輿水幸子の同一性   作:maron5650

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25.生きてはいけなかったのです

小梅の目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。

霞がかった頭で、何が起きたのかを思い出そうとしていた。

上体を起こし、顔に痛みが走り、反射的に手で抑えて。

その感触から、包帯が巻かれていることを知った。

 

首を左右に回し、部屋の内部を概観した。

時計。鏡。カーテン。窓。そして。

 

居るはずのない、あたしの姿。

 

合うはずのない目が合った。

認識できるはずのないものを、小梅は認識していた。

小梅は幽霊が視えるようになっていた。

彼女の口から、ほんの少し空気が漏れた。

それが小梅があたしを視た、最初で最後の1回だった。

 

あたしを認識した瞬間、小梅は全てを思い出した。

あたしが少しずつ肉塊と化していく様を。

男がひとりでに壊れていく過程を。

異様としか言い表せない、しかし現実に起きた光景を。

 

小梅の身体が大きく跳ね、布団で自分を覆い隠した。

その中から何かが聴こえた気がして、あたしはそっと歩み寄った。

 

ごめんなさい。

 

それだけを繰り返していた。

小梅は只管にあたしへの懺悔を呟いていた。

どうして謝っているのか、すぐには分からなかった。

謝罪したいのはあたしの方だった。

あんなものを、見せてしまったのだから。

 

小梅のか細い声を聴き続けて数分。

ようやくあたしは、小梅が謝る理由の1つに思い当たった。

あたしは殺されている間、頻繁に小梅の方を見ていた。

小梅は無事だということを確かめるために。

だから自分の行為は間違っていないと、言い聞かせるために。

そうやって、意識を手放さないようにするために。

 

助けを求めていると感じていたのだ。

何故ならあたしは、小梅を助けた。

男に思い切りぶつかることによって、その矛先を変えさせた。

小梅が受けるはずだった苦痛の肩代わりをした。

 

そんなあたしが、小梅を見ていた。

少しずつ身体を削り取られ。

少しずつ息絶えていき。

少しずつ手遅れになっていくあたしが。

見ていたんだ。ずっと。

 

どうして助けてくれないの。

そう、見えていたんだ。

糾弾していると感じていたんだ。

 

あたしは小梅を助けたのに。

小梅のために、こんなに苦しんでいるのに。

なのに小梅は、あたしを助けてくれないの。

 

あたしが死ぬまで。

小梅はずっと、あたしを見て震えていた。

それは、単に目の前の脅威が怖かったから。

それだけじゃなかったんだ。

 

小梅はあたしを助けなかった。

そのことに、どうしようもない罪悪感を抱いていた。

そんな時に、目の前にあたしが立っていた。

 

あたしの怨念だと思ったのだろう。

小梅のことを許せないあたしが。

死して尚、糾弾しに来たのだと。

そう、思ったのだろう。

 

小梅はいつまでも布団に閉じこもっていた。

看護師が様子を見に来ても。

少し遅れて飛んできた医師が、どんな言葉を投げかけても。

外からの刺激、その全てを遮断するように。

何もかもを掻き消すように。

ごめんなさい、と。

それだけを、薄く覆った彼女の世界に響かせていた。

 

その日から、物陰に隠れることにした。

あたしを見れば、小梅はあの日を思い出す。

それは彼女にとって、いいことではないだろう。

あたしは幽霊という特性を活かし、小梅を見守り続けた。

ある日は天井に。

ある日はベッドの下に。

またある日は窓の外から。

見ていることしか、できなかった。

 

小梅は人と接することを徹底的に拒んだ。

特に人当たりの良さそうな、優しい笑顔をする人間を。

それは男が、そうやって彼女を騙したから。

善人の皮を被り、悪意を潜めて接してきたから。

その結果、あたしが死に、小梅が傷付いたから。

小梅は人を信じられなくなっていた。

 

小梅の外傷は、酷いものだった。

男に切られた左耳と。

……あたしが傷付けた、顔の右半分。

傷跡は殆ど残らないと、医者が言っていた。

じっくりと眺めて、やっと辛うじて分かるくらいになる。

だから安心してくれと。

辛うじてでも分かってしまうなら、何の慰めにもならない。

あたしは小梅に一生消えない傷を遺した。

 

小梅の頭は、とてつもない量の包帯で覆われていた。

露出しているのは口と左目くらいのもの。

それほどに深い傷なのだと、あたしは思っていた。

 

それは間違いだった。

それだけではなかったのだ。

ある日小梅が鏡の前で、包帯を解いた時。

それを本人に見せないようにする意図が、確かにあったのだと。

その場に崩れ落ちる彼女を見て、どうしようもなく悟った。

あの日彼女が呟いた、「化け物」という言葉。

それが今でも、頭から離れない。

 

その頃から、小梅はホラー映画を見るようになった。

それも、とりわけゾンビが出てくるスプラッタを好んだ。

周りの人間は不審に思ったが、それを止めようとはしなかった。

それを見ている間、小梅は安定しているように見えたから。

 

ずっと遠くで見ていたからだろうか。

そんなことをする彼女の意図が、何となく分かってしまった。

 

画面の中の人間が会話をする度に、小梅は眉をひそめた。

ゾンビが出てくる度に、ほっとしたように頬を緩めた。

まるで化け物に、感情移入するかのように。

 

小梅は人間に騙された。

悪意を隠す人間に。

そうして小梅は、化け物になった。

傷を負った顔を見て、彼女は自分をそう認識した。

 

ならば。

自分を騙す人間よりも。

自分を化け物にした人間よりも。

自分を騙さない化け物の方が。

悪意を隠さず剥き出しにする化け物の方が。

自分と同じ化け物の方が。

小梅にとって、余程安心できる存在だった。

 

小梅はスプラッタを好んでなどいない。

自分はスプラッタが好きなんだと、そう思い込みたいだけだ。

何故なら小梅は、見てしまった。

スプラッタという言葉がこれ以上無く似合う、2つの肉塊を。

自分のせいで、見てしまった。

自分が声をかけてしまったせいで。

 

小梅にとっては、それが全ての事実だった。

その事実から、目を逸らさなければならなかった。

そうしなければ、彼女は内側から破裂する。

自責や後悔、その類いの。あらゆる負の感情によって。

 

小梅は男を教室まで誘導した。その事実は変わらない。

それを見ないようにすることは、彼女にはできなかった。

だから小梅は。それの持つ意味を、無理矢理に変えさせた。

 

自分はスプラッタが好きだ。

好きだから、ああしたんだ。

その目であれを見たかったから。

自ら進んで行動したんだ。

そう思い込ませることによって、小梅は自分を歪に保った。

それが歪であることに、きっと彼女は気付いていた。

 

寝床が病院のベッドから、自宅の敷布団に移っても。

包帯が無くなり、傷が殆ど治っても。

小梅はずっと独りだった。

独りでグロテスクな映画を見て、自分を正当化しようとした。

 

やがてそれにも、限界が訪れた。

それはどうやら、寝る前が顕著のようで。

布団に入り、目を瞑ると。

すぐに彼女は飛び起きて、荒々しく息を吐く。

そんな時、彼女は決まって机の引き出しを開ける。

 

手首に走る朱を見て、やっと小梅は安心する。

そこから走る痛みを感じて、やっと小梅は考えるのを止める。

自分は化け物ではないのだと。

画面の中の彼等のように、緑色をしていないのだと。

その確証を得ると同時に、思考が痛覚に塗り潰される。

その一瞬の感覚に、脳の全てが支配される。

 

そうして眠るのだって、早朝になってからのことだ。

小梅は夜に眠ることができなくなっていた。

布団の中で涙と血を流し、カーテンから漏れる太陽に包まれて。

それで初めて、疲れ果てた彼女は眠る。

目元の隈は、少しずつ濃くなっていった。

 

彼女はどこまでも矛盾していた。

加速度的に歪んでいった。

自分は化け物で居たいのか、人間で居たいのか。

また分からなくなって、また耐えられなくなって。

また痛みで全てを忘れて、また見て見ぬふりをする。

それが小梅の日常だった。

 

そんな生活をしばらく続けて。

やがて小梅は、学校に戻らなければならなくなった。

それは全ての子供に課された義務教育であるというのと同時に。

小梅は何の問題もない、学校に通えるだけの安定した精神を持っている人間だからだ。

そうでなければならないからだ。

彼女は自分の身に起きている異常を、認めるわけにはいかないからだ。

 

小梅は必死で傷跡を隠した。

自分が化け物であることが、露見しないように。

幾度も刻まれた両の手首は、サイズの大きいパーカーの袖で。

顔の右半分は、引き篭もっている間に伸びた前髪で。

では、左耳はどうやって隠すか。小梅は映画からヒントを得た。

耳を覆い隠すように付ける、イヤーカフス。

銀色に輝くそれを、耳たぶに嵌め込んで。

小梅は久しぶりの陽を、その身に浴びた。

 

小学生で耳に飾りを付けるのは、それだけで彼女を奇異な存在にさせた。

彼女を見る周囲の目は、ゾンビを見る生存者のそれだった。

小梅はひとつのことを学んだ。

ああいう格好をしていれば、ゾンビといっしょになれる。

 

小梅は少しずつ、映画の登場人物の真似をしていった。

金色に髪を染め、派手な服を着飾って。

そして、ピアスの穴を開けていった。

それは手首に痕を付けるより、余程効率的な自傷手段だった。

人目を憚る必要も無く、痕も隠さなくていい。

飾られる銀色は、順調にその数を増していった。

 

このような外見の変化と同時に、内面にも変化が起こっていた。

小梅は以前のような明るく活発な子ではなくなった。

自信を無くし。目立つことを避け。

何より、人と話すことを極端に恐れた。

自分の発言によって起こり得る、最悪の事態は何か。

それを常に確認するように。ゆっくりと、噛み締めるように。

喋ることを恐れた小梅は、そうやって話すことを覚えた。

 

人を恐れた小梅が、代わりに好意を寄せたのは。

同じ化け物である、幽霊だった。

幽霊と話す時だけは、流暢にスラスラと。

楽しそうに弾んだ声を出した。

幽霊は生者ではないから。

生者ではないということは、化け物側の存在だから。

だから、悪意を隠さない。

そう小梅は思い込んだ。

 

ある日。

小梅が、誰かと話しているのを見た。

しかし、そこには誰も居なかった。

小梅が楽しそうに笑って話すその先に、生者も霊も居なかった。

 

小梅はあたしの幻覚を見ていた。

 

思わず飛び出して、初めて自分から彼女の視界に入った。

にも関わらず、彼女はまるで何もなかったかのように話を続けた。

小梅はあたしが見えなくなっていた。

小梅はあたしが聞こえなくなっていた。

小梅は自分を守るために、あたしの存在を除外した。

 

小梅の見る幻覚は、小梅のことを笑って許したようだった。

小梅はあたしから許されることを望んでいた。

それでもあたしが許すはずがないから、小梅は都合の良い幻覚を作り出した。

あたしは最初から、怒ってなんていないのに。

 

小梅はあたしの幻覚と話す時、あたしの名前を呼ばなかった。

それだけではない。

他の人物にあたしのことを話す時も、徹底して名前を避けた。

あの子はね、あの子がね、と。

 

あたしがどういう存在なのかすら、小梅の中では曖昧なのだろう。

あたしがどうして幽霊になったのか、思い出してはいけないのだろう。

昔から何かの繋がりがあって、でもいつ出会ったか分からない。

そんな幽霊の友達として、小梅はあたしの幻覚を位置付けた。

 

目が合わないのが悲しくて。

声が届かないのが虚しくて。

それでも、小梅がそれを望むのなら。

それを守り続ければ、小梅が壊れてしまわないのなら。

あたしは。小梅の抱く幻想を、守ると決めた。

 

小梅の発言や細かい行動を観察し。

小梅の幻覚が何をしようとしているのかを推測し。

代わりにあたしがそれを行う。

そうすれば、小梅から見て矛盾は無い。

幸い、小梅の交友範囲に霊感のある人間は居なかった。

細かい部分はバレないし、小梅もわざわざ見ようとしない。

長い間、それはうまくいっていた。

それこそ、今日という日が来るまでは。

うまくいっていると、そう思い込んでいた。

小梅がしたように、目を逸らし続けていた。

 

 

 

 

 

あたしの知る白坂小梅が、死んでいく気がしたから 。

 

 

 

 

 

『……小梅。』

 

小梅がぴくりと目蓋を動かす。

ぽつぽつと雨粒が降り始めていた。

あたしは小梅の名を呼んだ。

まだ全てを思い出してはいないことを、願いながら。

 

すると、明確な変化が起きた。

これまでとは、決定的な違いが。

 

「……え?」

 

小梅が、あたしの方を見た。

確かにしっかりと目が合った。

あたしの声に、反応するように。

 

あたしは小梅の左右には立っていないのに。

 

『マズ……っ!?』

 

見られた。

視界から外れなければ

早く。一刻も早く。

でも、どうやって。

あたし達幽霊は、小梅の目から逃れる手段が無いのに。

 

あたしの姿は、小梅が幻覚を創ってまで見たくなかったもの。

目を逸らし続けていたもの。

それを見てしまったら。

目の当たりにしてしまったら。

また、あの日のように。

幻覚を創った日のように。

あの日と全く同じように。

 

「──ぁ、」

 

絶叫は、無かった。

ただ、彼女の口から。

小さく空気が漏れる音がした。

彼女の壊れる音がした。

あの日と同じ音がした。

 

『……小梅、待っ──』

 

その目は、化け物から逃げる人間のそれだった。

画面の向こうで見たものと、全く同じものだった。

あたしは化け物になっていた。

あたしは小梅を傷つけた。

あたしは小梅を、2度も傷つけた。

小梅は化け物から、走って逃げ出した。

 

『…………。』

 

失敗した。

小梅を救うことは叶わなかった。

失敗した。

小梅を深く傷つけるだけだった。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

 

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

 

『……違う。』

 

認めたくない。

認めたくない。

これはあたしのせいじゃない。

誰のせいだ。誰のせいだ。誰のせいだ。

誰のせいで小梅は救われなかった。

 

『違う!』

 

……あいつのせいだ。

依田芳乃は言っていた。

あいつのせいだ。

自分に小梅を救う算段があると。

あいつのせいだ。

なのにあいつは失敗した。

あいつのせいだ。

なら、約束通り殺してやる。

 

 

 

 

 

依田芳乃を殺してやる。

 

 

 

 

 

【caution】白坂小梅が気付きました

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