかどうかわからない。
『精神が成熟していない未熟な者、心に抱えた闇を昇華しきれていない者ほど、無意識の内に影響を受ける可能性が高いのです――――何か思い当る物は、ありませんか?』
『――――それは。』
思い当る物など、リドルしか居ない。
だがリドルは分霊箱としての機能を失っている。
しかしトゥリリは、最近ダリアが自分に隠れて、リドルと何かしら後ろ暗い行為をしているのではないかという事に、薄々勘付いていた。
――――リドルが分霊箱としての機能を回復していて、その上でダリアに何か悪い事をしようとしているのだとしたら……。
今すぐにでも事実を確かめる必要がある。
トゥリリはそう決意すると、フォークスへの礼もおざなりに、勢いよく校長室を飛び出して行った。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
ハートがウォームする話を目指したはず。