小池一夫ニキ原作の艦これ劇画がいつまでたってもでンので俺がそれっぽい小説にしてみた   作:臣 史郎

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何とか漕ぎつけました。

日向の物語は、これで一区切りです。次はもっとファンシーな艦これが書きたいですw



最終話

 地獄の窯をぶちまけたが如き有様となっていた。

 いったいこの紅蓮地獄の何処が、我が母港呉であるのか。

 皇国興廃を左右する大きな作戦も、いつ戻れるか分からぬ長い航海も、生きて戻るばかりとは限らぬ困難な作戦も、最初はここであった。長い航海に疲れ果てた時も、戦いに傷つき苦しい時も、いつもここに帰ってこよう、ここに帰ってきさえすれば救われると、それのみを思い家路を渡ってきた。

 艦にとり母港は我が家であり、父であり母であった。

 日向にとっても伊勢にとっても、例外なくそうであった。

 呉鎮守府は我が母港であり、我が家であり、父であり母であったのだ。

≪なんてこと…≫

「我が…母港が…」

 それが今や灰塵と帰そうとしている。払暁の空を昇る太陽よりも赤々と空を舐め、燃え広がっていく炎によって――

「長門を突破したか」

 日向には分かった。

 提督の声であった。

(我が上官であり親であり、友でありそして…)

 たった一人の大切なひとの声である。聞き間違う筈もない。

 いや、誰の声であっても提督の声と聞こえたかも知れぬ。今一番聞きたい声こそは、彼の声であったのだから。

 白妙の海軍第二種軍装に、国家元帥と鎮守府提督にのみ所持を許される元帥刀は、呉の提督に間違いが無かった。

≪提督…!≫

 日向の内に在る伊勢が、あらん限りの声で呼ばわる。

 もちろんどんなに呼ぼうと叫ぼうと、伊勢の声が日向以外の誰かに聞こえることは無い。近代化改修とはそうしたものだ。

「我が問いに答えろ、提督。一つ。何故に伊勢を近代化改修に供した」

 声なき声に、問わずには居られなくなる。

「一つ。何故に迂遠にも配下に命じ、この日向を沈めようとする。何故に私に直接、自沈せよと命じない」

 提督に、応えはない。

「侮るのか、提督。この日向は提督、お前の艦だ。生殺与奪はお前次第…命じられれば、見事自刃遂げて見せようものを」

「我が命に従うというのか、日向」

「いかにも」

「では命じよう。日向…私を討て」

「な…」

 日向は、我が耳を疑う。

(何だと?)

 この日向に、提督を討てと、そう言ったのか。

 己を殺せと、そう命じたのか。

「それは出来ん」

「我が命には従うのではないのか」

「…上官は討てぬ。上官を討ってよいのはより上級の司令部よりその命が下った時のみだが、この日向は提督、お前の直卒に身を置くが故、そのような命が下る事はない。よって、どうあってもこの日向がお前を討つことは出来ん」

「どうあっても出来んか」

「出来ん」

「ならば…出来るようにする他あるまい」

 ツラ、と抜き放った白刃は、現皇国唯五名受人、五人の提督のみが帯刀を許される、五振りの元帥刀の一振りである。

「私を斬らねば斬る。そして日向よ。お前が斬られれば、お前の内の伊勢も死することになるぞ」

「む…」

「伊勢を守りたければ斬れ…私をな」

 如何なる構えも現さず、提督は歩み寄ってくる。

 抜いた刀は、右手に持ったままだ。

 白刃をぶら下げ歩いている、といった感じであった。

(如何にせん…)

 歩みは速くはない。だが、ぐずぐずしていれば、刻々と間合いは縮まる。

(斬れば提督は死ぬ。斬らねば伊勢が死ぬ)

 一歩、一歩、提督は近づいて来る。

 猶予はない。

「いいだろう。来い、提督」

 掌を鯉口にやりつつ、日向は告げた。

 抜きはしない。

 居合抜刀を修める者にとっては、これのみで刀を大上段に振りかぶって終えたも同様である。あとはただ斬るのみであった。

 むろん、提督は日向の手の内を知っているから、奇襲効果というものはない。

 むしろ、日向の覚悟が定まった、と見たのか提督の歩む足が、速まる。

 速まった、と見た時にはさらに速まり、見る見るうちに提督は、疾走へと移っていた。

 まだまだあると思われた間合いが、瞬く間に潰される。

「いざ、日向!」

「如何に、提督!」

 大火災の呉の紅蓮を映した刃は、結局は、一条のみであった。

 日向の発刀は、間に合わなかったのか?

 いや、抜いてすらいなかった。

「…まあ、そうなるな」

 日向は発刀の勢を見せたまま、指一本動かしてはいない。

 では提督の元帥刀は、存分に日向を斬り止めたか?

 いや、斬っては居なかった。

 日向の頭上紙一重で、薄皮一枚も斬ることなく、止まっていた。いやこの場合、止まっていた、という言い方は適切ではないかもしれない。

 提督が止めたのだ。

「それは君の剣ではないよ、提督」

 日向に去来するのは、いつぞやの稽古場でのことであった。

(私とお前は似ている)

(ああ。私もそう思う)

(もし私に何かあったときには、伊勢を頼む)

(ああ。私もまさに、それを言おうとしていたところだ)

 どちらが先に抜いたのでもない。

 提督も日向も、互いの未発に対して抜きつけていた。

 それが、同時になった。

「お粗末に過ぎたな。鞘の内に勝ちを求める居合に理想を重ねていた君が、自ら鞘を払って斬り込んでこようとは。居合が鞘を捨てれば、それは剣を捨てたも同様。また居合にとり、鞘の離れとは命の離れなり。既に剣も命も捨てた君に何者をも斬れるはずはない」

「ぬ…」

「それは君の剣ではない。伊勢の剣だ。伊勢本人と見まがうほどのな。こうも綺麗に技を写すには、幾度も見取り、その倍も脳裏に思い描き、実地に試すに及ばねば到底不可能なこと――伊勢の剣に魅せられ、己が理想と掲げる剣を忘れ呆けているようなざまで、例えこの日向は殺せても、我が内の伊勢までをも刃に掛け得る筈がない」

 提督の口の端より一条、鮮血が伝い落ちた。

「…ぐ」

 提督は吐血する。

 既に、手負いであった。

「提督っ!」

 提督を抱き止めた日向は、今一人、横たわる者に気付いた。

(あれは…)

 陸奥であった。

 今まで、提督の背後に居たため気づかなかったのだ。

 自爆に用いたと思われる第三砲塔はどこにもなく、そこを爆心として艤装は大きく損壊していた。全壊、と言ってもいい有様である。陸奥には意識が無く、程なく艤装は幽世へと戻るだろう。

 所謂大破状態であった。

「むう…」

 基本的に艤装を装着した艦人は即死しない。即死することが出来ないとも言える。

 大破状態とは、艦人を艦人足らしめる艦の艤装が破壊されて消失した状態であり、当然ながら艦のあらゆる設備が使用出来ない。

 むろん、装甲もである。

 よって今なら、超弩級戦艦たる陸奥を素手で縊り殺すことも不可能ではない。機銃弾一発の流れ弾ですら陸奥喪失となる。

 言うなれば、艦人の死の前段階であった。

 一方の提督も同様の大破状態であると診られるが、これについては日向の知る前例がなく、推測の域を出ない。

 艦人が艤装を操るように、提督は我が鎮守府を手足とする。

 深海棲艦で対比するなら、艦人が駆逐イ級などの艦とすれば、提督は泊地棲鬼や飛行場姫などに相当する存在であると聞き及ぶ。艦人が艤装を破壊されれば生身の人となるように、提督も鎮守府機能を破壊されればただの人の身にしか過ぎぬものの筈であった。

 つまり人並みに負傷するし、それが深手なら死にもするということである。

「提督! 気をしっかり持て!」

「む…」

「何?」

「…つ、を…」

 辛くも聞き取れた。

 陸奥を頼む、と言いたいのか。

 陸奥に意識はない。

 一方の提督に意識があることを見ると提督が、腹中で自爆したにも等しい陸奥を、自身のダメージを押して火災から連れ出したものか。

「承知した。もう喋るな」

「ゆる、せ、い、せ…」

「…?」

 違う。

 己は日向であって伊勢ではない。

 目の前に居るというのにそれが分からぬのか。

 それとも…

(もう目が見えてはいないのか…!)

 視力のみではない。意識の混濁が始まっている。

 既に伊勢はこの世に居ない。手を下したのは提督自身だというのに、いくら伊勢に呼びかけても無駄だと分からぬのか。

 分からぬようなら頭部にも深刻なダメージがある。これほどの深手を負ってなお日向と立ち会いに望み、一刀を見舞おうとすることまでして、しかもその一刀を紙一重で止めてのけるとは…

(やせ我慢にも程があろうが、提督!)

 日向は、呻く。

「待っていろ。出来る限りのことはする」

「む…よう」

 無用。提督ははっきりと告げる。

 しかし無用と言われようがこの命令には従えぬ。

 自沈せよと命じられれば自沈しよう。斬るというなら甘んじて斬られよう。日向の艦人としての在り方はかくの如しだ。だがもし提督を失えば一体己は、誰の命に従えば良いのか。

「…ゆ、るせ…伊勢…おまえしか居なかった…」

 伊勢を近代化改修に供したことを言っているのか。

 ならばもちろん、聞き捨てるつもりは日向には無い。回復を待って――鎮守府提督の入渠がどれほどの歳月を要するのかは不明であったが――とっくりと問いただせばよい。

 呉に来るまで、提督と戦うことになるかもしれないとも考えていた。戦いになれば提督をこの手で討つことになるかもしれないと思っていたが、実は日向にとり、戦いとなっても、ならなくてもどちらでもよいものであった。

 斬り合いに来たのでも、殺しに来たのでもない。

 ただ提督に一目会いに来たかっただけのものであった。

「違う。違うぞ。私は日向だ。伊勢ではなく日向だ。分からないのか! しっかり、しっかりしろ提督!」

 がらり、と提督の手より、軍刀が落ちた。

「む…」

 皇国海士にとり、刀は尊い。武運拙く艦を捨てることとなった彼らが、退艦する折に最初に持ち出さねばと考えるのは、皇帝下贈のこの軍刀である。提督もまた皇国で艦隊を預かる身であり、火災より陸奥を助け出す際にこれを携えたものであろう。

 日向を斬ろうとした一振りであった。

 伊勢を斬ることが出来なかった一振りであった。

 それを手放し、懐中より取り出したのは、清浄な輝きを放つ、白金の指輪であった。

「提督…お前は…」

 誰にも指輪を贈らぬ呉の提督は変人で、一説において艦娘を愛することのない提督であると人は云う。しかし彼に近しい者は知っている。武功一等の者にも提督が指輪を贈らないのは、依怙贔屓を忌み、また武功のみが功には非ず、どの艦にも艦なりの功績在りと認じているからであると。

 呉の提督は誰よりも艦娘を愛する者であると。

「これほどの愚か者とは知らなんだぞ、提督!」

 そんな呉の提督の指輪を受ける者は誰になるのかは、平時の艦人たちの第一の関心事であった。指輪の贈呈は近代において求婚を意味しており、「ケッコン」するのは誰であるのかと、そのような話され方が良くされていた。

 そのようなケッコン談義の最右翼は、呉で言うなら伊勢と己、日向の二人であった。二人の何れが指輪を受けるのかと、そのような取沙汰が日向の耳にも届いてきていたのだ。

「こういうものは! 自分の手で渡さんと意味のないものだと分からんか!」

 己か伊勢の何れかが選ばれるものだろうと考えていた。

 何時、何れが選ばれるのか、或いは選ばれないのか、正直なところ気にならないではなかった。あらゆる艦娘――ここは艦人という呼称を用いるより、こちらの呼び方の方が良いであろう――艦娘にとり提督は上司であり友であり、親兄弟でありそして、想い人でもあるのだから。

 しかし今、伊勢と己、どちらが選ばれたのか分かった。

 提督は日向を伊勢と勘違いして、指輪を渡そうとしている。

 つまり選ばれたのは伊勢なのだ――

「生きて、自分で渡せ! おい提督! 提督…!」

 自分で、無理を言っていることは分かっている。

 何故なら、伊勢は既に人の世にはいないからだ。提督が近代化改修の素材とした結果として、現在日向の内に乗艦する妖精となっているからだ。

 この指輪を嵌めるべき伊勢は「もう居ない」。

 伊勢はこの身の内に居ても、指輪を嵌めることも言葉を交わすことも既に不可能だ。そうしたのは他ならぬ、指輪の送り主たる提督自身である。

(何故だ…)

 しかし、そうと問う前に日向は、分かってしまっていた。

 伊勢当人の了承がなければ、近代化改修は行うことが出来ない。つまり伊勢は望んで、こうなったのだ。そして提督は、指輪を託そうとまで想っていた伊勢を、近代化改修に供したのだ。

(…!)

 指輪を持つ提督の指が震え、その力が失われて落ちる。

 思わず日向はその手に取った。

 提督の指輪と共に。

(いかん…!)

 伊勢はもう「この世には居ない」。

 そして提督もまた、この世から居なくなろうとしている。

「…伊勢、伊勢、聞こえているか。状況は分かるか」

≪…うん≫

「提督に言いたいことはあるか。私が伝えよう」

≪…わかった≫

 この後の伊勢の囁きに、日向は、逡巡した。

 しかし猶予はない。戸惑うままに、そのままに己の口づてに声にする。

「提督が、自分で嵌めて」

 と。

 伊勢が言った通りに。

(確かに伝えた。が…)

 皮肉に過ぎる。

 伊勢とて、それが不可能であることは分かっているはずであった。

「…承、知」

 どう承知したものか、提督は、握った日向の手を握り返した。

(???)

 これから何が起ころうとしているのか、日向には計り兼ねた。

 しかし提督には伝わったようであった。

 伊勢の云わんとすることが伝わったようであった。

 声も聞こえず姿も見えず、そのような状態で意志を疎通というのは最早、人知の及ぶところのものではない。日向を持ってしても、心と心が繋がっているから、想い合っていればこそであるとしか、言い知れぬ。

≪あなたは、その健やかなときも、病めるときも…≫

 伊勢が唱え出した聖句に、日向はぎょっとする。

 幾ら日向であっても、その聖句がどのようなものであるのかくらいは知っている。

≪豊かなるときも、貧しきときも、この女性を愛し…≫

「止めろ」

≪…この、女性を愛し。これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、かたく節操を守ることを約束しますか≫

 文言の細かいところは祖語があるやもしれず、そもそも聖職者でない、それも軍艦がそれを行うことに意味があるのかわからない。

「待て、伊勢…」

「誓、う…」

 驚くべきことに、瀕死であるはずの提督は、震え定まらぬその手で、指輪を嵌めようとしている。

 指輪を嵌めるべき伊勢には魂はあっても躯体は失われ、指輪を嵌めるべき薬指はない。

 提督が指輪を嵌めようとしているのは、日向の指であった。

「待て、違う、提督、違う!」

 提督が嵌めようとしている、伊勢の指ではないのだ。

(違う…提督、違うんだ…)

 それなのに、人違いだと払いのけることが、日向には出来ない。

 ついに、指輪は日向の小指に輝く。

 伊勢の祝福の言葉と共に。

 

(我ら集い、聖であり、義であり、愛である神と諸人の御前で婚儀せむ)

(婚姻は神が人を男女に創造された時からの定めなれば、一切衆生この定めを尊び婚姻を神の祝福と共にせん)

(もはやふたりに非ずひとり。何人も神が結び合わせたひとりをふたりに引き離すこと当たわじ――)

 

 一つ、確かなことがある。

 我が薬指の清浄の輝きこそは、神に祝福されるべき、永遠の絆の証である。

 唯一無二、世に二つとなき者と交わす証である。

 それを指にはめるというのに、日向は失恋をしたのだ。

 提督と伊勢。常に傍らに在ったかけがえのない者たちの両方を、同時に失ってしまったのだ。

「違う…提督…私は伊勢ではない…」

 今や提督に、生命の痕跡は失せた。

 力を失い落ちたその手の代わりに、その魂であるとでもいうように、日向は我が薬指を飾る白金を掌に包む。

≪…日向…提督…幸せに…≫

 その日向の内で、伊勢もまた日向と同じく、その薬指にその指輪があるかのように、我が薬指を掌に包んでいた。

 

***

 

「…泣いているのか、日向」

「…追ってきたか、長門」

 何時から、背後に居たのか。

 相も変わらず艦の姿ではなく、艦人としての姿のままである。

 但し、艤装の41センチ連装砲4器八門の全ては、ぴたりと日向に御されている。

 十数メートルもないこの距離で長門が狙いを外すことはないだろう。

「提督と陸奥を救出したはお前か、日向」

「救出したのは私ではない。ただここに居合わせたのみだ」

「そうか」

「撃つか、この日向を」

 撃つならば撃つがいい。

 そんな気持ちであった。だから長門がその気になれば、易々と日向に止めを刺せたであろう。

「出来ん」

 だというのに長門の言葉はこうであった。

「…何故だ、長門」 

「皇帝陛下の海権を代行する提督の指輪を受けた者を、皇国総旗艦たるこの長門が撃つことは出来ん」

「指輪を受けたのは私ではない。伊勢だ」

「この長門の目からはそうは見えん、どう見てもな。指輪を受けたのはお前だ、日向」

「…」

 二の句が継げぬ。

 確かにはた目から見れば他にどう見ようも無かろう。

「それは誤解だ、長門。確かに今こうして私が指輪を嵌めてはいるが、提督が指輪を渡したはこの日向ではなく伊勢なのだ」

「同じことだろう? 伊勢と一つになった今となっては」

「長門、お前は…」

 いや、長門は皇国総旗艦である。

 時雨が知っていたくらいだから、伊勢の近代化改修の件をもっと詳しく、日向の改修に使われたというところまで聞かされていてもおかしいことではなかった。

「伊勢と、一つに…か」

 そういえばそうであった。

 己と伊勢は既に一つとなっていたのだ。

「第一それに、この長門、泣く女を討つなど我慢がならんわ」

 長門が口角を吊り上げる。

「…戦は終わりか」

「ああ。終わりだ」

「行くのか?」

「提督亡き今、ここを母港とする意味も失せた。長門、お前が撃たぬというなら、撃ってくれる誰かを待とう」

「なるほど」

 日向には既に、涙はない。

「お前はここを出て何処へ行く。何処を目指すつもりだ、日向」

「それは…提督に聞くとしよう」

 日向は、我が左薬指の指輪を、我が右掌で包む。

「委細承知」

 長門は挙手礼を行う。

 反乱艦には行い得ぬ礼法は、未だ日向が皇国艦艇であると見做していることを意味する。

 日向もまた、これに挙手礼を持って応えた。

 我が身が未だ皇国艦艇であると認めての答礼であった。

「さらば」

「さらば」

 言い交し、日向は明々と炎を映す呉港の海に身を躍らせる。次の瞬間には、暁に一条のウェーキとなって、急速に遠ざかっていく。

 ここを去り、一体何処へ行くのか。

 不明であった。

 長門はただいつまでも、日向の残す航跡のその先を、挙手礼により見守る。

 皇国西部方面一の軍港の最期を照らす朝日は、既に高い。

 

***

 

 明々と燃える炎の鎮守府より、日向の航跡を見守るものは長門のみではなかった。

「戦艦が決戦主力だる時代は、終焉を告げるのだそうだ」

 誰に告げる言葉か。

 或いは、未来平成の世より来れる提督たちに告げる言葉であるのか。

 幽世の大戦は航空機の戦争であり、航空機を操る空母の時代が来るであろうことは、平成の世の使者であるところの提督には既知であった。

 よって戦艦ならば犠牲としてもよい。

 いや、駆逐艦や巡洋艦ではなく、戦艦でなくてはならない。

 無用の長物と成り果てながらも、未だに戦艦は皇国の海権の象徴であり、海軍の象徴。その喪失こそは、海軍の最期を象徴するに相応しい。両雄並び立つ余地は、この小さな島国にはない。それこそが、大戦敗北の一因であり元凶でもある――

(よって、陸軍をもって、海軍を吸収する、か)

 提督が処分艦と見込んだ長門も日向も沈んではいないが、現下皇国の戦艦稼働数は半減している。深海棲艦出現以降日に日に増していた海軍の発言権は一時期、減退するだろう。

(そういう隙を作ってやるから、あとは何とかしろだと? 言ってくれるな、鎮西殿は)

 一指揮官、いや一人の人間の身の丈には絶対に合わぬ取り交わしと思われたそれが、今や現実となりつつあった。

「将校殿! 金剛どの以下、大破艦四艦の岩国基地への搬送、手配終えたであります! あとは陸奥どのを残すのみですが…」

「陸奥はどうやら長門の手の内だ。またの機会とする。爆発に巻き込まれた艦娘が他に居ないか、捜索を続けよ」

「了解であります!」

 あきつ丸は挙手礼を残し駆け去り、陸軍大尉の傍らには、二人の艦影が残る。

 一艦は、まるゆと名乗る潜水艇であった。そしてもう一艦は…

「さて、行くか。共に来い、まるゆ。それに…時雨よ」

 年頃の少女の姿を欺く思慮深さを湛えたその駆逐艦娘は、まるゆと共に、陸軍大尉のその言葉に確かに肯いたのであった。

 

***

 

 日向の航路を阻む相手は、現れない。

 なんら敵影を見ぬままに、真昼の豊後水道を通過、太平洋の洋々たる大海原に日向は、躍り出ていた。

≪…どこへ行くの≫

「遠くだ」

 ようやく口を開いた伊勢に、日向は短く応える。

 提督のことを忘れられる、何処か遠くへと向かう。

「泣いているのか」

≪…日向は、泣いてないの?≫

「泣いているさ」

≪…だよね≫

 今の二人に、白金の指輪は、慶びのしるしなどではなかった。

≪一回沈んだ身だもの。もっかい死ぬくらい平気だって、提督が指輪なんて見せるまで思ってたのに、今になって泣けるなんて可笑しいよね≫

 日向は、言葉を呑む。

≪あーあ。折角、女の子になったのに結局、それらしいことなかったんだな私って。ねえ日向。私、ユーレイになっちゃったよ。日向と手を繋いだり、抱いたり抱かれたり、もう出来ないよ≫

 伊勢は、殊更におどけた調子で言う。

 それは多分日向の為に言っている。

 日向を元気付けようとしているのだ。

 我が身以外の全てを失った日向であった。

 しかしそれは伊勢も同じものであるはずであった。

 かつての友軍に妨害されながらも、何とか提督に逢えた。

 嬉しかった。

 だけどその提督はもういない。二度と逢えない――

「伊勢は、強いな。私など、遠く及ばぬ」

≪強くないよ。悲しいし寂しいよ。ただ…≫

「ただ?」

≪ただ、悲しいし寂しいけど、満足してるだけだよ。だって…≫

 だって提督に預けっぱなしだった指輪も、こうして受け取れたわけだしね。

「なんだ。提督とはとっくに、そういう仲だったのか。それならそうと…」

 そうならそうと早く言え。それは私ももしかしたら、という気持ちだって無くはなかったが、相手が伊勢なら仕方がないし、そのほうが良いとも思う。

≪提督には、今私がしてあげたいと思う全部をしてあげられたの。そういう意味では悔いがないのよ≫

 まんまと、提督が気づいてもいない、本当に提督に相応しい誰かさんの薬指に、指輪を嵌めてあげられたしね――

「伊勢」

≪…え?≫

「やはりお前は提督の妻だ」

 提督を失ってなおまだ何か残されたものがあるような気がするのは、伊勢の魂を我が艤装に宿しているからであり、提督の指輪が我が指に、残された彼の人のぬくもりを伝えてくるからであろう。

「伊勢型二番艦、航空戦艦日向、秘書艦殿に具申」

 提督の指輪を持つ者こそは正秘書艦であり、提督の意志を代行する者であり、つまり、今や日向の上官であった。

 提督の座乗艦であった己は、今や伊勢の座乗艦である。

 そう思っても良いはずであった。

≪…日向?≫

「私は、お前の身体を取り戻す術を探そうと思う」

≪…≫

「我々艦人には、まだ知られていないことが多い。お前の身体を元に戻す未知の方法が、在るやもしれん。むろん、艤装もだ」

≪…日向≫

「欧州では我らが友邦独伊が艦人の竣工に成功したと聞く。米英においても開発が進んでいると聞き及ぶ。皇国には無い先進技術が、在るやも知れぬ」

 遺された何かが在るがゆえに、日向の瞳はもう、涙で曇ってはいない。 

「そしてお前の身体を取り戻した暁には伊勢。お前の薬指にこの指輪を嵌めてやろう。この私の手でな」

≪…え?≫

「ああ、そうだ。それがいい。あらためて提督に戻してしまうことはないだろう。この私の手で伊勢の指に嵌めるのだ。健やかなる時も、病める時も、死が二人をわかつまで――」

≪…日向。ちょっと、何言ってるのさ!≫

「そうしたら、伊勢。今度は提督を治す術を探そう」

≪え…?≫

「轟沈した艦人とて、躯体を見つけることが出来れば蘇る。艦人に準じる存在である提督も、同様なことが不可能であるとは言えんはずだ」

≪日向…≫

「出来たぞ、伊勢。これが私の夢だ。理想だ。これがある限り人は進める。艦も同じだ。我らは艦人。人が行くなら、我らも行ける。行こう、伊勢。我らで夢を掴むぞ」

 暫しの後。

 伊勢はごしごしと、腕で涙をぬぐう。

≪…ん。そだね。日向らしいし、いーんじゃない。それにちょっと今の、提督っぽかったし≫

 既に伊勢の瞳にも涙はなかった。

「提督っぽいか」

≪うん。提督っぽい≫

「おそらくは、指輪のお陰か」

≪そうかも≫

「ふ…」

≪ふふっ…≫

 一しきり、二人は笑った。

 さっきまでは、泣いていた。

 提督に伊勢を取られた上に、その提督はさっさと逝ってしまってはもう泣くしかなかった日向であった。

 だのにもう笑っていられる。

 すごいことだと日向は思った。

 伊勢と提督が傍にいてくれる。そのお陰だ。そう思った。

「…いくか」

≪うん≫

「「両舷全速!」」

 今や一つとなった二人の伊勢型は、上りゆく太陽に向かい、荒波を蹴立てていく。行く手は洋々と、ただ広かった。

 

≪了≫

 




ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

冥府の師兄よ照覧あれ。
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