輿水幸子の同一性   作:maron5650

17 / 38
16.貴方の母は1人だけ

私達は、きっと普通の家族だったのだと思う。

私は夫を愛して、夫は私を愛して。

そして私達は、幸子ちゃんを愛した。

 

溺愛、という言葉が相応しい。

あの子が何かするたびに、私達は可愛いと言って頭を撫でた。

あの子が何か言うたびに、私達は可愛いと言って抱き締めた。

あの子は可愛いと言われるたびに、嬉しそうに笑っていた。

あの子が笑ってくれるから、私達はまた可愛いと笑った。

 

次第にあの子は、それを自ら求め始めた。

可愛いと言って、と。

それを断る理由なんて、何処にも無かった。

私達は求められるままに言葉を贈り続けた。

 

異変に気付いたのは、夫が先だった。

あの子がテストで100点を取った時。

夫は、よく頑張ったなと頭を撫でた。

こまめにノートの清書をしていた成果だな、と。

その時、あの子は言ったのだ。

 

頑張ったじゃなくて、カワイイと言ってください。

 

その時は夫も、些細な違和感を感じるに留まっていた。

あの子の望むままに、可愛いと言い直した。

 

ある日、あの子がアイドルになりたいと言った。

私は心から応援した。

可愛いんだから、絶対なれるよ、と。

夫の仕事の知り合いが、事務所を経営しているようで。

そこのオーディションを受けると、無事に合格した。

あの子はとても喜んでいた。

 

それから何度か、夫はあの子に試した。

可愛いという言葉を用いずに、あの子を褒めてみようとした。

結果は、いつも同じ。

「そんな言葉じゃなくて、カワイイと言って」。

 

あの子にとって、賛辞たり得るのはその一言だけ。

可愛いと言われなければ、それ以外の言葉に意味なんて無い。

私達の安易な言動は、あの子をそう形作ってしまっていた。

 

このままではいけない。

あの子が寝静まった夜中、夫は私にそう言った。

もっと他の言葉を使って、あの子を褒めよう、と。

私がそれに同意しない理由なんて、無かった。

今の歪んだ認知のままでは、あの子にいつか苦労を強いてしまうから。

 

 

 

その翌日のことだった。

交通事故。ありふれた死に方だった。

 

 

 

私は一瞬で死んでしまったけれど、夫はそうではなかった。

病院に搬送されて、数時間は持ちこたえたと。

事故現場……私が立っているここに花を添えた知人が、私ではない何処かを見て呟いていた。

幸子ちゃんはお父さんの最期に立ち会えた。少しだけどお話もできた。

今は親戚にお金を振り込んでもらいながら、彼女の望みで1人で暮らしてる。

ちゃんと元気に生活してる。そう、教えてくれた。

 

だから安心して向こうに逝ってね、なんて言われちゃったけど。

なんだかここから離れられないから、どうしたものか。

幽霊も意外と不便なものね。

ふわっとあの子の側に飛んでいけたら良いんだけど。

 

 

 

 

 

「……立ち、会えた?」

 

思わず、声に出す。

自分でも分からない。でも、何故か引っかかった。

何かが現実とそぐわないような、そんな気がした。

 

『……?

ええ、そう聞いたけど……。』

 

何かおかしい点でもあったのかと、幽霊は首を傾げる。

何処もおかしくはない。……はずだ。

幸子ちゃんは、自分の両親が死んだと聞き。

実際に瀕死の父親を目の当たりにし。

その現実を受け入れられず、両親の幻覚を創り出した。

それで説明が付く。不自然な点も無い。

無い、はずなのに。

 

『……これについて聞いたのは、幸子ちゃんに何かあったから。よね?』

 

心配そうに幽霊が尋ねる。

私は幸子ちゃんのカワイイについて聞いた。

何故そんなことを聞くのかと言えば、かつて自分達が危惧していた事が現実になったからだ。

幽霊の目は、そう言っていた。

 

「そう……なんですけど、それだけじゃなくて……!」

 

幽霊の予想は的中している。

幸子ちゃんは「カワイイ」に固執し続けている。

でも、それだけではない。

それよりももっと大きな問題が、彼女に生じている。

 

「幸子ちゃんは、ご両親の──」

 

 

 

 

 

「ボクが、何です?」

 

 

 

 

 

「──っ!?」

 

背中を不快な冷たさが駆け上がる。

真後ろから、声。

振り返りながら飛び退くと、そこには幸子ちゃんが居た。

 

「どうしたんですか? こんなところで。」

 

幸子ちゃんは先程の幽霊と同じように首を傾げ、こちらを見る。

どうする。

貴方の母親と話していましたなんて言ったとして、彼女は絶対に信じてはくれない。

それどころか、芳乃さんと同じように様子がおかしいと思われて終わりだ。

既に芳乃さんがそう思われてしまっている以上、幸子ちゃんに幽霊について言及できる人間は私だけ。

その私すら様子がおかしいと思われてしまったら、彼女を説得する人間が居なくなってしまう。

正直に言うのは絶対にナシ。

 

「……幸子ちゃん、どうした……の? その荷物……。」

 

なら、どんな嘘を吐く。

この場で彼女に不審を抱かれないような嘘は何だ。

彼女から見て、私は交差点の電柱に向かって1人「幸子ちゃんは」と叫びかけた人間だ。

どんな理由を後付けすれば、自然な状況が出来上がる。

 

「夕飯の買い出しです!

ボクはカワイイですからね! 買い物も料理もできるんですよ!」

 

やはり、彼女は自身をカワイイと評する。

その言葉を聞いて、幽霊の顔が悲しく歪んだ。

 

『幸子ちゃ──、』

 

幽霊は娘の名を呼ぼうとする。

決して届かないと知りながら、それでも声を発そうとする。

しかし。母親の言葉は、最後まで続くことはなかった。

 

 

 

 

 

「……その表情、まさか信じてませんね?

パパやママにも好評なんですよ? 幸子ちゃんは料理もカワイイって!」

 

 

 

 

 

娘が、自分ではない誰かをママと呼んだから。

 

『…………え?』

 

──マズ、い。

私の口がその形に動く。

声が、乾ききった喉に吸い込まれて消えた。

 

「今日はママが、カワイイオムライスの作り方を教えてくれるんです!」

 

幽霊は娘に向かって歩き出す。

一歩一歩、ゆっくりと。まるで亡者のような足取りで。

 

『……幸子、ちゃん? ママは、ここに……ずっと、ここに、』

 

幽霊は只でさえ、生者よりも感情が簡単に、敏感に揺れ動く。

人間を身体と精神の2つに分けるならば、霊とは精神そのものだからだ。

霊とは精神。精神とは感情。

感情の有り様が、そのまま霊の有り様となる。

 

「ママもボクに負けず劣らずカワイイんですよ!

この前一緒に作ったミートソースも最高でした!」

 

幽霊は娘を抱き締めようと手を伸ばす。

何の感触も残さずに、手のひらは身体をすり抜けた。

 

『ちが……そんなの、知らな……、』

 

今、彼女はどうしようもなく掻き乱された。

自分が愛して愛した愛娘が、自分の目の前で、自分以外の人間を母親と呼んだ。

十分過ぎる。幽霊が心を乱すには。

 

「あ、早く帰らなきゃなので、すいませんが失礼しますね!」

 

幸子ちゃんは前へと歩き出す。

目の前に居る幽霊の身体をすり抜けて。

 

『ま……っ、て…………、』

 

幸子ちゃんの母親は、人の形がくっきり見えるほどに強い霊だ。

そんな彼女の精神状態が乱されたら、どうなる。

私の右上に視線を送る。

あの子の様子を観察する。

……歯を噛み締め、冷や汗を浮かべていた。

 

「……幸子ちゃん。」

 

呼び止める声が、震えていた。

幸子ちゃんは振り返り、再び首を傾げた。

 

「どうしたんですか? ああ、そういえばアナタは1人で何を──」

 

『…………ひと、り?』

 

不味い。

不味い不味い不味い。

もう幸子ちゃんの母親は。……「それ」は。人の形を辞めかけている。

真っ黒な、どす黒い、黒。

その色そのものに変わろうとしている。

変化の全てを目の前で見続けた私は、悲鳴を絞り出すように叫んだ。

 

「──今直ぐ、逃げて!!!」

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 幸子の両親

 

2人共、既に死亡していた。死因は交通事故。

幸子が事務所に所属した時には生存していた。

両親が死亡したのは、幸子がアイドルになってから。

芳乃と出会うまでの、いずれかのタイミングということになる。

母親は即死、事故現場である交差点に縛られた。

父親は病院に搬送され、幸子に看取られた後、幸子に取り憑いた。

 

 

[Mission Update] 幽霊の未練を晴らしてください⇒幸子の父親の未練を晴らしてください

 

幸子に取り憑いた幽霊の正体は、彼女の父親だった。

しかし彼は、最期に幸子と言葉を交わすことができたという。

ならば、幸子を他の言葉で褒めることもできたはずだ。

彼の未練とは一体、何なのだろうか。

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。