惻隠の情   作:坂口

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15話 幽々たる舞鶴の灰桜(2)

 二人の小柄な艦娘が窓から身を乗り出すようにしながら、楽しそうに会話をしている。

 

「あっ! あの車なのです! 大きくてこっちに向かってるのです!」

「違うわよ雷! あのトラックは毎週来てる日用品の補充のトラックじゃない! 司令官を乗せるなんて失礼にもほどがあるわ?!」

「う~……。待ちきれないのです。新しい司令官、どんな人か気になるのです……」

「それは皆も同じよ。ほら、司令官への失礼にならないように着任式の並び順とか確認し直しましょうよ」

 

 窓辺から離れた暁型の駆逐艦である雷と電であったが、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、落ち着かない様子を隠す事が出来ない。

 雷が盛んに「何か手伝う事はないかしら?」と近くの仲間に声を掛けるのだが、既に会場である食堂の準備は万全で、後は提督を待つだけの形となっているのであった。

 

「へっ、ガキ共は気楽で羨ましいぜ! ……で、長門よぉ、新しい提督はどんな奴なんだ?」

 

 壁に寄り掛かり駆逐艦の様子を見守っている天龍型一番艦軽巡洋艦の天龍が、腕を組みながら同じように隣に佇んでいた長門型一番艦戦艦の長門に声を掛ける。天龍は駆逐艦の様子を気楽と評していたが、本人は気付いていないのだろう。天龍自身も、新たな提督を待ち侘びている様子を隠せていなかった。

 そんな天龍に、長門が小声で(ささや)く。

 

「…………数分後には提督も舞鶴に来られる。もう黙っておく必要もないな。…………横須賀の鬼島提督だ」

 

 長門の呟きは大きくない。しかし、この場にいる誰もが次の提督を気にしていたのだろう。ひそかに聞き耳を立てていた艦娘は長門の口から聞こえた予想外すぎる提督の名前に動揺を隠しきれず、思考が止まり、場に不自然な沈黙が広がってしまう。その感情を長門も理解できた。長門自身も数週間前、前提督に新任者である鬼島稔の事を伝えられた際、あまりの衝撃に頭の中が真っ白になり、パニックさながら何度も執務机に座る前提督に確認をしてしまったのだから。

 

 困惑が広がる空気を一番に破ったのは天龍だった。彼女は驚きを隠すつもりも無いようで、長門に食って掛かる。

 

「な、なんでそんな野郎がこんな鎮守府に来んだよ! 意味わかんねーぞ!!?!」

「し、新聞で名前を見た事があるのです! 横須賀鎮守府でいっぱい活躍したって書いてあったのです!」

「ね、ねぇ如月ちゃん! 鬼島提督ってどんな人なのかなぁ! 凄い人って事は、やっぱり厳しいのかな?!」

「どうなのかしら……。でも、睦月ちゃんならきっと大丈夫よっ♪」

 

 天龍に続くようにざわめきが広がっていく食堂内。ある艦娘は敬意を抱くように、ある艦娘は怯えたように。十人十色の反応を見せる食堂の中、一人の艦娘の声が大きく響いた。窓際で外の様子を伺っていた翔鶴型二番艦装甲空母の瑞鶴である。

 

「来た来た! 来ちゃった! し、翔鶴姉があ、挨拶してる! 挨拶してるから!」

 

 瑞鶴の叫びに続くように、数人の艦娘が窓にへばりつく。鎮守府の門の内側には一台の黒い乗用車が停まっており、翔鶴が提督であろう男性を引き連れ、鎮守府に向かっている様子が目に入る。

 

「よし! と、とりあえず落ち着けお前ら! この天龍様に続いて、しっかりと練習の成果を見せ付けてやるんだ!」

「天龍さん、足が震えてるのです!」

「声も震えてるじゃない」

「うっせぇ! オレの事はどうでも良いんだよ! 黙って並べ並べほらほら!」

 

 完全に落ち着きがなくなり、浮足立っている駆逐艦に指示を飛ばす天龍。そんな天龍の傍ら、長門は司会席に立つ加賀型一番艦正規空母の加賀に視線を向け、互いに頷き合うのであった。

 しかし、彼女達の思いとは裏腹に、鬼島稔と翔鶴はいつまで経ってもその姿を食堂に見せる事は無かった。

 最初の数分間は多少の遅れであるとの判断故、皆、静かに姿勢を保っていた。しかし、二十分、三十分、と時間が経つにつれ、徐々に困惑とざわめきが広がり、駆逐艦を中心に集中力が切れ始める艦娘の姿もあった。

 

「お、おいコラ! 電! その場にしゃがんでんなよ!」

「緊張しすぎて疲れちゃったのです……。胸がどきどきするのです……」

「電さん、それなら椅子に座った方が良いわ。体調不良ならば、提督も咎める事をしないはずよ」

「ご、ごめんなさい加賀さん。私も、ちょっと眩暈が……」

「三日月、大丈夫?!」

「んぁ? 三日月が座るなら、あたしも座ろっかな~。司令官、流石に待たせすぎっしょ」

「何でもっちーも座るの?!」

 

 三十分間も緊張に身を包み、乱れのない直立不動をし続けた事による疲れなのだろう。体調を崩した電と睦月型十番艦駆逐艦三日月を始め、徐々に食堂の片隅に寄せられたテーブルと椅子に向かい始めてしまう駆逐艦たち。そんな駆逐艦たちに天龍は喝を入れるのだが、加賀は電と三日月の介抱をしており、長門は廊下の方にチラチラと目線を送るのみであった。瑞鶴は苛立ちを抑えられないのか、足の爪先でコツコツと床を叩いている。

 

「……せっかく食堂にいる事ですし、お茶にしましょう。駆逐艦の皆さんに、はちみつ生姜湯、ご用意しますね」

「そうだね。せっかくだし、頂こうかな」

「ひ、響?!」

「私の分も頼もう」

「な、長門さんまで?! うぅ~……、そ、それなら、私も頂くわっ! レディーとして勧められた飲み物を飲まないのは……」

「ありがとうございます鳳翔さん! 私もお手伝いしますねっ!」

「うーちゃんも待っちくったびっれたぴょ~ん! 鳳翔さんのお手伝いするぴょ~ん♪」

 

 鳳翔型一番艦軽空母の鳳翔が疲れた様子の駆逐艦に声を掛けると、元気の良い返事がたくさん帰ってくる。

 長い時間何もしないというのは、駆逐艦にとっては苦行そのものであろう。鳳翔は皆の返事を静かに聞き入れ、厨房へ入り、お湯を沸かし始めるのであった。そんな鳳翔を手伝うべく、睦月型一番艦駆逐艦の睦月と、四番艦駆逐艦の卯月が続いて厨房に入って行く。

 睦月は湯呑とお盆を用意し始めるのだが、卯月は冷蔵庫から取り出したはちみつを美味しそうにぺろぺろと舐めてしまうのだった。

 

「そ、そんな鳳翔さん! いつ提督が来るのか分からないのに……?!」

「瑞鶴さんは提督さんがいらっしゃい次第、合図と足止めの方、よろしくお願いします」

 

 鳳翔が慌てた様子の瑞鶴にそう告げると、手際よく生姜をすりおろし始める。

 そんな鳳翔の様子に観念したのか、瑞鶴は「今日だけだからねっ!」と呟きながら片隅の椅子を廊下の見える場所まで運び、廊下の監視を始めたのだった。

 

 だが、艦娘の皆が小休止と言う名のティータイムを設け、気分転換を図っていた時にも提督の姿が現れる事は無かった。瑞鶴は椅子の上で完全に暇を持て余しており、靴を脱いで体育座りの姿勢を維持し、ぼんやりと床を見つめていた。

 そして、鳳翔が夕食の準備をし始め、天龍と駆逐艦が深海棲艦ごっこで盛り上がっている中、ようやく廊下から二人の足音が聞こえてきたのであった。

 この時、既に予定時刻から一時間以上が過ぎていた。

 申し訳なさそうな翔鶴の表情に対し、廊下を歩く鬼島稔の顔に焦りの色は見られない。歩幅も一定で、自分のペースを貫いていた。

こうして、ようやく舞鶴鎮守府所属艦娘による、鬼島稔の着任式が始まったのであった。

 

 

 

 

 舞鶴鎮守府へと続く門柱の横に立っていた翔鶴が、豪奢ではあるが下品さを感じさせない一台の乗用車が近付いてくる事に気が付いた。彼女は既に秘書艦である長門から全体の流れを指示されており、慌てた様子も見せずに門扉を開き乗用車を誘導する。

 

 乗用車が完全に停止し、運転席から一人の男が降りてくる。

 緊張しているのか動きはぎこちない。しかし、彼の熱心さは側で敬礼の姿勢を保っている翔鶴にも痛いほどに伝わっていた。

 彼が後部座席のドアを開けると、僅かな乱れも感じさせない白い軍服を身に纏った男が降りてくる。本日付で舞鶴鎮守府に着任となった鬼島稔であった。車内では軍帽を脱いでいたのだろう。きっちりと七三に分けられた髪と、冷たい印象を与えかねない眼鏡が翔鶴の瞳に映る。

 

「御苦労」

 

 鬼島が一言告げると、運転手であった男は大仰とも言える一礼を鬼島に向け、己の気配を感じさせないよう静かに乗用車に乗り込み、舞鶴鎮守府を後にする。

 

「お待ちしておりました。本日の案内役を務めさせて頂きます、翔鶴と申します。お疲れではありませんか? もし、鬼島提督が宜しけ」

「執務室へ案内してくれ」

 

 翔鶴の方を一瞥もせず、鬼島は鎮守府の方へ歩いて行く。

 

「えっ……、あっ、は、はい。あの、こ、こちらです……」

 

 鬼島の行動に翔鶴は動揺を隠せずにいた。そして、食堂で待つ仲間の事を思い、鬼島を引き留めようとも考えたのだが、鬼島の鋭い雰囲気に翔鶴は何も言えずにいた。

 故に鎮守府の長い廊下を歩き、階段を上り、食堂とは正反対の執務室へと鬼島の案内を始めてしまうのだった。

 

「こ、こちらです」

「………………」

 

 ガチャリと鬼島が執務室の扉を開け、そして、内部を一見。呆れた様に小さく溜息を付くと、前任の使い古しであろう執務机の椅子に座る。

 前任の忘れ物だろうか、執務机に置きっぱなしの数枚の書類に目を通し、それをクシャリと丸め、横のゴミ箱に放る。

 三段に分かれている引き出しの中身を確認。そこには何も入っておらず、前任が全て持って行ってしまったのだろうか。しかし中身が空である事に満足したのか、鬼島は特に不満そうな顔も見せずに頷く。そして静かに立ち上がり、書類棚の前に移動した。

 執務室での鬼島の行動に、翔鶴は焦りの色を隠せない。このままでは、目の前の提督は仕事を始めかねない。それはそれで立派な事ではあるのだが、仲間の艦娘の事を思うと心が痛んでしまう。楽しそうに着任式の準備をしていた皆の様子を思い出し、翔鶴は口を開こうとする。しかし、鬼島の前では自分のペースを作る事がどうしても出来ず、唇を噛む事しか出来なかったのである。

 鬼島は舞鶴鎮守府の日報だろうか、一番分厚いファイルを手に取り数枚飛ばしで確認し始める。

 

 消耗品や資材の使用状況や在庫。

 近隣海域の様子と深海棲艦の特徴。

 艦娘の編成と成果。

 

 その日報は他の鎮守府や事業所に比べ、かなり細かい部分まで具体的に記されていた。前提督の生真面目さの表れなのだろう。だからと言って鬼島の表情に驚きの色が浮かぶ事も無く、淡々と情報を脳に詰め込んでいるかのようであった。

 執務室で響いているのは、壁に掛けられた時計の刻む一定のリズムと、鬼島がめくるファイルの音のみであった。

 翔鶴は身動ぎもせずに、その場に立ち続けていた。まるで、呼吸をするのも忘れているかのように、美しい彫刻のように、翔鶴は立っていた。しかし、目線はチラチラと時計の方を向いていた。鬼島を執務室に案内してから、既に三十分も経っていたのだ。

 その時、書類棚の方から物音が聞こえた。翔鶴がそちらに目を向けると、ようやく読み終えたのか、鬼島がファイルを元に戻す所であった。声を掛けるにはここしかない。そう判断した翔鶴は、沈黙を破るかのように鬼島に声を掛ける。

 

「あ、あの、これから他の艦娘の…………皆さんと………………」

 

 翔鶴の声はだんだんと小さくなり、伝えたい言葉を言い終える前に完全に消え去ってしまった。それは当然であった。鬼島は翔鶴の言葉に何の反応を示す事もせずに、隣のファイルを手に取ったからである。

 

「………………」

「………………」

 

 再び執務室の中には鬼島がファイルをめくる音と、残酷に時を刻む時計の音だけがひたすらに響いていた。

 翔鶴は心の中で、食堂で待っている仲間に対し、何度とも数えきれないほどの謝罪をしていたのであった。翔鶴は考えていた。もしも案内役が長門や加賀であれば、もっとスムーズに食堂まで案内出来たのではないか。もしくは、駆逐艦の皆の様に積極的に手を引っ張って連れて行ってしまえば、目の前の提督も付いて来てくれたのではないか。

 こうなってしまったのは己の力不足だと、翔鶴は深く自分を責め始めていた。

 時は既に、開始予定時刻よりも五十分を過ぎていた。鬼島の手は三冊目のファイルを支えており、視線は手元から動いていない。

 

「鳳翔型一番艦軽空母の役割は何だ」

 

 深い自省に入り込んでいた翔鶴だったが、どうにかその言葉を聞き漏らす事は無かった。落ち着いて言葉の意味を考えながら鬼島の方に目を向けると、既に鬼島はファイルを片付けており、翔鶴の方に身体を向けていた。

 

「鳳翔さんは、舞鶴鎮守府では皆の食事を作って下さったり、駆逐艦のお世話をして下さったり……。鎮守府の雑務全般を前任提督の(もと)では行っていました」

「そうか」

 

 鬼島は静かに返事をすると、執務室の扉から廊下に出、翔鶴に視線を向ける。

 

「工廠は何処だ」

 

 翔鶴は鬼島の言葉に深い絶望を感じてしまったのだが、翔鶴の予想に反して工廠では先ほどのように長い時間を使う事も無く、鬼島は設置されている機械に目を向けるだけであった。途中、器具を手入れしている妖精を無造作に摘まみ上げていたのだが、妖精は特に反抗する様子も無くされるがままになっており、それどころかどこからともなく現れた妖精が順番待ちのように並び始め、それを鬼島が追い払う一面もあった。

 

「私の目的は果たしたが、舞鶴では何か日課があるのだろうか。そのような業務があるのであれば、私の事は気にしなくてよい。職務を全うせよ」

 

 工廠の入り口にて、鬼島が翔鶴に言葉を掛ける。

 これが翔鶴に認められた唯一のチャンスであった。翔鶴は自然な笑顔で鬼島を食堂に誘う事に成功し、仲間が待つ食堂へと共に向かうのであった。

 

 

 

 

 万雷の拍手で迎えられた鬼島は、司会の加賀に促されるままに壇上の椅子へと座り、各艦娘の自己紹介を聞き入れていた。鬼島の表情は変わらない。しかし、だからと言って威圧的な態度を取るわけでも無い。時折見せる小さな頷きだけが、唯一の鬼島の反応であった。

 

 舞鶴鎮守府の艦娘たちは壇上の鬼島を見つめながら、前任の提督の事を思い出していた。有能なのか無能なのか分からない提督ではあった。軍人とは思えない緩んだ体型であったが、愛嬌があり、仕事に対しても真面目であった。成果の方はほどほどであった。定期的に全国の鎮守府と事業所に配布される『鎮守府新聞』に舞鶴鎮守府の話題が出る事は一切なく、反面、大湊や横須賀の話題だけで紙面のほとんどが占められていた。

 彼女達の前にいる鬼島は、その横須賀鎮守府から異動してきた提督である。大本営の真意を汲むなら『舞鶴を鍛え上げろ』『舞鶴にて大幅なる成果の向上を目指せ』になるのだろうと、彼女達は薄々ながら予想し、己が考える指導の三倍の厳しさを想像し、身心を引き締めるのであった。

 

 艦娘の自己紹介も終盤に向かう。

 駆逐艦、軽巡洋艦、軽空母、正規空母と済ましていき、最後の一人である戦艦の長門に順番が回って来た。

 

「最後になって申し訳ない。私がこの舞鶴鎮守府の秘書艦を務めている長門だ。鬼島提督の噂はかねがね耳にしている。今後、共に力を合わせ、西日本の海域を」

「秘書艦は加賀型一番艦にやらせる。長門型一番艦は無駄な事をせず戦場へ出ろ」

 

 鬼島の声が食堂に響いた。長門は自己紹介を止められた形となるのだが、それ以上に鬼島の言葉に大きく反応した。

 

「ど、どういう事だ提督! この長門、今までも数多くの業務を同時にこなしてきた! 不甲斐なさが理由であれば納得も出来るが、私と貴方は初対面のはずだ!」

 

 動揺を隠せないのは長門だけでは無い。鬼島の言葉に駆逐艦は不安げな表情を隠そうともせず、その様子を見た天龍もまた、不愉快そうな面持ちで鬼島の方を見つめる。

 

「………………」

 

 だが、鬼島はそれ以上言葉を発しない。その静かな佇まいに、長門は怒りを止める事が出来ない。壇上の鬼島に詰め寄ろうと一歩足を踏み出すのだが、即座にその身体を両側から翔鶴と瑞鶴の二人が止めた。只事では無い空気を敏感に感じた駆逐艦から涙声が聞こえ始めるのだが、鳳翔が安心させるように抱きしめ、背中を撫でている。

 

「な、なぜ黙っている鬼島提督! 貴方はこれから舞鶴鎮守府を取り仕切る立場となる人物だ! そのような態度で皆と信頼が築けると……!!」

「自己紹介は済んだようだな」

 

 鬼島がその場に立ち上がると、空気が一変した。

 鬼島は何もしていない。立ち上がっただけである。しかし、鬼島を睨みつけていた長門と天龍は気圧されたように息を飲み、翔鶴と瑞鶴は背筋が冷えるのを感じた。駆逐艦は鬼島の一挙一動から目が離せなくなり、鳳翔はその振る舞いを見ただけで、鬼島が只者では無い事を深く理解してしまった。

 先ほどから落ち着いた素振りをまったく乱す事のない加賀は、流石と言ったところであろうか。

 

「私の名は鬼島稔。階級は大尉。以降、私の指示通りに動け。…………長門型一番艦、天龍型一番艦、後に執務室へ来い。コタツやワイン棚、掛け軸など、無用な内装を廃棄するのを手伝え。必要であれば勝手にしろ。以上だ」

 

 鬼島はそれだけを伝えると、静かに壇上から降り、食堂から出て行くのであった。

 彼の行動を、誰も止める事が出来ない。残された艦娘は互いに顔を合わせるのだが、言葉が出てこない。横柄や傲慢な提督であれば「ふざけるな」や「ムカつく」などといった言葉も出る。特に瑞鶴は、自分の感情を素直に吐き出す艦娘だ。だが、彼女達は言えなかった。初対面ではあるが、鬼島をそのような言葉で(くく)って良いとは思えなかったのだ。

 もちろん、横須賀鎮守府での功績が脳裏に刷り込まれていた事も事実ではある。しかし、有能な提督だったとしても、気に入らない提督に対してならば瑞鶴は容赦なく「生理的に無理」と言うタイプであった。

 

 本来、艦娘たちは配属されてくる提督の様子を伺いながら着任式の段取りを変える予定でいた。親し気で優しそうな提督であった場合なら歌と踊りを見せ、天龍や瑞鶴の一発芸を披露する予定でいたのであった。

 長門も着任予定だった『鬼島稔という提督』の功績は知っていた。しかし、人間性は知らなかった為、着任式がどのような進行を辿るか予想できなかったのだ。その為、楽しそうに歌の練習をする駆逐艦を和やかな気持ちで見守っていたのだ。

 だが、今の駆逐艦たちの様子を見る限り、ワクワクとした期待感や、楽しい気持ちは既にどこかに飛んで行ってしまったように見えてしまう。顔には出さないように努力しているのが感じられる。鬼島稔の態度は悪印象と取られる事は無かったが、好印象では確実に無かった。

 鳳翔や翔鶴が必死に「提督も緊張していたのよ」と声を掛けていたのだが、それが事実かどうかは、鬼島のみぞ知る事であろう。

 

 

 

 

 コンコン、と執務室の扉が静かにノックされる。

 

「開いている」

 

 扉を開いて入室してきたのは書類を胸に抱いた加賀であった。彼女の姿を一瞥した鬼島は特に何を言う事も無く、手元の書類に目を戻した。

 窓の外からは夜間演習だろうか、景気の良い模擬弾の音と笑い声が聞こえてくる。

 

「艦載機を飛ばせない空母も夜間演習に参加させる必要はあるのでしょうか?」

 

 加賀の質問に、鬼島は書類を書く手を止めない。

 現在、舞鶴鎮守府の艤装に夜間艦載機型の戦闘機は存在していない。故に、今までの空母編成は昼戦に限って行われていた。

 しかし、初日から鬼島は演習とはいえ、夜間に空母を編成に組み込んでいる。練度が知りたいのであれば理解できるのだが、鬼島が演習場を見る気配は無い。

 

「舞鶴では艦載機を理由に戦場を放棄する事が許されていたのか」

 

 鬼島が呆れたように呟いた。

 鬼島の言葉に加賀は返事をする事が出来ない。今まで舞鶴鎮守府が結果が残せなかった理由を、首筋に突き付けられた心地であった。日本軍は海上を守る為に必死になっている。鎮守府を配置し提督を就任させ、海域を艦娘によって守り、時には攻め入っていた。

 今までの舞鶴の様子はどうだっただろうか。大本営陸海軍部が無我夢中で求めていた海域を、自分達はどのような意気込みで対峙していたのだろうか。

 

「……頃合いを見て止めさせろ。加賀型一番艦も休む事を許す」

 

 加賀が思考に飲み込まれそうになっていたタイミングで、鬼島の声が加賀を現実に引き戻す。

 額に浮かんだ汗を静かに拭うと、加賀は鬼島に一礼する。

 

「いえ、休息はまだ結構です。演習終了の指示後、再び鬼島提督の秘書艦を務めさせて頂きます」

「そうか」

 

 鬼島が立ち上がり、書類棚にあるファイルを手に取る。

 加賀は一礼し、静かに執務室から退室した。初日ではあったが、加賀は鬼島の提督としての資質の高さを感じていたのだ。故に、休息を断り、鬼島の業務の手伝いをしようと決めたのだった。己が休息する時は、鬼島が仕事を終えた時である。提督よりも先に休みを取る秘書艦なんて、秘書艦失格であろう。

 しかし、加賀のその強い意志も初日から折られる事になってしまった。

 

 鬼島稔は初日から一睡もせずに業務をし続けたのである。

 加賀も必死に耐えていたのだが、生活スタイルを突然変える事は難しい。途中で鬼島に「自室で寝ろ」と声を掛けられるまで、いつからか加賀は意識を彼方に飛ばしてしまっていたのだった。

 そんな加賀の様子を鬼島は失望するわけでもなく、だからと言って期待する事も無く、淡々と受け入れていたのであった。




ver1.01 2019/01/23
ver1.02 2019/08/18
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