惻隠の情   作:坂口

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12話 日常(4)

 夜が明け細い光が牢屋を照らす頃、コンコン、コンコン、と静かな物音が定期的に響いていた。

 横たわらず、片足を胸に抱いた姿勢で壁を背に眠っていた男は、その音で静かに目を覚ます。彼はゆっくり立ち上がり、欠伸をしながら身体を伸ばす。

 「ふぅ」と一息ついた彼の表情は、廃屋で生活をしていた時のような薄暗さは少なく、吹っ切れているのか、明るさが少しだけ戻りつつあった。

 男が身体を動かした事により、衣擦れの音がし、空気が動く。それを感じたのか、一瞬、物音は止まる。だが、すぐに、コンコン、コンコン、と一定間隔でリズムが刻まれた。男は静かに鉄格子に近付き、己の右足で軽く鉄格子を、カン、と一度蹴る。

 

「…………オキタ?」

「ああ」

 

 一度きりの返事。彼は言葉を続ける事も無く、静かに壁に寄り掛かり、座る。

 硬質な爪で鉄格子を叩き音を出していたのは、隣の牢屋に囚われている港湾棲姫である。見張りの警備がいれば、もしかしたら止められていたかもしれない。しかし、この空間には見張りすらおらず、男と港湾棲姫の二人っきりであった。

 それも当然か。何が嬉しくて、人間の脅威となっている港湾棲姫と一晩過ごさなくてはいけないのか。自ら志願するような変わり者は、悲しいがな横須賀に集められた日本軍関係者にはいなかったのだろう。

 

 互いが互いの声を耳にした事により、落ち着きが生まれたのだろうか。地下牢は再び静けさに包まれる。牢屋が地下にある為、光は少ない。壁に設置された灯りに火を点ける者はいない。ジメジメとした薄暗さが、二人の身を包んでいた。

 

「…………俺の家みたいだな」

「フフッ」

 

 同じ事を思っていたのだろう。男の呟きに、港湾棲姫が笑う。

 

「デモ、ココノホウガ、サムク、ナイ」

「隙間風が無いとこんなに違うんだな」

 

 お互いが、静かに笑い合う。

 男は変わらない。いつも通り、マイペースに笑う。

 港湾棲姫は安堵感から笑う。少しでも彼を疑った、自身の勘違いを笑ってた。

 

「………………ゴメンナサイ」

「………………」

 

 港湾棲姫の謝罪に、男は動きを止める。

 彼女から謝罪される理由なんて、彼は何も思い浮かばない。むしろ、面倒に巻き込んでしまった彼こそが、謝罪を口にしようと思っていたくらいである。だからこそ、彼は何も言えなかった。動きを止めてしまった。

 

「………………………………テイトク?」

「違う」

 

 港湾棲姫から小さく漏れた言葉に、即座に反応した。

 男は姿勢を正し、痛む指も構わずに両手で握り拳を作り、震える身体を抑え込みながら言葉を吐き出す。

 

「…………俺は士官学校を卒業した。そして、…………横須賀鎮守府に行った。一週間の研修を終えたら、どこかの鎮守府に提督として就任する予定だった」

「………………」

「あの頃は自分が誇らしかった。御国の為に戦える。我が正義こそ、大義であれ、と。艦娘を率いて…………深海棲艦…………君の仲間を…………」

「………………ヘイキ」

 

 港湾棲姫が続きを促す様に、優しく声を掛ける。

 それを聞いた男は再び(はら)に力を込め、言葉を選び出す。

 

「……君の仲間を蹂躙し尽くしてやろうと思っていた。それが正義だからな」

「………………ウン」

「…………幸か不幸か、あのタイミングで、横須賀鎮守府は深海棲艦に襲われた。あの頃の日本軍は強健で、提督も艦娘も、精鋭揃いだった。負けるなんて、誰も思ってなかったよ」

「………………」

「結果は、日本海軍の大敗。提督も艦娘も大量に失った。戦場に巻き込まれた俺は、怖くなって逃げた。だから、俺は提督じゃない。提督になっていない。只の、臆病者」

 

 過去の光景を思い出していたのか、男の声には後悔や懺悔の色が含まれていた。

 しかし、話を終えた男の顔には、ある種の清々しさが見えている。しかし、それを指摘できる者は誰もおらず、また、男自身も、気が付いていない様子であった。

 

「………………ウソ」

「……本当」

「………………チガウ」

「……違くない」

「ナンカ、ナンカ、チガウ! ………ウソツイテル!」

「俺はただの臆病者だよ」

 

 男の話を静かに聞いていた港湾棲姫だが、何に納得がいかないのか、否定的な言葉を投げかける。しかし、それを男は冷静に受け止め、全てを言い返す。淡々と、言葉を返す。まるで自分に言い聞かせる様に。落ち着いて、静かに、感情を見せない様に。

 

 その時、コツコツと誰かが階段を下りてくる音が聞こえてくる。男と港湾棲姫は再び口を閉ざす。先ほどまでの会話がまるで無かったかのように。時が巻き戻ったかのように。二人はお互い、壁を背にし、静かに座る。男の顔からは表情が消え、港湾棲姫は目を伏している。

 

「……あ、あら~? 声が聞こえた…………と……思った…………のに~?」

 

 階段から降りてきたのは、軍関係者とは思えないような割烹服を着た、小柄な女性であった。彼女はこちらの様子を恐る恐る伺っているかのようだが、踏ん切りが付かないのか、下りた階段の前で立ち往生している。

 

「こ、こんにちは。あ、あの、起きて、いらっしゃいます…………?」

 

 それでも勇気を振り絞ったのか、彼女はなるべく二人を刺激しないように、ゆっくり、恐る恐る、静かに、牢屋に近付いて行く。男の投獄されている牢屋を横目でチラチラ見ながら通り過ぎ、港湾棲姫の投獄されている牢屋の前で、立ち止まる。

 そして、ゴソゴソとポケットをまさぐり始めた。

 そんな彼女を港湾棲姫は横目で観察する。しかし、自分の手元ばかりを見ている割烹服の彼女は視線に気付いていない。数秒後、ようやく探し物が見つかったのか彼女はそれを両手で握りしめると気合を入れるかのように一人でガッツポーズを始める。

 と、その時に、港湾棲姫と目が合った。

 

「……………!!!?!?! だ、大丈夫! 鳴本さんを信じて!」

 

 緊張で声が裏返っているのか、非常に聞き取り辛い声で彼女は自己紹介を始めた。

 

「は、初めまして港湾棲姫さん! わ、私は間宮です! 危害は加えないから、お、大人しくしてくれると、嬉しいな! …………嬉しいです!」

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