惻隠の情 作:坂口
艦娘寮のとある一室。部屋の中心に置いてあるコタツに入ってみかんを剥いている翔鶴と、ゴロリと横になっている瑞鶴、二人の姿があった。窓の外に見える木々は既に葉を落としており、身に染みそうな木枯らしが吹いていた。少し早めのコタツ開き、と言ったところか。
「ほら、瑞鶴。みかん剥いたから食べましょう?」
「ん~? 翔鶴姉が食べれば~?」
そう言いながら起き上がった瑞鶴は、目の前に置いてある皮の剥かれたみかんをむしゃむしゃと食べ始める。そんな瑞鶴を見ながら翔鶴は微笑んでおり、平穏な日常を楽しんでいるようだった。
そんな時、廊下からドタドタとした足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。
「艦隊が帰ってきたわよ! 寒い寒い寒い……って何で人の部屋で
勢いよく部屋に入って来たのは暁型一番艦駆逐艦の暁であった。それに続くように、ぞろぞろと響、雷、電の三人が部屋に入って来た。
「?! コタツの座る場所が二つしか空いてないのです! 早い者勝ちなのです!」
「それは良くないよ電。こういう場合は平等に、じゃんけんで決めようじゃないか」
「って言いながらなんで響は玄関に荷物を置くのよ! これじゃあ靴が脱げないじゃない!」
「響ちゃん意地悪なのです!」
「私は午後にも出撃予定が入っているからね。風邪を引くわけにはいかないのさ」
玄関でワイワイと盛り上がっている三人を見ながら、翔鶴はコタツで温まった両手で隣に立っている暁の頬を挟んだ。
「それで、今日はどこまで行って来たのかしら?」
「ふっふっふ、聞いて驚きなさい! カレー半島水域で戦ってきたのよ! 美味しそうな名前でしょ!」
「おー、凄いじゃん。制圧大成功! って感じ?」
「……それは違うよ。司令官の指示は『行ける所まで行け』だったから、資材を拾うだけで戻ってしまった」
「どんどん深海棲艦が強くなってるのです……」
「駆逐ニ級と軽巡ト級は怖くないのよ! でも、なんで早々に重巡リ級がいるのよ! しかも黄色いオーラが見えたし! 隠れてやり過ごすのはレディーらしく無かったけど……」
「きっとスーパーリ級だったんだわ! 仕方ないわよ。次、頑張りましょ!」
コタツは既に翔鶴、瑞鶴、暁、響の四人で満員になっていた。
出遅れた雷がグイグイと瑞鶴を押しやりながら無理やり隣に収まり、靴を脱ぎ終わった電はいそいそと翔鶴の足の間に収まる。
「はぁ…………。提督が必要ないって言ってた時、意地張ってないで貰えば良かった」
瑞鶴が目の前のコタツの天板を指で突きながら呟く。その声を聞いた雷は「早い者勝ちなんだから」と満足そうに胸を張った。
鬼島稔が舞鶴鎮守府に着任したあの日、鬼島は前提督が執務室に置いていたインテリアなどの所有権を全て放棄した。
着任式での鬼島の様子にあまり良い印象を持てなかった艦娘は、それらを捨てて一時の鬱憤を晴らそうとしたのだが、幸か不幸か、それは叶わなかった。
「コタツは私たちの部屋に置くのです! 天龍さん、運ぶの手伝って欲しいのです!」
先ほどまで暗い顔をしていた電が、何を思ったのか勢いよく手を上げた。
キョトン、とした顔の艦娘の視線が電に集まる。しかし、電は冷静に呟いた。
「家具に罪は無いのです」
その言葉を聞いた艦娘は、即座に己の頭を冷静に働かせる。そして、天龍が電の方にコタツセットを動かすのを皮切りに、艦娘同士の所有権争いが勃発したのは言うまでもない。
「……食べ物はないのかしら」
「残念ながら食べ物は…………って弥生?!」
「申し訳ございません長門さん、ワイン棚を食堂に運んで頂けませんか? 料理の風味付けに使ってみようかと……」
「の、飲まねーのかよ?! それなら何本か貰っても良いよな。龍田が来た時に開けるからよ。……長門、お前も飲むか?」
「私には必要ない。…………だが、そうだな。このウサギのぬいぐるみなら貰ってやっても……」
「あーーーーっ!!!!!?! うーちゃんのウサギがこんな所にあるぴょん! ずっと探してたぴょん!!!」
「執務室で遊んでた時に忘れちゃったのかしら? 良かったね、うーちゃん♪」
「おっ、羽毛布団があるじゃん。弥生も一緒に横になろうよ~。お腹空かなくなるかもよ?」
「いっ、いいけど……」
弥生と睦月が食べ物を探し始め、鳳翔と天龍がワイン棚に興味を向ける。卯月と如月が引っ張り出したウサギのぬいぐるみに長門が物欲しげな目を向ければ、望月が羽毛布団にばふっ、と飛び込んだ。
「わ、私は絶対にいらないんだからっ! なんか物に釣られてるみたいじゃん?! こんなやり方、きっと提督として大した事ないのよ! みんな、騙されちゃダメよ!」
「瑞鶴、考え過ぎよ……」
翔鶴が困った顔をしながら瑞鶴を
彼女達の騒動は鬼島から夜間演習を命じられるまで続き、欲しかった品物を手に入れられた艦娘は満足そうな顔で夜間演習に臨んでいたのであった。
「……それで、瑞鶴は鬼島提督の事どう思ってるの?」
「……………………見直した」
「司令官は凄い人なのです! 私たち四人だけでもたくさん戦果が挙げられるようになったのです!」
「長門さんも出撃が大変そうだけど、会うたびに充実した表情をしているね。ハラショー、今までは長門さんに押し付け過ぎていたのかもしれない」
「加賀さんは何を考えてるか分からないけど……。でも、羨ましいわ! 司令官の秘書艦になっていたら、暁もレディーに近付けていたかもしれないもの!」
鬼島が舞鶴鎮守府に着任して六か月が経っていた。
彼は着任早々、鎮守府付近の海域を制圧した。休む間もなく内海に続く海域に防衛ラインを設置し、日本海域の安全性を向上させたのである。そのまま横須賀鎮守府と協力して太平洋沖に出るのだろうと艦娘は考えたのだが、鬼島はジャワ島方面への遠征を指示し、カレー洋への進出を目指し始めた。
鬼島は横須賀鎮守府に所属していた頃と変わらず、愛想の無い男であった。艦娘に対しても必要以上の説明はせず、演習を繰り返し、少数編成での出撃を繰り返していた。
最初はやはり多少の反抗もあったものだが、鬼島の指示によって得られた成果に目を向けると、艦娘たちも口を
「そう言えば、明日は天龍さんと睦月ちゃんたちの凱旋パレードって加賀さんが言ってたっけ。戦果を挙げてる人は大変だねぇ」
「…………?! ちょっと何言ってるのよ瑞鶴! 私たちも出るのよ?! 艦娘は全員参加って鬼島提督が……」
「…………えっ?! 知らないんだけど?! だって南西方面海域で渾作戦を成功させたのって天龍さんたちでしょ?!」
「棲姫を倒したって聞いたです! 凄いのです!」
「駆逐棲姫……って種類みたいだね。ハラショー、私も強くなれば、アイツらなんて……」
「そうね。でも響、『私』じゃないわ。私たちがいるじゃない! もっと頼っても良いのよ!」
焦る瑞鶴と慌てる翔鶴。そんな二人を気にしないかのように、ひそかに意気込む駆逐艦の四人。そして、これは余談ではあるのだが、今回行われた舞鶴鎮守府近隣地域での凱旋パレードにて、
農家の跡取りとして両親の手伝いをしながら生きてきた、鳴本雷太である。彼はこの時に艦娘の美しさと力強さに惚れ込み、齢十七、非常に遅めであったのだが、軍学校に入学したのであった。
後の英雄となる男を軍隊に引き込んだのは他でもない。稀代の天才、鬼島稔だったのだ。
◇
「鬼島提督に用ですか? 呉鎮守府に資材を納品しに向かわれたけど、そろそろお戻りに……」
「おはぎを作ったんです。せっかくですので、鬼島提督にも……。加賀さんもいかがですか?」
「頂くわ」
鳳翔が手に持った皿に載せられたおはぎを加賀の方へ差し出すと、三つのおはぎは二つになった。もぐもぐとその場で食べる加賀を穏やかな表情で見つめる鳳翔。そんな視線を気にした様子も無く、加賀は指に付いた餡を舐め、鳳翔に感謝の言葉を告げる。
「美味しかったです、流石ですね。…………鬼島提督はお食べになるのかしら?」
「それは…………分かりません」
鳳翔が困った顔をしながら答える。
鳳翔は昼夜関係なく働き続ける鬼島稔の身体を案じて、これまで何度も軽食の差し入れをしてきたのだった。おにぎり、お団子、魚の味噌煮や味の染みこんだ煮物。時には洋食をと思い、サンドウィッチを作った時もあった。
しかし、その軽食に鬼島が手を付けた事は一度も無かった。執務机に載せられたそれを見るたびに、鬼島は黙って加賀の方に差し出していたのだ。
「…………鬼島提督が来られてから、勲章の数が凄い事になりましたね」
鳳翔が執務室の横に設置された陳列棚に目を向ける。加賀が先ほどまで見ていた物である。
その陳列棚には、多数のトロフィーや盾、メダルなどが飾られていた。それらは全て一点物であり、舞鶴鎮守府所属の艦娘の活躍によって支援や救援を受けた地域や団体が、感謝の意を込めて鬼島に贈った物であった。しかし、鬼島は頑なに執務室へ飾る事を拒否したのだった。
「邪魔だ」
「無駄だ」
「必要ない」
その言葉に観念した艦娘たちであったが、天龍が嫌がらせ半分に執務室の前に飾ってやろうと陳列棚を運んで来てしまった。しかし、執務室の前ならセーフだったのか、執務室横に置かれたそれに鬼島が文句を言う事は一度も無かった。
「鬼島提督と出会って五年……。たった五年なのに、私たちは随分と強くなったと思います」
「そうですね。秘書艦として鬼島提督の隣にいるからこそ、あの人の凄さには感服します」
「戻った」
背後から聞こえた声に、反射的に二人は敬礼を返す。それを見た鬼島は何も言わず、執務室へとその身を消した。
「……後はもっと愛想が良ければ言う事ないんでしょうけど」
「ふふふっ、加賀さん。それは提督に失礼ですよ」
その時、長い廊下を慌ただしく走る音が聞こえた。加賀と鳳翔が共に鋭い視線で音の先を見据えれば、そこから現れたのは数日前からカレー洋方面に出撃していた長門であった。
彼女の髪型は乱れ、服装は煽情的に焼け焦げており、胸元やヘソ、背中にかけて、目に見える肌色面積が相当であった。
「…………着替えが先なのでは?」
「それどころではない!」
加賀による冷静な指摘も長門の一声に掻き消されてしまい、加賀と鳳翔は困ったように、互いの顔を見合わせる。
「ベーグル湾の敵海上補給路の撃滅に成功したぞ! これで深海棲艦の防衛ラインも大幅に後退するはずだ! 早く鬼島提督に報告しなければ!」
「声が大きい。……ともあれ、これでカレー洋のリランカ島の制圧に向かえる。深海棲艦の巣窟をぶっ潰すぞ。正念場だ。気を引き締めろ」
着替えの途中だったのか、執務室の扉から出てきた鬼島稔の格好は、上着を脱いだラフな状態であった。鬼島のラフな服装を、加賀、鳳翔、長門の三人は初めて目にするのだが、その驚きよりも上回る鬼島の出撃命令に、三人は動きを止めてしまった。
「加賀型一番艦、連絡網にて全艦出撃準備を。鳳翔型一番艦、お前にも出撃してもらうぞ。夜戦だからと言って、」
「はい、準備は出来ております」
「翔鶴型一番艦、二番艦は睦月型三番艦、五番艦と共に先行して海域に逃げ延びた深海棲艦の殲滅。敵海上補給路跡に到着後、後続隊を待て。鳳翔型一番艦は天龍型一番艦と共に暁型四隻を引き連れ、翔鶴型と合流後、リランカ島へ向かえ。洋上補給用の燃料や弾薬を忘れるな」
鬼島が次々と指示を出していく。加賀と鳳翔は聞き漏らしが無いように真剣に耳を傾ける。
出撃から帰還したばかりの長門ではあったが、彼女もモチベーションを途切らせる事無く、次の出撃に備え、英気を養っている。
編成から隊列、接敵時の位置取りや連携。
「以上。栄光を求めよ」
鬼島の言葉と同時に、三人の艦娘が凛とした敬礼を見せる。彼女達はすぐさま己の役割を果たす為に廊下を翔け、出撃の準備をするのであった。
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――――――
―――
「リランカ島制圧完了。続いて、帰還時に発見しましたアンズ環礁沖にて、護衛要塞に守られた泊地水鬼を発見。交戦の結果、撃墜成功。こちらの損害は軽微です」
「御苦労」
加賀からの通信を聞いた鬼島は深く溜息をつく。しかし、その表情は変わらない。
艦隊の出撃から既に十数時間。日付は既に零時を回っている。これから帰還となれば、空がようやく白む頃になるだろうか。鬼島は立ち上がり、窓の外に目をやる。窓辺に映る水面は闇に覆われていたが、月明かりの反射がキラキラと輝いていた。
ふと、鬼島の視線が皿に乗ったおはぎに向いた。その存在に、ようやく気付いたのだろう。
鬼島は
◇
ステビア海方面へ日本の保有海域を広げる鬼島だったが、彼の頭に浮かんでいたのは疑念だった。アンズ環礁沖を制圧してから数ヶ月経ったが、深海棲艦の動きに焦りは見られず、むしろ争いは鎮火しているようにも感じられたからである。
並の提督であれば、深海棲艦が日本軍に降伏したのだろうと結論付け、大手を振っての凱旋を始めた事であろう。しかし、鬼島はそうしなかった。己の疑念が解消されるまで、油断をするような男では無かったからだ。
「……舞鶴鎮守府所属、鬼島稔だ」
鬼島が無線電信を手に取り、どこかへ連絡している。その顔は無表情であったが、彼に近しい人物であれば、声に不快さが混じっている事に気付いただろう。
「巨大な敵戦力が襲撃しても…………そうか。それは横須賀鎮守府の総意と受け取って…………そうか」
通信先は横須賀鎮守府であった。横須賀鎮守府近海もどうやら同じ状況に陥っているようであり、しかしながら横須賀鎮守府の人間は既に深海棲艦の崩壊を疑っていないのか、
「……加賀型一番艦。現状、どう思う」
鬼島稔が他人に問いかける事など、もしかしたらこれが初めてだったのかもしれない。
「私見ですが、日本国所属海軍の気迫に圧され、既に撤退をしているのでは……」
「私はそう思わん。…………一時、ステビア海の防衛は佐世保に任せる。舞鶴鎮守府は日本近海の警護に当たる。加賀型一番艦は翔鶴型一番艦、二番艦を連れて横須賀へ行け」
「………………」
「嫌な予感がする」
根拠を示せと言われたら黙する事しか出来なかったが、鬼島稔の疑念から生まれた一手は、横須賀鎮守府への数少ない支援となった。
翌日。加賀、翔鶴、瑞鶴が横須賀鎮守府に到着した時、既に横須賀鎮守府は
一言で言うなれば、まるで地獄絵図であろう。
完全に油断していた横須賀鎮守府は大きな損害を受け、冷静さを完全に失っていた。燃える鎮守府。地上からは絶え間なく悲鳴が上がり、それを打ち消す暴悪によって、更なる
隊列は意味をなさず、艦娘の必死の抵抗も虚しく、無残に散る結果が幾重にも重ねられる結果となっていた。この日に起きた災害によって、横須賀鎮守府は完全に機能を停止したのであった。
何を思ったのか、深海棲艦は満足したかのように、引き潮の様に一気に姿を消してしまった。
運が良かったのか、それとも何か意図があったのだろうか。何であろうと強襲に
崩壊した
崩壊する横須賀鎮守府は、まるで日本国の終焉を意味するかのようであり、日本国民に深い絶望を与える事となってしまったのだった。
Q:鳴本君と吉田さんは同期ですが、年齢どうなってるんですか?
A:軍学校入学時の年齢は鳴本君が十七歳。吉田さんが十歳です。七歳差なら恋愛対象内ですね