陽が殆ど落ちた空を見る。
「……小梅殿ー。」
幸子の家を逃げるように後にした芳乃は、携帯電話に向かって語りかけた。
『うん……どうした……の……?』
握り締めた携帯から小梅の声。
芳乃は見誤った。
誰が問題を抱えているかを見誤った。
何を優先するべきかを見誤った。
「単刀直入に申しますー。
先程幸子殿のお宅に伺いましてー。
そこには幸子殿以外に気配は無くー。
しかし幸子殿は、まるで御両親がいらっしゃるように振舞っておられましたー。」
小梅ではない。
優先するべきは、輿水幸子。
『…………幽霊は、居なかった……ってこと、だよね。』
小梅も幸子も、等しく問題を抱えていた。
小梅の方は、まだ見て見ぬフリができる。
だが、幸子はそうではなくなった。
芳乃は明らかにそれを指摘してしまった。
輿水幸子の問題は、顕在化したのだ。
「はいー。そのはずでしてー。」
故に芳乃は策を練る。
白坂小梅の問題を潜在させたまま、しかし解決に手を貸してもらうために。
それを許さないだろう存在を説得するために。
「あの子」に邪魔をさせないように。
『幻覚を見てる……って、こと……だよね。』
芳乃は小梅の発言を誘導する。
自分が最も会話を交わしたい存在と出会うために。
その存在が言葉を発することができる状況で、自分の目の前に現れてくれるように。
そうしなければならないように。
「……恐らくはー。」
小梅は幻覚という言葉を口にする。
それは「あの子」が芳乃達に危害を加えようとした理由。
小梅に幻覚という言葉を近付けさせないために「あの子」は行動していた。
しかし小梅は今、はっきりと口にした。
「幻覚」と。
「今一度、お聞かせ願えませぬかー。
そなたが知り得る限りの、幸子殿についてをー。」
行動しなければならない。小梅のために。
封じなければならない。この口を。
行かなければならない。芳乃の元へ。
依田芳乃は小梅にとって害ある存在なのだから。
『うん……。今からでも、いい……?』
しかし。今ではいけない。
芳乃は小梅と電話をしている最中だ。
その状態の芳乃に接触すれば、小梅は何らかの異常に気付く可能性がある。
可能性がある以上、まだ「あの子」は動けない。
仕掛けてくるのは、この通話が終わった時。
「はいー。そなたの寮でよろしいでしょうかー。」
だからこそ、芳乃は神経を集中させる。
何処から襲われてもいいように、全方面の気を読む準備を整える。
『うん……じゃあ……待ってる、ね?』
「あの子」は既に警告した。
これ以上関わるならば危害を加えると、あの時確かに警告した。
それを理解したが故に芳乃は引き下がった。
理解したという意思表示のために。
「はいー、それではまたー。」
次は本当に危害を加えるだろう。
今回は警告では済まないだろう。
何故なら小梅は確かに言った。
「幽霊は居なかった」。
「幻覚を見ている」。
これら全ての発言は、小梅の真実に直結する。
「あの子」は思うだろう。
依田芳乃は全てを知った。
知った全てを話すつもりだ。
白坂小梅の幻想を、終わらせるつもりだ。
『うん……また……。』
そう思わせるのが芳乃の作戦だ。
そう勘違いさせる必要があったから、芳乃は発言を誘導した。
あたかも自分が、白坂小梅の問題を解決させようとしていると。そう錯覚させるために。
携帯から少しの雑音。
耳元から携帯を遠ざけた音。
小梅は通話を切ろうとしている。
切った瞬間が開始の合図。
息を止める。
耳を澄ます。
神経を張り巡らせる。
全方向の気を読み続け──
ぷつん。
──来た。
「……っ!」
その場で身体をひねり、後方から高速で飛来する何かを避ける。
勢いに身を任せ、くるりと半反転しながら目でそれを追う。……こぶし大の石ころ。
当たれば打撲では済まないだろう。
「……そうして必死に偽って、何の意味があるというのですか?」
二射目。
回転の勢いを止めないまま右腕を大きく振り、遠心力を増大させる。
その流れに逆らわず、軸足でない方の足を大きく広げる。
「分かっているのでしょう? あの者はもう、それを望んでなどいない。」
脚が半円を描いたところで、地に着ける足を交代。更に半回転。
飛来物が着物を掠めた。
「知っているのでしょう? 輿水幸子に憑いた幽霊の正体を。」
三射目。
先程の避け方から学習したのだろう。
芳乃が描ける円の全てを塞ぐように、数個が一斉に飛来する。
「気付いているのでしょう? 向き合う時が来たことに。」
やはり回り続けるまま、軸足の膝をつき、もう片方の脚を目一杯に伸ばす。
片方の手のひらを地に這わせ、上体を低く。
凶器が芳乃の髪を撫でた。
「回避したいだけなのでしょう? あの者が苦しまなければならない現実を。」
四射目……が、来ない。
数瞬遅れて、世界が音を取り戻す。
風になびく木々の音。少し時期には早い虫の声。近隣住民の談笑が遠い。
しばらく警戒したままでいると、「あの子」の気がゆっくりと近付いてくる。
芳乃の目の前に、気配がゆらりと現れた。
それを見て、芳乃は身体の緊張を解く。
その殺意に、真っ向から視線をぶつける。
「……助けてほしいのでしょうー? 他ならぬ小梅殿をー。」
真っ黒な「あの子」は、ゆっくりと芳乃へと歩み寄る。
芳乃は微動だにせず、ただ見つめ続ける。
「あの子」の手は芳乃の着物の袂に入る。
それが引き抜かれると、芳乃の携帯が宙に浮いていた。
「どうぞー、お使いくださいませー。」
芳乃の声が小さく響くと、携帯が光を発する。
しばし待つと、やがて携帯はくるりと芳乃の方を向く。
メモ帳の画面に、言葉が記されていた。
『本当に彼女を救えるのか』
尤もな疑問だ。
芳乃は明らかに、さも白坂小梅を助ける手立てがあるかのような発言をした。
しかし、そんなものがあるとは思えないだろう。
方法が他に思いつかないからこそ、小梅の目をそれから逸らさせ続けたのだから。
「はいー。協力していただけるのならばー。」
芳乃は微笑みながら悠然と答える。
確固たる確証を持っているかのように。
少なからず「あの子」は知っている。
小梅が現実を直視すればどうなるかを。
それを避けるために、小梅の幻想を維持しようとしているのだから。
しかしそれでは、いつまでも救われない。それも彼女は承知している。
つまり。「あの子」の望む小梅の救い方は。
小梅が幻想から目を覚ますことで生じるものを、しかし発生させることなく。
発生させないまま、事実と向き合わせることだ。
『それが本当だという証拠は』
ここが問題だ。
芳乃はこの話を信用してもらわねばならず、しかし提示できる証拠など存在しない。
そもそも芳乃の話は全て嘘だ。
芳乃は幸子も、そして小梅も等しく救わねばならないと考えている。
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そして幸子を救うためには小梅の、小梅を救うためには幸子の協力が、恐らくは不可欠。
少なくとも、芳乃単体でそれを成し遂げる手段は存在しない。
仮に幸子の手を借りたとしても、達成できるかは良くて五分五分だ。
しかし芳乃にとって、小梅を救えないという結末は決してあってはならないもの。
故に彼女はその可能性を除外した。
白坂小梅は必ず救える。
その前提の下で芳乃は思考し、行動する。
救えなかった場合など、端から考慮の外だ。
だからこそ芳乃は、こんなことだって言えてしまう。
「わたくしはー、そなたら幽霊の力に抗う術を持ちませぬー。
もし戯言であったならばー、煮るなり焼くなり、お好きにしてくださいませー。」
芳乃は幽霊に抵抗できない。この言葉に虚偽は無い。
芳乃は幸子と小梅に、一貫して「幽霊は専門外」と言い続けた。
そしてあの日の教室の時や、何よりもつい先程。
芳乃は「あの子」に対して防戦一方であり続けた。
『分かった』
小梅を救えなければ自分を殺しても構わない。
自分に一切抵抗できない、良くて時間稼ぎしかできない存在がそう言い放つ。
それは「あの子」の目に、只ならぬ自信として映っただろう。
未だ完全に信頼はしていないにせよ、ひとまず目の前の少女を信用する程度には。
「……感謝致しましてー。」
それがただの虚勢であるという事実を、思いつくことすらできない程度には。
「あの子」は、依田芳乃の愛他性に気付かない。
〔Mission List〕
・幽霊の未練を晴らしてください
・教室の幽霊の真意を探ってください
・白坂小梅を救ってください
・輿水幸子を救ってください