ダリアの歌わない魔法   作:あんぬ

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恋愛色強いので、苦手な方はお気を付けください。


急転直下

 すぐにクリスマス休暇がやって来たのは、ダリアにとって幸運だったとしか言いようがない。

 大広間での大告白が一夜にして学校中に知れ渡り一躍時の人となったダリアは、過剰な程人目を避けて行動するようになっていた。

 

 良くも悪くも目立つダリアは、今まで数多くの噂話を流布されてきた。

 耳に入って来るのは殆どが陰口だったが、ダリアにとって大抵は嫉妬や羨望交じりの負け惜しみでしかない。ダリアはそういうものを自分に向けられるのが大好きなので、今まで毛ほども気に病んだ事は無かった。

 

 しかし今回ばかりはダリアもそうふてぶてしい態度を取ることが出来なかった。

 自分でもどうかと思うほどムードもへったくれも無い状況の中、明らかに口が滑ったと分かるような形で思いを告げてしまったのだ。しかも旗色は敗色濃厚である。

 

 すれ違う生徒全員が自分を馬鹿にしているようにしか見えない。気位の高いダリアが、そのような状況に耐えられるはずが無かった。

 

 

 

 

 

「だからって、寝室に籠り切りになるのはやめたら?」

 

 シーツを被って寝台の上で丸くなっていたダリアに、夕食から帰ってきたばかりのダフネが声を掛けた。シーツの塊の隙間から、青白い手がニュッと伸びてくる。

 ダフネは呆れながらも、その手に包み紙でくるまれたサンドイッチを乗せてやった。

 

「ホラ、図々しくリクエストされた通り、マスタードとチキンのサンドイッチよ。」

 

「――――ありがと。」

 

 こんな状況でも空腹は覚える。ダリアは礼を言うとそのままサンドイッチを握った手を引っ込め、もそもそと食べ始めた。

 普段はぺろりと平らげてしまう好物なのだが、かぶりついたサンドイッチは何故かあまりおいしく感じない。

 

「せめて、談話室で食べたらどう?ベッドに食べかすが落ちるわよ。」

 

 沈んだ表情のままサンドイッチを咀嚼していると、見かねたダフネが外へ出るよう誘いかけてくれた。しかし、ダリアは力なく首を横に振った。

 

「ムリだよ――――だって、談話室にはノットが居るもん……。」

 

 大広間での一件以来、ダリアはバスルームへ駆けこむ時の他は一歩も寝室から出ない生活を送っていた。噂を避けるだけならば寮から出ないだけで事が済むのだが、談話室を避けているのは、ノットと顔を合わせたくないからだ。

 

 ダリアはノットから向けられる好意に気付いている。気付いて居ながら放置していたのだが、つい先日、口が滑って公然の場でそれを暴露してしまっていた。

 『無かったこと』にして押し通してきたはいいが、今回の騒動はノットの耳にも当然入っているはずだ。彼がこの噂をどういう心境で聞いているのかは分からないが、ダリアはこれ以上知らんぷりを決め込むほど厚顔無恥にはなれなかった。

 

 スリザリン寮は地下にある。寝室にも窓はついているが、そこから覗くのは薄緑色の暗い湖のみだ。ダリアは遠くで泳ぐ大イカに、ぼんやりと目をやった。

 

 ――――私、これからどうすればいいんだろう……。

 

 ダリアの胸中は漠然とした不安で埋め尽くされていた。

 

 如何に鈍いセドリックといえど、流石に先日の一件でダリアの好意には気づかないはずが無い。突然の事に驚き、戸惑っているだろう。セドリックが自分の事をせいぜい手のかかる妹としか認識していないであろうことを、ダリアは十分自覚していた。

 

 セドリックは優しい。手ひどく拒絶されることは無いと思うが、こちらに気を使ってぎこちない関係になるであろうことが目に見えている。きっと今までのように兄さんぶった態度でダリアに接してくれることはなくなるはずだ。

 妹扱いされることは不満だったが、他人行儀にされるくらいならずっと妹分として可愛がってもらっていた方がまだマシだ。

 

 ――――どうして口が滑っちゃったんだろう……。

 

 こんな時いつも相談に乗ってくれていたトゥリリは、今は居ない。代わりに相談できそうなのはリドルくらいだが、リドルは調べ物があると言ってここ数日顔を見ていない。

 

 いくら悩んだところで、有効な解決策が都合よく浮かぶはずがない。行き詰ったダリアが諦めて横になろうとしたとき、寝室のドアが勢いよく開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決断したからには、早めにその旨を本人に伝えよう。そう考えたセドリックはトゥリリを探して城中を歩き回る傍ら、ダリアの姿が見えないかと常にアンテナを張っていた。

 普段頻繁に出くわすため、それほど探し回らなくても比較的簡単に顔を合わせることが出来るだろうと思っていたのだが、不思議なことに全く気配を感じない。

 

「おかしいな……いつもなら一日4回くらいは顔を見るのに、今日は一度も見ていないぞ……。」

 

「――――前から言おうと思ってたけどさ。あれ、偶然じゃないからな。あいつがお前の行動パターンを読んで、先回りしてただけだからな。」

 

「えっ。」

 

 初耳だったセドリックは、ダニーの言葉に目を瞬かせた。

 地味に衝撃を受ける事実だ。まさかそんな事までしていたとは思ってもいなかった。

 

「え――――じゃあ、何。今僕が中々ダリアに会えないのは、ダリアが僕を避けようとしてるってことなのか?」

 

「まあ、順当に考えれば、そうだろうな。」

 

「――――。」

 

 こちらも、中々に衝撃を受ける事実だった。ダリアに避けられるのは第一の課題の前以来だが、子供に反抗期を迎えられた親のような気分を味わわされる。やはりどこか保護者目線の自分を否めない。

 しかし、気を取り直してダリアの行方を捜してみた所、セドリックはダリアがこの数日間一歩もスリザリン寮から出ていないという結論にたどり着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――――顔を合わせづらいのは分かるけれど、何日も陽の当たらない地下に籠るのは絶対健康によくない。

 

 セドリックは憮然とした表情で、地下牢へと続く階段を降りた。基本的にアウトドア派のセドリックは、ダリアのキノコが生えかねない不摂生な生活が許せなかったのだ。

 せっかく毎日外で運動する習慣が身についてきていたのに、これでは台無しだ。

 

 魔法薬学の教室辺りまでやって来たセドリックは、近くに見知った顔を見つけたので声を掛けた。

 

「やぁ、ノット。」

 

「――――。」

 

 ノットはダリアの同級生で、一年生の頃から何かと彼女の面倒を見てくれるため、そこそこ顔を合わせたことがある。その割に慣れ親しんだ態度を取られることは全く無いのだが、今日は何故かいっそう不愛想な顔でセドリックの声に足を止めた。

 

「えっと……ごめん、急いでたかな?」

 

「――――いえ、別に。何か?」

 

「あー……ダリアを、呼んできて欲しいんだ。ここ最近、寮から一歩も外へ出ていないんだろう?」

 

 セドリックがそう告げた瞬間、周囲を歩いていたスリザリン生がざわめいた。何故か固唾を呑んでノットを見つめている。注目を集めているノットは、一切表情を変えていない。

 同級生だろうか、浅黒い肌の男子生徒が、おそるおそるといった調子で近づき話に入ってきた。

 

「あーっと。モンターナなら俺が呼んで来ますよ。こいつはちょっと用事があって――――」

 

「――――いい。俺が行く。」

 

「お前……。」

 

「モンターナを呼べばいいんですよね。あいつ談話室にも顔出してないんで、出てくるか分かりませんけど。……一応声掛けてみます。」

 

 ノットは淡々とそう言い切ると、踵を返して談話室への道を戻って行った。

 訳の分からないセドリックは、頭を抱えている男子生徒に尋ねてみた。

 

「――――僕、何かまずい事したのかな。」

 

「……あー。まあ、かなり。」

 

「――――。」

 

 神妙な少年の表情を見て、セドリックは自分がやはり相当鈍いのではないかという事を再認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寝室の扉を開けて入って来たのは、パンジーだった。妙に引き攣った深刻な表情をしている。

 

「どうしたのよ、パンジー。何か良くない事でもあったの?」

 

「あー……まあ、どうかしら。私には分からないけど――――ダリア、着替えて談話室に降りてきなさいよ。ディゴリーが呼んでるわ。」

 

「――――!!」

 

 シーツの塊がびくりと震えた。ついに引導を渡される時が来てしまったのか。

 まだ心の準備が出来ていなかったダリアは、思い切り首を横に振った。

 

「い――――行かない。」

 

「それが、そういうわけにもいかないのよ……。」

 

 パンジーはほとほと困った顔でチラチラと談話室へ続く階段を見上げていた。

 

「ディゴリーにあんたを連れてくるよう頼まれたのが、その――――ノットなのよ。」

 

「――――は!?」

 

 ダリアは頭上に被っていたシーツを跳ね飛ばし、信じられないという顔でパンジーを見た。信じられないほど間が悪い。なぜそこであえてノットに頼むのか。

 

 ――――いや、セドリックはノットが私の事好きだって事を知らないから、しょうがないんだけど……でも!!

 

 これまでもセドリックはダリアを呼び出すとき、度々顔見知りのノットに呼び出しを頼んでいた。いつもと同じようにしただけなのだろうが、考えうる限り最悪の人選だ。

 

「ノット、談話室で待ってるから――――早いとこ行ってやりなさいよ。」

 

「……ずるいわそんなの。行くしかないじゃない……。」

 

 今この状況でノットを無視して引きこもり続けることが出来るほど、ダリアは人間性を失っていなかった。逃げ場を失ったダリアは、泣きそうになりながらベッドから足を下ろし、着替えに取り掛かり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――来たか。」

 

 談話室では、ノットが仁王立ちをして待ち構えていた。周りでドラコやミリセント達が、戦々恐々としながら様子を伺っている。

 ダリアは今から決闘にでも赴くかのような心情で、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「き、来たわよ……。」

 

「……ついてこい。魔法薬学の教室の前で、ディゴリーが待ってる。」

 

 ノットは淡々と告げると、談話室の入り口に向かうため背中を向けた。

 

「な、なあ、セオ。やっぱり僕がダリアを連れて行くよ。何もセオが行く必要は……。」

 

 緊迫した空気に、ドラコがそう申し出たが、ノットは煩わし気に首を振る。

 

「いいって言ってるだろ、ドラコ。俺が行く。」

 

「そ、そうか……。」

 

 引き下がったドラコは、無言でダリアに視線をやった。目が「グダグダせずにとっとと行ってやれ」と語っている。

 ダリアは項垂れたまま、ズコズコとノットについて談話室の入り口を潜り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寮を出て魔法薬学の教室に向かうまでの道中、ダリアとノットの間には非常に重苦しい沈黙が落ちていた。ダリアは屠殺場へ向かう家畜、あるいは絞首台に上る囚人のような気持ちで、薄暗い廊下を進んで行った。

 

 ノットは一切振り返ることなく、ずんずん階段を上って行くため、表情は一切伺うことが出来ない。そうでなくとも、ダリアはノットの顔を見ることなど出来やしなかった。

 

「――――お前さぁ。」

 

 唐突にノットが口を開いたため、ダリアは飛び上がった。

 

「な、なにかな?なにか、なにか言いたいことでも……。」

 

 隠す気も無いほど挙動不審になってしまったダリアを横目で見て、ノットは苛ついたように頭を掻き、大きなため息をついた。

 

「――――無かった事にするなら、もっとうまい事やってくれよ。」

 

「う……。」

 

「談話室にも顔出さなかったの、俺に気を使ったからだろ。――――そういうの、いいんだよ。露骨に気を使われると、かえって居た堪れないんだ。」

 

「――――。」

 

 吐き捨てるような口調だった。

 ノットから寄越された初めての不満らしい不満に、自分が中途半端なことをしていると自覚していたダリアは何も言い返せず、項垂れるしかなかった。

 

 ノットはそれ以上、このことに関して何も言わなかった。「きびきび足を動かせ!」とダリアを叱咤すると、何も無かったかのように再び地下道を進み始める。

 

 やがて魔法薬学の教室に辿り着くと、ノットはそこで待っていたセドリックに何食わぬ顔で話しかけた。

 

「連れてきましたよ。モンターナです。」

 

「あ、ああ。ありがとう……。」

 

「じゃあ、俺はこれで。」

 

 ノットは軽く頭を下げると、踵を返してスリザリン寮へ戻って行った。

 ノットの後ろ姿が見えなくなると、セドリックは俯いたままのダリアに、困った顔で話しかけた。

 

「ダリアと話したくて、彼に頼んだんだけど。その……色々間が悪かったみたいだね。ごめん。」

 

「――――セドリックは悪くないよ。私がはっきりしなかったのがいけないんだ……。」

 

 ノットはこれ以上言及する気は無いらしいが、彼の厚意に乗っかり続けるのは、友人に対する態度としても誠実でない気がした。ダリアは、ノットという友人を失いたく無かった。

 

 積み重なる問題で潰されそうなダリアだったが、今まさにとどめを刺そうとしているのが、目の前に居るセドリックだ。

 今日この状態で彼がダリアに話すことなど、先日の大広間での一件に関すること以外にあり得ない。ダリアの脳裏に、ここ数日間で思い描いた最悪のシナリオが次々に蘇ってくる。

 

 覚悟など欠片もできていない。ダリアがここ数日間溜め込んだ不安が決壊した。

 

「う、ううう……。」

 

 目の縁から勝手に、涙が次々溢れてくる。

 どうしてこんなによく泣く子になってしまったのだろう。以前はどんな悲しい事や悔しい事があっても、怒り狂う事はあれど人前で涙を見せるようなことなどほとんど無かった。完璧な後継者でいるためには、周りに弱みを見せることなど以ての外だと思っていた。

 

 でもこの世界に来てからのダリアの涙腺は、まるで壊れた蛇口のように制御が効かない。

 

 ダリアはボロボロ流れる涙を止めることもできず、セドリックの腰に身も蓋もなく縋り付いた。

 

「お、お願い――――お願いだから、嫌いにならないで――――!!」

 

「……は?一体何の――――」

 

 まだ何も話していないのに、どこかに泣く要素があったのだろう。そして追い出すとは、何の話なのか。突然訳の分からない事を言って泣くダリアに、セドリックは慌てた。

 

 いくら宥めても、ダリアは泣きながら何かを懇願し続けている。埒が明かないと判断したセドリックは、ひとまず落ち着ける場所を探すことを決めた。

 

「とりあえず、座ろう。――――ほら、階段を上るから、きちんと前を見て歩くんだ。……歩けるよね?」

 

「歩けるーーーー!!」

 

 腰に泣くダリアを引っ付けていると、第一の課題後の事をなんとなく思い出してしまう。セドリックは内心罪悪感を抱えながら、急いで空き教室を探して階段を駆けのぼった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやらダリアはこの数日間の内に、頭の中で『ダリアの扱いに困ったセドリックが次第に自分の存在を疎ましく思うようになり、ついには無視されるようになるシナリオ』を全力で妄想していたらしい。

 空き教室でダリアが涙ながらに話す「嫌いにならないで」の経緯を聞いたセドリックは、呆れて物も言えなくなった。よくぞこの短い時間で、そこまでの物語を作り上げたものだ。

 

「被害妄想が過ぎるよ……。そんな事、誰も言ってないじゃないか。」

 

「でも、でも!ずっと私に気を遣わなきゃいけないんだよ?顔を合わせるたびに当たり障りのない会話を考えなきゃいけないんだよ?学校がある時はいいけど、休暇で家に帰ったら毎日なんだよ?――――絶対何か月か経つ頃には面倒になって、『ダリアがあんな面倒な事言い出さなければよかったのに』とか思うようになって、それから無視されるようになって……」

 

 大した妄想力である。

 初めの内は呆れ半分で耳を傾けていたのだが、ダリアの悲観的な妄想を聞いているうちに、セドリックは段々むかむかしてきた。

 

「――――まだ君が失恋するかどうかなんて、分からないだろ。」

 

 ぐだぐだと永遠に続きそうなダリアの妄想話を、セドリックは憮然として遮った。ダリアが悲観的になっているのは分かるが、端からそう決めつけられるのは何となく面白くない。

 

「まだ僕の返事も聞いてないくせに、勝手に悲観的にならないで欲しいんだけど。」

 

「だってセドリック、私の事、手のかかる妹くらいにしか思ってないじゃない。私、知ってるんだから!」

 

「――――確かにそう思ってはいたけれど。でも今もそうだとは限らないじゃないか。」

 

 泣きながらくだを巻いていたダリアは、苦い表情のセドリックを訝し気に見上げた。目のまえで不機嫌そうに腕を組んでいる少年が一体何を言いたいのか全く分からない。

 

「えっと……何が言いたいの?はっきり言ってくれなきゃ、分かんない……。」

 

「――――僕もダリアの事が好きだから、そんな変な心配をする必要は無いって事だよ。」

 

 全くもってピンと来ていないダリアに向かって、セドリックはあっさりとそう言い放った。

 あまりにあっけらかんと口にするので、ダリアはその言葉の羅列が何を意味しているのか、すぐには理解することが出来なかった。

 

「え……好き?誰が?」

 

「僕が。」

 

「セドリックが……誰を、好きって?」

 

「ダリアを。――――聞こえなかったなら、もう一度言おうか?」

 

 セドリックははっきりと聞き取りやすい声で、もう一度「僕もダリアの事が好きだ」と口にした。

 その短い言葉が、ダリアの灰色の脳細胞にゆっくりと刻み込まれた。

 

「え……ええっ?」

 

 遅れて事態を把握したダリアは、何よりも先にまず混乱が先に来た。目で真偽を問いただすが、目の前のセドリックは全くぶれることなく堂々と椅子に腰を落ち着けたままだ。

 

「な――――なんで?だってセドリック、今まで一度もそんなそぶり……。」

 

「うん。今までダリアをそういう目で見てきたことは無かった。……まあ、ほとんど。」

 

 セドリックは少し気まずそうに付け足し、また続けた。

 

「でも、この前ダリアに大好きだって言われて、よく考えてみたんだ。――――多分僕、ダリアの事が好きなんだと思う。」

 

 ダリアはまっすぐな目で語るセドリックを、呆然と見つめた。

 真剣な表情だ。冗談を言っている雰囲気ではない。そもそも、セドリックは冗談でこんなことを言う人間ではない。

 

 しかし、彼が本気で言っているらしいという事を理解してもなお、ダリアはセドリックの言葉を信じることが出来なかった。

 

 ――――だって私、セドリックに好かれるようなこと、まだ何にもできてない。トムに教えてもらったことも全然できてないのに……。

 

 ダリアはセドリックの事が大好きだ。あわよくば好かれようと色々な作戦を試みてはいるものの、進歩は全くダメだ。

 セドリックの目に映るダリアはまだ、ただの生意気な小娘でしか無いはずなのに。

 

 

 

 好きになって貰えるなんて、そんな事ありえない。

 

 

 

「へ、変だよそんなの。たった数日で気持ちが変わるわけないもん。セドリックが私の事突然好きになるわけないよ。」

 

「確かに唐突かもしれないけど、適当に決めたわけじゃない。よく考えた結果だよ。」

 

「一日で決めた事を“よく考えた”とは言わない!!」

 

 嬉しいはずなのだが、何故かダリアはセドリックの言葉を否定しなければならないという使命に駆られていた。半ば意地になって反論の根拠を探していた。

 

「セドリック、事の重大さを全然分かってないよ。だって、私だよ?ダリアだよ?どこか好きになる所ある?」

 

「いや――――たくさんあるじゃないか。ダリアはかわいいよ。」

 

 かわいいのは、ダリアも知っている。むしろかわいい所だけしか、自分に良い所なんて無いのだ。

 

「……でも私我儘だし、よく泣くし、上手に気も使えないし、性格悪いし――――セドリックだって知ってるでしょ?それなのに、なんで――――」

 

 

 

 

「――――だから、決めつけるなって言ってるだろ!」

 

 ああいえばこう言うダリアに、しびれを切らしたセドリックはダリアの頭を掴み、強引に目を合わせた。

 

「君が全然人の話を聞く気が無いのはよく、よく分かった。だったら何度でも言ってあげるけど、僕はダリアの事を嫌な奴だなんて全く思っていない!」

 

 ダリアが卑屈になるたびにセドリックが繰り返し言い聞かせていた事だった。何度も伝えているのに、何故毎回同じ落ち込み方をするのだろうか。こう何度も忘れられては、如何に辛抱強いセドリックといえど頭に来る。

 

「いいところも沢山あるじゃないか!我儘言って甘えるのもかわいいし、すぐ泣いて慰めてもらおうとするのも素直でかわいいし、下手くそなりに気を遣おうと頑張ってるのもかわいいし、悪だくみが失敗して落ち込んでるのもかわいいし……」

 

 激情の赴くままに話していたセドリックは、ふと目の前のダリアが真っ赤になっている事に気が付いた。

 

「ううう……」

 

 頭を固定されたダリアは目を逸らすこともできず、涙を目に浮かべて首まで赤く染めていた。好きな人にかわいいと繰り返され、羞恥の極致に至ったのだ。

 

「もういい。恥ずかしいから、もう言わないでいい……。」

 

 今まで聞いたこと無いほどかすれた声でダリアが口籠る。喉が無意識の内にごくりと唾を飲み込んだ。

 セドリックの中でこの瞬間、何かが確実に切り替わっていた。

 

 ――――この子、こんな顔をするんだ……

 

 セドリックは明らかに自分に恋をしているダリアの姿を初めて目の当たりにしたのだ。

 

 ダリアの熱が伝わってきたかのように、急激に自分まで顔が熱くなっていく。自分がどれだけ恥ずかしい事を口走ったのかという事が突然気になり始め、思わずダリアから目を逸らしてしまう。まともにダリアの顔を見ることが出来ない。

 

「だから、その、つまり――――」

 

 何が『結構好きかもしれない』だ。セドリックはドクドク脈打つ血流を首元で感じながら、自分で自分を罵った。そんな適当な言葉で満足していた自分を殴り飛ばしたい。

 

 これほど強烈な緊張を伴うものが、そんな曖昧な感情であるはずがないではないか。

 

 

「僕――――君の事が、好き、になった……みたいだ。」

 

 セドリックはどうにかそれだけ絞り出すと、真っ赤になって俯いた。恥ずかしさで耳の先まで燃えるようだ。

 

「それは、さっきも聞いたけど、でも……」

 

「違うんだ。いや、違わないんだけど。さっきとは全然意味が違うんだ……。」

 

 ふと、セドリックは自分がダリアの肩を掴んだままだという事に思い至った。手が汗で湿ってはいないかという事が、急に気になり始め、慌てて両手を離す。

 離れた両手はしばらくの間所在無さげに宙を彷徨った後、ぎゅっと握りられてそのまま膝の上に落ち着いた。

 

 妙に生々しい緊張が、時間の感覚を奇妙に引き延ばしていた。数時間にも及ぶかに思われた沈黙は、セドリックの頭上に落とされた声で終わりを告げた。困惑しきった声だった。

 

「セドリック、なんか変だよ。さっきと全然違う……。」

 

 つい先ほどまでいつもとそう変わらない調子で話を進めていたセドリックが、突然頬を赤く染めて挙動不審になったのだ。唐突な変化にセドリック自身動揺していたが、ダリアの動揺はそれ以上だった。

 

「……僕だって、自分がこんな風になるなんて、思っても無かったよ……。」

 

 思い切って顔を上げると、ダリアは途方に暮れたような顔をして、小さな木の椅子にちょこんと腰かけていた。眉をㇵの字に曲げたお手本のような困り顔が少しだけ面白く、セドリックはつい上がりかけた口角を隠すために咄嗟に再び顔を逸らした。

 

 そのおかげだろうか、僅かにではあるが、肩の力がだいぶ抜けた気がする。セドリックは取り繕うように咳払いをして、戸惑っているダリアに同じことをもう一度告げた。

 

「とにかく。――――僕も本当に、ダリアの事が好きなんだ。だから、そんな心配をする事なんて無いんだよ。」

 

「――――。」

 

 床に片膝をつき、真剣な表情で目線を合わせてくれるセドリックは、ダリアが好んで読んでいた恋愛小説に出てくる王子様そのものだ。ダリアは半泣きで目の前のセドリックを見つめた。

 

 大好きなセドリックに好きと言われて、嬉しくないわけがない。しかしその一方で、何かの間違いに決まっているという疑惑が捨てきれなかった。胸の中が期待と疑念とでないまぜになり、収拾がつかないのだ。

 

「本当に……。」

 

 ダリアはしつこく訪ねた。

 

「本当に私の事、好きなの?私がかわいそうだと思って、無理に言ってるんじゃなくて?」

 

「そんな無責任な事しない。ちゃんとダリアの事が好きだよ。」

 

「勘違いしてるんじゃないの。セドリック、思い込み激しいし。」

 

「僕の視野が狭い事は否定できないけど、ダリアの事を可愛いと思ってるのは事実なんだ。それで納得できないかな?」

 

「……だってそんなの、本当は全部計算づくだもん。セドリックに好かれようと思って、わざとかわいこぶってたんだよ……!!」

 

 ダリアが本当に悲壮な表情で言うので、セドリックは今度こそ笑ってしまった。

 ダリアなりに考えて態度を取り繕っていたつもりなのかもしれないが、今思い返してみてもあれらの振舞いは素としか思えない。猫を被るつもりなら、もう少しやりようがあっただろうに。

 

「なるほど、僕はまんまと騙されたわけだ。……まあ驚いたけれど、別にそんな深刻な顔をしなくても。悪気があって僕を騙そうとしていたわけじゃ無いんだし――――」

 

 

 

 

「――――だから、なんでそんな事、言えるのよ!」

 

 余りに暢気なセドリックに、ダリアは耐え切れなくなった。椅子をはねのける勢いで立ち上がり、全身をわななかせて叫ぶ。

 

「私、セドリックの知らないような魔法、いっぱい使えるんだよ?人の気持ちを操る魔法で無理やり気持ちを変えさせられてるとか、考えないの?私に悪気が無いって、どうして言い切れるの!」

 

「どうしてって……。」

 

 涙目で睨みつけてくるダリアを見て、セドリックは眉を顰めた。

 

「ダリアはそんなこと、しないだろ。確かに君は色んな魔法を知ってるかもしれないけど、それで人を傷つけた事は無いじゃないか。」

 

「――――とぼけないで!」

 

 どうしてセドリックがここまで自分の事を信じているのか、ダリアは理解できなかった。脳裏に自分が今までやって来た『ひどい事』が次々と浮かび上がってくる。

 実情にそぐわない彼からの信頼が、今のダリアには砕けそうなほど重く感じられた。

 

「セドリックが知らないわけないでしょ!?私――――平気でヒトの記憶を弄っちゃうような奴なんだよ!?どうしてそんな、私のこと信用できるの!」

 

 ダリアは目の前のセドリックを思い切り睨みつけた。ダリアには理解の及ばない夢見がちなまでの彼の誠実さが、今だけは恨めしくてたまらない。セドリックにこんな憤りを感じたのは、2年生の時、ディゴリー家に居座ることを認められた時以来だ。

 

 肩を怒らせて叫ぶダリアを、セドリックは静かに見ていた。

 

 

 

 

 

「……ダリアがどうしても納得できない理由の根本は、やっぱり“そこ”なんだね。」

 

「――――っ。」

 

 ダリアは目を下に落とした。セドリックの指摘は、図星をついていた。

 今の関係があまりに心地よく考えないようにして過ごしてしてきたが、頭の片隅には常に“そのこと”に対する罪悪感がちらついている。

 無言で俯くダリアを見て、セドリックは重く息を吐いた。

 

「だったら尚更――――ダリア、聞いてくれ。」

 

 ダリアはノロノロと頭を上げた。

 セドリックは言葉を探すように視線を宙に彷徨わせていたが、やがて迷いを振り払うように頭を振り、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「――――父さんと母さんの記憶を、元に戻そう。」

 

 

 

 

 

 まるで頭をハンマーで殴られたかのような衝撃だった。

 たった今言われた言葉を繰り返し反芻する。聞き間違いなどではない。聞き間違いだったらよかったのに。

 

 ダリアは数秒もの間、呼吸さえすることが出来なかった。セドリックに告げられた言葉を、受け入れることを本能が拒否していた。

 やがてどうにか息をする方法を思い出したダリアは、唇を震わせながらなんとか声を絞り出した。

 

「い、いやだ……。」

 

「嫌だは無しだ。今度は僕も、譲らない。」

 

 セドリックはきっぱりとそう断言した。

 

「僕達、今までこの問題をずっと放置して来たよね。だけど、いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。ダリアにも真剣に考えてほしいんだ。――――ダリアは、父さんと母さんに対する後悔を残したまま、これから先何事も無かったかのように生きていける自信が有るかい?」

 

 ショックで頭が全く働かない。にもかかわらず、セドリックの言葉から逃れることが出来ない。聞きたくないのに、勝手に耳に入って来る。

 ダリアは後ずさろうとしたが、セドリックは見逃さなかった。

 

「――――少なくとも、僕には無理だ。」

 

「――――。」

 

 腕を掴まれ、元々座っていた椅子に強引に座らされる。セドリックの目が『逃げるな』と語っていた。ダリアはどうすることもできず、ぺたんと椅子に腰を下ろした。

 

「この状態を見逃し続けてしまえば、いつか絶対に後悔することになると思う。放置することを選択した自分自身を許せなくなってしまう。」

 

 現在の状況ですら、セドリックにとってはギリギリの妥協点なのだろう。両親の記憶を操っている相手を放置するなど、正義感の強い彼にしてみれば本来考えられないことなのだ。

 無害だからと見逃してもらっていたものの、この二年の間でも抱えた苦悩は相当あったはずだ。

 

 これから先、耐え切れなくなる時がきっと来る。セドリックが言いたいのは、きっとそう言う事だ。

 

「ダリアは、どうなんだい?このまま嫌な事に目を瞑って生きていくことも、できるとは思う。でも、その状態にダリアが耐えられるとは、思えないんだ。」

 

「……そんなこと、無い。」

 

 どうにかしてこの場を切り抜けたいダリアは、セドリックに思い直させたい一心でそう言った。しかし、セドリックは確信を持った表情でダリアの言葉を否定した。

 

「あるよ。だってダリアはいつも自分を責めてるじゃないか。自分は悪い子だって、さっきも言ってたよね。――――父さん達の事を気に病んでそんなに卑屈になっているのなら、このままの状態を続けてもいい事なんて一つも無いじゃないか。」

 

 セドリックの指摘は的を射ていた。

 ディゴリー夫妻の事を好きになればなるほど、彼らを騙している自分の罪深さが浮き彫りになっていく。彼らに愛情をもって触れられるたびに、嬉しさと罪悪感が同時に胸の中を満たすのだ。

 罪悪感は増え続けていく一方だろう。その重さに耐えきれなくなってしまう時がきっと来る。この危うい綱渡りがいつかは崩壊してしまうだろうことに、ダリア自身も薄々勘付いていた。

 

 しかし、そこまで分かっていても尚、ダリアは腹を括ることなど出来なかった。

 

「無理、無理だよ。私、できない、やりたくない……」

 

 いつかは本当の事を言わなければならないのかもしれない。心のどこかでそう思ってはいたものの、その時はまだまだ先だと勝手に思っていた。心の準備など、全くできていなかった。

 

「……本当の事を言うのが怖いのは、分かるよ。でも、ダリアの事情を知っていて放置していたのは、僕も同じなんだ。僕も一緒に説明するから――――」

 

「――――そうじゃない!!」

 

 ダリアは目をぎゅっと瞑って叫んだ。

 本当の事を告げるのは勿論怖い。しかし、ダリアが本当に恐れているのは、その後の事だった。

 

「ずっと私が嘘をついてたって知ったら、姪っ子でも何でもない赤の他人だって二人が知ったら、きっと失望される!――――私、おじさんとおばさんに、嫌われたくない!」

 

 ダリアにとってディゴリー家は、自分の価値に悩まされること無く天真爛漫に過ごすことが出来た、初めての場所だ。命を8つしかもっていないという事も、クレストマンシーにはなれないという事も無関係に、腫物扱いされることも無く存分に甘えることが出来た初めての人たちなのだ。

 

 いつも優しい目で見てくれていたあの人たちに真実を告げた時、彼らはどう思うのか。ダリアは考えるのも恐ろしかった。

 

「嫌うなんて――――そんな事、あるわけないじゃないか!父さんと母さんがどれだけダリアの事を可愛がってるか、知ってるだろう?」

 

「私が姪っ子だと思ってるから可愛がってくれたのよ――――今まで赤の他人を可愛がっていた事を知れば、怖がるに決まってるわ!」

 

 何故セドリックがそう考えないのか、ダリアにしてみればそちらの方が理解できなかった。

 ディゴリー夫妻はセドリックと同様人が良いが、セドリックも当初は異質なダリアの事を恐れていた。きっと夫妻も同じようにダリアの事を恐れるに違いないのに。

 

「そりゃあ、最初はきっと驚くとは思うよ。でもこの4年間過ごして、ダリアが良い子だってことは分かってるはずだ!」

 

「やめて……」

 

「母さんなんか、ずっと女の子が欲しいって嘆いてたんだ。だからダリアが来てくれて嬉しいってすごく喜んでた。ダリアが姪じゃないと知っても、今までと同じように猫かわいがりするに決まってる!」

 

「だから、やめてよ……!」

 

 セドリックがフォローすればするほど、ダリアは耳を塞ぎたくなった。セドリックのように誰かを無条件で信頼できる素直な心を、ダリアはとっくに失っていた。

 

「そもそも、姪と名乗る必要は無かったんだ!父さんも母さんも、困っている子を放っておくことなんてできる人じゃない。変に記憶を弄らなくても、最初から事情を説明していれば、今と同じように――――」

 

「――――やめてって、言ってるでしょ!!」

 

 ダリアはこれ以上セドリックの言葉を聞いている事ができなかった。

 彼の前向きな言葉を聞いていると、否が応でも期待が生まれてしまう。少しでも希望を抱いた後現実に打ちのめされることの辛さを、ダリアは知っていた。

 

「おじさんとおばさんは、私が姪っ子だから可愛がってくれたの!!両親を亡くして他に頼る親戚も居ないから家に置いてくれたし、病弱で世間知らずだったから甘ったれでも許してくれてた!!――――でもそれも、全部全部、私が作った偽物なの!!!」

 

 自分の中に潜んでいた矛盾が次々と顕わになっていく。

 かわいそうだと思われたくない、同情されるのは嫌だとずっと考えてきた。にもかかわらず、ダリアはディゴリー夫妻に偽の記憶を植え付けた際、彼らの憐れみを惹く設定をわざわざ用意した。

 

 自覚は無かった。しかしダリアは無意識の内に、クレストマンシーの後継者という付加価値のついていない自分は何の魅力も無い子どもだという事を、理解していたのだ。

 その事に気付きたくなくて、自分に向けられる同情を全てシャットアウトしていたのだ。

 

 その事に気付いてしまったダリアは、もう自分を保つことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「そう言うのを全部取っ払った、ただの私なんて――――好きになって貰えるわけがない!!!」

 

 

 

 

 

 ダリアは全てを拒絶するように頭を振ると、空き教室を飛び出した。

 背後からセドリックが名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、ダリアは足を止めることも無く、スリザリンの寮へ続く暗い階段を転がり落ちるように駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界Bに張られていた結界の様子を調べていたリドルは、数日ぶりにホグワーツ城へ戻ってきた。

 

 ――――さてと、ダリアはどんな調子かな。

 

 別れた時はまだトゥリリが行方不明になったばかりという事もあり、かわいそうな程落ち込んでいたが、流石にもう気を持ち直している頃では無いだろうか。

 

 ダリアの魔力を辿ると、スリザリンの寝室に居るという事が分かった。同室の友人たちは夕食でも食べに行っているのだろうか。部屋に居るのは、どうやらダリア一人のようだ。

 リドルは勝手知ったる様子で女子寮の一室へ足を踏み入れ、灯りのついていない暗い部屋に目をしばたたかせた。

 

 地下にあるスリザリン寮は普段から薄暗い。湖に面した窓は光を通しにくいため、昼間でも小さな明かりをつけることもあるのだ。夜ともなれば、灯りを付けなければ少しの先も見通すことが出来なくなってしまう。

 

 ――――寝ているのか?体調でも悪いのだろうか……。

 

 不信に思いながら灯りを付けたリドルは、ダリアがベッドの上で膝を抱えているのに気が付いた。

 

「うわ。」

 

「――――。」

 

「な、なんだ。起きてたのか……驚かさないでくれ。」

 

 動揺のあまり文句を言ったリドルだが、この暗さの中で寝ていないのならば、それはそれで問題だ。

 

「明かりもつけずに、一体何をしていたんだ?――――まさかまだ落ち込んでいたんじゃないだろうね。」

 

「――――。」

 

 ダリアは無言のまま、じっとリドルを見ていた。

 

「――――。」

 

「――――何か言いなよ。」

 

「――――。」

 

「――――ねえ、ちょっと。」

 

 どう見ても何かがあったとしか考えられない。しかし何もしゃべらないので何があったか聞き出すこともできない。

 リドルが扱いあぐねていると、ダリアが唐突に口を開いた。

 

 ダリアの話を聞いたリドルは、開いた口が塞がらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「な――――何をしているんだ、君は!一時の感情に身を任せるのは愚かだと、何回も言ってきただろう?計画が台無しじゃないか!」

 

 フラーに対する嫉妬の余りうっかり本人に思いを告げてしまうだけでも噴飯ものなのだが、その後の展開は目も当てられない。

 この数日のうちに何故こんな急展開を迎えてしまうのか。これも分霊箱化した影響なのだろうか。だとすれば思わぬ弊害だ。リドルは頭を抱えた。

 

「何も言わずに逃げてきたんだな?だったらまだやりようはある。早めにディゴリーの所へ行って、なんとかこちらへ有利な条件で話を持って行って、それから――――」

 

 舌打ちしつつも現状の打開策を考えるリドルをぼんやりと見ていたダリアは、ポツリと呟いた。

 

「――――なんか、意外。」

 

「は?」

 

「トムなら『そうなってしまった以上仕方ない。魔法でも何でも使って自分の思う様にしてしまえ。』って言うんじゃないかと、何となく思ってたから……。」

 

 膝に顔を埋めたまま淡々と言うダリアに、リドルはむっとしたように目を吊り上げた。

 

「あのさぁ……何のために今まで僕が面倒な作戦を立ててきたと思ってるんだい?大体、そんなことを今更言うくらいなら、最初から――――」

 

「そうだよね。トムは最初から、魔法で無理やりセドリックを振り向かせてやれなんて言わなかったもんね。――――でも、トムが一番に思いつきそうな効率的な方法でしょ?だってトム、そう言うの躊躇しない人じゃない。」

 

 リドルの手がはたと止まった。

 

「ねえ、何で最初から、魔法で気持ちを操ればいいんだって、言わなかったの?」

 

 ダリアの深い青の目が、リドルをその場に縫い留めていた。初めて見る、感情の読めないダリアの表情だ。

 その鮮烈なまでの青さに、リドルの乾くはずの無い喉がカラカラに張り付いた。

 

「何故って、それは――――」

 

 とりあえず口を開いたものの、リドルはその先の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

 ――――ダリアの言う通りだ。どうして自分は、魔法で魅了してしまえばいいと提案しなかったのだろう。

 

 それこそ手段を考えなければ、わざわざ面倒な作戦を考える必要も無く、簡単にセドリック・ディゴリーの気持ちをダリアに向けさせることが出来たはずだ。ダリアが受け入れるかどうかは別にして、その効率のいい方法を自分が思いつかないはずがない。

 

 思いつかないはずがないのだ。

 

 しかしリドルは、何度繰り返したとしても、自分がその方法を思いつかないだろうことを確信していた。そんな自分に気づいたリドルは、今までになく動揺した。

 

「それは……その……。」

 

 答えに詰まった経験など、ほとんど無い。答えが見つからない経験も、ほとんど無い。

 

 たっぷりとした沈黙の後、リドルは聞こえるか聞こえないかの狭間のようなかすかな声で、消え入るように呟いた。

 

 

 

 

 

「――――――――――――魔法で得たまやかしの愛情なんか、虚しいだけじゃないか。」

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――そっか。」

 

 

 

 リドルの答えを聞いたダリアは、静かに目を閉じた。

 




二週間も大苦戦してました。

リドルは自分の母親の生涯をどう思ってるんだろう……とかずっと悩んでました。

次回、帰ってくるブーメラン。

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