輿水幸子の同一性   作:maron5650

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34.何も無くてもいいですか

目的地である小学校。

その隣に位置する、マンションの屋上に着地し。

あたしは目を凝らして、学校の様子を観察した。

 

「……あー、うん。幸子?」

 

校舎全体が、白い靄のようなもので覆い隠されている。

距離のせいではっきりとは見えないが、恐らくは大量の幽霊。

これでは校舎の様子が分からない。

それどころか、あたしが進入することができない。

 

「はい?」

 

いくら芳乃の身体を借りているとはいえ、あたしはれっきとした幽霊だ。

幽霊がすり抜けるのは物体だけ。同じ幽霊にはきちんとぶつかってしまう。

このまま無理矢理に通ろうとしても、芳乃の身体ごとぶつかるか、芳乃の身体だけがすり抜けるか。

どちらにせよ。あたしが校舎に入るには、あの大量の幽霊を何とかしなければならない。

 

「ここから小梅の居場所、見える?」

 

だが、果たしてそんな悠長なことが許されるか。

小梅の状態は非常に不安定。だから空を跳んでまで急いだ。

幽霊達を説得する、もしくは力技で排除する。その猶予が残されているか分からない。

だから、幽霊が見えない幸子に情報を求めた。

……なるべく、幽霊の存在を悟られないように。

 

「……? なんでそんなこと……、」

 

幸子は幽霊にてんで弱い。

幽霊を始めとした、ありとあらゆるホラーに。

それはもう、映画の鑑賞会をしたくらいで簡単に気絶するほどに。

「今から幽霊でいっぱいの場所に行くけどいい?」なんて言ったら、どうなることか。

ましてや「あたしは通れないから後は1人で頑張って」なんて日には、もう。

考えてしまえば一瞬で答えが出る気がして、極力考えたくはなかった。

 

「いいから。ほら。教える。」

 

早速余計なことに考えを巡らせ始めた幸子の思考を矯正する。

あたしに急かされて、幸子は目を凝らし、前方を観察し始めた。

 

「……っ!」

 

次の瞬間。

弾かれるように目を見開き、あたしに向かって叫ぶ。

 

「跳んでください! 早く!」

 

……不味い。

 

「ちょっ、待った、跳ぶって何処に……、」

 

この反応からして、きっと小梅に猶予は無い。

そして猶予が無い故に、幸子に余裕が無くなった。

 

「窓ガラスが割れてる教室です! アナタにも見えるでしょう⁉︎」

 

となれば、取れる行動は限られる。

校舎を覆う幽霊をどうにかした後あたしが進入する、これがまず無くなる。時間が足りない。

幸子に事情を話して単身乗り込ませる、これも時間がかかる。が、あたしが行くよりはマシか。

……うん、これしか思い付かない。し、これ以外を考える時間的余裕も無い。

あたしが幸子を校舎内に運べない以上、幸子の足が速いことを期待するしかない。

 

「……幸子。聞いて。

校舎の周りに幽霊がわんさか居る。校舎を完全に覆うくらいに。

あたしは幽霊だから、幸子みたいに幽霊をすり抜けられない。

だから徒歩で……」

 

そして最も問題なのは、幸子が幽霊をすり抜ける、つまりは幽霊と接触する際の感覚に耐えられるかだ。

どうやら生者は幽霊と接触すると、独特の寒気を感じる。

あたしがファミレスで手に触れた時も、芳乃の身体について説明した時も。

幸子は情けない声を上げて跳ね上がっていた。

相当に苦手な感覚のようだが、一々あんな反応をされては日が昇──

 

「なら投げてください!」

 

「──はぁ⁉︎」

 

あまりに予想外過ぎて素っ頓狂な声が出た。

 

「……は⁉︎ 投げるって、誰を⁉︎ 何処に⁉︎」

 

「ボクを‼︎ 小梅さんの所に‼︎」

 

「あたしは校舎が見えないの! トマティーナでもやりたいの⁉︎」

 

「方向は指示します‼︎ 足か背中から入れば窓も大丈夫です‼︎ 多分‼︎」

 

「多分な時点で駄目でしょ‼︎ 何か他の──、」

 

 

 

 

 

ばちん。

 

 

 

 

 

耳のすぐ近くから、そんな大きな音が出た。

その音が、あたしの言葉を途切れさせた。

あたしの頭全体が、その音に一瞬、真っ白になった。

その一瞬が過ぎると、頬にじわりとした感触。

ここまできて、ようやく目を動かす。

幸子の両手が、あたしの両頬を叩いた音だと知った。

 

「──小梅さんが、泣いてるんです。」

 

頬に手を添えたまま。

呆然とするあたしを、幸子は真っ直ぐに見つめていた。

その瞳は、何かに苛立つようで、何かを悔やむようで。

 

 

 

 

 

「……泣いて、いるんです。」

 

 

 

 

 

何かを、祈るようで。

 

「……あたし。もう人殺しなんて、勘弁だからね。」

 

なんだよ。

ずっと情けなかったくせに。

守られるだけだったくせに。

役になんて立たなかったくせに。

 

「大丈夫です! ボクはカワイイので!」

 

泣いているから。

それだけで動くのか。

それだけで動けるのか。

それだけで、怖くなくなるのか。

 

「……そうだね。」

 

ああ、なんだよ。

 

「カワイイよ。ほんと。」

 

格好良いじゃんか。ちくしょう。

 

 

 

 

 

「いい⁉︎ 行くよ‼︎」

 

「あの子」は幽霊としての自分を全て右腕に纏わせ、巨大な腕を作る。

星空に掲げられたその上で、幸子は叫ぶ。

 

「どうぞ‼︎」

 

その声に応えるように、「あの子」は大きく片足を踏み出す。

それと連動するように、「あの子」は右腕で弧を描く。

空気中に蔓延る水分を切り裂くように、幸子は跳んだ。

 

「…………っ!」

 

圧縮された大気が幸子を拒絶する。

息を止め、歯を食いしばり、目だけは大きく見開いて。

幸子はそれを押し返す。

 

本能的な不快感を引き起こす冷たさに包まれる。

両手を強く握り締め、白坂小梅を真っ直ぐ見つめ。

幸子は幽霊の壁を突き進む。

 

割れた窓ガラスが視界を埋め尽くしていく。

その時だった。

自分の移動速度が加速度的に減速していった。

時の流れが緩やかになり、やがて意識のみが取り残された。

静止した世界の中で、ガラスに映る自分だけが、時間に囚われていなかった。

白坂小梅を見つめる瞳が、幸子自身を見つめていた。

 

 

 

 

 

それに映った醜いボクが、ボクを嘲笑っていた。

 

 

 

 

 

「どうするつもり、なんですか?」

 

決まってるでしょう。助けるんですよ。

 

「どうやって? 何を使って?

アナタは何も持っていないのに。」

 

そうですね。ボクには何もありません。

人に誇れる長所なんて。存在する価値なんて。

 

「じゃあ、できっこないじゃないですか。」

 

できますよ。何もなくても。

最初から、要らなかったんです。そんなもの。

 

「あれだけ欲しかったのに? あれだけ欲しがったのに?」

 

何もかもに嘘を吐いて。自分すらも欺いて。

そうまでして欲しかったのは、そんなものじゃなかったんです。

 

「アナタには、可愛いしか無いのに?」

 

ボクが欲しかったのは。

そんな意味の無いアイデンティティなんかじゃない。

 

「可愛くなければ、かわいがってもらえないのに?」

 

ボクが、本当に欲しかったのは。

……欲しかった、言葉は‼︎

 

 

 

 

『もう、大丈夫よね。』

「例え何も無くたって‼︎ 生きてたって良いって‼︎」

『ああ。立派に育ってくれたよ。』

空間に固定された左腕を、無理矢理に剥がし取る。

『じゃあ、最期の。』

「ただ、それを‼︎ それだけを‼︎」

『うん、最期の。』

そのまま硬く握り締め、大きく振り上げる。

『『……せぇ……のっ!』』

「……許してほしかった‼︎‼︎」

『『──頑張れ‼︎‼︎』』

ボクに、思い切り振り下ろした。

 

 

 

 

 

月が白く透き通った夜。

 

「どうして、あの子の姿が思い出せない?」

 

目の前の私は、私の首元にナイフを近づけようとする。

 

「どうして、あの子の声が分からない?」

 

私は必死に、それを押し返そうとする。

 

「どうして、私と同じような口調でしか喋らない?」

 

でも。人間が化け物に、勝てるはずがなくて。

 

「どうして、あの子の名前を口にしない?」

 

じりじりと。じわじわと。

 

「……どうして、それら全てに疑問を抱かない?」

 

少しずつ、ナイフは私へとにじり寄っていく。

 

「思い出せ。」

 

目の前の私は、私に覆いかぶさるように顔を近づける。

醜い色の右目から、不気味な色をしたドロドロの液体が流れ落ちていた。

 

「あの子はあの日、私に何をした。」

 

それは私の頬をつたって、ゆっくりと私に降り注ぐ。

ひどく粘っこくて緑色のそれは、私を嘲笑うように空中でぷらぷらと揺れながら。

ナイフと同じように、少しずつ距離を詰めていった。

 

「あの子はあの日、私をどう思っていた。」

 

私の右目から流れる液体が、私の右目に触れた。

べちゃりと不快な音がした。

見た目通りドロドロとした感触のそれは、重力に引き摺られて頬を汚し始めた。

 

「あの子はあの日、どんな未練を抱いた。」

 

心臓が痙攣するように脈打っていた。

送り出される血液が緑色に染まっていった。

息を吸っているのか吐いているのか分からなくなった。

首は正面に固定され、逃げることを許さなかった。

 

「……さあ。」

 

目の前の私は目を閉じようと瞼を下げる。

それに引き摺られるように、私の瞼が下がっていく。

目を覆う肉の裏に、何かが書き足されていった。

目を閉じたら見えるように、目の前の私が書き加えていた。

抵抗しようと力を入れても、左目から涙が流れるだけだった。

 

 

 

 

 

目を、閉じる。

 

 

 

 

 

「……っ、あ、」

 

私の右目の中にまで、緑色の液体が入り込んだ。

それは私の身体を浸食し、醜く腐らせていった。

私は目の前の私と同じモノになっていった。

私は間違いなく、化け物だった。

 

「あの子は私を傷つけた。」

 

あの日、あの子は私の頬に触れた。

 

「あの子は私を憎んでいた。」

 

あの日、私は大怪我をした。

 

「あの子の未練は。」

 

あの子の未練は。

 

 

 

 

 

「「私が、まだ生きていることだ。」」

 

 

 

 

 

「全てを思い出したのなら逝きなさい。」

 

目の前の私は、綺麗な両目を私に向けた。

 

「生きていてはいけないのだから。」

 

私の視界が緑色に滲み始めていた。

 

「死ななければならないのだから。」

 

右目から浸透した液体が、左目から溢れ出した。

 

「その手に力を入れることすら、許されてはいけないのだから。」

 

ナイフを塞き止める手から、力が失われていった。

 

「……手を、離しなさい。」

 

……しにたく、ない。

 

「貴方の感情なんて聞いてない。」

 

分かってる。分かってるよ。

生きてちゃいけない。死ななきゃいけない。

生きている価値がない。

 

「そう。だから死ななきゃいけないの。」

 

でも。だけど。

生きていたい。死にたくない。

価値が無くても持っていたい。

 

「それが許されないと言ってるの。」

 

嫌だ。

ナイフは侵攻を止めなかった。

嫌だ。

両目から不気味な液体が流れ続けていた。

嫌だ。

目の前の私は表情を失い、傷はいつの間にか消えていた。

嫌だ。

醜いのは全て私だった。

嫌だ。

ナイフは私の喉元に辿り着き、その肉から液体を漏らした。

嫌だ。

そのまま、私の、中に、

 

 

 

 

 

ガラスが、割れる。

 

 

 

 

 

目の前の私は身体中に亀裂が走り、音を立てて四散した。

私が握っているのは私の手ではなく、ナイフでもなかった。

鋭利に尖ったガラス片が、私の喉に食い込んでいた。

それを掴む私の手は、ズキズキと痛んでいた。

何かが教室の窓を破り、外からここへ飛んできた。

 

「……間に合った、みたいですね。」

 

それはゆっくりと立ち上がると、私に向かってこう言った。

 

 

 

 

 

「カワイイボクが来ましたよ!」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・憧れを救ってください

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