パパン視点です
リ・エスティーゼ王国が誇る筆頭貴族シアルフィ公爵バイロンと国王ランポッサ三世は頭を抱えていた。
貴族の専横、王家の失墜、教会勢力の腐敗、何より王国民の家畜化による自浄作用の破綻。
王国はまさに斜陽の時代をひた走っている。そう確信せざるを得ないでいた。
バイロン卿は数少ない心ある貴族である。
王家への忠義に厚く、不正を良しとせず、領民を思いやることのできる良識を持ち合わせている。
故に王国の斜陽を見過ごすことなど出来なかった。
「ボウロロープ侯らの専横を阻止できぬばかりか、陛下への嘲りすら諫めきれんとは……」
絶対の忠誠を捧げる国王ランポッサ三世は凡庸であり、第一王子バルブロの後見たるボウロロープ侯の増長は歯止めが効かないところまできていた。
バイロンとて無能ではない。
むしろ騎士としての技量、指揮官としての統率力、領主としての統治能力の全てが高水準である傑物だ。
逆賊としてボウロロープ侯を討ち果たすこと自体は容易だ。
しかし周辺諸国の情勢がそれを許さない。
バハルス帝国は王国の領土への野心を隠そうともせず、スレイン法国も信用できる国ではない。
とても国を割っての内乱など許容できる状況ではなかった。
「幼い王子を担ぎ上げてまで権力を欲するとは情けない」
「すまぬバイロン。そなたには苦労をかける」
「陛下! 顔をお上げください。臣は苦労などと思っておりませぬ」
「しかしボウロロープ侯の横暴をゆるしておるのは余の不徳の致すところよ。本当にすまぬ」
「くっ、帝国さえ大人しければ、我が精鋭騎士団グリューンリッターの総力をもって討伐してくれるものを……!」
「シアルフィ公爵家は国防の要。おいそれとは動かせまい」
「……おっしゃる通りです。いま国境からグリューンリッターを動かせば帝国軍も動くでしょう」
「ブルムラシュー候じゃな?」
「はい、彼が帝国と通じている事実は掴んでいます。ですが……」
「糾弾はできまい」
「臣の謀略だとボウロロープ候は声高に叫ぶでしょう。そしてレエブン候たちもそれに乗る可能性が高い……」
「結局は国を割っての内乱か。勝算はあるかの?」
「貴族派の殲滅は容易でしょう。ですがそのあとの帝国との会戦については断言できませぬ」
「無双の名将たる卿でも難しいか……」
「仮に勝てたとして、国土は荒れ果て騎士団は半壊、何より民衆の嘆きは亡国への水先案内人となりましょう」
もはや退路も猶予もない、国王と重臣の溜息は王宮を沈めるほど深かった。
王都からシアルフィ公爵領へ帰ったバイロンは自身の執務室で一振りの剣を眺めていた。
「聖剣ティルフィング。聖戦士バルドが振るったという神より賜りし聖剣、か」
シアルフィ家に伝わる聖剣ティルフィング。
かつて人類の生存圏など存在しなかった頃、神が遣わせたと謳われる聖戦士バルドの愛剣。
その斬撃は雲をも切り裂き、あらゆる魔法を無効化し、邪悪な魔神すらも一太刀で切り伏せたという。
「バルドの直系の証たる聖痕を持つものだけに許された聖剣……私に聖痕があれば良かったのだが」
バイロンに聖痕は無かった。
数多くの武技を操り、周辺諸国一の剣の使い手と謳われるバイロンでさえ聖剣は応えなかった。
そも歴史を紐解いたとてティルフィングを装備できた当主はいない。
「フッ、人類の危機を打ち払った聖剣が、人の自業自得による滅びに際し応えるはずもないか」
自嘲するバイロンは聖剣を手に取り神に願った。
「私が滅びるのは構わぬ。だがこれより産まれてくる我が子の世代は守り給え」
いまバイロンの妻、シアルフィ公爵夫人のお腹の中には一つの命が宿っていた。
先ほど出産が近いと家令が伝えに来たばかりだった。
愛する妻の難事に何もできない辛さと、産まれてくる子供に苦難の時代を託さねばならない苦悩。
屈強で清廉な騎士であるバイロンをして、藁にも縋りたい心境である。
そんな時、赤子の産声がバイロンの執務室に届いた。
バイロンは走った。聖剣を手にしたまま転がるように妻の部屋へと雪崩れ込む。
「産まれたのか!?」
「おめでとうございますバイロン卿。可愛らしい玉のような男の子ですよ」
「お、おおっ……」
「さあ御子は奥様のお隣です」
お抱えの医者にそう促され、バイロンは夢遊病の様にふらふらとベッドへ近づく。
その時、バイロンの手にあった聖剣ティルフィングが鞘から抜き放たれ御子へとかっ飛んでいった。
誰一人として鞘から抜くことすら叶わなかった聖剣が、だ。
息をのみ部屋にいた全ての目が御子へと注がれた。
御子の肩で薄く輝く聖痕に、御子に寄り添うようにある聖剣に。
これはシアルフィ家のものにとって、正しく神話の再現だった。
御子に安寧な人生は望めないだろう。
聖剣の加護と共に邪を払い、その身命を賭して人々の平和の礎となることを生まれながらに定められている。
感極まったのかシアルフィ公爵夫人は咽び泣く。
いかに武の名門シアルフィ家の女とはいえ、我が子を想う心はただの母と変わりなく。
「よくぞ……よくぞこの子を産んでくれた」
「あなた……この子は……」
「聖戦士バルドの再来……王国の暗雲を払う光の御子だ」
バイロンは公爵夫人を労いつつ御子を抱き上げる。
聖剣に認められし光の御子を。時代が求めていた救世主を。
バイロンは強く抱きながら、目から流れる雫の向こうに希望を見た。
Side バイロン卿
息子が、シグルドが産まれて五年の月日が流れた。
日々成長していく息子を見られることが、こんなに幸せなことだと知らなかった。
シグルドは早熟な子だった。
一を知れば十を学ぶ天才でもあったが、特筆すべきは騎士の体現ともいえる精神性だろう。
弱きものを決して見捨てず、己より強大なものにも臆さず立ち向かえる黄金の精神。
それこそがシグルドの核であると断言できる。
いずれシグルドの周りに多くの人間が集うだろう。
それらの想いを束ね、己の心の命ずるままに突き進んでいくに違いない。
そして私も一人の騎士として父として、息子と共に戦場を駆ける日を楽しみにしているのだ。
むっ、何やら庭の方が騒がしいな。
大方シグルドがやんちゃして家令や侍女を困らせているのだろう。
この前も剣を習いたいとせがんできおったからな。
息子に嫌われたくはないが、流石にまだ早い。
今は多くのものに触れ、遊び、経験を積む時期だ。
シグルドに尋常ならざる剣才があるのは見抜いている。
あれはすぐに私を超える騎士となるだろう。
だからこそ慎重に育てねばならぬ。慢心と傲慢こそ騎士の宿敵だからだ。
あの子の初陣に聖剣ティルフィングを託すと決めている。
その時こそ、リ・エスティーゼ王国に蔓延る悪と対峙する予感がある。
だが、どうかそれまでは息子に健やかなる時を過ごさせ給え。