惻隠の情   作:坂口

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13話 港湾棲姫と間宮さん(1)

 白の割烹服に身を包み、赤のリボンが目立つ朗らかな雰囲気の女性。補助艦、間宮である。

 彼女は横須賀鎮守府の厨房を預かる重要な艦娘である。深海棲艦と過酷な争いを繰り広げている艦娘にとって、栄養補給は士気(モチベーション)を保つ為の数少ない娯楽の一つである。故に、補給のスペシャリストである彼女は海軍からも貴重な人材として重宝されている。

 そんな彼女は現在、横須賀鎮守府にて様々な業務に従事していた。炊事に洗濯、艦娘寮の掃除と管理。帳簿を付けたり、艦娘にオヤツを作ってあげたり。その姿はまるで、皆のお母さんである。

 彼女はそんな充実した毎日に満足していた。提督として優れた能力を持つ鳴本雷太を支える影の功労者、それが間宮であった。

 

 そんな彼女に鳴本は、重要な仕事を直々に命じていた。

 横須賀鎮守府の地下牢にいる港湾棲姫のお世話である。

 

「友達からの大事な預かり人だから、間宮さんにお願いしたいんだ」

 

 そのような言葉で鳴本から頼られれば、間宮の補給艦人生も悔い無しである。戦場に出られない間宮が提督である鳴本個人に頼られるのは、非常に珍しい。日々、感謝の言葉を頂いているのは確かだが、彼女はそれだけの生活に満足していなかった。彼は誰にでも優しい。だからこそ、提督の為に、鳴本雷太の為に、何か自分に出来る事を探す毎日だったのである。

 だからこそ彼女はいつも以上にやる気に満ち溢れ、心地良さと嬉しさを感じていたのだった。

 

 だが、それはそれとして、どんなに頼りにされようとも怖いものは怖いのであった。廊下から地下へと続く階段まではどうにか歩いてこれた。しかし、そこから先に進む勇気は出ない。彼女は戦力を保持していない。襲われたら、良くない結果になってしまう。

 階段の前で長い事、頭を悩ませていた彼女だったが、早くしないと出撃予定がある艦娘たちの朝食が遅れてしまう。勇気を振り絞り、彼女は階段を降りる決意をする。

 その際、牢屋から賑やかな声が聞こえてきた。内容は聞き取れないが、得体の知れない沈黙の中に突入するよりは何倍もマシである。勇気を振り絞った間宮が階段を降りる最中、しかし現実は非情だった。声は唐突に無くなり、得体の知れない沈黙が再びその場を支配してしまった。

 恐怖を感じながらも階下に辿り着き牢屋を目前にすると、そこはもう人の気配も無く、退廃したかのような空間であった。だが、間宮は知っている。ここにはいるのだ。港湾棲姫と、正体不明の不審者の男が。

 

 鳴本は港湾棲姫について、艦娘に危害を与えない存在だと説明していたが、男に関しては何も告げていなかった。元帥である伊丹が方針を定めていない為、提督である鳴本が扱いを決める事は不可能だったからである。故に、横須賀鎮守府内での男の扱いは、未だに不審者扱いという事になってしまっていた。

 

 間宮は絞られた勇気を集めるように、自分から声を掛けてみる。

 しかし、何の返事も無い。未だに眠っている可能性に賭け、少しずつ彼女は歩みを進めた。お化け屋敷の中を歩くかのような、緊張感。生気を感じない不審者がいる牢屋を通り過ぎ、ようやく彼女は目的の港湾棲姫の牢屋の前に辿り着いた。

 ゴソゴソと彼女は鍵を探し始める。本当は開けたくないのだが、鳴本の言葉を彼女は信じている。間宮は手始めに、港湾棲姫に自分の手料理を食べてもらいたかったのだ。彼女の頭の中には使命感と恐怖心がごちゃ混ぜになった感情が浮き沈みしている。

 そんな彼女が一人ガッツポーズをした。鍵が見つかったのか、気合を入れる為かは定かではない。しかしその瞬間、彼女は支離滅裂な言葉を慌てた様に口にした。言葉を発した事で落ち着いたのか、彼女は一拍、落ち着きを取り戻す。そして、まずは自己紹介だと判断したのか、彼女は改めて、自分の無害さを強調した自己紹介を披露し始めた。

 

「は、初めまして港湾棲姫さん! わ、私は間宮です! 危害は加えないから、お、大人しくしてくれると、嬉しいな! …………嬉しいです!」

 

 続けて、ガチャリと牢屋の鍵が開いた。間宮の両目はめまぐるしく動いており、この後どうしようかと悩んでいるようだった。そんな間宮から牢屋の鍵を開けてもらった港湾棲姫も、困った顔で牢屋の床と間宮の顔をチラチラと見比べている。彼女は既に大人しい。これ以上、どうしろと言うのか。

 

「ばいばい、楽しかったな」

 

 ふと、隣から男の声が聞こえた。港湾棲姫はその声に反応する。

 男の無感情であり、寂しさの浮かぶ声。港湾棲姫は慌てた様子で鍵の開いた牢屋から男の牢屋の前へ移動し、視線を合わせる為にしゃがみ込んだ。

 

「ナ、ナンデ?!?!」

「何でって……」

 

 男がチラリと間宮を見ると、間宮は困ったような顔をしながら、無理やり作った笑顔を返す。

 

「…………この子はどうなる?」

「て、提督からは、丁重に扱えと……」

 

 男からの疑問に間宮は素直に答える。鳴本から預かった使命を果たす為に、この男の言葉が助けになるかもしれなかったからだ。

 

「丁重だってさ」

「……ヒトリジャ、……ヤ」

「…………ここに来れば、会えるさ」

「……ホント?」

 

 港湾棲姫が、間宮に顔を向ける。間宮は何度も首を縦に振り、肯定の意を示す。

 

「…………カオ、ヘイキ?」

 

 港湾棲姫が男の赤くなっている顔を心配そうに見つめる。昨日の取り調べの影響か、打撲のような色合いになっている。

 

「顔より、指がね」

 

 男が小さく笑いながら、港湾棲姫に己の指を見せる。爪の部分が数枚欠けており、赤黒い血が生々しく光っていた。

 

「…………イタソウ」

 

 港湾棲姫が必死に牢屋の隙間から己の手を入れようとする。彼女は男の手を取り、優しく包んであげたかったのだろう。しかし、彼女の手は大きい。ゴン、ゴン、と鉄格子にぶつかり鈍い音を立てる。男が手を伸ばせば男の手と港湾棲姫の手は触れ合えるはずである。しかし男は自分から手を伸ばすつもりもなさそうで、港湾棲姫を静かに見つめていた。

 

「酷い……」

 

 間宮の口から、ポツリと声が零れる。男の指の惨状に、彼女は痛ましい視線を向けていた。

 

「あ、あの、救急箱持ってきます! 海軍所属として許されるか分からないですけど、それでも、やりすぎだと思うので……!」

「…………平気。港湾棲姫をよろしく」

 

 男はそう言うと静かに手を振り、彼女達に背を向け、横になってしまった。それを見た港湾棲姫は悲しそうな顔をしながらも立ち上がり、静かに間宮の後ろの方に歩む。

 

「…………じゃあ、行きましょう……か?」

「………………」

 

 港湾棲姫は悲しげな表情で、トボトボと間宮の後を着いていく。二人は階段を上り、柔らかい絨毯が敷かれた広い廊下に辿り着く。窓から光が差す鎮守府の明るさとは裏腹、暗い雰囲気の港湾棲姫に間宮は話し掛ける。既におどおどとした気配は消え、自身の本心を、しっかりと港湾棲姫に告げる。

 

「あの人が心配ですか?」

「………………ウン」

「勝手な意見、すいません。あの人は、あなたに、元気になって欲しいと思っているはずです」

「………………?」

「あの人があなたを見る目、とっても優しかったです。きっと、あなたが元気な姿を見せれば、あの人も、きっと元気に……」

「………………!」

 

 途端に、港湾棲姫の顔が少し明るくなる。

 それを見て間宮は再び確信する。彼女は無害な生き物である、と。監視や観察、鎮守府のルールを叩きこむのが目的であれば、秘書艦の加賀こそが世話係に相応しいと間宮は思っていた。しかし、港湾棲姫と共に過ごし、なぜ鳴本が他でもない自分に港湾棲姫の世話を託したのか、間宮は理解する事が出来た。

 男と港湾棲姫の関係を間宮は何も知らない。しかし、互いを思いやる姿を見ていると、とても親しい仲にある事が間宮にも伝わって来た。

 本来、深海棲艦は人間を憎み、艦娘を襲い、暴力的で知性も分別も無い生物だと思われている。間宮の目の前にいる港湾棲姫は違った。その、成人男性よりも二回り以上も大きい身体には圧倒されそうになるのだが、彼女の内に秘めたる心は、本来とても暖かいのだろう。

 それに気付いた間宮は、港湾棲姫に優しく話し掛ける。

 

「お腹が空きましたか? 客間を用意していますので、そちらにどうぞ」

「ゲンマイ!」

 

 食事の話をすると、港湾棲姫が嬉しそうな顔をした。

 しかし、間宮は思った。なぜ玄米なのだろうと。

 もしかしたら、彼女の好物なのかもしれない。間宮は、その情報を、そっと頭の隅にしまい込む事にした。

 

 

 

 

 華麗な装飾が施された客間。中心に置かれたテーブルで、港湾棲姫は一人黙々と食事をしていた。テーブルの上には二本の箸が転がっており、彼女の手元には彼女の身体にあったスプーンが握られている。

 しかし、彼女が食事をしているテーブルの上に、間宮が用意したものではないだろう謎の料理が入った椀が置かれていた。中には、半分の白米に、刻まれた野菜……サラダが詰められ、一口大になった肉のような物が無理やり重ねられている。

 港湾棲姫は間宮が用意した味噌汁をゆっくりと飲んでいる。

 そして、満足したのか「フゥ」と一息つきながら、椀をテーブルの上に戻した。椀の中には、少しだけ、味噌汁が残されている。

 

 食事が済んだかのような、落ち着いた空気が流れる。しかし、港湾棲姫は味噌汁の碗を再び手に持ち、真剣な顔つきに変わる。料理がごった(・・・)になった謎の碗に近付け、少しずつ味噌汁の残りを注いでいく。只でさえ謎の料理になっていたのに、水気まで含んでしまい、知らない人が見たら顔を歪めてしまうような惨状になってしまっていた。

 

「お待たせしました……。………………?」

 

 港湾棲姫の食事と謎の行動が終わったタイミングで、仕事を済ませてきたのか、間宮が客間に戻ってくる。仮にこの場に他の艦娘がいたとすれば、港湾棲姫を一人にするという危険な行為を(とが)められていたかもしれないが、間宮に気にした素振りは無い。

 だが、流石にテーブルに残された謎の碗には疑問が浮かぶのか、間宮は困惑の表情を隠せなかった。

 

「お、お口に合わなかった……かな? それと、お腹一杯…………とか?」

「……ゴハン」

 

 港湾棲姫は微笑みながらそう言うと、その碗を大事そうに両手で抱え、静かに立ち上がり、客間を出る。どこへ向かうのか間宮の事も気にせずにトコトコと廊下を歩いて行ってしまった。

 港湾棲姫は急ぐ様子が無い。しかし、その顔は嬉しそうであり、ゆっくり丁寧に、碗の中身をこぼさないよう目的地へ向かって歩く。その時、彼女を追っていた間宮は気が付いた。おそらく、地下牢まで行くのだろう、と。

 一応は、地下牢に投獄されている男にも食事は用意されている。しかし、それは粗末な物であり、男にとっては物足りない内容となるだろう。それを知ってか知らずか、港湾棲姫は食事を分け与えようとしているようだった。その健気な心遣いに、間宮はふと、自分の瞳が潤むのを感じた。

 しかし、問題はその内容だと間宮は思った。食事を分け与える事は素晴らしい。しかし、あの男は色々と混ざってしまったそれを、食べる事が出来るのだろうか……?

 間宮は心の中で願う。どうか、港湾棲姫の心遣いを無碍(むげ)にしないように。どうか、港湾棲姫の前で嫌な顔をしない様に。

 

「あれ………………? って、ちょ、ちょっと止まりなさい! あんた、港湾棲姫よね! 今すぐ静止して、両手を上げなさい!!」

 

 間宮が港湾棲姫の背後で天に祈っていると、食事を終えた艦娘に出会ってしまったのか、艦娘の声が聞こえた事に気が付いた。ひょっこりと港湾棲姫の背後から間宮が顔を出すと、そこには艤装を展開した瑞鶴が鋭い目つきで港湾棲姫を睨んでいた。

 

「………………あっ! ま、間宮さん! お怪我は無いですか?! 今すぐこの危険な生物を制圧して、大人しくさせますから……!!!」

「ず、瑞鶴さん! 平気、平気ですから! 港湾棲姫さんはそんな乱暴者じゃありませんから!」

 

 慌てた様に間宮が瑞鶴に声をかける。当の港湾棲姫は気にした様子も無く瑞鶴に近付く。瑞鶴は港湾棲姫から放たれるプレッシャーに圧を掛けられている。

 とは言え、港湾棲姫は普通に歩いているだけである。プレッシャーを感じているのは瑞鶴の勝手な思い込みの結果であったわけなのだが。そして、港湾棲姫はそのまま瑞鶴とすれ違う。目線は両手に持った碗にのみ注がれていた。瑞鶴の事は眼中にない様子である。

 

「あ、港湾棲姫さんはしっかり私が見張りますので、瑞鶴さんも、お仕事頑張って下さい!」

 

 港湾棲姫の後を追う間宮から、声を掛けられる瑞鶴。港湾棲姫と間宮の二人は何事も無かったかのように、地下牢までの廊下を歩いて行く。

 その場に残された瑞鶴の額からは一筋の汗が流れていた。彼女は、動く事が出来なかったのだ。その表情からは、精神の消耗が見て取れた。正義感から必死に耐えていたのだが、彼女の足は小刻みに震えている。そして瑞鶴は気付いた。己の下着がうっすらと湿っていた事に。

 瑞鶴はそっと頬を染め、周りに誰もいない事を確認すると、早足に入渠施設へと足を向かわせるのであった。

 

 

 

 

 男の牢屋の前で、港湾棲姫が悩ましい顔をしながら、何度も試行錯誤を繰り返していた。彼女の持っていた碗が、牢屋の鉄格子の隙間をくぐらないのだ。港湾棲姫は碗を傾け、角度を変え、無理やり押し込むように何度も挑戦している。

 そんな彼女の様子を、後ろに控えている間宮は心の中で必死に応援していた。可能であれば鍵を開けてあげたい。しかし立場を考えると、それは難しい事であった。牢屋の中にいる男に動きは無い。目の前で繰り広げられているそれを、アドバイスも無く、興味深そうに見ているだけだった。

 

「………………」

 

 ついに諦めたのか、悲しそうな顔をしながら港湾棲姫は持っていた碗を床に置き、両手の爪を見つめる。そして、その両手の爪を鉄格子に引っ掛け、力任せに

 

「脱獄の共謀」

「!!!?!」

 

 男の呟きに、焦ったように間宮の方を振り返る港湾棲姫。彼女は必死に顔を横に振っており、そんなつもりが無かった事を間宮に伝えようとしていた。そんな二人を間宮は楽しそうに見つめている。

 

「大丈夫よ、港湾棲姫さん。私は何も見てなかったわ♪」

 

 彼女の言葉に、安心したような表情をする港湾棲姫。そして、やはり押し込む事に決めたのか、港湾棲姫は碗を手に取り、グイグイと鉄格子に押し付け始める。

 その時、手が滑ったのか、ズルりと碗が傾いたかと思えば、「べちゃり」と中身が牢屋の床に落ちてしまった。

 

「ア!!!!」

「あっ!」

 

 港湾棲姫と間宮が同時に声を上げる。せっかくの料理が、床に落ちてしまった。これでは食べる事は出来ないだろう。いや、元々の内容がどうだという話はこの際、置いておいて。

 港湾棲姫は、落ちてしまったそれを見つめ、悲しそうな顔をし、そして、静かに口を開こうとし……

 

「ちょうどお腹が空いてたんだよ」

 

 その声に港湾棲姫が顔を上げると、男はそれを手で掴み、もそもそと食べ始めたのだった。

 

「オ、オナカ、イタク、ナル!」

「わざわざ作ってくれたの?」

 

 港湾棲姫の言葉を無視し、男はそれをもそもそと食べる。白米は水気を吸い、べちゃべちゃになっている。混ぜられたサラダの水気が一口大の肉に絡み、味が薄まっている。どう考えても、美味しい筈が無い。しかし、それを男は黙々と食べていた。

 

「指が痛くて、手掴みは辛いなぁ」

「!!!?!」

 

 男の言葉に、港湾棲姫は慌てた様に、隠し持っていたスプーンを差し出す。

 それを受け取ると、男は間宮に声を掛ける。

 

「これがナイフだったら、大問題になるね」

 

 笑いながら言う男に、間宮は戸惑いを隠せない。

 男は食事を再開する。港湾棲姫は、それを嬉しそうに見ている。

 間宮は判断が付かない。男は、なぜ自分が不利になる様な事を言うのだろうか。この件を間宮が上に報告し、港湾棲姫の自由が失われたら、男にとっても望むべき未来にならないはずである。

 しかし、男にギラギラとした悪意は感じない。「俺は脱獄してみせる。阻止しようとしても、無駄だ」などと言った挑戦的な発言をしているつもりもなさそうである。ただ分かる事は、男が港湾棲姫を非常に大切にしており、また、港湾棲姫もそんな男を大切に思っているという事であった。

 二人の世界を間近で見せられ、間宮は想像していた。

 鳴本に認められ、そして求められた、自分の幸せな将来を…………。

 

「美味しかったよ」

「マタ、ツクル!」

 

 食事を終えた男に、港湾棲姫は嬉しそうな顔を見せる。そんな港湾棲姫に気付かれないように、男はチラチラと間宮の方に目を向ける。まるで、何かを訴えているかのようだ。

 間宮は把握した。男の訴えを。男が何を求めているのか。

 

「港湾棲姫さん、時間はありますから私が美味しい料理の作り方、教えてあげますね」

「アリガト!」

 

 港湾棲姫は褒められた事が嬉しかったのか、鼻歌を歌い始める。そして、そんな彼女を男はぼんやりと見つめている。その時、港湾棲姫が急に右手を伸ばし、自分の頭をワシワシと掻き始める。

 

「…………ナンカ、ムシガ、イル」

 

 港湾棲姫はそう呟くと、辺りをきょろきょろしながら、自分の身体を両手で(まさぐ)り始める。そんな彼女を間宮は心配そうな目で見つめ、男は無表情に身体を横にする。

 暫しの後、結果の出ない手探りに諦めを感じたのか、港湾棲姫は納得がいかないかのような素振りを見せながら男に手を振った。

 

「マタネ」

「ああ」

「…………それでは、失礼します」

 

 港湾棲姫が階段に向かうと、間宮は慌てた様に男に一礼し、港湾棲姫を追って行った。男はそれを静かに見届けると、身体を伸ばし、食後の時間を眠りで潰す事に決めたようであった。




 伊丹の為に用意された豪奢(ごうしゃ)な乗用車で舞鶴鎮守府に向かった八人は、途中の事業所で二台の四輪駆動車に乗り換え、暗い道のりを只管(ひたすら)に走っていた。目立つ乗用車で向かうのは、鬼島に不必要なプレシャーを与えかねないという伊丹の気遣いであった。
 前を走る四輪駆動車の運転手は岩井厳双。助手席にあきつ丸を乗せ、後部座席に座る大和は、伊丹を守るように艤装で伊丹を囲んでいる。
 それに続くのは龍驤の運転する車である。助手席には金剛が座っているのだが、その瞳は閉じており、すやすやと眠っているようだった。後部座席では鳴本に寄り掛かるように、吉田もまた、眠っている。寄り掛かるというか、まるで抱き着いているようである。起きている彼女には、到底できない姿勢であった。それにしても、この提督にこの艦娘。傍から見れば、佐世保鎮守府の二人は実にお似合いのコンビに見えるのであった。
 そして、そんな吉田の様子を龍驤はバックミラー越しに睨みつけていた。別に眠っている事に怒りを覚えているわけでは無い。提督である鳴本にくっ付いている事に怒りを隠せないようであった。

「…………そろそろ舞鶴鎮守府か。龍驤、長い道のり、運転ありがとう」
「いや、ええからええから。気にせんといて。舞鶴鎮守府に付いたら、ウチの分まで、キバリや~、な、なんてね!」

 急に声を掛けられた龍驤が、慌てた様に返事をする。
 鳴本の言う通り、前を走っている四輪駆動車が徐々に速度を緩める。そして、舞鶴鎮守府の正門に辿り着くと完全に停止する。岩井とあきつ丸が先導するように降り、周囲を窺う。しかし、周囲には物音もせず、明かりも無い。何の変哲も、見当たらない。
 辺りを警戒しながら、伊丹、大和、龍驤、鳴本が続く。少し遅れて、金剛と吉田の二人も降りてきた。

 だが、おかしい。この場所が日本国を守護する舞鶴鎮守府だという事を考えると、この空間には異質な空気が流れていた。まず、物音が聞こえない。本来であれば鎮守府は二十四時間体制で動いているはずである。故に、全員揃って眠りにつくなんて有り得る話では無い。そして、明かりが点いていない。月明かりが輝いているだけで、人工的な光は何一つ(とも)っていなかった。
 
 その時、月明かりが舞鶴鎮守府を照らした。
 変わり果てた舞鶴鎮守府の姿を、八人の眼に浮かび上がらせる。
 ボロボロになった門柱。辺りは雑草が生い茂っており、手入れがされていないのは一目瞭然だ。そして、壊れているのか、敷地内には至る所に放置された艤装が転がっており、長い時間そこにあったのか、雨に打たれて出来た錆のような色が浮かんでいる。
 只ならぬ舞鶴鎮守府の姿を目にした八人の表情に、険が浮かぶ。只事では無いと、直ちに鬼島提督に話を聞く必要があると、全員、気を引き締める。
 海へと続く埠頭への道の途中に何かが転がっていた。辺りを警戒しながらあきつ丸がそれに近付くと、あきつ丸は深夜にもかかわらず金切り声を上げた。岩井が急いで走り寄ると、あきつ丸の腕には意識があるのかないのか、虚ろな瞳の駆逐艦が抱かれていた。
 岩井のこめかみ(・・・・)に、血管が浮き上がる。岩井の顔は興奮で赤くなり、目は血走っている。

 刹那、岩井の怒号を掻き消す様な大きな爆発音が、辺りに響いた。紅い爆炎が鎮守府の一角に咲き誇り、遅れたように轟音と爆風が、一陣を駆け抜けた。
 八人の視線の先には、壁が崩れ、内部が剥き出しになった執務室の様子が辛うじて見える。そこに立っている人影は二人。崩れた窓辺に立っているのは、提督である鬼島だろう。そしてもう一人。長めの得物を持った彼女は、何かを叫んでいる。その内容は、距離がある為、届かない。
 本来、艦娘は人間に対し武力を発揮する事が出来ない。それは当然である。人間を守る為に存在しているからだ。しかし、だからと言って一切の手出しが出来ないわけでは無い。冗談で叩いたり、コミュニケーションを取る事は可能である。
 そして二次被害。攻撃対象の付近に、偶々(たまたま)、何者かがいた場合、流れ弾が当たってしまう場合もある。事故は起きる。しかし、断罪は行われる。故に艦娘は、己の行動を綿密に計算し、慎重に行動しているのだ。

 今回の爆発も、直接的に提督を狙ったものではないだろう。しかし、艦娘の様子を見る限り、確実な敵意は感じられてしまう。だが、この舞鶴鎮守府の様子を見れば、どちらに非があるか即断する事は難しいだろう。
 この光景に、伊丹の頭は真っ白になった。だが、怪我人が出る前に動く必要がある。伊丹が指示を出す前に、岩井と鳴本は走りだしていた。轟々と燃える紅が、深夜の舞鶴鎮守府を彩っていた。
 周囲は静けさに包まれている。これだけの大事(だいじ)が起きたにも関わらず、舞鶴の艦娘が動く気配は、無い。
 伊丹は後悔していた、己がもっと早く気が付いていれば。己がもっと早くに動いていれば。しかし、時は戻らない。この場に巡る全ての後悔を飲み込むように、状況は刻一刻と過ぎて行くのであった。
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