提督は元帥閣下から直接送られた書類を手に持ちながら固まっていた。
「いくらなんでもこれは無いだろ……」
書類に書いてあるのは、お見合いをしろという元帥閣下からの直々の命令と段取り。
それだけならよくある事なのかもしれない。
提督の階級は上級大将。いずれは元帥となって、日本海軍を率いるであろうと有望視されている。それも、まだ三十歳にも満たない軍人が。
有望視されている若輩だからこそ、海軍が新たなるパイプを作る目的で、提督に結婚する事を迫っている事も考えられる。
「どうかしたのですか?」
頭を抱える提督の元に顔を出したのは海風。遠征の結果を報告しに来たのであろう、書類の入ったクリアファイルを豊かな胸に大事そうに抱えている。
「海風か?いや、そのな……」
果たして言ってしまっていいのだろうか?
逡巡したが、顛末は皆に話すことになるだろうから構わないだろうと判断し、舌を回す。
「お上からの要望で今度、お見合いすることになったんだ」
「あ、そうなのですね!おめでたいことですね!」
海風は喜色満面と言った笑みを浮かべている。
提督はもうじき三十歳になる所謂アラサーの部類なのだが、自分の部下に婚期について心配されていたのかと思うと若干情けない思いが積もりそうになる。
「いや、断るつもりなんだが……」
「ほぅ……」
しかし、元々この婚約は断るつもりだったのでその思いがつもることは無い。
婚期など知らんと、心の何処かで泣き笑いを浮かべる自分にさようならを告げる。
断る、その言葉を提督が口に発した瞬間、海風の眉尻が四十五度に傾き、口許が引きつっていて、見るも悍ましい歪んだ表情に変貌した。なお、胸に抱えてたクリアファイルにも力が込められている様で、折れたような白いしわを残し始めている。
「ど、どうした!?表情が羅刹みたいになってるぞ!?」
「何でもありません。で、どうして断るのですか」
急な表情の変化の理由がわからず提督は慌てて機嫌を伺う。
海風は何でもありませんと返したが、提督から見た表情は、表情が引きつって歪みすぎていて、阿修羅か羅刹の様に見えので若干怖気づく。
「お、おぅ!?その……相手が十歳以上も年下なんだよ……」
奇声を発しながら提督は断る理由を述べる。
「別に良いじゃないですか?」
「よくないわ!俺はアラサーだぞ!?その年下ということはまだ未成年の女の子ということだぞ!?」
「何も問題ないのでは?」
「問題大有りだろ!そんな若すぎる子と結婚するわけにはいかないだろ!それに、警察官から疑われるようになるわ!」
海風はなんだそんな事かと言わんばかりに首を傾げ、問題ないと意見を返す。
しかし、提督にとっては十分大問題だ。
今のご時世、セクハラ問題に厳しい。それを除いても、相手は未成年という事が重要だ。
「同意の上なら問題ないかと」
「それは、そうだろうけどな……。大体、お見合いなんて本人の意思が無いのと同じだろう。まだまだ茶目っ気がある年頃の女の子がこんなおじさんと結婚させられるなんて残酷だと思わないか?」
年若い少女がアラサーの男性、それもお見合いという両親から強制的にさせられる出会い方で結婚させられるなんて納得いかないだろうという思いはある。
断るという言葉は、『一番不幸になるのは、提督では無くお見合い相手ではないか?』という彼なりに相手の事を忖度した結果から導き出されたのである。
「海風は思わないですよ?」
しかし、それらの意見を一蹴するように海風は返す。
「マジで?」
「まじです」
素っ頓狂な声で聞き返す提督に、海風は可愛らしく小さく頷いて肯定する。
「それまたなんで……」
「お見合いとはいえ、お相手の事はある程度聞きますし、お写真で容姿も拝見しますよ。そこから興味を持つなんて、よくあることだと思いますね」
確かに、相手の情報は最低限は伝えられる事だろう。そこから興味を持つことは十分考えられる事だ。
「そんなものなのか?」
「そんなものです。人との出会いなんて、何が切っ掛けになるのかわからないものですし」
確かに、人との出会いは他人から紹介されて出会うなんてよくある。そこは海風の言う通りだ。
「確かにそうだが…… 」
「それに、好きになってしまえば、年齢差なんて関係ないですよ!」
「いくらなんでも、それは純真すぎる気がするんだが……」
「女の子はいつも夢を見るモノです!」
「……なるほど」
胸を張って小さく鼻息を漏らしながら言う海風に、提督は何処か納得した様に、しかし疑いは完全に晴らせないような目で頷く。
もうすでに海風のペースに嵌っている事を提督は意識していなかった。
「でも、今回は流石に断ーー」
「それはダメですよ。良いですか?元帥閣下からの要請で行くとしても、お相手は提督に興味を持った女の子なのですよ?その好意を無下に扱うなんて事、日本男児にあるまじき行為ですよ?据え膳食わぬはなんとやら、ですよ?」
「お見合いした当日に何段階先に進むと思ってるんだ……。取り敢えず、今回はことわーー」
「ですから、それは良くないと、海風は思うのですよ。確かに十二歳も年下の女の子がお見合いのお相手かもしれませんが、お相手の方は本気で提督と結婚したいと思っているのですよ?」
「その女の子が勇気を出してお見合いの場を整えて貰ったんです。提督はそれを無下に扱うのですか?」
相も変わらず断る姿勢を崩さない提督に、海風はグイグイと詰め寄りながら早く口で捲し立てる。
余りにも海風が迫ってくるので、いつの間に鼻先がくっついてしまう程に密着している。
提督は嫌が応にも海風の端正な顔立ちが目に入ってしまうので、心臓が一度強く鼓動を打ってしまった。
陶磁器の様な白い肌、澄み渡った空の様な瞳、血色の良い頬。その全てが視界の全てを占領する。
だが、海風に見とれてばかりには行かない。今はお見合いに関しての話の最中なので。
提督は後ろに退いて距離をとると、コホンと咳をして態勢を整える。
「妙にお見合いすることに肩を持つな……。まぁ、わかった。取り敢えず行ってみるだけ行くか……」
「ふふっ、その意気です。あ、明後日から一週間の休暇を貰いますね。では!」
海風は突然の休暇申請を申し出ると共に、遠征の報告書と休暇申請に関しての書類が入ったクリアファイルを提督に押し付けて、一陣の風の様に部屋を去って行った。
海風から受け取ったクリアファイルは、彼女の手の体温が残っていて生暖かった。
クリアファイルから書類を出し二つとも、不備が無い事を認める。
「…………取り敢えず行くだけ行って破談にして貰おうか」
海風の休暇申請と外泊申請に責任者印を押しながらそう決めた。
このときに、提督は気づく事ができなかった。海風が縁談の事に関して妙に詳しかった事を。
時は移りお見合い当日。提督は相手の所有する長屋の一室にて相手を待っている状態だ。
提督は上級大将という重役ではあるが、一般家庭出身。
鹿威しの乾いた竹の音、部屋に案内されている時に少しだけ見た手入れの行き届いた枯山水の庭園、イグサの香る畳に、正座をしていても疲労感を感じないふかふかの座布団。
その全てと初めてのお見合いというシチュエーションは、元帥に謁見する時と同じような緊張感を与えてくる。
現に口は堅く結ばれ、軍装の中に隠れているアンダーシャツは背汗まみれになっていた。
「……そう言えば、お見合いの相手の写真とか無かったな。年齢以外にわかってるのは大企業の創設者、それも本家のお嬢様って事くらいか」
今思い返してみると、お見合い手の情報が妙に少なかった。それこそ、年齢と『幡野財閥』という日本を支える一大グループの創始者の血族という事しか書かれていなかった。
書類にも段取りと、念押しに無礼をするなという事だけが書かれていて、相手の写真なども添付されてない。
提督にすらこんな数少ない基本的な情報しか与えられていないのに、相手はどの位の事を知っているのだろうかと、不安に思う心が顔を出してくる。
一度姿勢を正し、息を整えていると、案内をしていくれた年配の給仕さんの声が障子ごしに通る。
続けて、お見合い相手と思わしき女性が、障子の前で正座の姿勢から礼をしているシルエットも浮かび上がって来た。
「お待たせしました」
障子が開くのと同時に、女性が三つ指を突いて丁寧にお辞儀をする女性が現れる。
洋紅色を基調とした桜をあしらった上質な着物、昼の日差しを反射する白波色の髪は桜と梅を模した髪留めに纏められている。
彼女の丁寧なお辞儀と相まって、その姿すら芸術品の様。
「いえ、待ってませんよ」
お相手に頭を下げさせたままにするわけには行かない。
提督も彼女に習う様に丁寧に身体を折りたたむ。
「初めまして、私、幡野海梨(はたのかいり)と申します。本日は宜しくお願い致します」
「こちらこそ初めまして、日本海軍にて上級大将の地位を任されている者です。宜しくお願い致します」
相手の自己紹介に合わせ、自分も自己紹介を返す。心の奥底で誰かに声が似てるなと思いながらも。
女性は緩慢な動作で顔を上げ始める。
「もう少ししたら婆やがお茶をもってきてくださると思います」
「あ、おかまいなく」
なんて返したら良いかわからず、気を使わないでいいですよと、頭の後ろに手を持っていきながら情けなく顔をあげた提督が見た物は――
「海風!?」
そう。普段は控えめなのに、お見合いの話をした瞬間に妙に突っかかって来た海風が目の前にいた。
「あっ、ばれてしまいましたか。さすがですね」
毎日会っている部下の一人だ。流石にわかる。
その言葉は、忽然と頭に浮かび上がった疑問にかき消される。
「な、なんで、ここに!?」
「言ってませんでした?私、幡野財閥本家の一人娘なんです」
「な、なんでそんなお嬢様が艦娘に……」
「色々と事情があるのですが置いときます」
「そんなことより」
「全然そんなことじゃない気がするんだが……」
艦娘になるという事の重大さは海風もわかっている筈だ。それも大財閥の正式な跡取りになるであろう一人娘が。
それをそんなことと切り捨てた事に、一般人出身の提督も驚きが隠せない。
「婚約してくださりますよね?」
海風は真剣な眼差しで提督を見据える。
「断定なんだな……。それにしてもなんで俺なんだ?」
衝撃的な事実が多すぎてもはや頭の整理が出来ていない提督は、とりあえず目の前の疑問に注力する事にした。
心の何処かで突っ込んだら負けという精神が出来上がったのだろう。
「私が提督の事を好きになっちゃったからですよ。それにわが財閥の跡取りとして、申し分がない能力を持ってますし」
「……さっきから衝撃の事実のフリーフォール過ぎて困るんだが」
財閥の跡取りとして申し分ないと言われるのは嬉しいが、先ほどから衝撃の事実が多すぎて、脳の処理が追いついていない。
「うふふ。骨が折れましたよ?コネのある元帥を脅して提督とのお見合いをセッティングするのは」
「さらっとお金持ち特有の癒着とえげつなさを暴露したよこの子……」
元帥が無礼な事をするなと何度も念押しした理由がやっとわかった。
海風の気を損ねたら、潰されるのは提督だけでなく、彼の直属の上司である元帥にも被害が及ぶからだ。
普段は口うるさい元帥が、情けなく無礼はするなと念を押していた理由がわかり、元帥の事を始めてちょっと可愛く感じた提督であった。
「婚約して、くださりますよね?」
海風は瞳に涙を溜めてか弱さで押してきた。
「今更儚い子アピールしても逆効果この上ないんだが……裏が無いか勘繰ってしまうんだが……」
が、提督からすれば寧ろ逆効果。言外に断ったらどうするかわかってるよなオマエ?と迫られている気がしている様で気が気でない。
「裏なんてありません!コレだけは断言させて頂きます!」
「お、おぅ!?」
ただ、海風の言葉と提督を見る目は何処までもまっすぐで確かに裏を感じず、提督はたじろぐ。
「提督が好きだから、手に入れたいだけです!」
「お金持ち特有の所有物的な言い方出ちゃってるよ……。いやまぁ、俺はその……海風の事は嫌いじゃないし、どっちかというと好きだと思う。でも、本当に俺でいいのか?」
「勿論。寧ろ、あなたじゃないと駄目なんです!」
海風の事ははっきりと言って嫌いじゃ無いのは確かだ。寧ろ、好きな方だと思う。
その海風があなたじゃないと駄目なんですと拳を握りしめて、全力で愛を言葉に乗せてぶつけて来た。
提督の気持ちは決まった。
「そうか……。ありがとう」
自然と彼は笑みを浮かべていた。
「!!!」
海風はその笑顔に胸を撃たれて心臓の鼓動が高まる。同時に鼻から愛の印が零れそうになったが、鼻元を押さえて何とか堪える事に成功した。
心配そうに視線を投げかける提督に、海風はパタパタと小さく手を振って大丈夫だとアピールした。
「因みに、断ったらどうするつもりだったんだ?」
「あ、婚約を受けてくださると捉えて良いのですね?」
「まぁ……海風が……いいなら…」
婚約という言葉で、海風と結婚するという意識が強く芽生えたようで、提督はそっぽを向きながら同意する。
「うふふ、カワイイ……。ありがとうございます。お断りされたらですか?そうですね。何度でもセッティングしなおしますよ?それこそ、好きになってくださるまで」
(魔王からは逃げられないということか……)
どちらにしろ提督の運命は決まっていた様だ。魔王の間にはセーブポインツは存在しない。
「うふふ。よかった。では、ここから私達の伝統に付き合ってもらいます」
「……へ?」
伝統?提督が聞き返す前に海風が手を叩く。
「爺や婆や!」
外へと繋がる障子はバシン!!と耳朶に叩きつけられるような音を立てて勢いよく閉じ。部屋の中にあった襖が障子の代わりに眼にも止まらぬ勢いで開くと、その中では二人で寝られるような大きさのお布団が提督と海風にウェルカムとでも言いたそうにちょっと捲れた状態で姿を現した。
「うふふ。婚約が決まったら、そのお相手の子供を妊娠するまで寝床を共にする風習がありまして」
「ウソダッ!!」
某有名な台詞を条件反射で提督が返す位に、提督の頭はオーバーヒートしていた。
「嘘じゃないですよ。じゃあ、行きましょう!」
「なんでそんなに乗り気なんだ!?アーレー!!」
艦娘特有の力の強さに敵わず、提督は首根っこを掴まれ、聞き分けの無いペットを無理矢理散歩させるように引っ張られる。
これから起きる事への興奮からか、海風の鼻孔からは幸せの色をした液体が垂れていたが、その事を咎める物はこの場には居なかった。
提督の身体が寝室に全て収まると襖が退路を閉じ、二人だけの空間を作り上げる。
この後、一週間全てを子作りについやした。