惻隠の情   作:坂口

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2章・鬼島稔
14話 幽々たる舞鶴の灰桜(1)


 数年前に、一人の男が士官学校を卒業した。名は鬼島稔。

 両親、共に軍隊関係者であり、幼き頃から名誉ある海軍に所属する事を望まれ、日本国の為に生きる事を懸命に願われた生粋のエリート。その教育が鬼島にどのような影響を与えたのかは不明だが、実直で、軍人気質の男に育っていた。

 当時、齢十六。後に佐世保の提督となる吉田雪が更新するまでその年若(としわか)さで士官学校を卒業した者はおらず、その記録は卒業生名簿に長きに渡って記される事となったのであった。

 鬼島は士官学校最年少卒業生と言う名誉のみに収まる器量では無かった。それさえも、彼の残した数々の戦歴からすればとても小さい勲章なのだと、後年、関係者は口を揃えたものだった。

 

 鬼島稔は士官学校卒業後、すぐに横須賀鎮守府に就任する事となった。

 当時は提督も艦娘も潤沢に存在しており、海軍内部での競争は熾烈(しれつ)を極めていた。家柄やコネクションが横行する厳しい上下関係。そして、減点法によって定められる個人の価値。結果を出せない無価値な人間はすぐさま近隣の事業所に異動させられ、鎮守府、ひいては日本国を輝かしい未来へ導けると判断された数少ない提督だけが、互いに(しのぎ)を削り合う事を許され、その能力を高めていったのだった。

 そんな環境が鬼島にとって吉兆どちらに転がったかは分からない。

 しかし、鬼島はその恵まれた才を更に昇華させ、昇竜の勢いで結果を出していった。

 

 

 

 

 横須賀鎮守府へ就任直後、鬼島に与えられた艦娘は春日丸級一番艦軽空母の春日丸であった。

 鬼島は目を付けられていた。際立(きわだ)った結果を背負ってきた新米に厳しい現実を見せるのは、先輩、上官として当然の事であったからだ。鬼島に与えられた春日丸は、軽空母ながら非常にスペックの足りていない艦娘であった。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 鬼島と初めて顔を合わせた春日丸は、その申し訳なさに目を合わす事も出来ず、小さく挨拶をするのが精一杯であった。春日丸自体、己の力量を把握していたのだろう。事実、遠征任務の成員(メンバー)に名を連ねる事は極端に少なく、彼女の数少ない仕事と言えば、提督や艦娘が終えた任務の後始末や(かわや)の掃除くらいであった。

 

「これで貴様も一人前の提督と知れ! 挨拶代わりだ! (たわむ)れ、彼らの演習に付き合って貰っても構わぬだろう?!」

 

 有無を言わせぬ口調で、上官に位地(いち)する数人の提督が鬼島を取り囲む。

 それを見ても、共に配属された新人提督は何も言う事が出来ない。上官に逆らう事など、誰にも出来やしないのである。上官である提督の周りには、練度も連携も申し分ないであろう、数人の艦娘が立っていた。

 

「春日丸ちゃん、一緒に楽しむクマー!」

「ほ、本当に…………。い、いえ、提督! 霧島に不満はございません!」

「ふん、この演習であたしの実力が計れるとは思えないけどね! まっ、クソ提督の為にも勝ちにいってやるわよ!」

 

 球磨型、一番艦の軽巡洋艦、球磨。

 金剛型、四番艦の戦艦、霧島。

 綾波型、八番艦の駆逐艦、曙。

 

 彼女達はお互いに、緊張した面持ちも見せずに、朗らかな態度で挨拶を始める。それを見た上官である提督たちは、これから起きる惨事を想像し、ニヤニヤとした(いや)らしい視線を鬼島に向けるのであった。

 これは演習では無い。鬼島に対する私刑(リンチ)であった。今後の上下関係を円滑にする為の、横須賀鎮守府所属提督のエゴイズムによる、儀式であった。

 実質、三対一。そして相手は軽空母ながらもお荷物扱いされている春日丸。この演習を事前に聞いていた霧島は、当然であろう、是非とも中止を求めていた。演習とは言え、艦娘の練度や経験の釣り合いが取れておらず、怪我人が出る事を恐れたからである。

 

『これは、横柄(おうへい)で規範を乱す可能性がある新人に対しての教育である。私たちも辛いのだ。だが、日本国に属する我が海軍の将来を思えば、致しなかろう』

 

 こう言われてしまえば、霧島も黙るしかなかった。そして、そのような目的があるのであれば、提督の顔に泥を塗るであろう行いは決して許されない事を霧島は冷静に判断し、不承不承(ふしょうぶしょう)ではあるが演習の承諾をしたのであった。

 そんな霧島の苦悩を鬼島は知る由も無い。彼は己の眼鏡を正し、実に単簡(たんかん)な態度で、演習の申し入れを受け入れてしまった。

 

「……承知しました」

 

 拒否権は当然無いものであったが、戸惑いも見せずに承諾する鬼島の態度が、男たちの(しゃく)(さわ)った。就任直後に与えられた艦娘。互いのコミュニケーションは元より、能力やクセを把握するのにも、ある程度の時間は掛かる。鬼島は馬鹿な男では無い。それが海上にてどのような影響をもたらすかを、知らぬ男では無い。

 

「……ブチ殺してやる」

 

 誰の耳に入るでもない怒気の含まれた小さな言葉を、誰が呟いたのであろうか。三人の提督の中の誰かか、それとも、鬼島本人か。両脇を抱えられるように演習場に連れて行かれる鬼島稔。その姿を見た心優しい人間は、止められない己の弱さを嘆くと共に、只々(ただただ)、無事に帰って来れる事を祈るだけであった。

 

 

 

 

 演習ではあったが、それは規範をも無視され実弾が使用されていた。彼らは後に「新入りに実戦を教えてやろうと……」と口を揃えていたのだが、実戦を教えられたのは彼らの方であった。

 鬼島は春日丸に『12.7cm連装高角砲』と『九六式艦戦改』を装備させ、耳に取り付ける受信機を手渡し、

 

「私の指示通りに動け」

 

 ただ一言そう告げると、演習の様子を見に来た周囲の喧騒を無視するかのように偵察機を飛ばし、静かに無線機の前に座っていた。

 

「出撃したクマー! 三人とも、かかってくるクマー!」

 

 球磨が元気よく声を張り上げ、水上移動を開始する。

 一見、一対一対一対一ではあるが、序盤から獲物を袋叩きにする作戦を組む馬鹿はいない。各提督は演習の中盤から終盤にかけ、まるで自然な流れで、悪意など微塵も感じさせないよう、じわじわと春日丸に対して攻撃を重ね、完膚なきまでに叩き潰す事を取り決めていたのだった。

 何も知らされていない球磨、曙の二人は変わらぬ演習を楽しんでおり、春日丸もパートナーとなる鬼島稔に精一杯良い所を見せようと、気合を入れていた。

 力量の差から起こりうる不慮の事故を恐れた霧島の表情は三人と異なっていたが、しかし、提督の顔に泥を塗る事も出来ない。そして彼女は閃いたのである。己が一撃で春日丸を粉砕する事に成功すれば、余計な事故も起こらず、無事に演習が終わるだろうと。彼女は一念発起(いちねんほっき)、 己の『41cm三連装砲改』に目を向けるのであった。

 

 

 

 開始二百四十秒。

 海上を進んでいた球磨が霧島と相対し、お互いが間合いを維持しながら牽制射撃を行う。曙は後方で機を伺っており、春日丸は指示を聞いているのか、三人から離れた場所で無防備に棒立ちしていた。

 

 開始二百八十秒。

 牽制していた球磨が放った『20.3cm連装砲』が霧島の艤装を掠め、同時に後方から曙が『61cm四連装魚雷』を仕掛ける。数秒後、爆音が響くと同時に二本の水柱が立ち、演習を見守っていた海兵隊から歓声が起こった。

 霧島は『15.2cm単装砲』にて球磨を牽制しながら間合いを広げ、後方の曙に向かって『41cm三連装砲改』を容赦無く打っ放す。腹に響く艦砲射撃が空気を震わせ、数秒後にて曙の悲鳴を掻き消すかのような水音が大きく鳴り響き、海兵隊の耳を楽しませる。

 

 開始三百二秒。

 水音に紛れるよう、目立たぬよう、姿勢はそのままに、春日丸が少しずつ水面を前進する。そして、体勢を立て直した曙が「ったく、ありえないわ! お返しよ!」と言わんばかりに『61cm四連装魚雷』を再び発射した。

 春日丸は大きく迂回しながら霧島に近付いて行く。そして、曙の『61cm四連装魚雷』が再び水柱を作ったタイミングを見計らい、『九六式艦戦改』を三機、飛翔させた。

 春日丸は水柱が静まるのを見るや否や、一気に霧島に向かって距離を詰めて行った。春日丸の姿に気付いた球磨が霧島から目を離し『20.3cm連装砲』で威嚇射撃を行った。球磨、霧島、春日丸の距離は互いに目視できる距離であった。遮蔽物は無く、天候による影響もない。地力を見れば、勝負の結果は想像に難くない。

 

 その時、再び春日丸は水上を全速で走った。自棄(やけ)か作戦か。二人の中心部となる場所へ切り込むように進んだ春日丸は、その場を維持する様に、前後左右。

 球磨、霧島の視線が春日丸を襲う。春日丸は不安そうな顔を隠そうともせずに、周囲の二人の様子を窺っている。

 

 

 

 ―――馬鹿が!

 

 勝ち目のない演習に鬼島が自棄(やけ)になったのだろうと判断した提督の一人が、すかさず艦娘に指示を飛ばす。無線を聞いた球磨は即座に『20.3cm連装砲』の照準を春日丸に合わせ、その引き金を―――――

 

 瞬間、大きな爆音と水柱が三人を襲った。

 曙の放つ『61cm四連装魚雷』が三人を襲ったのである。

 曙から見れば、三人の動きは素人そのものであった。最初から霧島に対して『61cm四連装魚雷』を撃っていたのにも関わらず、春日丸は何を思ったのか霧島に近付く。そして、春日丸を狙う為に球磨が「狙って下さい」と言わんばかりに、その場に完全停止したのだから。

 景気良く『61cm四連装魚雷』を繰り出す綾波型、八番艦の駆逐艦、曙。射程圏内に三人の(まと)が立っている。彼女の一方的な攻撃に三人は体勢を整えるのに必死であり、対する曙の表情は、己の実力を心置きなく披露できる場が与えられた事に感謝を隠せないのか、にへら、と、口元が緩んでいた。

 だが、その様子を見て、曙に指示を出す提督は毒づいていた。このままでは鬼島に対する私刑(リンチ)が失敗に終わってしまう。それどころか、圧倒的な一人勝ちは彼の立場を危うくする。横須賀鎮守府内における政治にて、不利な立場に立たされる危険性が生まれてしまったのだ。

 提督は怒鳴り声を隠そうともせずに、曙に指示を飛ばす。

 提督の指示を聞いた曙は不満そうな顔を隠そうともしなかったのだが、その指示通り、攻撃の手を休めたのであった。

 

 戦闘開始から既に四百八秒。

 ()()()()四百八秒。最序盤は過ぎたが、未だに中盤には至っていない。

 春日丸を袋叩きにするタイミングを、三人の提督は計りかねていた。そして『61cm四連装魚雷』に襲われた霧島も危機感を抱いていた。今の状況では、自分は不利にある。即座に体勢を立て直し、提督の為に、この戦場を我が手中に収める事を第一目標に設定し直した。

 霧島は焦っていた。霧島は冷静さを欠いていた。『61cm四連装魚雷』の連撃が収まった瞬間、彼女は即座に後退しようとし…………そして、失敗した。視覚内に、射程圏内に、春日丸がいたのである。

 彼女の第一目標は戦場を手中に収める事では無かった。春日丸を一撃で粉砕し、余計な事故を起こさない事であった。春日丸は練度が低い。春日丸は戦場に慣れていない。春日丸は演習に慣れていない。故に、春日丸がこの場に残ると、事故が起きる可能性が、高い。

 霧島は聡明な頭脳で即座に答えを叩き出した。霧島は『41cm三連装砲改』を春日丸に向け、彼女の足元に対し、艦砲射撃を開始した。

 

 完全に馬鹿のやる事であった。

 

 発射音が響き渡り、春日丸の表情が絶望で染められた。己を襲う砲弾に身が(すく)み、身体が完全に硬直した。その瞬間、受信機から声が聞こえ、春日丸の身体は何者かに抑えつけられるかのように、水中に沈められたのであった。

 

 

 

 

 己の過ちに気付いた霧島が即座に春日丸の元に駆け寄ると、そこには大破した球磨が己の身体を抑えながら海面に倒れていた。『41cm三連装砲改』の砲弾を全身で受け止めながらも、戦場で死線を潜り抜けていた彼女は辛うじて致命傷を避け、意識を保つ事に成功していたのであった。

 そう、球磨は即座に反応したのであった。霧島が『41cm三連装砲改』を春日丸に向けた瞬間、次に何が起こってしまうのかを冷静に判断し、動いたのだ。そして、球磨の判断は実に正しかった。春日丸は冷静な回避行動を取る事に失敗し、そんな彼女を(かば)うように、球磨は己の身を犠牲にしたのだ。

 仮に春日丸に直撃していれば、演習とはいえ、轟沈していた事は間違いない。この演習は模擬弾では無く、実弾を使っていたのだから。

 

 意識のある球磨の様子に安堵しながらも、慌てたように辺りを見渡す霧島。そうなのだ、この場にいるのは球磨だけなのである。それでは春日丸は何処に行ってしまったのだろうか。砲弾の着水の余波で、遠くに飛んで行ってしまったのだろうか。

 否、霧島の一瞬の隙を突いて、球磨の身体を盾に水中に潜んでいた春日丸は、霧島に容赦なく飛び掛かった。完全に虚を突かれた霧島は抵抗する間もなく海面に倒れ込み、その首元には春日丸の『12.7cm連装高角砲』が構えられていた。

 

 練度が低くとも、この距離ならば、当たる。

 練度が高くとも、首元に直撃を食らえば、重症は免れない。

 

 霧島の口から、静かに降参の言葉が零れた。

 瞬間、遠くから三回の爆発音と共に、曙の悲鳴が聞こえてきた。

 春日丸と球磨、霧島の様子を気にしていた海兵隊は、すぐさま曙の方に顔を向けた。彼女の身体からは黒煙が吹いており、艤装は破損。衣装も破れ、本人の戦意も失われているようだった。彼女の周囲には無残にも破壊された三機の『九六式艦戦改』がプカプカと浮いており、パラシュートを開いた三人の妖精が少し遅れて、曙の周りに着水したのであった。

 この『九六式艦戦改』は春日丸が発艦させた機体であった。故に、曙を戦意喪失に追いやったのは春日丸と言う事になる。この事実に気付いた周囲の海兵隊が悦びと歓声を上げ、そんな様子に対して三人の提督は、忌々し気に鬼島を見つめるのであった。

 

「は、反則だ! 御国から授かった『九六式艦戦改』をこのように…………艦娘に直接特攻させるなど!!」

「私は最善を尽くしたまでです」

 

 鬼島は静かに立ち上がると、静かに鎮守府へと歩いて行く。

 鬼島を称賛するかのように、彼の周りには人だかりが出来ていく。

 否、称賛されて然るべきである。今まで雑務しか行っていなかった春日丸を初対面にも関わらず勝利に導いたその実力を称賛しない者は、苦虫を噛み潰したような表情をしている三人の提督以外、誰もいなかった。

 

 

 

 

 演習の内容を耳にした横須賀鎮守府責任者は実行犯である三人の提督を『提督補佐役』に降格させ、彼らを止めなかった上官にも数ヶ月の減俸を科した。そして、他の艦娘の模範となるべき戦艦である金剛型四番艦の霧島には厳重注意を言い渡したのであった。

 

「それにしても鬼島君。あの作戦は君が指示したのかね? 優秀だとは私も聞いていたが、しかし、これほどまで……」

「想定の範囲内です」

 

 目の前に座る将官に対し、凛とした敬礼を見せる鬼島稔。しかし、彼の眼は宙を見ており、表情からは何の喜びも感じられない。鬼島にとって、このような(いさか)いは児戯(じぎ)同然だったのだろうか。そんな鬼島の姿を部屋の後ろで待機していた春日丸は尊敬と羨望の入り混じったキラキラした純粋な瞳で見守っていたのであった。

 

 将官からの激励を黙って聞き入れた鬼島は、春日丸と共に静かに部屋を後にする。

 演習にて春日丸の耳に届いた指示は非常に細かいものであった。しかし、演習開始直後に勝利までの指し手を(あらかじ)め説明されていた為、春日丸は咄嗟(とっさ)の指示に対しても混乱する事は無かった。咄嗟に「球磨型を盾にしろ」と言われても、彼女は辛うじて冷静に対処する事が出来ていた。だが、それはつまり、鬼島稔の目には彼女達の辿る軌跡が全て見えていたという事なのだろうか――――。

 

「指示通りだったな」

 

 最後まで鬼島は春日丸の方を見ようとはしなかった。彼は常に虚空を見ており、自分の進むべき道筋、そして御国の辿り着く安寧(あんねい)な将来を見据えていた。しかし、自身の初勝利を未だに信じられていない春日丸に対して呟かれたその一言は、春日丸の胸にしっかりと刻み込まれたのだった。

 

 

 

 

 鬼島が横須賀鎮守府に就任してから数ヶ月。横須賀鎮守府の力強さと安定性はすっかり日本全土を駆け回り、明るい未来への象徴として、日本国民の心に希望と言う形で宿り始めていた。鬼島は当初、提督補佐として様々な提督を支援していた。鬼島と組んだ提督は、口を揃えてこう言った。

 

『鬼島の示す通りに進めば、艦娘に被害が出なくて助かる』

 

 提督の一人が体調を崩した日、将官直々に鬼島稔の出撃任務が許された。この日は鎮守府海域ではあったが、鬼島は春日丸と数人の艦娘を選び、四艦小隊での出撃を命じた。南西諸島の防衛ラインを監視する簡単な任務であったが、その日は様子が異なっており、敵偵察艦隊の軽巡ヘ級、駆逐ロ級など数匹と遭遇したのだった。

 違和感を感じた春日丸は即座に鬼島に連絡したのだが、鬼島の返事は「構わず進め」の一言であった。それをそのまま春日丸が成員(メンバー)に伝えたところ、曙が「構うわよ! 異常じゃない!」とブチ切れ始めたのだが、それはまた別の話である。

 鬼島を信じた春日丸が前進を続けると、敵偵察艦隊だけでは無く、敵機動部隊の発見に成功したのであった。機先を制した彼女達の判断は早く、敵艦隊の殲滅に成功した。敵艦隊との相性が良かったのか、被害も軽微で、入渠の必要すらないほどであった。防衛ライン内への敵機動部隊による侵入を寸前で許さなかった彼女達は功績を高く評価され、同時に鬼島稔の指揮能力の高さをも示す形となったのであった。

 

 鬼島稔の快進撃はここから始まった。

 

 続いて鎮守府近海の制圧。被害は軽微。

 鎮守府近海航路に()ける輸送船団護衛成功。

 南西諸島海域にてカムラン半島、バシー島沖、東部オリョール海の三つの海域を制圧し、海上輸送の安全性を高めた結果、日本国民が困窮し始めていた食糧事情の改善に大きな成果を上げたのであった。

 その後も西方海域や中部海域など、鬼島の出撃によって安全性が保たれた海域が増えていく事により、海軍の名声は留まる事を知らず、遂には大元帥からの(えい)(よく)す事を認められたのであった。

 

 

 

 

 鬼島が横須賀鎮守府に着任してから六年が経過した。二十二歳となっていた鬼島に、将官から辞令が渡された。

 

「大本営陸海軍部から預かった。満場一致で君は大尉に昇格した。詳細は中に」

 

 将官から手渡された辞令を興味無さそうに目を通す鬼島。

 貴殿の働きは云々。此度の成果を評価云々。鬼島にとっては意味の無い言葉の羅列が書き連なっていた。

 

「…………私としては非常に悩ましい問題なのだが、君の舞鶴への異動の話もあるのだ。君なら一人で舞鶴を運営出来るだろうという、大本営の判断だ。必要であれば…………君が鍛え上げた艦娘を連れていく事も構わない。もちろん、秘書艦である春日丸も……」

「舞鶴への任、承りました。私一人で結構です」

 

 鬼島が将官に一礼し、退室する。将官は鬼島に何かを言い(よど)んでいたのだが、鬼島は全く興味を示さなかった。

 だが、廊下にでた鬼島は軍帽を外し、七三に整えられた毛髪をかき上げ、静かに息を吐いたのだった。窓から入る陽が鬼島の眼鏡を照らしていた。しかし、それも一瞬の事であり、次の瞬間にも鬼島は、自分の執務室へと足を運ぶのであった。

 

 

 

 

 横須賀鎮守府へ一礼を向け、鬼島は静かに送迎用の車に乗り込んだ。

 その時、微かながらに声が聞こえた。

 鬼島が窓を開けると、鎮守府から急いだのだろう、息を切らせた春日丸が鬼島を引き留めた。

 

「な、何で異動の話、知らせてくれなかったんですか?! 私、鬼島提督に……」

「必要無い」

 

 鬼島の変わらぬ表情が春日丸を見つめる。

 春日丸は初対面の日から今日までの日々を思い出す。運よく鬼島の秘書艦に選ばれた事で、春日丸は非常に多くの経験を積む事が出来たのだった。既に練度は高く、何度も改装の話は上がったのだが、鬼島の「必要無い」の一言で何度も流れていったのであった。春日丸はその事について鬼島を恨んでない。それどころか、鬼島と同じく必要無いと考えていた。

 鬼島は淡々としていた。春日丸は名前を呼ばれた事が一度も無く、鬼島は艦娘に対して常に個別の型と番号で呼んでいた。鬼島の笑顔を春日丸は見た事が無かった。そもそも、鬼島の表情が変わる事自体、非常に珍しい事だと春日丸は知っていた。

 しかし、春日丸の胸に満たされていたのは、鬼島の優しさであった。鬼島の評判は非常に高かった。鬼島に編成された艦娘は誰もが誇らしげに振る舞い、自信を深めていった。だが、誰も鬼島の人間性を正面から見据えた者はいなかった。提督としての能力の高さは誰もが認めていた。しかし、他者に関心を示さず、仕事以外の話をせず、食事すら最低限に済ませていた鬼島稔の心の深い部分に、誰も目を向けようとしていなかった。そう、春日丸以外。彼女は唯一、鬼島を理解しようとした。秘書艦としてでは無く、一人の女性として。

 

「あ、あの、私、鬼島提督に……」

 

 春日丸が、ポケットに手を入れる。しかし、そこから手が引き抜かれる事は無く、春日丸の沈黙が続いてしまう。

 

「出してくれ」

 

 鬼島がそう言うと、春日丸は咄嗟に顔を上げる。しかし、力なく項垂(うなだ)れると、静かに手を振った。

 鬼島を乗せた車が鎮守府から出て行く。鬼島は背後を振り返らない。春日丸は知っていた。しかし、彼女は左手を振り続けていた。左手を振り続け、最後まで振り続け、ようやく手を振る事を止めた時、ポケットに入っていた右手が、静かにその手紙をくしゃりと握ったのだった。




ver1.01 2019/01/23
ver1.02 2019/08/16
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