輿水幸子の同一性   作:maron5650

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27.自傷・カワイイ

褒められるのが好きだった。

 

ボクが笑うと、パパは可愛いと言って写真を撮った。

ボクが歩くと、ママは可愛いと言って頭を撫でた。

ボクが何かする度に、パパとママは褒めてくれた。

ボクのことを、可愛いと評しながら。

 

可愛いと言われるのが好きだった。

 

ボクが褒められる度に、パパとママは可愛いと言った。

意味を理解しないボクは、観察して把握した。

可愛いという言葉は、ボクを褒める言葉だった。

ボクを愛してくれる音だった。

心地の良い音だった。

いつまでも聴いていたい音だった。

 

可愛いと言われたかった。

 

小学生になった頃、先生は道徳の授業をした。

ボク達は、いろんな可能性に満ちていて。

自分にしかないものが、みんなにそれぞれ存在して。

何もない人間なんて、誰一人居ないんだと。

それがアイデンティティというものだと。

ボクは迷うことなく頷いて、ノートにそれを書き留めた。

ボクのアイデンティティは、「可愛い」だと思った。

 

可愛いと思っていた。

 

先生に意味を尋ねた。

言葉の意味を理解すれば、もっと可愛いになれると思った。

可愛いに近づけると思った。

可愛いの意味を、ボクは知った。

 

ボクは自分の外見が、ちっとも好きではなかった。

 

鏡を見る度に。水面に映る度に。

自分の姿を目にする度に。

ボクはすぐに瞳を逸らし、別の事を考えるようにしていた。

そうしなければ、心臓が加速度的に痛いほど脈打ち始めた。

湧き上がる感情は、大きな虫を見た時のそれと良く似ていた。

考えてみても、きっかけなんて何ひとつ思い当たるものは無く。

少し背伸びした言葉を使うなら、きっとそれは先天的なものだった。

 

可愛くなんてなかった。

 

ボクの見た目が良いなんて、少しも思えなかった。

可愛くないボクが帰ると、ママはまた可愛いと抱き締めてくれた。

可愛くないボクがノートの清書をしていると、パパはまた可愛いと頭を撫でてくれた。

可愛くないボクを、パパとママは可愛いと評し続けた。

可愛くないボクを、パパとママは愛し続けた。

 

可愛いと思われなければ。

 

可愛いと思われ続けなければ。

パパとママは、きっと勘違いをしている。

本当は可愛くないボクを、可愛いと間違えている。

その間違いのおかげで、ボクは愛されている。

なら、その間違いを、気付かれたら。

ボクは可愛いと言ってもらえない。

ボクは愛してもらえない。

 

ボクはカワイイ。

 

パパとママを騙すことにした。

周りの全てを騙すことにした。

可愛いと言ってもらうために。

愛してもらうために。

心地良い音を聴き続けるために。

口に出したボクの言葉に、意味なんて無かった。

それが真実だと、思えるはずがなかった。

その言葉が嘘であると、自分が一番分かっていた。

ボクが欲しがっている音と、同じ音というだけの。

ただの、無機質なハリボテだった。

 

ボクは、カワイイでしょう?

 

ボクはハリボテを掲げ続けた。

ベニヤ板にペンキで彩った、虚構の言葉を発し続けた。

それに返ってくる肯定で、周囲を満たし続けた。

カワイイボクは、可愛いと言われ続けた。

その肯定すらハリボテだとしても、裏を見なければいい話だった。

本当か嘘か分からない肯定を受け取って、心が少し楽になるのを感じていた。

自分の姿を目にしても、以前ほど心臓は痛くならなかった。

 

そう。ボクはカワイイんです。だから。

 

気付かないで。辿り着かないで。

醜い事実に触れないで。

ボクの嘘に、騙されたままでいて。

そうやって、ボクを。

 

かわいがってください。

 

愛して、ください。

 

 

 

 

 

『■■、■■■■■■■■■■■■■■。』

 

 

 

 

 

……え?

 

パパとママが交通事故に遭ったと聞かされた。

ボクが病室に飛び込むと、パパが小さく口を開いた。

ひどく、寒くて暗い夜だった。

パパの口から出た音が、パパの言葉だと思えなかった。

どうして、そんなこと。

いつだって、褒めてくれたのに。

可愛いって言ってくれたのに。

どうして。

 

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

 

この不合理は何だ。

この整合性の無さは。

この矛盾を解決する正答は、何だ。

 

……ああ。そうか。そうだ。

パパがボクを可愛いと言ってくれないはずがない。

だってボクは、騙し続けた。

パパとママを騙し続けた。

だから、ボクを可愛いと言わなきゃ、おかしいんだ。

だから、目の前のこの人は、ボクのパパじゃないんだ。

誰か別の、他の人なんだ。

 

だって、そうじゃなきゃおかしい。

パパがこんなこと、言うはずがないもの。

可愛いって言ってくれるはずだもの。

 

だからパパが言うはずのないことを言うんだ。

だってパパじゃないんだから。

交通事故で夫婦が死亡、なんて。

それはボクのパパとママじゃなかったんだ。

 

じゃあ、帰ろう。

家に帰れば、パパとママが居るはずだから。

また可愛いって、褒めてくれるはずだから。

かわいがってくれるはずだから。

 

そうでしょう? ママ。

 

 

 

 

 

「■■、■■■■■■■■■■■■■■。」

 

 

 

 

 

……ママ?

 

 

 

 

 

「……でも、失敗したんです。」

 

芳乃に包まれたまま、幸子は語り続けた。

自分が吐いてきた嘘を。

虚構で塗り固めた自らの同一性を。

そうでなければ愛されないと、思い続けた人生を。

 

幼少の頃から、それしか与えられなかった。

「可愛い」が幸子の価値の全てだった。

それだけが、彼女を構成する同一性。

アイデンティティそのものだった。

 

だが、幸子はそれを信じられなかった。

親が見出したアイデンティティを、本当に持っているとは思えなかった。

だから。持っているフリをしたのだ。

 

自分は可愛いと喧伝し。

それに異論が返ってこないことを、同意の根拠として。

自分に嘘を吐いていたのだ。

「カワイイ」は嘘だったのだ。

輿水幸子の同一性を、守るために必要な。

自分に自信が持てない彼女の、精一杯の自己防衛だったのだ。

 

「バレちゃったんです。」

 

自分の容姿に自信など、微塵も持ってはいなかった。

幸子は自分を可愛いと思えていなかった。

誤解をされていると感じていたんだ。

両親は自分のことを可愛いと思い違いをしていて。

その思い違いのお陰で、自分は愛されていて。

なら、自分が可愛くないことが、露見してしまったら。

 

「褒めて、くれなかったんです。」

 

そして彼女は失敗した。

死ぬ間際の父親と、母親の幽霊に。

その両方から、望む言葉を贈られなかった。

 

「本当は、ボクには。」

 

無論、それは彼女の主観でしかない。

彼女の両親は深く彼女を愛していたし、愛している。

そうでなければ、父親は幽霊になんてなるものか。

悪霊になってまで、母親は言葉を贈ろうとするものか。

 

「なんにも、無いんです。」

 

だが。それを伝えて何になる。

彼女は、自分には何もないと思っている。

ならば、それが全てだ。それが彼女の現実だ。

外野が何を言った所で。慰めや、同情や、勘違いにしかならない。

その真意は、決して彼女に伝わらない。

 

「……そう、だったのですねー。」

 

だから芳乃は、緩やかに同意する。

それを咎めることも、許すこともせず。

ただ、彼女の言葉を受容する。

 

そう。受容することしかできないのだ。

芳乃はそれを、否定しなければならなかったのに。

芳乃は幸子を救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

 

 

 

 

 

救わなければ。

 

 

 

 

 

輿水幸子を救わなければ。

例え自分がどう成り果てても。

輿水幸子を救わなければ。

例えそれが不可能であっても。

輿水幸子を救わなければ。

 

 

 

 

 

使命を果たさなければ。

 

 

 

 

 

「話してくださり、ありがとうございますー。」

 

どうすればいい。

彼女は全てを思い出した。

忌避し続けた状況に到達してしまった。

させてはならないことを、させてしまった。

 

ちらりと小梅の方を見る。

そこには誰も居なかった。

「あの子」の気配だけが、ぽつりと取り残されていた。

白坂小梅は「あの子」から逃げ出した。

……失敗だ。

「あの子」は小梅を救えなかった。

芳乃が幸子を救えないのと、同じように。

 

ならば、どうすればいい。

全ての策は潰えた。

小梅も幸子も、全てを思い出した。

創り出した幻想は霧散した。

目を逸らしていた現実を、思い知らされた。

考えられる中で、最悪の方法によって。

 

それは、過去の再現でしかない。

彼女達は、かつて現実を目の当たりにした。

それによって受けた衝撃が、あまりにも大きくて。

だから幻想に逃げ込んだ。

 

適切な方法で伝えなければならなかった。

少しずつ受け入れさせなければならないものだった。

しかし、失敗した。

彼女達は、その身に余る現実を、一度に投げつけられた。

幻想を創った過去と、同じように。

 

それでも、違いを見つけなければ。

過去と全てがまるっきり同じでは、本当に成す術が無い。

それを認めては、いけない。

考えろ。何が違う。

何が2人に残されている。

 

……唯一、違うことがあるとすれば。

全く同じ境遇に立たされた人間が居るということだ。

小梅には幸子が。幸子には小梅が。

確かに存在するということだ。

 

幸子は両親の理想を。小梅は大切な親友を。

たったひとつを、守ることができなかった。

現実に押し潰され、それから必死に逃げ出した。

幻想で身体を包み、何もかもを遮断した。

己の無力を遠ざけて、そして2人は出会った。

 

いつも自信に満ち溢れているように見える輿水幸子と。

いつも自信が無いように喋る白坂小梅。

たったひとつを守れなかった、無力な少女。

正反対で、対照的で、同一の存在が出会ったのだ。

 

正反対で、対照的で、同一。

……そうだ。ならば、もう。

 

「……しかし、幸子殿ー。」

 

全てを託すしか手段が無い。

 

「そなたは、そなた自身を、何も持たぬと仰いましたがー。」

 

腕の中で、小さく震える無力な少女に。

無責任に押し付けるしか、選択肢が残っていない。

 

「何も持たぬ、そなたにしか。

頼めぬことが、あるのでしてー。」

 

芳乃は知っている。彼女達と同じような存在を。

正反対で、対照的で、同一の存在を。

 

「……ボク、に?」

 

そんな2人が、どれだけ互いの救いになったかを。

 

「小梅殿をー、救っていただけないでしょうかー。」

 

その確かな実証を、かつて芳乃は目の当たりにしている。

 

「小梅さん、を? でも……、」

 

賭けるしかない。

 

「彼女もまたー。悩み、苦しみ、足掻いているのですー。

そなたと、同じようにー。」

 

互いを救った彼女達のように。

 

「…………。」

 

幸子と小梅もまた、互いを救い合うのだと。

 

「無理にとは言いませぬー。

これは、わたくしの我が儘でしてー。」

 

その可能性に、賭けるしかない。

 

「……すいません。少し。

考えさせて、ください。」

 

幸子は芳乃に縋りつく手の力を緩める。

それを感じ、芳乃は幸子を抱き締める手を解く。

幸子は、緩慢な動作で立ち上がった。

 

「……承知致しましてー。」

 

彼女はゆっくりとその場を離れた。

雨で貼り付いた前髪に隠れ、表情は見えなかった。

 

 

 

 

 

その姿が見えなくなることを確認して。

芳乃は、ほんの少しため息を吐く。

 

「……先日、申し上げました通りー。

わたくしは、そなたら幽霊に抗う術を持ちませぬー。」

 

失敗した。

輿水幸子、白坂小梅、そのどちらも救うことは叶わなかった。

ならば、罰を受けなければ。

約束を破った罰を。

使命を果たせなかった、罰を。

 

「そしてわたくしはー、そなたとの約束を破りましてー。」

 

目の前の、黒。

この長いようで短い梅雨の中で、芳乃が幾度となく見た色。

その中でも、最も深い色だった。

 

「……さあ。」

 

芳乃は脱力し、おもむろに両手を広げる。

彼女が抱いた感情の矛先となる。

幽霊を受け入れる。

 

そう、心に決めた瞬間。

 

 

 

 

 

「……ようやく、話ができるわね。

小梅ちゃんの、お友達さん。」

 

 

 

 

 

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