この日、東京国際空港、即ち通称羽田空港は例年の三月中頃並みの警備体制が目に見えない形で行われていた。ただ見ただけでは、わからないが四つある空港警察機動隊のうち、通常警備を行うのは一個だけだが、この日は三倍の三個の機動隊が動員されていた。八年前、再建ではなく、新築された発着ロビーに降り立ったのは赤地に四つの小さな星と、一つの大きな星で描かれる国旗の国だった。
「久しぶりの日本ね。ようやく一夏に会える」
嬉しそうにそう述べる小柄な少女の周りには襲撃に備え、拳銃を装備した私服警官が周囲を油断無く警戒している。少女の隣にいるのは駐日中国大使館の外交官とくれば警戒体制と現場の緊張は、どうやら比例関係にあるようで否応にも跳ね上がっていた。飛び交う無線も一気に数を増しているのだろう。
東京国際空港は『白騎士事件』に端を発する、世界に蔓延していた不穏な空気において最初の火種を作った場所でもあった。九年前の夏、『羽田発の悲劇』と呼ばれるその事件はその後の世界情勢を一変させ、辛うじて保たれていたバランスが決定的な破綻を引き起こした日だった。
当日、東京国際空港の発着ロビーに降り立ったのは中華人民共和国から呼び戻されていた駐日特命全権大使だった。『南シナ海ガス田問題』に端を発した日中関係は、悪化の一途をたどっており、尖閣諸島でも日本の海上保安庁と中国の海警局との熾烈な駆け引きが沈黙の中で行われていたタイミングだった。前年の発生した「『白騎士事件』の影響」が名目だったが、大使の帰国指示は日本にとって大きな圧力と感じていた。アラスカ条約調印を常任理事国で最も強硬に唱えた中国とは、国交断絶一歩手前とさえ言われた当時の日中関係は東西冷戦時代のキューバ危機に等しいとさえ言われるほどの空気だったのだ。中国は民間の窓を完全に閉鎖し、外交部高官のリークとして報道関係者に流れた「対日資産の全面凍結」及び「
国民は感情的反発から以前中国で行われた反日暴動と本質的には変わらぬことを行っていた。街頭宣伝車を大使館前の十字路に乗り入れ、声高にシュプレヒコールを行い火をつければ、あとは勝手に燃えていくという寸法で、それに載せた方も載せた奴だが、それ以上にあっさりとのせられる側にも問題があったのだろう。事件が起きても、対岸の火事としかとらえず、『臭いものには蓋』精神で目に見えるまで放っておくという如何にもな日本人らしさはしっかり発揮されていたといえる。移ろいやすい感情の悪化は避けられず、警察は日に日に増大していく反中事件を押さえ込むのに必死になっていた。連日数万人規模のデモ隊が駐日大使館や駐日領事館を包囲する事態に至っており、ウィーン条約―即ち1961年ウィーンで締結された外交関係に関するウィーン条約及び1963年の領事関係に関するウィーン条約―に抵触しかねないと警察も自衛隊も政府も、暴動に発展しないよう目を光らせていたのである。
それ故に、羽田の警備は主要国首脳会議に準ずる警備が行われていた。まだ勢力を保っていた警察庁警備局指揮の元、警視庁機動隊を中心に警備が敷かれていた。動員された機動隊は第一、第四、第六、第八機動隊、そして特別車両隊を中心に警視庁公安部公安機動隊で空港敷地内を警備を行い、後方警備として埼玉県警、神奈川県警の機動隊と関東管区警察局管区機動隊が投入され、成田空港闘争における『東峰事件』の時の行政代執行を越え、合計で六千四百人の警察官が参加したことから後に『師団警備』と揶揄され、警察庁長官の「総力戦」発言そのままに史上最大の大規模警備への発展に至っていた。この時、成田国際空港や関西国際空港、原子力発電所、官公庁などの主要な空港やテロの予想される箇所には要所要所に警察が配備され、さらに自衛隊にも三度目の治安出動待機命令が発令される事態となるなど、日本は異常な空気に支配されていた。
この時、中国大使の死傷を一番恐れていたのは日本政府ではなく、米国政府とロシア政府だったであろう。日中の実質的な後ろ楯として―日米安全保障条約及び半年前に締結されたばかりの中露相互防衛条約という―第三次世界大戦を引き起こしかねない火中の栗となりつつあった日中両国に対して、
そんな最も万全に近づけたという時の警察庁長官の発言にふさわしい警備は集まった十万人にのぼる群衆を、完全に東京国際空港に一歩たりとも入れていなかったが、火の手が上がったのは意外なところだった。
午前八時七分、衆議院の議員会館で与党幹事長宛に送られた小包に同封されていた手紙が突如、爆発したのである。爆発事態は小規模で手紙を開封した秘書が負傷したのみで済んだが、警察は陽動の一言で切って捨てた。その考えは間違いではなかったが、典型的な手紙爆弾と言えたこの事件は、その後の『羽田発の悲劇』の号砲だったといわれている。
第二撃は地下鉄だった。地下鉄丸ノ内線、日比谷線、半蔵門線などといった地下鉄の主要な駅に爆弾を仕掛けた、という脅迫は、時節柄一笑に付すことができず、警察による捜索が行われた。しかし、発見できず徒労に終わったいえる。しかし、この通報に川崎コンビナートに展開していた機動隊が投入されたことは本命に大きな影響を与えたのである。
警備が厚くなるのなら、薄くなるところもある。本命の第三撃は東京湾の扇町火力発電所だった。扇町火力発電所は、旧国鉄時代は関東圏を走る国鉄路線の鉄道電力の大半を供給していたという火力発電所で、現在は旧国鉄東日本路線を後継したJR東日本の川崎火力発電所と呼ばれるそれは、現在に至っても首都圏の鉄道電力事情を賄う重要な要石といえた。この発電所に爆弾設置の脅迫が届いたのは、午前八時四十三分だった。当然の地下鉄と同じように警察への通報が行われ、最寄りの鶴見警察署から派遣された警察官が捜索に当たるが当然、中の職員は避難するわけで誰も中にいない、警備が警備を行わない侵入が非常に容易になる致命的な瞬間が生まれたといえる。
午前八時五十四分、約三十分前に大使が到着して貨物機に限り離着陸の再開が許可され羽田へ到着しつつあった無関係な東国航空295便が臨海部を眼下に眺めながら着陸体制に入る直前、既に停止の指示を出していた火力発電所へ天然ガスを供給するために縦横無尽に駆け抜けるパイプラインが寸断を示す異常な圧力低下を検知した。しかし監視すべき職員は避難の最中で誰も居らず、非常停止装置も停めるものが居なければ意味はなく、自動停止装置も既に停止させたのだからと手動に切り替えていれば止まる筈もなく、あっさりと侵入と寸断を許したのだ。寸断されたパイプからは高圧に圧縮された天然ガスが吹き出し、35度の高温に曝されたアスファルトの上では引火は時間の問題で午前九時ごろ遂に大爆発を引き起こしたのだ。
爆発は瞬く間に、パイプラインを遡り真ん丸い形をしたうす緑色のガスタンクに到達した。3,11に経験した爆発に匹敵する爆発がガスタンク類を襲いガスタンクはなす統べなく次々に倒壊とそれに伴う誘爆を重ねていった。3,11以降、頑丈に設計のやり直しと、ダンパーの強化、地盤への杭打ちを行ったというそれは、爆発のエネルギーからすれば容易に引き千切れる物だったらしい。
立ち上がった黒煙はキノコ雲を作り上げ、ガスタンクの鉄片やアスファルトの欠片をまとめて吹き飛ばし七百メートルを越えるところまで撒き散らしたのである。当然それは横方向だけではなく、縦方向にも飛ばしていた。それは丁度空港に侵入しつつあった東国航空295便に致命的な損壊を与えたのである。
バードストライクというそれは、高速で回転するジェットエンジンに鳥が吸い込まれエンジンを損壊させる事故で、一歩誤れば墜落の危険の高いものでよく空港職員が、滑走路で鳥の威嚇を行うのはそれを避けるためだ。そのバードストライクを現象を、鳥より重く、鳥より大きい破片で引き起こしたのだ。吸い込んだ航空機は当然、吸い込まれればエンジンを内側から破壊を受けると、四基あるエンジンのうち一番左側にあったエンジンは一瞬で機能を喪失しバランスを崩したのだ。勿論、通常なら一基エンジンが死んだところで一回の緊急着陸は行えたはずだが、場所が悪かった。着陸寸前でバランスを崩した機体は、直後に真下から突き上げられた上昇気流に突き上げられた。一瞬機首を上向きにした機体は速度が低下した状態で、迎え角が失速迎え角に到達してしまい、失速を起こし制御不能に陥ったのである。そのまま、羽田空港への滑走路へ不時着を試みたが、制御不能な機体は滑走路へおもいっきり叩きつけられ、旅客ターミナルへ突っ込んだのだ。丁度、日本に入国直後の中国大使を巻き込んで。
突入してきた機体は、突入と同時に機体としての原型をとどることができず、爆炎を撒き散らした。搭載されていた燃料と、ターミナル内部の可燃性の物を巻き込んで大炎上を引き起こしたのだ。さらに、駐機していた機体を巻き込んで爆発すると、手の施しようがなく、東京消防庁は、鎮火ではなく、延焼阻止に全力をあげることになる。突入を受けたターミナルは吹き抜け構造の六階まで到達すると激震となってターミナルを襲った。窓ガラスは内側から炎によって破られた。一瞬で酸素が消費し尽くされたターミナル内部の警察官たちは肺が焼ける苦しみを感じるような間もなく焼け落ちていった。警備本部の置かれていた最上階も地獄であり、ここは火の直撃をわずかに免れたが、それこそが地獄だったのだろう。僅かな時間をいきる権利を与えられた彼らはその代わりに、肺が焼ける地獄の苦しみを味わった。炎は全てを焼き払い、美しかったターミナルはまさしく灰塵に帰したのである。死者行方不明者合わせて三百五十人を越える大惨事をまねいたのである。
この事件の結果、日本では海上警備行動が発令され自衛艦の出動がなされ、中国は北洋艦隊の空母遼寧が出動となり、南シナ海は一触即発の事態を招いたのである。この事態が収集されるにはアラスカ条約の締結を待たねばならない。さらに犯人は過激派の生き残り、という公式発表では怪しまれるのも当たり前だった。仮にも既に壊滅的な打撃を受け東西冷戦時代の遺物に過ぎない過激派が監視の警察を出し抜いてテロを行うだけの組織力は無く、目的さえあやふやでは疑惑の目は最も特をした人物に向けられることになった。即ち、各国政府である。この時、日本の公安組織は全力で反体制危険人物を監視しており、それを出し抜いてテロを行うことが出来るのかという疑問は事件当時からあったのだ。だが、多くの人が、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』の精神を発揮した結果、疑問は陰謀論扱いされるにとどまった。
いずれにせよ、この世界中にショッキングな映像を撒き散らした、この事件は面子を真正面から潰された日本と、上手く日本へ要求を押し付ける事に成功した各国の筋書き通りに事は進んでいったのだ。この事件は日本警察最大の汚点であり、大きなトラウマを残すことになる。
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