輿水幸子の同一性   作:maron5650

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30.唯一の利用価値

「と、いうわけでしてー。わたくしの身体をお使いいただければとー。」

 

「あの子」が幸子の家へと向かう前。

降りしきる雨に身体を濡らしながら、芳乃はそんなことを言い出していた。

 

幸子の母親と「あの子」との話し合いが終わると。

幸子の母親は芳乃の身体から離れ、芳乃を目覚めさせた。

「あの子」との携帯を使ったやり取りによって、現状を把握したのち。

小梅の移動先を確認した芳乃が提案したのが、「あの子」に自分を乗っ取らせることだった。

 

『……ねえ。この子、ちょっと……。』

 

幸子の母親が「あの子」に同意を求める。

「あの子」は眉をひそめながら頷いた。

 

『自分のことを、これっぽっちも考えちゃいないんだ。

さっきだって、まさか黙って殺されようとするなんて。』

 

芳乃の趣味は、悩み事解決、石ころ集め、失せ物探し。

3つの内2つが、他者のために行うものだ。

「あの子」は最初は、奇特な奴だとしか考えていなかった。

他人のために行動するなんて、今時殊勝なのも居たもんだ、と。

 

だが、彼女のそれは。依田芳乃の奉仕精神は。

そんな平凡な言葉で片付けられる程度のものではなかった。

はっきりと断言できる。彼女は異常だ。

彼女の中の価値基準に、そもそも自分が含まれていない。

まるで他者のためなら、自分は文字通り「どうでもいい」かのような。

冗談でも、誇張でもない。

本当に、自分はどうなっても構わない。

そう考えているとしか、「あの子」には思えなかった。

 

いくら他者のためとはいえ。

少しは自分が可愛いのが、人間ってもんじゃないのか。

例えば目の前に、車に轢かれかけている人が居るとして。

突き飛ばせばこの人は助かるが、自分が代わりに轢かれるとして。

どんなにお人好しだとしても、一瞬は躊躇するのが普通じゃないのか。

ああ、轢かれたくはないな、と。

それを一瞬考えた上で、それでも助けることを選ぶなら、まだ分かる。

それは個人の考え方の自由だ。

だが。自分が轢かれる可能性を認識した上で。

それが嫌だとも、一瞬も躊躇せずに飛び込む。

これは、紛うことなき異常ではないのか。

 

『でも、今はそれが有難い。』

 

目の前に居る人物が、依田芳乃でなかったなら。

幸子と小梅を助ける理由を与えなければならなかっただろう。

助けたい、或いは、助けなければならない。

そう彼女に思わせる何かを、作り出さなければならなかっただろう。

 

あれだけ奔走して、それでも救えなかった。

どんなお人好しでも、普通ならここで諦める。

救えなかったところで、自分への損害が大して無いのなら尚更だ。

 

だが彼女は、それでも諦めない。決して諦めない。

別に長い付き合いがあるわけではない。

助けなければ被る損害があるわけでもない。

ただ、自身の愛他性故に。

人を助けたいという思いだけで。彼女はまだ、諦めていない。

 

『……そうね。……ごめんね、話逸らしちゃって。

どうする? 確かに芳乃ちゃんの言う通りだと思うけれど。』

 

芳乃が「あの子」に、自分を乗っ取ることを提案した理由。

それは幸子が失意に呑まれ、小梅を助けることを放棄する可能性。

これを排除するためだった。

 

幸子もまた、小梅と同じ境遇に立たされている。

かつて耐えきれず、幻想に逃げ込んでまで目を逸らした現実。

それを再び浴びせられたのだ。

 

幸子にとって唯一の救いは、芳乃が側に居たということだった。

縋り付く相手が居た。相槌を打ってくれる存在が居た。

その衝撃を受け止める際に、間に割って入った緩衝材があった。

その結果、幸子はまだ、比較的マシな状態だ。

芳乃の唐突な要望に、考えさせてくれと返すことができた程度には。

 

一方、小梅には緩衝材は無かった。

それどころか、最も見てはいけないものを。

「あの子」を、見てしまった。

全てを思い出した状態で。見てしまったのだ。

それは、過去の出来事と、全く同じ。

病室でのやり取りを、ただ繰り返していることになる。

過去を繰り返したのなら、これから先、彼女に起こることも。

同様に、過去をなぞることになる。

 

それをさせないために、幸子に行動してもらわなければならない。

白坂小梅が憧れた存在であり、白坂小梅の親友である、輿水幸子に。

その声が最も彼女に響くだろう存在に、動いてもらわなければ。

 

幸子がこの場を去る直前、芳乃は彼女の気を読んだ。

不可能。疲弊。失意。呆然。

何かを新たに行えるような精神状態ではなかった。

考えさせてくれと言ったのは、社交辞令的なものに過ぎない。

彼女は自分のことで精一杯だった。

 

そんな状態の彼女に、しかし動いてもらう。

そのためには、彼女が動かねばならない理由を与えなければならない。

動機は既に持っているだろう。幸子は小梅の親友だ。

苦しんでいると知ったら、なんとかしたいと思うに決まっている。

問題は、彼女にそれが可能だと、彼女自身が思わないことだった。

 

彼女にとっての、自分の利点、アイデンティティ、存在意義。

そういった類のものは、全て「可愛い」に集約されていた。

幼い頃から可愛いと言われ続けた彼女は、それが自分のアイデンティティだと認識した。

しかし一方で、自分の外見を可愛いとは全く思えなかった。

だから彼女は自身をカワイイと偽った。

芳乃が感じていた、幸子以外が口にする「可愛い」と、幸子が発する「カワイイ」の差。

それは、発言者が「輿水幸子は可愛い」と思えているかどうかの違いだったのだ。

 

そして今、彼女は自分の過去を思い出した。

決して自分を可愛いと思えなかった彼女が。

それでも両親の期待に応えるために、自らを偽り続けてきた彼女が。

そんな彼女の、その全てが。

ただのハリボテだったのだと、両親に見破られてしまった過去を。

 

そんな自分が、他人を助けられるはずがない。

そんな能力が、自分にあるはずがない。

何を疑うこともなく、彼女はそう確信する。

何故なら彼女は、本当は。

他人に誇れるものなんて、何一つ無かったのだから。

彼女自身が、そう認識してしまったのだから。

 

だから芳乃は、自分の乗っ取りを提案する。

 

輿水幸子が白坂小梅を救う、そのために。

今の幸子に必要なものは、その行動を自分が成し遂げられるという根拠。

しかし彼女にそれは無い。

その自信が何一つとして無いことが、彼女の抱える問題だ。

 

これを解決することは、現段階では不可能と考えていいだろう。

できるのならば、彼女の両親がとっくにやっている。

そうでなくても、芳乃が成し遂げている。

しかし実際、それは叶わなかった。

つまり幸子には、自分がそれを達成できると思わないまま。

その根拠を持たぬまま、しかし行動してもらわなければならない。

 

そのために芳乃は、自分を人質にして幸子を脅そうとする。

 

幸子の都合など、知ったことではない。

お前に選択肢など存在しない。

何故なら、従わなければ芳乃が死ぬからだ。

そうやって、彼女を脅すことで。

できるはずがないと思いながら、それでも行動しなければならない。

そんな状況に彼女を持っていくことができる。

 

そして、それが可能な人物は。

土地に縛られているわけでも、幸子と深い仲なわけでもない人物。

白坂小梅を助けたいと思っており、しかし輿水幸子はそう大切でもない人物。

輿水幸子が、そのように認識している人物。

「あの子」だけということだ。

 

『……てか、アンタはいいの?

自慢の娘の善意につけ込んで無理矢理動かそうって話でしょ、これ。』

 

真っ先に否定する立場にあるはずの人物が、割と乗り気に見える。

 

『誰かに手を引っ張られるくらいが丁度いいのよ、ウチの娘は。』

 

さも当然のようにさらりと返された。

……どうしよう。納得してしまったあたしが居る。

 

『……じゃ、まぁ。』

 

芳乃の携帯を、一度だけ開閉する。

肯定の合図。

ぱたん、という音を聞くと、芳乃は微かに笑った。

 

「……ではー、ひとつ、気をつけて頂きたい点をー。」

 

握った手を掲げ、人差し指だけを真っ直ぐに伸ばす。

右手で1を表しながら、芳乃は言葉を続けた。

 

「幸子殿に、考え事をさせないよう。ご注意くださいませー。」

 

携帯の開閉を、ひとつ。

芳乃の忠告、その理由はもっともだった。

幸子は過去を思い出した。

思い出したが、過去ほどのショックは未だ受けないままでいる。

それは、芳乃が緩衝材となったから。

全てを思い出したあの瞬間、芳乃が彼女を抱き締めていたからだ。

その結果幸子は、考えることを一時的に止めた。

記憶の整理を中断したのだ。

彼女の脳内は、衝撃で掘り起こされた記憶がバラバラに存在している。

 

しかし、あくまで一時的だ。

幸子をあのままにしていたら、再び思考を巡らせるだろう。

そうして再び考え、その思考が完了したなら。

バラバラの記憶が整理されてしまったら、その時こそ本当に終わりだ。

 

だから、考えさせてはいけない。

多少強引にでも、違和感を生じさせてでも。

無理矢理に幸子の焦点を、小梅を助けることに合わせ続ける。

そうやって、核心から目を逸らさせる。

逸らさせたまま、小梅を助けさせ。

小梅を助けたという事実を以ってして、幸子を救う。

あたし達が目指すのは、そんな相互作用だ。

 

「……ではー、どうぞー。」

 

あたしが了承したことを確認して、芳乃は両腕を広げる。

幽霊を受け入れる状態になる。

あたしは芳乃のに入り込み、その身体を乗っ取った。

 

「んー、……よし。」

 

いくつか瞬きをし、手足を軽く動かす。

どうやら問題は無いようだ。

……というか、この身体、異様に軽い。

健康体、という言葉では、説明しきれないほどに。

 

『あ、ちょっと待って。

……これ、持ってってもらえる?』

 

早速幸子の家へと向かおうとすると、幸子の母親に呼び止められる。

振り返ると、幸子が落としたレジ袋を抱えていた。

 

「……しょうがないなぁ。」

 

ひったくるようにそれを受け取り、中身を確認する。

彼女が言っていた通り、概ねオムライスの材料だった。

卵、玉ねぎ、鶏肉、ケチャップ、ソース……ソース?

一番上に置かれていたからか、卵は全て無事のようだ。

 

『……ああ。後、携帯も貸してもらっていいいかしら。』

 

「? いいけど……てか、あたしのじゃないけど。」

 

渡すと、幸子の母親は何かを打ち込み始める。

 

『幸子ちゃん、きっとびっくりしちゃうと思うから。

……適当に誤魔化しておいてくれる?』

 

これまでに得た情報を纏めて、メールで送ろうとしているのだろう。

さっきあたしが話した、小梅の話も含めて。

確かに必要だろうな、と思い、特に反対はしないことにした。

 

「ん。……予約送信とでも言っとく。」

 

今度こそ、あたしは幸子の家へと向かう。

片手に持ったレジ袋が、走っていると割と重くて。

挨拶代わりに叩きつけてやろうと、心に決めた。

 

 

 

 

 

「……本当に、びっくりしちゃうと思うから。」

 

立ち尽くした子の親は、雨空に微笑んだ。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 芳乃の身体

 

「あの子」が芳乃を乗っ取った時、異様な身体の軽さを実感した。

運動が得意、健康体、そんな言葉では説明がつかないほどに。

一体彼女は、何者なのだろうか。

 

 

〔Mission List〕

 

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