輿水幸子の同一性   作:maron5650

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29.その手のひらには何も無く

「……ただいま。」

 

自分で鍵を開け、玄関に入る。

返事が聞こえないまま、靴を脱ぐ。

足元の靴は1人分。

 

「パパ。」

 

パパの部屋に、重い足を運ぶ。

扉を数回叩いても、何も返ってこない。

ドアノブを捻り、中に入る。

古本の掠れた香りと、開け放たれた窓。

カーテンがなびく室内に、人の影は1人分。

 

「ママ。」

 

振り返り、部屋を出る。

ダイニングキッチン、窓から夕陽。

片付けられたテーブルを、なぞる手のひら1人分。

 

「……。」

 

冷蔵庫。作り置きは1人分。

物置。残った荷物は1人分。

浴室。風呂用品は1人分。

クローゼット。お洋服は1人分。

ボクの部屋。ここもやっぱり1人分。

 

 

 

 

 

ボクの家。生活の跡は1人分。

 

 

 

 

 

「……本当に。」

 

本当に、もう、居ないんだ。

パパとママは死んだんだ。

あの日。交通事故で。

ママは、あの交差点で。

パパは、ボクの目の前で。

2人共、確かに死んだんだ。

 

「本当、なんですね。」

 

なら、あの言葉も。

気のせいでも、なんでもなく。

ただの、本当の出来事だったんだ。

 

「本当に、ボクは。失敗しちゃったんですね。」

 

鏡を見る。ボクが居る。

大嫌いなボクが居る。

ちっとも可愛くなんてない。

カワイイボクが、そこに居る。

 

「……バレちゃったんですね。」

 

ボクが可愛くないということを。

それを必至に取り繕っていたことを。

何もかもを騙し続けていたことを。

 

「……ああ。誰も、居ないなら。」

 

いいですよね。不細工に泣き喚いても。

 

「……っ、ぁ、……ぁあ、」

 

雨音だけが世界を満たしていた。

どうせ誰も、居ないんだ。

誰も居てはくれないんだ。

最初から、居なかったんだ。

 

「──ぁ、っ……!」

 

ボクを愛してくれる人なんて、誰も、

 

 

 

 

 

「忘れもんだよ、泣き虫野郎。」

「んぶっ!?」

 

 

 

 

 

唐突に何かを顔面シュートされる。

微妙に柔らかくてカサカサと音がするこれは。

……買い物袋と、その中身?

 

「取り敢えず冷蔵庫に突っ込んどくから。」

 

じんじんと痛む鼻を涙目で抑えると、よく知った声。

知ってはいるけれど、どこか違う声。

普段は、この声はもっと穏やかで、優しくて──

 

「──芳乃さん、じゃ、ない?」

 

見た目は確かに芳乃さん。

でも、外見以外の全ては、彼女ではない。

つまりこれは、さっきママと会ったように……。

 

「小梅が言うには、あの子だよ。」

 

乗っ取られている、と。

 

「……いきなり何するんですか!? 雰囲気ぶち壊しですよ、もう!」

 

人が折角、感傷に浸ろうとしたっていうのに。

今までの空気は何処へ。

というか、芳乃さん乗っ取られ過ぎじゃないですか?

 

「うるさいよ、アンタは適当にコメディしてりゃいいんだ。」

 

なんと酷い。

 

「……まあ、持ってきてくれたのは感謝します。」

 

梅雨の日中に放置したら、すぐに腐ってしまうでしょうし。

 

「でも、芳乃さんの身体は返していただけませんか?」

 

芳乃さんの見た目で、芳乃さんの声をした、他の人が存在するのは。

なんというか、すごく。すごく違和感がある。

性格とか全然違うし。

 

「嫌だ。」

 

「ええ……。」

 

そんなキッパリと。

 

「だってアンタ、ウジウジ悩んでただろう。」

 

「むぐ。」

 

それとこれがどう繋がってるのかは全く分からないけど。

悩んでたことについては、何1つ言い返せない。

 

「困るんだよ。アンタがそんなんじゃ。

小梅を助けてくれなきゃ困るんだ。」

 

「……でも、どうやって。」

 

確かに、芳乃さんはボクに言った。

何も持たないボクにしか、頼めないことがあると。

小梅さんを、救ってほしいと。

でも、何も持っていないのに。

一体どうやって、救えって言うんだ。

 

「聞いてたんですよね? 知っているんですよね?

ボクは何も、いいところなんてないんです。

そんなボクが、どうやって……、」

 

「方法なんて知ったこっちゃないさ。

あたしはアンタが出来るって聞いたから来ただけだ。」

 

「……? 芳乃さんに、ですか?」

 

芳乃さんの見た目をした「あの子」さんは、ボクの言葉を鼻で笑う。

 

「ソイツが言うにはね。」

 

姿勢を正し、真っ直ぐにボクを見つめ。彼女は言い放つ。

 

 

 

 

 

「『だって、私の娘だもの。』」

 

 

 

 

 

「っ、」

「……だってさ。」

 

「私の娘」。

「私」の、「娘」?

それって。「私」って。ボクの。

 

「ママと、会ったんですか!?」

 

どうして。

だってママは、知っているはず。

だってママは、あの場所に居たはず。

居たのなら、聞いていたはず。

ボクは本当は、可愛くなんてないって。

ママが見ていた、ママの理想の輿水幸子は。

ボクが騙し続けた、偽物だって。

 

「アンタだって会っただろう。」

 

なのに、どうして。

どうして、その言葉が出てくるの。

貴方の娘は、可愛くなんてなかった。

貴方が私に見出した、愛するに足る要素は。

何一つ、無かったのに。

 

「それは、そうですけど……。」

 

どうして、そんな。

ボクを、信じるようなこと。

 

「とにかく。アンタには小梅を助けてもらう。

アンタがどう思ってようがね。

この身体は、人質だ。」

 

「あの子」さんは、ぽんぽんと芳乃さんの身体を叩く。

そんなことを言われたら、断ることができない。

どうやら本当に、ボクのことは一切考慮してくれないらしい。

 

「必要なあれこれも、そろそろ届く頃だってさ。」

 

と、付け加えられた次の瞬間。

ボクのポケットが振動を始めた。

 

「メール……、芳乃さんから?」

 

「コイツは最初から、考えてはいたみたいだ。」

 

「あの子」さんは自分の頭を──芳乃さんを指差す。

時間を設定して、メール送信を予約していたということ?

 

「……読みなよ。」

 

促されるままにボクはメールを開封し、内容を読み進める。

 

「……っ、」

 

それには全てが記されていた。

白坂小梅に関する、これまでの全てが。

 

「…………。」

 

小梅さんの人生。「あの子」さんの人生。

外見の理由。内面の理由。趣味の理由。

「あの子」さんだけを、視えていなかったこと。

幽霊の仕組み。できることと、できないこと。

過去を思い出して、それでも否定しようとしていること。

彼女が、苦しんでいるということ。

 

「…………ボクは。本当に。」

 

一文字一文字。丁寧に。

取りこぼしてしまわないように。

慎重に、読み進める。

これが小梅さんの、これまでの人生。

ずっと一緒に居たボクが、少しも気付けなかった傷。

 

「ダメな人間です。」

 

知らなかった。気付けなかった。

これが、この文章が全てなら。

小梅さんを成す全ては、余すことなく傷痕だ。

 

「親友の、何も。何1つ。」

 

染められた金色も。

飾られた耳の銀色も。

袖が長いパーカーも。

消えない目元の濃いクマも。

彼女の見た目の全部が、彼女の悲鳴だったんだ。

 

「……気付けなかっ、」

 

「だーから。」

「む゛ぇ!」

 

再び鼻先に衝撃。

天丼はいけないと思うんです。

 

「感傷ごっこに付き合う気はないの。

小梅んとこ行って、会って、助けて、帰る。」

 

「……あな゛た本当に小梅さんの友達でひゅか……?」

 

またしても涙目になりながら、細やかな抗議。

余りにも性格が違い過ぎる。

この2人が仲よしになるビジョンが見えない。

ええ、これっぽっちも。

 

「……ほら、行くよ。居場所は乗っ取る前に聞いといた。」

 

痛みに悶えるボクの背を容赦なく押す。

ボクより9cm高いその体格に負け、ズルズルと身体が移動を始める。

空は依然として重苦しく、しかし雨の勢いは、少しずつ弱まっていた。

 

 

 

 

 

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〔Mission List〕

 

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