メニュー126 ローストビーフ丼
ロフーレ商会のエンブレムが刻まれた馬車を引きながら私は深い溜め息を吐いた。長いこと商売をしているが、こんな失態は初めてだった。
(不覚……竜王国との流通の少なさが不幸を呼んだか)
4ヵ国同盟が結ばれ、帝国、竜王国、ビーストマンの国との流通が始まった。それに合わせて初仕入れを行なったが、地方で肉の名前が違う事は想定してなかった。脂の乗ったバラ肉を購入したつもりが固く脂の少ない牛腿肉の塊とは……焼くにしろ、煮るにしろ手間が掛かりすぎる上に薬味などを使えば値段が跳ね上がってしまう。ロフーレ商会ではどうにもならんという事で、私は駄目元でカワサキ殿の元へ訪れていた。
「カワサキ殿はいらっしゃるか?」
「ロフーレ? カワサキはいるけどどうかした?」
店の掃除をしていたクレマンティーヌにカワサキ殿を呼んでくれと頼み、仕入れと販売価格を計算し買い取ってくれるであろうカワサキ殿に相当買い叩かれる事を覚悟し、店から出てきたカワサキ殿に馬車の中身を見せる。
「これは牛腿の固まりか? ロフーレさん。随分と仕入れたな?」
「いやはや、4ヵ国同盟で商品が集まっての初仕入れで意気込んで参加した物の……竜王国の方での肉の名称の違いで想定していない物も買ってしまったんだ」
「それは不運だな。まぁそういうこともありますよ、それで俺の所に持ってきたって事は俺の店に卸してくれるって事で?」
「ええ、他の店では買ってくれないですしね」
半分売れれば後は塩漬けとかにすればいい、そう思いながら肉の確認をするカワサキ殿の背中を見つめる。
「金貨8で全部貰う」
「は? いやいや、私の事は気にしてくれなくても良いんですよ?」
馬車一杯と言えど金貨8枚ではいくらなんでもぼったくりすぎだ。良い所金貨3枚程だ、カワサキ殿が私を気遣ってくれたのだと思いそう言うとカワサキ殿はにやりと笑った。
「色々とあって作りたい料理が出来ない中で、これは良い。良い物だよロフーレさん」
「牛腿が?」
「ええ、しかもこれだけあると言うのなら尚良い。8枚の内2枚はチラシをお願いしたい、今日の昼に特製ランチって言うのでチラシ代込みで金貨8枚でどうですかね?」
チラシを作って配ったとしても金貨8枚では丸々2枚は私の利益になる。カワサキ殿が走り書きしたチラシの草案を受け取り、懐に収める。
「判りました、それでお願い出来ますかな?」
「商談成立って事で、ロフーレさんもお昼に来てくださいよ。良い物をご馳走しますからね」
そう言って上機嫌に笑うカワサキ殿に見送られ、空の馬車を引いて店へと戻る。しかし牛腿肉で一体何を作るつもりなのか? と疑問を抱き、カワサキ殿に頼まれたチラシの草案を見ながら、これをどう改良するかと言う事に私は頭を悩ませるのだった。
厨房に運び込まれた牛腿肉の山を見て私は溜め息を吐いた。牛腿肉は固いから余り人気が無く、しかも脂も少ないから煮込み料理くらいにしかならない。カワサキだから美味しく料理できると判っているけど、それでもこれだけの量を捌くのはそれこそ数日単位の時間が掛かると思う。
「ロフーレの頼みだからってこれは失敗じゃない?」
色々と融通を利かせてくれているが、それでもこれだけの量を引き受けるのは無理があったと思うよ? というとカワサキは大丈夫大丈夫と笑い、鉄鍋に昨日の打ち上げに食べた鶏肉の皮を切って大量にいれる。
「鶏皮をそんなにどうするの? っていうか牛肉はどうするの?」
「これか? 鶏脂を作るつもりだったからさ、牛肉はこれが終わってから考えるよ」
本当に大丈夫なのかなあと思ってみているとカワサキは鶏皮を鉄鍋で弱火で炒め始める。時折フライパンを前後に揺すり、箸で鶏皮を引っくり返している。
(ええ……本当に大丈夫?)
鶏皮から出た油がとんでもない事になっている。料理に本当に使えるのか心配になってくるレベルだ、だがカワサキは鼻歌交じりのまま、鍋の中にネギの青い部分をこれでもかと入れて再び炒め、ネギの香りがしてきたら鶏皮とネギを取り出し始める。
「捨てるの?」
「鶏皮はあとで味付けして酒の摘みにする。ネギは勿体無いけど捨てることになるかな」
鉄鍋の縁にネギを押し付けてネギが吸っていた油を綺麗に押し出して、フライパンの中に戻し、ネギや鶏皮の欠片を全部綺麗に取り出してザルで漉す。すると驚くほど綺麗な油がボウルの中に溜まり始める。
「凄いね、それ」
「鶏脂って言ってな、中華料理とかに使う万能調味料さ。これで味が格段に良くなる」
油で味が良くなるって本当かなあと首を傾げているとカワサキは鍋で煮ていた瓶の中に鶏脂を入れて私の方に振り返った。
「美味ければ人は来るさ、じゃ、はい。これ」
「……また?」
カワサキが差し出してきたのはおろし金――スティレットより持ってるかもしれないそれを見て正直げんなりした。
「まただな。玉葱は基本的に何でも使う」
俺もやるからと言われては反論など出来る訳も無く、山のような玉葱の皮を剥き、水洗いをしてそれをひたすら摩り下ろす。
「そういえばさあ、シズ様とエントマ様大丈夫?」
「大丈夫じゃね? うん、多分きっとメイビー」
「めっちゃ不安に思ってるじゃん……」
魔法学校の食堂で料理をやれば良い勉強になるといって2人を送り出したカワサキだけど、黄金の輝き亭のミナも参加しているので大丈夫なのだろうか? という不安は常にある。
「シャドウデーモンがいるから大丈夫……だと思う」
「そこでやっぱり断言は出来ないんだね……」
今度時間があったら見に行こうと思い、次の玉葱を手に取り皮を剥いて摩り下ろす。これを1時間ほど行った所で、保存を掛けて冷蔵庫にしまう。
「んで次は?」
「これに塩胡椒とにんにくのすりおろしをすり込む」
「……これ全部?」
「全部」
「馬鹿じゃない?」
「……ちょっと思ってる」
ちょっとじゃなくてかなり馬鹿だよという言葉をグッと飲み込み、私はカワサキと並んでロフーレから買った牛腿肉にひたすら塩胡椒を振り、にんにくのすりおろしを揉みこむという作業を続ける。
「ステーキでも作るの?」
「うんやローストビーフって奴を作るんだよ。ステーキには似てるけど全然違うかなあ」
ステーキじゃないんだ。どんな風になるのかなと思いながらひたすらすり込み作業を続ける。
「手がめっちゃ臭い」
「それはすまんかった」
手を洗っても全然にんにくの臭いが落ちないんだけど……これは一体何の罰ゲームなのかと思わず思ってしまうレベルだ。
「アルミホイルをこれくらいの長さで切って2枚重ねておいてくれるか?」
「いいけど、どうするのさ?」
「これも料理に使うんだよ」
アルミホイルを? 一体カワサキは何を作るつもりなのだろうか? と観察しながらアルミホイルを切って2枚に重ねる作業を繰り返す。
「よっと」
カワサキはでかい鉄板に油を引いて、下拵えを済ませた肉を乗せて焼き始める。
(ステーキみたいだよね?)
普通にステーキにしか見えないんだけど……トングで肉を掴んで引っくり返し、焼き色がついたらまた向きを変える。これを6回繰り返し、全面に焼き色をつけたら火を弱火にして蓋を被せて蒸し焼きにする。どう見てもステーキの作業にしか見えなかった、本当に何を作っているんだろう? と見ているとカワサキは蓋を開ける。
「アルミホイルをくれ」
「あ、うん」
カワサキにアルミホイル渡すと焼き色の付いた牛肉をアルミホイルで包む。
「何してるの?」
「ローストビーフだからな、これで良いんだよ。後は肉の余熱でじっくりと火を通すんだ」
マジで? それで大丈夫なの? と不安に思いながらもカワサキが自信満々なので大丈夫なのかなあと思って見ていると、アルミホイルに包んだ牛肉を更に布団で包んでいる。
(え? 本当に大丈夫?)
カワサキの料理は何度も見ているけどこんなに不安に思ったのは初めてかもしれない。
「玉葱とにんにくのすりおろしっと」
鉄板の上にすりおろしたにんにく、玉葱を加え肉汁と絡めながら炒め、醤油や砂糖を加えて味を調えている姿を見ても、本当に大丈夫なのかなあっと言う不安は消えないのだった……。
ロフーレさんに頼んだチラシも効果を十分に発揮しているらしく、昼の鐘が鳴ると同時に冒険者組合の職員や冒険者が出てきたがローストビーフを見て、明らかに尻込みしている。
「赤……え? 大丈夫?」
「大丈夫だよなあ。お前行けよ」
「え? いや、でもなぁ」
レア肉という概念が余りないのでこの反応は十分に計算の内だ。包丁を手にして、牛腿肉を薄く薄くスライスする。
「ほい、頼んだ」
小皿に試食用のローストビーフを2枚ずつ盛り付けてクレマンティーヌに頼むと声を掛ける。
「OK。でも本当に大丈夫?」
不安そうに尋ねてくるが、俺としても大丈夫であると信じるしかない。食べてくれれば美味いと言うのは判って貰える筈だ、馴染みのない料理はまず食べて貰い美味しいと思って貰うのが大事だ。幸いローストビーフは大量にあるので試食をして貰おうと思っていると、クレマンティーヌの手にしているお盆から皿をひょいっと取る大男の姿があった。
「生肉……いや、燻製肉か?」
「あー確かアズスさんでしたっけ?」
「おう、ちょいと手が空いたんでな。顔を出しにきた、これか? 特別なランチって言うのは」
店が火事になる前にも尋ねて来た冒険者のアズスさんがローストビーフを口に運んだ。
「柔らかいな、それにかなり味が良い。うん、美味いッ!」
にっとアズスさんが笑うとクレマンティーヌの手にしている試食をくれと人が一気に集まり始める。
「助かりました」
「気にするな、俺は美味い物が食いたいだけだからな。だがまぁ、今回の料理はかなり挑戦的だな」
刺身を食った事があるから食ったが、奇抜が過ぎるなと笑ったアズスさんは用意してあった机の上に腰を降ろした。
「特製ランチとやらを大盛りで1つ」
「まいど」
炊き立てご飯を丼に盛り付け、しゃもじで全体を平らになるように整える。丼からはみ出るように円を描きながらローストビーフを盛り付け、中心にもこれでもかとローストビーフを乗せたらすりおろしにんにくと玉葱の特製ソースをたっぷりと掛け、丼の中心に卵黄を落とし刻みネギを散らす。
「ローストビーフ丼大盛り、お待たせしました」
アズスさんに丼を出した頃には試食を終えた人達が俺も私もと声を掛けてくる。その声に返事を返し、次の丼の準備を俺は慌しく始めるのだった……。
4ヵ国同盟とか言う面白いことをやり始めたと聞いてガゼフ達の顔を見に来たのだが、そしたら丁度カワサキの特製ランチというチラシを拾った。昼前で丁度いいと思い見に来たが、生肉に見える牛肉を提供するとは奇抜にも程がある。
「いただきます」
割り箸を割りローストビーフとか言ってた牛肉を口に運ぶ。一見生肉だが中までしっかりと火が通っている、その上柔らかく、塩胡椒のピリリとした味付けがまた良い。
(美味い)
薄いが物足りない訳ではなく、しかし厚すぎない。飯と共に食べるのに丁度良い厚さだ、炊き立ての米に肉汁とソースも絡んでいてローストビーフと良く合う。
「美味い!」
「本当に美味いな!」
最初はおっかなびっくりしていた面子も美味い美味いと声を上げる。見た目で足踏みしていて、本当に美味い物を食べないと言うのは愚の骨頂だと俺は思う。
「ふーふー」
ローストビーフが冷たく米が熱い。米の熱さで牛肉の脂が溶け、米に絡みおろし玉葱とにんにくの食べるソースとでも言うべきボリュームのあるソースと共に口に運ぶと甘辛い味が口の中一杯に広がる。丼を持ち上げ箸で勢い良く掻き込む米は熱く、肉は冷たいというおかしな組み合わせだが、これが不思議と口に運ぶと丁度良い熱さで食べやすくなる。
「……ほお、これは良いな」
半分ほど食べ進めた所で箸の先で卵の黄身を崩す。卵の黄色がローストビーフと米に絡み、それを口に運ぶと卵の風味と円やかさが加わり、味が大きく変わる。
「アズス殿、ご一緒しても?」
「おう、座れガゼフ」
俺の座っている席に腰掛けて相席しようなんて豪胆な性格な奴はそうはいない。顔を上げなくてもガゼフだと判り、そのまま丼を食べ進める。
「お、うめぇ」
「最初は生肉かと思いましたが、いやいや、これは美味い」
ガゼフともう1人は帝国四騎士のバジウッドか、4ヵ国同盟で一緒に行動していると言う話は聞いているが、こうして2人で行動しているのを見ると本当に帝国と王国の争いが終わったんだなとどこか感慨深い物を感じる。
「足りないな」
何時の間にか食い終わっていた丼を持ち上げ、カワサキにおかわりを頼みに立ち上がる。派手ではない、しかしその味はしっかりと計算された芸術とも呼べる一杯だった。
「んで、どうだ?」
「……まずまずですかね」
「は、4ヵ国を1つにするんだ。多少の齟齬はあるだろうよ」
ガゼフも俺が4ヵ国同盟なんて物が出来たと聞けば、様子を見に来ると判っていただろう。俺のように帝国と王国の争いがピークの時に冒険者になったものは、何が起きているんだ? と見に来て当然――そしてその道中で美味い物があるなら寄りに来るのは当然だ。
「アズス殿に頼みが」
「後にしろ、後に。美味い物を食っている時に仕事の話は聞きたくねぇ」
完全に誘い込まれているのは判ったが、それはそれ、これはこれと考えを変える。俺自身引退しているわけでは無いが、それでもかつての動きはもう出来ないだろう。それでも培った経験と技術は決して無駄にならない。
(俺の年代ならば集まってくるだろうな)
4ヵ国同盟とやらがどうなるのか、それを見に来る事は間違いない。今は一般的に流通している武技の開祖や怪我を理由に引退した者――それらが4ヵ国同盟がどうなるのかと見に来るだろう。
(面白くなって来た)
これから帝国と王国がどうなっていくのか、そしてスレインがどんな手を打ってくるのか……これから訪れるであろう激動の時代を想像し、俺は笑みを深めローストビーフと米を口の中に入れるのだった……。
(本当に大丈夫か?)
(大丈夫だと思う……)
ガゼフやバジウッドでさえもドン引きしている獰猛な笑みを浮かべているアズスを見て、4ヵ国同盟と大々的に発表したのは本当に大丈夫だったのかとガゼフとバジウッドが不安を抱く事になるのだが、そんな事を考えている時間もないほどにかつての名を馳せた冒険者達がエ・ランテルに集う事になるのだった……。
~おまけ シズちゃん&エントマ+ミナの食堂奮闘記 その2~
食堂のメニュー決め――それは短い時間で大人数に食事を回す為にさまざまなスキルや技量が要求される。黄金の輝き亭で忙しく働いていたミナもそれは知っている。ではランチの時はどうするかと言えば、基本的に大量に作れる物を作り、それをメインにしメニューを多くしすぎないと言うのが基本だ。
「こんなにメニューを書いて大丈夫ですか?」
しかしシズとエントマはそのセオリーを知らないのか大量のメニューを書いており、大丈夫か? とミナが尋ねる。
「大丈夫だよぉ? カワサキさーーんが良い物をくれたからぁ」
「……これ」
机の上に差し出されたのは固く固められた麺でミナは首を傾げた。
「なんですか? これ」
「……即席麺。これをお湯で茹でる……」
無造作に入れられた即席麺が数分で麺に戻る光景にミナは目を見開き、それをお椀の中に入れてスープを注ぐシズ。
「……はい、これで1つ」
「後これにカレーとかぁを入れれば即席麺だけでぇ~3つか4つはメニューをかさまし出来るよぉ?」
「凄い……」
これがあるだけでスープを複数作るだけで、それこそ地方の味などのスープを3種類ほど作れば色んな人に対応できるし、カレーと言うのは判らないけど、それだけで4種類作れる。
「トッピングでぇ、お肉を揚げたり焼いたりして~」
「……それを挟めば良い」
「ご飯に乗せるのぉ!」
「……パンが好きな人だっている」
「「うううーッ!!!」」
確かにすぐ喧嘩を始めてしまうが、シズもエントマもミナよりも料理の知識もバリエーションも多い。これは良い勉強になると思いつつ、今も頬を引っ張り合って呻いている2人を見てミナは無意識に胃を撫でているのだった……。
メニュー127 餃子へ続く
今回はこんな感じでシナリオを少し動かして見ました。次回からは定食みたいな感じで暫く料理のみを考えて見ようかシナリオを進めようかと色々と考えて見たいと思います。それでは次回の更新もどうかよろしくお願いします。
PS ウマ娘でSランク作れたのでもしもトレセン学園にカワサキさんを出すとしたら恐らくこの二択になると思います。
1 ウマ娘ガイドラインが怖いので、秋川理事長・たづなさん、ポンコツ理子さんの何れかがメイン
2 流行のあべこべウマ娘INカワサキさん
になるかもしれません、ですが執筆する予定はいま現在ありませんのであしからず。
やはりカワサキさんがオラリオにいるのは……
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間違っている
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間違っていない