幸子、小梅、「あの子」、芳乃の4人は、校舎を出た後。
その足で交通事故現場へと向かった。
しかしそこには、幸子の母親の姿は無かった。
小梅と「あの子」が辺りを見渡しても、何処にも彼女が視えない。
芳乃の携帯だけが、電柱に立てかけるように置かれている。
幸子の背後に居るはずの父親も、忽然と姿を消していた。
動揺する3人とは対照的に、幸子はどこか納得したように空を見上げた。
芳乃が携帯を開くと、一件の未送信メールがあった。
それは幸子が幻覚に教えてもらうと言っていた、オムライスのレシピだった。
素知らぬフリをして、芳乃は袂に携帯を仕舞った。
予約送信。今日の昼過ぎ。
続いて、ショッピングモールのブティックへと向かった。
代金は勿論、礼を述べるために。
しかし、店長のプレートを付けていたのは、昨日の男とは違う人物だった。
嫌な予感を覚えながらも尋ねると、昨日の彼はいわゆる雇われ店長で。
しかも前々から(主に店の雰囲気にそぐわない外見のせいで)上に目をつけられており。
客に無償で商品を、ご丁寧にラッピングまでして、無断で渡したことをきっかけに。
とうとうクビになったとのことだった。
どうすれば彼に会えるか聞くと、近くの通りで屋台を出していると教えてくれた。
『いやどうして屋台だよ』と、「あの子」は小さく呟いた。
通りに出ると、確かに屋台が一件、ぽつんと立っていた。
口元に笑み、額に汗を浮かばせ、白い歯を輝かせながら、何かを鉄板で焼いている。
近寄ってみると、食欲を刺激する香りが漂ってきた。
「おう、幸子ちゃん! 昨日ぶりだな‼︎」
幸子が店の前に立つと、男はやはり快活に笑った。
「……あの、色々とツッコミが追いつかないんですけど。」
既に3つ用意されている、極長のソーセージを丸めて串に刺したもの。
暖簾に手書きで書かれている「ソーセージマルメターノ」。達筆。
男が着ている、ソーセージマルメターノらしきものがプリントされた白のTシャツ。
『ブラート‼︎ ヴルスト‼︎ シュネッケン‼︎‼︎』
「……必殺、技?」
全身全霊を込めて「あの子」がツッコむ。
自分の右側を見上げて、小梅が首を傾げた。
「丁度できたてだ! どうやら上手くいったみたいだし、それ祝いでタダ‼︎ 食っていってくれ‼︎」
そう言うと、男は有無を言わさず3人にソーセージマルメターノを手渡す。
一口齧ると、パキッ、という小気味良い音と共に、口の中でジューシーな肉汁が弾ける。
「……美味しい。」
幸子が思わずそう漏らすほど、文句無しの味だった。
芳乃に至っては言葉を忘れ、ハムスターのように何度も噛り付いている。
和服に肉汁が落ちては大変なので、「あの子」は手で受け皿を作った。
「そうだろう! また皆で来てくれよな‼︎
可愛いアイドルが美味しそうに食ってくれれば集客バッチリだ‼︎」
幸子達がソーセージマルメターノを味わっている間に、男は大量のソーセージマルメターノをプラスチック容器に詰めていた。
おみやげ、ということらしい。
またしても有無を言わさず手渡され、幸子達はその場を後にした。
その姿が見えなくなるまで、男はずっと手を振ってくれていた。
『……あたし達、あそこに何しに行ったんだっけ?』
彼の勢いに、全て持っていかれたような気がした。
「芳乃おかえりー……なにその大量の肉。」
事務所のドアをくぐった4人を、ソファに寝転んだままの少女が怠そうに出迎えた。
4人……「あの子」を抜いて3人にはちょっと多過ぎる量のソーセージマルメターノを受け取った幸子達。
どうしたものかと歩きながら考えていると、芳乃がひとつの提案をした。
この近くに自分の所属する事務所があり、そこには恐らく何人か人が居るので、そこで皆で食べないか、と。
断る理由も無く、4人は芳乃の属するプロダクションに。
超常現象プロダクションに足を踏み入れた。
「ただいま戻りましてー、お土産のそーせーじまるめたーのですー。」
「うん、ブラートヴルストシュネッケンね。確かにソーセージ丸めたのだけどもね。」
「ひっさつわざでごぜーますか!」
「正式名称ですね〜♪」
「お皿持ってくるねぇ☆」
一瞬で芳乃が事務所の輪に入ってしまい、幸子と小梅は取り残される。
すると、2人より14cmほど背の高い、黒髪の少女が声をかけてきた。
「あの……幸子さんと、小梅さん、ですよね。
番組では芳乃さんがお世話になりました。」
少女はぺこりとお辞儀をする。
同じようにお辞儀をしながら、幸子は少女の表情を見る。
人を安心させるような、落ち着いた優しい笑い方をする少女。
加えて、この礼儀正しい対応。
きっと自分よりずっと年上なんだろうと、幸子は直感した。
「私はほたると申します。
お茶をお出ししますので、お座りになってお待ちください。」
ほたるはそう言って、手でソファを指す。
促されるままに、幸子と小梅は、杏が寝転んでいるのとは反対側のソファに座った。
「おねーさんたち、芳乃おねーさんと一緒にテレビに入ってやがったですね!」
フードにウサギの耳があしらわれたパーカーを着た少女が、幸子の膝の上に座り、顔を覗き込んでくる。
テレビに入っていた……出演した番組を見た、ということだろうか。
「怖く……なかった……?」
小梅が心配げに尋ねる。
確かにこの幼い少女には、あれは刺激が強いように思えた。
14歳の幸子にとっても十二分に強かったのだが。
「…………ソンナコトネーデスヨ? ネーキラリオネーサン」
「ゼンゼンダイジョウブダッタヨネーニナチャン」
仁奈と呼ばれた少女は冷や汗を流しながら、きらりと呼ばれた少女と共に何度も頷く。
非常に疑わしい証言だが、真実はいかほどか。
「二度と深夜に見ないでよね……。」
あ、ダメだったんだな。
目の前の少女のウンザリとした顔が、雄弁に物語っていた。
時刻は正午を少し過ぎた頃。
幸子と小梅は、事務所の面々と徐々に打ち解け始めていた。
時間的に丁度いいからこれを昼食にしようか、などと話し合っていると。
ふと幸子の携帯から、メールの着信音が響いた。
膝の上の仁奈を撫でながら件名を確認すると、『レシピ : オムライス』とある。
差出人は──
「幸子おねーさん、オムライス作りやがるですか⁉︎」
──位置的に画面が見えた仁奈が、目をこれでもかというほど輝かせながら聞いてきた。
「え⁉︎ ……ええ、まあ、多分……?」
突然の発言に思考を中断されながら、たどたどしく答える。
「仁奈ー、作り置きのシチューがあるでしょー。」
作ってほしいなオーラを全開にする仁奈と、それを諭す杏。
芳乃だけが真意を把握できる。杏はただ、初対面の人間とあまり長い時間関わるのが面倒なだけだ。
「は〜い、お待たせぇ〜☆」
と、そこに、人数分のソーセージマルメターノが運ばれてくる。
きらりから皿を受け取ろうとした幸子の手は、しかし空中で静止した。
「……アナタ……。」
幸子はきらりの顔をまじまじと見つめる。
きらりは少し困惑しながら、しかしどうすればいいか分からずに幸子を見つめ返す。
ははあ。ふんふん。ほうほう。
ひとしきり鑑賞した末に、幸子は言い放った。
「カワイイですね!」
「ふぇっ」
「よーし仁奈ー今日の夕飯は幸子のオムライスだぞー」
「ほんとでごぜーますか⁉︎ やったー!」
「ちょっとそなたちょろすぎましてちょっと」
「じゃあ買い出しに出かけましょうか♪」
「いいんでしょうかそんな急に……」
「いいと、思う……ついでに、泊めてくれると……」
幸子の言葉をきっかけにして、あれよあれよと話が進んでいく。
わいわい、がやがや。
喧騒の輪の中に居る小梅から目を離し、「あの子」は窓の外を見る。
『……夏、か。』
一言にしてしまうには、あまりに惜しい情景を。
目を細めて噛み締める。
6年ぶりの時の流れを、しっかりと心に刻む。
「ね、買い出し……いこ……?」
景色を眺めているうちに、昼食の時間が終わっていたらしい。
小梅の声に振り向くと、皆がこちらを向いていた。
双葉杏。
諸星きらり。
市原仁奈。
白菊ほたる。
鷹富士茄子。
依田芳乃。
6人より一歩前に出た、輿水幸子と白坂小梅。
『……ん。』
あの子は小梅の元へと歩き、その右側へと収まる。
小梅の瞳は、髪に隠れて見えなかった。
しかし。彼女の口元を見て。
ああ、ここの視点も悪くない。そう思えた。
「じゃあ、いきましょうか。」
青い空。白い雲。遠くに聞こえる笑い声。
蝉時雨が鳴り響き、からんと氷がグラスを叩く。
梅雨は背後を過ぎ去って、月は頭上を過ぎ去って。
陽の光の明るさが、目覚めた世界を照らしていた。
夏が、始まる。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
「輿水幸子の同一性」、これにて完結とさせていただきます。
小梅の見た目や幸子の言動の理由を考えて書いてみました。
「32.故に藻搔き手を伸ばす」と「34.何も無くてもいいですか」には、文字を透明にしている箇所があります。
反転すると読めるようになるので、探してみていただけると嬉しいです。
お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ご縁がありましたら、またどこかで。