……のだが、一つだけ重大な落とし穴を発見し、リンは開店直後で客が疎らな百貨店のメンズコーナーの一角で呆然と佇んでいた。ハイドのサイズは見てすぐに判った。何しろ裸エプロンだったし。そして彼に合いそうな服を選別し、
「えーえー、大丈夫よ判っているから。良かったわね~、やっとリンちゃんにも春が来たのね。あたし嬉しくて涙出ちゃう。このまま一生一人で良いとか強がるんじゃないかと心配だったのよ~」
馴染みの店子にそんなことを言われて苦笑し――だが不思議と悪い気はしなかった――容姿を根掘り葉掘り聞かれてそれに合いそうな服を片っ端からカートに入れ、そして現在に至っている。
失敗した。着替えに必要なのはトップスやアウター、パンツだけではなかった。勿論シューズや小物類も大切なのだが、それ以前にもっと必要なものがあったのである。
「……ハイドは……トランクス派なのだろうか、それともブリーフ派なのだろうか……?」
トランクスは締め付けがないから楽そうだけど、でも安定しないからってブリーフの方が良いとか言う人もいると聞く。結局、どっちが良いんだ? ……む? ボクサーパンツなるものもある……。男性用下着もなかなか奥が深い。……じゃなくて! うーん、楽なトランクスが良いのか? いや、でもあまり動くと稀に精巣捻転になるからな。そうなると色々大変で、子作りに影響が……何の心配しているんだ私は! いやいややはり此処は基本のブリーフにするのがいいのだろうか? 基本かどうかは知らないけれど。でももしかして窮屈って言われるかな。そもそも其処のサイズ知らないな。靡く裸エプロンを思い返し、だが何を思い出そうとしているのだと自分に言い聞かせて激しく頭を振り、男性用下着売り場で悶絶する。そしてその様を、少し離れたところで店子が生温く見守っていた。
そんなわちゃわちゃがあり――主にリンが一人で混乱していただけだが――買い物を終えてそのついでに食品も買おうと思ったのだが、僅かに考えすぐ帰路に就いた。こんな大荷物を持っていて更に荷物を増やそうとか、どんなマゾプレイだ。などと的外れなことを考え、此処は一旦帰って出直した方が良いと更に考えた。時間はたっぷりあるし……現在無職だしね。自虐して溜め息をつき、駅の改札機にパスを認証させてホームへ行く。
そういえば、此処での生活を理解して貰うのも必要だな。そんなことに気付き、交通機関の利用方法も教えようと思案する。だが私の『常識』とも言ったから、もしかしてトレースしたときにそのことも読んだのかもしれない。……ちょっとした賭けだが、思い切って連れ出し、判らないことを探した方がいいのかもしれないな。
音もなくホームに滑り込む、人が疎らにしか乗っていないモノレールに乗り込んで色々と思案する。
ハイドを飼うとか偉そうなことを言ったが、一五歳で祖父母の家――田舎に憧れるとか言うヤツが見たら秘境と言われるレベルの山中だが――を出てからずっと一人だったから、人の育て方なんて判らないぞ。まぁ医師免許持ってるから色々な知識はあるのだが、自慢ではないが日々の生活や生きるのに一生懸命でその他のことに関しては――特にコミュニケーションが――苦手だ。
あと教えられそうなのは……魔術くらいか。幼い頃は、人は魔術を使えるのが当り前とか思っていたし。お爺様は道士、お婆様は稀代の魔法使いだったから。きっと実家に行けば魔術の秘奥書が残っているんだろうなぁ。でも私はどちらかというと煉丹術や錬金術に興味があったんだよね。それ好きが嵩じて医者になんかなっちゃったから。……魔術なんてそう易々と教えていいものではないな。秘術とか秘法に属するものだし。
実家を出た後はお金に余裕がないから補助金借りつつ頑張って飛び級して、十代で資格取って働き始めたけれど、まさか仕事より人間関係で悩まされる羽目になるとは思ってもみなかったよ。生活切り詰めて借りてた補助金を全額返済して、やっと落ち着いて生活出来ると思ったら、あのバカ息子のせいでこんな有様だ。安定した生活、一年も出来ていないじゃないか。そして友人が殆どいなくて相変わらず一人だし……あ、考えたらなんだか惨めになってきた。どうせもう一〇年ほど年末は自宅で一人で自分に御馳走作って食べてたよ。今迄他人に振舞ったことなんて、一度たりともないさ。……あ、さっき初めてした。
「こういうときに、人は寂しいって言うんだろうな……」
マンションは郊外にあるため、そこへ向かうそのモノレールの乗客は、通勤や帰宅時間以外は疎らである。人混みが苦手なリンにとっては有難いが。
「でも……」
窓の外を流れる景色を眺めながら、考える。
「寂しいってなんだろう? 別に今迄も一人だったから、全然そう思わないんだけど。そもそも一人の方が気を使わなくて良い」
人が一人で生きるのは難しいって誰かが言った。誰かと支え合いながら生きていく生き物だ、と。だけど、この社会が社会として機能し物流やサービスが現在の社会でいうところの『当り前』が続くとしたら、私は一人で生きていける。
でも、言っちゃったんだよな。何が『私がキミを飼おう』だ。今更なのだが随分偉そうだな。脳裏に浮かぶ筋骨隆々の美丈夫を思い返す。何故か溜息が出た。そしてその自分の反応に気付いて驚き、その思考を吹き飛ばすべく何度も頭を振り、他の客に好奇の目で見られてしまった。
最寄り駅に到着し、改札を抜けてマンションへと歩き出す。正味二〇分程度の道程だ。この道は川沿いにあり、それに沿って桜並木が続いている。春になれば満開の桜が咲き、その美しさに釣られてという口実を作ったバカどもの大騒ぎが、毎年毎年飽きもせずに繰り広げられるが。それがなければ、この場所はとても好きだ。だが初夏のこの場所も、嫌いではない。
……無職でさえなければきっともっと楽しめるのだろうな。でももう少し経つと、今度はバーベキューをしだす奴が出没するんだよね。てか此処ってバーベキュー禁止なんだけど。
ああ、何考えてもマイナスにしかならないな、今は。帰ったらまた暫く現実逃避でもしよう。そんな自分の考えを、きっとハイドは理解してくれる。理由はないが、何故かそう確信している自分がいて、少なからず驚いた。
本当になんなんだろうあいつは。今は連れ歩けないため――裸エプロンだし――やむなく置いてきたが、今頃何をしているんだろう。掃除してたり乾いた洗濯物を畳んだりしていたりして。そしてまだ昼前だというのに夕食の準備とか言って豚の角煮とか色々な煮込み料理をして、その間に昼用の何かを用意しているとか……そんな理想的な旦那様みたいなヤツはいないよ。あ、夕食は和食が良いな。
マンションに着き、カードキーを認証させて――あ、カードキーも作らないと――自動扉をくぐりエレベーターに乗り込む。そして部屋に戻って玄関を開けると、物凄く美味しそうな匂いが漂ってきた。
……そういえば、私が思い描く人間像に最適化されてこの世界に生まれた、とか言ってたな。もうこれって、完全に私の理想どおりじゃないか。私にこれからどうしろというんだ?
パンプスを脱いでシューズラックに置き、大荷物を抱えてリビングへ行く。彼は、ハイドは其処で床に――当然裸エプロンで――正座し洗濯物を畳んでいる最中だった。
「おかえり」
「え、あ、ただいま……て、それはいい!」
荷物を放り出して速足でリビングに行き、ハイドが畳もうとしている小さな白い布製品を引っ手繰る。だがその行動は既に遅く、殆どは畳み終わっていた。
「済まん、確認させて貰っていいか?」
顔を上気させてそれを握りしめ、一度大きく深呼吸をしてから訊いた。
「なんだ?」
畳んだ洗濯物を種類別に分け、籠に入れながらハイドは答える。
「キミは、女性の下着に興味があるのか?」
「……言わんとしている意味が判らないが……」
そう言いながらも僅かに思案し、だがすぐにリンが言いたいことと確認したいことを察したのか、
「ああ、そういうことか。安心しろ、そんなものには興味はない」
よかった、本当に変態ではなかったようだ。安堵の溜息をつき、だが興味はないと言われはしたもののやはりそれを見られたり畳まれたりするのは恥ずかしい。それに、クローゼットは寝室にあるのだ、其処に入られるのも抵抗がある。……相当な今更感があるのだが、恥ずかしいものは仕方がない。
「済まないハイド、お願いだから察してくれ」
彼が持っている洗濯物籠を掴み、上目遣いでじっと見詰める。それを正面から見詰め返し、籠をリンに渡して台所へ移動した。
何処から何を教えていいのか判らないな。まぁ日々の生活の中で少しずつ教えていけばいいか。そんなことを考えながら寝室へ行き、ハイドが畳んでくれた衣類をクローゼットに仕舞い込む。……畳み方が全部私好み。これ、もし彼がおかしな奴じゃなかったら恋が芽生えるレベルだぞ。まぁ、私に限ってそんなことはないがな。
独白しながら外套を脱いでクローゼットに仕舞い、タンクトップ一枚にスカーチェという身軽な服装になり、空になった籠を片手に寝室を出て……放り投げてしまって散乱している荷物を見て肩を落とす。それらを拾いつつ台所へ目を向けると、相変わらずの裸エプロンで何かを調理していた。
いいお尻しているなぁ……じゃなくて! 何を考えているんだ、私は! リビングへ荷物を置いて改めて台所行き、料理を覗く。……ああ、豚の角煮作ってる……そして煮物――筑前煮か――も作ってるよ。なんだろう、全部私の考えているとおりになっている。いや、違うな。私の思考を読んだハイドが学習しているんだ。思考を読んだから嗜好品が判るとか、随分洒落が効いているじゃないか。そうじゃないそうじゃなくて……ん~、やっぱり気持ち悪い……でも待て、これは考えようだ。性別が違うだけでもう一人自分がいると思えばいいのでは……いや、それムリ。
「キミは」
具材別に調理してから一つの鍋に入れ、軽く煮立ててから火を止める。そしてそれをテーブルに置いて再び冷蔵庫へ向かう。その作業は流れるようで、とても異世界から来た者とは思えない。いやもしかして、この世界に限りなく近い世界から来たという可能性もある。
「この鍋は保温性が高くていい。煮込み時間が少なく済む。どうした?」
話し掛けたはいいが、ハイドの滑らかな動きに見惚れて何を聞きたいのか忘れてしまった。もしかしておかしなことを訊こうとしていたのかもしれない。
「い、いや、何でもない。それより服を買って来たから着てみてくれないか」
手招きしてリビングに呼ぶ。冷蔵庫から取り出した鶏肉と玉子を調理台に置き、彼はエプロンを外しながらリンの方へ近付き、
「なんで脱ぎながら来るんだ!? 予想外でしっかり見ちゃったじゃないか!」
そう言うリンの言葉に不思議そうな顔をする。
「男は見られても恥ずかしくないというのがこの世界ではないのか?」
「見られて恥ずかしくないとか言う問題じゃなくて、見ちゃった私が恥ずかしいんだ!」
「……医師資格を有しているリンの言葉とは思えないが」
「それはその資格関係ない! それは仕事だから! 今はプライベートで、然も部屋で二人きりだから……」
言っていてどんどん墓穴を掘っているのに気付き、
「もういい!」
そう言って下着が入っている袋をハイドに投げつけて背を向ける。その袋を受け取り、なるほど、男も恥じらえばいいのか? などと見当違いのことを考えながら、中に入っている下着を取り出した。ブリーフ、トランクス、ボクサーパンツが数枚入っている。
「これはどれを穿けばいいんだ?」
袋を覗き込みながら訊くが、
「そんなの私が知るわけがないだろう! 好きなのを穿けばいい! というか女子にそんなこと聞くな!」
それ買うの、結構恥ずかしかったんだぞ。小声でブツブツとそう言い、リビングのソファに座って他の袋からトップスとパンツを取り出す。きっとサイズは合っていると思うが、万が一違ったら返品しなければならない。
そしてハイドは、そういうものかと思いながら適当なものを穿き、
「こんなものか?」
リンに話し掛ける。何も考えずに振り向くと、近くにボクサーパンツを穿いたハイドが立っていた。その均整の取れた半裸姿を眺めて僅かに見惚れ、だが再び顔を赤くして目を逸らす。て、なんで私は此処まで照れているんだ!? 一体どうしてしまったのだ、しっかりしろ! と自分に言い聞かせ、Tシャツ、カットソー、パンツをハイドに投げつける。それらを着るように言い、ソファに座りながら頭を抱えた。
おかしいおかしい、どうしてこうなった? これは私が男に耐性が大してないからなのか? 確かに勉強と仕事一辺倒だったし、大学の同級生の殆どは留年しても気にしない金持ちのバカどもだったから相手にしなかった――実は結構声を掛けられていた――けど、男はこれが当たり前なのか? やっぱり大学のときに鬱陶しくてこっそり〝異性払い〟を自分に掛けてたのが悪いのか? でもでもそれは仕方ないじゃないか。下心が透けて見えるようなバカボンが沢山近付いて来たら誰でもそうなるさ!
頭を抱えながら悶々と自分に言訳をしていると、衣擦れが近付き正面で止まった。何だろうと顔を上げると、ハイドが片膝をついて自分を正面から見詰めている。渡した服――正しくは投げ付けたのだが――はしっかり着ており、サイズも問題なさそうで、なにより物凄く似合っていた。
「顔が赤い。熱でもあるのか?」
呆気にとられているリンにそう言い、お互いの額を合わせた。そのまさかの行動に更に呆然とし、至近距離に――文字どおり鼻が触れるほどの至近距離にハイドの顔があるのを暫く理解出来ずにいると、何事もなく離れたハイドは首を傾げながら、
「特に熱があるというわけではなさそうだ。だが大事をとって安静にしていた方が良いのではないか? もっともこういうのはリンの方が専門だから、俺が言うことではないか」
「……え、あ、大丈夫だ大丈夫。違う違う別に調子が悪いというわけではない」
愛想笑いを浮かべて両手を振り、「そうか」と言い残して台所へと戻る彼を少しだけ見詰め、ソファに置いてあるピンクのふかふかなクッションを抱き締めそれに顔を埋めた。
「……キス、されるかと思った……」
呟き、何でそんな乙女なことを口走っているのかと自身へ詰問し、だがどうしてそうなりそうなら引っ叩くとかしなかったのだろうと自問する。もしかして、欲求不満なのか? いやいやそれはない、そもそもそんなのしたことないし。……あ、あのとき浴室でベロチューされたの、私の初めてだった……男に胸触られたのも舐められたのも初めてだったけど。でもあれを数に入れるのは抵抗がある。だってアイツ、絶対そんなことなんか考えていなかったろうし。そんなことってどんなことだ? そもそもアイツは異世界から来たのであって、本来人間であるかすら怪しい……いや、色々ちゃんと人間だった。でもまだそれとして完成していなさそうだから、正確には『ちゃんと』はしていないか。本当に、何で私が此処まで悩まなくちゃならないんだ? それもこれも、全てに於いて私好みになっているアイツが悪い! 完全に言い掛かりだが、とりあえずリンはそう自分に言い聞かせて無理やり納得した。
クッションを抱き締め顔を埋めつつソファに引っ繰り返りながら、そういえば食材が心許ないから買出しに行かなければならないのを思い出し、良い機会だからハイドを連れて行って街に慣れさせようと画策する。
「……これって、デートなのかな?」
呟き、どうしたんだ私、何でこんなに乙女なんだ!? どうしてこうなった!? いやいや違う! そういうつもりじゃなくて、只単に荷物持ちとして連れて行こうと思っているだけで、そんな気全然ないから! と、またしても自問自答し一人で悶絶していると、
「リンうるさい。掃除したとはいえ埃が立つからあまり暴れるな。それからヘソが出ているぞ」
「誰のせいでこんな風になっていると思っているんだ! それから、何でキミはそんなに私の肌を見たがるんだ!?」
それは勝手にリンがそんな状態になってしまっているだけで、言い掛かり以外のなにものでもないのに気付いて即座に言ったことを後悔し、次いでそれはいけないことだと言い聞かせ、更に彼に対して失礼だと判断し、言われて傷付けてしまったのではないかと不安になり、
「いや、済まない、そんなつもりじゃないんだ。今のは、本当に申し訳ない。そうだよな、こんな言い方されたら怒るよ……」
すぐに謝った。それが出来るのが自分の長所であると自負している。でも今のはちょっと酷かった。幾ら彼でも此処は怒るだろう。でもそれでも「気にするな」と言いそうだけど。……なんで私もハイドのことをこんなにも知っているんだ? そんな自己分析と不可解な理解を瞬時にしていたら、
「何故だろうか? 確かにリンの肌が露出していればそこに目が行ってしまう。これはもしかして下心というヤツなのか?」
「後半聞いてなかったーーーーー!」
自分の後悔と自責と反省と心配を返せといわんばかりに、リビングのテーブルに両手を付いて項垂れた。そしてやっぱり自覚がないだけで下心があるらしい、などと分析する。そして今そのことを口に出したことできっと自覚が生まれ、今後は見て見ぬ振りをするだろう。……でもそれって、むっつりスケベを生み出してしまったのでは? 明け透けとむっつりはどっちがマシなのだろうか? どっちも嫌だな……。
「その状態」になってしまったハイドをリアルに想像してしまい、そんなことを考える。
そんなどうでもいいことで悩んでいるリンの前に、出来たての親子丼が置かれた。ワカメと豆腐の味噌汁も付いている。
あ、凄く美味しそう。玉子が半熟のトロトロであり、カツオと昆布で取ったらしい出汁と共に炊き立てご飯に染み込んでいる。
「少し出汁が多くなってしまった。箸とスプーン、どっちがいい? 個人的にはスプーンを勧めるが」
「そうか、ではオススメのスプーンを頂こう」
彼は頷き、漆塗りの細長い木製スプーンを手渡した。そういえばそんなの持ってたな。何処にしまったか忘れてたけど。もしかしなくても、この部屋に関して私より詳しいんじゃないか? なんか面白くない。自分の分も持ってきてテーブルの前に正座し、傍らに盆を置いてから両手を合わせて「いただきます」と言っているハイドを一瞥し、でもあんまり深く考えたらそれこそキリがないと思い直し、同じく「いただきます」と言って食べ始めた。
「……ハイド」
「ん?」
声を掛けるが、頬張っているため彼はそんな返事しか出来ない。だがリンは、
「めちゃくちゃ美味しいよ」
口いっぱいに頬張っているにもかかわらず、流暢に言葉が出る。それを見たハイドは口元に微笑を浮かべ、飲み込んだ後で「それは良かった」と言った。
二人は無言で親子丼を食べ、ほぼ同時に食べ終わり、やはりほぼ同時に、
「御馳走様でした」
「御馳走様でした」
そう言って互いに顔を見合わせる。それはきっと、自分がこのタイミングでそう言うのを学習したのだろう。リンはそう分析した。
なんだかいちいち驚いたりリアクションするの、面倒になってきた。そんなことを思いつつ、空腹が満たされたから自堕落に浸っていようとアームレストに倒れ込んで再びクッションに顔を埋めているリンを、ハイドが呼んだ。
「ん……どうした? 私は今から牛になる予定だが」
クッションから顔を上げ、だが上半身は捻ってアームレストにもたれたままそんなことを言う。無意識にやっているようだが、それは細いウエストが強調され、更にヒップラインも良く見えてしまうという艶っぽい格好である。オマケにまた腹が出ているし。そんなことを思ってしまったハイドだが、今度は言わないことにした。代わりに、
「食べてからすぐに横になるとろくでもない病気になるのを知っているだろう」
無駄だと知りつつそう言ってみた。すると案の定、
「大丈夫だよ、ちゃんと上体は起こしてダラダラする」
そんな身も蓋もないことを言いつつ、その格好のまま今度は背伸びをした。
「……女子は可憐だと思っている男の幻想をぶち壊す台詞だな」
すると今度は憮然とした表情になって起き上がると、クッションを抱いたまま反対側のアームレストへ
と転がり上目遣いでハイドを睨む。そして唇を尖らせて、
「そんな幻想はさっさと壊してしまった方が良いのさ。で、なんだい?」
「折入って頼みがある」
色々と突っ込みたいこともあったが、それだと話が進みそうにないと英断し、そう言った。
「ほう、何かな?」
なんでもないとばかりにそう言っているが、実は内心焦っていた。こんなに改まって、一体何を頼むつもりだろう? 良からぬことだったらどうしよう? そうなったら容赦なく叩き出すだけだけど。あ、でも確かこいつ、私の〝衝撃波〟を受けてもなんともなかった。……齧られて出血した舌も、すぐに何ともなくなっていたようだったし。やっぱり、体の構造が違うのかな?
ハイドの頼みよりそっちの方が気になり、クッションをソファに置いて起き上がると彼の身体を舐めるように見詰め、
「ハイド、ちょっと脱いでくれ」
純粋な研究者の顔になってそう言う。すると彼は、
「いや、それは恥ずかしいから……」
先程学習した「恥じらい」というヤツを披露してみる。だがそのリアクションに対してリンは一気に無表情になり、溜息すらせずに冷たい視線を向けた。このタイミングは違うのか? やはり感情表現は難し
い。そんなことを考えるハイドだった。
「……このタイミングで恥じらうとは見上げた学習能力だが、そういう意味で言ったのではなくキミの身体を調べたいだけだ。どうして私の全力の〝衝撃波〟を受けて生きていたんだ?」
説明するのももどかしいと言わんばかりに、強引にハイドのカットソーとTシャツを剥く。彼は諦めたのか、溜息を一つついてからそれに従い、パンツに手を掛け、
「上だけでいい」
止められた。
「立派なのはさっき見ちゃって判ったから。それとも見せたいという特殊性癖に目覚めたのかい?」
お返しとばかりにニヤリと笑いながら、今度はリンがやり返すが、
「……リン、そういうのに免疫がないくせにちょいちょい下ネタを入れるのは止めた方が良いぞ」
結局やり返された。
「ううううるさいな、悪かったな耳年増で! というか、なんで免疫ないの知っているんだ! いやいやそうじゃなくて、ちょっと失礼するよ」
僅かに躊躇しつつ、目を閉じてハイドの立派な大胸筋に左手を添え小さく呪文を唱える。リンの全身が薄く輝き長い髪が脈動する。そしてその光が添えている手に集中すると、ハイドの生体情報がリンの脳内に流れ込んできた。実はこれをすれば人の病んでいる箇所が即座に判るのだが、これは世界の理を飛び越える反則だ。何故ならこの術は、物質を解析する〝錬金術〟と生体を解析する〝煉丹術〟を複合し、更に〝魔術〟によって昇華した秘奥術式なのだ。これを駆使すれば、理論上は永遠の命を得ることも可能となる。もっとも〝煉丹術〟の目的自体がそれなのだが。
「ほう、これは面白い」
やがてその光が消え、リンは呟いた。先程おかしなことで恥じらっていた表情はなりを潜めてしまっている。恥じらっているリンも良いが、此方のリンも良いな。なにより格好良い。などと何故か思ってしまい戸惑うハイドだった。リンの思考を読んで理解し始めているためなのか? そう解釈し、納得することに決めた。
「今のは俺の身体を解析したのか?」
「その通りだ。私の思考をトレースしたなら判っていると思うが、これは私の秘奥術式だ。他言無用で頼む」
ハイドの大胸筋から手を放し、右手で押さえつつそう言い短く息を吐いた。
「他言もなにも、俺にはリン以外の知り合いはいない」
「それもそうだな」
そう言い、左手を押さえている右手に力を込めた。
「それで? 俺はやはり生体かどうかも怪しいものだったか?」
脱がされた服を着直しながら、自虐的に言うハイドを半眼で見上げ、
「ご期待に沿えなくて大変申し訳ないが、キミの反応は生体そのものだ。骨格、筋肉、内臓器官、DNAやRNA、ミドコンドリアに至るまで明らかに生体だよ。生殖機能は……まぁ、こればかりは正常に機能するかは試してみないと判らんが」
また下ネタを挟む。呆れたように頭を掻き、溜息を盛大についてからハイドは首を傾げて半眼で、
「試してみたいのか?」
「え? ええと……いやいやないないダメダメ、試さないぞ!」
何故一瞬考えた? そう言おうとしたが、なんだかリンが混乱しそうだと思い、止めておいた。そんな彼女も見てみたいという、若干の嗜虐心を覚えてしまっていたが。ハイドにそんなおかしな感情が芽生え始めていることなど露知らず、咳払いを一つしてからリンは続けた。
「ええと、違うのは細胞の老化速度だけだな。ふむ……興味深い、老化はしないが代謝速度は異常に高い。だが奇妙なことに新陳代謝はない」
「言っていることがよく判らんが……どういうことだ?」
「そうだな……まぁ簡単に言えば、シャワーを浴びなくとも臭わない、ということだ」
「……それは簡単過ぎないか?」
「だから、簡単で判り易いだろう?」
左手から右手を離さず、口元に笑みを浮かべて言う。このとき、ハイドはリンが不自然に強がっているように見えた。よく見ると、薄く冷汗をかいている。そして僅かにだが顔色が悪い。それに、左手が徐々に変色し始めているのに気付き、彼女の背に手を回して引き寄せた。
「う、わ。いきなり何をする!? 言っておくが生殖機能は試さないぞ!」
ハイドのその行為は、一般的には抱き寄せたともいえるものだったため、思わずリンはそんなことを口走った。だが彼はそんなことはしないと何故か判っているため、それほど慌てはしなかったのだが、
「リン、その左手はなんだ?」
次いで出た言葉に狼狽してしまった。やっぱり判っちゃったか。苦笑しながら、リン。もうちょっと堪えれば良かったかな。でもそうしたところで、いずれは判ってしまうことだし。
「え? あ、あ~、コレ、は……何でもないさ、気にするな」
それでも尚、強がり恍けてみせる。これが原因でハイドが罪悪感を持ったら、なんか悪いし。あくまでこれは、好奇心に負けたのと自身が未熟な所為なのだから。
「術の反動だな?」
見破られた。天を仰ぎ見て、リンはあーあと呟き再び苦笑する。そして赤黒く変色している左手をハイドに差し出し、
「どうやらこの術を使うには私はまだ未熟らしくてな。使えば暫く手が使用不可能になるんだ。このとおり感覚が一切なくなっている。まぁ、分を弁えない未熟者の末路だな。どうやらこれが魔術師としての『理』らしい。ああ、キミが気にすることじゃないぞ。これは私が好奇心という誘惑に勝てなかった代償だよ。なに、一週間もすれば元に戻り始め……」
「俺のことなど調べなくとも良かったのだ。まったく、リンは本当にそういうことで後先を考えないな」
「余計なお世話だよ。なんで知っているんだ」
その理由は知っていたが、言わずにはいられなかった。そしてハイドから離れようとしたが、左手が掴まれる。
「おいおい、私は今左手が使えないんだから労わってくれ」
軽口を叩いてみるが、彼の表情は動かない。代わりに短く深呼吸をし、
「『世界の理を断つ』」
そう言うと、リンの左手を両手で包み込むようにして握る。何かが弾け、途端に暖かいものが左手に流れ込む。開かれたハイドの手の中で、重く冷たくなっていた左手が即座に戻り、全ての感覚が元どおりとなった。
「え、今のは、なんだ?」
左手を見詰めながら、そしてその感覚を確認してからハイドに訊く。彼は優しく微笑み、
「理破りの『罰』を破壊しただけだ」
「え、ちょ、えええ? 待て待て、そんなこと初めて聞いたぞ。お爺様もお婆様も、人は理から外れてはいけないと言っていた。それから外れれば相応の『罰』という代償があると……『罰』を破壊した!?」
もしかして私は、今とんでもない事象を体験したのではないか? そもそも代償として発生した『罰』を破るって、どういうことなんだ?
「きっとこれは、俺が世界を漂っていたのと何か関係があるのだろう。言ってしまえば、そんなことをしている俺自体がその『理』とかいうモノから外れている存在だからな。だが俺がそれを出来るからといって、お願いだから無理はしないでくれ。きっとこの『力』はこの世界に順応するにつれて消えていくだろう」
「順応? 待て、もしかしてまだ順応していないのか? 順応すれば、キミは一体どういう存在になるんだ?」
左手の指を滑らかに動かして阻害されていないか確認する。そして先程読み取ったデータを詳細に脳内で解析し始めた。それはある可能性を感じたからだ。言わば勘のようなものだが、ほぼ間違いなく確信していた。そもそも魔術師の勘はよく当たる。主に悪い予感が、だが。
「やはり」
解析を続けながら独白する。
「それはそうだよ、ハイドはこの世界に来たとき『私に』適応するように身体を得たらしい。それがどういうシステムかは知らないが、おそらく適応する生命体を模倣するのだろう。それこそ、細胞レベルで。そして更に、その資質すらも」
後は何があるのだろう。更にリンは深く探っていく。すると脳内に、常人ではほぼ使われていない箇所が活性化しているのが判った。見たことがある、此処が活性化している者達は……。
「ハイド」
解析を止め、見上げる。彼はそのリンを黙って見守っていた。
「一つ約束して欲しい」
「なんだ?」
そう返答するハイドの頬を、無意識に左手で触れた。もしかしたら、今から私はとんでもないことをしてしまうのかも知れない。そしてそれは、彼にとってとてつもない重荷になってしまうだろう。自分がかつてそうだったように。だがそれが判らずに無作為に発生してしまったら、それはそれで危険極まりない事態となる。これは発見してしまった者の責務。最悪の場合、自分がなんとかしなくてならない。
「私をトレースしてその思考を学習しているという前提で言うぞ。今から言う『力』は、きっとこの世界からキミへの贈り物だ。だから遠慮なく使っていいと私は思う。私利私欲のために使うのもまたいいだろう。所詮能力を使っての仕事なんて、それでしかないからな。だが同時にそれを使うものとしての責務が発生するのも事実。私は正義なんて信じないしそんな陳腐なものを振りかざすつもりもない。だが得た力を無暗に振るうのは明確な悪だ。更にその力を理解せずに、そうだな……子供が玩具を無邪気に扱うように安易に行使していいものでもない。そうしないと、約束してくれ。それが出来ないというのなら、私はキミを此処から消さなければならなくなる」
彼女の表情からその言葉は重いものであると理解し、更に自分を純粋に心配してくれているのだと感じたハイドは、その気持ちが単純に嬉しく、そしてそうしてもらえる自分はとても幸福だと感じた。それに、自分に「形」を与えてくれたリンが望むなら、自分はどのようなものにでもなろうとすら思う。だから、その心配は……、
「リン、それは杞憂だ。俺は……」
自分の頬に触れている手に右手を重ね、更に左手でリンの頬に触れる。彼女は真っ直ぐに自分を見上げていた。
「俺の全てはリンのものだ。この世界に発生したときから、それはきっと決まっていた。俺はリンが望む全てになろう。そしてリンがそう望むなら、俺はこの世界に存在し続けるし消えることも厭わない」
「なんだそれは? まるでプロポーズだ……な……て、ええ!?」
真面目な話しをしていた筈だが、客観的に出た自分の言葉で墓穴を掘り、豪快に赤面するリンだった。
「リンが嬉しいなら、俺も嬉しい」
だがそんなことはお構いなしに、ハイドは続けた。
「リンが悲しいなら、俺がそれを取り除く」
「いやいやいやいやいやいや、ちょちょちょちょっと待ってくれ! そういうのはまだ心の準備がというか、私とキミはまだ会ったばかりで、まぁ思考を共有したという時点でデート百回するよりお互いを理解出来るのではないかという考えもあるけれど、それでもまだそういうのは早いと私は思う。そういうのはもっと時間を掛けてもっとお互いを知り合ってからの方が……あーもー、私は何を言っているんだ!?」
赤面し、すぐにでも目を逸らしたいのだが、それは何故か出来なかった。今はそうするべきではないとも思ってしまっている自分に気付き、派手に、というか思い切り混乱しているが、彼は構わずまだまだ続けた。
「世界が終わり、その最後の瞬間までずっとリンの傍にいよう。俺はきっと、そうするために此処にいる」
真っ直ぐにリンの目を見詰め、その頬に手を触れたまま、真剣な表情で言い切った。拙い、これちょっと嬉しい。狼狽しつつそう思ってしまった自分に更に狼狽し、やっと目を逸らしたリンが右手で顔を覆い俯いた。
「済まない、待ってくれ、キミのその気持ちは凄く嬉しいんだが、残念ながらそれに今は応えられない」
やっとの思いでそう答え、更に続けた。
「もう少し時間をくれないか。それに、他所はどうか知らないが、会ってすぐにそんなこと言われても、こんなことは初めてだから、正直困ってしまう」
彼がそこまで真剣なら、自分も真剣に考えなければならない。その想いに応えるのもそうしないのも、そしてどんな結果を選ぶにせよ、お互いに後悔しないようにしなければならないから。これ以上ないくらい真剣に悩んでいると、首を傾げながらハイドは一言、
「そんなこと、とは?」
戸惑いと混乱と恥じらいがごちゃ混ぜになっているリンを見詰め続けながら、不思議そうにそう訊いた。
「いや、だから、プロポーズ……」
「なんだそれは? 俺はそんなつもりで言ったわけではないぞ。そうするべきだと思ったから言っただけで……」
「え?」
「ん?」
顔を上げて指の間からハイドを見上げ、そして心の底から不思議そうな表情が浮かぶ顔を見る。覆っていた右手が力なく垂れ下がった。
恥じらいで上気していたリンの顔が今度は別の意味で上気し始め、その双眸に薄く涙が浮かぶ。そしてそのまま床へと視線を落としてハイドを軽く突き飛ばす。彼はあっさり離れた。
「この……!」
重心を下げて腰を落とし、両の掌底を腰溜めに構えて両足の指で床を掴むように力を込める。そして床板よ砕けろと言わんばかりに強く一歩踏み出し、
「この大バカ者! 天然たらし! 凄腕ジゴロ! その気がないならそんな熱烈なこと言うんじゃない! 私の恥じらいとトキメキを返せ、バカーーーーーーー!!」
両掌底をハイドの胸に叩き付ける。全身から力を伝達させ其処に集中し一気に放つ、いわゆる〝勁〟というヤツだ。
そしてハイドは、派手に吹き飛んで背中を柱へ強かにぶつける羽目になった。
で、私に訊きたいこととはなんだ? あーお茶が旨い。なに? 態度が悪くて行儀も悪い? 知るか! 誰の所為だ誰の!?
……この世界のこと、か。まぁ私が知る限りでいいなら教えてやろう。言っておくが、地名とか世界の形とかを知りたいのなら地図を見ればいいから省くぞ。
何からがいいかな……。ん? 魔術とか? ああ、私が使っていたからな、それに興味が唆られるのも仕方ないだろう。……ふむ、ではこの世界に存在している『力』から説明しようではないか。
この世界には大まかに分けて四つの力がある。科学的な力、魔術的な力、精神的な力、そして肉体的な力。
まず科学的な力だが、それは簡単、今身の回りにある道具――いわいる電気で動くものと解釈してしまっても構わない。あとは移動のための乗り物、このタブレット端末も科学的力で、ぶっちゃければ機械としての力がイコールであると思ってもいい。で、その科学の結晶としての機械だが、それを生体に埋め込んで強大な力を得るという術がある。サイバネティック・オーガズム――サイボーグというヤツだな。しかし今ではそう呼ぶものは誰もいない。何故なら、それらは既に電脳を搭載している兵器と化しているからだ。既に人と呼べるものなのかどうかは疑問だが。その答えはそれらを生み出した『
科学的な力で私が知っているのはこんなところだ。興味があるならその方面の書籍でも漁れば詳しく載っているだろう。……どうでもいい? 全く興味ないのか。その辺まで私と一緒だな……いやなんでもない。
次に魔術的な力だが、これ説明要るか? 私が目の前で使っていたし、身を以て体験しているだろう? ……いや、済まなかったよ。でもあれは私も悪いがキミも悪かったんだぞ。突然ベロチューされて「間違えた」って言われたら頭に血が上るのは仕方ないだろう。
あーもー、話が逸れた。はいはい魔術ね。一口に魔術と言っても、実はそれにも色々と種類があってな、私が使っているような複数のそれを混合したモノを、実は魔術という。元を辿れば『魔法』になるのだが、私が知る限りそれを使える者は今では一人だけだ。
……誰か? 教えない。ちょっと待て、意地悪じゃないぞ。こういうのは知っていても教えられない仕来りになっているんだ。まぁ、機会があって、仮に教えられるようになったとしたら、きっとキミも知ることになるだろう。
続きだが、魔術を行使するには資格が必要だ。誰にでも使えるわけではない。その資格とは、純粋に『資質』の有無だ。これは完全に遺伝し、更に言うならその素質を持った者同士の――ちと言葉が悪いが交配で更に強くなっていく。また逆に片方が資質を持ち合わせていないとしたら、隔世遺伝でもしない限りどんどん弱体化する。
こういう話を知れば、ほぼ全ての者が思うことを、先に言ってやろう。ならば魔術師同士をどんどん交配させれば、どんどん強い魔術師が生まれるのでは、と。残念ながら、それは出来ないのだ。実は魔術師は生殖能力が弱くてな。悪いことにそれは魔術の能力に反比例する。更に彼らは体力にも恵まれないことが多い。ズバリ言ってしまえば、最後までセックス出来ないんだよ。そういう欲も希薄になるらしいがね。
魔術の種類? 面倒だな。あーはいはい、判ったよ面倒がらずに教えるよ。まったくもう、子供にせがまれているみたいだよ。大きい子供もいたもんだ。判った判ったはいはいごめんなさい。えーと、種類ね。
大まかで厳密には違うが、『魔法』『錬金術』『仙術』『道術』『煉丹術』『房中術』『屍術』『神聖術』『精霊術』等がある。まぁ最後の三種は私も良く知らない。これらを複合、融和、弱体化したものを『魔術』という。何故弱体化したかって? そりゃそうだ、弱体化している魔術師が強大なそれを使いこなせるわけはなかろう。よって術も弱体化させないとならない、というワケだよ。もっとも中には隔世遺伝によって強大な魔術を行使出来るヤツも、いることはいる。それでもそれは一握りだ。そして案外現実主義者が多い魔術師は、そんな奇跡染みたことには頼らないんだよ。
ん? 私はどうか、だと? どうなんだろうね? 実は自分のことはよく知らないんだよ。真面目な話し、私はちゃんと子を産めるかどうかすら判らない有様だ。これは事実だから言うが、魔術師は生殖能力がないわけではない。ちゃんと精子の量も人並みだし排卵もする。何らかの原因でそれが着床しないらしい。私か? 五年前に自分で確認したが、ちゃんと排卵はしてい……おい、なんかここ数時間でどんどんイヤらしくなってきていないか? て、私が考え過ぎだというのか!?
まったく……もう魔術は終わり! 続いて精神的な力。
精神的な力はそのまま精神が形を成したものだ。名前は〝
で、〝PSI〟だが、これは突然変異で発生する。確率としても両親がそれだとすれば僅かに上がる程度だ。よってほぼ遺伝はしない。
発生する原因というか、その発生元は大脳だ。人の脳――いや、脳を有する生物全てに共通していえることだが、生きていく上で脳は必須なのだが、実はその全てを使っているわけではないのだよ。大体はどのような役割なのかすら判らない。だが〝PSI〟能力者をアイソトープ――脳血流シンチグラフィーで見てみると、一般的な人間ならば活性化していない箇所が矢鱈と活性化している。しかもその場所は人によって違う。だから、其処の場所が活性化しているからこの能力……という判断は出来ないのだ。おまけに脳を一度でも弄ったらその能力は失われてしまうとくる。
そして実は、現在この〝PSI〟の研究が最も盛んなのだよ。何故だと思う? まぁ大体予想は出来ると思うけどね。そう、突然変異という縛りはあるが、身体を機械化する資金もなく魔術の資質もない人々にとって、これは福音なのだよ。然も専門的な訓練を受けさえすれば、大なり小なり使えるようになるのだからな。
個人的意見だが、正直それは危険だと思う。なにしろ現在〝PSI〟を裁く法は確立されていないからな。もっとも道を外れた〝PSI〟は――いや全てに於いてそうだが、例外なく賞金が掛けられ〝ハンター〟と呼ばれる賞金稼ぎに狩られる羽目になる。
おっと話がずれたな。まぁそんなところだ。
最後に肉体的な力。
これは、まぁ、そのままの力だ。いわゆる武道と呼ばれる〝技〟というヤツさ。さっきキミは私に吹き飛ばされただろう? 痛かった? 知るか! 紛らわしいことを言うヤツが悪い! えーと、あれも武道の一つだ。私はお爺様に習ったよ。基礎的なことだけ、だけど。
それと、これとは違う、もっと簡単に強靭な力を得る術もある。正直、これは絶対にお勧め出来ない。興味があっても手は出さないでくれよ。きっと後戻り出来なくなる。実際その術に手を染めて身を滅ぼした者は数知れない。そしてそれを売ることで富を得ているやつらも多いのだ。
なにか、『クスリ』だよ。
ある特殊な薬物により人外の力を得ることが可能だ。もっとも一度使用すれば死ぬまで続けなければならないという、後戻りの効かないハイリスクなオマケ付だ。〝サイバー〟より強靭な肉体を持ち、〝魔術〟より強力な破壊力を発揮し、〝PSI〟より簡単に生み出せる。それらは〝ハイパー〟と呼ばれている。その行く末はどうなるか、予想出来るだろう? 重度の〝ハイパー〟の最後は、理性を完全に失ってただの獣と化す。それで済めばいいのだが、それらのほぼ全ては周りを巻き込んで盛大に滅びるのだ。
力を求めてそれになり、強大な力を得たが制御し切れず自らが生み出した超重力力場へ消え去ったもの。どんな傷も一瞬で治癒出来る力を得て、だが増殖する細胞を押さえ切れずに肥大化し続けたために、消滅させるべく生きながら焼かれ続けたもの。全ての知識を求めたが、代わりに脳以外の全てを失ったものなど、上げれば枚挙に暇がない。
まぁ、私は〝ハイパー〟に正直マイナスなイメージしか持てない。一応は元医者だしね。……いいよ気遣わなくて。それにもうそれを続ける気はないんだから。勿体ないとか言うなよ。どんな仕事をするのも個人の自由だからな、その資格を持っているからといってそれに準じなければならない理由は……言わない、って? ああ、そう。いや済まない、ちょっと嫌なことを思い出してむきになった。ああ、大丈夫大丈夫、問題ないさ。
この世界に存在する力は大まかに言えばこんなところだ。物理的な力だけじゃなくもっと色々あるけれど、それを上げたらそれこそキリがない。
最後に、この世界はそれらが混在する世界。国は有って無いようなものであり、ほぼ全てが都市単位で、いわゆる都市国家の乱立で成り立っている。とはいえそれらは対立しているわけではない。一定の境界を持って共存していて、貿易なども正常に行われているからな。
そしてこの世界に生きる人々は、私のような専門職や会社員――え、なんだって? うううるさいな! どうせ今は無職だよ! 揚足を取るな! ……まったく、どんどん『いい』性格になってくるな、キミは。
……ええと、なんだったかな? そうそう会社員や自営業、職人のような技術職等々を生業としているが、もう一つあってな。さっきもさらっと言ったが、指名手配になった犯罪者には賞金が掛けられることが多い――というかほぼ全てに大なり小なり賞金が掛けられるんだ。それらを捕らえ、もしくは狩るのを生業としている者もいる。
ん? 狩ると言うのは言い過ぎじゃないか、だと? いいんだよ。実際賞金首は特殊な者を除けば全て生死を問わずだからな。まぁ一応詳細に捜査した上での賞金首だから、冤罪はほぼないんだよ。何故そんなに断言出来るのか不思議そうだな。これは暗黙だが、捜査員には〝PSI〟能力者、強力な〝テレパス〟と〝リーディング〟がいるんだよ。前者は心を読み取り、後者は記憶を読む。……いや、キミがしたのは記憶の共有だろう? そんな能力、たとえどれほど強力な精神感応系の〝PSI〟にもない。
まぁそんなわけで賞金首と呼ばれる者どもがいて、それを狩る者達を〝ヘッド・ハンター〟という。企業間の引き抜き、というやつではなく、物理的に『首を狩る』という意味だ。もっとも誰もそう呼ばずに〝ハンター〟と呼ぶがね。
ソファに胡坐をかき、ピンクのクッションを抱きながら左右に揺れつつそこまで言うと、リンはテーブルにある湯飲みを取ってすっかり冷めてしまった緑茶をすする。そしてハイドは床に、同じく胡坐をかいて腕組みをしその話に耳を傾けていた。
「大まかにはこんなところかな。その他の詳細は、後で図書館にでも案内するから調べてみてくれ。……文字は読めるかな?」
緑茶を飲み干してテーブルに湯飲みを置き、だがお代わりが欲しくなりケトルに手を伸ばす。
「リンが読める文字は読めるようになっている」
その手を制止し、ケトルを取ると急須に湯を注いで緩やかに攪拌し、リンの湯飲みに注いだ。
「ん、ありがとう。……私が読める文字、ねぇ……」
湯飲みを両手で持ち、天井を見上げて思案する。そして意地の悪い笑みを浮かべると、湯飲みをテーブルに置いて後ろのデスクにあるタブレットを、ソファに座ったまま取ろうとする。案の定手が届かないのだが、諦めきれずにそれでも取ろうとしているリンの姿に呆れ、ゆるりと立ち上がってそれを取る。
「む~、もうちょっとで届きそうだったのに」
タブレットをリンに渡し、だが何故か文句を言われた。それを無視して無言でリンを促すと、彼女は咳払いを一つし、画面に見たこともない文字を表示させた。
「魔術文字だ。これは読めるかい?」
「読める。リンが読める文字は全て読める筈だ」
「……うわぁ、これ……うーん、やっぱりそうかぁ」
少し考え、そして僅かに悩み、だがそうしてもそうなものは仕方ないと決断したリンは、ソファから立ち上がってハイドの正面に立つ。タブレットは小脇に抱えたままだ。
「なんか色々有耶無耶になって言っていなかったけど、キミにはどうやら稀有な能力が備わっているようだ。動くなよ」
呪文を唱え、左手をハイドの額にかざす。リンの背後に純白の魔方陣が浮かび上がり、ゆっくりと彼女を通過しやがてハイドへと向かった。彼は言われたとおりに微動だにしない。それが全身を包んで色を変えずに通過し、やがて消え去ったとき、リンは右手で頭を抱えて深い溜め息をついた。
「魔法陣の色が全然変わらないとか……やっぱりそうかぁ……。はぁ、コレ、ちょっと困る……」
「どうした?」
また術の反動でも起きたのかと僅かに慌て、ハイドが立ち上がろうとする。だがリンはそれより早くその両肩に手を置いた。
「あのね、ハイド」
両眼を閉じて眉間にしわを寄せ、もう一度溜め息をついてから、リンは意を決したかのように言った。
「キミ、魔術師だ。然も私の波動に酷似している……というか瓜二つ。身体を読み取ったときにも思ったが、今波動を読み取って更に分かった、確信したよ。キミはどうやら細胞レベルでも魔術的にも、私と相性が良いらしい」
まぁ、それはそうだよね。ハイドはこの世界に来たとき『私に最適化された』ワケだし。最適化って、つまりこれ以上ないくらい相性が良いってことだよね。色々と。
自分で言っておいて色々と妄想し始めたリンを他所に、ハイドはイマイチ判っていないのか、首を傾げるばかりだった。その反応が何故か若干不本意に思い、だがすぐにそれを否定し咳払いをする。
「それから、脳に反応があったぞ」
「反応? なんだそれは?」
両肩に手を載せられているため立ち上がれず、仕方なくハイドは立ち膝をする。その頭を優しく撫で、
「おめでとう、キミは数億人に一人の稀有な『力』を持っている。魔術だけではない、キミは〝PSI〟能力者。つまり〝サイオ・メイジ〟だ」