また駄目だった。
崩壊する世界の直中でそう独白し、彼は俯いた。いままで数多の世界の誕生と崩壊、そして消滅を目の当たりにしてきた自分にとって、此処の消滅もまた有り触れたもの。そう、物事全てに等しく始まりがあるように、終わりもまた等しくある。それが世界にとって――それが何処の〝世界〟であろうとも、同じことだ。
だから、この事象も、この世界の終わりも、自分が〝慣れ親しんだ〟事象だ。いつもと同様に、いつもどおりに、崩壊した世界の消滅を見届け、また別の世界に移る――それを繰り返すだけ……。それもまた、いつもどおりに、自分へと言い聞かせる。
――なんだいそれは? まるで自分は神様だと言っているようだね、キミは。
俯き、目を閉じる彼の脳裏に、『彼女』の言葉が過る。『彼女』はこの世界に現れた――いや、発生した、という方が適当かも知れない――自分に興味を持ち、その言葉に耳を傾け、聞き終えると開口一番そう言った。そんなものではない、そんな大層なものではない、自分はただ『其処に存在するだけ』の、生物かどうかも怪しい存在だ。
――それは問題ないよ、詰まらないことを気にするね。見てみたまえ、反応は生体そのもの、骨格、筋肉、内臓器官、DNAやRNA、ミドコンドリアに至るまで明らかに生体だよ。生殖機能は……まぁ、こればかりは正常に機能するかは試してみないと判らんが……試さないぞ! ええと、違うのは細胞の老化速度だけだな。ふむ……興味深い、老化はしないが代謝速度は異常に高い。だが奇妙なことに新陳代謝はない。どういうことか、だって? そうだな……シャワーを浴びなくとも臭わない、ということだ。
だがそれすらも否定し、そう言いながら肩を竦め、羨ましいと呟いた『彼女』も、その存在も、この世界と共に消滅する。
ただ其処に『在るだけ』の自分へ「詰まらない」と言い放ち、世界を『観る』のではなく『見る』ように言った『彼女』は、いままで何者でもない自分に世界を『見る』ことで其処に存在出来るということ、その世界の一員となれるということを教えてくれた。
そして、存在を隠されていた自分に『名』を与えてくれた。
この名を与えてくれた『彼女』が在る世界は、守りたかった。世界を喰い潰す、〝浸食者〟から。
世界は一つでない。そして数多ある世界と世界には明確な境界があり、物理的にそれを超えるのは不可能だ。だが〝浸食者〟はその境界を食い破り、世界を浸食させる。その方法は様々で、ある世界では其処に存在している者達を争わせ、ある世界ではそのままの意味で世界を喰らい、またある世界では徐々にその存在を消していった。
〝浸食者〟の姿も様々であり、その世界の者達と同じモノ、巨大な生物になるモノ、不定形のモノ、中には長い時間を掛けて世界そのものとすり替わり崩壊させたモノもいた。
そして自分は、幾度となく〝浸食者〟と対峙し戦ってきたが、自分が発生する世界にそれが出現する訳ではない。それが出現する世界に自分が発生する訳でもない。言ってしまえば、自分と〝浸食者〟は無関係であり、遭遇するのは全くの偶然だ。数限りなく世界を渡る自分と〝浸食者〟が遭遇する確率は、存外低い。だがそれが低確率であっても、渡る世界が多過ぎるため遭遇する数も自ずと増えてくる。
その〝浸食者〟と遭遇したとき、必ず自分はそれらと対峙する……訳でもない。自分が直接被害を被ったとき、気紛れなど理由は様々だ。その中には、もしかして其処の世界に存在する者達と関わったため戦ったという理由もあったのかも知れない。そのときの記憶を掘り起こそうとしても、何故か出来なかった。未だ存在している世界の記憶は朧げだが思い出せる。だが消滅した世界の記憶は、一切思い出せなかった。きっとそれは、世界の消滅と共に自分の記憶にあるその世界も消えてしまうのだろう。そう理解した。
崩壊していく世界。この世界は、美しかった。自分が発生した――現れた処や幾つかは空気が汚れて濁っていたが、それ以外はとても美しかった。
――世界は、こんなにも美しいのだよ。
楽しそうに、心の底から楽しそうに笑い、自分へ語り掛け続けた『彼女』は、圧倒的な物量で押し寄せる〝浸食者〟により、その美しい容貌を吹き飛ばされてしまった。
それを目の当たりにした自分は、忘れていた感情を揺り動かされ、ただ衝動のままに〝浸食者〟を破壊した。それとは幾度となく対峙し、そして幾度となく消滅し合ってきた。だが、これほどまでにそれを壊したいと思ったのは、きっと初めてだっただろう。
〝浸食者〟を駆逐し、だがその甲斐なく崩壊する世界から離れ、俯瞰する。あの美しかった世界が消滅するまで、そう長くはないだろう。それを止められなかった自分は、それを見届ける義務がる。……いや、止められなかったからこそ、見届ける資格などないのかもしれない。
……そんなことで悩んでいると、『彼女』に笑われそうだ。
だが何であれ、自分は今この場を離れたくなかった。見届けたい、その資格がないなどの葛藤以前に、只動きたくなかった。このままここで、永劫に時間を過ごすのもいいだろう。『彼女』との思い出と共に、只この場に『在る』だけの存在になっても構わない。きっと『彼女』は、こんな自分を笑うだろう。それでもいい、それがたとえ自分の中だけの『彼女』だとしても、それと共に永遠を過ごせれば……。
だが、この世界が消滅してしまえば、自分の記憶にある世界も消える。
イヤだ、この記憶は、消したくない。消されたくない! だが世界の消滅と共に自分の記憶も消滅し始めるのを感じ、このとき初めて慟哭した。泣き、叫び、激しく嗚咽を上げる。だがその音と声すら世界の一部であり、それが響くことはなかった。
音もなく崩壊し消滅する世界。それがやがて消え去ったとき、彼の周りには何もなかった。光も、音も、方向も、闇ですら存在出来ない、完全なる『無』。そして其処に『在る』筈の彼の存在も、全て無くなっていた。
……この感覚は、久し振りだ。自身の存在すら消えてしまったのだから、本来ならば意識も消えてしまう筈なのに。
『隠された存在』。いつだったか、自分はそのような存在なんだと認識した。完全な無の中にあっても、その『無』からも隠され存在し続ける。肉体の感覚は、世界の消滅と共に消え去った。元々はこの世界に発生されるためだけに得たものだ。だから無くなるのは当然である。やがて、僅かに残る記憶の残滓も、意識の中から零れ落ちていってしまうのだろう。零れたそれを掬い上げるように復唱しても、やがてそれが何であるのかすら判らなくなる。
また……一人になった。いや、一つ、だろうか。……どちらでもいい。
そのうち、また永劫とも呼べる時間の果てで、自分は別の世界に発生するのだろう。
今度は奇天烈な発生ではなく、その世界の存在として自然発生したいものだ。
自嘲し、彼は意識から零れ落ちて行く『彼女』の名を呼んだ……。