降り始めた雨から守るように、幸子を優しく抱きしめながら。
芳乃は、先程から感じている違和感について思考していた。
先程芳乃は悪霊に身体を乗っ取られ、「あの子」がそれを引き剥がした。
悪霊の行動範囲、その外に芳乃を移動させることによって。
幸子は悪霊と話をしていた場所に蹲り、そこに芳乃が再び駆けつけた。
つまり。芳乃達は未だ悪霊の行動範囲内に居る。
芳乃は注意を幸子から悪霊へと移す。
それは未だ、黒のまま。悪霊のままで。
しかし、先程とは異なり。
決して芳乃達を攻撃しようとはしなかった。
ただ、少し離れた地点から。
幸子の様子を伺っているように、芳乃には見えた。
芳乃が感じている違和感は、これにあった。
芳乃がこの場に辿り着く前。
最初に小梅が幸子の母親と会話をし、そこに幸子が乱入した。
そこで何があったのかは分からないが、結果として幸子の母親は悪霊となった。
その瞬間。悪霊と化したその姿を、一目見た瞬間に。
小梅は、逃げてと叫んだ。
芳乃はその場に直接居合わせた訳ではない。
しかし、急いで小梅の元へと向かいながら、同時に気を読むことで。
小梅が悪霊に、どんな感情を抱いているかを察知した。
危険。恐怖。予測不能。
小梅の意識はその類のもので埋め尽くされていた。
このことから芳乃は、次のような推測を行った。
悪霊となった幽霊とは、理性が無く、本能のままに攻撃を繰り返す。
そのような存在なのだろうと。
しかし、実際はどうだ。
悪霊が暴力をふるう対象は一貫していた。
自分の行動を阻害した者にのみ攻撃を行った。
悪霊が唯一明確な、全力の攻撃行動を取ったのは。
小梅が逃げてと叫び、「あの子」が幸子を逃がし、芳乃と合流した後。
芳乃と「あの子」が、小梅の元へ駆けつけた時だ。
だがあれも、先に仕掛けたのは悪霊ではなく「あの子」だった。
「あの子」は明確な敵意を持って悪霊に襲いかかり、同時にあの場から逃がすために小梅を突き飛ばした。
それは「あの子」も小梅と同様に、悪霊をそのようなものとして考えていたことを意味していた。
危険だから小梅を守らなければならないと、そう考えて「あの子」は行動したのだ。
悪霊は自己防衛のために咄嗟に「あの子」を吹き飛ばしたに過ぎない。
既に死んでいる幽霊は、もう死ぬことは有り得ないのだから、力を加減する必要もなかった。
そして芳乃が考えた、幸子を囮とする作戦。
それすらも失敗に終わった。
悪霊は幸子の叫ぶ声を聞いた瞬間、芳乃の頭を強打した。
そうして気絶した生者の身体を用意し、その中へ入り込んだ。
幸子と、話をするために。
そう、話をするためだ。
悪霊は幸子を話をするため、それだけのために行動していた。
もしかしたら、除霊の儀を行う芳乃を攻撃していたのも。
ただそれを、適度に邪魔しようとしていただけで。
悪霊がその気になれば、呆気なく芳乃と「あの子」は吹き飛ばされていたのかもしれない。
事実、幸子があの場に戻ってきた次の瞬間、悪霊は芳乃の意識を奪った。
それは、いつでもできたがあの瞬間まではやらなかった、ということではないのか。
悪霊は芳乃達に対し、必要以上に傷付けてしまわないように気を遣っていたのではないか。
そんなことを考えるだけの理性が十分に残っていたのではないか。
幽霊と悪霊の違いなど、そんなに無いのではないか。
例えば、生者に危害を加えることを意識したとか。
その程度の差でしかないのではないか。
思えば幽霊は、自らの気を偽ることができた。
芳乃に、自分達は悪霊だと。あの日、教室で。
その程度の意識の違いで、簡単に識別信号が変化してしまうのだとしたら。
どうやって幽霊が気を偽ったのかも。
何故目の前の悪霊が、いわゆる「悪霊」な行動をしないのかも。
それら全てに、説明がつくのではないか。
では、何故。
何故小梅は、小梅と「あの子」は。
あんなにも、悪霊を怖がった?
「……芳乃さん。」
震える幸子の呼ぶ声に、芳乃は我に返る。
小梅達のことは、一旦。考えないようにしよう。
今は、幸子のことを。
「はいー、わたくし依田は芳乃でしてー。」
頭を撫でる手を止めないまま、努めて穏やかに返す。
幸子は芳乃の着物の袖をぎゅっと握りしめる。
幸子を抱き締める力を、芳乃は、ほんの少し強めた。
輿水幸子は、両親の死から逃げる事によって、それに付随する何かから逃げていた。
それが何なのか、芳乃は断定できるだけの情報を揃えていない。
だが、推測することはできた。
それは先程の、幸子自身が発した言葉。
『もっともっと、かわいがってください。』
それは幸子が普段用いるものと、何ら変わらない言葉のはずだった。
普段から幸子はそれを周囲に求め、周囲はそれを与えていた。
何ら珍しくないもののはずだった。
そのはずだ。そのはずなのに。
どうしようもなく違和感があった。
同じはずの言葉が、異なる意味を抱いているように思えた。
他者の気を読める芳乃だからこそ、気付けた違い。
その違いを確かめるために、芳乃は言葉を紡ぐ。
「……幸子殿はー、可愛いのでしてー。」
幸子は与えられた言葉にぴくりと反応し、弱々しい声を返す。
「……本当ですか? ボク、カワイイですか?」
幸子が言葉を発する瞬間。芳乃は彼女の気を読む。
「ええー。可愛いので、可愛がって差し上げましょうー。よしよしー。」
そう言って頭を撫でると、普段の尊大な態度とは正反対の反応を見せる。
彼女は少しだけ安心したようにゆっくりと息を吐き、か細い声で呟いた。
その一瞬を見逃さず、芳乃は気を注視する。
「……もっと、かわいがってください。」
……やはり。芳乃は確信する。
幸子は全く同じ言葉を、全く違う意味で、複数使い分けている。
彼女は普段、何かにつけて自分や他人を「カワイイ」と評する。
それは単に見た目のことだけを指しているのではない。
例えば「優しい」とか、「ありがとう」とか。
そういった、あらゆるプラスの意味を持つ言葉として。
彼女は「カワイイ」を用いている。
だが、今回。
彼女は「かわいがって」と口にした。
「カワイがって」ではなく、「かわいがって」だ。
この、全く同じ音、全く同じ意味の、全く同じ言葉を。
全く違う意味を持たせて、発したのだ。
そして何よりも。
芳乃と出会ってから、現在に至るまで。
幸子は。ただの一度も。
「可愛い」を、使っていない。
これが意味することは。
「カワイイ」でも、「かわいい」でもない。
そのどちらにも当てはまらない言葉があるということだ。
その言葉の持つ意味を、幸子は一度も使っていないということだ。
「可愛い」を、使えていないということだ。
では、その意味は。
彼女が決して使わない、「可愛い」の意味は何だ。
「カワイイ」でも「かわいい」でもない、その言葉の意味は。一体。
「……ボク、忘れていたんです。」
悪霊の方に目を向ける。
幸子の母親は、まだ。
少し離れたところで、芳乃達を見ていた。
そして幸子は、震えるままの小さな声で語り始める。
取り戻してしまった、あの日の記憶を。
「愛して、もらえなかったんです。」
──思い返せば、幸子は最初からそうだった。
徹底して「カワイイ」以外の言葉で自身や他者を形容しようとしなかった。
「ボクの取り柄なんて、それしかなかったのに。」
──自分は一番カワイイ存在で居なければならない。
幸子の言動は、そんな使命感すら感じさせる。
「本当は、それすら。なんにも、無かったのに。」
──では、彼女は何故、自らのカワイさを周囲に誇示し続けようとするのか。
「なんにも無いって、ばれちゃったんです。」
──心の底から自分をカワイイと思い、だからこそああ振舞っている。
それが彼女の真実か?
「ばれちゃったから、嫌われちゃったんです。」
──何か。何かがおかしい。
しかし、一体何が。
「ボクは、本当は。」
──そして芳乃の根拠の無い自信が、もし当たっていたとしたら。
きっと幸子は──
「可愛くなんて、ないんです。」
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[Tips] 輿水幸子
彼女には何もありません。
[Mission Failed] 悪霊を除霊してください
[Mission Failed] 幸子の父親の未練を晴らしてください
[Mission Failed] 2人の過去を探ってください
[Mission Failed] 2人に過去を想起させないでください
[Mission Failed] 輿水幸子を救ってください
[Mission Failed] 白坂小梅を救ってください
〔Mission List〕
貴方にできることは、もう何もありません。