いよいよクリスマスムードが校内に満ち満ちてきたホグワーツの週末、ダリアはいつものように必要の部屋で、リドルと魔法の教え合いをしていた。
「――――じゃあトムって元々、記憶のバックアップも兼ねてたんだ。」
「まあね。僕にとって秘密の部屋を開けたという行為は、僕がスリザリンの継承者であるという事を表す証拠のようなものでもあるし。この時の快感をずっと覚えておきたかったというか。」
「へぇー。……トムって結構、気持ち悪いよね。」
「おい……。」
お互いに新しい魔法を一つずつ教え合った後、夕食までの時間を潰すためにとりとめも無い雑談をしていたのだが、ここ最近なんとなく気分がすぐれないダリアはあまり話に集中することが出来なかった。
――――どうしてこんなに気分が悪いのかな。体調が悪いわけでも無いのに、最近体がなんとなくだるい気もするし……。
「どうしたんだい?……なんだか気分が優れないみたいだけど。」
「うーん。――――なんだか最近、夢見が悪いっていうか。心配事続きだからか、気分が乗らないんだよね……。」
「へぇ、そうなんだ。――――でも、君ならすぐに慣れると思うんだけどなぁ。」
「……何よ、私が図太いって言いたいの。こんなにナイーブな悩みを抱えた女の子に向かって、ひどい……。」
「ははは。そういう意味じゃないよ。」
睨んでくるダリアを鼻で笑い飛ばしたリドルは、壁にかかった時計を見上げた。
「――――好物でも食べれば、落ち着くんじゃない?そろそろ夕食が始まる時間だよ。」
「えっ、ほんと?」
ダリアは慌てて壁の時計を確認した。いつの間にこんな時間が経っていたのだろう。確かに腹の虫も騒ぎだしそうな気配がする。
「お腹減って来たかも――――でも、記憶の話も聞きたい……。」
「……君も大概わがままだな。」
食い意地が張っているくせに好奇心も捨てることが出来ないダリアを呆れた目で見たリドルは、ふといい案を思いついた。
「じゃあ君が夕食についている間に、記憶について書かれている本を図書室で探しておいてあげるよ。」
「え――――いいの?」
ダリアが大きい目をキョトンとさせて首を傾げた。
禁書のコーナーにあるはずだが、実体化さえしなければ自分の姿はマダム・ピンズには見えないはずだし、こっそり持ち出すのも今の自分なら“どうにでもなる”はずだ。
「いいよ。見つけたら君の部屋に置いておく。……その代わり今度、世界と世界の狭間の事について教えてくれよ。僕が世界Aに行くときにいつも通っている、あのわけの分からない場所の事。えっと……『あいだんとこ』って言ったかな。」
「ええー……まあ、いいけど。」
説明が難しい場所なのだが、確かにわけが分からない所を毎回移動させられるのは、かわいそうかもしれない。そう思ったダリアは、面倒に思いつつも了承した。
扉の前で外の様子を少し伺い、誰も居ないことを確認したあと、サッと廊下に躍り出る。ダリアがドアを閉めた瞬間、入り口は忽然と姿を消した。
「よし――――じゃあ、私はご飯を食べてくるから。本をよろしくね!」
「あ、ちょっと――――」
リドルが止める間もなくダリアは階段に飛びつき、滑り落ちるように大広間に向かってかけ降りていった。きっと寮監辺りに見つかって、また減点されたとブーブー喚くのだろう。
その様子が目に浮かんだリドルはため息をついたが、ダリアがいくら叱られようがこればかりは自業自得なので自分には関係ない。
リドルは気を取り直して、約束の本を探しに図書室に向かい始めた。
『ねぇ。』
図書室へ向かう道すがら、突然背後から声を掛けられたリドルは、ピタリと足を止めて振り返った。
「……なんだ、君か。驚かさないで欲しいんだけどな。」
『ダリアと必要の部屋で、何してたの?』
リドルの文句に答えることなく、トゥリリは低く問いかけた。
無視される形になったリドルは顔を顰めたが、無礼な態度はダリアで慣れている。すぐに取り繕った笑顔を浮かべ、にこやかに返した。
「何って――――魔法の教え合いだよ。君も以前居合わせたことがあるだろう?あれ以降も時々、こうしてダリアに向こうの魔法を教えてもらってるんだ。今もそれで……。」
『――――。』
「――――君が聞いてきたんだろう。何か答えたらどうなんだ。」
こちらを見上げたまま全く反応を返さないトゥリリに、リドルは苛立ちを感じた。ダリアも時々、自分で聞いたくせにすぐに興味を失ったような態度を取ることがある。やはりペットと飼い主は似るということなのだろうか。
しかし相手は所詮ただの猫、真面目に相手をする必要もない。リドルがトゥリリを無視してその場を去ろうとした時、唐突にトゥリリが口を開いた。
『ねぇ、ダリアがどうやって色んな種類の動物たちと話しているのか、知ってる?』
「――――藪から棒に何をいうかと思えば。以前聞いたことがあるよ。魔力でお互いの意思を直接伝えあっているんだろう?前にやり方だけはダリアに聞いたことがあるんだ。だから僕もこうして君と会話が出来ているんだよ。」
ダリアは猫語を話しているのではなく、意思を魔力で相手の心に直接飛ばしているのだという事を、リドルは以前何かの弾みに聞いたことがあった。
『……そうだね。きみとこうして会話をするのは、これが初めてだ。君はボクに興味が無いようだったし、ボクも君に話しかける意味がないと思ってたから。』
話しかける意味など無い、そのはずだった。
なぜならリドルは、トゥリリの意思を感じ取ることなど出来ないはずだったからだ。
『知ってる?僕たちの意思を感じ取ることが出来る相手って――――ダリアやキャットみたいな大魔法使いだけなんだよ。』
「――――。」
大魔法使いは別の言語を使うことなく、あらゆる動物と意思疎通を取ることができる。それはリドルの言う通り、直接意思をやり取りするというテレパシーのような方法を取っているからだ。
『魔力がたくさんありすぎたら、少しぐらい減っても全然気にならないんだろうね。言葉にすると簡単だし、ダリアやキャットも結構軽々しくやってるけど、これって実は結構たくさん魔力を使わなきゃできないことなんだよね。――――それこそダリア達みたいな、人の何倍もの魔力を持っている人達くらいしか出来ないことなんだ。』
「――――へぇ、そうなんだ。勉強になるよ。」
リドルは依然として優等生然とした笑顔を浮かべたまま、興味深そうに相槌を打っている。トゥリリは逸る鼓動を抑えつつ、話を続けようと口を開いた。
『だからボクたち、今までダリアやキャット以外の人間と話をした事なんて無いはずなんだ。――――でも君は、さっきボクの言葉が理解できていた。』
「そうだね。」
『君がダリアから、ある程度魔力を与えられている事は知ってる。でもいくらダリアが常識知らずとは言え、そこまで大量の魔力は渡すわけない。君は今、与えられてるはず以上の魔力を使って、僕と話してるんだよ。』
「――――。」
与えられた以上の魔力がどこからきているのか。そんなものはダリアから来ているとしか考えられない。
しかし、ダリアが意図的にリドルに大量の魔力を送るとは思えないし、いくらダリアでも大量の魔力が流出してしまえば違和感を覚えないはずがない。
しかし現実問題、ダリアは全くこの状況に気付いていないのだ。
リドルはダリアに気付かれないよう、魔力を勝手に流用する術を、身に着けている。
『トム、君――――――――ダリアを分霊箱にしたんじゃないの?』
トゥリリの問いに、リドルは小さくほほ笑んだ。
「魔力量がほぼ無限に等しいというのも、困り者だね。この会話にそんなにたくさんの魔力を消費しているなんて、全く実感が湧かない……これは事前に確認を怠った僕のミスだな。でも正直、ただの猫である君がそこまで辿り着けたのは驚きだよ。」
『――――そりゃ、どうも。』
「でも、どうして分霊箱の事に気付いたんだい?僕は君たちには、簡単な説明しかしていなかったはずよね。図書室からも関連書籍は全て取り除かれているし、知りようが無いと思っていたんだけど。」
リドルはあっけらかんとしていた。焦るどころか、楽しげにすら見える。そんな彼を不気味に思いながらも、トゥリリは彼の疑問に答えた。
『最近ダリアの様子がおかしいから、不死鳥のフォークスに相談してみたんだ。そうしたら、ダリアに分霊箱が取りついてるせいじゃないかって教えてくれた。あり得ないと思ったけど、詳しく話を聞いていく内に、どんどん思い当る節が出てきて……』
フォークスは分霊箱についての詳細を、事細かに教えてくれた。
リドルが語った不死性を高める道具としての側面は勿論、邪悪な魂の欠片は感情的に近づいた人間によくない影響を与えるという事。依存した人間を支配し、自由に操るという事。
ここ最近のダリア達の異常と比べてみると、驚くほど共通点が多かったのだ。
『最初は君が分霊箱としての機能を回復したんじゃないかと考えた。でもそれだけならダリアの近くに居る人達までおかしくなるわけないと思ったんだ。だって君の本体はただの日記の切れ端だし、ダリアの友人たちがそんな物に親しみを寄せるわけがない。――――だから、ダフネ達が親しみを覚えているダリアの方が、分霊箱になってるんじゃないかと思って……。』
フォークス曰く、分霊箱に心を支配された人間は自分が操られているという事も自覚しないまま、肉体の支配権を奪われてしまうのだという。
最近のダリアは随分とリドルに入れ込んでいる。自分でも気づかない内にリドルの侵入を許している可能性もあった。
『ダリアの体を乗っ取ってしまったなら、魂の保管先をダリアに移し替える事くらい、簡単にできるはずだ。ダリアに気付かれないよう、大量の魔力を持ちだすことだって。』
「――――なるほどね。」
トゥリリの考えを一通り聞いたリドルは、小さく息を吐いた。難しい顔で眉根を寄せながら、一人ブツブツと呟き始めた。
「ダリアがダンブルドアと接触するはずがないと思い込んでいた。だから分霊箱の事なんて露見するはずないと思ってたのに。まさか、飼い猫がダンブルドアの鳥と接触するとはね……これじゃあ、ダリアの詰めの甘さを責められないな。」
『じゃあ、君、本当に……。』
「――――ああ。僕は分霊箱としての機能を取り戻し、魂の保管先をダリアの体に移し替えた。君の推測はあたっている。」
顔を上げたリドルが言い放った言葉を聞いて、トゥリリは恐れていたことがついに現実になってしまったという事を悟った。
『いつから分霊箱としての機能を取り戻していたの?少なくとも去年までは、魂の欠片すら残っていない記憶だけの存在だったはずだよね。一体どうやって……。』
「――――まぁ、別に教えてあげてもいいよ。」
問い詰められているはずのリドルは、ちっとも焦った様子を見せずに呟くと、くるりとトゥリリの方に振り向いた。
「基本的には二年前、ジニー・ウィーズリーに対して取った方法と同じだよ。僕が力を蓄えるためには、他人から魂を注いでもらう必要があるからね。いつでも復活できる状況を整えておくために、できる限り彼女の信用を勝ち取っておく必要があったんだ。」
『魂を注ぐ……?』
「そう。この場合、魔力や生命力とも言い換えられるかな。深層の悩みや、暗い秘密……ダリアが僕に対して心の闇を打ち明ければその分だけ、無意識の内に僕にそれらのエネルギーを注ぎ込んでしまう。僕はそういう仕組みになっているんだ。」
リドルはまるで好きな食べ物を列挙するかのような気軽さで、さらりと付け加えた。
「だから最初の頃はどうにか篭絡しようと頑張ってたんだけど――――あの子、僕に心を開く前からバンバンとんでもない量の魔力を押し付けてくるから。実際その点は僕がどうこうするまでも無かったんだよね。」
『……君、途中から結構自由に振舞ってたもんね。』
人8倍の魔力と生命力を持つダリアの事だ。少しずつそれらのエネルギーをリドルにネコババされていたとしても、全く気付かなかったに違いない。
その上、ダリアは去年リドルに恋愛相談に乗って貰った事をきっかけに、彼に随分と心を開いている。さぞかしリドルは力を蓄えやすかったに違いない。
『――――でも、いくら力を蓄えやすい環境が用意出来ていても、それだけじゃ意味ないよね。だって君、力を蓄える魂そのものを失ってたんだから。』
リドルの日記に封じ込められていた魂の本体は、既にハリー・ポッターによって消滅させられているはずだ。今のリドルはただの精神体に過ぎない存在である。
それこそが、トゥリリが最後までフォークスの言い分を中々信じられなかった理由だった。
「そう、それが最後までネックだったんだ。」
トゥリリの指摘を、リドルは肯定した。
「元々あるものを強化することは可能だが、無から有を生み出すのは不可能だ。命をいくら注ぎ込まれても、元となる僕の魂が存在しないのでは意味が無い――――だがそれも、ダリアに教えてもらった君たちの世界の魔法が解決してくれたよ。」
『な――――ダリアはそんな魔法まで君に教えちゃったの!?』
いくら何でもやりすぎだ。ダリアはそれほどまでにリドルに入れ込んでいたのだろうか。
トゥリリは悲鳴を上げたが、リドルは首を横に振った。
「ダリアもそこまで能天気じゃ無い。僕が利用したのは、最初に教えてもらった魔法だよ。」
『それって、まさか。』
「そう、“卵の魔法”だ。」
『――――あの!?』
トゥリリは思わず大きな声で叫んでしまった。
卵の魔法と言えば、油でギトギトの目玉焼きや冷えた炒り卵、腐った卵を生み出して相手に投げつけるという、ダリアがほぼおふざけで作った魔法だ。何かの役に立つとも思えない。
愕然とするトゥリリに、リドルは呆れたようにため息をついた。
「君はくだらない魔法だと軽視していたが、とんでもない。あれはガンプの元素変容の法則をまるきり無視して、無から有を生み出すことが出来る、この世界の常識を飛び越えた本当に“とんでもない”魔法なんだよ。」
向こうの世界では、こんな魔法は一般的なのだろうか。リドルからしてみれば、どうしてこの魔法の素晴らしさに気付かないのかが逆に不思議でならなかった。
「最初は世界Aと世界Bの魔法の体系の違いを理解するのに役立てようと思っていたんだけどね。詳しく調べていく内に、これを応用すれば失ってしまった僕の魂の欠片を再生できるという可能性に思い至ったんだ。」
『卵の魔法から、魂を復元させる方法を編み出したって、そう言うの……?』
「元々新しい魔法を作るのは得意だったからね。原理さえわかれば、元々精神と魂は深い結びつきがあるし、魂だけを復元するのは簡単だったよ。――――まあ、流石に魂を割く前の状態に戻すのは無理だったけれど、ポッターに分霊箱を壊される直前の状態にまで修復することができた。」
リドルは自分の成し遂げた事を誇るかのように胸を張った。
実際リドルのした事は、この世界の常識を覆す大変な偉業とも言えた。始めて触れる異世界の魔法を使いこなすだけでは無く、原理を理解し、更に別の目的のために応用するなど、常軌を逸している。魔力の量では比べるべくも無いが、その才覚はトゥリリが今まで見てきた大魔法使い達に比肩するものだ。
茫然とするトゥリリの目の前を、リドルは悠々と横切った。地に足を付けて歩く姿は、もはや普通の人間とほぼ変わらない。
リドルはそのまま廊下を引き返しながら、妙に浮かれた調子で話を再開した。
「まあそういうわけで、僕は無事に分霊箱として復活することができたのだけれども。それから後は君の想像した通りだよ。」
『……ダリアを、分霊箱にしたんだ。』
「その通り。」
震えながら睨みつけるトゥリリの視線には全く気付かないまま、リドルは悪びれる様子も無い。
「今の日記の切れ端一枚を魂の保存器として使い続けるのでは、あまりに心もとなかったからね。もっと丈夫で安全な入れ物に魂を移し替える必要があったんだ――――例えば7つの命を持つ大魔法使いとか。」
『――――っ!!』
リドルの言う通り、ダリアは分霊箱の入れ物としてこれ以上ない最適解に見える。自衛する能力が高く、その上ダリア自身に命のストックが7つあるのだ。
ダリアが気付いて引きはがす可能性も十分あるが、ダリアは親身になって色々な相談に乗ってくれたリドルに心を許しかけている。友達が少ないダリアが、せっかくできた友人を見捨てる気になれるだろうか。
きっとリドルは、そのあたりも織り込み済みなのだろう。トゥリリはそのことが一番許せなかった。
『頭おかしい、正気じゃないよ。――――人間を分霊箱にするだなんて、そんなの入れ物になった人間にどんな影響を与えるのか、目に見えてるじゃないか!』
トゥリリは四つ足に石造りの床を踏み抜かんばかりの力を込めて、数歩先を歩いていくリドルを怒鳴りつけた。
百歩譲って、リドルが分霊箱として復活するためにダリアを利用したことだけならば、トゥリリは見過ごすことが出来たかもしれない。
ダリア自身が最初に「分霊箱として復活する方法も見つかるかもしれない」という事を餌にリドルと契約しているのだし、リドル自身も「僕は僕として復活して、ヴォルデモートをも超える強大な存在になる」とはっきり宣言していた。
ダリアの生命力を勝手に使ったのは引っかかるが、半ばダリアが押し付けたものであるし、リドルは実際ダリアの手足となって働いてきた。その契約を反故にしたことは今まで一度も無い。
しかし、分霊箱として復活した後に彼が行った所業は、完全に一線を踏み越えている。
『ダリアは段々君に心を開いていた。それは確かに君の言う通りだよ。でもそれは、“君も”ダリアに心を開いてきたと感じていたからだ。顔を合わせたばかりの頃の君なら、ダリアのくだらない恋愛相談なんか真面目に考えようともしなかった。だけど君は、嫌々でも真剣に考えてくれていた――――!!』
リドルの態度が軟化したからこそ、ダリアも徐々に彼に気を許して行ったのだ。
リドルとはしゃぎながら新しい闇の印を作ったり、自分の考えた魔法を楽しそうに教えたりしていたダリアの姿を思い出し、トゥリリはやるせなくなった。
『結局そんな顔も全部嘘だったんだ!最初から全部ダリアを油断させて、いつかのっとってやろうと思ってただけだったんだ!』
「――――それは違うよ。僕は嘘なんかついてない。」
『じゃあどういうつもりでこんなことをしたのさ!』
トゥリリが地団太を踏みながら睨み上げると、リドルは今日初めて言葉を詰まらせて俯いた。その様子に余計に逆上させられる。
何か言い分があるなら聞かせてもらおうじゃないか、という気でリドルの顔を覗き込んだトゥリリは、あまりに予想外の彼の表情に、喉元まで出かかっていた文句が引っ込んだ。
何故かリドルは、頬を赤らめていた。初めて見る表情だ。わけが分からない。
リドルは首元を赤く染めたまま、どこか照れたように口を開いた。
「――――ダリアは、僕が初めて友達になれるかもしれない相手、だから。」
『――――は?』
あまりに予想外な答えに、トゥリリは今度こそ開いた口が塞がらなくなってしまった。
――――何、こいつ。何を言ってるの?
目の前の少年が、何を言っているのかまるで理解できない。
彼は紛れも無く、悪の魔法使いの卵だ。人間としての倫理から逸脱し、自分の目的のためなら他者の犠牲を厭わない冷酷さを持ち合わせており、16歳という年齢で殺人も犯している。
しかし、らしくないことを言った自分に照れるその姿は何処にでも居る少年のようで、トゥリリはますます混乱した。
呆然とするトゥリリを他所に、リドルは頬を染めたまま、どこか気恥ずかしそうに話を続ける。
「どうやってダリアの寝首を掻いてやろうかと考えていた時期が無かったわけじゃ無い。最初大人しく彼女に従っていたのは、それこそ君の言う通り、手っ取り早く僕を信用させて魂を注ぎ込ませるためだったし。」
しかし、ダリアによって様々な世界の在り方を知ったリドルは、衝撃の余り当初の企みはすぐに頭から吹き飛んでしまった。
未知の世界への好奇心に負け、自分から世界間を渡ることをせがみ、調査結果と自分が立てた仮説をダリアに並べ立てることを繰り返す日々。
ダリアは面倒くさそうにしながらも、時折口を挟んだり反論したりしつつ、リドルの話に付き合っていた。
ダリアの意見を受けて更に調査に意欲を燃やし、新しい仮説を打ち立てるうちに、いつしかリドルはダリアに会って話すのを心待ちにしている自分が居るのを認めざるを得なくなっていた。
「それもそのはずだよね。僕は今まで、同年代の人間と対等に語り合う経験なんて、した事がなかったんだから。――――誰かと同じ目線で話せる事の楽しさなんて、知らなかったんだ。」
リドルは孤高の天才だった。多彩な魔法の扱いに長け、世界の深淵を覗く力を持ち、飛びぬけて野心が強い。常人より何歩も先を行く彼と同じレベルで話すことが出来る人間など、今までほとんど存在しなかった。
それ故かつてのリドルは、自分自身の力しか信用することが出来ない人間に成長した。ヴォルデモートとして組織を作りたくさんの部下を抱えても尚、自分と並び立つ存在を作ろうとは一切考えることは無かった。
しかし、自分と同等、もしくはそれ以上の能力を持つダリアとの交流を通して、リドルの考え方は少しだけ変化した。
誰かと共に新しい野望の実現を目指すのも悪くは無いと、思い始めていたのだ。
「僕がダリアを唆したのは事実だよ。ダリアが分霊箱の影響を受けて精神の均衡を欠いていたことも否定しない。――――だが、今回ダリアが見せた、目的のためには手段を選ばない面は、まぎれもなく彼女自身の本質だ。君にも心当たりはあるんじゃないか?」
『――――それは。』
幼い頃からダリアと一緒に過ごしてきたトゥリリは、リドルの言葉を完全に否定することが出来なかった。追い詰められた時のダリアのなりふり構わなさは、トゥリリの、そして城中の人間の悩みのタネだったのだ。
特にキャットに対する嫌がらせはすさまじかった。臆病故に限度を超えた事は今まで一度も無かったが、許される範囲ギリギリを攻めたえげつない嫌がらせの数々に背筋が冷えた事は一度や二度では無い。
「――――やっぱりね。エリックから昔のダリアの話を聞いて、僕も確信したんだ。」
黙り込んだトゥリリを見て、リドルは満足気ににんまり笑った。
大抵はすぐに自分の魔法で無力化してしまっていたのだろう。当時の事を語ったキャットは「こまったもんだよね。」と歯牙にもかけていなかったが、ダリアが行っていたという嫌がらせは、“ある一点”を除けば、かつてリドル自身が他の孤児たちに仕掛けていた報復と酷似した容赦無いものだった。
「きっとダリアなら僕と同じ景色を、僕と同じ場所から見ることが出来る。でも、そのためにはあと一押し――――ダリアのあの“甘さ”だけが邪魔だったんだ。一線を踏み越えることをためらわせているダリアの甘さは、どう考えても目的の成就の妨げとなる。だから僕はダリアが迷いを断ち切れるよう、ずっと手助けしてきたんだよ。」
悪びれることなく言い切ったリドルを、トゥリリは震えながら見上げた。
『手助け、って――――まさか君、本当に善意で。善意だけで、ダリアを唆して……分霊箱にしたっていうの……?』
「そう聞こえなかったかい?――――実際僕がダリアを操ったのは、ダリアを分霊箱にした時と、魔力を僕に押し付ける時だけだ。ダリアを害するつもりなんか、これっぽちもないんだよ。」
――――本気でそんな事をかんがえてるの……?
トゥリリは慄いた。他者の体を支配するという冒涜的な行為を、純粋な善意だけで行えることが、どれほど異常なのか。
「勿論、ダリアを分霊箱にした目的は、僕自身の安全性を高めるという目的も兼ねているよ。でもそれだけじゃない。分霊箱にはほぼ全ての魔法を無力化できるという特性があるんだ。ダリアが嫌がっていた開心術も、許されざる呪文だってもう恐れる必要は無い。――――ほとんどの死の恐怖から解放されるんだよ。」
『そういう問題じゃないよ!』
叫び声はもはや悲鳴となっていた、トゥリリはリドルの前に立ちはだかった。
『勝手にダリアを決めつけないでよ!確かに君と似ている所はあるかもしれないけど、君とダリアは全然別の人間だ――――そりゃあ、確かに詰めの甘さのせいで大失敗をすることはあるけど、ダリアの甘さは欠点なんかじゃない!それを君の勝手な都合で――――』
「――――それにきっと迷いを断ち切った方が、ダリアの計画もうまくいくはずなんだ。」
リドルは足元で唸る猫のことなど、微塵も見えていないかった。
トゥリリの叫びに足を止めることも無く小さな猫の体を跨いでどんどん廊下を進み、元来た場所――――必要の部屋に向かって歩いていく。
「ダリアはセドリック・ディゴリーが死ぬ運命を変えようとしている。彼女はそれ以外の歴史に影響を及ぼさないようにしようと頑張っているが――――手段を選ばなければ、もっと簡単な方法があるんじゃないかな。」
『ちょっと、どこ行くのさ!話を聞いてよ!』
「決められた未来なんか全て消してしまえばいいんだ。変えた歴史を修正されることを恐れるくらいなら、修正する余地も無いほど何もかもを変えてしまえばいい。世界が二つに割けてしまったとしても、こちら側に統合せざるを得ない程徹底的に。――――新しいまっさらな歴史で全て塗り替えてしまえば、既存の未来は全てリセットされる。未来からの使者に怯える必要もなくなるんだ。」
『な――――』
――――こいつ、どれだけ……!!
未来に生きている人達がいると知りながら、彼らの歩みの全てを消し去ることを考え付くなんて、手段を選ばないにもほどがある。
未来の人間すべての命を背負うなんて、ダリアには荷が重すぎる。
『ダリアにそんな事できるもんか!いくら君がダリアの事を唆かしたって、僕が絶対に止めて見せるぞ!』
「――――はぁ。」
ずっとトゥリリを無視して歩き続けていたリドルの足がピタリと止まった。
トゥリリはここぞとばかりに文句を言おうと、リドルの背中に向かって口を開こうとした。しかし何故か、体がピクリとも動かない。
――――魔法で動きを制限されてる……リドルがやってるの?
半端な魔法では神殿のネコの血を引くトゥリリの動きを止めることなど出来ないはずだ。しかし現実問題トゥリリの体は金縛りに合ったように動かず、犯人はリドル以外に考えられない。
魔力を十分に蓄えたリドルの実力は、これほどのものなのか。
焦るトゥリリとは裏腹に、リドルはゆったりとした動作でこちらを振り返った。コツコツという足音が無人の廊下に響き、すぐにトゥリリの目の前にピカピカ光る革靴が現れる。
リドルはゆっくりと腰を曲げると、カチコチに固まったトゥリリの首根っこを乱暴に掴んだ。
「君もダリアと同じで、詰めが甘いな。どうして僕がこんなにペラペラ話したと思ってるんだい?――――最初から君を排除するつもりだったからだよ。」
『――――。』
リドルはトゥリリの首根っこを掴んだまま、ゆっくりと8階の廊下を進み続ける。
「以前から常々、君の事が邪魔だと思っていた。今回しかり、ペティグリューしかり、肝心な時に彼女の決心を鈍らせる。セドリック・ディゴリーも厄介ではあるけれど、彼は寮が違うし、ダリアの執着の対象でもある。ダリアの“成長”を妨げる一番の障害は四六時中ダリアの側にいる君だと、ずっと考えていたんだよ。」
バカなバーナバスのタペストリーの前に辿り着いたリドルは、トゥリリをぶら下げたまま廊下の石壁の前を3度通り過ぎた。すると先ほどまで代わり映えのしない石壁出会った場所に、巨大な扉が忽然と姿を現す。
リドルはしっかりと実態を伴った手で、その分厚い扉を押し開けた。
「大丈夫、殺しはしないよ――――まあ、生きているうちはこの部屋から出られないとは思うけれど。ダリアは君が居なくなって悲しむとは思うけれど、僕が“しっかり”立ち直らせるから、安心するんだね。――――よっ、と。」
トゥリリは僅かに開いた扉の隙間から、暗い部屋の中に勢いよく放り込まれた。
そのまま大きく弧を描き、ガラクタの山の中に頭から突っ込む。
――――ダリア、こいつに僕たちの魔法を教えたのは、やっぱり間違いだったよ……。
いや、そもそも日記の一ページを破り取ったあの時から、間違えてしまっていたのかもしれない。
閉じていく明かりを見ながら、トゥリリは自分たちが取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないかと、朦朧とする意識の中考えていた。
「ただいまぁ!」
腹いっぱいに夕食を詰め込み幸せいっぱいの顔をしたダリアが、勢いよく寝室の扉を開けて入ってきた。いつもの同室の友人たちの姿は見えない。どうやらダリア一人のようだ。
その事を確認したリドルは、スッと体を実体化させた。
「やかましい。もう少し静かにドアを開けることは出来ないのかい?」
「うわ、びっくりした。」
突如として現れた人影にダリアは反射的に飛びのいたが、その正体がリドルだという事に気付くと、ホッと肩の力を抜く。
「なんだトムか。脅かさないでよぉ。」
「驚かされたのは僕の方だ。日頃からもっとスリザリン生としての品格を持ってだね。」
「スネイプ先生みたいなこと言わないでよ……。」
“喧嘩を見ていただけの私はあんまり悪くない”という旨の言い訳をふんだんに盛り込んだ反省文を破り捨てられ書き直しを命じられたばかりのダリアは、悲し気に眉を下げて自分のベッドに座り込んだ。
「はぁ、もーお腹いっぱいで今すぐ寝ちゃいたいくらい――――あれ?トゥリリ、まだ帰って来てないんだ。」
ごろりと横になったダリアは、ふとベッドの上で丸くなっているはずの黒猫の姿が見えないことに気がついた。いつもならだらしないダリアに一言文句を言うはずなのだが、今日はそれが聞こえてこない。
「さあ、僕がこの部屋に来てからは見てないけれど……。」
「ふーん。猫会議にでも行ってるのかしら。最近ミセス・ノリスが参加しろってうるさいらしいし。」
「へぇ、そうなんだ。――――はい、これ。さっき君に話してた本。」
「え、もう見つけてきてくれたの?……ありがと、読んでみる。」
きっといつもの夜の散歩だろう。明日の朝までにはベッドに戻ってくるはずだ。
そう考えたダリアは特に気にすることも無く、リドルに渡された本を夢中になって読み始めた。
リドルがいつものように横から一々解説を入れてくるので、少し面倒くさかった。