雲ひとつ無い、満月が照らす夜。
肌に当たる風の感触が新鮮だった。
落ち着いて見ようとしなかった両腕は、生々しい紫に染まっていた。
それを空気に晒すことが、心臓を差し出しているように思えた。
『…………小梅。』
剥き出しの私を見て、あの子は寂しそうに笑った。
「……久し、ぶり。」
私はきっと、笑ってしまうくらい、ぎこちなく笑っているんだろう。
『うん……そうだね、そうだ。
本当に、久しぶり……。』
私の言葉を噛み砕くように、あの子は何度も軽く頷く。
何を言えばいいか分からなくて、私は彼女を見つめる。
最後に見た時と、何ら彼女は変わっていなかった。
髪の長さや肌の色。背の高さも、その声も。
でも。あの頃とは、何もかもが変わってしまっていた。
あの頃のように、自然と言葉が出てこなかった。
「あの……あのね、えっと……っ、」
でも。言わなきゃいけなかった。
確かめなきゃいけなかった。
あの日に起きた、あらゆる全ての物事の。
答え合わせを、しなきゃいけない。
『……あの日。』
私が何かを言おうとすると、あの子はそれを遮った。
少しだけ驚いて、彼女の目を見る。
感情が、見えなかった。
『あたしは、小梅を傷つけた。』
あの子は、淡々と話し始めた。
感情を抑えようとしているのか、私なんかに浪費する感情なんて無いのか。
それすらも分からなくて、私は次の言葉を待った。
『……そんなつもりじゃ、なかったんだ。』
混乱する頭を押さえつける。
今、彼女は、何て言った?
……そんなつもりじゃなかったと、そう、言ったの?
『小梅を、死なせたくなかった。
無事かどうか、確認したかった。
……それだけ、だったのに……っ!』
あの子の声は、何故か震え始めていて。
感情が漏れ始めていて。その感情は悲哀のようで。
私が謝るはずなのに、許しを請うはずなのに。
そんな表情をするのは、私の方なはずなのに。
『でもっ! ……あたし、傷つけちゃった……!
一番、したくなかったのに!
傷跡は殆ど残らないって、少しでも残るなら意味が無い!』
あの子は、まるであの時の行いを。
私に傷を負わせたことを、後悔するように。
罪を懺悔するかのように、叫んだ。
『髪型も髪色も! ピアスも趣味も! 腕の傷も喋り方も目の隈も、ぜんぶ‼︎
全部あたしが捻じ曲げた‼︎ あたしが白坂小梅を殺した‼︎』
あの子は、慟哭を止めなかった。
それは彼女の、断末魔のように聞こえた。
あの日聞いた、耳にこびりつく最期の音を。
そのまま意味のある言語に置き換えたような、慟哭。
『殺したくなかったのに‼︎
生きててほしかったのに‼︎
幸せでいてほしかったのに‼︎』
それを聞きながら、どこか期待してしまう。
もし、幸子ちゃんが言うように。
私達に御都合主義が、残されているのなら。
『こんなのっ‼︎ 怖がられるに決まってる‼︎ 嫌われるに決まってる‼︎』
何もかもがうまくいくような。
苦しまずに済むような。
そんな理想が、存在するというのなら。
『……だから、せめてっ‼︎
──忘れていてほしかったのに!!!』
それはもしかして、こういうことなんじゃないか。
「……ねぇ。」
声が震える。涙が滲む。
それを確かめることが、どこまでも怖かった。
でも。もし、ダメだったら。
御都合主義なんて、やっぱり無くて。
あの子は私を憎んでいて。
私が死ななきゃいけないのなら。
「私、あなたのこと、だいすきだよ。」
私の憧れが、私を殺してくれるから。
「だって、助けてくれたよ。」
あの日、殺されかけた私を。
「だって、一緒にいてくれたよ。」
あの日から、いつだって私と。
「だって、だって……っ、」
あの日より前から、今まで、ずっと。
守っていて、くれたから。
「…………あなたの、名前、すら……、思い出せない、けどっ、」
必死に伝えようとして、言葉が喉につっかえて。
嗚咽だけが押し出されて、涙が後から溢れてく。
「あなたを……死なせ、ちゃった、けど……っ、」
でも。それでも。
「それでも……、わた、しっ……、あなたを、すきでも……いい、かな。」
それでも、言わなきゃ。
「あなたと……ともだちで、いいかな……。」
それでも、聞かなきゃ。
「……まだ、いきてても。……それでも、いいかなぁ……っ、」
それでも、伝えなきゃ。
なのに、涙は止まってくれなくて。
前が滲んで見えなくなって、喉が熱さに焼き切れて。
口が動いてくれなくなって、私は何も言えなくなって。
でも、言わなきゃいけないことは、きっと言えたと思うから。
どれだけ泣いていたんだろう。
冷たさは、そっと私の右頬に触れた。
それはあの子の、手のひらだった。
流れ続ける透明は、あの子の形をかたどった。
右頬に触れた冷たさは、あの時と同じ感触がした。
前髪の下を潜るように、瞼の上をそっと撫でていた。
ひんやりと心地良いそれに、私の手を重ねた。
たったこれだけのことに、随分と長くかかってしまった。
『……うん、いいよ。』
子供のように泣きじゃくるだけの私を、冷たさが包み込む。
それは、ただ、優しく私を抱きしめた。
それは、私を傷付けようとはしなかった。
最初から、傷付けようとなんて、していなかったんだ。
『いいに、決まってる。』
あの子の声も、私と同じだった。
あの子の身体も、私と同じだった。
私と同じように、震えていた。
『死んだりしたら、許さない。』
あの子も、私と同じだったんだ。
「『ごめんなさい。』」
同じ言葉を、あの子と紡ぐ。
「『あなたを助けられなくて。』」
同じことを思っていた。
「『あなたを傷付けて。』」
同じことを悔んでいた。
「『それでも、友達でいてくれますか。』」
同じことを願っていた。
「『笑顔でいてくれますか。』」
同じことを夢見ていた。
「『側に居てもいいですか。』」
同じことを、許してほしかった。
ふたつの笑顔がドアから覗く。
「『ただいま。』」
「はい、おかえりなさい。」
ふたりを見て、彼女は笑った。
Information : データが更新されました
[Tips] 「あの子」の未練
・小梅の右目に映ること
・小梅に名前で呼ばれること
[Mission Complete] 憧れを救ってください
〔Mission List〕
2人を縛るものは、もう何もありません。
information : 夜が明けました
information : 輿水幸子が夢から覚めました
information : 白坂小梅が夢から覚めました