輿水幸子の同一性   作:maron5650

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28.それでも届かないのなら

さて、どうしたものか。

私は肉体の感触を確かめるように、手を開閉する。

身体に当たる雨粒が、久しぶりの輪郭を教えてくれた。

 

この子……芳乃ちゃんには、謝っても謝りきれない。

でもこうしなければ、「あの子」ちゃんが乗っ取った。

あの瞬間、芳乃ちゃんは幽霊を受け入れた。

乗っ取ることが可能な状態だったのだから。

 

さっきの芳乃ちゃんの言葉を聞く限り。

「あの子」ちゃんを味方に付けるために、自らを差し出したのだろうか。

協力して、それでも小梅ちゃんを救えなければ。

その時は、自分を殺しても構わない、と。

……ちょっと、ありすぎじゃないか、自己犠牲精神。

さっきだって、私に傷付けられても一切怯まずに私を成仏させようとしていたし。

なんだろう。この子は少し、危険な気がする。

 

……今は、今のことを考えよう。

「あの子」ちゃんは約束通り、芳乃ちゃんを殺そうとしている。

方法は、乗っ取って殺すのが、一番楽で確実だ。

乗っ取られてしまっては芳乃ちゃんも抵抗できないし、私も邪魔できない。

私の「あの子」ちゃんへの攻撃は、全て芳乃ちゃんの身体に当たることになってしまう。

 

「ねえ、「あの子」ちゃん。」

 

感情は、もう大分落ち着いた。

もう長いこと、此処から動けていないから。

自分が死んだことすら忘れかけていたけれど。

そうだよね、私は死んだのだから。私は幽霊なのだから。

幸子ちゃんが私を見れなくても、何もおかしいことはないんだ。

 

「小梅ちゃんって、どんな子なの?」

 

でも、それを加味したとしても。

流石に驚いた。幻覚を見てたなんて。

幸子ちゃんの価値観は、私達が思っていたよりも、ずっと。

どうしようもなく、歪んでしまっていた。

私達が、歪めてしまった。

 

『……出てきたら、話してあげる。』

 

幸子ちゃんの背後に居た幽霊。私の夫。

あなたが最期に、幸子ちゃんと話せたって聞いたから。

だから幸子ちゃんはもう、大丈夫なんだと思ってた。

1人で暮らしてるとも聞いたから、きっと忙しいんだと。

だから此処に来なかったことに、別段違和感は無かった。

 

「それは駄目。……まだ、可能性があるもの。」

 

きっと、失敗したんだね。

伝えきれなかったんだね。

だから、幽霊になってしまったんだ。

幸子ちゃんに取り憑いて。

そうしてでも伝えたいって思ったまま。

それでも逝ってしまったんだね。

 

『可能性? もう潰えた。』

 

ごめんね。私も駄目だった。

私達の言葉じゃ、もう届かなかった。

もう、「可愛い」しか響かない。

私達の周波数じゃ、その言葉しか伝わらない。

 

「まだ居るわ。幸子ちゃんが。」

 

唯一、可能性があるとすれば。

さっき芳乃ちゃんが言っていたこと。

幸子ちゃんが、小梅ちゃんを助ける。

それが実現するとしたら。

自分に何の価値もないと思い込んでいる人間が。

それでも誰かを救うことができたとしたら。

 

それは彼女の、存在意義たり得てくれるんじゃないか。

 

『……何ができるのさ。アイツは、』

 

しかし幸子ちゃんだけでは、きっとそれは難しい。

「あの子」ちゃんから逃げたってことは。

その存在を拒絶したということは。

小梅ちゃんはきっと、もう近付けまいとするはず。

幽霊との対話ができる彼女が、それを実行するとしたら。

幽霊の力を借りようとするはずだ。

きっと幸子ちゃんは、幽霊に邪魔をされる。

しかし彼女は、幽霊を視認することすらできない。

 

「そう。だから。」

 

協力者が必要だ。

 

「……だから、助けてあげて欲しいの。」

 

幸子ちゃんと小梅ちゃんに、対話の席を用意するために。

幸子ちゃんが小梅ちゃんの元へ辿り着くために。

幸子ちゃんが小梅ちゃんを助ける、その前提を作り上げるために。

 

「私は、此処から動けないから。」

 

幸子ちゃんを守る存在が必要だ。

 

『……アイツは。助けられるの?』

 

生前。私は救えなかった。

幽霊という、本来無かったはずの、やり直しの機会を得ても。

それでも、それは変わらなかった。

 

「ええ。」

 

それは目の前の少女も同じ。

手が触れるほど近くに居たのに。

その手は。その声は。

ただ、守りたかったものを傷付けた。

 

『根拠は。』

 

ならば。自分では救えないのなら。

肉体を失って、それでも届かないのなら。

 

「だって、私の娘だもの。」

 

彼女達に全てを託そう。

今を生きる、生きた人間に。

 

『……嘘だったら?』

 

そのために、全てを捧げよう。

 

「そうね。殺しても……って、もう死んでるしねぇ。」

 

ふと考える。私が持っているものは何だろう。

……困った。何かを差し出そうにも。

生きていない私は、もう。

 

「もう何も、残ってないの。ごめんなさい。」

 

そう言って、頭を下げる。

それを見て、「あの子」ちゃんは大きくため息を吐いた。

 

『……一発。』

 

「うん?」

 

『その時は、一発殴らせなさいよね。』

 

「……いいよ。いくらでも。」

 

私が微笑むと、「あの子」ちゃんも笑ってくれた。

見た目からして、小学校を卒業するかしないかくらい。

幼い彼女には不釣り合いなほど、疲れ切った笑顔だった。

 

『……小梅と、初めて会ったのはね。』

 

そして少女は語り出す。

目の前の幽霊に求められるままに。

親友との思い出を。

これまで歩んできた、後悔の人生を。

 

 

 

 

 

救えなかった幽霊は、無力な少女に全てを託す。

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