周回軌道上での妨害を振り切った織斑一夏たちは
まもなく、誘導電波に従い最終減速を始める予定だったが、その前に更識簪は、自機から索敵用のプローブを放射状に放った。減速しているが、プローブにも推進器がついているため、先行観測に十分な加速が可能だった。ただし減速は不可能だから観測を終えたら回収は不可能で、月を通り過ぎて地球を回るデブリになるしかない。
やがてプローブからの先行データが送られてきた。
「……多分大丈夫、だと思う」
更識簪は遠慮がちにいった。織斑一夏が転送されたデータを見ても不審なものは表示されていなかったが、織斑一夏はかすかに違和感を感じた。何か、大切な何かを見落としているような気がしたのだ。
「どうしたの、一夏? 何か気になるものでもあった?」
「……何でもない。そういえば、このまま減速するのか?」
「そうだけど、どうしたの?」
迷いを振り切って織斑一夏は打ち上げ以前からの疑問を聞くことにした。
「月に何があるんだ? 一部が砕けて小惑星帯ができてるし、シャルやラウラにセシリア、それに聆藤もどうしたんだ」
──仕方ないことだった。
鳳はそう言おうとして、言うのをやめた。意味がなかったし、それ以上に軌道上で待ち伏せをしてきた敵がこのまま済ませるはずがない。情報漏洩の原因を探すのは基地に帰った後でいい。それよりも次の攻撃が気になった。攻撃終了直後にこちらの増援が射出したことと、敵の予想軌道も地上からのレーザー通信で受け取っていたから、再度の会敵はないと思われたが、攻撃がないと断じるには早計だった。
「一夏、気を抜かないで」
次の攻撃があるとすれば、自立型の無人兵器と思われた。先の攻撃でいくつかのセンサ群に加えて、通信系装備が不調を伝えていたから、奇襲を回避するために各機の索敵システムを統合する必要がある。自己修復が完了するまでの間、応急的な対応として、更識簪が自機の通信システムの内部に緩衝領域を自作し、情報リンクを構築していた。それでも索敵には巨大な穴があった。それは次第に近づく月そのものだった。月の周辺には、砕けた月のかけらに加えて、放棄された人工衛星や航宙艦の残骸が多数のデブリとなって月との相対速度を維持したまま浮遊しており、人工物が自然物と入り乱れている。そのため、電磁波封鎖を完全にして極度の低温に保たれた無人機との見分けがつかない。安易に接近すると逆撃をくらう恐れがあるから気が抜けなかった。
その緊張感は織斑一夏には通じていない。それが腹立たしいとも感じたが、もとより織斑一夏はそのような人間だったし、そうた部分に惹かれた自分を否定できず、凰は重ねて注意することを躊躇った。
「リアピー・クレーター? に何かあるのか?」
それでも会話に応じる余裕は誰にもない。凰がハイパーセンサで改めてアクティブセンシングを行った直後だった。
軌道前方に向けていた赤外線センサが強烈な反応を示していた。進入軌道上に伏せていた機雷が爆発したのだ。それも複数発の機雷が連鎖して爆発していた。予想される爆散円の範囲を確認した。結果は直ぐにでて、全員に共有された。
「近すぎる……アクティブセンシングを検知されたんだ」
更識簪が呟いた。
飛散する爆散塊から無理に逃れようと軌道を変更すればリアピー・クレーターにある基地のマスキャッチャーに進入できなくなる。ISのシールドで受け止めても、その運動エネルギーをすべて殺せるわけではない。軌道は変更される可能性は高く、加えて先の戦闘でエネルギーを大分消耗していてたから、撃破される恐れも否定できない。
減速中はエンジンの中心軸がぶれる可能性を考えれば、絢爛舞踏も行えないから残余のエネルギーが少ない。しかも戦闘時に強引に加速したため推進剤の残量が乏しく、フライバイしての再加速・再減速すら困難だった。
織斑一夏は特にその可能性があった。織斑一夏のエンジンは戦闘で損傷して、四基あるメインノズルの出力比が不安定な状況に陥っていたため、白式本体の制御機構でエンジンの出力バランスの制御をしていた。今では制御不能には陥っていないが、更なるダメージを受ければ、制御できなくなると思われる。
──駄目だ……このままでは間に合わない……。
篠ノ之箒は低くうめいた。
着弾まで十秒程度しか残されていなかった。
かすかな眩暈を感じてボーデヴィッヒ中将はこめかみに手をふれた。頭の芯がとてつもなく重たく、考えが纏まらなかい。だが、記憶領域の異常とは思えなかった。定期的な検診は書かさなかったし、精神的な問題はなかった。あるいは最近行った情報の更新が何らかの不具合を起こしている可能性もある。
次々と情報の更新が連続するばかりで、メンテナンスが不十分なものだから、妙なノイズが走ることもあった。メンテナンスが出来ないほど忙しいのは事実だが、艦隊司令官としてはそのようなトラブルは許されない。
──大きなトラブルが生じる前に、一度徹底的なクリーニングをするべきかもしれない。
幸い、艦隊参謀長は長い付き合いで、互いのことをよく知っているため、意思疎通に問題はない。
そんなことを考えながら、ボーデヴィッヒ中将は専用の端末を立ち上げて、脳外記憶を更新した。一瞬で大量のデータがやり取りされ、抜け落ちていた情報が補完された。
彼は身震いした。なにか、自分ではないなにかが全身を駆け抜けたような、異様な感覚があった。だが、さっきまでの頭痛は消えていた。それでようやく、改めて情報を検索する気になった。
ボーデヴッヒ中将は、データを一つ一つ洗い直すことにした。艦隊旗艦のオライオンには宙域ごとの詳細な
すでにボーデヴィッヒ中将が指揮する艦隊は敵の支配宙域に侵入しているのだ。わずかな違和感が艦隊のダメージにつながる可能性もある。油断はできない。
だが、丹念な検索でも敵艦隊の兆候は見当たらなかった。ボーデヴィッヒ中将は息をついた。敵との会敵予想はまだ先だ。今から神経が張り詰めていたら、とてもではないが身が持たない。それに艦隊司令官があまり神経質なのは司令部の士気に影響するかもしれない。ボーデヴッヒ中将はそのように考えたが、奥に絡み付くような、引っ掛かるような感覚は消えなかった。
ボーデヴィッヒ中将は自分を呼ばれた気がして顔を持ち上げた。
「なにか言ったかな?」
艦隊参謀長の聆藤少将だった。聆藤少将は少し回りを見回してから心配するように言った。
「顔色が悪いようですが、少し休まれた方がいいのではありませんか?」
「そうかな? 自分では気がつかなかったが……」
「当直のローテーションを決めたのは司令官ですが、その司令官がローテーションを無視していますから。私たちは替えが利きますが、司令官は替えが利きませんから」
それに我々のためにも休息をおすすめします、と続けて聆藤少将は笑った。昔から変わらない気を使うときの微笑みだった。
「……確かにそのようした方がよさそうだ」
気がつかないうちに聆藤少将以外にも察している参謀もいるのかもしれない。
──ひとまず、自室に引き上げようか。
考えた結果、そう結論した。だが、その前にもう一度情報を更新しておきたかった。心配性だと言われるかもしれないが、艦隊司令官としての自覚がそれを許さなかった。
更新された情報は先程までと
ボーデヴィッヒ中将から引き継いで、端末の表示を確認していたほとんど同時に聆藤少将が参謀達に指示を飛ばした。
「周辺状況を報告! ロジックを切り替えて過去のデータを……」
だが、言い切るより早く、通信担当の下士官が声をあげた。
「アクエリアスより入電中! 『軌道上前方に新たな重力震源を探知』データを回します」
その一瞬で更新されたデータを認識して、ボーデヴィッヒ中将は頭のなかが真っ白になった。
──なぜ、突然観測されたのだ? しかも前方を進んでいるセンシングピケット艦や情報収集艦ではなく、艦隊の中心にいる戦闘艦の直接観測で観測されたのか。
だが、考えている暇はなかった。総員配置を命じて、騒がしくなった指揮所でボーデヴィッヒ中将は聆藤少将を見た。少し落ち着きたかったのかもしれない。だが、聆藤少将は「あり得ない」と呻いて、顔を真っ白にして端末のデータの羅列を流している。
その直後、ボーデヴッヒ中将に転送されたデータには局所的な強烈な重力勾配の異常な数値が観測されていた。
「……
ボーデヴィッヒ中将はその言葉が残り、オライオンは激しく震えた。
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