続けるよう努力しますので今後も宜しくお願いします。
彼女が、ラウラ・ボーデヴィッヒ大尉が伝えられた病院は都内にある総合病院の一つだった。聞いた話によると保安部員の大半はこの病院が掛かり付けらしい。何でもとある保険に入っているとこの系列の病院を案内されるという。かつては自衛隊病院の名を冠していたという病院には、軍隊という空気は存在していない。軍で生まれ、軍で育った彼女からすれば、言い様のない違和感として感じられた。有るべきものの存在しない、歪な空気。国務総省の広報紙も、各保安部、警察の広報紙も存在するのにそれよりも大きく自らを主張するのは、IS搭乗者を一面で飾る国家安全保障局の広報紙だ。一面には「我々とともに」と記されている。それを見たとき己が自嘲していることに気がついた。
あのとき前線で身を持って戦ったのは
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」。この国にある言葉の一つだという。彼はあのとき、身を流れに任せたのだ。思考の放棄だと言われようと、それが最善だと信じて。自分が何を撃ったのかも知った上であの男は身を流れに任せたのだ。ふと声が聞こえる。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
まだ小さい子だった。どうして泣いてるの? と聞かれたとき彼女はようやく自分が泣いているのを理解した。なぜ泣いている? いや、わかっている。あの日、墜落したあの男は直ぐ様病院に搬送された。私が撃ったナノ・テルミットで死にかけたのだ。文字通り生死をさ迷った。
「だいじょうぶ?」
心配しくれているのか、その子は不安げな顔を見せる。そんな小さい子に心配させるわけにはいかない。涙を拭いて言葉をかける。
「大丈夫だよ。私は、大丈夫」
何より自分に言い聞かせるようにしながら彼女はその子の頭を撫でる。安心したのか笑みを浮かべたその子は笑って親のもとへ駆け出した。果たしてあの男はさっきの笑顔を守ったのだろうか。とりとめのない考えが頭をよぎる。
子供が笑い、親が悩みの顔を向け、放送で患者の名を呼ぶ。白い清潔感に溢れたこの病院で彼女は独りだった。
受付で名前と訪問相手、訪問理由を書き込み呼ばれるのを待つ。何度か訪れた病院の構造は既に頭に入っている。渡されたカードにはキーとしての役割があり、駅の改札のような構造のゲートを潜らねば病棟へは入れない。センサー部にカードをかざし、入棟許可を示す電子音がなるのと同時に開閉式の扉が開く。人感センサーのためか、煌々と光っている蛍光灯は硬質で暖かみがあまり感じられない。まるで入ろうとするものを拒絶するようだと彼女は思った。若干気圧されながらも、なんのためにここまで来たのかと思い直し足を踏み入れた。
夏休みはまもなく終わりを迎える。それでもじりじりと降り注ぐ炎天下の日差しが外を見下ろしているのに建物の中は空調が聞いている。27℃にセットされた空調は学園施設内全てにおいて共通だった。そんな学園のシャワー室の一つでは生徒会長が頭から熱湯を被っていた。
「なんて顔をしてるのかしらね」
小さな呟きは降り注ぐシャワーに吸い込まれる。今の自分の顔は酷いという自覚があったが鏡に映る自分はそれよりも遥かに酷かった。
IS学園では臨海学校で発生した全ての事態は箝口令が敷かれている。世間的になにもなかったことになった。あれほどの死傷者を出しながらも全てなかったことになったのだ。
米軍ISの暴走は搭載した光学兵器の誤作動により内部爆発により墜落、落とされた航空機はその爆発で発生した電磁パルスで制御不能。日本の沈んだ護衛艦はその電磁パルスで誤作動したミサイルの誘爆と大戦期に投下された機雷回収作業中に偶然発生した電磁パルスの影響で護衛艦が回収していた機雷が爆発、ミサイルに誘爆し炎上した。護衛艦のミサイル発射は火災炎上中の護衛艦の自沈処分のため。そんな苦し紛れにも程があるような言い訳で突き通された。
戦闘機に護衛艦のミサイルの制御は電磁パルスで制御不能になるほど脆弱ではないといわれれば想定以上の出力だったとして押しきり、内部に積んだ機雷の爆発でミサイルは誘爆しないし、それで船は沈むなどもっとあり得ないという最もな指摘は、でも沈んだんだからしょうがないと開き直って、あとは表沙汰にしたくないアメリカ政府と歩調を会わせ開発元であるアメリカの企業から呼び寄せた技術者と運用員、この場合海上保安部の隊員だが彼らの言質と難解極まりないテクニカル用語の羅列で強引に幕引きを図ったのだ。最新鋭のミサイル護衛艦が出てきたのは近くに新型機雷捜索機械を積んでいた唯一の護衛艦だったからで、数隻一緒にいたのは新たな護衛隊群の編成訓練があったから、そのタイミングで電磁パルスが発生してそれに巻き込まれ護衛艦が沈むなど不幸な事故で再発防止に努める―云々。
実際、ナノ・テルミットの爆発で広域に電磁パルスが発生していたのは間違いなかったから、この点は押しきり易かったのだ。何度かひやりとさせられたものの二週間もすれば世間の興味から外れていった。今では有名アーティストの不倫疑惑がメディアを連日賑わせている。結局、護衛艦が浮かぼうが沈もうが、戦闘機が落ちようがミサイルを放っていようと関係ないといいれる無関心さが幸いした形で緩やかに記憶から風化しつつある。
情報の隠蔽というより事態の隠蔽。国がまとまればそこまでできる。起こったのが太平洋の沖合いと来れば隠蔽は楽だっただろう。それは国務総省という仮に過ぎない器の底力で、何よりも今の政権に対する威圧だった。
そのなかで更織は完全に蚊帳の外に置かれたのだ。これ以上ない屈辱だった。要は国務総省からすれば更織など信頼に値せず。その一言で済むのだ。あれほどの死者の前になにもできない自分に専用機持ちの誇りなどなんの意味を持たなかった。
聆藤は自分が夢を見ているのを自覚した。
青く晴れ渡った空。足元には草木が生い茂り、風は穏やかで遠くに雲が流れているのがわかる。なのに全く生きたものの気配がない。風が生い茂る樹木や草を揺らす声さえ聞こえない。遠くに誰かいるのか影が見えた気がした。いやいたのか、どうか分からない。既に影はなく青かったはずの空は真っ黒い雲に覆われた。小雨と言えたのは降り始めだけであとはバケツをひっくり返したよう以外に表現が見つからない程で思わず顔を拭うが水はない。
誰かに呼ばれた気がして振り向く。後ろにいたのは見覚えのある影だった。なのに顔がない。いや全て人の形をした影だった。
後ろに誰かいる。それを感じて振り向くとそれは女性の影だった。影が声を発する。
「こんなところで何をしているの?」
「何って。ここはどこだ?」
恐怖より先に染みわたる声に聆藤は何故か答えていた。
「本当はわかっているのでしょう。自分が何をしたのかも」
「何を、何を知っている?」
問い返す声には力がない。たがら漬け込まれたのかもしれない。
その直後、世界が切り替わる。揺れていた草が無数の木が群がる森林に覆われる。雷が豪雨と共に降り注ぐ。瞬く間に足元には小川が出来上がり、落ちてきた雷が火災を巻き起こす。過酷な自然環境のなかで手に見覚えのある武器を持って、どうやら完全武装らしい姿で沼地に身を潜め、草木の中を匍匐する。対象を探し回るそれは公安警備局SIF(特殊要擊任務部隊)の特別訓練が繰り広げられていた。
「よく見ておきなさい。あなたが受け入れたはずの事実。ならもう一度だって受け入れられるでしょう」
囁かれる言葉は聆藤を縛り上げた。目を背けることを許さない強固な意思で、やめろと拒絶する聆藤を無視する。
極限状態を想定し、昼夜を問わない行軍、実弾を使い1日分のみの食料を与えられ一週間以内に対象を捜しだし、殲滅する。暴力と自制心の祝福されざる結婚の先に恐怖と苦痛を飲み下し、感情を制御する術を叩き込まれるキャンプのなかで一際実戦に準じたそれは人間を追い込み出来ることと出来ないことを力ずくで教え込むカリキュラムだ。
一瞬たりとも気が抜けない、過度のストレスを与えられた精神と肉体は、いくつもの苛烈な訓練を乗り越えてきたはずの隊員たちの神経をさえも確実に蝕みつつあった。その仲でも聆藤彰等という名を呼ばれた影は隣にいる、杉浦と呼ばれる影の様子がおかしいことを感じ取っていたし、それを強く危惧していた。まわりも同じで河村明日香という名を呼ばれた影は、もはや警戒という言葉では言い表せないほどに、目に恐怖があった。
例えば、深夜の行軍で植物の蔓に足をとられ転んだとき、杉浦という影の様子は尋常ではなかった。全周囲に向けて肩からかけた銃器を振り回したその目には少なくとも聆藤には狂気を見た気がした。そのときは分隊長を任されていた聆藤という影の叱責で我に帰ったが後ろにいた女性の影は銃を杉浦に向けていたのだ。それはひとつの切っ掛けとして辛うじて押さえつけられていた鋼の自制心を押し退けて隊員たちの精神に不協和音が流れ始めていた。
そしてその杉浦の精神が限界を迎えたのはよりにもよって強攻突入という考えうる限り最悪のタイミングであったのだ。
施設の北と東と南という三方から包囲し、狙撃は西側の木の上に展開。タイミングを計りつつ匍匐で前進し、対象の施設に軍事目的用の
投げ込まれた
名前を呼ばれた影は名前を呼んだ影の方を振り向き銃を向ける。しかしその影はすでに狙いを定めていた。それを見せられた聆藤はやめろと絶叫する。それが聞こえたそぶりもなくその影が引き金を引いたのがわかった。グロッグ17から発射された銃弾は寸分の来るいなく、杉浦の影の眉間を正格に撃ち抜いていたのだった。唖然とするまわりの隊員の目線から逃れるように先ほど撃ち抜いたままの姿勢の影には銃口から硝煙が風に運ばれ、その向こう側には感情の抜き取られたガラスのような瞳の聆藤という男がいた。
聆藤はそれを呆然と眺め、その場に崩れ落ちた。
それと同時に再び世界が変わる。真っ白な、ただ白い世界。
「貴方はここにいた。あのときも、今も」
「そう。俺はあのときここにいた」
独白の重さに反して後ろの女の影の声は軽い。
独白を続ける聆藤の周りにはもう誰もいない。孤独な世界で聆藤は懺悔する。
「あいつを助けるために。なのに……。
あれが俺のいた場所。守るために、助けるために、そんな
その直後、聆藤はどこからか押し寄せた濁流に意識を押し流された。
気が付いた時には聆藤の意識は覚めていた。真っ白で非人間的な天井と無粋な蛍光灯二本が部屋を照らしているが、部屋に自分以外の人間の影を感じて聆藤は首を動かそうとした。だが、思いの外言うことを聞かないと悟って動くことをあきらめた。目だけを横に回す。底には椅子の背もたれにもたれ掛かりどうやら眠っているらしい銀髪の少女がいた。
誰というのはすぐわかったというより、思い当たる知り合いは一人しかいなかった。だから疑問を感じのはなぜここにいるのかということだった。うつらうつら船をこいでいる彼女を起こすことは躊躇われた聆藤はそのままにしておくことにした。
それは配慮と再び強い眠気に引きずられたことによる消極的な行動の末だった。
いまさきほどまで見ていた夢に聆藤は思い起こす。あの女は誰だったのか。どうやら考える時間はまだあるらしいと見た聆藤は再び眠りにつく。
時計だけが時を刻み、緩やかな世界を作っていた。
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