私達は、きっと普通の家族だったのだと思う。
私は夫を愛して、夫は私を愛して。
そして私達は、幸子ちゃんを愛した。
溺愛、という言葉が相応しい。
あの子が何かするたびに、私達は可愛いと言って頭を撫でた。
あの子が何か言うたびに、私達は可愛いと言って抱き締めた。
あの子は可愛いと言われるたびに、嬉しそうに笑っていた。
あの子が笑ってくれるから、私達はまた可愛いと笑った。
次第にあの子は、それを自ら求め始めた。
可愛いと言って、と。
それを断る理由なんて、何処にも無かった。
私達は求められるままに言葉を贈り続けた。
異変に気付いたのは、夫が先だった。
あの子がテストで100点を取った時。
夫は、よく頑張ったなと頭を撫でた。
こまめにノートの清書をしていた成果だな、と。
その時、あの子は言ったのだ。
頑張ったじゃなくて、カワイイと言ってください。
その時は夫も、些細な違和感を感じるに留まっていた。
あの子の望むままに、可愛いと言い直した。
ある日、あの子がアイドルになりたいと言った。
私は心から応援した。
可愛いんだから、絶対なれるよ、と。
夫の仕事の知り合いが、事務所を経営しているようで。
そこのオーディションを受けると、無事に合格した。
あの子はとても喜んでいた。
それから何度か、夫はあの子に試した。
可愛いという言葉を用いずに、あの子を褒めてみようとした。
結果は、いつも同じ。
「そんな言葉じゃなくて、カワイイと言って」。
あの子にとって、賛辞たり得るのはその一言だけ。
可愛いと言われなければ、それ以外の言葉に意味なんて無い。
私達の安易な言動は、あの子をそう形作ってしまっていた。
このままではいけない。
あの子が寝静まった夜中、夫は私にそう言った。
もっと他の言葉を使って、あの子を褒めよう、と。
私がそれに同意しない理由なんて、無かった。
今の歪んだ認知のままでは、あの子にいつか苦労を強いてしまうから。
その翌日のことだった。
交通事故。ありふれた死に方だった。
私は一瞬で死んでしまったけれど、夫はそうではなかった。
病院に搬送されて、数時間は持ちこたえたと。
事故現場……私が立っているここに花を添えた知人が、私ではない何処かを見て呟いていた。
幸子ちゃんはお父さんの最期に立ち会えた。少しだけどお話もできた。
今は親戚にお金を振り込んでもらいながら、彼女の望みで1人で暮らしてる。
ちゃんと元気に生活してる。そう、教えてくれた。
だから安心して向こうに逝ってね、なんて言われちゃったけど。
なんだかここから離れられないから、どうしたものか。
幽霊も意外と不便なものね。
ふわっとあの子の側に飛んでいけたら良いんだけど。
「……立ち、会えた?」
思わず、声に出す。
自分でも分からない。でも、何故か引っかかった。
何かが現実とそぐわないような、そんな気がした。
『……?
ええ、そう聞いたけど……。』
何かおかしい点でもあったのかと、幽霊は首を傾げる。
何処もおかしくはない。……はずだ。
幸子ちゃんは、自分の両親が死んだと聞き。
実際に瀕死の父親を目の当たりにし。
その現実を受け入れられず、両親の幻覚を創り出した。
それで説明が付く。不自然な点も無い。
無い、はずなのに。
『……これについて聞いたのは、幸子ちゃんに何かあったから。よね?』
心配そうに幽霊が尋ねる。
私は幸子ちゃんのカワイイについて聞いた。
何故そんなことを聞くのかと言えば、かつて自分達が危惧していた事が現実になったからだ。
幽霊の目は、そう言っていた。
「そう……なんですけど、それだけじゃなくて……!」
幽霊の予想は的中している。
幸子ちゃんは「カワイイ」に固執し続けている。
でも、それだけではない。
それよりももっと大きな問題が、彼女に生じている。
「幸子ちゃんは、ご両親の──」
「ボクが、何です?」
「──っ!?」
背中を不快な冷たさが駆け上がる。
真後ろから、声。
振り返りながら飛び退くと、そこには幸子ちゃんが居た。
「どうしたんですか? こんなところで。」
幸子ちゃんは先程の幽霊と同じように首を傾げ、こちらを見る。
どうする。
貴方の母親と話していましたなんて言ったとして、彼女は絶対に信じてはくれない。
それどころか、芳乃さんと同じように様子がおかしいと思われて終わりだ。
既に芳乃さんがそう思われてしまっている以上、幸子ちゃんに幽霊について言及できる人間は私だけ。
その私すら様子がおかしいと思われてしまったら、彼女を説得する人間が居なくなってしまう。
正直に言うのは絶対にナシ。
「……幸子ちゃん、どうした……の? その荷物……。」
なら、どんな嘘を吐く。
この場で彼女に不審を抱かれないような嘘は何だ。
彼女から見て、私は交差点の電柱に向かって1人「幸子ちゃんは」と叫びかけた人間だ。
どんな理由を後付けすれば、自然な状況が出来上がる。
「夕飯の買い出しです!
ボクはカワイイですからね! 買い物も料理もできるんですよ!」
やはり、彼女は自身をカワイイと評する。
その言葉を聞いて、幽霊の顔が悲しく歪んだ。
『幸子ちゃ──、』
幽霊は娘の名を呼ぼうとする。
決して届かないと知りながら、それでも声を発そうとする。
しかし。母親の言葉は、最後まで続くことはなかった。
「……その表情、まさか信じてませんね?
パパやママにも好評なんですよ? 幸子ちゃんは料理もカワイイって!」
娘が、自分ではない誰かをママと呼んだから。
『…………え?』
──マズ、い。
私の口がその形に動く。
声が、乾ききった喉に吸い込まれて消えた。
「今日はママが、カワイイオムライスの作り方を教えてくれるんです!」
幽霊は娘に向かって歩き出す。
一歩一歩、ゆっくりと。まるで亡者のような足取りで。
『……幸子、ちゃん? ママは、ここに……ずっと、ここに、』
幽霊は只でさえ、生者よりも感情が簡単に、敏感に揺れ動く。
人間を身体と精神の2つに分けるならば、霊とは精神そのものだからだ。
霊とは精神。精神とは感情。
感情の有り様が、そのまま霊の有り様となる。
「ママもボクに負けず劣らずカワイイんですよ!
この前一緒に作ったミートソースも最高でした!」
幽霊は娘を抱き締めようと手を伸ばす。
何の感触も残さずに、手のひらは身体をすり抜けた。
『ちが……そんなの、知らな……、』
今、彼女はどうしようもなく掻き乱された。
自分が愛して愛した愛娘が、自分の目の前で、自分以外の人間を母親と呼んだ。
十分過ぎる。幽霊が心を乱すには。
「あ、早く帰らなきゃなので、すいませんが失礼しますね!」
幸子ちゃんは前へと歩き出す。
目の前に居る幽霊の身体をすり抜けて。
『ま……っ、て…………、』
幸子ちゃんの母親は、人の形がくっきり見えるほどに強い霊だ。
そんな彼女の精神状態が乱されたら、どうなる。
私の右上に視線を送る。
あの子の様子を観察する。
……歯を噛み締め、冷や汗を浮かべていた。
「……幸子ちゃん。」
呼び止める声が、震えていた。
幸子ちゃんは振り返り、再び首を傾げた。
「どうしたんですか? ああ、そういえばアナタは1人で何を──」
『…………ひと、り?』
不味い。
不味い不味い不味い。
もう幸子ちゃんの母親は。……「それ」は。人の形を辞めかけている。
真っ黒な、どす黒い、黒。
その色そのものに変わろうとしている。
変化の全てを目の前で見続けた私は、悲鳴を絞り出すように叫んだ。
「──今直ぐ、逃げて!!!」
information : データが更新されました
[Tips] 幸子の両親
2人共、既に死亡していた。死因は交通事故。
幸子が事務所に所属した時には生存していた。
両親が死亡したのは、幸子がアイドルになってから。
芳乃と出会うまでの、いずれかのタイミングということになる。
母親は即死、事故現場である交差点に縛られた。
父親は病院に搬送され、幸子に看取られた後、幸子に取り憑いた。
[Mission Update] 幽霊の未練を晴らしてください⇒幸子の父親の未練を晴らしてください
幸子に取り憑いた幽霊の正体は、彼女の父親だった。
しかし彼は、最期に幸子と言葉を交わすことができたという。
ならば、幸子を他の言葉で褒めることもできたはずだ。
彼の未練とは一体、何なのだろうか。
〔Mission List〕
・幸子の父親の未練を晴らしてください
・白坂小梅を救ってください
・輿水幸子を救ってください
・2人の過去を探ってください
・2人に過去を想起させないでください